デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

6章 対外事業
1節 韓国
2款 京釜鉄道株式会社
■綱文

第16巻 p.420-426(DK160061k) ページ画像

明治33年7月30日(1900年)

京釜鉄道釜山停車場設置ノ為メ、釜山北浜海面埋築会社ノ埋築地ノ譲渡契約ヲ締結ス。是日栄一、当会社創立委員トシテ右契約ニ調印ス。


■資料

京釜鉄道経営回顧録 竹内綱著 第六一―六二頁(DK160061k-0001)
第16巻 p.420-421 ページ画像

京釜鉄道経営回顧録 竹内綱著  第六一―六二頁
釜山停車場ハ居留地北浜ノ海面ヲ埋立テ築港ト共ニ建設スル会社ノ設計ナリシガ、高嶋義恭・佐藤潤象二氏北浜埋築会社ヲ創立シ、韓国政府ノ許可ヲ得タルヲ以テ、余ハ停車場用地トシテ埋築地内ニ五千坪余
 - 第16巻 p.421 -ページ画像 
ノ譲リ渡シヲ交渉セシモ、二氏ノ埋築ヲ了リ地価ヲ評定シタル上ニアラザレバ決定シ能ハズトノ異議アリテ交渉ニ応ゼザリシガ、青木外務大臣ノ妥協ニ依リ左ノ契約ヲ為セリ
    契約
京釜鉄道株式会社創立委員長渋沢栄一ト韓国釜山港北浜海面埋築会社創立委員高嶋義恭・佐藤潤象トノ間ニ左ノ契約ヲ為ス
第一条 京釜創立委員《(鉄道脱カ)》ハ京釜鉄道釜山港停車場設置ノ為メ高嶋義恭・佐藤潤象ノ両人ハ釜山港北浜海面埋築ノタメ双互事業ノ便益ヲ商量シ協定ヲナスコトヲ約ス
第二条 高嶋義恭・佐藤潤象両人ハ韓国政府ヨリ海面埋築ノ許可ヲ得タル上、其許可ヲ得タル当日ヨリ満五ケ年間ヲ期シ、京釜鉄道釜山停車場設置ニ必要ト認ムル地面ヲ五千坪ヨリ多カラサル限リニ於テ其埋築ニ要スル実費ヲ以テ、京釜鉄道会社ニ売渡スコトヲ約ス
 但シ埋築ノ設計並ニ埋築工費予算ハ予メ双方ノ主任技師立会、工事ノ適否並ニ埋築地壱坪ニ付埋築費平均価格ヲ予定シ置クモノトス
第三条 第二条ノ京釜鉄道用地五千坪約束年限内ニ成功セサル時ハ、京釜鉄道ニ於テ適宜ニ埋築スヘキモノトス
右契約双方立会ニ成立チ将来互ニ違背セサルコトヲ証スル為メ記名調印シ、正本二通ヲ作製シ各壱通ヲ所持スルナリ
  明治三十三年七月三十日
             京釜鉄道会社創立委員
                      渋沢栄一
             釜山港北浜海面埋築会社創立委員
                      高嶋義恭
                      佐藤潤象


渋沢栄一書翰 竹内綱宛(明治三三年)五月三日(DK160061k-0002)
第16巻 p.421 ページ画像

渋沢栄一書翰  竹内綱宛(明治三三年)五月三日   (竹内広氏所蔵)
○上略
釜山埋立地之義ニ付、高島ニ手を引候様との来示ハ今日佐々氏も出席ニて同郷人ニも有之候間内情承合候得共中々折合申間敷と申居候、依而釜山領事へも書通いたし且笠井へも釜山迄一書申遣し能々海面之深浅をも測量し、且埋立工事ニ関する経費之概算をも取調へさせ当会社ニ於て充分之地磐を堅メ置き、其上高島氏との談判ニ取掛候方可然と存候間右ニ御承引可被下候、右工事ニ付而ハ外務大臣より特ニ示命等有之候哉之聞込も有之候得共、釜山居留地ニて不同意と申事ニ候ハヽ終ニ先方も手を引候様ニも可相成歟と存候○中略
  五月三日夜
                      渋沢栄一
    竹内綱様
○下略


