デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

1部 実業・経済

8章 政府諸会
2節 博覧会
1款 第三回内国勧業博覧会
■綱文

第23巻 p.581-583(DK230049k) ページ画像

明治23年3月4日(1890年)

是日栄一、当博覧会事務委員ヲ命セラル。


■資料

第三回内国勧業博覧会事務報告 同事務局編 第八三―八七頁 明治二四年三月刊(DK230049k-0001)
第23巻 p.581-582 ページ画像

第三回内国勧業博覧会事務報告 同事務局編  第八三―八七頁 明治二四年三月刊
 ○職務 職員及委員
    ○第三回内国勧業博覧会事務局各課人名表

        総裁     大勲位                  貞愛親王
           ○
        副総裁    農商務大臣従二位勲一等伯爵        黒田清隆
        副総裁    臨時農商務大臣従二位勲一等子爵      榎本武揚
        副総裁    農商務大臣従二位勲一等伯爵        井上馨
        副総裁    農商務大臣従二位勲二等          岩村通俊
        副総裁    農商務大臣従三位勲二等          陸奥宗光
        事務官長
               農商務次官従三位勲二等          花房義質
        出納下撿査官
            庶務課
        長
               農商務書記官正七位            坂田春雄
        事務官
                                ○外十七名氏名略
            出品課
        長
               博物館長正六位勲四等           山高信離
        事務官
                                ○外六十名氏名略
            編輯課
        長
               農商務省商務局次長従五位         佐野常樹
        事務官
                               ○外二十六名氏名略
            会計課
        長
        事務官    農商務省会計局長正六位勲六等       杉山栄蔵
        会計主務長
                               ○外二十七名氏名略
           ○
        事務委員   東京府知事従二位勲二等侯爵        蜂須賀茂韶
        同      元老院議官東京市参事会員従三位勲二等男爵 長岡護美
        同      東京府知事従三位勲三等男爵        高崎五六
        同      内閣書記官長従四位            周布公平
        同      東京市参事会員従四位           渋沢栄一
        同      外務省通商局長従五位勲五等        浅田徳則
        同      陸軍憲兵大佐従五位勲三等         三間正弘
        同      農商務省工務局長兼農務局長従五位勲四等  前田正名
        同      農商務省商務局長従五位          斎藤修一郎
        同      文部省普通学務局長従五位         服部一三
 - 第23巻 p.582 -ページ画像 
        事務委員   外務省通商局長従六位           河上謹一
        同      式部主事従六位              丹羽竜之助
        同      農商務省特許局長正七位          奥田義人
        同      農商務省参事官正七位勲六等        原敬
        同      式部主事正七位勲六等           田中建三郎
        同      農商務省参事官              藤井善言
        同      東京市参事会員              田口卯吉


青淵先生公私履歴台帳(DK230049k-0002)
第23巻 p.582 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳         (渋沢子爵家所蔵)
    任免叙授
同 ○明治廿三年三月四日 第三回内国勧業博覧会事務委員ヲ命ス        同 ○内閣



〔参考〕内外博覧会総説並に我国に於ける万国博覧会の問題 永山定富著 第三七―四一頁 昭和八年九月刊(DK230049k-0003)
第23巻 p.582-583 ページ画像

