デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
3款 高等商業学校
■綱文

第26巻 p.613-621(DK260099k) ページ画像

明治33年7月1日(1900年)

是日当校同窓会、栄一ヲ招請シテ其還暦並ニ授爵ノ祝賀会ヲ同校講堂ニ開ク。栄一謝辞ヲ述ベ、兼ネテ商業教育ヲ大学程度ニ高ムルコトノ必要ヲ力説ス。


■資料

東京高等商業学校同窓会会誌 第一一号・第四―一一頁 明治三三年八月刊 渋沢翁還暦並に叙爵祝賀会(DK260099k-0001)
第26巻 p.613-618 ページ画像

東京高等商業学校同窓会会誌  第一一号・第四―一一頁 明治三三年八月刊
    ○渋沢翁還暦並に叙爵祝賀会
予期の如く七月一日には渋沢翁の還暦並に叙爵の祝賀会を高等商業学校講堂に開きぬ、此日は生憎曇天にして加ふるに時々微雨を降らしたれば参会者の数定めて尠からんと思ひの外、定刻をも待たで陸続として来集する者多く、午後二時に至れば会友を合せて無慮三百数十名の出席を見るに至れり
開会の時刻は午後二時の予定なりしかど、渋沢翁には三時半頃ならでは出席なりがたしとのことに付、幹事諸君は多数の来会者をして徒らに時間の空過を待たしむるも気の毒なりとて、幸ひ近頃北清戦地なる天津より帰朝せられたる会員高木鉄太郎君出席し居らるゝに付、同君に支那暴動の実況談を乞はれしが、君は快く之を諾し、義和団の性質及び現時の有様等を詳説し、天津の状態近来益々不穏、人心愈々恟々たるの実況を演ぜらる、午後三時半に至りて渋沢翁来会に付、君は中途にして其談話を止め拍手喝采の中に壇を下れり、午後三時四十分頃翁を式場に迎へ、いと厳粛の中に式を開きぬ、先づ祝賀会長成瀬隆蔵君は恭く翁に向ひ、開会の趣旨を簡短に述べ、続いて左の祝詞を朗読したり(此間に式場の模様を写真せり、即本号会誌の口絵として、掲げあり)○写真略ス
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 某等謹んで男爵渋沢君閣下に白す、閣下は我商業界の先覚にして又我が商業教育の恩人なり、今玆庚子齢華甲に一を加へられたるも、体躯愈々健全、耳目益聡明、然のみならず心神精敏、加ふるあつて損するなし、其の寿にして健なる、某等固より将に之を祝せんと欲す、然るに頃者 天恩の優渥なる閣下に賜ふに男爵を以てす、閣下の光栄洵に大なり、是に因つて某等相議りて玆の一堂に会し、閣下を迎へて以て聊前の数事を併せ賀せんと欲す、而して閣下某等の請を聴き、幸に光臨せらる、某等の欣び何を以てか之に過ぎん、窃に惟るに、国家富強の基は実業の発達に在るべきこと固より多言を要せざるなり、然るに我が邦封建の制に狃れ、士夫を貴び商賈を賤しんずるの陋習あり、而して商賈も亦大抵不学無識にして僅に錙銖の利を争うて是事とし、国家理財の大勢に至りては毫も之に通せざりき、独り閣下維新の際に方り、衆に先んじて商業刷新の急要を観破し、時機を図りて官を辞し、躬を以て商海の指鍼と為し、拮据経営殆んど三十年に及ばんとす、其間各般の新事業概ね閣下の指導誘掖に依りて成らざるなし、其功績の偉大なる世既に定論あり、必ずしも某等の称揚を竢たざるなり、玆に某等が特に閣下に謝せんと欲する所のものは、閣下の多年我が商業教育に尽瘁せられたること是なり、夫我が高等商業学校は明治八年故の子爵森君の振つて商法講習所なるものを設立したるに権輿す、而して当時世人未だ斯の学の必要を感せさるのみならず、動もすれば無用の長物を以て之を目したり、独り閣下此の時に際して大に此の学の有益なることを唱導し、時の所長矢野君を助けて専ら其の維持継続の方略を計画せられ、爾来今日に至るまで学校は幾多の興廃変遷を経たるも、閣下は依然として或は委員となり、或は商議員となり、二十余年一日の如く、斯の教育の拡張に尽力せられ、又其の学生に対するや、時に臨んで奨励し、事に当つて訓戒し、其心情の懇篤なる、慈父の其の子を視るが如きものあり、而して今や某等高等商業学校の出身者は殆ど九百名に垂んとし在校の学生亦五百余名の多きに達せり、嗚呼某等が閣下の恩徳に浴すること深く且大なりと謂ふべし、是某等が閣下を以て啻に商業界の先覚として尊敬するのみならず、又我が商業教育の恩人として景慕する所以なり、今某等閣下の還暦を賀し、併せて叙爵を祝する偶然に非さるなり、謹んで玆に閣下が将来無疆の寿を保ち、又益々多福ならんことを祈るの微意を表せんが為め、時計飾り一個を奉呈す、物甚だ菲しと雖も、実に某等赤誠の存する所なり、請ふ幸に其の意を諒して莞納せられ、今後猶旧に依り益々我が商業界の為めに尽し、又某等後進の誘掖に力められんことを
  明治三十三年七月一日
                高等商業学校同窓会会員一同
右に次ぎて水島鉄也君、各地より達したる左の祝電を朗読したり
 渋沢男ノ還暦及ヒ叙爵ヲ祝ス               同窓会大坂支部
 渋沢男ノ還暦及ヒ叙爵ヲ祝ス               同窓会神戸支部
 渋沢男ノ還暦ト叙爵トヲ祝ス                新潟同窓会員
 渋沢男爵ノ永寿ヲ祈ル                在長崎同窓会員一同
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 渋沢男爵ノ万歳ヲ祝ス              在富山商業学校会員一同
 謹ミテ盛会ヲ祝ス                  在久留米同窓会々員
 渋沢男ノ還暦及叙爵ヲ賀ス            在馬関及門司同窓会々員