渋沢栄一書翰 竹内綱宛(明治三三年)六月二二日(DK160061k-0003)
第16巻 p.421-422 ページ画像

渋沢栄一書翰  竹内綱宛(明治三三年)六月二二日   (竹内広氏所蔵)
○上略
釜山埋立地之義ニ付、去ル十七日青木外務ニ面会候処種々内情被申聞
 - 第16巻 p.422 -ページ画像 
候、要するニ高島之発起妨害せさる様と申趣意ニ御座候、乍去昨日大江氏より之日記一覧候処ニてハ、林・山座とも随分強硬ニ相考候様ニも相見候間、此際卒示之取極《(爾)》ハ会社将来之為如何歟と存候、詰ル処御同様ハ専心ニ京釜鉄道未来之利益ニ欠点無之様取計候義専一と存候、御熟案被下度候
右ニ付而ハ拝眉ニて詳細申上度候得共、小生爾来快方せす、今以籠居仕候、其中全愈候ハヽ申上候様可仕候、右一書申上度 匆々不一
  六月廿二日               渋沢栄一
    竹内老台
       侍史


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK160061k-0004)
第16巻 p.422 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三三年       (渋沢子爵家所蔵)
一月十六日晴
午前海辺ヲ散歩シテ鴫立沢近傍ニ到ル、十一時高島義恭氏来訪、韓国釜山港埋立地ノ事ニ関シテ依頼アリ、依テ其企望ノ要旨ヲ承リ且京釜鉄道会社ノ現況ヲ示ス、埋立ニ付テノ設計図ヲ預リ置キ近日創立委員会ニ於テ評議ヲ尽シテ回答スヘキ旨ヲ約ス、高島氏ハ林権助ヨリノ添書ヲ携帯ス
○下略
  ○中略。
五月三日 曇
○上略 午前十時三十間堀京釜鉄道事務所ニ於テ創立委員会ヲ開キ、出張委員ヨリノ来信ニ対スル答案ニ付テ種々ノ協議ヲ為ス○下略
  ○中略。
六月十日 曇
○上略 午後五時築地同気倶楽部ニ抵リ、竹内綱氏韓国ヨリ帰朝ノ慰労談話会ヲ開ク、尾崎三良・前島密・竹内綱・日下義雄・笠井愛次郎ノ諸氏来会ス、鉄道ノ事、埋立地ノ事及京城事務所ノ事、学校補助金ノ事等ヲ議決ス、夜十時兜町ニ帰宿ス
  ○中略。
六月十七日 曇
午前九時番町青木外務大臣私邸ヲ訪ヒ白耳義人ノ発起スル東洋会社ノ事、釜山海面埋立ノ事、第一銀行ニ関スル外資輸入ノ事等ヲ談ス○下略
  ○中略。
七月廿五日 晴
○上略 此朝高島義恭・佐藤潤象来ル、釜山埋立ノ事ヲ談ス


朝鮮鉄道史 朝鮮総督府鉄道局編 第一巻・第一三九―一四〇頁昭和四年一〇月刊(DK160061k-0005)
第16巻 p.422-423 ページ画像

朝鮮鉄道史 朝鮮総督府鉄道局編  第一巻・第一三九―一四〇頁昭和四年一〇月刊
 〇第一編 第三章 京釜鉄道の建設
    第六節 京釜鉄道と釜山
○上略
 北浜の埋築と鉄道用地 釜山停車場を中心とする北浜一帯の海岸は初め京釜鉄道会社に於て埋築をなす計画ありしが、国友重章・佐藤潤象・高島義恭等は釜山埋築会社を設立するの目的を以て三十二年十
 - 第16巻 p.423 -ページ画像 
一月釜山居留民団に交渉したるも民団は京釜鉄道との関係を顧慮して直ちに同意を与へず、依りて埋築会社の発起者等は更に三十三年一月渋沢創立委員長・大倉同委員等京釜鉄道側に交渉を重ねたるも承諾を得ず、一方韓国政府は勅令を以て釜山港一帯の埋築工事は京釜鉄道会社以外には許可せざる旨公表したるに依り佐藤等は殆ど絶望の外無きに至つた。然るに当時青木外務大臣が上京中の釜山居留民長太田秀次郎等に対し、将来欧亜交通の要衝に当るべき運命を有する釜山港は宜しく今日に於て海面を埋築して地域を取拡め鉄道と船舶碇繋の利便連絡を計るの急務なる事を諭したるが、是より先杉山茂丸は埋築会社と京釜鉄道会社の間に斡旋奔走したる結果両者の妥協成立し三十三年七月渋沢委員長と佐藤等との間に、埋築の上は釜山停車場敷地として五千坪以内の土地売渡しを為すべき契約を結び、後韓国政府の認許に付曲折ありたるも、三十五年七月五日大倉喜八郎を社長に取締役理事を佐藤潤象、取締役を高島義恭、監査役を大野亀三郎として資本金二十五万円(後十万円増資)を以て釜山埋築会社の設立を見同月二十九日起工式を挙げ、工事は着着進行して三十七年十二月三十一日三万二千七百七十七坪余の第一期埋築を竣り、更に第二期工事として四十年四月一日より四十一年八月三十一日までに、八千五百二十九坪余合計四万一千三百七坪余の埋築を為したるが、停車場用地は後数次拡張されて二万六千七百二十三坪となり、現在の釜山駅が完成せらるるに至つたのである。


