デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

7章 経済団体及ビ民間諸会
1節 商業会議所
1款 東京商法会議所
■綱文

第17巻 p.805-814(DK170062k) ページ画像

明治15年5月16日(1882年)

曩ニ農商工諮問会規則公布サレシヲ以テ当会議所ノ存立困難トナル。是ヲ以テ是日栄一ヲ初メ会議所議員等今後ノ方針ヲ協議シ、暫ク醵金額ヲ減少シ常務ノ範囲ヲ局限シテ之ヲ維持スルニ決ス。


■資料

東京日日新聞 第三○五七号 明治一五年二月二三日 ○商法会議所(DK170062k-0001)
第17巻 p.805 ページ画像

東京日日新聞  第三○五七号 明治一五年二月二三日
○商法会議所 東京商法会議所ハ昨十四年五月廿三日太政官第廿九号布告の旨に依りて、従来の組織を変じ近々商業議会とせらるゝやの趣なれバ、例年本月に施行する理事本員各課委員の改選会を一時見合せらるゝよし


東京商法会議所要件録 第四二号・第九―一七頁 明治一五年六月三日刊(DK170062k-0002)
第17巻 p.805-807 ページ画像

東京商法会議所要件録  第四二号・第九―一七頁 明治一五年六月三日刊
 - 第17巻 p.806 -ページ画像 
  第十九臨時会議 明治十五年五月十六日午後七時開
    議員出席スル者 ○十三名
以上出席スル者十三名其他ハ病気旅行又ハ事故アリテ不参ヲ告グ
○上略
次ニ会頭 ○渋沢栄一ハ各員ニ向ヒ本会ハ組織変更ノ件ニ就キ昨年ノ初ニ於テ種々討議之末理事本員ヨリ之ヲ府知事ニ謀リタルニ、偶々同年五月廿三日第廿九号ヲ以テ農商工議会設立ノ制ニ就キ御布告アリタリ、然トモ右御布告ニ示サルヽ所ニ拠リテ之ガ設立ノ方法ヲ案スルニ如何ニセン其実際ニ施行シ難キモノアルヲ以テ、当時理事本員ハ其意見ヲ府知事ニ上陳シタルニ九月十九日ニ至リ農商務省ヨリ乙第七号ヲ以テ右設立ニ関スル心得方ヲ達セラレタリシガ、此御布達ハ廿九号御布告ニ就キ手続ヲ示サレタルニ過ギズ、畢竟此御布告ノ精神ハ本会ノ望ム所トヤヽ其趣ヲ同フセザル所アリ、此等ノ為メ其後府知事ヨリ本会ノ望ム所ト殆ド同一ナル意見書ヲ其筋ヘ上呈セラレシ由ナルガ、過般参事院ニテ之ヲ調査セラレ其議案ハ現ニ元老院ニ於テ御評議中ノ趣ナレバ御発布ノ日ハ蓋シ遠ニ在ラザルベシト信ズ、兼テハ二月中ニ何分之御沙汰コレアルベシト思惟シタルニ前陳ノ都合ニテ斯ク延引シタレバ此後追テ御発布アル迄従前ノ維持法ヲ以テ之ヲ継続スベキカ、或ハ他ニ考案ヲ立ツベキカ篤ト其意見ヲ述ベラレタシト
山中 ○山中隣之助曰ク、農商務省ヲ新設セラレタル際恰モ保護金ノ御廃止アリタルヲ見レバ政府ハ之ヲ無用視セラレタルモノヽ如シ、果シテ然ラハ敢テ之ヲ維持スルモ寧ロ無用ナランカ
益田克徳曰ク、余ハ全ク之ヲ無用視セズト云トモ抑モ本会ノ如キハ私会ニシテ政府ノ保護アルガ為メ各員励精シテ之ヲ維持継続シタリ、然カルニ政府ガ此保護ヲ解カレタルヨリ各自全ク其資金ヲ醵出シテ之ヲ維持スル事トナリ、目下議員タル者ハ恰モ義務ニ束縛セラルヽノ姿トハナレリ、故ニ之ヲ継続スルニハ先ツ府下全体ノ商人ニテ之ガ維持費ヲ共担スルト云フガ如キ他ノ維持法ナカルベカラズ、到底現今ノマヽニテハ永ク之ヲ保持スベカラザルモノナリ、但シ組織変更ノ時日予期シ得ルモノトセバ先ヅ日限ヲ定メテ之ヲ維持シ其時ニ至リ臨機方向ヲ定ムルモ未タ晩シトセザルナリ
