デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

2章 国際親善
4節 諸外国災害救助
3款 南清飢饉救済義捐金募集
■綱文

第25巻 p.745-747(DK250115k) ページ画像

明治40年4月5日(1907年)

是日栄一、外務大臣官邸ニ開カレタル南清饑饉救済会議ニ出席シ、種々協議ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK250115k-0001)
第25巻 p.745 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年    (渋沢子爵家所蔵)
四月五日 半晴 暖             起床七時 就蓐十二時
○上略 十二時外務大臣官舎ニ抵リ、清国ニ関スル談話ヲ為ス、午飧後更ニ協議ヲ尽シテ ○下略


中外商業新報 第七六一一号 明治四〇年四月六日 中清饑饉救済会議(DK250115k-0002)
第25巻 p.745 ページ画像

中外商業新報  第七六一一号 明治四〇年四月六日
    中清饑饉救済会議
林外務大臣は、五日正午官邸に於て阪谷大蔵大臣及び都下実業家渋沢男爵・大倉喜八郎・古市公威外数名を招待し、席上外務省側より石井山座両局長並に大臣秘書官等出席して午餐会を開き、後中清饑飢民救助方法に就き協議したる後、二時散会したり


竜門雑誌 第二二七号・第四一頁 明治四〇年四月 ○南清饑饉救済(DK250115k-0003)
第25巻 p.745 ページ画像

竜門雑誌  第二二七号・第四一頁 明治四〇年四月
○南清饑饉救済 南清饑饉救済に付ては、林外務大臣等の協議もあり旁々先生は右義捐金募集に関し専ら尽力中なりしが、其結果左の義捐を見ることゝなり、本月一日其筋より彼地へ回送済となりし由なり

図表を画像で表示--

                 円                  円 南満洲鉄道株式会社  一五、〇〇〇   横浜正金銀行    一〇、〇〇〇 三井家        一〇、〇〇〇   岩崎家       一〇、〇〇〇 日本郵船株式会社    七、五〇〇   大阪商船株式会社   五、〇〇〇 川崎造船所       七、五〇〇   日本興業銀行     五、〇〇〇 大倉喜八郎氏      二、五〇〇   古河鉱業会社     五、〇〇〇 高田商会        一、〇〇〇   第一銀行       二、五〇〇 東洋汽船会社      二、五〇〇   住友家        二、五〇〇 藤田組         五、〇〇〇   合計 金九万一千円也 




(八十島親徳) 日録 明治四〇年(DK250115k-0004)
第25巻 p.745 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四〇年    (八十島親義氏所蔵)
二月十五日 晴
○上略 午後外務省ニ通商局長石井菊次郎氏ヲ訪ヒ、男爵ノ命ニヨリ清国饑饉救済義捐ヲ関係実業者ヨリ出金振合ノ事ニツキ協議ス ○下略



〔参考〕中外商業新報 第七五一八号 明治三九年一二月一四日 南清の大飢饉(DK250115k-0005)
第25巻 p.745-746 ページ画像

中外商業新報  第七五一八号 明治三九年一二月一四日
    南清の大飢饉
清国南清長江一帯の地方は、米作不況の為め昨今一時に米価騰貴を来し、非常に飢饉の情態に在り、約二千万の人民目下飢饉に迫れるの有様なるに付、之れが救済方法は頻りに上海有志者間に依りて講究せられつゝある由なるが、尚同地駐在の各国領事は領事会議を開き、各其本国に電報して相当の救護を与ふることとなり、本邦領事よりも其旨
 - 第25巻 p.746 -ページ画像 
外務省に通報し来れりと云ふ