(京釜鉄道株式会社)在韓委員来翰綴 明治三三年(DK160061k-0006)
第16巻 p.423-426 ページ画像

(京釜鉄道株式会社)在韓委員来翰綴  明治三三年
                     (竹内広氏所蔵)
第弐号 明治三十三年三月廿四日
                渡韓委員 竹内綱
    創立委員御中
○上略
一釜山埋地一条ニ付林公使ヨリ聞及候次第ニ依レハ其後外務本省ヨリ願書韓廷ヘ差出スヘキ訓令アリ、右訓令ニ基キ不取敢差出ハ致置候得共、此儀ニ付テハ未タ深ク韓廷ニ迫リタル所無之由ニ有之、尚此事ニ関シテハ、公使ヨリ何トカ埋立願出人ト話合ヲ遂ケラレテハ如何、巨細ノ取極メハ差当リ難シトスルモセメテハ大体ナリトモ纏メテ就ケテハ如何抔ノ勧告アリ、即チ原価ヲ以テ買上クルトカ、或ハ原価ニ一割ノ利益ヲ付シテ買収スルトカ、或ハ更ニ価格ヲ估定スルニ付テハ双方ヨリ評価人ヲ選ヒテ審査評次スル事ト成ストカ、前以テ此辺ノ所ヲ法定致置候事可然トノ事ニ有之、右尤モト被存候間、委員会之御評議ヲ以テ予メ之ニ対スル大体ノ御意向御決メ被成下置候得ハ都合宜シカルヘシト奉存候○下略

第九号 明治三十三年四月廿一日
               韓国 京城 竹内綱
    創立委員御中
 - 第16巻 p.424 -ページ画像 
謹啓 弊書第八号去十九日付ヲ以テ御送呈仕候、御落手被下候御事と奉察候
一釜山埋地ノ件
 釜山ニ於ケル日本居留地ニ達スル線路並停車場ハ、笠井技師ニ於テ比較線ノ実測及海岸地形上釜山鎮ヨリ連絡ノ関係等審査ノ上他ニ適当ノ位置無之、遂ニ別紙図面ノ通リ撰定致候趣申出候、小生等ノ見ル所モ同様ナル而已ナラス釜山居留民一般ニ於テモ同意見ニ御座候然ルニ右ハ高島某ノ埋築希望ニシテ(既ニ高島某ノ外務省ヲ経テ林公使ヨリ韓廷ヘ出願ノ趣申立テ有之由)此度モ外務大臣ヨリ京釜鉄道委員ニ示談シ、高島某等ト折合ヲ付ケル様トノ内諭有之旨林公使ヨリノ内示有之候、然ルニ笠井技師ハ停車場ノ位置ヲ撰言セシノミニテ未タ海水浅深モ測定ヲ遂ケス埋築工事費ノ予算等モ出来シ居不申ニ付、高嶋某等ト協致候《(議脱カ)》ニモ曾而彼等ノ期望セシ如ク彼等ニ於テ埋築セシ停車場ニ必要ナル土地ヲ京釜鉄道ニ買収スル等ノ場合ニ於ケル土地価格ノ予定モ難致義ニ有之候、尤モ笠井技師ハ来五月廿日前後ニハ釜山停車場埋築予算ヲ調製帰朝可致筈ニ付、其上ニテ高島某ト何分之協議ヲ遂候様致可然歟ト存候、右御用意ニ候得ハ其旨ヲ以テ外務大臣及高嶋某ヘ御交渉置被成度存候
右奉得御意草々如此ニ御座候 拝具

