デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

6章 対外事業
1節 韓国
2款 京釜鉄道株式会社
■綱文

第16巻 p.400-403(DK160057k) ページ画像

明治33年2月27日(1900年)

是日、当会社発起人、貴衆両院議員ヲ帝国ホテルニ招待シテ更ニ援助ヲ請フ所アリ。栄一発起人ヲ代表シテ演説ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三三年(DK160057k-0001)
第16巻 p.400-401 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三三年        (渋沢子爵家所蔵)
二月二十六日 晴
 - 第16巻 p.401 -ページ画像 
午前数多ノ来人ニ接ス、午後北海道製麻会社支店ニ抵リ、帳簿ヲ検査ス、四時帝国ホテルニ於テ催シタル京仁鉄道会社ノ披露会ニ出席ス、大隈伯、外務・大蔵・逓信省ノ諸官吏、米国人モールス・京釜鉄道創立委員及会社々員ノ諸氏来会ス、食卓上一場ノ演説ヲ為シテ京仁鉄道ノ沿革ヲ述ヘ、且其成立ニ助力セラレシ諸氏ノ労ヲ謝ス、次ニ足立太郎ヨリ会社営業ノ現況ヲ叙フ、大隈伯ヨリ答詞アリテ、主客歓ヲ尽シ夜十時散会ス、深川宅ニ帰宿ス
二月二十七日 晴
午前来人ニ接ス、尾高老人ノ病ヲ訪フ、午後二時帝国ホテルニ於テ開キタル京釜鉄道会社発起人勧募ノ大会ニ出席シ、創立委員ヲ代表シテ一場ノ演説ヲナス、尋テ大隈伯ヨリ此事業賛成ノ趣旨ヲ演説セラル、畢テ来会者一同ヘ立食ヲ饗ス○下略
  ○中略。
三月二日 曇
午前第一銀行ニ出勤ス、山県総理ヲ官舎ニ訪ヒ、京釜鉄道ノ事ヲ話ス○下略


東京経済雑誌 第四一巻第一〇一九号・第四〇八頁明治三三年三月三日 ○京釜鉄道招待会(DK160057k-0002)
第16巻 p.401 ページ画像

東京経済雑誌  第四一巻第一〇一九号・第四〇八頁明治三三年三月三日
    ○京釜鉄道招待会
韓国京釜鉄道創立委員は去る廿七日貴衆両院議員及朝野の紳士四百余名を帝国ホテルに招待せり、当日来賓の重なるものは大隈伯・加藤前韓国公使諸氏を始め、貴衆両院議員・新聞記者等にして席定まるや、創立委員長渋沢栄一氏一場の挨拶をなして曰く
 京釜鉄道は明治廿七年我政府と韓閾政府《(国)》との暫定条約に基因し、廿九年以後彼国政府と数回談判の末、三十一年九月に至り発起人総代は彼国政府と其敷設特許条約を締結したるも、未た会社設立の場合に至らず、然れども鉄道の必要なるは多弁を要せざる所なり、幸に貴衆両院に於ては本鉄道速成の建議を通過され、次で是に関する法律案をも議決せられたり、是れ深く貴衆両院議員に感謝する所なり思ふに本鉄道の必要なる単に政治外交上に止まらず、両国間の貿易を発達せしめ、彼我の関係を密接ならしむる点に於て尤も緊要なりとす、人或は予等を目するに商売外に手を出すが如く思惟するものなきに非ざるべしと雖も、若し我京浜鉄道・日本鉄道敷設当時の事を追想せば何人も義務的事業のみにあらずして、多少営利的要素を包含せるを首肯するならむ、希くは多数有力家の賛助を得、政府よりも相当の助成を仰ぎ速に予期の目的を達せんことを、云々



