デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

6章 対外事業
1節 韓国
13款 朝鮮協会
■綱文

第16巻 p.653-658(DK160110k) ページ画像

明治35年3月10日(1902年)

是日、朝鮮協会設立セラレ、栄一副会長トナル。


■資料

竜門雑誌 第一六六号・第四〇―四二頁 明治三五年三月 ○朝鮮協会の創立(DK160110k-0001)
第16巻 p.653-655 ページ画像

竜門雑誌 第一六六号・第四〇―四二頁 明治三五年三月
    ○朝鮮協会の創立
朝鮮協会の設立は、昨年以来島津忠済公其他有力なる人士に依て企てられ、青淵先生に向ても亦内議せらるゝありしが、同協会の目的たるや、我国と密接の関係ある韓国に対し、実業上の調査を為し、彼我両国の経済的関係をして益々密着ならしめんとするにありしかば、先生に於ても其趣旨を大に賛成せられ、今回の創立総会に際しては重立ちたる商工業者百余名に賛同を勧誘する等百方尽力せられ、又其副会長たることをも承諾せられたる次第なるが、去三月九日華族会館に於ける発起人会に於て議定せし設立趣意書及規約を掲載すれば左の如し
    朝鮮協会設立趣意書
 朝鮮半島は我邦と相距る僅に一葦帯水のみ、古来玉帛相通じ、昔日の文化負ふ所少からず、近時修好条約の締結に由り局面一変国交益親密を加へ今や両国の関係は実に唇歯輔車も啻ならざるに至れり、試みに統計の表を取て之を看るに、我邦人の韓国各互市場に在留するもの無慮二万余人、各道沿海に通漁するもの亦三万人を下らず、而して航海通運の業は之を専占し、陸上鉄路の敷設も既に起工せらるゝに至れり、然れとも各地に就て其経営の実蹟を視且貿易の総額を按ずるに、比較的尚甚だ幼稚にして微弱なるの嘆を免れざるものあり、抑も半島の季候温和、山河秀麗、其海陸物産の豊富饒多なる以て吾人の需要に供するに余りあり、就中貴重なる鉱産は各地に散在し、其宝庫は早晩開発せらるべき運命を有せり、其他製作工業の施設、通商貿易の発達拡張上、尚大に日韓両国人種の協同戮力に由りて経営せらるべきもの甚多きは疑を容れず
 半島の形状夫れ斯の如し、而して吾人は之を啓発扶掖するの位置に於て未だ全く其実を挙ぐる能はざる所以のもの、蓋し思ふに対岸の事情に通暁せざるに坐す、半島の事情にして其調査報道を欠き、世に伝へられざるは、其任務を尽すべき機関の備はらざるに由る、豈夫れ痛惜せざるを得んや、今や日英両帝国の同盟方に成りて、東洋の平和は為に堅固なる保障の内に置かれたり、此平和的好機会を逸するなく、進みて経済上幾多の関係を半島に扶植し、以て善隣の好誼を全うし、彼我の公益を増進するは、吾人の正に力行すべき所たり、而して之が機関たるべき朝鮮協会の設立は実に今日の急務にして、必要止を得ざるに出づるものなり
    朝鮮協会規約
 第一条 本会は朝鮮協会と称し本部を東京市に置く
 第二条 本会は朝鮮半島の経済事情を調査攷究し、其利源を開発し
 - 第16巻 p.654 -ページ画像 
日韓通商の発達を図るを以て目的とす
 第三条 前条の目的を達するため本会の従事すべき事業は大概左の如し
  一 朝鮮に於ける農工商業に関する諸般の調査をなす事
  一 彼我両国民の移住及び通商のため諸般の援助及び便宜を与ふる事
  一 我在韓居留民と内地韓人との意思を疏通し、以て居留民の経営を幇助する事
  一 彼我両国民の着手すべき事業につき特殊の調査をなし、及び紹介の労を執る事
 第四条 本会の会員は左の三種とす
  一 正会員 毎月会費金二円を負担するもの
  一 賛助会員 本会の趣旨を賛成し一時金十円以上を寄附するもの
  一 名誉会員 本会の特に推薦するもの
 第五条 会員の入退会は総て会長の承認を要するものとす、但し正会員の入会は正会員二名の紹介を要す
 第六条 名誉会員は何時にても総会及び評議員会に出席して其意見を陳述することを得、又賛助会員は総会に出席して其意見を陳述することを得、但名誉会員及賛助会員は決議の数に入らざるものとす
 第七条 会員中不都合の行為ありと認むる者は評議員会の決議を経て除名することあるべし
 第八条 会員は既に納附したる会費に就き返還を求むることを得ず
 第九条 本会は必要の場合に於て日韓両国各要地に支部を置くことあるべし
 第十条 本会に左の役員を置く
  会長一名 副会長二名 会計監督一名 評議員若干名 理事長一名 理事若干名
 第十一条 会長・副会長・会計監督及評議員は総会に於て正会員中より之を選挙し其任期を一年とす、但満期重選することを得
  理事長及理事は任期を定めず、会員又は会員外より会長之を嘱託す
  役員は総て名誉職とす、但理事は評議員会の決議を経て相当の報酬を給することを得
 第十二条 会長は本会を統理し会議の議長となり、及本会を代表す
  副会長は会長を補佐し会長事故あるときは之を代理す
  会計監督は本会の会計を監督す、評議員は重要なる会務を議定す
  理事長及理事は会長の指揮を受けて会務を処弁す
 第十三条 会長に必要の場合に於て有給事務員を雇使し、且評議員会の決議を経て処務に関する細則を定むることを得
 第十四条 本会の会議を総会及評議員会の二種とす
  総会は毎年三月一日之を開き前年間会務の顛末会計の決算を報告し、役員を改選し、且つ必要の事項を議定す、但会長必要ありと
 - 第16巻 p.655 -ページ画像 
認むるとき又は正会員五名以上より請求あるとき評議員会の決議を経て臨時総会を開くことを得
  評議員会は毎月一回之を開く、但し必要の場合に於ては臨時之を開くことを得
  会議は総て会長之を召集す
 第十五条 此規約は総会の決議を経るにあらざれば之を修正加除することを得ず
右は総て原案に決し、了りて正・副会長及会計監督・理事長の選挙は発起人会々長の指名に一任することゝなり、長岡同会長は会長に島津忠済公、副会長に青淵先生、会計監督に大倉喜八郎氏、理事長に日下義雄氏を推選し異議なく之に決し、次に島津会長、相談役に近衛公・西郷侯・大隈伯を指名し、更に評議員三十名理事五名を指名し、了りて大隈伯及青淵先生の演説あり、午後五時半散会せり、因に記す当日出席せしは島津公・西郷侯・大隈伯・青淵先生・北垣男・松平正直男尾崎三良男・大倉喜八郎氏外百余名なりしと云ふ


