デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

6章 対外事業
1節 韓国
2款 京釜鉄道株式会社
■綱文

第16巻 p.463-472(DK160075k) ページ画像

明治36年8月8日(1903年)

是日、当会社社債四百万円募集ノ認可ヲ逓信大臣芳川顕正ニ請ヒ、十一日許サル。之ガ募集ニアタリ、井上馨、栄一ヨリ事情ヲ聴キ政府及ビ日本銀
 - 第16巻 p.464 -ページ画像 
行ニ斡旋スルトコロアリ、栄一亦百方奔走ニ力ム。


■資料

朝鮮鉄道史 朝鮮総督府鉄道局編 第一六七―一六八頁大正四年一〇月刊(DK160075k-0001)
第16巻 p.464 ページ画像

朝鮮鉄道史 朝鮮総督府鉄道局編  第一六七―一六八頁大正四年一〇月刊
 ○第二期 第七章 京釜鉄道ノ速成
    第一節 速成工事
○上略 次テ八月ニ至リ会社ハ社債四百万円ノ募集ニ著手セントシ、其ノ八日ヲ以テ二月二十四日ノ命令ニ基キ之カ認可ヲ出願セリ、十一日政府ハ認可状ヲ下付シ、同時ニ鉄道材料ハ主トシテ内国品ヲ使用スヘキコト、全線速成ノ目的ヲ達センカ為メ此ノ際特ニ施設ノ計画ヲ定ムヘキコト、並ニ事業ノ進捗ヲ期スルカ為メ会計ノ整理ニ努メ処務ノ敏捷ヲ図ルヘキコトヲ命令セリ、是ニ於テ会社ハ其ノ二十日ヲ以テ三十八年十月三十一日ヲ償還期限トスル利率年六分ノ社債四百万円ヲ募集シ二十九日之カ手続ヲ了リ、更ニ三十一日第三回募集株ニ対シテ毎株五円ノ払込ヲ為サシムル等資金ノ調達ニ努ムルト共ニ、他方ニ建設工事ヲ急キ草梁・亀浦間及ヒ永登浦・水原間ハ既ニ建築列車ヲ運転シ、十二月亀浦・密陽間ノ工事ヲ竣ヘ、密陽・省峴間二十二哩及ヒ水原・芙江間六十四哩ノ土工、橋梁亦其ノ半ヲ了レリ、十二月二日政府ハ再ヒ二月二十四日ノ命令ヲ改メ、会社会計ノ整理上社債ノ償還年限ヲ五箇年以内ニ短縮スルト共ニ会社ノ基礎ヲ鞏固ナラシムル為メ、三十七年以降各株ニ付キ毎年五円以上十円マテノ払込ヲ為サシムルノ一項ヲ設ケ、且ツ政府ハ業務ノ施設ニ就キ不完全ノ点アリト認ムルトキハ会社ノ費用ヲ以テ吏員ヲ派遣シ之カ整理ヲ為サシムルノミナラス、重役其ノ他役員及ヒ職員ヲ不適当ナリト認ムルトキハ何時ニテモ之カ改任ヲ命シ、必要ノ場合ニ於テハ後任者ヲ指定シ得ルノ権利ヲ保留スル等更ニ監督ヲ厳重ニセルノ外、本命令ハ会社ヲシテ三十八年中ニ全線ヲ開通スヘキ義務ヲ負ハシメ、必要ナル本線ノ延長若クハ支線ノ敷設ニ就テハ、他日其ノ設計ト資金調達ノ方法トヲ具シテ更ニ政府ノ認可ヲ受ケ之ニ著手スヘキヲ規定セリ○下略