益田孝曰ク、諸君ノ説ハ要スルニ本会ヲ閉鎖スベシト云フニ帰着シタルガ如シ、蓋シ組織変更シテ商業議会トナルノ日ニ於テハ格別ナレトモ抑モ本会ノ如キハ全ク有志者ノ議会ナレバ現今ノ維持法ニテハ到底之ヲ永ク継続スベカラズ、但シ是迄維持シタルモノヲ今直チニ閉鎖スルハ如何ニ付其名義ヲ存シ置キ、只是迄本会ガ管掌シタル記録其外トモ整頓シ置キ追テ商業議会ノ設立スルニ至ラバ之ヲ引続クノ準備ヲ為スヲ要ス、故ニ此目的ヲ達スル為メニハ先ヅ宜シク醵金ヲ減少スベキナリ、且ツ本会ガ調査シ来タリタル商況報告ノ如キモ近来数月ヲ経ザレバ其調成ヲ見ルヲ得ズ、是畢竟調査人ガ其送達ヲ怠ルニ由ルベシト云トモ抑モ亦右報告ノ実際左迄ノ効用ナキニ根セズンバアラズ、依テ此報告モ亦宜シク之ヲ廃スルヲ要ス
丹羽 ○丹羽雄九郎曰ク、前途ニ望ミナク空シク之ヲ保持スルモ如何ニ付本会ヨリ表向キ府知事ヘ強請シ、其模様ニヨリ興廃ヲ定ムル事トシタシ
 - 第17巻 p.807 -ページ画像 
会頭曰ク、本会ヨリ表向キ府知事ニ稟請シタル事ナシト云モ情実上ヨリ申出タル事ハ是迄殆ド十数回ニ及ベリ、抑モ本会現行ノ構成ニテハ直接ノ利益モナク又愉快モアラザレバ随テ不振ノ景況ヲ呈スル事全ク其理ナキニ非ズ、左レバコソ已ニ明治十三年九月中八百松楼ニ懇親宴会ヲ開キタル折モ諸君ト其改良方ヲ協議シ、爾後定式会ノ度数ヲ減シ其他猶改良ヲ加ヘタルモノ一ニシテ足ラズ、又昨年春中府知事ヘ右ニ就キ意見ヲ上陳シタル事アリシニ府知事ニ於テモ大ニ思慮ヲ費ヤサレシガ、偶々此際廿九号ノ御布告ヲ以テ農商工諮問会規則ヲ公布セラレタルニ遭逢セリ、然カルニ此御規則タル本会ノ素望ニ副ハザルノ廉アリシヲ以テ其後此事ニ関シ更ニ府知事ヨリ政府ヘ上申セラレタル趣ニテ、其方案ハ現ニ廟堂ニ於テ御経画中ニ在リト聞ケリ、左レバ斯ク今日迄継続シタルモノヲ今ニ至リ閉鎖スルハ如何ニモ遺憾ニ付暫ラク従来ノ維持法ヲ以テ之ヲ継続シ、追テ組織変更ノ時機ヲ待タバ如何ン
益田孝曰ク、私費ヲ以テ一ケ年三千円ノ定額ヲ支弁スルハ今日日本ノ商人ニ取リテ負担ニ苦シム処アラン、左レバ今之ヲ継続スルニ当リ一人ヨリ毎月一円ヲ限リ醵金トシテ之ヲ維持スル事トセバ先ツ適当ナラント思惟ス
益田克徳曰ク、農商工諮問会ノ事ニ就テハ現ニ元老院ニテ御評議中ナリト云フト雖トモ従来ノ実験ニヨリテ之ヲ回想スルニ早クモ一年以内ニ其実施ヲ必期スベカラス、若シ斯ノ如ク前途太ダ悠遠ニシテ因循打過グル時ハ其効用モ亦実ニ少シトス、寧ロ今日ニ一旦之ヲ閉鎖シテ時節ヲ待ツ方或ハ可ナラン
山中曰ク、今日ニ於テ全ク組維《(織)》ヲ変更シコムメルシアルクラツブノ如キ性質トナサバ如何ン
会頭曰ク、余ガ考フル所ニテハ組織変更ノ時期必ズシモ悠遠ナリトスベカラズ、且ツ本会ハヤヽ其性質ヲ同フスル商業議会ヘ相続セン事兼テ諸君ト共ニ予期スル所ナレバ、先ヅ三四ケ月間ハ従前ノ方法ヲ以テ之ヲ維持シ、然ル後ニテ猶商業議会設立ノ手続ニ運ブ事能ハザル時ハ更ニ協議ノ上ニテクラツブトスルモ若クバ其他ノ組織ニ変改スルモ妨ケナシト思惟ス、諸君果シテ如何ン
右ノ外条野 ○条野伝平・原 ○原六郎・山中・益田・鳥海 ○鳥海清左衛門・横山 ○横山孫一郎君等ニ於テ種々発言モアリシガ、衆議ノ末終ニ是迄継続シタルモノヲ今更ニ閉鎖スルハ甚ダ遺憾ニ付在来議員一名ヨリ一ケ月三円ヅヽ醵集シタル金額ヲ自今一円ニ減少シ、此醵金ノ支持シ得ル限内ニ常務ノ区域ヲ陜縮シ、追テ組織変更ノ時期ニ至ル迄兎ニ角維持継続スベシト云フニ帰着シタリシガ、当日出席議員ハ定数未満ニシテ直チニ之ヲ議決スル事能ハザルヲ以テ会頭ハ追テ右ノ次第ヲ廻議ニ付シ、衆員ノ意見ヲ質シテ之ヲ決スベキ旨ヲ述ベ、各員ニ散会ヲ告グ、于時午後十一時二十分ナリ