 渋沢男ノ還暦及叙爵ヲ祝ス                在高岡、同窓会
 渋沢男ノ叙爵ト還暦ヲ祝ス             在島根会員、橋本基一
 盛会ヲ祝シ渋沢男ノ健康ヲ祈ル          在福岡会員、有村彦九郎
 謹ミテ盛会ヲ祝ス                 在浜松会員、萩原英助
                               平尾徳太郎
 還暦ヲ賀シ叙爵ノ御栄誉ヲ祝シ、先生ノ万歳ヲ祈ル  在静岡会員 星野太郎
                                平尾丹治
 盛会ヲ祝ス                   在沼津会員、小松熊之助
最後に翁は例の得意の弁を振ひ、左の答辞を述べられたり
                 男爵 渋沢栄一君 演説
 同窓会の諸君に一言御答辞を仕ります、今日は当高等商業学校出身の同窓会諸君が、私の還暦の寿に至りましたことと、今度計らずも授爵の恩命を拝しましたことに付て、之を御祝し下さる為に玆に祝賀会を御開き下され、只今当席に於て総代として成瀬隆蔵君から懇切に且つ鄭重なる祝辞を下されましたのは、私の光栄此上もございませぬ、此御厚意に対しては只感謝いたすと申上げる外ございませぬ、今御朗読になりました文章は、諸君が私に対して溢美過賞といふ訳ではありますまいが、私は其器にあらずと申上げねばならぬかと恐るゝ点がございます、併し既往の経過を御述べ下されましたことであり、其事実として表れて居るものもございますから、私は敢て此褒賞を辞せぬやうに致して、辱く拝受いたします
 年を取りましても至つて丈夫で、能く万事に行渡ると云ふ御賞め言葉でございましたが、年を取らぬ前から十分なる学問もございませぬから、百事に行届くと申上げ得られませぬ、況や追々目も不自由になり、身体の坐作も昔日より幾らか不便でございますから、世の中に尽す効能が段々減少して来ることを恐れます、併ながら六十一歳の今日も此世の中を御免蒙る考へのございませぬのは、此商業社会が未だ私をして安心して閑風月を楽ましむる時代でなからうと思ひます、斯様に申しますと大層己れが抱負でもあるやうで、如何にも赤面いたす言葉でございますけれども、商工業社会も追々進んだと申しながら、現況如何と考へて見ると、百事皆不整頓で、今や進まんとして䠖跙して居る有様は諸君も御承知である、又人性は六十一歳ならば相当なる年輩だと言ひますけれども、昔学問と云ふ有益なる事柄の無い時代は格別として、今日相当なる学問に支配され行くならば、六十歳は愚か八十歳までも、世に効能を与へ得られぬことはない、既に世の中に必要視せられるだけに生れた人間は、学問の助けを得て経歴が多くなる程、世に効能の多いと云ふことは言ひ得られます、故に私は尚ほ此社会に御免を蒙らぬ次第でございます健全を以て誇る訳には参りませぬが、此世の中を御免蒙らぬのは、商業界に出て居る為めばかりでなく、一身上から考へても安逸を貪らない為でございます、既に年も老いて居りますから、世の中に対
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しての効能は昔日より下ると云ふことは免かれませぬから、諸君は宜しく御目長に今後とも尚ほ御愛顧を蒙りたいのでございます、老境に於ての心懸けは今申した通りでございます
 第二に授爵のことでございますが、之に付きましては実に私は予期せぬことで、只恐縮千万と心に危懼して居るのでございます、此事柄は業に已に諸方より開かれたる祝賀会に於ても、数回申述べてございますから、諸君の御面前で重複は致さぬでも御耳に這入ツて居りませう、又這入らぬでも喋々する価値はないのであります、蓋し此授爵の恩命は、既に其由来を解釈して下された方々の御説の如く全く商工業の為に経営したことが天閽に達したとすれば、私一身としては意外千万であるが、商工業の為としては私は辱ない有難いと考へねば相成らぬことである、諸君に於ても大いに喜ぶと仰しやツて下さるだらう、即ち栄一一身の為でなく、日本の商工業の為であると云ふことになるのであります、左様に思考して見ますると、自身が商工業の為に斯る栄誉を得たと云ふのは、明治初年即ち三十年以前の商工業であツても尚且此栄誉を得られたかと回想することになるが、決して左様ではない、其当時の商工業の有様であツたならばさう云ふ栄誉を荷ふ訳にいかぬと云ふことは私も思ひ、諸君も必ず左様に御信じなさるに相違なからう、それ故に私が斯様な光栄を荷ふのは何に依ツて来たかと云ふと、是は栄一が世の事に精励したからと云ふ訳ではない、詰り商工業に対する学問と云ふものが、三十年間の進歩で、遂に此商業社会の品格を進めて行ツた、其進めて行ツた所の一人が幾らか其れに関係が多かツたから、遂に其事が 天閽に達して、私が斯る意外な栄誉を得たのである、偶然にも商業に対する学問の進みが私一身の光栄を来したと申しても宜い、故に私は此授爵の事に付ては、商業に対する光栄の代表者に相成ツたと解釈いたすのでございます
