デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

2章 国際親善
3節 外賓接待
14款 其他ノ外国人接待
■綱文

第25巻 p.677-683(DK250093k) ページ画像

明治39年11月10日(1906年)

是日栄一、アメリカ、エール大学名誉教授ジョージ・ラドヲ飛鳥山邸ニ請ジテ午餐会ヲ開キ、商業道徳ニ関スル談話ヲ交換ス。


■資料

(八十島親徳) 日録 明治三九年(DK250093k-0001)
第25巻 p.677 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三九年    (八十島親義氏所蔵)
十一月十日 晴
例刻出勤、十時ヨリ飛鳥山邸ニ至ル、今日ハ米国ヨリ渡来ノ教育学博士エールノ教授ラツド氏ヲ中心トシ、スプレーグ、穂積・杉浦・金井山崎・佐々木・堀越諸氏ヲ招カルヽニ付、総監ノ為也○下略


竜門雑誌 第二二二号・第四七頁 明治三九年一一月 ○青淵先生のラッド博士招待(DK250093k-0002)
第25巻 p.677 ページ画像

竜門雑誌  第二二二号・第四七頁 明治三九年一一月
○青淵先生のラッド博士招待 青淵先生には目下来遊中の米国エール大学名誉教授ジヨージ・ツロンブール・ラツド氏と商業道徳に関する意見を交換せられんが為め、同氏の外、東京帝国法科大学及東京高等商業学校講師オー・エム・ダブルユ・スプレーグ、穂積陳重・松崎蔵之助・金井延・山崎覚次郎・佐々木勇之助・堀越善重郎の諸氏を招待して、去る十日正午飛鳥山曖依村荘に於て午餐会を催ふされ、食後別室にて談論佳境に進み黄昏の頃に及びたりといふ

 - 第25巻 p.678 -ページ画像 

竜門雑誌 第二二四号・第一―九頁 明治四〇年一月 ○本社秋期総集会に於ける演説(青淵先生)(DK250093k-0003)
第25巻 p.678-683 ページ画像