東京経済雑誌 第一一二号・第六七一頁 明治一五年五月二〇日 ○東京商法会議所(DK170062k-0003)
第17巻 p.807-808 ページ画像

東京経済雑誌  第一一二号・第六七一頁 明治一五年五月二〇日
    ○東京商法会議所
東京商法会議所は多年有志輩の尽力にて経営し来り政府よりも補助金として毎年千円宛を下附されしが、追々萎靡不振の姿を見はし、殊に
 - 第17巻 p.808 -ページ画像 
昨年農商務省設置以来右の補助金をも廃止され、続きて議員の辞職し去るもの多く、今日に至てはその維持方法に困むの有様となりしかば会頭渋沢氏より各員に右の相談を掛けられしに、孰れも毎月二百五十円ツヽを費して之を設立し置くの要はあるまじ、尤も政府にて近々商法議会を興さるゝ由なれば会議所は殆んど無用物となるの傾きあり、故に右議会の興るまで成丈ケ費用を節減して之を持続し、須用の書類等は悉皆該会に渡すべしとのことに決議なりたりと云ふ


東京商工会沿革始末 同会残務整理委員編 第二一―二二頁 明治二五年五月刊(DK170062k-0004)
第17巻 p.808 ページ画像

東京商工会沿革始末 同会残務整理委員編  第二一―二二頁 明治二五年五月刊
    ○東京商法会議所
○上略
斯ノ如ク商法会議所ハ我東京ニ於テ明治十一年ニ設立セラレテヨリ著シク発達シテ将ニ東京全市ノ為ニ最緊ノ機関タラントセルニ際シ、明治十四年五月二十三日太政官第二十九号布告ヲ以テ農商工諮問会規則ヲ頒布セラレ、尋テ同年九月十四日ヲ以テ農商務卿ヨリ農商工諮問会設立心得ヲ達セラレ、即右規則第二章ニハ区及聯合区町村農商工業議会ノ制ヲ定メ、其選挙資格任期組織議権等ヲ明ニセラレタルガ為ニ、此諮問会ヲ東京ニ設立セズシテ之ニ代フルニ商法会議所ヲ以テセン事ハ素ヨリ事理ノ許ス所ニ非ズ、去リ迚商法会議所ヲ此儘ニ保持シテ他日諮問会設立ノ時ニ於テ、撞著ノ状勢アラシメン事ハ好ムベキ所ニ非ズ、是レ必然ノ事躰ナレバ商法会議所ハ恰モ此発令ニ遇フテ一大撃ヲ喫シタルガ如ク、内ニシテハ実効ノ発達ヲ失ヒ、外ニシテハ公私ノ信用ヲ失ヒ、加之勧商局ヨリ毎年下附ノ保護金モ同年七月以後ハ廃止セラレタルニ付キ維持ニ苦シミタル等ノ事情ヲ現ハシ、明治十一年以来東京商業社会ノ為ニ漸ク推重セラレタル商法会議所ハ此時ニ至リテ頓ニ挫折シ、翌明治十五年ニ及ヒテハ僅ニ会議ノ名ヲ存スルモ更ニ会議ノ実ナク、幾ト中止閉鎖ノ状ヲ呈シタリキ



〔参考〕農商務省沿革略志 明治二五年四月刊(DK170062k-0005)
第17巻 p.808 ページ画像

農商務省沿革略志  明治二五年四月刊
二十三日 ○明治一四年五月 ○中略 農商工諮問会規則ヲ定ム
○中略
十六日 ○明治一六年五月農商工諮問会規則ヲ廃止ス
  勧業諮問会並勧業委員勧業各会設置ニ関スル条項ヲ定ム
○中略
二十日 ○明治一六年七月勧業諮問会並勧業委員勧業各会設置ニ関スル心得方ヲ定ム



