デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

6章 対外事業
1節 韓国
8款 韓国倉庫株式会社
■綱文

第16巻 p.617-619(DK160101k) ページ画像

明治40年1月18日(1907年)

是日栄一、韓国倉庫株式会社設立発起人会ニ出席ス。尋イデ同年三月二十五日、創立総会開催サレ相談役ニ選バル。


■資料

青淵先生公私履歴台帳(DK160101k-0001)
第16巻 p.617 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳             (渋沢子爵家所蔵)
  民間略歴(明治二十五年以後)
○上略
一韓国倉庫株式会社相談役 同○四十年三月 同○四十二年六月六日辞
○中略
    以上明治四十二年六月七日迄ノ分調


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK160101k-0002)
第16巻 p.617 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四〇年          (渋沢子爵家所蔵)
一月十八日 曇 風寒              起床七時三十分 就蓐十二時
○上略 午前十時兜町事務所ニ抵リ、韓国倉庫会社設立ニ関シ発起人会ニ出席シ諸般ノ事ヲ評決ス、大橋・尾高・大倉・山下・平沼ノ諸氏来会ス ○下略


中外商業新報 第七五四七号 明治四〇年一月一八日 ○韓国倉庫発起人会(DK160101k-0003)
第16巻 p.617 ページ画像

中外商業新報  第七五四七号 明治四〇年一月一八日
    ○韓国倉庫発起人会
韓国倉庫株式会社は渋沢男・大倉・馬越・村井・平沼・滝兵右衛門《(滝平右衛門)》・山下亀三郎氏等多三十余名《(マヽ)》の実業家の手に依りて発起せられ、伊藤統監の同情に依りて土地其他韓国に於ける凡ての利便を享受す可き筈にて普通・保税両種倉庫を初め運搬業にも従事す可き計画なり、資金は二百万円の内四分の一第一回払込を以て営業開始の予定にて、十七日兜町渋沢男事務所に於て発起人会を開会したり、猶ほ公衆募集株は約六千、廿二日頃を以て発表す可く同社事務所は京橋区東湊町一丁目二番地に設置せられたり


竜門雑誌 第二二四号・第三九頁 明治四〇年一月 ○青淵先生と韓国倉庫会社(DK160101k-0004)
第16巻 p.617 ページ画像

竜門雑誌  第二二四号・第三九頁 明治四〇年一月
○青淵先生と韓国倉庫会社 青淵先生が今回発起人中に加入せられたる韓国倉庫株式会社は室田義文・平沼延次郎・山下亀三郎諸氏の主唱に係り韓国各港に普通倉庫及私設保税倉庫を設け、且其他要地に於ても倉庫及運送業を営むの目的を以て発起されたるものにして、既設日韓倉庫及釜山倉庫は既に同社に引受くることゝなり、猶京城の韓国政府保税倉庫とも聯絡を通ずる約束を為したる由にて資本金は二百万円(四万株)とし、内一万七千五百株は発起人之を引受け、残株中予約株及日韓倉庫買収株を除きたる五千株を公衆より募集中なり

 - 第16巻 p.618 -ページ画像 

銀行通信録 第四三巻第二五六号・第二五四―二五五頁 明治四〇年二月 △韓国倉庫会社(DK160101k-0005)
第16巻 p.618 ページ画像

銀行通信録  第四三巻第二五六号・第二五四―二五五頁 明治四〇年二月
△韓国倉庫会社 渋沢栄一・大倉喜八郎・馬越恭平・村井吉兵衛・滝平右衛門等の諸氏は、資本金二百万円を以て韓国倉庫株式会社を設立し、先づ釜山に於ける日韓倉庫株式会社の事業を継続し、順次他の要地に及ぼす計画にて総株数四万株の内三万五千株は発起人に於て引受残り五千株を一般より募集することゝし、一月二十八九両日を以て之を募集せり


竜門雑誌 第二二七号・第三一頁 明治四〇年四月 ○韓国倉庫会社創立総会(DK160101k-0006)
第16巻 p.618 ページ画像

竜門雑誌  第二二七号・第三一頁 明治四〇年四月
○韓国倉庫会社創立総会 韓国倉庫創立総会は三月二十五日午後東京銀行集会所に開会、発起人の一人たる大倉喜八郎氏推されて議長となり、先づ山下亀三郎氏より創立事務に関する報告あり、次に定款を議決し次に重役の選挙に移り議長の指名を以て左の如く選定せられたり

