デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
1款 東京商法講習所
■綱文

第26巻 p.554-564(DK260086k) ページ画像

明治15年3月28日(1882年)

是日、東京府下銀行業者ノ第一回臨時集会、木挽町ノ商法会議所ニ於テ開催セラレ、当講習所寄附金ノ件ニツキ協議ス。栄一ソノ間ニ斡旋シ、四月
 - 第26巻 p.555 -ページ画像 
八日ノ第二回臨時集会ニ於テ寄附金額ヲ決定ス。


■資料

集会録事 明治一五年一月―明治一九年一二月(DK260086k-0001)
第26巻 p.555-556 ページ画像

集会録事  明治一五年一月―明治一九年一二月
                  (東京銀行集会所所蔵)
    同業者第一臨時会仮録事
明治十五年三月廿八日午後五時下当府下同業者ノ第一回臨時集会ヲ木挽町商法会議所ニ於テ開設シ、商法講習所寄附金ノ協議ヲ為ス、其略左ノ如シ
 但第三十銀行、菱川銀行、壬午銀行ハ事故アルヲ以テ参会セス
 第三銀行、第廿四同支店、第八十九銀行支店、掛川銀行、旭銀行ハ無届不参
 第六十三銀行支店ハ府庁ノ沙汰ナキヲ以テ参会セス
    会員 但△印ヲ付スルモノハ同盟外ナリ
   第一国立銀行             渋沢栄一
   第五同                和田忠太
   第廿同                杉山勧
                      渡辺治右衛門
   第廿七同
                      安藤利助
   第四十四同              袖山益衛
   第四十五同              堀田祥治
   第六十同               関岡孝治
   第九十五同              丸岡勘造
   第百同                原六郎
   第百十二同              田中洋之助
   第百十九同              村瀬十駕
   第三十三同              河村益衛
   第四同支店              大泉遵𧥮
   第六同                山本鎗次郎
   第八同                松田金三郎
   第十同                小野金六
   第十三同               芦田順三郎
   第十四同               蜷川絹《(蜷川緝カ)》
   第十九同               代理同人
   第廿八同               清水豊平
   第三十二同              山中隣之助
   第六十二同              佐藤八次郎
   第九十三同出張所           田中銀蔵
   第百七同支店             松尾好国
   第百八同               前山孫九郎
   第百十三同              鈴木重恒
   安田銀行               塩崎善郎
   丸家同                近藤孝行
   川崎同                山田幾太郎
  △第十五国立銀行            柏村信
  △三井銀行               田中九右衛門
 - 第26巻 p.556 -ページ画像 
  △第百卅二銀行支店           杉浦義礼
  △第百卅六同              宮崎斉
  △第二同出張所             小林茂兵衛
  △第九十同               千葉祐賢
  △貯蔵銀行               原六郎
  △明辰同                山上重光
  △東濃同                加藤嘉庸
  △東北同                平井雄介
  △丸三同                石橋宇吉
   久治米同               田村志気太郎
     以上四十一行
 傍聴員                  永島良行
      以上
渋沢栄一ハ商法講習所維持法ノ義ニ付、去ル廿四日府知事閣下ヨリ談示セラレタル要旨ヲ演述シ、其奉答ノ大旨出金ノ可否ヲ云ヲ定メン事ヲ陳ヘテ之ヲ衆議ニ付セリ
皆其分ニ応シ多少出金スヘキ事ヲ云ト雖ヘトモ年々之ヲ課出スルハ甚タ悦ハサル所ナルヲ以テ、此度限リ相当ノ醵集ヲ為シ一時ニ之ヲ寄附シ、以テ将来此事ノ勿ラシメン事ヲ望ミ、此議ニ決定ス
右ニ付出金ノ総高及各行負担スヘキ割合ノ予算取調ノ為メ出席員中ヨリ予算委員七名ヲ撰ムヘキ事ニ議決シテ投票ヲ行フ、多数ニヨリテ左ノ各行其撰ニ当ル
 第一国立銀行  第十五国立銀行  第百国立銀行
 第廿国立銀行  丸家銀行   三井銀行
 第卅三国立銀行
渋沢曰ク、抑々此予算ノ目安タル何ニ拠リテ之ヲ起スヘキ歟、人別割又ハ資本高割ヲ用ユルトセハ固ヨリ委員ヲ撰ムヲ要セサルニ付、玆ニ各位ノ説ヲ恢聞シテ其大体ヲ予定セン事ヲ望ミタリ、衆皆之ヲ委員ノ考按ニ任セント云
但シ第百十九国立銀行ハ其予算ニヨリ出金割合ノ分ニ応シ難キ事アレハ、臨時之ヲ謝絶スル事アルヘキ旨ヲ陳ブ
第六十国立銀行モ亦第百十九銀行ニ同意ノ旨ヲ表セリ、第九十国立銀行出張所ハ此挙ニ同意ナリト雖トモ、本店ヘ照会ノ上ナラテハ決答ナシ難キ旨ヲ陳ヘタリ
右ニ付予算委員ハ追テ同僚ノ集議ヲ為シ、予算割合ヲ起草シタル上尚協議スヘキ事ヲ約シテ八時下退会ス


