デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
6款 其他 9. 東京高等工業学校
■綱文

第26巻 p.806-810(DK260137k) ページ画像

明治39年7月20日(1906年)

是年六月二十九日、当校校長手島精一ガ多年工業教育ニ尽瘁セル功労ニヨリ、特ニ御沙汰書ヲ以テ銀盃一組ヲ下賜セラレタルヲ慶祝シ、是日当校ニ手島校長款待会開催セラル。栄一発起者ノ一人トシテ其式ニ臨ミ、頌辞ヲ朗読ス。


■資料

東京経済雑誌 第五四巻第一三四七号・第一七五―一七六頁 明治三九年七月二八日 ○手島校長款待会(DK260137k-0001)
第26巻 p.806-808 ページ画像

東京経済雑誌  第五四巻第一三四七号・第一七五―一七六頁 明治三九年七月二八日
    ○手島校長款待会
東京高等工業学校長手島精一氏は、曩に畏き辺より御下賜品あり、又皇太子殿下の同校に行啓あらせられ親しく実況を御覧ありしは、単に校長たる手島氏の栄誉に止まらず、我実業界の名誉なるを以て、乃ち曾我子・渋沢男・大倉喜八郎・近藤廉平・浅野総一郎等諸士、朝野知名の人士五十名の主唱により去二十日を以て、手島校長款待会を同校に開けり、来会者は西園寺首相・牧野文相・林外相・松岡農相、松方大隈両伯、榎本・曾我の二子を始め、約七百余名に達し、式開かるゝや渋沢男爵は来会者に会釈し、手島校長を頌するの辞を朗読せり、其辞に云く
 維時明治三十九年七月廿日、東京高等工業学校に於て、校長手島精一君の為めに款待会を開催し、以て其事業の偉大なる、其感化の深厚なるを表彰し、広く之を天下に公にし、永く之を教育界に貽さんとす
 手島君は先見の明ある士なり、維新の後天下有為の才俊多く海外に赴き、眼を政法にするの時、明治九年偶々官命を奉じて米国を巡視し、国家他日の急務は工業に在るを看破し、田中宮内大輔に語るに国家将来の発展は工業教育の奨励に在るを以てせり、君が精神気力を集注して事に工業教育に従ふに決せし機は、方に此時に在り、其先見の明は明治十四年職工学校の設立を告ぐるに於て一着歩の功を
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奏せり、当時の状況たる、教育界は形而上の学を崇拝し、実業界は学芸を度外に措き、両者の間風馬牛も及ばずして調和を為すに道なきに拘はらず、鋭意熱心或は之を口舌に上せ、或は之を筆硯に訴へ彼の空理虚文に馳するの徒を制して有用なる工業に嚮はしめ、三十年已前に於て既に三十年已後の為めに工業の苗種を栽培して以て今日あるを予期せしは、先見の明あるの士に非らずして何ぞ
 手島君は修養の徳ある士なり、百事実践躬行に基き、其徳以て同人に接し、後進に対す、故に人皆之を仰ぐ、蓋し俊秀子弟の来て玆に鶯蛩する所以、教官其人を得る所以、校規の整粛する所以、職員の誠実に勤勉なる所以、生徒の温良にして奮励する所以、校内宛も一家相倚り相頼る父子の情誼あるが如き、以て他の品性陶冶を主とするが如き、其他卒業生の進退に於ける、各地工業学校在職の本校出身者指導に於ける、一として其の感化力の偉大なるを証する者に非らざるは莫し、而して感化力は、修養の徳より胚胎し来る、所謂手島奨学資金は、有志の紀念品贈与の挙に出でたるも、辞して肯て受けられざるを以て、此題名の下に寄附と為り、奨学金寄附の権輿を為せる、亦以て其一斑を徴すべし、修養の徳あるの士に非らずして何ぞ
 手島君は忍耐の力ある士なり、事を成す忍耐に在り、社会の風潮封建の遺風に泥み、実業を卑しみ顧みるものなきの日、独自信を重じ第一・第二次徐歩本校の規摸を拡張し、俊秀の生徒を収容し、以て今日の本校校舎を現出し、猶其設備の完全を致すのみならず、常に中外工業の状態を洞察し、其趨勢を考量し、之に応ずるの施設に務むるも亦少経費を以て良結果を収むるに留意し、急進の事業上に績を奏せざるに鑑み、百般の事業漸進主義を執り、遂に今日の盛を事業上に現出す、忍耐の力あるの士に非らずして何ぞ
 手島君が鋭意職に当りてより、職工学校は一たび東京工業学校と改まり、二たび東京高等工業学校と革まる、其校名同じからずと雖も其実質に於ては終始一貫工業優越を目的とし、次第に上進し次第に発展し、業既に二千五百有余の卒業生を出し、朝野到る処各其務に服し、著々奏効の緒に就き需要に応ずるに足らざるの形勢なりと謂へり、其之を馴致するは江淮漢の斉しく海に注ぐが如く、手島君の勲労に外ならざるなり
 今玆五月二十六日は其創立満二十五年に達したるを以て、紀念祝賀の典を挙げたるは中外の具瞻する所にして、爰に一新紀元を劃し工業上更に一大進歩を卜すべし、而して本校職員・出身者、其他世上有志者の本校教育の効果を認めたるや、此の紀念を以て紀念奨学資金を募集し、忽ち七万二千余を本校に寄附し、其利子を以て賞金・賞与品・学術研究費に充つるが如き、徳孤ならず必ず隣あり、此般の美挙は又手島君の勲労に外ならざるなり
 手島君此の勲労あり、而して敢て高きに居らず、職に服事するを以て人生の最大快事とす、至誠何ぞ又天に通ぜざらむや、六月廿九日天皇陛下其勲労あるを知らしめ、特に御沙汰書を以て御紋付銀盃一組を賜ふ、越へて七月三日 皇太子殿下本校に行啓あらせられ、親
 - 第26巻 p.808 -ページ画像 
しく生徒の実技練習を閲覧あらせ給ひ、紀念樹を校内に栽させ給ふ天皇陛下・皇太子殿下の工業教育を奨励し遊ばさるゝ、此の如く優渥なり、手島君の栄や絶大なり、本校の栄も亦絶大なり、而して此勲労や其修養の徳、其忍耐の力より発現せるものにして、益々手島君の勲労偉大なるを表彰するを覚ゆるなり
 本校何の幸ぞ、此二十五年創立期に当り、此優渥なる聖意と此特殊なる行啓とを賜ふ、吾人臣民の感激して措かざる所、夙夜に之を思ふて斯業の発展を謀らざる可からず、而して是れ啻に工業教育に於て然るのみならず、凡そ一般実業界は戦後の経営上大小と莫く尽く面目を一新し、規模を拡張し事業を振興し、以て其大成を期せざる可からず、水到る渠成る、他日大成を遂ぐるの暁は今日の手島校長款待会は好箇の動機たるに負かず、而して吾人が手島君の事績を伝て紀念品を贈り、玆に君の功績を頌するは則ち工業界を称揚する所以、工業界を称揚するは則ち実業界を発揮する所以、是れ吾人同志の特に今日の此開筵を祝賀する所以なり
読み了りて紀念目録と共に之れを手島校長に贈る、手島校長は恭しく之れを受け、謝辞を述べられたり
 今日の如き盛大なる待遇を受くるは、余に取りては非常なる光栄なり、而して頌辞に示すが如き功栄は毫も当る処にあらず、若し工業教育が実業界に貢献したるものありとせば、开は本校卒業生の功績にして余の与る処にあらず、然るに曩には 皇太子殿下の御臨場あり、今ま又た朝野の紳士諸君が此の会を開かれ、不肖余の如きものに対して賞賛の辞を賜はるに至りしは、畢竟するに工業の肝要なるを示すものにして、明治の工業史上に特筆して永く後世に伝ふべきものなり、余は工業教育の為めに至歓の情に堪へず、謹んで謝辞を述ぶ
引続き西園寺首相・牧野文相・大隈伯の祝辞あり、手島校長の為めに杯を挙げ各自歓談に時を移して散会せり、我教育界に於て斯の如き挙は未だ曾て聞かざる所、真に栄誉の至りと云つて可なり