〔参考〕東京経済雑誌 第一三一号・第一二八五―一二八七頁 明治一五年九月三〇日 ○東京商法会議所(DK170062k-0006)
第17巻 p.808-810 ページ画像

東京経済雑誌  第一三一号・第一二八五―一二八七頁 明治一五年九月三〇日
    ○東京商法会議所
余輩之を中外物価新報記者に聞く、現時東京商法会議所の集会大に衰凋を極め、或ひは将に閉鎖せんとするの議あるに至れりと、是れ真に惜しむべきの件たり、議員諸氏其人あり終に其勢を挽回せらるゝや疑ふべからずと雖も、余輩亦た聊か卑見を陳述して且つは廟堂有司の熟慮を請ひ、且つは我東京商賈の注意を望まん
 - 第17巻 p.809 -ページ画像 
蓋し商法会議所の商業社会に欠くべからざるは我東京商人の未だ熟知せざる所なるべし、然れども熟々我東京商業の実況を査察すれは各種の商業は既に組合を立て頭取を置き各々若干の醵金若しくは積金を為して其費用を弁して以て一団結を為すの有様を為せり、然は則ち各種の商業を集合して以て一団結を為すの必要なる事自ら瞭知するを得らるべきなり、夫れ各種の商業の組合を要する所以は同一の商業は其利害を同うするか為めなるべし、譬へは相場の動揺するときの如き、租税の増加せしときの如き、各地の得意に対して手数料の都合を改むるを要する場合の如き、不利なる法律の公布ありて共同して哀訴歎願を要する場合の如き、天変地妖の如き不慮の事件の為めに将来の景況如何と見込を立つるを要する場合の如き、其他種々の事件に於て其利益と損失とを共にするか為めに組合を立つるを要する事なり、若し其れ此の如き事件なくば何ぞ必すしも組合を立つるを要せんや、各人皆な孤立して商業を営みて利益を図りて可なり、然るに各商人は皆な孤立して商業を営むを是れ為さずして、資を積み財を費やして以て此組合を立つるを見れば、此組合なるものは自ら成立せざるべからざるの理由ありて成立するものにして自由商業の結果たる事を知るべし、商業組合にして既に此の如くば商法会議所の要亦た以て推知すべし、夫れ商業社会は一体に於て利害を一にするものあり、彼の紙幣下落の如き金融壅塞の如き、条約改正の如き、商法制定の如き、其他一歳の商況を調査し其盛衰を討究するが如き、皆な是れ商人に於て最も緊要の事件ならざるべからず、之を一組合の創立に比すれば或ひは緊要ならざるものあらん歟、然れども豈に常に集合の手続を存ぜずして可ならんや
現時我東京に創立する所の商法会議所の如きも亦た此利益を計画せんとの目的を以て結合せしものならん、余輩熟ら其明治十年十二月廿七日を以て東京府知事に差出したる創立願書を見るに云へるあり、曰く
 商法ヲ講シ商則ヲ議シテ一般通商上ノ成規慣習ヲ改良シ又ハ新案ヲ設ケテ更ニ其便益ヲ増ス事ヲ謀ルハ方今官府ニ於テ孜々経理セラルル所ナリ、然リト雖トモ倩ラ之ヲ実際ニ観察スルニ、其規画ノ当時ニ適スルヲ得ルニ非レバ仮令千百ノ思考ヲ尽シテ燦然タル法則ヲ編成スルモ之ヲ実施スルニ当テハ、却テ人情ト背馳シテ終ニ充分ノ効ヲ奏スルニ至ラザルノ類古今其例少ナカラザル事ニテ、苟モ此弊ナカラシメント欲セバ須ラク厥始ニ於テ普ク諮ヒ広ク詢リテ能ク其精シキ者ヲシテ其説ヲ尽サシメ、而シテ後之ヲ稠衆ノ輿論ニ採リテ更ニ補綴シテ其法ヲ組成スルニ如カズ云々
而して別に見込書一冊を添ふ、其内分ちて四款となる、第一款は社員撰挙之事、第二款は役員撰任之事、第三款は社員集会議事之事、第四款は諸官衙交渉之事にて其細目を査察するに専ら前文の主意を拡充せんと欲するの条件を載するものなり、内ち商業社会に発したる紛紜を仲裁するの件、並に諸官衙交渉之事は官許を得ずと雖も其余は全く許可を得て創立し、連綿今日に至るまで数多の要件を建議若くは議定せりと聞く、然るに今ま其衰へたるは何ぞや
余輩今ま東京商法会議所か従来建議若くは議定したりし要件を査察す
 - 第17巻 p.810 -ページ画像 
るに、或ひは日本国をして仏国特別税目条約に加入せしめんとの発議を為すものあり、或ひは紙幣下落を救治するの方法を討議せんとの議を起すものあり、或ひは商標条例の下問に答へて諤々の論を主張せし事あり、或ひは米・塩・〆粕等俵造改良の事を建議せんとの議を起すものあり、或ひは本邦訴訟法並に身代限の規則を改良せんことを政府に請願せんとの議を起すものあり、或ひは御臨幸を請願して宴を上野に張りし事あり、或ひは金融米穀其他有要の貨物の景況を調査して之を報告せしことありて、其議する所斯くの如く必要にして而して其論弁記載する所を見れは実に是れ堂々として自ら争ふべからざるの勢あり、蓋し我東京商法会議所は嘗て我東京府内にありて商業を営む者の精英にして世に所謂紳商の集合なりき、故に其赫々の勢は一時東京の商業社会を圧倒して恰も商法会議所議員にあらざるものは人にあらざるか如き姿なりき、然るに今ま其衰へたるは何ぞや、其内制宜しきを得ざりしか、其れ将た政令の其勢を摧きしものありしか、余輩亦た商法会議所の大に将来に盛栄せんことを希望するものなり、請ふ悉さに卑見を陳ぜん(以下次号)



