デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

2章 国際親善
3節 外賓接待
14款 其他ノ外国人接待
■綱文

第25巻 p.690-692(DK250102k) ページ画像

明治40年12月3日(1907年)

是日栄一、京浜銀行家有志ト共ニロシア前大蔵大臣シボフ等招待午餐会ヲ坂本町銀行倶楽部ニ開キ、出席シテ挨拶ヲ述ブ。


■資料

竜門雑誌 第二三五号・第五三―五四頁 明治四〇年一二月 ○シポフ氏招宴《(シボフ)》(DK250102k-0001)
第25巻 p.690-691 ページ画像

竜門雑誌  第二三五号・第五三―五四頁 明治四〇年一二月
○シポフ氏招宴《(シボフ)》 市内銀行者有志は過般渡来せる露国前大蔵大臣シポ
 - 第25巻 p.691 -ページ画像 
フ氏を始め一行中の露清銀行頭取プチロフ、シポフ氏秘書バッチヱフ外交官ボーゴヤーブレンスキー氏並に露国公使、財務官及通信員、本邦大蔵大臣等を招待し銀行倶楽部に午餐会を開きしが其席上に於て青淵先生は会衆を代表して一場の挨拶を為せり、其大要左の如し
    渋沢男爵挨拶
 露国前大蔵大臣シポフ君閣下及臨場の諸閣下諸君、我々東京銀行集会所の同業者は今般閣下並に貴一行の諸君が我国に来遊せらるゝを聞き、曾て閣下が貴国の財政経済に鞅掌せられて多大の効果を奏せられたるを欽慕し、我々も同趣味の業務に従事するを以て親しく其謦咳に接して高話を拝聴せんことを企図し今日此席に招請せしに、幸に我々の微志を諒納せられ御多忙の際にも拘らず賁臨せられたるは我々の歓喜する所なり、依て小生は会員を代表し聊か蕪言を述べて謝意を表せんとす
 露国と我邦との国交は頗る長日月の歴史を有することにて、小生の記憶によれば露国の使節の我邦に渡来せしは我が寛政四年(西暦一七九二)を最初とし其三回目嘉永六年七月(一八五三)は今より五十四年前にして、有名なる水師提督フーチヤチン氏が長崎に来航せられ爾後数回を重ね六回目安政五年六月(一八五八)に下田に来り更に品川に廻航して我邦と通商条約を締結せられたり、故に若し米国のコンモドールペリー氏の来航少しく遅延したらんには我日本の長夜の眠を醒覚せし先進国は蓋し露国に在りて存すと言ふべかりしなり、斯く永年の交誼あるに拘らず数年前両国の国交に間隙を生ぜしは我々常に社会の安寧を企望する銀行業者として殊に之を痛惜せしが、幸に平和回復して既往に優れる通商条約締結せられ而かも特別の協約成立するを見るに至れり、斯の如く両国間の民情昔時に倍して互に相親睦するは我々の確信して大に欽喜する所なり、況や露国と我邦とは其地域相接し敦賀と浦塩斯徳港との聯絡は僅に一日半を要するに止まり、更に進で貴国の帝都に到るも西比利亜鉄道のあるあれば十日余にして達するを得るに於ておや、然るに従来両国の貿易未だ発達の域に至らざるは想ふに両国民間に相互の真相の知悉する能はずして其間一溝渠を隔つの嫌あるに座せずんばあらず、故に我々は今般閣下及貴一行の我邦に来遊せられしを好機として相共に前陳の障碍を除却するに勉めて将来両国の貿易に新生面を開き以て大に両国民の公益を増進せんと欲す、吾々は今日の此会に於て満腔の熱誠を以て平生の所感を披瀝し併せて閣下及諸君の健康を祈る