渋沢栄一 日記 明治三五年(DK160110k-0002)
第16巻 p.655 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治三五年       (渋沢子爵家所蔵)
三月七日
午前八時朝飧ヲ畢リ、九時過城南荘ニ抵リ、島津公爵・日下・加藤・押川・国友等ノ諸氏ト朝鮮協会設立ノ手続ヲ協議ス ○下略
   ○中略。
三月十日 晴
午前九時朝飧ヲ畢リ、日記ヲ編ス、午前十一時兜町事務所ニ抵リ、来人ニ接ス、午後一時東京市役所ニ抵リ浦田氏ト会話ス、三時華族会館ニ抵リ朝鮮協会創立ノ事ニ関シ発起人総会ヲ開ク、来会スル者約八十人許リナリ、当日副会長ノ推薦ヲ受ケ、之ヲ承諾シ、一場ノ演説ヲ為ス、終ニ大隈伯ノ演説アリ、畢テ懇親会ヲ開キ立食ノ饗応アリ ○下略


青淵先生公私履歴台帳(DK160110k-0003)
第16巻 p.655 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳           (渋沢子爵家所蔵)
  民間略歴(明治二十五年以後)
○上略
一朝鮮協会副会長 三十五年三月十日 三十八年三月一日解散
○中略
   以上明治四十二年六月七日迄ノ分調


東京経済雑誌 第四五巻第一一二三号・第四八三―四八四頁 明治三五年三月一五日 ○朝鮮協会の創立(DK160110k-0004)
第16巻 p.655-656 ページ画像

