デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 竜門社
■綱文

第26巻 p.130-133(DK260029k) ページ画像

明治24年4月12日(1891年)

是日栄一、当社春季総集会ニ出席シ「政治家及学士諸君ニ望ム」ト題シテ演説ヲナシ、尚、六月・八月ノ月次会ニ出席シテ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第三五号・第六六―七一頁 明治二四年四月 春季総集会之記(DK260029k-0001)
第26巻 p.130-132 ページ画像

竜門雑誌  第三五号・第六六―七一頁 明治二四年四月
    春季総集会之記
明治廿四年四月十二日、本社春季総集会を王子曖依村荘に開く、是より先き数日在京及近県之社員諸氏へ左の
 拝啓、来る十二日王子曖依村荘に於て本社春季総集会相催し、社中は勿論社外之学士・名士も出席致し演説有之候に付、同日午前九時より御知人御同伴御来会被下度候、桜花は笑て諸君を迎へ百鳥は囀て諸君と語らんとて相待居申候 早々拝具
                   竜門社々長
  明治二十四年四月二日          渋沢篤二
 追而当日準備之都合も有之候間、来る八日までに御来否之御報相願度候
案内状を発す、其数大凡百数十通なり、社員中接待委員なる十数名の諸氏ハ早朝より来会して諸事の準備をなし、門前にハ竜門社春季総集会と大書したる札を押立て、庭園の入口にも亦同様なる建札を為し、庭上にハ各国の信号旗数十旒を翻へし、数百の球灯を懸け連ね、庭中各処に掛茶屋をなし、椅子・腰掛・煙草盆等の配置等、万事に注意して来会者を待ち受けたり
青淵先生及同令夫人ハ前夜より来会せられ、其他ハ午前九時より続々来
 - 第26巻 p.131 -ページ画像 
会するもの渋沢社長・穂積法学博士・同令夫人・阪谷文学士・穂積文学士等の名誉員を始め、浅野総一郎君・谷敬三君・和田格太郎君・朝倉法学士・尾高幸五郎君・星野錫君・福岡健良君・田中栄八郎君・山中譲三君・萩原源太郎君・諸井恒平君・諏訪法学士・尾高次郎君等、其他百数十名の特別員・通常員にして、客員にハ矢野代議士・高等商業学校長・角田代議士・添田文学士・同令夫人・田口卯吉君、成瀬・森島の両高等商業学校幹事、伴直之助君・木村清四郎君・三木実君・野崎広太郎君其他数十名なり、庭園の入口にて来会者へ左の
  四月十二日於王子曖依村荘
    竜門社春季総会
      演題並運動番組
    演題
  開会之趣旨            社長
  実業家諸君ニ望ム         朝倉外茂鉄君
  頭ハ頭タラサルヘカラス      阪谷芳郎君
  演題未定             穂積八束君
  殖民移住ハ遠図ニシテ且ツ急務ナリ 伴直之助君
  実業教育             角田真平君
  実業家ニ告ク           穂積陳重君
  南洋土産             田口卯吉君
  勉強之説             添田寿一君
  政治家及学士諸君ニ望ム      青淵先生
    立食


      休憩
             円遊
      余興  三遊亭遊三 其他三十余名
             円太郎
    運動番組
  第一 旗取競争           二回
  第二 瞑冒競争           三回
  第三 拾菓競争           二回
  第四 戴嚢競争           三回
  第五 一脚競争           三回
  第六 二人三脚競争         二回
  第七 幼年徒歩競争         一回
  第八 徒歩競争           三回
  第九 角力             数回
  第十 撃剣             数回
プロクラムを渡し庭園に案内す、それより来会者ハ各自思ひ思ひに庭中を逍遥し、甘酒屋・煮込屋・茶屋等にて随意に飲食し園遊をなす、午前十時半演説会場を開き各員順次に演説あり、何れも着実有益なる明論卓説にして、拍手喝采の中に閉場す、時ニ殆んと午後一時なり、それより兼て設けの食堂に至りビールを傾け、支那料理の立食をなす此時喇叭を吹き鐘皷を打ち立てゝ真先きに大旗を押立て入り来りたるは、三遊派の連中四・五十名の一隊にて、一同揃ひに出立ち庭中に繰り込み、庭上にて各自得意の芸尽し数十番をなし、其興味書くもなか
 - 第26巻 p.132 -ページ画像 
なか愚かなり、午後三時より更に運動会を催したり、運動会ハ第一より順序に相催し、毎次其一着・二着を受賞者とす、其番組の外三遊派の連中にて数番の競争あり、円遊・遊七・遊一等ハ一着或は二着の賞与を受けたり、第十番まての運動全く相済み、受賞者へハ穂積令夫人より賞品を授与せり、式全く終り一同歓を尽して開散したるハ、午後五時過る頃なりき、王子発六時十四分の汽車為に一層の雑沓を覚へけりとなん、因にいふ、此の総集会に付会員或《(金カ)》ハ物品を寄附せられる諸君は左の如し
  一金四十円             青淵先生
     外ニ金拾円
  一金三円              穂積博士
  一金三円              阪谷学士
  一金三円              穂積学士
  一金弐円
                    渋沢社長
  一書籍数十冊
  一ラカビール壱ダース        札幌麦酒会社
右は社員一同か厚く感謝する処なり
   ○栄一ノ演説筆記ヲ欠ク。


東京経済雑誌 第二三巻第五六八号・第五四七―五四八頁 明治二四年四月一八日 ○竜門社春季総集会(智斎記)(DK260029k-0002)
第26巻 p.132 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