雨夜譚会談話筆記 上・第一三八―一四〇頁大正一五年一〇月―昭和二年一一月(DK160075k-0002)
第16巻 p.464-465 ページ画像

雨夜譚会談話筆記  上・第一三八―一四〇頁大正一五年一〇月―昭和二年一一月
  第六回 昭和二年四月廿六日 於飛鳥山邸
    鉄道会議と鉄道国有
先生「○中略その後株式も全部応募されたけれども、払込金を徴収するに当つて中々うまく行かず、勢ひ工事も進まず困却して居た。処が折柄に日露間の風雲漸く急を告ぐるに到り、京釜鉄道完成の必要に迫られた。三十六年の夏、私が犬吠へ避暑して居た処、井上さんから続けさまに電報を寄こして頻りに帰京を促すから、何事かと思つて帰京して、井上さんの邸を訪ねて見ると「京釜鉄道を何故早くやらぬか」と云ふから「金が無いからやれぬ」と答へた。すると「君等は実際に仕事をやつて居るのではないか、今更金が無いとは何事だ」と云つたから、私は「幾ら親しくして居るとは云へ貴方のやうに無理を云ふ人はない。貴方はよく露国との国交上困るから、山県や桂の説に賛成しては困ると云ひ、寧ろ鉄道敷設の邪魔をして居たではないか、それが今日露の間が急迫して来たからと云ふて、すぐ
 - 第16巻 p.465 -ページ画像 
やれとは余りにひどい。然し金さへあればやるが金が不足である。日本銀行に相談しても借して呉れない。又外国から借金しやうとして、曾根さんに政府で保証して欲しいと云つたが、それもやつてくれぬ。私等は此事のあるのを予め察知して早くやらうと苦心して居つたのに、知らん顔して居りながら、今頃になつて焦つても仕方がない」と井上さんの我儘過ぎることを大いに論じた処「そんな理窟は別として、日本銀行で借さぬならば私が口をきいてやる」と云ふことで、遂に日本銀行に話してくれ、漸く資金の融通を受けて工事を進めた。此時私は病気になつたから古市公威氏が社長になり大田から大邱までの未完成個所を三十六年冬までに完成した。○下略
  ○第六回雨夜譚会出席者。栄一・増田・渡辺・白石・小畑・高田・岡田。