集会録事 明治一五年一月―明治一九年一二月(DK260086k-0002)
第26巻 p.556-557 ページ画像

集会録事  明治一五年一月―明治一九年一二月
                  (東京銀行集会所所蔵)
    予算委員集会録事
明治十五年三月三十日午後第四時ヲ以テ予算委員第一国立銀行渋沢栄一・第十五同柏村信・第廿同杉山勧・第百同原六郎・三井銀行三野村利助・丸家銀行近藤孝行ノ諸氏万町柏木ニ集議シ、同業各行ノ支出スヘキ費額ヲ予定スル事別紙割合書ノ通リ、而シテ来ル八日商法会議所
 - 第26巻 p.557 -ページ画像 
ニ於テ右予算ノ協議会ヲ開クヘキ事ニ決シテ同九時退会セリ
 但第三十三銀行頭取河村伝衛氏ハ、当日事故アリテ参会セサルノ断アリ


集会録事 明治一五年一月―明治一九年一二月(DK260086k-0003)
第26巻 p.557-558 ページ画像

集会録事  明治一五年一月―明治一九年一二月
                  (東京銀行集会所所蔵)
    商法講習所寄附金予算
一 千三百円              第十五
一 六百円               第一
一 〃                 三井
一 三百円               第四十四
一 二百五十円             第三
一 〃                 第五
一 〃                 第三十
一 二百円               第三十三
一 〃                 第百十九
一 〃                 第二十
一 〃                 第六十
一 〃                 第二十七
一 〃                 第二出張所
一 〃                 第十三支店
一 〃                 安田銀行
一 〃                 川崎銀行
一 百五十円              第百
一 〃                 第九十五
一 百円                第四十五
一 〃                 第百十二
一 〃                 第三十二支店
一 〃                 第百七〃
一 〃                 第四〃
一 〃                 第六〃
一 〃                 第十〃
一 〃                 第六十三〃
一 〃                 第八〃
一 〃                 第十四〃
一 〃                 第十九〃
一 〃                 第八十九〃
一 〃                 第百十三〃
一 〃                 第廿八〃
一 〃                 丸家銀行
一 〃                 久治米銀行
一 〃                 東北銀行
一 〃                 東濃銀行
一 〃                 丸三銀行
 - 第26巻 p.558 -ページ画像 
一 百円                壬午銀行
一 五十円               第九十三出張所
一 〃                 第百八支店
一 廿五円               第百三十二〃
一 〃                 第百三十六〃
一 〃                 第六十二〃
一 〃                 第廿四〃
一 〃                 第九十出張所
一 〃                 掛川銀行
一 〃                 菱川銀行
一 〃                 貯蔵銀行
一 〃                 明辰銀行
一 〃                 旭銀行
  合計八千円             〆五十行


