デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
6款 其他 7. 浅草商業補習学校
■綱文

第26巻 p.800-803(DK260134k) ページ画像

明治34年11月1日(1901年)

是日当校開校式挙行セラル。栄一来賓トシテ之ニ臨ミ一場ノ演説ヲ為ス。


■資料

竜門雑誌 第一六二号・第三〇―三一頁 明治三四年一一月 △浅草商業補修学校開校式(DK260134k-0001)
第26巻 p.800 ページ画像

竜門雑誌  第一六二号・第三〇―三一頁 明治三四年一一月
△浅草商業補修学校開校式 今回浅草区有志者の協力に依て設立せられたる浅草区馬道町なる商業補修学校に於ては、去る十一月一日開校式を挙行し、来賓としては千家知事・青淵先生・赤石参事官・辻新次江原素六・大久保子爵等の諸氏を始め数十名出席し、千家・松田・江原三氏の祝辞演説ありたるが、当日青淵先生が述べられたる演説の大要を録すれば左の如し、因に記す、同校の校長は寺田勇吉氏、主幹は一野一郎氏《(小野十郎氏)》なりと云ふ
 自分は教育家でもなく学者でもなく、又政治家でもなければ、学校の開校式に臨みて演説すへき筈ではなけれとも、自分も商業家の一人であり、本校は商業補習学校であるが故に、是非とも何か話しを致たせと浦田君の諭達に依り出席したる訳である、就ては生徒諸君の勉学の為め、又学成つて、商業に従事せらるゝ場合に資せんが為め、商業教育の沿革を御話しする筈なるが、臨場諸君は又渋沢が陳腐の議論を担き出すとのお笑もあるへきが、自分の話しは生徒諸君にするのであるから其積りにて御聞取あらんことを望むとの冒頭を置き、維新前より今日に至る商業教育の沿革を述へて「うり家と漢様に書く三代目」との川柳を引きて、江戸の大店は其子弟に四角十文字を教ふることを厭ふたる有様より、商業家と雖も政治家及学者に拮抗し得る丈けの教育が必要なるを以て、遂に現況までに進行せしことを説き、終りに本校生徒諸君は本校を以て商業教育の卑近なるものと思ふ勿れ、戦争は大将のみにて為すこと能ふへきものにあらす、勇敢なる歩卒を須て戦争に勝利を得る訳なり、歩卒より将校と為りたる軍人、属吏より高官に為りたる文官、貧乏より富者に為りたる商人尠からず、又丁稚・小僧より各会社の頭取に為りたるものも沢山あれば、本校は其楷梯と心得勉学を怠る勿れ云々


東京教育雑誌 第一四一号・第四三頁 明治三四年八月 浅草商業補習学校設置の件(DK260134k-0002)
第26巻 p.800 ページ画像

東京教育雑誌  第一四一号・第四三頁 明治三四年八月
    ○浅草商業補習学校設置の件
一浅草区内に商業補習学校を設置し、浅草商業補習学校と称す
二学科は修身・国語・算術・英語・簿記及商業に関する科目とし、其程度は会長之を定む
三修業年限は二ケ年とし、満十年以上の男子の入学を許す
四授業料は生徒一人に付一ケ月金弐拾銭とす
五必要なる諸規程は会長之を定む
 - 第26巻 p.801 -ページ画像 


東京教育時報 第一四号・第五二頁 明治三四年一一月 学校開校式(DK260134k-0003)
第26巻 p.801 ページ画像

東京教育時報  第一四号・第五二頁 明治三四年一一月
    ○学校開校式
○上略
△十一月一日東京市教育会附設浅草商業補習学校開校式を市立浅草小学校内に行ふ、府知事・市長等の祝辞、渋沢男爵・江原氏等の演説あり、孰れも盛式なりき