渋沢栄一 日記 明治三六年(DK160075k-0003)
第16巻 p.465-466 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三六年          (渋沢子爵家所蔵)
八月四日 晴
○上略 九時兜町事務所ニ抵リ○中略京釜鉄道会社常務取締役三氏来会シテ社債発行ノ方法ヲ協議ス○下略
八月五日 晴
○上略 十時日本銀行ニ於テ京釜鉄道会社々債ノ事ヲ協議ス、山本総裁ヨリ種々各行主任者ニ依頼アリ、余ハ京釜ノ重役ヲ代表シテ事情ヲ縷陳ス、来会スル者七名十二時散会ス○下略
  ○中略。
八月七日 晴
午前七時朝飧ヲ畢リ八時日本鉄道会社総会ニ列ス、九時大蔵省ニ抵リ松尾氏ニ会話シ、帰途日本銀行ヲ訪ヒ山本氏ニ面会ス、十一時逓信省ニ抵リ曾禰大臣ニ面会シ京釜鉄道社債ノ事ヲ談ス、十二時東京府ニ抵リ千家知事ト面話ス、京釜鉄道会社ニ出勤シテ逓信大臣ヨリ示達ノ要件ヲ常務取締役ニ協議ス○下略
  ○中略。
八月十日 晴
午前八時朝飧ヲ畢リ九時京釜鉄道会社ニ抵リ重役会ヲ開キ、社債募集ノ事ヲ協議ス○下略
  ○中略。
八月十二日 晴
午前七時朝飧畢リ九時兜町事務所ニ抵リ事務ヲ処理ス、午後三時井上伯ノ邸ヲ訪フ不在ナルヲ以テ転シテ井上公使ノ家ヲ訪フモ同シク不在ナリキ、五時桂伯爵ヲ三田ノ私邸ニ訪ヒ井上・小村・清浦・阪谷・山本・高橋ノ諸氏ト共ニ京釜鉄道会社々債ノ事ニ関シテ井上伯ニ対シテ従来ノ手続ヲ説明シテ其賛同ヲ乞フ、夜十二時深川宅ニ帰宿ス
八月十三日 晴
○上略 三菱会社ニ抵リ豊川良平氏ニ面会シテ京釜鉄道会社々債ノ事ヲ談ス、更ニ三井銀行ニ抵リ早川千吉郎氏ニ同様ノ事ヲ談ス○下略
  ○中略。
八月十八日 晴
○上略 十一時京釜鉄道会社ニ抵リ重役会ヲ開ク、竹内・尾崎・日下・前
 - 第16巻 p.466 -ページ画像 
島・大江・中山・小野ノ諸氏来会ス、総会ニ関スル要務及社債ニ関スル経過等ヲ談話ス、十二時兜町ニ帰リ旅装ヲ理シ、午後二時本所錦糸堀ニ抵リ総武鉄道会社線ニテ出発ス○中略午後四時半銚子停車場ニ達ス
○下略
八月十九日 晴
○上略
午後東京早川千吉郎ヨリ電報ニテ井上伯ヨリ会見ノ事ヲ通シ来ル○下略
八月廿日 晴
午前六時起床直ニ海水ニ浴ス、七時朝飧後東京八十島宛書状ヲ発ス、三井銀行早川氏ヘ電報シテ昨日ノ回答ヲ為ス○下略
  ○中略。
八月廿三日 晴
午前六時起床、此日ハ海水ニ入浴セス、朝来書類ヲ整理ス、午後一時銚子発ノ汽車ニテ帰京ノ事ト定メ行李ヲ整頓ス、十一時半旅寓ニテ午飧シ直ニ腕車ヲ僦フテ銚子停《(車場脱カ)》ニ抵ル、梅浦精一氏来リ会ス、松本郷二氏及其母来リ送ル、午後一時発車午後五時半本所着、直ニ馬車ヲ馳テ麻布井上伯ヲ訪フ、山本日本銀行総裁・高橋副総裁来会ス、京釜鉄道会社々債ノ事及向後同会社事務進行ノ事ニ関シ種々ノ談話アリ、依テ従来ノ経歴ヲ詳陳シ且愚見ヲ述フ、伯ハ更ニ社債ヲ政府ニテ保証スルニ付テノ方法ヲ熟案シテ再応協議セラルヘキ旨ヲ告ケラル○下略
  ○中略。
八月廿五日 曇
午前六時起床庭園内ヲ散歩シ日記ヲ整理ス、午前九時京釜鉄道会社株主総会ノ為メ神田青年会館ニ抵ル、九時半先ツ重役会ヲ開キ本日株主総会ニ演説スヘキ趣旨ヲ協議ス、取締役前島・尾崎・竹内・日下・大倉・室田六氏、監査役大江・小野・中山三氏出席ス、畢テ総会ヲ開ク定時総会了テ後社債ニ関スル既往ノ経歴ト将来ノ見込ニ付テ一場ノ演説ヲ為シ、終ニ臨ミテ京仁鉄道合併ノ事ニ関シテ説明的ノ演説ヲ為シテ閉会ス○下略
八月廿六日 晴
午前七時起床直ニ朝飧ヲ畢リ、八時半麻布ニ抵リ井上伯ヲ訪ヒ、京釜鉄道会社株主総会ノ顛末及将来下附セラルヘキ命令書条項ニ関スル事ヲ協議ス、十一時桂総理大臣ヲ三田邸ニ訪ヒ京釜鉄道会社々債ノ手続其他ノ事ヲ談話ス○下略


