デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

1章 社会事業
1節 養育院其他
1款 東京市養育院
■綱文

第24巻 p.199-202(DK240027k) ページ画像

明治42年3月31日(1909年)

是日、東京市ハ本所区若宮町ノ無料宿泊所ヘ当院所属ノ建物ヲ下附シ、併セテ当院経済ヨリ補助金ヲ支給ス。栄一、院長トシテ之ニ与ル。


■資料

養育院六十年史 東京市養育院編 第三九三―三九八頁 昭和八年三月刊(DK240027k-0001)
第24巻 p.199-201 ページ画像

養育院六十年史 東京市養育院編  第三九三―三九八頁 昭和八年三月刊
 ○第五章 東京市営時代
    第八節 職業紹介及宿泊施設
○上略
 叙上の如く東京市職業紹介所は、養育院長の管理下に宿泊施設をも兼ね、更に授産場・児童保護所を設置経営してゐたのであるが、更に
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大草恵実の経営に成る無料宿泊所事業に対し、明治四十二年(一九〇九)養育院経済より支出補助してゐる。これを補助した趣旨は、渋沢院長より提出したる左の上申書が物語つてゐる。
 本院収容者中行旅病人は壱銭の貯へもなく、宿泊にも困難し、剰へ職業を得るの道なきより、病気全快後出院せしむるも再ひ行倒となり、再三入院に至るもの甚た多き事に有之候へは、彼等を無料にて宿泊せしめ職業を紹介するの場所有之候はゝ、一方には斯る貧窮労働者をして行旅病者たらしめす、一旦行旅病者たりし者も全快後再ひ労役に服せしめ候事は、下級労働者の救済上緊要不可欠の事業に有之候処、本所区若宮町無料宿泊所は八年前の創立に係り、貧窮労働者を無料にて宿泊せしめ、職業なき者には職業の紹介を為し居り本院に於ても便益不少候に付、去明治三十八年三月元共済慈善会より本院へ寄附相成候家屋の貸与方を上申し、市会の議を経て貸与相成候次第にて、爾来同所成績の良好なるは別冊報告書の通りにして本院出院者に対し不一方好都合に有之候処、同所は元来二・三有志者の出資と僅々たる同情者により維持し来り候ものにして、其維持さへ困難を感し、且該家屋は最早大破し小修繕を加ふるも更に甲斐なき状況に立至り候に付、此際改築の上設備を完成し愈事業を拡張致度趣を以て、該家屋の下附及改築費補助として一時金五百円並に向三ケ年間壱ケ月経費参拾円宛補助方出願候に就ては、前述の通りの次第に付願の趣御認許相成度、尤も一時金五百円及毎月補助金とも予備費より支出相成候様致度、此段上申候也
  明治四十一年七月二十八日
            東京市養育院長 男爵 渋沢栄一
   東京市参事会
    東京市長 尾崎行雄殿
これにより市長は明治四十二年二月、左の議案を市会に提出した。
 第二十三号
    建物無代下附並補助金支給の件
 本所区若宮町三十八番地所在
 一、木造板葺平家建        二棟
   此建坪六拾六坪五合七勺
   附属木柵・板塀・畳・建具・器具・書籍類其他
 右建物無料宿泊所代表者大草恵実に無代下附し、尚左記の条件を附して金千円を養育院経済より支出補助するものとす
      条件
 一、補助金は金千円とし、明治四十一年度に於て改築費として金五百円を、明治四十二年度及明治四十三年度に於て維持費として金弐百五十円宛を支給す
 二、補助金は前項指定の費途以外に使用すへからす
 三、毎年一回事業成績書並収支精算書を提出すへし
 四、無料宿泊所は従来の方針に遵ひ、且其施設経営及不動産の処分は本市の指揮監督に従ふへし
 五、無料宿泊所を解散せんとするときは予め本市の承認を受くへし
 - 第24巻 p.201 -ページ画像 
  明治四十二年二月九日提出
               東京市参事会
                 東京市長 尾崎行雄
  説明
 本件建物は、明治三十八年一月元共済慈善会より本市養育院に寄附し、同年三月市会第二十六号議決に基き無料宿泊所主任高島健作に無料貸付したる処、該建物は建築以来既に三十余年を経過したるか故に損壊腐朽共に甚しく、大修繕を加ふるの価値なきに付今回之を改築し設備を完成し度旨を以て、無代下付及相当補助金支給の儀願出たり、依て調査するに、無料宿泊所は八年前の創立に係り、一定の住居なき貧困労働者を無料にて宿泊せしめ、無職業者には相当就業の途を講し、又自活の見込なき者には保護を与へて帰国せしむる等、常に養育院の事業を扶け、其成績良好にして本市に貢献する処尠からさるに因り、該設備を完成せしめ之か発展を助成するの必要を認む、且該建物は事実廃屋に等しきを以て右願意を聴許するものとし、本案を提出す
市会は幸にこれを議決通過したるを以て、三月三十一日、経営者大草恵実に対し、左の通り通牒したのである。
          東京市本所区若宮町
             無料宿泊所代表者 大草恵実
 明治四十一年八月十五日付願出に依り、本所区本所若宮町三十八番地所在建物二棟附属物一式共並補助金千円左記条件を附し之れを下附す
  但改築予算書並決算書を提出すへし
   明治四十二年三月三十一日
               東京市参事会
                 東京市長 尾崎行雄
 一、補助金は改築費として金五百円を明治四十一年度に、維持費として金五百円を明治四十二年度及明治四十三年度に於て各其半額を交付
 二、補助金は前項指定の費途以外に使用すへからす
 三、毎年一回事業成績書並収支精算書を提出すへし
 四、無料宿泊所は従来の方針に遵ひ、且其施設経営及不動産の処分は本市の指揮監督に従ふへし
 五、無料宿泊所を解散せんとするときは予め本市の承認を受くへし
当時に於けるこの種の施設は右の外、明治三十九年(一九〇六)一月開設の救世軍浅草無料宿泊所あるに過ぎず、明治四十三年(一九一〇)に至り第二無料宿泊所の開設を見、次に前記四十四年十一月東京市職業紹介所が、紹介を兼ねて宿泊を経営したのは第四位に属してゐる。斯の如く本邦当初の宿泊施設は、直接我が養育院との関係を有したものであつた。