 斯様に考へますと、此商業と云ふものは未来如何であるかと云ふことを、亦思ひ起さなければならぬのであります、商業に対しては学問と云ふ働きは必要が無かツたと云ふのは、明治以前の夢であツて其以来追々進んで来た故に、商業と云ふものと学問と云ふものとは決して離るべからざるものだと云ふは最早定論と申しても宜い、併し今の商業に対する教育、即ち商業教育は今日の有様で満足であるかと云ふことは、諸君に於て、十分御研究を願ひたいのでございます、政治界・学問界の人は其向きに於ての発達を求むるでございませう、軍人は成るべく、武器の整備することを勉むるでございませう、是は御尤至極である、商売人は商業が鞏固に発達することを務めなければならぬが、サテ其商業が鞏固に発達すると云ふことは何に原因するか、詰り其人の思想が堅実にして、事に処し物に接して適当なる方法を立つるのが、即ち鞏固に発達を致す手続である、之を致さしむるのは何であるか、学問の力に依らなければ決して出来ないのであります、曾て私は此高等商業学校の卒業式に申述べたことがありますが、昔の商売人は塵劫記と商売往来の外に学問と云ふものは無かッた、御維新以後漸く商業に学問が要ると相成ツたが、
 - 第26巻 p.617 -ページ画像 
それにしても商売人と云ふと、何やら一級段階が降ツた様な有様を以て、此商売社会を遇されたのは甚だ嘆かはしい、併し此商売人が維新以前に在つて、政治家の奴隷と云ふ時代ならは左様に卑屈であらう、又左様に鄙下されても仕方がないが、今日は商売人は決して左様な訳のものではない、資格から言ツても権能から言ツても国を生存し国を強うして行く原素は商業にあるのであるから、即ち我々があつて国が発達して行くと言ツて宜い、只恐らくは前にも申した様に、昔しから下級な位置に置かれた為に自ら思想も堅実でなく、又才能も足らぬ所から自らも卑み人も卑む様に相成ツたのである、是は幾回か私が此商業学校に於て申述べたことでございます、併し左様な憂ふべき言葉は今日は申さぬでも宜い、如何となれば十数年以来商業教育の必要は人も認め我も認めて、共に共に進んだのであるが、今日の儘で此商業教育は満足であるか、商業界に於ても是で十分とするか否やと云ふことは、切に諸君に於て御再思を願ひたいと思ひます、私はドウも決して是では満足でないと思ひます、商業教育の有様が追々年を逐ふに従ツて進んで参り、又此商業学校から出身された同窓会の諸君も九百人にもなりて、各種の事業に就き、それ等の人々が相集つて、商業社会の勢力を左右することになツたのは、賀すべき次第ではございますが、能く考へたならば、商業と云ふものに対する教育と同じ程度に進んで居るとは未だ申されぬのでございます、私は学問を以て成立ツた人間でございませぬから、学理に就てのことは丁寧に申述べることは出来ませぬが、曾て此商業学校をして大学の位置にまで進めたいと云ふことを度々申したことがございます、其場合に或る学者連の説に、此商業と云ふものはドウも大学の位置にまで進むべきものでない、如何となれば「サイアンス」には数へ入れられぬと云ふ説を為した御方もあツた、私は之に対して否、左様でないと云ふ明解を与へることは出来ませぬが併し之をして大学たらしむることの出来ぬと云ふことはない、爾来此商業学問をして今一級程度を進むると云ふことは、年々私は其思考を齎し来ツて、今尚ほ止まぬのでございます、又諸君に於ても此事は矢張り御考へなされて居るに相違ないと思ひます、併し未だ其論が十分に世の中に唱へらるゝまでに至らぬのは、蓋し私の精神が足らぬのであらうか、又満場諸君の御尽力も其点に就てはまだ満足と申されぬかと思ひます
 海外の事は甚だ耳遠い私でございまして、外国語は解されませぬが近頃承る所では、此商業教育に就て独逸の進みは実に非常であり、其教育の進みから又実業をも進ませて居る、西洋は勿論東洋にまでも段々独逸商人が進んで来るからして、今日は英吉利などでも商業に対する教育を従来の儘にしては置かれぬ、今一歩進めて行くやうに致さねばならぬと云ふことを、大いに研究しつゝあると云ふことを聞きました、如何なる原因から何等の人が其論を唱へ、其事が実着であるか、其論の出た根拠は十分調べませぬから、今玆に申述べることは出来ませぬが、決して漠然たる風評ではないやうに考へます、商業を以て世界に雄飛して居る英吉利に於て尚ほ然り、況や極
 - 第26巻 p.618 -ページ画像 
く幼穉千万なる商業教育の日本に於てをや、殊に日本の商売に対しては政略上からしても今一歩強みを与へることが、私は甚だ必要な時機であらうと思ひます
 私が今日存じ寄らず此席に罷出まして、斯様に教育あり学問ある多数の諸君が相集ツて祝賀会を開くの名誉を荷ふと云ふことも、前に申しました通り、宿昔商業教育を必要とせし微志が其縁を為したではございませうが、帰する所三十年以来教育と云ふものが商業の位置を進めたから、商売に対して此名誉を表したと云ふものである、其商業は今日完全であるか、商業を進むると云ふのは何が原因であるか、即ち教育である、其教育は満足であるかと考へて見ると、前途甚だ任重く道遠きことゝ言はねばならぬ、故に辱ないと陳謝すると同時に、不足と云ふ観念を申述べるのである、是は祝賀会に対しては少し言葉が穏当でないかも知れませぬけれども、諸君と共に且つ論じ且つ議して、完全の域に至らしめたいのでございます、而して此言は私が衷情より発するのでありますから、諸君にも左様に御聴取りを願ひたい、已往を回顧すると共に、未来に望むことを申述べて、御礼の言葉に換へましたのてございます(拍手)
例に由て議論明晰、風采清雅、老いて益々壮なること翁の如きは蓋し尠しとす、思ふに実業界の前途尚甚だ遼遠なり、余輩は我が高等商業学校が翁の如き商議員を有するを栄とし、玆に満腔の赤誠を捧げて、翁の還暦と叙爵とを祝すると同時に、将来益健全にして力を実業界の為めに尽され、併せて商業教育の上に其抱負を実行せらるゝの時期の長からむことを切望して止まざるなり、式終りて翁を始め会員一同へは別室に於て茶菓の饗あり、又会友諸氏へも茶菓を配附し、一同退散せしは午后五時にして、実に近来の一大盛会なりき