〔参考〕東京経済雑誌 第一三二号・第一三一九―一三二一頁 明治一五年一〇月七日 ○東京商法会議所 第二(DK170062k-0007)
第17巻 p.810-812 ページ画像

東京経済雑誌  第一三二号・第一三一九―一三二一頁 明治一五年一〇月七日
    ○東京商法会議所 第二
余輩熟々東京商法会議所の今日に至る迄能く完全の景況に達せざりし所以を討究し其源因の深く且つ遠きものあらん事を想察せずんばあらず、其事何ぞや、従来の組織或ひは東京商人の多数と臭味相投せざるの事情あらん事を思へはなり、蓋し東京現時の商業は封建世界の遺物なり、彼の徳川氏の海内を統治するに当りてや封建の組織の浸染したるは特に政事上の事物に止まらざるなり、商業上の現像と雖も悉く封建の習気に感染したるなり、何をか封建の習気と云ふ、族を重んずる事是なり、抑も封建は族を重んじ閥を貴び血族を以て貴賤親疎を判別するの特性を有するものなり、余輩嘗つて記す、徳川家康の伊井直弼本田忠勝に於けるや、家康と直弼・忠勝との関係にあらざるなり、徳川氏と伊井氏・本田氏との関係なりと、余輩今に於て尚ほ其然るを信ずるなり、何となれば家康が直弼・忠勝に与へたる恩義は伊井氏・本田氏の常に負ふ所にして、仮令其子孫血脈の絶ゆるあるも苟も其名跡の存し、継続者の断絶せざる限りは免かるべからざるの責任なればなり、されば御三家と云ひ譜代と云ひ外様と云ふ、其君臣・父子・兄弟交友の関係は全く人と人との間に発するにあらず、族と族との間に発するものにして綿々として間断あるなく、徳川氏治世二百六十余年間殆んと同一の形状を呈して其内部の人々の生息死亡するに拘はらず一変化を生ずる事なきの姿を為せり、恰も現時の会社が頭取・取締役等の任免交替あるに関せず社会に対しては不死の一人たるの姿を為せると同一なり、されば封建諸侯の商人に対するに於けるも又た常に族を重んじて曰く、何屋の祖先は我祖何々公斯々の厄難あるに際して爾々の功勲を立てたるものなり、故に何品は常に何屋より買入るべしと、是に於てか何屋たるもの永世諸侯の御出入となりて苟も正実に営業する以上は放免せらるゝの恐なし、何屋の其伴頭に於ける亦た此の如き
 - 第17巻 p.811 -ページ画像 
の関係あり、最初祖先の何屋を興すに当りてや伴頭何某最も忠勤の功あり、故に其子孫長く伴頭の職を勤め主家に奉公し代々勲績を積むの家抦たるを得たり、大凡そ封建世界の事情は凡て此の如くなるを以て政府より諸侯より商人より職人より役者より角力より農夫より□□より学者より医者より其他百般の業務に至るまで皆な族を以て社会に立てり、而して江戸の地たる天下の諸侯の集まる所、天下の貨財の落つる処、天下の文運の発する所たるを以て、封建分子の最も顕はれたるは江戸の地にして、而して商家の此の如き性質を有するものも亦た最も多かりき