〔参考〕東京市養育院月報 第一一二号・第一九―二〇頁 明治四三年六月 ○無料宿泊所の成績と本院(DK240027k-0002)
第24巻 p.201-202 ページ画像

東京市養育院月報  第一一二号・第一九―二〇頁 明治四三年六月
○無料宿泊所の成績と本院 同所は創立以来既に十年の星霜を経て、
 - 第24巻 p.202 -ページ画像 
其成績著しく顕はれたるに依り、昨年同所の発起人にて現に所長たる浅草本願寺の輪番大草恵実氏は、二千数百円を投じて七十余坪惣二階建の家屋を新築し、宿泊者の定員を増加すると同時に、宿泊者中の失業者の為めにする職業紹介の方法を拡張せんことを期し、本院に対し適当の事務員を派遣せんことを申請ありたり、本院にては行旅病人の全快したるものを出院せしむるに当り、職業紹介の必要あるもの少なからず、且つ又た失業者に対する職業紹介の方法あらば自然窮民・行旅病人を減ずべき訳なれば相当の援助を与ふるの要ありと認め、其筋の認可を経て事務員大橋勇氏を派遣する事となしたり、尚ほ昨年度末には右無料宿泊所の職業紹介事業を助成するの目的を以て、内務省より金五百円を下附せられ、斯くて大橋事務員は本年度に入りて早速同所に派出したるが、四月中に於ける成績を聞くに、宿泊せしめたる人員一千百九十一人にして、内職業を紹介したるもの二百八十七人、即ち一日平均九人六分弱に当れりと、而して其紹介先は人夫・土工最も多く、彼等が得る所の賃銭は最高一日五十銭、最低二十八銭にして、平均凡そ三十五銭見当なり、尤も同所は自ら職業の請負を為す能はざるが為め、請負人の許まで紹介するものなれば、請負人の為に日給の一割乃至二割の手数料を引去らるゝの止むを得ざるものありと、又労役時間を短きも八・九時間、長きは十一・二時間に至るものあり、食事其他は勿論自弁なるが、普通三食にて拾八銭内外を要すと云ふ



〔参考〕東京市養育院月報 第八八号・第二二頁 明治四一年六月 ○本院と無料宿泊所(DK240027k-0003)
第24巻 p.202 ページ画像

東京市養育院月報  第八八号・第二二頁 明治四一年六月
○本院と無料宿泊所 無料宿泊所と云へるは去る三十四年四月の創設にして、当時は浅草区神吉町にありしが、其後同区松葉町に移り、次で現在の本所区若宮町三十八番地に移転せしは三十八年三月にてありき、元来同所の経営する重なる要点は木賃宿にすら止宿し得ざる最下等の労働者、若しくは病気の為め失職せる者、又は地方より上京し悪桂庵等に欺かれて嚢中無一物となりたるもの等に対し一夜の宿を得せしめ、或は相談相手となつて彼等の為めに斡旋の労を執るにあり、而して創設より今日まで、兎に角一時的たりとも彼等を雨露の巷より救ひ上げたるもの殆ど四万人に近しと云ふ、扨て翻て本院行旅病人の数を調査すれば年一年に倍加し、十年前は一ケ年間に於ける収容数は僅に百四・五十人に過ぎざりしものが、十年後の今日に至つては一ケ月にして已に百五十人内外を算するに至れり、即ち十年間に十二倍したる割合にして、将来如何なる速度を以てこの喫驚すべき数を相乗するやも測るべからず、然も無料宿泊所は一方に於て八年間四万人に近き準行旅病人を救済しつゝあるなり、蓋し行旅病人となれる最近の事由を調査するに何れも機一髪の間にありて、之れを未発に予防せんとすれば為し能はざるにもあらず、尤も今後の良策としては無料宿泊所をして層一層拡張して彼等をこゝに喰ひ止め、以て本院に於ける劇増を防遏するの手段を執るにあり、これ同所に於ける発展の幸運と云はんよりは寧ろ本院の利益にして、然も市に於ける莫大の利益なりと信ず換言すれば同所を扶けて事業を遺憾なく遂行せしむるは、本院の利益にして又市の利益なりと云ふに外ならず ○下略