竜門雑誌  第二二四号・第一―九頁 明治四〇年一月
    ○本社秋期総集会に於ける演説 (青淵先生)
      (明治三十九年十一月十一日)
○上略
今日の総会は予て承つて居りましたから、何か申上げなければならぬといふ事は考へて居りましたけれども、申訳のないことながら此間中非常に忙しくて、遂に考へたことも十分に其腹稿が纏まらぬ、約り竜門社員諸君に商業道徳問題に就て一言を申述べやうと思つて居りましたが、纏まりが附き得ませぬから、曾て亜米利加から来られて居る大学の教授でラツトといふ人と、スクレーブといふ人に昨日面会を致しました談話は丁度商業道徳に関係の話でございまして、昨日の事を今日御話をするので聊か興味があるかと思ひますから、所謂商業道徳の一部分と其談話を御聴取を願ひたうございます、但し英語の通ぜぬ私が幸に穂積博士及堀越善重郎君の通訳に依つて僅かに其意思を聴き知つたので、或は玆に申上げることは真相を得ないかも知れませぬ、私の言ふことだけは間違ひはせぬが、先方の話は或は聴違つた処があるかも知れませぬ、其辺は尚玆に御二人の証人がありますから、間違ひましたら後で御修正を乞ふやうに致しませう、成るべく短かく御話を致しまするけれども、相対の談話はそこに多少の道行がありますから少し御辛抱を願ひます、但し此御辛抱は御迷惑のやうでありますけれども後で昼飯が旨い、単に私の為めに御辛抱下さるとばかり御恨みなさらぬやうに願ひます(笑)
世の進むに従つて総ての事物が段々発展して参りますが、是は誠に喜ばしい話で、私共努めて事業の進歩、富力の増加して行くことを心掛けて行かなければならぬ、けれどもそれと同時に商業に従事するものの人格が今一層上り其道徳が今一層進んで行かねば、所謂大国民の襟度としても如何であらうかといふ虞がある、他の国々を見ましても決して此点に就て完全といふ国はないのです、此処に長所があると同時に彼所に短所がある、進むに速かなる者は其進むに就て弊害を持つて居る、要するに其事に従ふ者の人格が高まり徳義が増進して行けば其国が繁盛する、之に反すれば仮令其国の有様が目前進むやうであつても、亦富力が個人としては増して行つても、真実の鞏固は保てぬといふことは学者たらざるも誰が申しても同じ道理かと思ひます、故に私などは兎に角此商工業界に於て多少先覚者の位置に在つて成るべく事業の進むやうに国の富の増すやうに自分も勉め人にも勧めて居ると同時に、どうぞ此商工業者の徳義を大に進めるといふことを謀らねばならぬと斯う心掛けて居るのでございます、故に此程亜米利加から大学に聘された「プロフヱツソル」ラツトといふ人は最も此商業道徳に就て心を厚うして居る御人であるを以て、既に高等商業学校或は其他の学校に於て数回商業道徳に就ての講話を致されました、其中には翻訳書に依つて私も其意見の一斑を見まして甚だ頼母しい、今日まで道徳といふことは私は支那学問の書籍だけで聴き知つて居るが、欧米のそれとは原則が自ら違ひはせぬか、どういふ立論であるか、道徳其ものが既に善い話であるのに、殊に商業道徳に就て説かれるといふことで
 - 第25巻 p.679 -ページ画像 
あれば甚だ耳寄りの講話である、幸に好い通訳を以て自分が親しく聴くことが出来たならば大に面白いことであらうと、其事を曾て穂積博士に相談しまして終に昨日王子の宅へ参つて呉れました、折柄スクレーブといふ教授も同行されまして他に数名の大学教授諸君も会合された、私が先づ口を開いてラツト氏に問ふた言葉は『貴下が爾来商業道徳に就て講話を致されるといふことを承つて辱く存ずるが、どうも此日本の商業道徳といふものは其の程度が未だ卑いといふことを私は大に憂へて居ります、それは決して日本人民押並べて道徳心が乏しいといふ訳ばかりではないと思ふ、斯様申すと聊か申訳の如くに聞えるけれども、日本の商工業といふものはずつと昔は知らぬが先づ所謂武人政治殊に徳川の幕府を開いた以後の有様といふものは、人民の階級上武士といふものを大層賞美して商売人といふものを一番下の階級に置いてあり、而して国は閉し海外の貿易といふものは一切出来ない、国内の売買も重立つた運送は大抵政治の力を以て遣つた、商売人といふものは小商売人であつたから、其国に力あり地位ある人が与からないで済んだ、力あり地位ある人が与からなければ自ら其仕事に就て礼儀も欠け徳義も乏しい、人格も亦従て卑いのである、それで三百年も経過して、維新以後俄に此風が一変して、世界を通じて商売をし欧米の人々と伍を為して取引をするといふ世の中になつたのであるから、総ての日本の商工業者は過渡時代に居ると言はねばならぬ、故に種々なる性質の人が集まつて仕事をするからして、其間には突飛な事もあり不徳義なこともあり不調