東京教育時報 第一四号・第五六―五七頁 明治三四年一一月 開校式挙行(DK260134k-0004)
第26巻 p.801 ページ画像

東京教育時報  第一四号・第五六―五七頁 明治三四年一一月
○開校式挙行 十一月一日午後四時より、本会附設浅草商業補習学校の開校式を、浅草区馬道町四丁目市立浅草小学校内に於て挙行せり、校門には二大国旗を交叉し、来賓室は、特志を以て同校随意科挿花教授の池坊新派寂羅社中より宗匠寂翁氏外門弟五名、同校教授主任竹林居・土岐月章氏及高等科各学年生徒総代諸氏の寄附に成れる幾多の挿花を以て囲飾し、又式場・来賓室・食堂等には鶴淵初蔵氏より寄附の「アセチリン」灯火数基を点じたるを以て一層壮厳を保ちたり、定刻に至るや来賓赤司文部省参事官・東京府知事代岡視学官・東京市長代浦田助役・渋沢男爵・辻帝国教育会長・東京府教育会長代日下部幹事長、其他市区名誉職員、本会長・副会長・理事・書記・浅草支会長・同役員、本校々務委員・職員・生徒等参列、君が代の唱歌に次き寺田校長・小野主幹の挨拶、松崎常務委員総代の報告、府知事・市長・東京府教育会長・浅草支会長・校務委員の祝詞、渋沢男爵・辻帝国教育会長・江原本会長・石垣校務委員諸氏の演説、生徒総代・校長の答辞にて式終り、来賓には別室に於て饗応を為し、又生徒に茶菓等を与へ散会したるは午後九時なりき、当日出席の生徒は百有余名なり、本校の設置に付き特に寄附せられたる金額・氏名及当日の祝詞・演説等は更に次号に詳記すべし


東京教育時報 第一五号・第六一―六二頁 明治三四年一二月 開校式続報(DK260134k-0005)
第26巻 p.801-803 ページ画像

東京教育時報  第一五号・第六一―六二頁 明治三四年一二月
○開校式続報 去一日挙行せる本会付設浅草商業補習学校開校式に於ける祝辞左の如し
 今や本邦文物の隆盛は、彼の欧米に比較して殆と慚色なからんとす然り而して特り商界の動作に至りては、其の機敏なる我れそれ彼れに対して一歩を譲らざるを得ざるなり、是れ豈遺憾なしとせんや
 夙に本市教育会は見を此に着け、登高自卑の段階を踏み、爰に簡易なる方法によりて本校を開き、以て年少子弟の其職業に必要なる智能を開発し、漸次斯界の刷新を図られんとす、蓋し現時に在りては真に適切なる企業とや言はん
 不肖忠順、本校開始の典儀に列し欣賞の情転々切なり、依て平素の不敏を忘れ、聊か所懐の一・二を布き、以て慶賀を表するの詞とす
        東京市教育会浅草支会長 子爵 大久保忠順

 語に曰く、人の志願は事業成就の先駆なりと、旨ある哉是の言や、顧ふに此の場にある子弟諸氏は常に諸般の商業に従事する人ならん
 - 第26巻 p.802 -ページ画像 
然り而して其の余暇に於て本校の科業を修め、他日の資料に充てられんとす、嗚呼其の思望や真に嘉すべきなり
 切に望む、入学諸氏よ雪に風に倦まず撓まず、一意勉励、善く其の実跡をあげ、以て本会志士の厚意と、各自が雇主の優待とに対し、深く報ぜられんことを
 爰に不肖等は本校々務委員の任務を帯ぶるが為めに、斯の盛事の班末に与るの栄を得、欣情自ら堪へざるなり、謹で本校開始の典を祝し、併せて満堂諸賢の来臨を謝す
    私立浅草商業補習学校々務委員代表者 今野信隆

 東京市教育会は実業教育の振興に力め、今亦浅草区の有志者と協議を悉くし、商業補習学校を設置し、本日を以て開校の式を挙ぐ、寔に盛なりと云ふべし、抑実業教育の振作発達を計るは国家現今の必要に応ずる所以にして、又多言を要せざる所なるべし、殊に本区の如き商業の盛なる地に此種学校を設け、且生徒実際の情況を斟酌して、隔夜教授の方法を採る等、其施設甚だ宜しきに適ひ、啻に小学教育をして益実際に有効ならしむるのみならず、将来商業の進歩を助長せしめんことは、今より余の深く信じて疑はざる所なり、乃ち玆に本校前途の隆運を祈り、併せて祝意を表す
  明治三十四年十一月一日    東京市長 松田秀雄