東京経済雑誌 第四五巻第一一二三号・第四八三―四八四頁 明治三五年三月一五日
    ○朝鮮協会の創立
韓半島の経済事情を調査講究し、彼我貿易の進捗を謀るを以て目的とせる朝鮮協会は、去る三日華族会館に於て創立総会を開けり、出席者は島津公・西郷侯・大隈伯・長岡子・渋沢男・北垣男・松平正直・尾崎三良・大倉喜八郎等の諸氏七十余名にして長岡子爵会長席に着き、左の設立趣旨及規約を議了したり
○中略
夫より正副会長及会計理事の選挙は会長の指名に一任する事となり、
 - 第16巻 p.656 -ページ画像 
会長に公爵島津忠済氏、副会長に男爵渋沢栄一氏、会計監督に大倉喜八郎氏、理事長に日下義雄氏を推選し異議なく之に決し、次に島津会長は相談役に近衛公・西郷侯を指名し、更に評議員三十名、理事五名を指名し了りて大隈伯及渋沢男の演説ありしが、大隈伯の演説は頗る会衆を傾聴せしめたり、夫れより立食の饗応ありて午後五時三十分散会を告ぐるに至れり


中外商業新報 第六〇三八号 明治三五年三月一一日 朝鮮協会の創立(DK160110k-0005)
第16巻 p.656-657 ページ画像

中外商業新報 第六〇三八号 明治三五年三月一一日
    朝鮮協会の創立
韓半島の経済事情を調査講究し彼我貿易の進捗を謀るを以て目的とせる朝鮮協会は、昨三日午後三時より華族会館に於て創立協会《(総カ)》を開き、島津侯爵を会頭に渋沢男爵を副会頭に選挙し盛んに発会式を挙行したり、当日の出席者は近衛公・島津・西郷・細川の三侯、大隈・立花・松平の三伯を始め榎本子爵・北垣・船越・渋沢の三男爵、浅野総一郎大倉喜八郎・小松原英太郎・大石正巳・富田鉄之助外貴衆両院議員・学者及実業家等百十四名にして大隈伯は起立して大要左の如く演説せり、曰く
 本会の目的が韓半島の経済事情を調査講究し、彼我貿易の進捗を謀るに在るは実に吾輩の諒とする所なり、吾人が本会に対し嘱望する所は第一韓国の農業を改良し、未開の地を開発し以て韓国民の購買力を増進せしむるに在り、近年我国の人口は非常の速力を以て増殖しつゝありと雖も、農事の進歩は之と伴はざるを以て年々食料の不足を生し、縦令豊作の時と雖も到底外国米の輸入を防遏すること能はざるのみならす、益々食料品の供給を外国に仰くの止むを得ざるの状況に陥りつゝあり、然るに韓国は人口の稀薄なる割合に耕地の面積拡大なれは之を開墾し、以て其米麦を本邦に輸入し、本邦に於ける食料補充の途を開くは啻に本邦に採りて利益あるのみならず、彼我の貿易を進捗する上に於て尠からざる影響を与ふるものなれは韓半島の農事改良未開地の開耕は大に努めざる可らず、第二に鉱山の開採、此所に列席せらるゝ渋沢男爵及浅野総一郎氏の如きは既に充分の調査を遂げ、韓国内の鉱山採堀権を獲得せられ唯今之か開採に従事せられ居れりと雖も、之れ只韓国内に於ける其一小部分に過ぎず、韓国の鉱山は頗る豊富にして金銀鉱を始め鉄・銅其他石炭等尚今後採掘すべきもの甚だ多大なれば之を開掘するは日韓両国の利益を増進する上に於ては最大急務なりと云ふべし、第三鉄道敷設、京仁鉄道は既に本邦人に於て敷設せられ、京釜鉄道の工事に着手し京城釜山の両方面より起工せられ居れりと雖も、其進捗甚た遅緩なるは実に遺憾とする所なり、若し資本の不足せる嫌あらは我国民の愛国心に訴へ更に増資するか、若くは其他の方法に依て之を補充するの途を発見し可成速に之を竣工せしめ、更に進んで京釜鉄道又《(義カ)》は京元鉄道の敷設を計画するは最も緊要なり、某国の如きは前記の二鉄道を敷設せんことを企図し居れりと雖も是れ一種の政略に基けるものなるを以て、独り韓国に取りて危険なるのみならず延ひて我邦へも危害を及ほすものなれは、此の二鉄道は是非とも本邦人に於て
 - 第16巻 p.657 -ページ画像 
建設せざる可らず、第四貨幣制度の一定、韓国に於ける貨幣制度を一定するは彼我の貿易を進捗し、双互の利益を発達せしむるの点に関し最大急務なるべし、何となれは韓国現下の貨幣の如く貨物の交換を媒介する尺度にして自ら変動せんか、貨物は二重の変動を為すものなれば商人の不安心なるは余輩の論弁を俟たざる所なるべし、第五金融機関の設立、目下第一銀行は韓国の各要地に於て支店を設置し以て金融の円滑を謀り、我が貿易業者に対し尠からざる利益を与へつゝありと雖も、之を以て未た充分なりと云ふ可らざるを以て別に日韓銀行の如きものを設立するか如きも其方便たるべし云々
右演説了て立食の饗応あり、午後六時散会したる由