内外博覧会総説並に我国に於ける万国博覧会の問題 永山定富著  第三七―四一頁 昭和八年九月刊
 ○第二編 第一章 内外博覧会の沿革
    一、内国博覧会
○上略
第三回(東京) 第三回内国勧業博覧会は明治二十三年を以て開設し、同年四月一日の開会より七月三十一日の閉会まで開会日数百二十二日である。
 本博覧会の開設は明治十年の布告に従へば同十八年に相当せるも、明治十六年布達を以て之を二十二年に延期した。然るに翌二十三年は紀元二千五百五十年の佳期に当るが故に、亜細亜大博覧会を開設し、内は民業を振作し、外は外邦との交誼を厚うすべしとして時の農商務大臣西郷従道の建議があつた。が調査研究の結果かくの如き博覧会を開催せざることゝし、単に同二十三年を以て第三回内国勧業博覧会を開設すべしとの決定を見るに至つた。
 会場は前二回と均しく上野公園とし、約四万坪の地区を以てし、陳列館は本館・美術館・農林館・動物館・水産館・機械館・参考館の七館にして、外に盆栽陳列所を加へ、総建坪を九千七百二十五坪三合四勺とし、第二回に比し二千百六十二坪余の増加を見た。而して此に第一部工業・第二部美術・第三部農業山林及園芸・第四部水産・第五部教育及学芸・第六部鉱業及冶金・第七部機械に区分せる出品を配し、陳列は部別の下に府県順に由ることゝ定めた。参考館は本会の創設に係り、当初は諸物産の改良上模範となるべき内外国産物を蒐集陳列するの計画であつたが、経費の不足により外国品にして主として学理を応用し我模範たると同時に、将来輸出増進の資を為すものを以てするに決し、明治二十二年巴里博覧会若しくは同会出品物の原産地につきて之を購求し、又は我が政府より該博覧会に出陳せる出品物を以て交換することゝし、調査諮問の結果農産品・海産品・器械・図書類・諸工原料等合計四百七十二点を撰択し、各相当の品種数量を購入することゝした。而して之が購入は我が巴里博覧会臨時事務官に一任し、外来品千七百二十六点を得て本館に陳列することゝとなつた。
 - 第23巻 p.583 -ページ画像 
 出品は前回に比し約二倍の多きに達し、殆んど全国的出品と称すべく、出品人員七万七千四百三十二人・出品点数十六万七千六十六点・価格七十五万一千三百五十円余・売却高十五万八千九百七十七円が重なる数字である。審査の結果褒賞を受けたる者一万六千百十五人にして、褒賞は前回の如く名誉金牌・進歩賞牌・妙技賞牌・有効賞牌・協賛賞牌・褒状の六等級に区別せられた。出品物の運賃は例により鉄道局其他各海陸運送業者に交渉して往復共通常運賃より減額せしめ、出品人に対しては順路一往復に限り、通常乗車船料の二割を減額せしめた。又出品人中館内出品と同種の物品を販売せんと欲する者の為めには会場外に売店を設け、店数百十六を以て売上総額十九万二千九百五十九円を得た。
 本博覧会の開会式は、四月一日の開始に先ち御都合により三月二十六日を以て 明治天皇親臨して之を挙行せられ、一般人の観覧は四月一日より開始せられた。七月二十一日の褒賞授与式にも亦 天皇親臨して之を挙行せられ、閉会式は七月三十一日に総裁貞愛親王之を挙行せられた。また天皇には右二回の会場臨御の外、更に一回行幸あらせられ、昭憲皇后には開会式の外更に一回行啓あらせられ、英昭皇太后及大正天皇(当時皇太子)には、各四回本会へ行啓あらせられた。
 本博覧会の会期は米価騰貴の為め一般景気衰頽して経済上非常の惨状を呈せるのみならず、政治上亦多故の秋に際し、且降雨頻至・感冒流行等の事あり、従つて来観者数の減少を見たが、之を第二回に比すれば尚二十余万人の増加であつて、総人員一百二万三千六百九十三人を数へ、一日の平均八千三百九十人を示した。入場料は四種に之を別ち、特別入場券にして会期中使用のもの一枚金四円・日曜日入場券壱枚十五銭・土曜日入場券金三銭・平日入場券一枚金七銭とし、官立・府県立諸学校生徒等は凡て無料観覧の規定であつた。而して入場券の販売は前回の例により之を相当の者に委嘱することとし、東京府庁之が撰定に当り、二分五厘の手数料を交附したが、売捌きたる入場券数は九十四万八千四百七十一枚、料金は六万三千六百四十六円三十八銭である。
 会場内新設備としては電信分局の設置・瓦斯灯の建設・千川上水の引用の外、郵便柱函・電話機・電灯等を加へ大に公衆の便を計つた。又東京共同競馬会社は馬種の改良を奨励せんことを出願せるを以て臨時競馬会を起し、之を本博覧会に附属せしめ、競走馬匹を審査し、優勝馬匹には褒状を授与した。次に本博覧会は新たに外人招待の道を講じ、招待状七百廿九通を欧米其他締盟国の官吏・紳商及商工業者に在外公使館・領事館を通じて発送し、且つ貿易協会及び東京商工会より商業上重要の関係者に送附せしめた。之と同時に外務省にありては内地旅行券特別取扱の方法を設け、外人誘致によりて国産の声価を博し販路の開進を促さんことを計画し、内外汽車汽船会社に交渉して凡て乗車船賃の二割の減額を行はしめた。而して本招待による来観者は総計二百四十六人であつた。
 本会の経費は最初五十万円の予定であつたが、後に至り五十六万六千五百円に増加せられた。