子の事が甚だ多いのであらうと思ふ、是は歴史が然らしむるのであるからして御諒察を乞ひたい、而して私が斯く申すと商売人の先輩者の如き口吻になつて相済まぬけれども、明治の初からして商工業に従事すると同時に此有様を如何にして行つたら富力も進み人格も高くならうと斯う考へた、其方法として先づ株式会社を進めて行く外ないと思つた、如何となれば押並べて力が細い此商人を各其力を分ちて個々で扱つて居れば何処まで行つても太くなることは出来ぬ、之を合本法に依つて太くする、太くなれば其処に従事する人の位置も高くすることが出来る、随て智識ある人を其間に入れるといふ余地が生ずる、地位も人格も皆以て道徳を増す訳になる、又富も個人々々でするよりは今の方法に依つて進行すれば自然に増し得るであらう、故にさういふ方法が是から先の経済界には必要であらうと自分等は考へたのであつた、爾来殆ど三十年余経営し来つたのであるが先づ其想像は大なる過ちなくして順当に発達し来たと申して宜しい、けれども併し今日未だ以て大なる力が附いたとも言はれぬ、又商業徳義に於ては、自分等の想像よりは其進歩の度合が甚だ卑い、夫に就ては教育が必要だといふ観念から、己れは学問によりて成長した身柄ではないけれども実業には十分なる教育が望ましい、其教育中には科学的の教育ばかりでなく精神的教育も十分に加へて進むやうにありたいと希望して已まぬけれども、未だ今日の所では其教育によりて生育した人ばかりが商工業界を支配するといふ時代までには至らぬ為めでもあらうが、此道徳といふ文字の上から見ても未だ完全といふ位置に至つて居らぬやうである、是等の事を如何なる考を以て処して行つたら
 - 第25巻 p.680 -ページ画像 
道徳も進み人格も上るであらうか、謹で教を乞ふ』といふ問を起した此問に対してラツトの答へた要点は『私が見及んだ所では貴所の御考へなさるよりは大に日本人の性質が道徳の念に強いといふことを十分に申上げられるやうに思ひます、但し一体の人間の成立に於て欧米とは多少の違ひがある、欧米は共に個人資格を重んじて互に約束したことに大層重きを置いてあるからして、其点に就ては大分日本人より勝れて居らうと思ふけれども、君に忠とか親に孝とかいふ所謂古来日本に伝つて居る仁義忠孝といふ観念に就ては、どうも日本の人が吾々欧米人より大に勝れて居ると考へる、仰しやる通り未だ商工業者が世界的の考を以て相当なる学問をしたといふ時代が短いから、今日に於て貴所が不完全と思ふことは或は私が見ても左様な嫌ひが無いとも申されませぬ、けれども今の忠孝といふ方から組立てられた意志で押通す仕事に掛つては、実に日本人は世界無類と申して宜しいので、其一例を申せば軍人である、是は個人々々の契約よりは先づ首脳を戴いてそれに尽すといふ方針だけで行けるものであるからして、誠に心が一致して規律が十分に保持される、而して其間には忠愛の至情もあり忠恕の心もある、誠に至れり尽せりと申して宜しい、斯る性質の国民であるから商売上に対して個々の契約などといふ習慣のない為めに或は間間非難を受けるやうなことがありましても、是は追々に直つて来やうと思ひますから、其様に御心配なさるには及ばない、而して此合本法に依りて社会の進歩、商工業家の人格を高むるといふ方法は至極御尤もであつて、自分等は大に貴所の方針が是から先の進歩に於ても宜しいと考へる』と言はれて、詰り大体に於ては第一の問題には総て完全だとは言へぬ、多少不足に思ふ意味で答へられたが、併し未来に望ありといふ言葉を以て、私の心配した問に挨拶をされたのです
それから続いて、会社といふ問題に就て引続きの問を起したのは『さて此会社でありますが、之に就て少し疑問がある、元来会社仕組といふものは欧米に倣ふて段々出来て居るのであるけれども、亜米利加の現在の会社の有様を見ると、多くは一会社の中に多い資本を持つた種類の人が其会社の大部分を占めて、さうして殆ど其会社の首脳を支配する如き方法が多く行はれて居る、此席には御聴きなすつた御方がございませうが、過日内田総領事が経済学協会に於て亜米利加の会社の有様を丁寧に演説された、私も其事は承知して居る、然るに日本はそうでなくして、今のやうに首脳の力あるものがあるとしても、例へば三百の中百五十五を占めて居つて其の考に依つて右にも左にも勝手に処置することが出来るといふやうな仕組にはせぬ――追てさういふ仕組になるかは知らぬが今日はさうでない、而して自分が理想とする所はどうもさういふやうに唯多数の勢力に依つて少数を圧倒して行くといふことは現在も将来も好まぬやうに思はれる、自然に其人物が好く其行為が適当であつたならば自ら多数の株主が皆それに信頼する、株主が信頼したならば党派を作る必要はない、株主の勢力を争ふこと恰も政事界の党員の如くにして、他の説を排し人を圧追するといふことは殆ど覇道である、権道である、王者の政治とは言はれぬ、併し亜米利加はそういふ有様が専ら行はれる、日本の会社を未来に於てさうい