東洋経済新報 第二七九号・第三六頁明治三六年九月五日 京釜鉄道総会に於ける渋沢男の演説(DK160075k-0004)
第16巻 p.466-467 ページ画像

東洋経済新報  第二七九号・第三六頁明治三六年九月五日
○京釜鉄道総会に於ける渋沢男の演説 去月二十五日同会社定時総会席上に於て為したる渋沢男の演説左の如し
 本会社の成立は私人の組織に係ると雖も、其事業を問へば国家的緊切事業にして之が成否如何は対韓経営の上に至大の関係を有するを以て、余等当局者は努めて其速成を期し種々苦心せるも帰着する所は資金の調達如何に存せり、然るに株金の払込に就ては唯今某株主より借金政略に依らず成る可く払込金を徴収す可しとの希望ありたるも、余の信ずる所にては如何に国家的事業と云へ屡次払込を徴収
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し賃金の調達に遑なからしむるは随分困難にもあり、且つ迷惑なる可きを以て別に外資輸入の計画を立てたることあり、現に前期の総会に於て社債一千万円募集の件を発案したるが如き皆株金払込以外に於て資金の調達を得んとするに外ならず、唯社債に就ては政府の保証を要するを以て余等当局者より其筋へ懇請の結果、政府にても本鉄道の急要なるを認め略ぼ本会社の希望を容れられたるも何分保証に就ては議会の協賛を要するを以て、二月二十五日及五月十七日両回政府より保証に関する命令ありたるも今は唯議会の協賛を経ざる為め絵に画きたる牡丹餅を握る様なり、尤も右保証の件は昨冬の議会本年の臨時議会に提出せらる可き筈なりしも、議会の内外には一個人の会社より発行する社債に向つて政府が保証するは好ましからずとの反対論ありて政府も躊躇逡巡決せさりし次第なるが、是等の反対は国家の財政を鞏固にする見地より出てたる一種の意見なれば余等当局の者に於ても多少耳を傾くるを要すと信ぜり、而して是等反対論に注意を払ふの結果は今後保証を得る上に於て或は多少の条件を忍ばざる可からざるに至るやも計り難きことを予言せざるを得ず、尤も是等の条件出づるに於ては直に臨時総会を開き諸君の協議を乞ふに至る可く、兎に角反対論にも注意を払ひ本社の事業をも完成せんと欲するには所謂妥協を要することゝ信せり
 一千万円の社債募集に就ては前述の如き事情にて尚ほ交渉中に属せるが、本社事業は逐日進捗し之に伴ふて諸般の経費を要し到底社債募集の成功を待つ能はざる事情あるを以て、別に短期社債四百万円募集の計画を立てたるが幸に有力なる銀行より賛同を享け、本月中には募集の完結を見んとするに至れるは実に喜ふ可きことゝ信せり京仁鉄道会社と合併の件は既に前期総会の議決を経たるが、京仁鉄道より政府に提出せる計算書に就いて其筋の疑問を生じ、彼是往復中の為め未だ認可を得るの運びに至らざるも早晩許可の指令を得可く、次期の総会迄には必らず合併の結果を見るを得べしと信ず、尚ほ京仁の収入は其後益々増加しつゝあり、当初の予定通り合併の為めに本社の利益を増進せしむ可きことは愈々明白となれり云々