殊に商家にありては一種特許なる制度行はれて、何れの商業と雖も必す之を営むの家屋に定限あり、妄りに他人の之に入て同業を初むるを許さゝるなり、故に商家の主人たるもの其業を勉めざるも、苟も其特許を失はざる限りは坐して巨万の利を得べきか為に、皆な遊惰なる一執袴子《(紈)》となりて僅かに能く辺幅を修飾するを解するの人となれり、徳川氏の末政に至るまで其気風愈よ積重したりき、徳川氏倒れて王政維新の業成り廃藩置県の事行はれて海内一般郡県の制となるに及て、商家独り封建の分子を維持する能はざるなり、故に徳川氏の時に当て盛栄したりし札差御用達の類は早く既に覆滅し、其余豪商大売《(賈)》を以て称せられたる旧家も商運転廻の浪中に入て痕跡を留ざるに至り、其他百般の業務連綿として今日に至る者と雖も全く其面目を一新して復た旧時の族を重んじ親疎を判つか如き習風を存せざるに至れり、故に今日の商賈は以て往日の商賈に比す可らずと雖も、其人や異なるなきなり彼れ皆封建時代の人物なり、嘗て旧時にありては特許の美味を喫し、其精神と身躰とを柔弱ならしめたる一華族なり、然ざるも驕逸遊惰の空気の中に人となりて、新たに維新天地の下に厳烈なる競争の風を喫し未だ方向を定むる能はざるの人なり、其伴頭の如きは稍々之に勝るの知識を有するあらん歟、然れ共是れ唯々人に対すれば平身低頭して可成其意に逆はざるを得策とすると云ふ丈けの知識に止まり、政府の命する所は唯に是れ奉して成るべく抗抵せず、之が為に財を費やし時を失ふは損失の上に損失を重ぬるなりとの実験を記するに過きす、去れは自己の利益の為にすら成るべくは之を忍ひて他に利益を得て之を償はんと欲する者なり、焉ぞ能く他人の為に財を費やし時を費やして其利益を計画するあらんや、唯々直接の利是れ計る故に、自家の商業の相場従来如何に変動せしか、其全体の取引高如何に盛衰せしや等の少しく遠大なる利益に至りては決して注意するを務めざるなり、自家の商業に於る尚ほ且此の如し、然るを況や他の商業の変動盛衰に於てをや、蓋し現時の東京商人たるもの幾分か此の如き弊習を免かれざるなり、是れ豈封建の余習今尚ほ存するものにあらずや
此の如き時に当りて一種の紳商東京商業の中央に墜落せり、此等の紳商は嘗て政府の顕職にありて十分に政治の思想を養ひ社会の事情を熟知し国家商業の前途を改良するを以て任するの人なり、欧米諸国を巡廻し外国交易の実況を目撃し遅鈍なる日本商業を慨歎するの人なり、夙に和漢欧米の歴史に渉臘《(猟)》し天下の学術を撿究し王道を顕彰するを以て任するの人なり、商業の活機に通して相場の動揺を未発に察し貨幣
 - 第17巻 p.812 -ページ画像 
の源流を振して巨藩の商業を方寸に動かすの智あるの人なり、此等の人々相寄りて慨歎して曰く、今や日本商業振はざる事此の如し、日本政府之を憂ひ数々法制を布くと雖も未た之を奨励する能はざるなり、之を振起するは豈に余輩の任にあらずや、之を振起するは実に商法会議所を起すにあるなりと、議相決して終に之を建つるに至れり。此の如き紳商数十名相会して当世の時務を討究す、其議論高尚ならさらんと欲するも得んや、其文章流麗ならさらんと欲するも得んや、然るに余輩の見る所を以てするに此事却て有害なりしが如し(未完)



〔参考〕東京経済雑誌 第一三三号・第一三五三―一三五六頁 明治一五年一〇月一四日 ○東京商法会議所 第三(DK170062k-0008)
第17巻 p.812-814 ページ画像