 - 第25巻 p.681 -ページ画像 
ふ風にするが宜いか或は自分の理想通りにするが宜いか、是は自分の疑ふ点である、此点に対する御説はどうか』と問ふた、之に対しラツトの答へるのには『無論それは貴下の御考の方が私は尤もと思ふ、さういふ有様に総て唯多数で圧倒するといふことは甚だ好ましくない、商売上のことは「モーラライズ」といふことを甚だ必要としなければならぬ、故に自分も今の御説のやうにしたいと考へるからして、貴所の理想は私も全く同意である』といふ意味であつた、又スクレーブといふ人は『独り其説に同意するのみならず、どうも今のやうな成行に任せると唯頭に立つ僅かの人に支配力を集中してしまふといふ嫌がある、申さば其事業に堪能の人物の数を極く小さく纏めて大将と士卒といふものだけにして、其間の将校は無くても済むといふやうになる風になつて、国家の未来に取つて決して喜ぶべきことでない、其中間に立つ人に十分なる脳力十分なる勉強があつて始めて国家といふものは宜しきを得るのである、単に大将・士卒だけでは或る点に於ては結構であるかも知れぬけれども、全体からして甚だ好ましきことでない、是等に於ては殆ど道徳といふよりは其問題が経済に移るからして、先づ道徳兼経済問題といふやうになるであらうけれども、自身ば深くそれを信ずる』といふことを主張しました、其続きでラツト、スクレーブ併せて私も笑ふて言ふたが、日本と米国の間に奇妙な現象が生じた何故なれば亜米利加といふ国は其国体が共和政治で、成るべく多数の勢力を主張して中央集権を嫌ふ国柄と信じて居る、然るに其会社事業は全く専制主義で遣つて居る、日本は其反対の国柄であるが、商工業に於ては成るべく多数の意見に基いて遣つて居る、中には種々の説が生じて一致を欠くといふこともあるが、唯一致といふ点から云へば亜米利加のやうな方法が結構である、併し多数の意向を成るべく容れて事業を大勢でして行くといふ趣意からは、亜米利加の方が大変悪くなる、各其国体と反対の働きを会社事業に向つて為すは妙な訳であると賓主三人の間に一笑話が生じた、蓋し其主義とする所は彼等も私も同じやうに考へられた、詰り一方は学者の説、不肖ながら私は実際家の論で、此点に就ては現在の亜米利加をのみ善良と賞讚する訳にはいかぬやうになりましたのです
続いて更に問題が進んで「トラスト」の事に及んだ、私が問を起して『どうも「トラスト」といふものは決して悪いとは申さぬ、けれども詮じ詰めて行つたならば、丁度一人の力で総ての事業をすると同じやうな結果になる、日本中の米屋を唯一軒にしたならば或は大に米価を安く売るかも知れぬが、反対に又大に高く売るかも知れぬ、相当なる競争が即ち勉強の母といふことは是は事実に於て誠に明かである、然るに「トラスト」制度に依つて唯其権力を一つに集めてしまふと、甚だしきは富者が貧民を苦むるといふ弊害に行き走らぬとも云へぬ、故に亜米利加の大政治家は「トラスト」を殆ど蛇蝎の如く攻撃する、之に反して日本では其攻撃されることを必要として行く傾きがある、但し今日の日本の場合は或る部分に於ては外に対するといふ必要から来るので聊か道理あることであるけれども、若し亜米利加の精神に依つて行き走るならば米国の大統領が之を悪むと同様に日本に於ける正義の
 - 第25巻 p.682 -ページ画像 
人も等しく之を悪むといふことになりはせぬか』此問に対してはラツト、スクレーブの両氏は全く同論で『是は最も宜くない、さういふことになつたら国家は段々に衰微する、此点に就てはどうぞ亜米利加をお見習なさらぬやうにしたい』と、己れ亜米利加人でありながら其事を忌憚なく言はれました、蓋しラツトといふ人は自分が曾て鋼鉄事業に関係し三十余年以前から追々に経営し来つて、丁度三十四・五年頃モルガンが鋼鉄事業を「トラスト」にした時分まで関係して居つたが終に其事業が斯々になつたといふ長い経歴を述べられて而して此「トラスト」は幾多の会社を買潰して十幾億弗の大きな会社にしたが、それが果して亜米利加に於て鉄の価を安くする方法にのみなつたとは言はれぬ、故に左様な事が果して国家の富を増す経済の元素であると云ふことは私は云へぬ、寧ろ唯富む人が己れの品物を高くしたいと云ふだけの方法と誹謗しなければならぬやうになるといふことであつた
