デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

1章 社会事業
2節 感化事業
2款 東京市養育院感化部井之頭学校
■綱文

第24巻 p.403-404(DK240047k) ページ画像

明治39年4月17日(1906年)

是日栄一、当校卒業証書授与式ニ出席シ、一場ノ訓話ヲ為ス。翌四十年ニモ出席ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三九年(DK240047k-0001)
第24巻 p.403 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三九年     (渋沢子爵家所蔵)
四月十七日 朝晴午後雨 軽暖         起床五時三十分 就蓐一時
○上略
午前七時二十分飯田町発ノ汽車ニテ井頭学校ニ抵リ、生徒卒業証書ヲ授与シ、一場ノ訓戒演説ヲ為ス、安達憲忠・高畠登代作・桜井教員等及東京市吏員来会ス、兼子モ同伴ス、畢テ校内ヲ一覧シ、吉祥寺ヨリ更ニ汽車ニテ国分寺ニ抵リ ○下略


東京市養育院月報 第六二号・第一〇―一一頁 明治三九年四月 ○井之頭学校証書授与式(DK240047k-0002)
第24巻 p.403 ページ画像

東京市養育院月報  第六二号・第一〇―一一頁 明治三九年四月
○井之頭学校証書授与式 は本月十七日午前に執行せり、来賓には渋沢男爵・夫人・山崎市役所庶務課長・同課岩間事務員外三氏にて、渋沢院長を始め職員生徒一同列席、桜井教頭司会者となり、渋沢院長親しく証書及賞品を授与し了り、児童に対し懇篤なる一場の訓誨ありて式を了り、特に男爵夫人よりは同校児童一同に菓子料を贈与せらる、而して今回尋常一年に入りし者六名、同二年に九名、三年に十名、四年に六名、卒業して補習科に入りし者五名、補習科二年に入りし者五名なり、感化部創立以来第七回の卒業証書授与式なるも、本校移転後に於ては之を初回の授与式とす


東京市養育院月報 第七五号・第一二―一三頁 明治四〇年五月 ○井の頭学校第七回証書授与式(DK240047k-0003)
第24巻 p.403-404 ページ画像

東京市養育院月報  第七五号・第一二―一三頁 明治四〇年五月
○井の頭学校第七回証書授与式 四月十七日午前十時より井の頭学校生徒の卒業証書授与式を同校に於て執行せり、先づ予定の順序に従ひ生徒職員並に来賓一同講堂に参集、君が代の唱歌奏楽に依りて開始し高畠副幹事は式辞を、桜井教師は試験成績及教育の状況を述べ、安達幹事は感化部の過去・現状に関する統計的の報告を為し、失れより渋沢院長は進級者及び学科卒業者四十五名に対して証書及び賞品を授与
 - 第24巻 p.404 -ページ画像 
せられたる後ち、更に親しく左の意味の訓諭を述べられたり
 本日は諸子が進級並に卒業の為め、市長閣下其他列席の来賓の前に証書を授与せられたるは、終世忘るべからざる目出度い日である、此日に終世覚へて居て貰いたい事を一言申して置きます、自分は多忙の身ゆへに常に本校に来つて諸子の世話をする事は出来ぬけれども、心だけは夜も昼も諸子の身辺を回ぐつて、何卒善い事をする人になつて貰ひたい、幸ひなる人になつて貰ひたいと願て居るのである、高畠副幹事や桜井教師や其他の人々が教へられるのは、予の代りに教へるのであるから、能く其教を守り業務を励げんで立派な人になつてもらわねばならぬ、人は正しき教を受けて正しき心を持て業務を励めば如何なる立派な人にもなれるのであるから、此の目出度い日に此の言葉をも能く忘れぬやうに守つて励んでもらひたい
次に尾崎市長登壇せられ、大要左の如き適切の訓告を与へられたり
 人は労働を好まねば身体も健全にならず、国も富まず強くもなれぬ人の仕事には頭脳を使ふのと、身体を使ふのと二た通りあるが、頭脳を使ふことのみを貴んで身体を使ふことを賤しむ国は衰へて弱くなり、身体を使ふことを貴ぶ国は栄へて強くなる、富で強い国々の人は皆身体を使ひ労働を尊ぶ、印度や土耳古や支那や朝鮮やの人は頭脳を使ふことのみを尊で、身体をつかい労働をすることを賤しむ労働を賤しむ人は弱く、国は貧しく、兵も弱い、我国の皇室では民の模範を御示しになる為めに 皇后陛下御自ら養蚕を遊ばされる、労働の尊い事を御示しになるのである、夫であるのに間々頭脳を使ふ仕事のみを尊で、身体をつかふ労働を賤しむ様な傾きが見へるのは、皇室のお思召にも悖り、弱い貧しい国民の真似をする様な訳になる、労働は神聖なもので、職業には決して高いも下いもあるものでない、職業には貴いも賤しいもそんな区別のあるものでないから如何なる職業でも皆世の益となるもので貴いものである、労働はいかなるものでも皆尊いものである故に、楽んで職業を習ひ喜んで労働に従事すれば、其身の幸福もこれから生じ、国の富もこれから来るのであるから、皆さんも其心持で充分に勉強せねばなりません
夫れより生徒総代の答辞・祝歌等ありて、芽出度く式を終れり



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治四一年(DK240047k-0004)
第24巻 p.404 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵)
四月九日 大雪 寒甚
午前五時半起床、入浴シ畢テ朝飧ヲ食ス、此日ハ井ノ頭感化学校生徒卒業証書授与ノ式アルニヨリ、七時二十四分飯田町発ノ汽車ニ搭シテ出張ノ約アリシモ、大雪ノ為メ十時発ノ汽車ト定メ、朝飧後雑誌類ヲ一覧シ九時半飯田町停車場ニ抵ルモ、汽車不通ノ由ニテ已ムヲ得ス井ノ頭行ヲ見合ハセ ○下略