デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

明治29年3月10日（1896年）

是日栄一当会議所会頭トシテ、衆議院議長楠本正隆ニ請願書ヲ呈シ、曩ニ衆議院ノ議題トナリシ酒精営業税法第七条ヲ削除セントスルノ儀ハ、実業界ノ実情ニ照ラシ大イニ不可ナル所以ヲ述ブ。

第六回東京商業会議所事務報告　　第一―二頁　明治三〇年四月刊
一酒精営業税法改正ノ義ニ付衆議院ヘ請願ノ件
　本件ハ会員雨宮綾太郎君ノ提出ニ係リ、其要旨ハ、衆議院ノ議題トナリタル酒精営業税法改正法律案中現行酒精営業税法第七条（医薬用・工業用酒精免税ノ特例）ヲ刪除スヘシト云フノ一項ハ大ニ我商工業ノ発達ヲ害スルノ恐アリ、故ニ本条特例ノ必要ナル所以ヲ開陳シテ衆議院ニ請願スヘシト云フニ在リ、仍テ之ヲ明治二十九年三月
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九日第五十回ノ臨時会議ニ附シ其可決ヲ得、同年三月十日附ヲ以テ左ノ如ク衆議院ヘ請願セリ
　　　　酒精営業税法改正ニ対スル請願
謹テ案スルニ今回貴院ノ議題トナリタル酒精営業税法改正法律案中、現行酒精営業税法第七条ヲ刪除スヘシト云フノ一項ハ大ニ我商工業ノ発達ヲ害スルノ恐アリト信スルニ付、本会議所ハ其意見ヲ開陳シテ敢テ貴院ニ請願スル所アラントス
蓋シ現行酒精営業税法第七条ヲ刪除スヘシト云フノ議論ハ果シテ如何ナル理由ニ基クヤヲ知リ難シト雖トモ、要スルニ其前提トスル所ハ左ノ二点ニ外ナラサルヘシ、其一ハ医薬用・工業用ノ酒精ニ免税ノ特例ヲ与フルハ其必要ナシトスルモノ、其二ハ医薬用・工業用ノ酒精ニ免税ノ特例ヲ与フルハ脱税ノ弊竇ヲ開クモノナリトスルモノ即チ是ナリ然レトモ本会議所ノ見ル所ヲ以テスレハ、此等ノ前提ハ共ニ第七条ヲ刪除スヘキ正当ノ理由ト認ムルヲ得サルナリ、請フ試ニ之ヲ左ニ陳述セン
前説ノ如ク医薬用・工業用ノ酒精ニ免税ノ特例ヲ与フルハ其必要ナシト云フハ、是大ニ事実ノ観察ヲ誤リタルノ説ト謂ハサルヘカラス、夫レ現時我国ニ於テ製造スル薬品中苦味丁幾・沃度丁幾（丁幾剤）・甘硝石精・樟脳精（精剤）・菲沃斯越幾斯・莨菪越幾斯（越幾斯剤）若クハ依的児ノ如キ、又工業品中墨汁其他塗料類ノ如キ、近時其製造漸ク発達ノ緒ニ就キ、今ヤ外国輸入品ト対抗シテ内国ノ需用ヲ充タサントスルニ至リタルモノハ、要スルニ現行税法第七条ノ特例ニヨリ其原料トシテ無税ノ酒精ヲ使用スルヲ得ルカ為メナレハ、此際可及的之ヲ奨励シテ一層其発達ヲ助長セサルヘカラス、然ルニ今若シ税法第七条ノ特例ヲ廃シ、此等ノ製造品ヲシテ高価ノ酒精ヲ使用スルノ已ヲ得サルニ至ラシムルトキハ、其結果外国輸入品ト対抗スルヲ得スシテ此種ノ製造ハ萎靡退縮シ、遂ニ復タ起ツヘカラサルノ悲境ニ沈淪スルニ至ラン、是本会議所ガ前途我商工業ノ為メニ大ニ憂慮スル所ナリ、由是観之、現行税法第七条ノ特例ヲ以テ必要ナシトスルハ事実ノ観察ヲ誤リタルノ説ト謂ハサルヘカラサルナリ