図表を画像で表示--

  取締役  室田義文(会長) 山下亀三郎(常務) 大橋新太郎       賀田金三郎    中山希賢  監査役  早川鉄冶     尾高次郎      迫間房太郎       大池忠助  相談役  渋沢栄一     大倉喜八郎 



同社は本店を釜山に支店を元山・草梁及大邱に置く筈なるが猶追て京城・仁川・木浦・群山・鎮南浦等に支店又は出張所を設置する見込なりと云ふ


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK160101k-0007)
第16巻 p.618 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四〇年           (渋沢子爵家所蔵)
六月十七日 曇 冷                起床七時 就蓐十一時三十分
○上略 午前十一時兜町事務所ニ抵リ○中略韓国倉庫会社重役相会シテ善後ノ協議アリ○下略
  ○中略。
八月三日
○上略 佐々木清麿氏来リ韓国倉庫会社ノ事ヲ談ス
○下略
  ○中略。
九月十九日 大雨 冷               起床六時三十分 就蓐十一時三十分
○上略 午後一時第一銀行ニ抵リ○中略佐々木清麿氏ヨリ韓国倉庫会社ノ事ヲ報告セラル○下略


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK160101k-0008)
第16巻 p.618 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四一年          (渋沢子爵家所蔵)
一月十六日 晴 寒
○上略 韓国倉庫会社重役会ニ出席シ、同会社将来ノ営業方法ニ関シ種々ノ協議ヲ為ス


(八十島親徳) 日録 明治四一年(DK160101k-0009)
第16巻 p.618-619 ページ画像

(八十島親徳) 日録 明治四一年     (八十島親義氏所蔵)
一月廿九日 晴
例刻出勤、昼日本橋クラブニ至リ韓国倉庫会社善後策相談会ニ臨ム、
 - 第16巻 p.619 -ページ画像 
結局払込高四十二万五千円ノ同社ヲ株高廿五万円ニテ韓国興業会社ヘ合併スルノ方針ヲ取ルコトニ決ス
○下略


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK160101k-0010)
第16巻 p.619 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四一年           (渋沢子爵家所蔵)
二月二十四日 雪 寒甚
○上略 午前十時半兜町事務所ニ抵リ、韓国倉庫会社重役会ニ出席ス、室田・大橋・尾高・中山ノ諸氏来会ス、畢テ共ニ午飧ス
○下略


(八十島親徳)日録 明治四二年(DK160101k-0011)
第16巻 p.619 ページ画像

(八十島親徳)日録 明治四二年       (八十島親義氏所蔵)
一月二十九日
○上略 韓国倉庫会社ノ総会ニ臨ミ ○下略



〔参考〕竜門雑誌 第一四九号・第一六頁 明治三三年一〇月 ○韓国経済談(承前)(市原盛宏君談)(DK160101k-0012)
第16巻 p.619 ページ画像

竜門雑誌  第一四九号・第一六頁 明治三三年一〇月
   ○韓国経済談(承前) (市原盛宏君談)
    第四 倉庫及保険業の不備
金融機関に関聯して必要なるは倉庫と保険業でありますが、韓国に於ては万事の不備と与に此の機関も甚だ不完全でありますが、仁川には稍や其設備が出来まして近頃倉庫の数も増加する様になり、海上一帯の地方には煉瓦又は土蔵造りの倉庫も建てられて居りますから追々倉庫会社も出来る様になりましよう、釜山は仁川と与に相称せらるゝ丈けの開港場でありますも、倉庫の設備は到て不完全で、多くは単に板囲の倉庫なれば火災の恐れか多くて品物を預けるに甚だ不安心であります。木浦・鎮南浦と来ると尚ほ一層此等の設備は不完全で板囲の倉庫すら甚だ少ないと云ふ有様であるから荷物の出盛となりますると野積をして居ります。米穀の如きものを外に積みまして天幕の切れを掩ふて雨露を凌き夜間は泥棒除の為めに張番をして居るとは驚ゐたことではありませぬか、次に保険業は火災保険と海陸保険会社の代理店がありまして、開港場にては普通の商品に保険を着けるの途はありますが、而し是れも倉庫の設備かもう一層完備せぬと随分危険が多くて保険者被保険者共誠に不利であります。孰れのみち朝鮮便の船の往来が益々頻繁となると与に倉庫事業が大に発達せぬと銀行家として其資本を投する上に於て甚だ危険が多く、為めに金利も高からざるを得ざる次第で、日韓貿易の為めに好ましからぬ次第であります