集会録事 明治一五年一月―明治一九年一二月(DK260086k-0004)
第26巻 p.558-560 ページ画像

集会録事  明治一五年一月―明治一九年一二月
                  (東京銀行集会所所蔵)
    同業者第二臨時集会仮録事
明治十五年四月八日午後第六時府下同業者ノ第二臨時会同ヲ木挽町商法会議所ニ於テ開設シ、客月三十日予算委員ノ集議ニ於テ予定シタル商法講習所寄附金割合高ノ協議ヲナス、概録左ノ如シ
    ○出席会員 △印ヲ付スルハ同盟外
予算委員
   第一国立銀行           渋沢栄一
  △第十五同             遠田甚輔
   第二十同             杉山勧
   第百同              原六郎
  △三井同              田中九右衛門
   第五同              和田忠太
   第廿七同             安藤利助
   第四十四同            袖山益衛
   第四十五同            堀田祥治
   第百十九同            村瀬十駕
   第六同支店            鈴木駅次
   第八同              松田金三郎
   第十同              小野金六
   第十三同             芦田順三郎
   第十四同             蜷川緝
   第十九同             上平貞一郎
   第三十二同            山中隣之助
   同                上田吉輔
   第百七同             松尾好国
   第百八同             山川均一郎
   第百十三同            鈴木重恒
   第九十三同出張所         田中銀蔵
 - 第26巻 p.559 -ページ画像 
   川崎銀行             神谷吉兵衛
   同                山田幾太郎
  △第二同出張所           小林茂兵衛
  △第九十同             千葉祐賢
  △第百卅二同支店          杉浦義礼
  △第百卅六同            中村健太郎
  △丸三銀行             石橋卯吉
  △久治米同             久治米半吾
  △東北同              和久井久次郎
  △東濃同              中勘弥
  △壬午同              野村潤次郎
  △旭同               横井忠時
     已上三十二行人員三十四名
    ○当日事故アルヲ以テ欠席ヲ報シ、割合ノ通出金ノ承諾有之分ハ左ノ六行ト為ス
   第三十三銀行  第百十二銀行
   第廿八同支店  第六十二同支店
   丸家銀行    東京貯蔵銀行
    ○又当日不参、出金高ニ異議アルハ左ノ四行トナス
金百円ヲ極度トシテ出金スヘシ
                   第六十銀行
金三十円ヲ限リ出金スヘシ
                   第八十九同支店
金廿円ヲ出金スヘシ
                   明石貯蓄銀行
総体資本金高ニ割合出金スヘキ事ヲ望ム旨申出タリ
                   第六十三同支店
  但第廿四支店ハ目下改革中ニ属スルヲ以テ、出金ナシ難キ旨申越タリ
    ○無届不参ハ左ノ七行トス
   第三銀行  安田銀行
   第三十同  第九十五同
   第四支店  掛川同
   菱川同
      已上
渋沢栄一ハ前会ノ委托ニヨリテ此割合ヲ予定シタル要旨ヲ演述シ、次ニ第六十外三行ノ異見書ヲ一読シテ会員ニ報道シ、而シテ原按割合高ノ決定アラン事ヲ告ケリ
丸三銀行ハ廿五円ヨリ少カラス五拾円ヨリ多カラサルノ出金ヲナスヘキ旨ヲ陳ブ
第六支店ハ更ニ資本高ニ割当テ出金スル方可ナラント云
第三十二支店山中隣之助曰、抑此委員タル初メ生等カ確信スル処ノ人ヲ撰挙シテ此予算ヲ委托シタルモノナレハ、原按ニ従テ固ヨリ異議ナカルヘシ
 - 第26巻 p.560 -ページ画像 
第百十九村瀬十駕曰ク、本行ノ出金高ヲ以テ之ヲ第十五及第一ニ比スレハ、其割合ノ甚タ強キヲ見ル故ニ金七十円ヲ限リ出金スヘシ
「第四十四ハ予算割合ノ半額ヲ出金スヘキ旨ヲ述フ」
第十三支店ハ当支店ハ出金高ノ割合稍々強シ、故ニ外支店ノ例ニ効ヒ出金スヘキ事ヲ望ム
第卅二支店山中隣之助曰ク、生曩キニ此原按ヲ得ルヤ直ニ本店ヘ向ケ各行此割合ヲ以テ出金スヘキ事ニ決セハ亦之ヲ専行スヘキ旨ヲ照会セリ、然ルニ今之ヲ左右スル事ヲ得ハ亦其減少ヲ望ム者ナリ
壬午銀行曰ク、本行創立ハ実ニ客月七日ニ在リテ未タ株金収領ノ完備ヲ得ス、故ニ金廿五円ニ引直シアラン事ヲ望ム
委員ハ更ニ右ノ事由ヲ報道シテ之ヲ引直セリ、第百七・第十四・第十九・第九十三・第廿七・川崎等ノ諸行陸続顰ニ効ヒ滅少論ヲ紛出セリ委員ハ此予算ノ無効ニ属セン事ヲ恐レ、百方力ヲ尽シテ之レカ弁明ヲ加ヘ、已ムヲ得サル情実アルノ外原按ニ基キ更ニ別紙割合ノ通出金スヘキ事ニ決シタリ
渋沢曰ク、東京株式所ヨリモ亦此寄附金ヲ為スヘキニ付テハ銀行者ノ驥尾ニ加入シテ共ニ出金セン事ヲ望ミタル事由ヲ陳ヘ、之ヲ会員ニ謀ル、皆其差支ナキ旨ヲ答フ
右ニ付同業者ノ出金ト共ニ納付スヘキ事トナシ、而シテ此金額ハ振出手形又ハ約束手形ヲ以テ一時ニ之ヲ寄附シ、折半ハ本年下半季ニ之ヲ出金シ、其半額ハ十六年上半季ヲ以テ皆納スヘキ事ニ可取斗旨ヲ約シテ午後九時下退会ス


