デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
6款 其他 9. 東京高等工業学校
■綱文

第26巻 p.804-806(DK260136k) ページ画像

明治39年5月26日(1906年)

是日、当校創立二十五年記念式挙行セラレ、栄一来賓トシテ之ニ臨ム。次イデ七月、記念ノ為メ奨学資金トシテ金二百円ヲ寄附セルニ対シ、翌四十年五月九日附ヲ以テ、賞勲局総裁ヨリ其賞トシテ木杯一組ヲ下賜セラル。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三九年(DK260136k-0001)
第26巻 p.804 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三九年     (渋沢子爵家所蔵)
五月廿六日 晴 暖             起床六時 就蓐十二時三十分
○上略 午前十一時高等工業学校ニ抵リ紀念祭ニ出席ス、先ツ学校内ヲ巡覧シ、畢テ食堂ニ抵リ午飧ス、食後式典アリ、午後二時散会シテ ○下略


東京工業大学六十年史 同大学編 第二八九頁 昭和一五年一一月刊(DK260136k-0002)
第26巻 p.804 ページ画像

東京工業大学六十年史 同大学編  第二八九頁 昭和一五年一一月刊
 ○第一編 第三章 第四節 当校の沿革
    第二項 当校規則等の変遷
  変遷の概況
○上略
一、明治三十九年五月二十六日当校創立満二十五年の祝典を挙げた。事 叡聞に達し、同年七月三日特に 皇太子殿下(後の 大正天皇)の台臨を辱うした。
○下略


中外商業新報 第七三四五号 明治三九年五月二七日 高等工業廿五年紀念式(DK260136k-0003)
第26巻 p.804-806 ページ画像

中外商業新報  第七三四五号 明治三九年五月二七日
    高等工業廿五年紀念式
東京高等工業学校にては、予報の如く廿六日を以て創立満廿五年紀念式を挙行したり、午後一時の定刻に近づき来賓の車馬轣轆として会場に着するや、同校職員は玄関に下りて一々之を迎へ控室に導きたり、斯くて午後二時に至り煙火を合図に一同式場に参集し、先君が代の奏楽あり、次で手島校長は左の式辞を朗読したり
 本校創立満二十五年期に相当せる本日の佳辰を卜し、玆に紀念式を挙行するに当り、外は文化の先導者たり又は善隣の深交ある外国大公使閣下の賁臨を辱ふし、内は内閣大臣閣下を始め、朝野の重望あ
 - 第26巻 p.805 -ページ画像 
る貴顕紳士の光臨を辱ふす、本校無上の光栄として深く感謝する所なり
 本校は明治十四年五月二十六日の創立に係り、爾来二十有五年の星霜を閲し、本日は正に是れ人生に於ける銀婚に比すべき嘉齢に達せるものにして、同時に我邦の工業が少小より漸く成熟の気運に向ひたるの半面を示すものと謂ふべし、回顧せは本校創立の当初に於ては我邦一般の工業は頗る幼稚の境界に在り、随て世人も亦工業教育に留意するもの寥々たりしと雖も、世運の進展に従ひ工業界も次第に進歩発達の形勢を現はし、遂に工業教育を以て国家事業に重要なる施設と為すに至り、爾来之が教育機関の各地に施設せらるゝもの年次多きを加へ、現今に至ては工業に関する各階級の学校は二百二校の多きに達せり、亦以て我工業教育の次第に発展の道途にあるを見るべし
 本校も当初設備完全ならず、卒業者需用の稀少なる等、時の工業界不振の反映を受け屡々経営の困難に遭逢せしと雖も、時勢の必要は遂に本校規摸の拡張と設備の充実とを促がし、且つ工業師範教育と職工教育と校所を附属せしむるに至れり、今や世間に於ける工業専門者の需用は次第に多く、本年四月末の調査に依れば本校及附設工業教育養成所卒業者千七百十七人中、研究生十一人・海外留学者十八人・死亡者百四人の外他は主に各地の工業技術者・工業学校長及び教員等の如き工業上の要務に就職し、又職工として其業に服し、各其修得せし所の学術を実地に応用しつゝあり、是れ本校教育の目的漸く其彼岸に近づきたるの今日此紀念式日に会す、豈に祝福せざるべけんや
 然りと雖も工業は世界共通にして、其競争は益々激甚なり、惟ふに今や泰西に於ける工業先進国の如き、其工業の規摸宏大なる、進展の較著なる、製品の巧妙なる、之を我邦工業の現状に比すれば相去る甚だ遠し、殊に国運発展の時機にある我工業にして現時の状態に安んすべきにあらず、而して是より以後工業の発達を期せんとせば其源泉たる工業教育の振作を図るの最大急務たるを疑はす、我東京高等工業学校は、玆に紀念式を祝福すると同時に、将来益々奮励努力、教育の効果を挙け、以て邦家の本校に期待する所に副はんことを期す
次に工学博士阪田貞一氏は紀念奨学資金(申込金額六万七千五百十四円六十八銭・申込人員一千五百十七人)贈進の辞を朗読し、之に対して、手島校長の謝辞あり、次に来賓牧野文部大臣は起つて同校設立の起原及主旨を詳細に演述し、本校か克く時の文部卿福岡孝悌子が太政大臣に提出せられたる建議の旨趣に副ひ、多年工業の発達に努め今日の盛況に至りしを祝し、次に卒業生総代大谷竹吉(山口工業学校長)・浅村三郎(大阪丁酉倶楽部代表者)両氏の祝辞あり、次に同校々歌奏楽ありて式を終り、夫より来賓は校内工場を随意観覧したるか、庭園にはビーヤホール・寿司・おでん・きぬかつぎ・水菓子・正宗ホール等の摸疑店をしつらゑ、各店にて職員・生徒何れも熱心に来賓を歓迎し、一同々校の盛運を寿きて思ひ思ひに散会したり、当日の重なる来
 - 第26巻 p.806 -ページ画像 
賓諸氏は
 山県逓相 牧野文相 英国大使 米国大使 清国公使 暹国公使 曾我子 小村男 金子男 清浦男 菊地男 渋沢男 花房次官 珍田次官 吉原次官 若槻次官 和田次官 千家府知事 浜尾大学総長 平井作業局長官 石井局長 真野局長 桜井局長 渡辺博士 久保田譲 安田善次郎 大倉喜八郎 馬越恭平 有賀長文 森村市左衛門 箕浦勝人 三宅博士 横井時雄 大岡育造 池辺吉太郎
其外貴衆両院議員・卒業生無慮一千余名也き


青淵先生公私履歴台帳(DK260136k-0004)
第26巻 p.806 ページ画像

青淵先生公私履歴台帳         (渋沢子爵家所蔵)
    賞典
同 ○明治四十年五月九日 明治卅九年七月、東京高等工業学校創立満廿五年記念奨学資金トシテ金弐百円寄附候段、奇特ニ付為其賞木杯壱組下賜候事  同 ○賞勲局総裁