渋沢栄一 日記 明治三六年(DK160075k-0005)
第16巻 p.467-468 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三六年         (渋沢子爵家所蔵)
八月廿七日 雨
○上略 午前九時大蔵省ニ抵リ阪谷総務長官ニ面会シテ京釜鉄道会社社債ノ事ヲ談ス、日本銀行ニ抵リ土方秘書役ニ面会シテ山本総裁ヘノ謝辞ヲ伝ヘシム○中略六時帝国ホテルニ抵リ日下義雄氏韓国行送別ノ宴ニ列ス、竹内・尾崎・笠井・一森諸氏来会ス緊要ノ案件数項ヲ協議ス○下略
八月廿八日 晴
○上略 四時麻布井上伯ヲ訪ヒ京釜鉄道会社ノ事ヲ談話シ、午後七時王子別荘ニ帰宿ス
  ○中略。
九月十八日 晴
午前七時起床朝飧ヲ畢リ九時日本鉄道会社ニ抵リ重役会ニ列ス、畢テ大蔵省ニ松尾氏ニ面会シテ京仁鉄道会社ノ事ヲ談シ、更ニ阪谷氏ニ面
 - 第16巻 p.468 -ページ画像 
会シテ京釜鉄道会社ノ事ヲ談ス、十一時兜町事務所ニ抵リ京釜鉄道技師黒沢氏ニ面会ス、午後京釜鉄道会社ニ抵リ尾崎・竹内二氏ト会社ノ要務ヲ協議ス、二時過逓信大臣官舎ニ抵リ犬塚・仲小路○廉二氏ト面会シテ社債保証ニ関スル手続ヲ内議ス○下略
  ○中略。
九月二十一日 雨
○上略 午飧後逓信大臣官舎ニ抵リ犬塚・仲小路二氏ト京釜鉄道会社々債ノ事ニ付命令書案ノ協議ヲ為シ○下略
  ○中略。
九月二十七日 曇
午前七時起床朝飧ヲ為ス九時尾崎三良・竹内綱二氏来話ス、京釜鉄道会社ノ常務ニ関スル事ナリ、午後八十島親徳来リ書類ヲ持参ス、京仁鉄道会社ノ事ニ関シ書類ニ調印シテ大蔵省ニ進達セシム、日曜ナルヲ以テ終日家ニ在テ休息ス
  ○中略。
十月八日 雨
○上略 午後二時第一銀行ニ抵リ重役会ヲ開ク、畢テ麻布内田山ニ抵リ井上伯ヲ訪フ、京釜鉄道其他ノ要件ヲ談話シ夜十一時王子別荘ニ帰宿ス
  ○中略。
十月十三日 雨
○上略 午後五時井上伯・竹内綱氏来ル、京釜鉄道会社ノ事ヲ協議ス、此日ハ午後六時ヨリ銀行倶楽部ニ於テ染谷成章氏ヲ招宴ノ約アリシモ、井上伯トノ談話長時間ニ渉リ其招宴ノ席ニ列スルヲ得ス、電話ヲ以テ断リタリ○下略
  ○中略。
十月廿二日 雨
午前七時起床朝飧後京釜鉄道会社ニ関スル書類ヲ調査シ、其清書ヲ添テ井上伯ニ一書ヲ送ル○下略
十月廿三日 曇
○上略 午後一時井上伯ヲ訪ヒ社債保証ニ付テノ命令書案ノ事ヲ協議ス○下略
  ○中略。
十月三十一日 雨
○上略 午後二時京釜鉄道会社ニ抵リ重役会ヲ開ク、午後三時麻布内田山ニ井上伯ヲ訪ヒ京釜鉄道会社々債命令書修正案ノ事ヲ談ス、午後五時伊藤侯爵ヲ訪ヒ少間時事ヲ談話シ、六時兜町事務所ニ抵リ書類ヲ調査シ○下略


渋沢栄一書翰 阪谷芳郎宛(明治三六年)七月二七日(DK160075k-0006)
第16巻 p.468-469 ページ画像

渋沢栄一書翰 阪谷芳郎宛(明治三六年)七月二七日   (阪谷男爵家所蔵)
拝啓然者御面話之後直ニ日本銀行ニ罷越山本総裁と話合候得共、同氏ハ兎角シンヂケート之成立ニ懸念有之候趣ニて、頻ニ大蔵省ニて半額又ハ百万円ニても償金部又ハ預金局ニ於て御引受相成候様致度旨申居候、但強而シンヂケート成立ニ尽力すへしと申事なれハ会同候様手配ハ可致も第一銀行・興業銀行抔ハ兎も角も其他ハ応援無覚束様相考候
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旨被申聞候、依而山本氏と分れたる後三井銀行早川氏を訪問し京釜社債談として色々相談候も充分ニ踏込候様子も無之候、又興業銀行之方も一昨日之総会ニ於て添田総裁ニ懇々頼入候得共、目下金繰不充分ニ付多分之事ハ如何可有之哉との挨拶ニ御坐候、右様不安心之有様ニ付一昨朝更ニ曾禰大臣ニ面会之上、山本氏申上候如く是非政府ニて幾分之御引受相成候様再応之御詮議懇願致置候義ニ御坐候、就而ハ大臣より御打合有之義とハ存候得共不取敢一書此段申上候 匆々不一
  七月廿七日
                      渋沢栄一
    阪谷芳郎様
        侍史