集会録事 明治一五年一月―明治一九年一二月(DK260086k-0005)
第26巻 p.560-561 ページ画像

集会録事  明治一五年一月―明治一九年一二月
                  (東京銀行集会所所蔵)
    四月八日集議ニヨリテ左ノ如ク決定ス
一 千三百円              第十五国立銀行
一 六百円               第一同
一 六百円               三井銀行
    右三行多少増額相成ルヘキ筈ナリ
一 二百五十円             第五国立銀行
一 二百円               第廿同
一 同                 第廿七同
一 同                 第三十三同
一 同                 第二同出張所
一 同                 第十三同支店
一 同                 川崎銀行
一 百五十円              第百銀行
一 百円                第四十五同
一 同                 第百十二同
一 同                 第六支店
一 同                 第八同
一 同                 第十同
一 同                 第十四同
 - 第26巻 p.561 -ページ画像 
一 同                 第十九同
一 同                 第廿八同
一 同                 第三十二同
一 同                 第百七同
一 同                 第百十三同
一 百円                丸家銀行
一 同                 丸三銀行
一 同                 久治米銀行
一 同                 東北銀行
一 五拾円               第百八支店
一 廿五円               第六十二同
一 同                 第九十出張所
一 同                 第百三十二支店
一 同                 第百三十六同
一 同                 貯蔵銀行
一 同                 旭銀行
一 同                 明辰銀行
    右三十一行原按割合ノ通承諾
一 二百円
一 百円
一 同
一 廿五円
一 同
    右五行分減省
右合計六千二百七十五円
 但
  不参ノ諸行ハ追テ照会ノ筈ナリ