東京経済雑誌  第一三三号・第一三五三―一三五六頁 明治一五年一〇月一四日
    ○東京商法会議所 第三
看よ看よ、彼の紳商と東京多数の商人とは全く性質を異にしたるを看よ、彼の紳商は其気質活溌にして王公丞相と雖も将に凌駕せんとするの勢あり、東京商人の多数は皆な退縮して成るべく避けんとするの姿あり、彼の紳商は博学多才にして物に応し事に処して直に判決するの知識を有し、議事堂に立ちて滔々として論弁するや恰かも江河を決したるか如きの勢あり、東京商人の多数は其専業に関するの外は全く知識なくして唯々黙々之を傍聴するに過きす、而して其専業に関するの事件と雖も斯る議事堂に立ちては一言をも口を開く能はさるなり、彼の紳商は平生政府の顕官と交遊して挙止動作自ら威風の凛然たるものあり、厳乎たる其顔之に冠するに高帽を以てし粛然たる其容之を飾るに錦衣を以てす、鬼に鉄棒、固より以て人をして懾服して交り難からしむるものあり、東京商人は長く武政抑圧の後を受け政府の人に対するは恰も閻羅王に対するの感を為せり、其家内にあるや或ひは大蛤たるものあるべしと雖も、其戸外に出づるや全く小蜆となりて収縮す、其言語より動作より顔色に至るまで、固より以て彼の紳商と同日の論にあらざるなり、夫れ会議は同権人士の集合する所なり、朋友は同一臭味の相投する所なり、今ま紳士と東京商人との性質品行此の如く相異なれり、之をして相合して一商法会議所を建設せしめんと欲す、豈に難からずや
殊に商法会議所の団結をして東京府内に固からしめんと欲せば東京商人の利益を保護せざるべからざるなり、苟も東京商人の利益を保護することなくば、此れ是商法会議所たる全く東京商人と関係なきものにして之あるも尚ほなきか如くなり、余輩私に思ふ、明治十年以後東京商業は財政変動の為めに非常の困難を蒙むれりと、其一二を挙ぐるも紙幣下落物価騰貴の事の如き、酒造税醔麹営業税増加の事の如きは最も非常なるものと云ふべし、若し斯る事件にして英国に発現したらんには倫敦商法会議所の議論は如何はかり喧しからん、然るに我東京商法会議所は此等の事に関しては極めて静謚なりしと云ふも弁明すべからざるべし、而て却て政府より依頼せし所の事実を調査し、若くは討論するに於ては極めて親切なりしか如し、余輩私に思ふ、此等の件或ひは東京商人の賛成を得ざりし重なる源因ならん乎、されぼ我東京商法会議所の如きは之を自然に任ずるも或ひは自ら衰ふるに至りしならん歟、然るに我政府は明治十四年五月二十三日を以て更に一片の布告
 - 第17巻 p.813 -ページ画像 
を発して其衰頽の勢を助けんとしたり、太政官第二十九号の布告是なり、蓋し我政府の主意は決して商法会議所を衰頽せしめんとの意にあらざる事明かなり、其前文に曰く
 各地農商工ノ実況ヲ視察シテ勧業ノ事務ヲ着実ナラシメ、倍々其改進ヲ図ランガ為メ、今般農商工諮問会規則左ノ通制定候条此旨布告候事」と
以て政府の意のある所を知るべし、然れども此布告の第一の効験は、商法会議所に向ひて非常の攻撃を与へたることなり、夫れ当時各地に創立したりし商法会議所の如きは其勢固より微々たりしと雖も、尚ほ是れ民立の一議会にして、之を開き、之を閉ち、其議員を選挙し、又た之を退職せしむる等は全く商法会議所の自ら之を決するに任したりき、故に自ら自由の其間に存するものなくんはあらず、然るに農商工諮問会規則の発布せらるゝや各府県に設立すべきものは純然たる官選の議会にして全く府知事・県令若くは農商務卿の諮問に答へ、若くは其命令を奉して製産上の統計を調査するものとなれり、されば各府県に設立すべき農商工諮問会なるものは全く自ら議題を発するの権なきものにして、偏に府知事・県令若くは農商務卿の顧問に備はるものたるに過きさるなり、此の如き一体を法律上に認めて而して商法会議所を認めざるに至りては、其議員たるもの焉ぞ団結の気力を失はざるを得んや、然るを況んや既に惰気を生したるものに於てをや、然るに右布告第二章に至りて区及ひ聯合区町村農商工業議会の規則数条あり、此議会に於ては稍々議会自ら議事を開き、且つ議員を公選する等の自由あるか為めに東京商法会議所議員は之を改めて専ら十五区に関するものとなし、之に十五区聯合商業議会の名を帯はしめて以て之を維持せんとの議ありしと云へり、是れ亦た止むを得ざるに出でたるものならさるべからず、要するに商法会議所をして十分に発達せしめんと欲せば聯合区商業議会の如きを以て能くすべきにあらざるなり、内部の景況此の如くにして而して外部の法制亦た此の如くなるが為めに、東京商法会議所は愈よ衰頽を来たして今日の極に至れり、然らば則ち今日にして之を挽回せんと欲せば先づ其病の基く所を除かざるべからざるなり、何ぞや一は内部の組織を改良すること、一は外部の法制を廃止する事是なり