竜門雑誌 第三七号・第四三―四五頁 明治二四年六月 ○本月の月次会(DK260029k-0003)
第26巻 p.132-133 ページ画像

竜門雑誌  第三七号・第四三―四五頁 明治二四年六月
○本月の月次会 は第一国立銀行朝鮮仁川支店在勤の土岐僙君の一時帰朝せしを機会とし、去る十一日午後七時より兜町渋沢邸に開会したり、同日は非常の盛会にして、会するもの社長を始め青淵先生・同令夫人・穂積博士・同令夫人・阪谷学士・穂積学士・浅野総一郎君・同令夫人・同令嬢・朝倉学士、其他五十余名なり・又来賓にハ成瀬・森島の両高等商業学校幹事及穂積重穎君等にして、渋沢社長は先つ壇に上りて実力を貴ふ所以を陳べ、尾高次郎君は統計の必要を説き、吉岡新五郎君は毎月次会に社員は相互に談笑して親睦すべきことを望む旨を述へ、土岐僙君ハ例の解頤にして且能弁なる舌鋒を以て、彼の朝鮮の人情風俗を詳述し、官妓《キーサン》の艶麗、戴夫の異状、市街・河川の不潔、労働社会の曚昧其他種々実情を縷陳して、我国に対照し一々之れを評したり、朝倉学士ハ難きを取るの要を述べ、艱難汝を玉にするの格言の如く、自家経歴上に就て其利益多かりしことを説き、阪谷学士は、近者英国より帰朝せし知人に会し、彼国の総理大臣の安否を尋ねたるに、ドノ総理大臣なりやと反問せられたるに感したりとて、英国にハ総理大臣一人にあらすして、内閣総理大臣と英蘭銀行総裁及ひタイム
 - 第26巻 p.133 -ページ画像 
ス新聞の社長を三人の総理大臣として併ひ称し、国人は常に此の三大臣の挙動に注目して国家の安危を卜すといふ有様なりと陳へ、我国にハ一の総理大臣あるのみを慨き、実業家の総理大臣、輿論の総理大臣を作らさるへからさるを陳へ、彼には三つの総理大臣の候補者たるもの夥多なるに、我にハ一の総理大臣の候補者さへ容易に見出す能はさるを嘆し、益進んて各種多数の総理大臣候補者を我国に出さゝるへからすと奨励し、内閣総理大臣たるより寧ろ民間実業の総理大臣たるの勝れる所以を述へ、終りに臨んて、近時実業社会に往々破廉恥者ありて徳義の何物たるを知らさるの行為あるを指摘し、一々之れを排撃して徳義を重するの気風を養ふにあらすんは、各種の総理大臣を作る能はすとて壇を下り、成瀬修蔵君は欧米巡遊中の見聞を述へ、外国に在る我商人の有様に就て望む所ありとて、勤勉貯蓄の必要を説きたり、最後に青淵先生登壇して、近来徳育の衰へたるを慨嘆して、其一日も欠くへからさる所以を丁寧反覆せられ、之れを修むるにハ先つ一の守る処を定めて之れを実行し、愈完全の道徳を修むへき旨を詳説せられたり
右演説を終り、更に余興として別席に於て三遊亭円遊の野晒及地獄巡りの滑稽落語あり、茶菓の饗応等ありて各自充分の歓を尽し、解散せしは午後十一時過なりき
   ○栄一ノ演説筆記ヲ欠ク。


竜門雑誌 第三九号・第三四―三五頁 明治二四年八月 ○臨時月次会(DK260029k-0004)
第26巻 p.133 ページ画像

竜門雑誌  第三九号・第三四―三五頁 明治二四年八月
○臨時月次会 七・八月は炎暑甚しき頃なれはとて毎年月次会は休会するの例なりしか、我か社長渋沢篤二君は志を齎らして九州地方へ漫遊せらるゝにより、其留送別を兼ねて臨時月次会を去る九日午後六時より兜町渋沢邸に開会したり、青淵先生・同令夫人・穂積博士・同令夫人・阪谷学士・同令夫人・穂積学士・朝倉学士・山中譲三君・原林之助君・村井清君其他数十名の来会者あり、来賓には角田真平君等ありて、先つ社長は演壇に上りて留別の意を述へ、其熊本に赴くの趣旨を告く、次に尾高次郎君・斎藤峰三郎君送別の辞を述へ、次に村井君送辞を陳ふ、次に角田君経済上の議論より結局送辞を述へ、穂積博士教育の方針及び送辞を述へ、次に朝倉学士、次に阪谷学士送辞を述へ最後に青淵先生実歴談を以て規諭送別せられて閉場し、更に別室に於て茶菓の饗応あり、夫れより柳や小さんの落語数番ありて、解散したるハ午後十二時過なりき
   ○栄一ノ談話筆記ヲ欠ク。



〔参考〕竜門雑誌 第四〇号・第三三頁 明治二四年九月 ○社長代理者(DK260029k-0005)
第26巻 p.133 ページ画像

竜門雑誌  第四〇号・第三三頁 明治二四年九月
○社長代理者 渋沢社長熊本在学と事極まらば、余輩は本社の為に其の代理者を撰定せさるへからす、依て先月の月次会に於て阪谷学士に其の代理者たらんことを請ひ其承諾を得たり、故に渋沢社長の不在中本社一切の社務ハ阪谷社長代理者の指揮に随ひ取扱ふ事とせり、社員諸君ハ此の意を領せられよ