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK260099k-0002)
第26巻 p.618 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年     (渋沢子爵家所蔵)
七月一日 曇
○上略 午後二時帰宿ス、更ニ商業学校ニ抵リ、商業学校出身ノ人々ヨリ還暦及授爵ノ祝賀ヲ受ケ、賀箋ヲ送ラル、依テ答辞演説ヲ為シテ、更ニ別席ニ抵リ、幹事十数名ノ人々ト学事ニ開スル雑話ヲ為シ ○下略


(八十島親徳) 日録 明治三三年(DK260099k-0003)
第26巻 p.618-619 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治三三年   (八十島親義氏所蔵)
七月一日 曇 日曜
此日ハ午後三時、高等商業学校同窓会員が、学校創立以来廿余年一日ノ如ク陰ニ陽ニ尽サレタル我青淵先生ニ対シ、還暦並ニ叙爵ノ祝賀ヲナス為、先生ヲ講堂ニ招請スルノ挙アリ、予等ハ常議員ノ廉ヲ以テ午前十時ヨリ出席ス
○中略
之ニテ式終リ、会員ハ別館ニテ茶菓(会友ニハ菓子袋ヲ頒ツ)先生モ休憩室ニ導キ茶菓ヲ進シ、常議員其他廿余名ニテ接待シ、此席ニテモ先生カ予等ノ後継者タル商工業者ハ此校出身者ナラサルヘカラス、然ルニ大学出身者ナトヨリハ世間ニテモ薄遇ノ赴アルハ遺憾ナラスヤ、又商業学ナルモノ成立タヌ理モアルマジ、諸君ノ内大ニ講究サレン事
 - 第26巻 p.619 -ページ画像 
ヲ乞フ云々、坐談一時間、実ニ打クツロギタル有益ノ談話ニシテ、一同ハ必委員ヲ作リテ調査セシメ大ニ為ス所アラン、願クハ先生一臂ノ力ヲ仮サレン事ヲト誠心応答、実ニ今日ノ同窓会ノ催ハ非常ノ好結果ヲ奏シキ
○下略


