デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

3章 道徳・宗教
5節 修養団体
1款 竜門社
■綱文

第26巻 p.281-282(DK260053k) ページ画像

明治34年5月19日(1901年)

是日栄一、当社第二十六回春季総集会ニ出席シ、一場ノ挨拶ヲナス。更ニ六月・九月ノ月次会ニ出席ス。


■資料

竜門雑誌 第一五六号・第四四頁 明治三四年五月 ○本社第二十六回総集会(DK260053k-0001)
第26巻 p.281 ページ画像

竜門雑誌  第一五六号・第四四頁 明治三四年五月
    ○本社第二十六回総集会
本社第二十六回総集会は本月十九日午后一時より日本橋倶楽部に於て開かれたるか、来会者は青淵先生・穂積・阪谷両博士・本社々長を始め、来賓には福地源一郎氏ありて、社員の来会するもの無慮三百名の多数に上り、非常なる盛会なりし、先づ社長渋沢篤二君の開会の辞あり、亜で福地源一郎君の師弟の情義礼譲等に就て、慷慨的演説ありたる後、阪谷芳郎君立て、今日の際余が専門とする財政上のことに就て論ずる能はされば、過去の歴史を述べんとの前置きを為して、朝鮮問題と帝国財政の関係を、上古神功皇后の三韓征伐より起して今日に及び有益なる演説ありたり(福地・阪谷両君の演説は次号に掲載せん)右終て青淵先生の挨拶あり、夫れより来会者一同庭園に入り、各自思ひ思ひに予て用意せる仮装店舗に就て酒食を終り、三々五々庭園散策の間に旧を談じ新を語りて、和気靄然たり、此間不絶陸軍々楽隊の奏楽ありて興を増し、やがて午后五時と思ふ頃より松林伯知の講談・三遊亭遊三の落語等あり、一同歓を尽し黄昏に入りて散会せり、因に記す、当日は諸方より種々なる金品の寄贈ありたるも、そは次号に於て披露すべし、今当日出席者の芳名を録せんに左の如し
△名誉社員   青淵先生  同令夫人
 穂積陳重君  同令夫人  阪谷芳郎君
 渋沢社長   同令夫人
△社員(出席順) ○下略
   ○栄一ノ挨拶筆記ヲ欠ク。


渋沢栄一 日記 明治三四年(DK260053k-0002)
第26巻 p.281 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三四年    (渋沢子爵家所蔵)
五月十九日 晴
○上略 日本橋倶楽部ニ抵リ ○午後竜門社ノ春季総会ニ出席ス ○下略


竜門雑誌 第一五七号・第五一頁 明治三四年六月 本社談話会(DK260053k-0003)
第26巻 p.281-282 ページ画像

竜門雑誌  第一五七号・第五一頁 明治三四年六月
    ○本社談話会
本社談話会は本月十五日午後七時より銀行集会所楼上に於て開会、青淵先生及渋沢社長を始め、五十余名の出席あり、青淵先生を中心として時事談を聞けるあれば、三々五々雑談の間に交誼を温むるあり、談笑楼内に満ること二時間余、各社員の談も漸く尽きんとする際、渋沢社長の紹介に依て郵船会社員法学士伊吹山徳司君、英国に於ける海運問題と云ふ演題にて、第一海外諸国に於ける海運保護の結果、英国の汽船会社が一般に難境にあること、並に之を保護することに就て大問
 - 第26巻 p.282 -ページ画像 
題の興起せるを説き、第二に従来船舶の荷物積載には何噸以上を積むべからずと云ふ程度ありしも、近来に於ては海難の多くは空船なるを以て、或度まで船脚を海水に沈むるにあらずんば航海すべからずといふ、即ちアンダー・ロード・ライン問題の起れること、第三に万国海上法のこと、第四蒸汽動力に用ゐる石炭を廃して石油を用ゐんとする問題、第五にロンドン港の狭隘なる為め、ロチヱスターに築港問題の起れること等を演述せられ、各社員非常の歓を尽して午後十時散会せり、今当日出席者の芳名を録せんに左の如し
△名誉社員  青淵先生  渋沢社長
△社員(出席順) ○下略


渋沢栄一 日記 明治三四年(DK260053k-0004)
第26巻 p.282 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三四年     (渋沢子爵家所蔵)
六月十五日 雨
○上略 午後兜町ニ帰リ、食事後銀行集会所ニ抵リ、竜門社月次会ニ出席ス ○下略


竜門雑誌 第一六〇号・第四〇頁 明治三四年九月 ○本社第八回月次談話会(DK260053k-0005)
第26巻 p.282 ページ画像

竜門雑誌  第一六〇号・第四〇頁 明治三四年九月
    ○本社第八回月次談話会
本社第八回月次談話会は、例の如く本月十四日(第二土曜日)午后七時より東京銀行集会所楼上に於て開会し、出席者は青淵先生・社長以下三十余名にして、先生には同夜、ペルリ氏に続て特命全権公使となりて本邦に来り安政の日米条約を締結したるハルリス氏の日記(本書は栗野公使か米国に於て求めたる珍書にして、福地源一郎氏の翻訳に係れり)中より、ハルリス氏が堀田閣老と条約締結当時の談判に関するものを朗読せられ、且つ之に加ふるに当時の我国の状況に就き先生の今昔談等ありて、社員一同非常の感に打たれ午后十時散会せり、今玆に当夜出席者の芳名を録せんに左の如し
 名誉社員  青淵先生  渋沢社長
 社員(出席順) ○下略
   ○栄一ノ談話筆記ヲ欠ク。


渋沢栄一 日記 明治三四年(DK260053k-0006)
第26巻 p.282 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三四年    (渋沢子爵家所蔵)
九月十四日 晴
○上略 夜食後竜門社月次会ニ出席シ、安政ノ初年米国公使ハルリス我邦ニ来リ、始テ条約ヲ締結セシ奉使日記ナルモノヲ、会衆一同ニ談話ス日記ハ蓋シ四十年前ノモノニシテ、曩ニ栗野公使カ米国ニ於テ得タルトテ福地桜痴ニ送リシヲ、桜痴翻訳シテ余ニ送リタルナリ、日記ニ依テ当時ヲ想見スルニ、或ハ感慨ノ事アリ、或ハ抱腹ノ事アリテ、事々ハルリス氏カ一意忠実ニ我邦ヲ誘掖セシハ、今尚感スルニ余リアルヲ覚フ、而シテ此誘導ニヨリテ今日アルヲ得タルハ、実ニ我邦ノ幸慶ト云フヘシ、今此書ヲ読テ当時ヲ追懐スレハ、啻ニ今昔ノ感ノミナラス実ニ隔世ノ夢ヲ談スルノ想アルナリ、畢テ夜十二時王子ニ帰宿ス