中外商業新報 第七三九三号 明治三九年七月二一日 手島校長款待会(DK260137k-0002)
第26巻 p.808 ページ画像

中外商業新報  第七三九三号 明治三九年七月二一日
    手島校長款待会
予報の如く手島高等工業学校長款待会は廿日午後三時より同校内に於て開催し、一声の汽笛を相図に主賓・陪賓一同奏楽声裡に前庭の式場に会し、次て款待会員を代表して渋沢男爵式辞を朗読し、了て手島校長に長文の頌辞と紀念品目録を呈す、此時手島氏は起つて最も謙譲の態度を以て一場の答辞を述べたるに続いて、西園寺首相・牧野文相・大隈伯の祝辞演説あり、次で中野武営氏は曾我子爵に代りて来賓に謝辞を述べ、之れにて閉会を告げ、主賓・来賓共に予て設けられた各校舎楼上の食堂に於て立食の饗応あり、手島校長は各室を巡ぐりて来賓の万歳三唱を受け、随時散会せるは午後五時過ぎなりし、当日の重なる来賓には西園寺首相を始め牧野文相・松岡農相・大隈伯・有地男・渋沢男・森田商工局長・酒匂農務局長、其他朝野の紳士・紳商八百余名、頗る盛況を呈せり
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手島精一先生伝 手島工業教育資金団編 第一三一―一三二頁 昭和四年八月刊(DK260137k-0003)
第26巻 p.809 ページ画像