又後説ノ如ク医薬用・工業用ノ酒精ニ免税ノ特例ヲ与フルハ脱税ノ弊竇ヲ開クモノナリト云フハ、是亦事実ノ正鵠ヲ得タルノ説ニアラサルナリ、蓋シ現行税法ノ下ニ於テ脱税ノ巨額ニ達スルハ著明ノ事実ナリト雖トモ、是決シテ第七条ノ特例アルカ為メニアラサルナリ、夫レ税法実施以来我国ヘ輸入スル酒精ノ高ハ年々凡一万石乃至二万石ニシテ此内医薬用・工業用トシテ営業税ノ免除ヲ得ルモノハ凡二千石乃至四千石ニ過キス、而シテ明治二十八年中東京府下ニ於テ医薬用・工業用トシテ営業税ノ免除ヲ得タル高ヲ案スルニ、医薬用二千四百二十六石五斗一升七合、工業用三十八石六斗一升ニシテ、其医薬用ニ属スルモノヽ如キ大日本製薬合資会社及東京製薬株式会社ノ二会社ノミニテモ実地消費スル高ハ一千石ノ上ニ達スルノ事実アルヲ見レバ、現時医薬用・工業用トシテ免税ヲ請フモノヽ内脱税ノ余地ヲ存スヘシトハ信スル能ハサル所ナリ、果シテ然ラハ現行税法ノ下ニ於テ脱税ノ巨額ナルハ決シテ第七条ノ特例アルカ為メニアラスシテ、其原因ハ全ク徴税ノ
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方法不備ナルニ在リ、今現行税法ノ規定ヲ案スルニ、酒精営業者ハ先ツ一ケ年販売ノ見込高ヲ管庁ニ届ケ出テ、此見込高ニ対スル供託金ヲ差出シ置キテ翌年一月三十一日限リニ税金ヲ納附スルノ手続ナルカ故ニ、奸黠ナル営業者ハ初ヨリ脱税ノ目的ヲ以テ故ラニ其販売見込高ヲ極メテ小量ニ届置キ、一方ニ於テハ外国商館ト公然ノ契約ヲ以テ多量ノ酒精ヲ買入レ、其現物ハ自己ノ店舗ヘ引取ラスシテ其儘外国商館ノ倉庫ニ託シ置キ、酒精ノ買人アルトキハ之ニ切符ヲ交付シ、買人ヲシテ自ラ外国商館ノ倉庫ニ就キ切符引換ニテ現物ヲ引取ラシムルコトヽシ、此奸策ニ依リテ脱税ヲ図ル者往々ニシテ之アリト云フ、蓋シ現行税法ノ規定ニ拠レバ営業者ヲ経ズシテ酒精ヲ買取リ消費スル者ハ営業者同様納税ノ義務ヲ負ハシムルト雖トモ、如何ニセン此買人ハ仮令裏面ニ於テハ外国商館ヨリ直接ニ買入ルヽモ表面ニ於テハ営業者ヲ経テ買入ノ手続ヲ為スモノナルカ故ニ、主任官吏ハ此規定ニ拠リテ買人ヲ規制スルノ途ナク、於是乎其販売人タル営業者ニ就キ納税ヲ督促センカ、営業者ハ身元薄資ノ為メ納税ノ義務ヲ果シ難シト云フノ口実ヲ以テ甘ジテ滞納処分ヲ受ケ以テ脱税ノ目的ヲ達スルト云フ、現ニ明治二十八年度（二十八年十二月迄）酒精営業税ノ調定額ハ四万四千三十七円七十六銭三厘ニシテ、此内販売見込高ニ超過ノ分ニ対スル実際ノ収入ハ僅ニ二千六百六十九円四十八銭二厘ニ止マリ、既ニ欠損ニ帰