内帖 明治三十三年四月廿二日
             韓国 京城 竹内綱(花押)
    創立委員御中
謹啓社信第九号ヲ以テ申上候釜山埋地ノ件委曲御了承被成下候御事ト奉存候、右ハ林公使ノ注意ニ基キ得御意候次第ニ有之、尚右ニ就キ内密ニ申添ヘ度キハ夫ノ高嶋某之埋築計画ハ六万坪ト申ス事ニ御座候得共、笠井ハ右ノ内京釜鉄道用トシテ四万坪丈ケ入用之見込ニ有之候、抑モ此儀ニ関シテハ外務大臣ヨリモ種々注意ノ次第モアリ彼是愚慮ヲ運候ニ、右海面ノ埋築ヲ高島某ノ手ニ成就セシメ然ル后其一部分ヲ京釜鉄道ニ買収スルト云フカ如キハツマリ行ハレ難キ儀ニ属スヘク、到底当初ヨリ之ヲ我手ニ埋築セサルヲ得サル事ト可相成候得ハ、貴方ニ於テ何卒外務大臣及参謀本部トモ内々御協議ヲ遂ケラレ、高嶋某ヲシテ自ラ手ヲ引カシメル様ノ手段ヲ御講究被成下度候、右特ニ御考慮ヲ煩度ト得御意候 拝具
  二伸○略ス

第拾五号 明治三十三年五月廿五日
               韓国 京城 大江卓
                      代 中島久万吉
    創立委員御中
○上略
一京仁鉄道竜山停車場敷地ニ関スル件ニ就キ山座領事ノ談ル所大ニ注意スヘキモノアリト存候間、左ニ梗概ヲ申陳候
 領事曰ク
 - 第16巻 p.425 -ページ画像 
 京仁鉄道竜山停車場敷地ニ充当スヘキ地面昨年中仁川ノ大河原某買収セシ由、右大河原某領事館員ニ就キテノ申立ナルカ故ニ館員ハ該地所ハ竜山停車場トシテ撰定セラルヘキ地所ナルヲ以テ不都合ナリト申聞ケタルニ大河原某ハ之ニ対シテ若シ該地所ニシテ愈々停車場ニ撰定セラルヽニ於テハ我等ハ義務トシテ其地所ヲ韓人ノ売上価格ニ準シテ売納スヘキ旨ヲ申出テタル由ナリシニ、頃日ニ至リ佐々正之拙者ニ向ヒ曩日大河原ヨリ貴館員ニ告知セシ義務売納云々ノ義ハ聊カ自分等ノ本意ニ悖ル所アルヲ以テ自分ハ之ヲ取消ノ為メ玆ニ参館シタル次第ナリ、畢竟スルニ該地所ハ東京ナル高島某ノ地所ニシテ大河原ハ唯タ其名義主タルニ過キス、這度高嶋ヨリ其処分権ヲ委任シタルカ故ニ此取消ヲ申出テタル所以ナリ、又之ヲ買収シテ会社ニ渡スヘキ者ハ韓廷ナレハ此際十分ノ潤沢ニ沽ハンカ為メニ買入レ置キタルモノナレハ韓廷ヘ高価ニ売リ付ケテ貰ヒ度シ云々、於是余ハ大ニ之ヲ非難シテ曰ク、抑モ本鉄道ハ地段コソハ則チ韓廷ノ供給ニ係ルト雖トモ、畢竟我日本ノ事業ニシテ我国上下ノ深ク其成功ヲ慮ル所ナリ、然ルニ其間ニ処シテ自家一己ノ私ヲ営マントスルカ如キハ、平生愛国ヲ口ニスル志士ニモ似合ハシカラヌ所業ニ非スヤ、佐々答ヘテ曰ク要スルニ此事業投機ノミ、曩キニ京仁道仁川停車場撰定ノ風説アルヤ、サル日本人ハ窃ニ其敷地タルヘキ地点ヲ探知シ敏活ニ之ヲ買収シ、確定後ニ至リ高価ニ之ヲ売付ケシ前例モアリト余曰ク是レ悪例ナリ、君奚ンソ好ンテ悪例ヲ学フヲ須ヒンヤ、已ニ仁川ノ或ル英人ノ如キハ大ニ本事業ノ計画ヲ賛成シテ線路中其所有ニ係ル地所ヲ無償ヲ以テ寄附シタルノ善例サヘ存スルニ非スヤ○中略要スルニ余カ眼瞳ノ猶黒キ限リハ君ヲシテ斯カル非挙ヲ遂ケサラシムルニ勉ムヘシ、当ニ内地ノ土地収用法ヲ励行シテ君カ計画ヲ根本ヨリ打破スヘキ也ト畏嚇シタルニ佐々大困ル旨ヲ陳ヘテ去ル云々
 前文山座領事談話中高島某トアルハ夫ノ釜山埋立一条中ノ高嶋某ノ事ニ御座候、右埋立ニ就テ某言ヲ巧ニシテ頻リニ京釜鉄道ノ為メ云云ト説クモ其心事タル畢竟我ニ先ンシテ同海岸ノ埋築権利ヲ獲得シ置キ、后我ニ就イテ不当ノ利益ヲ食ラント欲スルニ外ナラサルハ右竜山停車場敷地一条ノ事之ヲ証シ得テ明ニ御座候、孰レ釜山埋立ニ就テハ或ハ右高島ト直接御交渉可相成事ニモ至ルヘク、何卒其心シテ御カケ合ヒ被成候様致度前段山座領事ノ談話特ニ御注意迄ニ申送リ候○下略