〔参考〕中外商業新報 第七五二八号 明治三九年一二月二六日 中清暴徒、長江航路(DK250115k-0006)
第25巻 p.746-747 ページ画像

中外商業新報  第七五二八号 明治三九年一二月二六日
    中清暴徒、長江航路
 此程中清より帰京の湖南汽船会社専務取締役白岩竜平氏が、暴徒事件及航路問題に就き語る所在の如し
白岩竜平氏談……中清暴徒の騒擾に付き各紙伝ふる所事態頗容易ならざるやの観あり、但し余の観察にては世説は稍々誇張に失せざるべきや、其真相は矢張饑饉に窮せる窮民が乱暴狼籍を働き居るに過きざるべし、饑饉の中心は江西・湖南・湖北及河南の四省にして、其程度も世の思ふ如く烈しからず、交通の不便なる為め一部饑饉地方は米穀を得ず、非常の惨況を呈せしより、自然全般に渉りて過大視せられしなり、扨て以上の窮民は各地に浮浪彷徨して昼間は労働を求め、或は職業に従事するも、夜に入れば強盗をなし掠奪を縦ゐまゝにし、官兵は良民と暴徒を甄ち難く、為に発銃の命を奉ぜざることさへ屡々なりきされば乱民は益々増長し騒動愈々誇張せられ、玆に張之洞の練軍繰出しとまでなりしものにて、以上の次第なれば実際掃蕩勦滅せんにも的なきが如くにて、却つて華々しき成効を収め難かりし所以なるべし、或新聞紙の近電には、岳州陥落の報あれど疑ふべし、矢張上海・北京電報の匪徒鎮定の報其真ならん、其証には我会社にては暴徒の中心地たる長沙・湘潭等に支店を有すれど、今に何等の報に接せず、又有名なる萍郷の炭礦には一時同盟罷工等の騒動ありしは事実ならんも、其為め避難せし該鉱雇独人技師七名は、二十五日帰山しクリスマスを挙行すべしとの報を齎らせり、以て該地方の平静を知るべく、益々暴徒の恐るべきものにあらざるを知るに足れり、最も此騒動遷延し、清国の歳旦に及んで尚ほ鎮定せすとせば、広東の革命派は続々中清地方に入込み、各外国に散在する革命思想を懐ける志士相呼応するの憂なき能はず、事玆に至らば、今度こそは節制あり規律ある真の革命軍となり、清国に取りて油々しき大事件を生じ、惹て外交の局面に如何なる大波瀾を起さんも知るべからず
長江航路問題に関し大阪商船・日本郵船・湖南及大東の四会社合同の企あるは貴紙報道の如し、元来長江一帯の地は清国中原の大動脈として列国の凝視する所なれば、各強国の該航路に向ひ万難を排して競争せんとするは独り商業的脚地よりのみにあらず、実に政治的の意味をも抱有せり、去れば我社湖南航路を開始すれば英仏独又直ちに競争線を開くと云ふ有様にして、今や長江一帯の航路は日清英独仏の競争線となり、孰れも一歩も引かぬ決心なるは其営業振りにて知らるべし、現に仏独の両国の如きは後進なる丈け、夫れ丈け競争最も苦心惨憺を極め、或は該航路に直接助成金の給与をなし、又は間接に会社其物に補給金を増加して該航路を奨励する等、工夫至らざるなく、手段尽さざるなし、去れば本邦商船会社にして之等と競争して最後の勝利を占むるには、各社区々の分立をなさんより、各合同一致して勢力を集中するの利益なるは、敢て説明を要せざる所なり、斯て該航路に対しては資本の節用と勢力の集中を以て鋭意経営の工夫を積まば、本邦と清
 - 第25巻 p.747 -ページ画像 
国とは既に地の利と人の和あり、尠くも仏独と対抗して優勝の地位を占むる甚困難ならざるを信ず



〔参考〕中外商業新報 第七五二八号 明治三九年一二月二六日 湖南に反徒猖獗(DK250115k-0007)
第25巻 p.747 ページ画像

中外商業新報 第七五二八号 明治三九年一二月二六日
    湖南に反徒猖獗
湖南に出でたる反徒は、醴陵・湘潭・劉陽を確実に占領したるが、長沙も亦危急旦夕に迫る、反徒の目的は一挙して武昌・漢口に出るにあるものゝ如く、兵士・学生の加盟するもの頗る多し、岳州附近人心の動揺甚しとの情報ありたり



〔参考〕中外商業新報 第七五二九号 明治三九年一二月二七日 南清暴徒の状勢(DK250115k-0008)
第25巻 p.747 ページ画像

中外商業新報  第七五二九号 明治三九年一二月二七日
    南清暴徒の状勢
其筋着電に依れは、南清暴動は依然其勢威を逞ふしつゝありて、湖北より又々萍郷方面に出兵する所ありたり、江西方面の暴徒も未た鎮静に帰せさるものゝ如しと云ふ