何をか内部の組織を改良すと云ふ、我東京商法会議所をして此の如き紳商の淵叢たらしむる以上は東京商人は決して之に近邇せざるべきなり、東京商人非にして紳商是なるか、其れ将た紳商非にして東京商人是なるか余輩は之を知らざるなり、然れども古語に之あり、聖人は世と推し移ると、東京商人の性質既に此の如くは商法会議所なるもの亦た此商人に適合せざるべからず、而して彼の紳商も亦た之と事を共にせざるべからざるなり、之を為す如何、曰く従前の議員は専ら発起者の随意に因りて入会せしめたるの跡ありと雖も、以後専ら商業組合より入会せしむるの手続に改むるにあり、余輩の既に論弁せし如く彼の組合なるものは其結合固くして破るべからざるものなり、何となれは是れ等は皆な其商業の利益を保護するの目的を以て結合し為めに財を費やすを惜しまざる程のものなり、故に東京商法会議所にして此団結
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を集合して一体を為す事恰も合衆国政府が各州を聯合して一体を為すか如くならしめ、此大団結によりて以て各組合を保護するの手段忽ち発せん、之を例するに現時酒造家にして其重税に苦しむ事を述べ、商法会議所にして其苦情を理ありと決せは直に之を賛成して政府に建議するか如き挙動あるに至らん、然らは則ち東京商人必ず之に加入して其財を積み其資を出して之を維持せんと尽力するに至るや疑ふべからざるなり
何をか外部の法制を改良すと云ふ、彼の太政官第二十九号の布告を廃止する事是なり、夫れ政府の此布告を発するや必す地方の便益を進捗せしめんとの主意に出でたるや疑ふべからざるなり、然れども各地恐らくは未だ此諮問会を設立するの必要あらざるべし、されば此布告の公布以来既に一年有半に至るも未だ各府県に於て此議会を設立せしを聞かず、以て其事の急務ならざるを知るべし、然らば則ちこの布告の如きは寧ろ之を廃止し、商法会議所の発達を自由ならしむるの利あるに如かざるなり
余輩の聞く所を以てするに現時東京商法会議所の重なる議員も亦た以上説く所と大同少異の説を持して方に之に尽力せりと云へり、然ば則ち其勢を挽回するに至るや遠きにあらざるべし、若此二改良にして十分に遂くるに至らば余輩は商法会議所の設立の賛成を東京商人に望まざるべからず、然れども余輩は更に該議員に向ひて注意を請ふべきの件あり、抑も商業社会には商法会議所なかるべからず、然れども常に之を要するにあらざるなり、常に要する者は相場の変動、金融の繁閑を調査する等の数件に過きす、故に必ずしも大会を開くを要せざるなり、其要なきに当りて数々厳粛なる集会を催すは或ひは惰気を発するの原因たらさるべからず、故に平時は多く懇親会等を為すに止て肯て堂々たる発議等を為さゞるを注意すべし、然り而して意気相投し情誼相通ずるの後に至りて議場に立ちて其思ふ所を述べしむるに至らば東京商人と雖も必ず名論の胸裏に埋蔵するあり、必ず将に発出して世益を為すに至るべきなり、若し能く之を誘掖して常に商業社会の利益を保護するを務むることあらば東京商法会議所なるもの衰頽せんと欲するも得んや(完)



〔参考〕東京経済雑誌 第八巻第一七三号・第一二一―一二二頁 明治一六年七月二八日 ○商法会議所(DK170062k-0009)
第17巻 p.814 ページ画像

東京経済雑誌  第八巻第一七三号・第一二一―一二二頁 明治一六年七月二八日
    ○商法会議所
東京商法会議所は先般より維持法の立ざるやにて其定式会をも開かれず至て寂寥たりしか渋沢其他二三有志の尽力にて再興するの日も近きにあるべしと云ふ、然るに岡山商法会議所は何にか都合ありて去六月三十日限りにて当分閉鎖するよし、商法会議所の商業世界に必要なるは贅するを要せざれども、兎角我国にては一旦起りて始めは稍々盛なるも久しからずして閉鎖の不幸を見る乎然らざるも萎靡として振はざるの景況あり、是我商売の度未た商法会議所を要するに至らざるに由る乎、将た商估等協同一致以て商業を改良するの気象に乏きに由る乎