第拾八号 明治三十三年六月十三日
               韓国 京城 大江卓
    創立委員御中
○上略
一釜山港埋築事件
 ニ係ル六月九日・十日及十一日三日間ノ日記ハ篤ト御熟覧被成下度候、右事件ノ交渉モ目下ノ所一先ツ末尾ニ相見ヘ候通リノ次第ニ相成居候得共、小生ノ愚考ニ依レハ徹頭徹尾水道布設費補助ヲ以テ本事件ノ結末ヲ相着ケ度心意ニ有之候、鉄道院ノ手ニ依リ一刀両断ノ
 - 第16巻 p.426 -ページ画像 
道ニ出候事ハ已ニ実行相成至極工合好キ事ニハ候得共、釜山居留民ヲシテ永ク悪感情ヲ存セシムル事ハ、決シテ我社将来ノ利益ニハ無之、且ツハ鉄道用水ノ為メ釜山鎮若クハ其他ノ場所ニ於テ大ニ給水ノ設備ヲ為サヽルヘカラサル次第ニ有之候間、釜山水道ヲ利用スルノ道ニ出テ候事最上ノ策ト被存候
 一旦釜山人民ノ感情ヲ害シテ永ク本事業ノ防礙ヲ成サシムルト、此際先方ノ必要ニ逼ラレ居ルニ乗シテ弐参万円ノ金ヲ擲ツテ其水道布設ノ事業ヲ扶助シ、彼ヲシテ我恩ニ感セシメテ、其感情ヲ好カラシメ、永遠我ニ対シテ同情ヲ懐カシムルトハ、我京釜鉄道将来ノ利害上到底弐参万円ノ価値ニハ非スト愚考仕候○下略

第廿五号 明治三十三年七月廿日
               韓国 京城 大江卓
    創立委員御中
○上略 釜山停車場位地変更ニ付テハ貴方御決定ノ御方針ニ基キ配慮尽力可致候得共、韓廷ハ当初一個人ノ埋築ヲ許可セサルニ決定致居候事ニ御座候間、公使ノ尽力ヲ以テスルモ高嶋一派ニ埋築許可相成候運ニ至ルヘシトハ必スヘカラス、既ニ高島一派ニ許可ノ事必スヘカラストセハ高島義恭トノ予約条件ト相成居候五千坪以内ヲ埋築実費ヲ以テ当方ニ買受之事モ或ハ出来得ヘカラサル儀ニ終ルヤモ不被斗、就テハ右ノ場所ニ於ケル五千坪獲得ノ事ハ充分宛テニハナラヌ事ト存候間、此辺ノ儀予メ御注意相成万一高嶋派ニ許可ナラサル時ハ斯クスルトノ件迄御予想専要ト奉存候、又タ韓廷ノ事ニテ現ニ仁川埋地之件之如キモ其掛合ノ結着迄十一年モ相掛リ候事ニ照考致候モ、迚モ一年ヤ二年ニハ高嶋派ニ埋築ノ許否ノ返事致間敷存候間、是又予期スヘカラスト覚悟罷在候方可然歟、御参考迄ニ申上候○下略