竜門雑誌 第一四六号・第五〇―五一頁 明治三三年七月 ○高等商業学校同窓会の祝賀会(DK260099k-0004)
第26巻 p.619 ページ画像

竜門雑誌  第一四六号・第五〇―五一頁 明治三三年七月
    ○高等商業学校同窓会の祝賀会
高等商業学校出身者八百余名より成れる同窓会に於ては、本月一日青淵先生を同校講堂に招待し、先生の還暦及ひ叙爵の祝賀式を挙行せられたり、先生は明治八年同校創立以来、二十余年間一日の如く同校の為に尽されたる恩人なるを以て、特に此典を挙げられたるものなり
同日は在京浜間同窓会員百余名出席し、同校学生四百余名は会友として、又同校々長駒井重格氏始め、職員二十余名は陪賓として列席したり、先つ正賓たる青淵先生を壇上に請し、同窓会総代成瀬隆蔵氏祝辞を朗読し終りて紀念品(希臘商神マーキユリーに形取りたる時計飾り)を贈呈し、次に水島鉄也氏立ちて、各地方に散在せる同会支部より寄贈したる祝電二十余通を朗読せり、此に於て青淵先生は立ちて答辞を述へられ、先づ特に今日の盛典を以て祝賀せられたるの厚意を謝せられ、夫より我国商業教育の前途に対する希望に付きて演説せらる、其趣旨は
 国家富強の基礎は、商業の隆昌に待つことの外なし、其目的を達せんとするには、是非共高等教育を振興して人材を養成せさるへからす、本校の如き明治八年商法講習所として創立せられし以来、漸次に其組織を完備にし、其程度を高め、遂に今日の高等商業学校となれりと雖も、之を他の学術を研究・教授する大学の程度に比すれは一歩を譲るの地位にあり、立国の原素たる商業に対する最高の学校にして如此境遇に在るは遺憾の至りならずや、予は是非共其地位を高めて大学の程度となし、少くとも他の学科に譲らさるの取扱となさゞるべからず、是れ即ち今日の時勢上必要の急務なりと信す、願くは諸君と相共に其方法を研究し、以て将来此希望の貫徹を期せん云々
以上にて全く式を終り、外室にて茶菓の饗応あり、其席上先生には尚前段の趣旨を以て会員諸氏と談話せらるゝこと一時間余にして帰途に就かれしと云ふ


商業世界 第四巻第三号・第五七―五九頁 明治三三年七月一五日 高等商業学校に於ける渋沢栄一男の還歴及叙爵祝賀会(DK260099k-0005)
第26巻 p.619-621 ページ画像