東京日日新聞 第一一一一九号 明治四〇年一二月四日 ○露国前蔵相招待会(DK250102k-0002)
第25巻 p.691-692 ページ画像

東京日日新聞  第一一一一九号 明治四〇年一二月四日
    ○露国前蔵相招待会
渋沢栄一・豊川良平・早川千吉郎・佐々木勇之助・松方巌・佃一予・山口宗義・安田善次郎・大谷嘉兵衛・其他京浜銀行家の有志四十余名は、昨三日目下滞京中の露国前蔵相シポフ氏及び《(シボフ)》一行中のボチロフ、バッチフ、ボーゴヤーブレンスキー三氏、並に本邦駐在露国公使バクメテフ、同財務官ウイレンキン両氏、及び勝田理財局長・添田興業銀行総裁を招待して午餐会を開き、食後渋沢男の挨拶、之に対するシボ
 - 第25巻 p.692 -ページ画像 
フ氏の挨拶ありて午後三時散会したり、渋沢男の挨拶に次いで、シボフ氏は左の通り挨拶せり
    シポフ氏挨拶《(シボフ)》
 渋沢男爵及び諸君
 凡そ海外旅行者の常として、初めての国に到る場合には本国に於て己れの関係すると同様の事業に対して最大の注意を加ふるを普通とする、予は財界事務及び銀行業に関係を有するを以て、貴国に到着するに及んで経済界の重要機関たる銀行其者に対して注意せざるを得ざるなり、即ち貴国の財政に関する統計書の贈与を忝ふし、不取敢一覧したるに、貴国の銀行が殆んど古代欧洲の実況に異らざる旧式制度より一躍して、専門学理的組織に改まりたる其の驚くべき立派なる大変遷は、先以て吾人の感嘆措く能はざる所なり、而して貴国に於ては日本・正金・興業・勧業・拓殖・農工・普通・貯蓄等の各種銀行、及び交換所の如く夫々多数の分業組織を見ることなるが総て此等の各銀行が貴邦国富の発達に対して貢献する所至大なるものあるを以て、此等を代表する諸君に対し此く御挨拶を陳ぶるの機会を得たるは予が大なる幸福とする所なり、諸君願くは日本に対して大なる興味を有する旅行者、但し全然一個人の資格を以てする漫遊者たる不肖一露人の蕪言に対し、数分間の尊聴を煩はすを許されよ、数年前まで日露両国間の距離は実に莫大なるものにして、僅に成立せる取引さへも他国人の仲介を経て行はるゝに過ぎざりしが、今や忝くも西比利亜鉄道は東西に貫通して、往時数週間を費したる海上旅行に代ふるに僅に二週間の陸行を以て東京・モスコウ間の旅程を課《(果)》たすを得るに至れり、而して上記の如きは有形の距離に過ぎざれども、一面両国に於て相互の真想を知悉せざるの一事は、其間の疎隔をして一層大ならしむるものありしを疑はず、今や吾人は御互に心を協せて両国間通商貿易の発達を計り、以て前記の障害を打破し、且新通商条約をして当該両国は勿論、引て他の文明各国にまでも、好果を与ふるものたらしむるやう全力を尽さゞるべからざるなり



〔参考〕(八十島親徳) 日録 明治四〇年(DK250102k-0003)
第25巻 p.692 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四〇年    (八十島親義氏所蔵)
十二月三日 晴 非常ニ寒ク 山ノ手氷張ル 往来ノマキ水氷ル
朝出勤、日露戦争後ハ外国ノ名士来遊多ク殊ニ日仏・日露協約以来ハ是等ノ国人サヘモ来遊ノ都度、東京市ト実業有志者ト聯合シテ歓迎会ヲ開ク事頻々、其度毎ニ無冠ナレドモ渋沢男爵ハ自然ノ首長トシテ総代ヲ勉メラル、即歓迎辞朗読者又ハ食卓演説者ハ男爵ナリ、已ニ今日ノ如キ昼ハ露国前大蔵大臣シポク氏《(シボフ)》ノ歓迎宴(銀行集会所)、夜ハ加奈陀労働大臣レミユー氏ノ歓迎宴(華族会館)等、一日ニ二回アリ、今後日ナラズシテ清国ノ何トカ貝勒 ○貝子載振殿下・韓国ノ報聘大使及皇太子ノ歓迎等モヤラネハナラヌ事ナラン、中々イソガシキ事也
   ○レミユー歓迎会ニ関スル資料ハ本節第十一款(第五九二頁)ニ収ム。