渋沢栄一書翰 井上馨宛(明治三六年)八月一六日(DK160075k-0007)
第16巻 p.469 ページ画像

渋沢栄一書翰  井上馨宛(明治三六年)八月一六日   (井上侯爵家所蔵)
炎熱之候益御清適御坐可被成奉賀候、然者過夕拝晤之際種々御高配被下候京釜鉄道会社々債之事ハ早速三菱へも罷越篤と申談候処、漸く同意せられ金額弐拾万円申込候事と相成、三井之方も御心添ニて同様相運ひ、右ニて都合能募集完了之筈ニ御坐候、偏ニ御蔭ニより候事と拝謝仕候
○中略
  八月十六日
                      渋沢栄一
    井上老閣
      侍史


渋沢栄一書翰 八十島親徳宛(明治三六年)八月二〇日(DK160075k-0008)
第16巻 p.469 ページ画像

渋沢栄一書翰  八十島親徳宛(明治三六年)八月二〇日   (八十島親義氏所蔵)
○上略
昨日三井銀行早川氏より電報ニて共上伯至急面会被相望候由申来候間来ル二十三日午後ニハ帰京直ニ内田山ニ相向可申旨返電いたし置候、御承知可被下候、且早川氏へハ電話ニて其段御申通し可被下候、尤も廿三日午後之時間ハ決定次第更ニ可申進候得共詰り本所着之上直ニ麻布へ罷越候様可仕と存候、右当用申進候、匆々不備
  八月廿日
                         栄一
    八十島親徳殿
  ○栄一、八月十八日ヨリ犬吠崎暁鶏館ニ滞在、同所ヨリ発状セシモノナリ。


渋沢栄一書翰 井上馨宛(明治三六年)八月二四日(DK160075k-0009)
第16巻 p.469 ページ画像

渋沢栄一書翰  井上馨宛(明治三六年)八月二四日   (井上侯爵家所蔵)
奉啓益御清適抃賀之至ニ候、昨夕ハ京釜鉄道会社之件ニ付御懇切之御垂示被成下乍例御厚情感佩仕候、明日之株主総会ニ当リ株主一同ヘ予告的演説之事ハ其際拝答仕候如く取計可申と存候
○中略
  八月廿四日               渋沢栄一
    井上老伯閣下
         侍史
  ○追白略ス。

 - 第16巻 p.470 -ページ画像 

渋沢栄一書翰 井上馨宛(明治三六年)八月二四日(DK160075k-0010)
第16巻 p.470 ページ画像

渋沢栄一書翰  井上馨宛(明治三六年)八月二四日   (井上侯爵家所蔵)
過刻奉呈之一書ニ対し早速御丁寧之御回示被成下拝承仕候、明日之株主総会ニハ御垂示之趣旨ニ従ひ申述置候積ニ候間御承引可被下候
○中略
別紙ハ京釜鉄道線布設工事之将来ニ付、此程逓信省より種々御下問有之候ニ対して陳上せし見込書ニ御坐候、此書類之取調ハ技師長笠井愛次郎之手ニ成り候ものニて、もし尚御不審之廉も御坐候ハヽ、笠井差上御説明可為致と存候ニ付、何時も御指示可被下候
右再応申上度如此御坐候 匆々敬具
  八月廿四日
                      渋沢栄一
    世外老伯閣下
         侍史