続いて一国の富といふことに就て、例えばロックフェラーのやうな人があつて一国の富を少数の人に集めるが宜いか、或は少数の大富豪よりは中位に富む人が沢山あるのが一国に取つて利益であるかと申す問題を生じた、是等は今の「トラスト」問題の解決と同様に、云ふまでもなく余り大きな富む人があつて他は皆貧乏人ばかり出るといふのは決して国の慶事でないといふことは断言するに憚からぬと云ふ答であつた
其他に種々の問題もありましたけれども、大要右等の談話が昨日の会見の要点である、蓋し商業道徳といふよりは少しく経済問題の範囲に及んだのでありませうけれども、玆に於て私が大に発明したことがある、それは何かといふと、多分論語に『仁をなせば富まず、富めば仁ならず』といふ語がある、あれは孔子が甚だ間違つて居るのだと私は思つた、吾々富みは致しませぬけれどもまさか貧者ではない、論語にある『飯疏食飲水、曲肱而枕之、楽亦在其中矣、不義而富且貴、於我如浮雲』と、其様に水ばかり飲んで肱を曲げて枕もなしに寝て居つてそれでなければ仁が出来ないといふのは孔子も野暮な人だ、相応に御馳走を食つても相応に富を作つても仁義は出来る、但し国の富といふものは、其国の人が富まなければ国の富む訳はない、然るに『仁をなせば富まず、富めば仁ならず』といふ語はどうも解釈が出来なかつたが、私風情の今日を富とするから解釈が出来なかつた、真正の富は今のロックフェラーである、即ちロックフェラーが今日の仕方を以て商売をしたならば、果して仁ではないでせう、そこで始めて『仁をなせば富まず、富めば仁ならず』といふ孔子の語が能く解かるやうになつて来る、今日までは自分の如きものを富と考へて居つたから解釈が出来なかつた、富といふものはロックフェラー以上のもので、一国を支配する如き富をなしたら必ず不仁になる、若し仁を行はうとするならばロックフェラーの「トラスト」は出来ない訳である、即ち『富をなせば仁ならず、仁をなせば富まず』といふ孔子の言葉は其意味が広かつたのを私が小さく解釈した為に誤まつたといふことが、漸く解りましたのでございます(拍手)
尚一つ其談話の末に二人の教授が申すには『切角斯やうに談話をして
 - 第25巻 p.683 -ページ画像 
誠に喜ばしく思ふ、貴下は実際に当つて居る人だから、是から先貴下の自ら考へる所に依つて商工業者の人格を高め道徳の進むやうにお努めなさい』といふことを別れに臨んで私に忠告して呉れた、私は是に答えて『有難うござる、不肖ながら今日まで三十年それを心掛け来つたことであるから、老ても尚微力を尽す積りでありますが、幸に諸君は教授を職として居らるゝ方であるから、唯単に此富といふものが人間に必要なものであり国に大事なものではあるけれども、一人一個に対して其金力が盛んであり財産が多いのみを無上の栄誉、無上の成功と信ずる誤解のないやうにしたい、財産を積むといふことは栄誉には相違ないが、其富・其財産は道理に適ふ程度に於て積んだものが一番貴いものであるといふことに解釈されたい、若し左様でないと遂に亜米利加に行はるゝ一部の弊に陥るといふことが無いとも申されませぬ幸に教授は道徳のお人であれば其お心を以て是から先きの教授を希望する』といふ話を致したのであります、それに就て自分が尚考へて見ると、古賢人の語に『君子財多損其徳、小人財多増其過』といふことがありますが、前に申す通りロックフェラーの如く財が多かつたら其徳を損するに相違ない、而して此小人の財の多い為めに其過を増すといふこともある、今日戦後の経済の発達から株式取引所の相場の変動に就て小人の財を増したのが余程多くある、国の富から論ずれば喜ぶべき訳だが、其過が増すといふ点から考へると、何やら怖いやうな恐しいやうな念が生ぜぬとも限らぬのであります、満場の諸君も成るべく財はお溜めになつても、其過ちを増さぬやうにお心掛あらんことを望みます(拍手)
   ○ラド博士ガ華族会館ニ於ケル我国華族団ノ招待会ニ於テ、日本ノ将来ニ関シテ試ミタル演説ハ下記ノ書ニ訳載セラレタリ。「欧米人の日本観」下篇・第八六一―八六五頁、明治四二年四月刊。
   ○ラド博士ハ大正三年日独戦役ニヨリ日本ノ膠州湾攻略中、米国人ノ反日感情ニ対スル弁明トシテ、他ノ諸氏ト共ニ新聞雑誌ニ寄書シテ、日本ノ立場ヲ詳説シ、大イニ米国ノ輿論ヲ訂スニ努メタリ。(川島伊佐美著「日米外交史」第三八九頁ニヨル)
   ○ラド博士ノ意見ハ下記ノ書ニ訳載セラレタリ。大日本文明協会編「欧米人の日本観」下篇・第四四三―四五〇頁、明治四二年四月刊。
   ○ジョージ・トラムバル・ラド(George Trumbull Ladd)一八四八年オハイオ州ニ生ル。牧師、一八八一年ヨリ一九〇一年迄エール大学ノ形而上学・道徳哲学ノクラーク・プロヘッサー(クラーク氏基金ニヨリ任命セラルル教授)トナリ、又同大学大学院ニ於テ哲学ト心理学ノ講座ヲ担当ス。(「エンサイコロペジア・ブリタニカ」一九一一年版ニヨル)