〔参考〕中外商業新報 第五四二一号 明治三三年二月二八日 京釜鉄道の招待会(DK160057k-0003)
第16巻 p.401-403 ページ画像

中外商業新報  第五四二一号 明治三三年二月二八日
    京釜鉄道の招待会
 京釜鉄道発起人諸氏の貴衆両議員招待会は昨二十七日午後二時より帝国ホテル開会したるが、当日出席の人々は大隈伯を始め、貴衆両議員並に京浜実業家の重立ちたる諸氏等二百余名にして、賓主席定まるや渋沢栄一氏は発起人総代として大要左の如き挨拶を述べ、次で大隈伯より左の如き演説ありたり
 - 第16巻 p.402 -ページ画像 
    渋沢氏の挨拶
 京釜鉄道の事は遠く明治二十七年に於ける日韓両国の暫定条約に起因し、同三十一年を以て同鉄道の敷設権を得たるにより其後委員を派して実地を視査せしめ、且つ線路を予測する等着々計画の歩武を進め来りしも事業の容易ならざる為め遷引遂に今日に至りし処、過般の帝国議会に於て同鉄道速成に関する建議貴衆両院より出で、且つ同鉄道速成に関する法律案亦殆ど全員一致の勢を以て両院を通過し、同鉄道成立の上に非常なる便宜を得るに至れるは吾々発起人の深く感謝を表する所なり、思ふに貴衆両院の諸氏か此の如き建議案並法律案を可決せられたる所以は世勢の実際に於て同鉄道速成の必要を認知せられたる結果なるべきも、唯同鉄道は有利の事業にあらず外国○中略に於て経営する事業なるが故に、愈々之れを実行するに就ては此の上更に諸君の強大なる援助を仰ぎ、且つ政府よりも充分なる幇助を仰ぐにあらざれば遺憾なき結果を収めんこと恐らく容易ならざるべしと信ず
 世或はかゝる営利事業に対し政府の助力与ふるは不可なり等の説を為すものあらんも、今より二十年以前の当時を回想すれば日本鉄道の如きに対してすら政府より八朱の利子を保証せられたる事さへあり、左れば基本躰は営利事業なるにせよ、所謂隣邦輔翼の国是より見るも国家が之に対し相当の助力を与へらるゝは決して理由なきの事にあらずと信ず
 尚ほ本鉄道の前途には発起人の増加、株式の募集等諸君の御援助を請ふこと甚だ多し、願くは各位御賛同を得て一日も速に事業を大成するに至らんことを
    大隈伯の演説
 余は京釜鉄道の発起人にもあらず又創立委員にもあらざるも、此鉄道敷設権の収得に関しては曾て間接ながら関係したる事もあり、且は余も亦熱心なる鉄道論者の一人なるを以て渋沢君より依頼ありたるを幸玆に同鉄道に就き一言する所あらんと欲す
 世或は朝鮮の如き外国の勢力により動かされ易き邦国に対し多額の資本を投下するの甚だ危険多きを懼るゝもの之あるべきも、去る二十七八年の戦後以来我国民は朝鮮に対して大に尽くす所あり、又資本も可なり投下しあるが如し、加ふるに日韓貿易も大に進歩し、両国の関係は愈々益々親密に趨きつゝあるに拘らず独り此京釜鉄道敷設計画の甚だ遅遅たるは遺憾といふべし
 今ま政略に関する事は暫く措き、日韓両国の経済的関係より見るも同鉄道の両国を益すること恐く尠少ならざるべしと考ふ、諸君も知らるゝ如く我国は近く数年以来、外国より食物を輸入すること漸く増加し、独り内地凶作の年に限らず、豊作の歳と雖も尚ほ穀物の輸入甚だ多きを見る、然るに顧みて朝鮮の内地を見るに未熟の沃土甚だ多く、若し邦人にして続々此処に移住し、開墾を為すに至らば我の必需品を此地に産出すること容易なるべく、之が結果として朝鮮人の購買力を増加するに至らば、我製造品の此に輸入せらるゝもの亦甚だ巨額に上らん、特に京釜鉄道の経過する地方は朝鮮八道中地味最も肥沃に、人口亦多く之が沿線地方は我国民に取りては布哇其他に幾倍するの好移
 - 第16巻 p.403 -ページ画像 
住地たるなり、去れば此鉄道の将来はよし東海道線の如くなる能はずとするも、頗る有利の鉄道となるべきは殆と疑ふべからず、本鉄道は営利事業として既に此の如き有利の鉄道なるが上に之に依て朝鮮の人智を開発し、延て朝鮮の独立を全うするを得るとせば、即ちこれ一挙にして二個の大利を興するものにはあらずや
 故に余は切に望む、貴衆両院の諸氏は此鉄道の成立に就き此上出来得る限りの助力を与へられ一日も速に事業を完成の日あらんことを
 大隈伯の演説了て一同食卓に着き、全く散会したるは同四時過なりし由
  ○「竜門雑誌」第一四一号(明治三十三年三月二十一日発行)ニモ同様ノ記事アリ。