 東京市教育会は曩に女子技芸学校及工商業補習学校を設置し、今又浅草区に商業補習学校を設置し、本日を以て開校の式を挙ぐ、本区民の為め大に賀せざるを得ず
 抑本区は戸口稠密・車馬絡繹、実に商業の要地たり、此地にして本校の成るを見る、其将来の隆盛知るべきのみ、惟ふに箇人の幸福を進め市府の繁栄を致さんとす、則ち実業教育の普及発達を図るより急なるはなし、本会の頻に実業学校を設置するもの洵に故ありと謂ふべし
 望むらくは本区の有志諸氏、本校設立の旨趣を賛成し、大に就学を奨励し、以て箇人の幸福を進め、併て本市の繁栄に資せんことを、玆に式に臨み一言を陳じて祝辞となす
  明治三十四年十一月一日
        東京府知事 正三位勲三等男爵 千家尊福
又開校式に際し、左の諸氏より頭書の金円を寄付せられたり。
 浅草区 商業補習学校寄付者氏名

  金五円    江崎礼二     金五円    神谷伝兵衛
  金参円 子爵 大久保忠順    金参円 男爵 池田勝吉
  金参円 子爵 柳沢徳忠     金参円    寺田勇吉
  金参円    今野信隆     金参円    松崎権四郎
  金参円    石垣元七     金参円    鶴淵初蔵
  金参円    竹内久兵衛    金参円    今井喜八
  金参円    西村豊      金参円    岩崎宗吉
  金参円    関戸金三郎    金参円    渡辺寛五郎
 - 第26巻 p.803 -ページ画像 
  金参円    大谷雄次     金弐円    石井芳太郎
  金弐円    松山伝十郎    金弐円    斯波厚
  金弐円    荻野竹次郎    金弐円    杉浦虎太郎
  金弐円    鶴田信定     金壱円    筒井寅松
  金壱円    新井与四郎    金壱円    杉本嘉兵衛
  金壱円    野末嘉七     金壱円    村上文七
  金壱円    本橋利平     金壱円    石代重兵衛
  金壱円    堀田生次郎    金壱円    大貫平七
  金壱円    伊藤喬之助    金壱円    栗山熊太郎
  金壱円    田部井三郎    金壱円    渡辺留五郎
  金壱円    大和和七     金壱円    岡山源太郎
  金壱円    安井治兵衛    金壱円    宮崎半七
  金壱円    好見祐次     金壱円    加藤忠三郎
  金壱円    山田久作     金壱円    日下部三之介
  金壱円    横須純      金壱円    蜷川初蔵
  金壱円    土肥幸七     金壱円    三浦安次郎




〔参考〕東京教育時報 第一五号・第六一頁 明治三四年一二月 浅草商業補習学校情況(DK260134k-0006)
第26巻 p.803 ページ画像

東京教育時報  第一五号・第六一頁 明治三四年一二月
○浅草商業補習学校情況 本会付設に係る同校主幹小野十郎氏より左の通報告せり
 本校創立以来日尚浅きが故に、未だ卒かに将来の成敗を卜すること能はずと雖も、之を既往一ケ月に於ける教授上の経験に徴すれば、本校の前途は頗る有望にして、若しよく今日の勢を以て進まば、小学教育の不足を補ひ、兼て商人に必要なる実際的知能を授けんこと強ち難事にあらざるべきを信ず、殊に生徒各自が着実に学業に勉励すると、常務委員諸君が熱心に諸般の設備に尽力せらるゝとは、本校の前途をして益々有望ならしむるものなり、玆に先月中に於ける生徒入退学の状況を報告するに臨み、聊か一言を添ふ
      明治三十四年十一月生徒入退学報告
  入学生徒数 百弐拾参名
  退学生徒数    七名
  現在生徒数  百拾六名



〔参考〕東京府史 東京府編 行政篇第五巻・第三〇三頁 昭和一二年一月刊(DK260134k-0007)
第26巻 p.803 ページ画像

東京府史 東京府編  行政篇第五巻・第三〇三頁 昭和一二年一月刊
 ○第一 教育 第七章 実業補習学校
    東京府下実業補習学校一覧
○上略

図表を画像で表示東京府下実業補習学校一覧

 新堀実業補習学校   浅草区北三筋町四〇  明治 三九・六  商業    通年  夜 山谷堀実業補習学校  同区亀岡町一ノ一三  大正  二・三  同     同   同 千束実業補習学校   同区千束町二ノ二六一 同   二・六  同     同   同 育英実業補習学校   同区猿屋町一六    同   二・六  同     同   同 市立浅草実務女学校  同区田原町一ノ一八  同  一一・四  商業家政  同   自午後二時半                                          至同六時半 市立浅草工業専修学校 同区馬道七ノ一一   同  一三・五  工業    同   夜 正徳実業専修学校   同区山谷町三ノ一二  昭和  七・四  商業家政  同   同 



○下略