中外商業新報 第六〇六二号 明治三五年四月一〇日 朝鮮協会理事会(DK160110k-0006)
第16巻 p.657 ページ画像

中外商業新報 第六〇六二号 明治三五年四月一〇日
    朝鮮協会理事会
朝鮮協会は、昨日午後一時より九州倶楽部の事務所に於て理事会を開き、会長島津公爵・副会長渋沢男爵・理事長日下部義雄・押川・国友・小川・上田の各理事、評議員恒屋盛服氏出席して、望月・中井両理事より大阪に於ける支会組織の景況電報の報告あり、本会より尚ほ相談役一名の出張を懇請するの議あり、渋沢副会長の欧行送別会開催の件、其他二三の重要事項につき協議し、同三時三十分散会したる由


中外商業新報 第六〇七二号 明治三五年四月二二日 朝鮮協会の渋沢男送別会(DK160110k-0007)
第16巻 p.657-658 ページ画像

中外商業新報 第六〇七二号 明治三五年四月二二日
    朝鮮協会の渋沢男送別会
朝鮮協会は去二十日午後五時より華族会館に於て渋沢男の欧米漫遊に対する送別会を開きしが、出席者は近衛・島津の両男爵《(公)》を始め、細川侯爵其他の会員四十余名にして、会長島津公爵先づ立て開会の辞を述べ、次に渋沢男の演説ありしが、其要領左の如し
 自らが今回の洋行は何等の意味もなく、唯の見物に過ぎざるに拘らず、本会を始め各処に於て送別の宴を開かれ、特に商業会議所の如きは、経済上の視察を遂げて我国の経済界に裨益する様との御注文さへ有りしも、自らには学問もなく、経験もなく、到底御希望に副ふこと能はざるべきを信するものなりと雖も、唯々自分は今より三十年前に一たび洋行したる事あれば、其時と今日との欧米の実況を比較したらば、愚鈍なる自分にも多少感発する所あらんかと考ふ様特に近頃大に感じて居れるは欧米の文明なるものは重もに物質的発達に傾き列国は執れも相競ふて之が発達に力めつゝあり、此時に当り我国の実業家なるものを見るに、従来は真に意気地なき有様にて始終政治家に引廻され、其跡を遂ふて進みつゝありし実況なりしが今の物質的競争の世に在りては実業家は最も率先して国家の富を増進し、競争場裡に尽力せざるべからず、然るに此国家に尽くすの方法施設に就ては如今大に研究を要するの問題にして、之に関する欧米の状況を知るは我実業家に取りて最も必要の事ならんと信し居れるの一事なりと雖も、自分が欧米漫遊の結果が直に我実業界を裨益すべしとは敢て信ぜざる所なるも、今夕の御厚志に対し御挨拶旁々一言所感を述ぶ云々
 - 第16巻 p.658 -ページ画像 
次に細川侯爵より副会長就任の挨拶あり、最後に近衛公爵の演説ありしが、其要旨左の如し
 只今渋沢男より痛く謙遜せられたる御演説ありしが、予は渋沢男が今回の洋行は我経済界に少からぬ利益あらんと信ず、此事に就ては日本と欧米とは余程事情を異にし、日本にて洋行する人は多く若手の人のみなるが、之を欧米人の目よりすれば亦唯だ黄口の児輩を以て遇せらるゝも或は已むを得ざる次第ならんかと思ふ、予は以前に独逸に留学し、次で一昨々年再び同地に趣きたるに予の同級、若くは先輩の諸人の如きも其位地は尚ほ参事官、甚しきは試補の位地に在るものさへありしに、予のみは貴族院議長又は学習院長等の肩書を以て行きたる為め冷汗背を湿すの感ありき、要するに欧米にては学識あり経験あるに非ざれば要路に立つの傾向あり、国家の信用上如何あるべきと思はるゝ次第なりしが、今や伊藤侯・松方伯を初め渋沢男の如きが洋行せらるゝに於ては欧米諸国にても日本が黄口なるハイカラのみの時代ならざることを知得し、我国の信用尊敬を増加すること尠からざるべしと信ず
右終て雑談に移り散会したるは九時過なりしといふ