商業世界  第四巻三号・第五七―五九頁 明治三三年七月一五日
    ○高等商業学校に於ける渋沢栄一男の還歴及叙爵祝賀会
明治商業史上の一大「ヒーロー」本邦実業界の斗星たる渋沢栄一男は同時に我が商業教育の開祖として、永く其名誉を後世に伝ふべき人なり、明治の初年、封建の夢未だ醒めず、賤商嫌学の風、一世を蔽ふの時に当りて、挺身一番、斯学の必要を唱へ、本邦史上曾て其例を見ざりし『商業教育』をして、初めて呱々の声を揚げしめ、爾来二十年、繁務激日の余暇、孜々営々として斯道の発達を計り、諄々として商家
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の後進を誘掖し、今尚足れりとせずして、時に国家商業教育の為め憤慨するもの、実に男が半面の生命なり、現時の高等商業学校は即ち之れ男に拠りて起り、男に拠りて固まりたる我商業教育界の一城廓なり今や此門に遊ぶもの校の内外を併せて一千五百有余名、其等の活動飛躍、漸く社界の一大勢力たらんとするものあるに当り、曩に男には無事還歴の齢を迎ひ、優渥なる叙爵の恩命を受るあり、即ち同校出身者の組織せる同窓会が玆に其祝賀を兼ね謝意の微衷を表せん為、本月一日を卜して、男の為に祝賀の礼会を揚げたるもの、之れ実に男たる者の一光栄にして、又実に我商業教育界の一大美挙と云ふべきなり
斯の祝賀会は全く高等商業学校部内即ち同窓会の催に係り、案内を発せる向きは同校同窓会員、会友、同校職員等皆同校に親縁を有して、永年男が懇篤なる訓陶の下に立つ者のみなりき、開会定刻午後二時半と云ふに、会場と註せられたる同校講堂指して押寄する「フロックコート」袴羽織の紳士連及び正帽正服の学生・生徒等約九百名、正装端座待つこと暫くして、車石を轢るの声は正賓渋沢男の来駕を報じぬ、玆に於て水島幹事開会を告げ、接待員は粛々乎、渋沢男を擁して、壇上の美椅に誘ふ、満堂起立恭しく敬意を表す、和気洋々真に得難き風情、門外漢の味ふべからざる所なりき、乃ち会長成瀬隆蔵氏立ちて男に揖し、低調、当日来臨の労を謝し、イト森厳なる態度を以て、一巻の祝辞を朗読し、終りて恐惶時計飾一個を奉呈せり、而して祝辞は左の如し。
   ○祝辞略ス。
流音哴々、堂内を渡り、万坐粛として平水の如く、清聴するの時、渋沢男もしとやかに起立して祝辞の節々一々応対の意を表せられたりき次に水島幹事は又起つて各地同窓会者よりの祝電数十通を朗読す、玆に於て渋沢男は又立て正面し、先づ謝意を述べ、更に大に其所思を訴へられたりき
男の演説は次号に詳載すべしと雖も、矍鑠たる体躯を振て縷々数万言国家商業の振事に就て最も痛切に解弁せられたる所聴者の頗る爽快に感する所なりき、男開口先づ当日彼の如き盛会を自己の為に開かれたる同窓会諸氏の意を多とし ○中略 更に又男が商業教育に対して演ぜられたる節は一層の活気の籠れる所にして ○中略 我が商業教育は決して今日を以て充分進めりと云ふべからず、否他の諸教育に比して大に遜色を呈し居る際なれば、諸氏に於ても充分意を此辺に注ぎ、此商業教育にして今一段の進歩を計らざるべからざることを弁じ来りて意気昂然、老体を振はす、実に教育界近時の快事なりき、斯くして、男は当日の祝意を謝すると同時に「祝賀の席に不吉の様なれども」との詫言を挟んで、商業教育界の「不足」を述べて憤慨するところあり、以て拍手湧くが如き裡に降壇せりき
今や商業教育は日に漸備の域に向へりと雖も、男が言る如くに前途遼遠なり、嗚呼工科・農科には大学あり、中学校あり、高等学校あり、然れども我が商業教育界には未だ一の大学なし、吾人は今渋沢男の祝賀会に臨み、斯界雄将の二大慶事を祝すると同時に、親しく男の口吻に接して、大に心を強ふするものあるを覚ふ、男よ幸に健全なるや、
 - 第26巻 p.621 -ページ画像 
我商業界の為に、而して特に我が商業教育界の為に!@!