渋沢栄一書翰 井上馨宛(明治三六年)一〇月九日(DK160075k-0011)
第16巻 p.470 ページ画像

渋沢栄一書翰  井上馨宛(明治三六年)一〇月九日   (井上侯爵家所蔵)
昨夜は種々御馳走に相成殊に深更まで御妨申上恐縮之至に候、御申聞之京仁京釜鉄道に係る韓国政府との約定書は原訳とも取揃ひさし上申候、御一覧可被下候、京釜之分も京仁之約定に倣ひ締結せしものには候得共、京仁之分は譲替之手続明記有之候も京釜之方は其辺不明了に有之、其外にも少々手抜有之候義に御坐候、是は其初小生等原案作為しせに無之、詰り公使館にて取扱呉候事と存候、技術長笠井愛次郎は明日午後に参上候様申談置候、絵図面も可成精密之分持参いたし詳細に申上候筈打合置候、御聞上可被下候
来ル十三日兜町宅へ尊来之御都合は如何に御坐候哉、竹内には今日一寸内話仕候処、御指揮次第何時にても罷出可申と申居候、時間御垂示被下候はゞ前以打合置申度に付、一寸御申越被下度候、右等拝謝旁一書申上度 匆々敬具
  十月九日
                     渋沢栄一
    井上老伯閣下

渋沢栄一書翰 井上馨宛(明治三六年)一〇月二二日(DK160075k-0012)
第16巻 p.470-471 ページ画像

渋沢栄一書翰 井上馨宛(明治三六年)一〇月二二日 (井上侯爵家所蔵)
益御清適奉賀候、然者爾来種々御高配被下候京釜鉄道会社へ下付せらるべき命令書修正案之事は拙生之手許にて一応取調、竹内に内見せしめ其意見により又再修正いたし候等にて大に延引に相成、昨日は尊書御督促を受、別而恐縮之至に候、即ち別紙草案出来に付不取敢本書と共に呈電覧候、且修正に対する説明書相添候は、もしも逓信省之人々抔に御示之際理由明了に相成候様と思考せし義に御坐候、是又御一覧被下度候、今朝電話にて相伺候処御他出中之由に付、書類は出来候儘特に尊邸へ差上置候、尚御下命次第早々参上委細拝眉にて陳上可仕候此段一書申上候 匆々敬具
  十月二十二日
                     渋沢栄一
 - 第16巻 p.471 -ページ画像 
    井上老閣
       侍史


渋沢栄一書翰 井上馨宛(明治三六年)一〇月二五日(DK160075k-0013)
第16巻 p.471 ページ画像

渋沢栄一書翰  井上馨宛(明治三六年)一〇月二五日   (井上侯爵家所蔵)
奉啓然者一昨日拝趨再応高示を領《(煩カ)》し候命令書案は、更に別紙之通り修正之上差上申候、御一覧被下度候、拾円迄之事は御垂示に従ひ相改め申候、又官選之文字を除去候、代りに政府は其人名を指示云々と記入し其趣旨貫徹候様致置候
延長線之事、内国製品購入之事は一項宛追加仕候得共、会計整理之事は既に原案に一項有之候に付、之を修正して御趣旨に適候様致置候、尚御不満足に被思召候文字も有之候はゞ御指図次第相改可申候、右乍延引拝復如此如此御坐候《(衍カ)》 敬具
  十月二十五日
                      渋沢栄一
    井上老閣 侍史


渋沢栄一書翰 井上馨宛(明治三六年)一一月一七日(DK160075k-0014)
第16巻 p.471 ページ画像

渋沢栄一書翰  井上馨宛(明治三六年)一一月一七日   (井上侯爵家所蔵)
奉啓益御清適御坐可被成挊賀之至に候、然者先頃来種々御高配被下候京釜鉄道会社社債保証に付、政府より御命令書下付之件に付而は、其後表向大蔵省より御打合有之、会社に於ても特に重役会を開き篤と評議を尽し、総而御垂示之通に承服可仕旨拝答仕置候、就而は此上議会相開候上は速に政府より提出相成、而して都合克協賛を得候様仕度期念罷在候、此上なから尚御心添之程奉願候、右は其際拝趨陳上可仕之処色々と取込居乍思御疎情申上候、右一書御礼申上度 匆々不一
  十一月十七日
                      渋沢栄一
    井上老伯
       侍史