シタルモノ一万四千四百二十円二十八銭一厘ニ達セリト云フ（但未収入ニ属スルモノ二万六千九百四十八円アレトモ、未タ納期ニ至ラサルカ故ニ収入若クハ欠損ノ員額ヲ知ル能ハス）而シテ明治二十八年中酒精ノ我国ヘ輸入シタル実量ハ一万九千九百九十四石九斗二升三合ナリト云ヘハ、実際ノ脱税高ニ至リテハ遥ニ此欠損額ノ上ニ在ルヤ知ルヘキナリ、之ヲ要スルニ、現行税法ノ下ニ於テ脱税ノ巨額ナル所以ハ決シテ第七条ノ特例アルカ為メニアラスシテ、全ク徴税方法ノ不備ナルカ為メナルコト瞭然火ヲ視ルカ如シ、然ルニ現行税法第七条ノ特例ヲ以テ脱税ノ弊竇ナリトスルハ豈事実ノ正鵠ヲ得タルノ説ナランヤ
以上陳述スル所ニ就テ之ヲ見ルニ現行税法第七条ヲ刪除スルハ事実上毫モ脱税取締ノ効果アラサルノミナラス、適々我商工業ニ非常ノ障害ヲ与フルモノト信スルニ付、本会議所ハ玆ニ第七条特例ノ今日ノ実業社会ニ最大必要ナル所以ヲ開陳シテ、敢テ貴院ノ明断ヲ請フ、仰キ願ハクハ貴院本会議所ノ意見ヲ採択セラレンコト切望ノ至ニ堪ヘス、此段本会議所ノ決議ニ依リ請願仕候也
　　明治二十九年三月十日
　　　　　　　　　　　　東京商業会議所会頭　渋沢栄一
　　　　衆議院議長　楠本正隆殿
　　　○本資料第二十巻所収「東京商業会議所」明治二十六年八月十一日ノ条参照。
　　　○酒精営業税法第七条ハ削除サレザリキ。（明治財政史第六巻・第二六〇―二七一頁）

明治財政史　同史編纂会編　　第六巻・第二七〇頁　明治三七年一一月刊
　○第六編　第一章　第六節　酒税
　　　　第六款　酒精営業税
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○上略
抑モ酒造税法ヲ完全ニ施行セントセハ酒精取締ノ制度ヲ完全ナラシメサルヘカラス、然ルニ明治二十五年ノ頃酒精ヲ清酒ニ混用シテ一種ノ混成酒ヲ造リ納税ヲ免ルヽノ弊ヲ生シタルヲ以テ明治二十六年酒精営業税法ノ制定ヲ見ルニ至レリト雖モ、酒精取締ニ関シテハ、更ニ外国ヨリ輸入セラルルモノニ対シ関税ヲ増徴シテ内国産ト権衡ヲ得セシムルニ非サレハ其効ヲ完フスル能ハス、是ニ於テ姑息ノ改正ヲ為サスシテ行政上及フヘキ丈ケノ取締ヲ施シ以テ関税定率法改正ノ期ヲ俟テリ斯クテ改正条約ハ明治三十二年七月ヨリ実施セラルルコトトナリ、外国人ト雖モ等シク国定税法ヲ遵守スルニ至リ、明治三十二年法律第十八号ヲ以テ関税定率法ヲ改正シ、酒精従価税四割ヲ増加シテ二十五割ト為シ、之ヲ同年八月十五日ヨリ実施スルニ至リタルヲ以テ、従来ノ酒精営業税法ハ玆ニ之ヲ廃止シ、輸入酒精ニ対シテハ関税ヲ以テ充分ノ取締ヲ付シ、内国産ノ酒精ニ対シテハ酒造税法ノ規定ニ依リ製造ニ対シ取締ヲ為スヲ便トシ、明治三十一年十二月法律第二十六号ヲ以テ三十二年八月十五日以後酒精営業税ヲ廃止セリ
○下略