中外物価新報 第四八六号 明治一五年三月二五日 【○昨夜東京府知事は東…】(DK260086k-0006)
第26巻 p.561-562 ページ画像

中外物価新報  第四八六号 明治一五年三月二五日
○昨夜東京府知事は東京の各銀行・各会社其他重立たる商人凡百五六十名を招き、夕五時頃より一同参集し各議事堂の席に就きしかは、府知事は出席あり一応の礼畢りて左の演説を為せり、其大要は、予て東京府下に設けある商法講習所は此府下に有益なること固より言ふを竣たす、今其沿革を云へは、其初めは共有金を以て維持し、後ちに変して府税の中より支給せしか、昨年に至り府下の経営困難を極めたれは、其有益なるを認めなからも府会は此費を支出するを好ます遂に之を廃除せり、然れ共余は府下に欠く可からさるを思ひ、政府に乞て一万円許の金を得て該所を維持したり、続て今年も之を乞ひしに、政府も此校の有益なるを知れは敢て金額を吝むにあらされと、元来之を府立とするには府民に於て経費を出し、其不足を助成する事なれば允許もあるへきか、若し府民にして毫も出金せす啻に政府の金のみを以て維持するは則ち官立にして、或は文部省・農商務省にて設立せらるへき様子なり、乍去弥官立となる時は商家の子弟を教育するに遺憾なき能はさるは諸君の熟知せらるゝ所なり、加之他の地方に於ても既に商法学
 - 第26巻 p.562 -ページ画像 
校設立の挙あれば、政府は是等の地方に向て助成せらるゝやも測り難し、我が東京は商を以て成立つ地にして且日本の首府なれば、商家の子弟を教育する一学校なくして可ならんや、仮令教育を直接に受けざる人と云へども、間接には其利益を受るものなり、唯其教育上の細則に至ては多少の異見もあるべけれど、大体上において聊も間然するものあるべからず、我職掌に於ても此学校の隆盛に至り府下に益するを望む所なり、況や府商にして之を望まざるものあらんや、又況や府商の奮発によりては政府も助成あるに於てをや、故に此学校の廃立は諸君奮発の如何に由るのみ、故に余は諸君と協議して此校の維持法を定めんと欲す、約言すれば、諸君に寄附金を慫惥するに在りて、即ち昔旧幕府の頃なれば御用金を申付るなり、併し彼と是とは大に異なりて此学校に付ては、諸君が自ら教育法等の意見を吐露して充分其望む所に従はしむるを得るなり、故に御用金とは全く性質の異なる者と知るべし、又寄附金方法に付ても十分諸君の意見を承るへし、故に諸銀行は銀行集会に於て相談を遂げ、其他も能々商議して遅くも三十日間を出ずして書面にして申出へく、又此学校の如何なる景状かは何時にても該校に至りて実地を撿すへしとて、此演説を畢りし後ち、一同に晩餐の饗応ありて八時頃退散せりと


中外物価新報 第四八七号 明治一五年三月二九日 【○前記に掲けし東京府…】(DK260086k-0007)
第26巻 p.562 ページ画像

中外物価新報  第四八七号 明治一五年三月二九日
○前記に掲けし東京府知事の演説略記中末段に、旧幕府の頃なれは御用金とも思わるへけれと彼と是とは大に異なりて云々、又其末諸君の意見を承るへしと演説あり、猶是銀行者は銀行集会にて相談を遂くへしと云ひ、其他輸入商人抔も同業者と評議して遅くも三十日内にお答へ致すへしと云ひしにて、前日の略記は少しく誤聞にて意味の違ふ所あれは玆に訂す


中外物価新報 第四九五号 明治一五年四月二六日 東京商況(DK260086k-0008)
第26巻 p.562 ページ画像

中外物価新報  第四九五号 明治一五年四月二六日
    東京商況
○曾て本紙に掲載したる商法講習所維持の為め本府知事の尽力せらるる醵金は追々集る由にて、各銀行よりは凡七千八百円、又貿易商人仲間及同商会八名よりは二千円、其他長谷川町の栗原氏、油町の某氏をはじめ続々出金する者あり、尤も右の貿易商連よりは醵金の保存方法等に関し知事へ建言したりと云ふ、其大意は、第一に該講習所維持の為め要する金員は年々一万円に下らさるを以て、醵金の高十万円に達する迄は決して利息の外元資金の使用せさる事、第二は右の如く醵金を要することなれば可成丈け広く募集すへき事、第三は年々金員の仕払は申す迄もなく生徒学業の進歩等に至るまで其詳細を醵金主に示すへき事なりとか聞ぬ