〔参考〕東洋経済新報 第二九二号・第二〇―二一頁 明治三七年一月一五日 渋沢氏の為めに惜む(牛中山人)(DK160075k-0015)
第16巻 p.471-472 ページ画像

東洋経済新報  第二九二号・第二〇―二一頁 明治三七年一月一五日
    渋沢氏の為めに惜む(牛中山人)
△曩きに京釜鉄道の債券に政府の保証を仰きたいとの論、始めて同社の発起人に因て唱えられた時には、山人は絶対的に之に反対した
△其反対の理由は、若箇様の事の行はるゝに於ては、政府が私立会社の借金の受け人となるといふ悪例を作り出すの弊を認めた為めであるが、之と同時に山人の之を非難した理由は、之が為めに我が実業界の人心に少なからざる悪影響を及ほすと信じたからである
△其次第はと云へば、同社の発起人中には錚々たる実業家が幾人もある、殊に東洋の「モルガン」と世界に其名を轟かし、我が実業界の師表として邦人の仰き見る渋沢男爵が、其中に加はつて専ら尽力せられて居る
△さて此渋沢翁の一挙一動は非常の感化を我が実業界に及ぼすのである、彼れ依頼主義を取れば皆な之に倣ひ、彼れ独立主義を取れば皆な
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独立主義を取る様になる。所て従来翁の遣り口を見るに、己れの委托せられたる事業を極めて大切に取扱ひ、大事の上にも大事を取る為めにや、独立自営、責任以て事に当るを避け、先づ政府より十分の補助を受くる約束を結んで始めて動き出すと云ふ姿が見へたのである
△之が為めに世の実業家の中には翁の顰に倣ひ、独立自営の勇気を起こさす、常に政府の力に縋りて事を起そうと企つる者も亦少なからぬ様である、固より国民若し独立自営の念に富めは、仮ひ翁が何事をなすとも之に感染すること無いか、元来依頼心深き人種の事とて、先輩が保護を恃めば得たり賢こしと之を学ぶ傾きがある
△由て山人の心中私に翁に希望しつゝあるのは、既往は兎に角後来にあつては何卒依頼主義を廃して独立主義を取り、満天下の卑屈的実業家の迷夢を覚破し、向ふ所を知らしめて貰ひ度く存じたのである
△就ては翁の始めて京釜鉄道の大事業を引受け、東西に奔走する時に当りては山人大に之に属望し、此度こそは彼れ渋沢翁たる者、必らすや従来の主義を廃し独立独行、責任以て事に当り、山人の希望を満足せしめらるゝならんと喜んだ
△然るに其後に及んで、債券の募集の必要已むを得ずと称し、政府に向ふて右債券の保証債務の負担を歎願するに至つたのである、是に於て翁の持病は再発し、復た々々政府の力に縋る事となつたのである、山人大に失望した
△蓋し京釜鉄道には政府已に六朱の利子補給を約して居る、況んや翁の信望を以てすれば、債券を募るなり、株金を払ひ込ましむるなり、何れにしも必要の金額は集まる明瞭である、況や今日金融緩漫の時に於てをや
△翁にして奮発すれば此事決して行はれ難きに非ず、故に山人は翁の飽く迄も斯る要求をなす勿るべしと存した、又政府に於ても斯かる要求を容るゝ勿る可しと思ふた
△然るに事の実際を見れば翁は遂に其目的を達して責任を免れた、其代り会社の実権を挙げて政府に奉還する事となり、当時の意気込みは消滅して影も形も見へぬのである
△因て想へば、翁は嘗て台湾鉄道会社を起した、少し計りの困難に逢ふと忽ち之を政府に奉還したが、京釜鉄道に於る遣り口も全く之と同一である
△蓋し依頼主義は翁に取りて不治の痼疾であると山人は信ずる、是れ実に惜むべしである、併し翁の我が財界に尽した事は万人の知る所、山人と雖大に感謝して居る、唯だ夫れ以上の苦言は備を君子に求むるのである、幸に之を諒せよ