手島精一先生伝 手島工業教育資金団編  第一三一―一三二頁 昭和四年八月刊
 ○第二編 第三章 工業教育
    第二節 東京高等工業学校
○上略 明治三十九年五月二十六日に、東京高等工業学校は、創立二十五年の紀念式を挙げて、朝野の慶祝を受けたのであるが、同年六月の二十九日に、明治天皇は、親しく先生を召されて、多年、工業教育に従事して、功労少からざるを嘉みせられ、天盃一組を賜つたのであります。これ、実に、破格の光栄であつて、教育者として、先後を絶する優諚であります。玆に於て、朝野の名士多数の発起により、同年七月二十日先生を招待して、盛大なる祝宴を張りました。この祝宴には、時の内閣総理大臣・文部大臣、及、その他の各大臣を始め、大隈侯爵渋沢子爵等の諸名士、並に、商工業界の巨頭悉く集まりました。而して、これ等の顕官貴紳は、口を極めて、先生の功労の偉大なるを頌したのであります。この時に、同会から、先生に贈つた紀念品を、先生は、すべて、東京高等工業学校に寄附して、学生の奨学費に充つることゝした。これが、東京高等工業学校手島奨学資金と称するもので、先生の遺沢を、後昆に伝へて居るのであります。
○下略



〔参考〕東京工業大学六十年史 同大学編 第三四八―三四九頁 昭和一五年一一月刊(DK260137k-0004)
第26巻 p.809-810 ページ画像

東京工業大学六十年史 同大学編  第三四八―三四九頁 昭和一五年一一月刊
 ○第一編 第三章 第四節 当校の沿革
    第四項 奨学資金
  その実況
○上略
 次に当校創立記念奨学資金に就て述べる。明治三十九年当校創立満二十五年を記念し、当校出身及関係有志が発起となつて記念奨学資金を募集した処、出身者は勿論、世の有志者及工業会社等も此の挙に賛同、金員及有価証券若くは機械類を寄附せられ、其の金員は六万九千百四十余円に達した。本資金は寄附の条件として其の利子で優秀の生徒に奨学金品を授与し、又学術研究費を支給するもので、奨学金品は毎学年末に優等生に授与したが、大正十二年以後はこれを中止し、主として学術研究費に充用する事とした。尚大正五年五月本奨学資金研究成績優良者賞与規定を制定し、一、職員並生徒、工業上の研究に従事し其成績佳良なる時、若くは工業上有益なる発明・発見をなしたる時、二、職員、工業上の研究成績に対し内外国の一にて特殊の表彰を受けた時、三、本校卒業者にして工業上有益なる発明・発見をなしたる時は、何れも之に賞金を与へる事とした。因に創立二十五年記念奨学資金研究成績優良者賞与規程は次の通りである。
      創立二十五年記念奨学資金研究成績優良者賞与規程(大正五年五月廿五日制定)
 第一条 職員並ニ生徒、学校長ノ命ニ依リ若クハ予テ承認ヲ得テ工業上ノ研究ニ従事シ、其ノ成績佳良ナルモノハ当該科長ノ意見ヲ聞キ賞金ヲ与フ
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 第二条 左ノ各項ノ一ニ該当スルモノニハ、前条ニ準シ賞金ヲ与フルコトアルヘシ
  一、職員並生徒、前条ノ研究外ニ工業上有益ナル発明・発見ヲ為シタルトキ
  二、職員、工業上ノ研究成績ニ対シ内外国ノ一ニテ特殊ノ表彰ヲ受ケタルトキ
  三、本校卒業者ニシテ工業上有益ナル発明・発見ヲ為シタルトキ
 第三条 前条ノ賞与ハ科長会ノ決議ヲ経テ之ヲ定ム、其ノ第三号ノ賞与ニ関シテハ蔵前工業会長ノ意見ヲ求ムルコトアルヘシ
      附則
  本規程ニ依リ賞与セラレタル者ノ成績品若クハ報告書ハ、本校創立記念日ニ於テ一定ノ場所ニ陳列シ、汎ク観覧ニ供スルコトアルヘシ
○下略