中外物価新報 第五二一号 明治一五年七月二〇日 商法の講習を振興せすんはあらす(DK260086k-0009)
第26巻 p.562-564 ページ画像

中外物価新報  第五二一号 明治一五年七月二〇日
    商法の講習を振興せすんはあらす
維持明治十五年七月十七日、吾が宮内卿は東京府庁の書記官を召され今度特別の思召を以て府下商法講習所へ金五百円を下賜せらるゝ旨を
 - 第26巻 p.563 -ページ画像 
口達の上金円を渡されたりと、吾輩は之を聞き抃舞雀躍 皇徳の優渥なるに感佩し、一は商法講習所の為めに賀し、一は又吾が邦商業社会の為めに祝せざるを得ざるなり、何となれは吾輩の既に論ぜし如く、商業の本体は誠に貴重に、商業の功用は誠に洪大なるにも拘らす、吾が封建の時代には商業を卑視するの風甚だしく、大政維新以来は稍や此風習を減ぜし者の如しと雖も、未だ全く其余習を脱する能はざれは前日以来商業論を作り以て切に之を振起せんと欲するの際、辱なくも 聖天子より這回の恩賜金ありて、商法の講習せざるべからざるを勧め、商業の貴重せざるべからざるを励まさしむるの鴻緒を開かせられたれはなり、抑も吾が政府は夙に農商工の隆興を経画せられ、一昨年に至り特に農商務省を設けて其事業を保護せらるゝに至る、叡聖文武なる 天皇陛下も亦処々の工業場或は製造所へ行幸あらせられ、或は御賜あり、或は勅諭あり以て之を奨励し給ひしかど、商業学校等に恩賜ありしは今回を以て其始とす、是れ蓋し 聖天子の商業は国家経済の基本たり、之を振起せんには商法を講習し、商業世界に有為の人物を養成せずんはある可らざるを御感あられたるに由る者ならん、嗚呼日本帝国の臣民として誰れか此聖慮を拝し、此恩典を仰がざる者あらんや、即ち商法講習所の為めに賀し、併せて商業社会の為に祝せざるを得ざる所以なり
回顧すれは、商法講習所は明治六年に創設し種々の沿革を経て今日に至る迄殆と十年の星霜を累ねたりと雖も、昨年遂に東京府会議の排斥する所となりしを以て、一時或は其永績如何を憂ふる程なりしが、幸にして前知事松田君は深く之を苦慮せられ政府に稟議して保護を乞ひ且つ府下の紳商に捐金の事を慫慂せられしかは、紳商諸氏も其意を領し捐金の義を諾し、各多少の金額を醵出して之が維持を図るに至りしも松田君は未だ其大成を見すして遠逝せられたり、然れとも固より奨励者の存亡を以て、商法講習所を思ふの厚薄あるが如きの紳商諸氏にあらざれは、仍ほ松田君の遺志を継いで益其維持を賛し、吾が商業社会に有為の人物を輩出せしめんと尽力せらるゝことゝ信す、況んや今回の恩典に会し一層の奮励を奨進せらるゝに於てをや
然り而して 聖天子の商法講習所を顧み給ふこと既に斯の如く、紳商諸氏も亦商法講習所を思ふこと斯の如くなれは、該所の隆栄を見るも応に遠に在らざるべし、吾が商業者は請ふ此に着目して旧来商業を卑視するの余習を払ひ、商人に学問智識は無用なり、学問智識あるの商人は却て商売の妨害たりと云ふ如き謬見を破り、其子弟をして学問智識の必要なるを知らしめ、商売上の実理を悟らしめ卑屈狭小の区域に齷齪として永く彼の紅髯奴輩に小児視せらるゝをあらしむる勿れ、又其薫陶に任する所の商法講習所並に教員は、飽まて其責任を尽し勉めて吾が商業社会に有為の人物を造らすんはあるべからず、夫れ商法講習所の如き校舎は商家子弟の製造所なり、之を各所に設け以て子弟の製造を盛にせすんはあらさるなり、然るに吾帝都たる東京に於ても今尚寥々見るへきの校舎なし、誠に遺憾なる事とは云へ、畢竟は此に精神を注ぐの厚からざるより自ら充分の資本を投し能はざるに由るのみ故に吾輩は広く日本の商業者に向て言はんとす、斯の如き校舎を立て
 - 第26巻 p.564 -ページ画像 
んと欲せば同志合力以て共に人物の製造に黽勉し、此に意を用ふるの深きこと今回 聖天子の御感恩典に於けるがごとくせんことを