デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
1節 実業教育
8款 全国実業学校長会議
■綱文

第26巻 p.847-855(DK260146k) ページ画像

明治39年10月7日(1906年)

是月六日ヨリ十二日ニ亘リ、全国実業学校長会議東京ニ開催セラル。栄一ソノ招請ニ応ジ、是日会場タル東京高等商業学校講堂ニ於テ、商業教育ニ関シ一場ノ演説ヲ為ス。


■資料

竜門雑誌 第二二四号・第九―一五頁 明治四〇年一月 ○全国実業学校長会議に於ける演説(明治三十九年十月七日)(青淵先生)(DK260146k-0001)
第26巻 p.847-852 ページ画像

竜門雑誌  第二二四号・第九―一五頁 明治四〇年一月
  ○全国実業学校長会議に於ける演説(明治三十九年十月七日)
                      (青淵先生)
時間の都合がございますで、私が口切に前坐を勤めまする、後に段々面白い真打がタンとございまするから、前座のはホンの時間の繋ぎとお聞取を願ひます
全国実業学校の諸君が文部大臣の御召集に依つて当地に御集まりになつて此会同を機として私も皆様と御会見をすることを得て、玆に実業に関する意見を一言陳上するやうにと云ふ、此間実業学務局長工学博士真野君から御依頼でございましたから、今日此席に罷り出でましたが、御聞き及びも下されませうが、実業家の一人たる私は頗る雑務多忙で、殊に学問の素養はございませず、中々学校を管理なさる所の各校長諸君の前で御話などするといふことは余程迷惑に感じます、殊に事物を調査して、学理は斯様であり数字は斯うであるというやうな考へでも立てゝ申上げると云ふことは、多くの時間を取らねばなりませぬから、左様なことは出来ないので、殆ど困難を感じましたから御免をと願ひましたが、折角御集まりの所で仮令無用の弁たりとも罷出て一言を申上げくれゝば、其で足れりとするから出て呉れろ、不束な言語は無論寛仮すると斯う云ふ仰せでございましたから、甚だ御聴き苦しい愚説を此処に陳上仕るのであります、意見を申上げる前に少し議論らしうなつて甚だ此御席には失礼な言葉に当りますけれども、全体此実業と云ふ文字は私が長い間一の疑問でございました、文部大臣も御出で、局長も御出で、全国実業学校長の方々も御出でゝすから、実業の文字の研究は既に十分御出来になつて居るだらうと思ひまする、斯る御席に実業の文字のことから一言申上げて見たい、蓋し釈迦に説法と云ふよりも、寧ろ素人の私が斯様なことを申すのは殆ど滑稽に当りませうが、暫く清聴を煩はします
実業と云ふ文字は、昔から漢字の熟字として有つたか無いか、さう云ふ研究は私は致しませぬ、実地とか実際とか実用とか云ふ文字は昔から見へて居りまする、併し業体に対して頭に実の字を附け、さうして実業と云ふ極つた文字になつたといふことは、さう古い熟字ではないやうに思ふのです、維新以後は昔の言葉が皆漢字に改つて、総て此漢字が熟字で通用することに相成つた、或る場合には文字を多くすると
 - 第26巻 p.848 -ページ画像 
云ふ嫌がありますが、或る場合には称呼を便利にすると云ふこともあるから、是等は追つて文字或は言葉に改良する点もあり、又多少攷究する必要がありませうが、先づ今日に於ては姑く別問題と致して、例へば金銭の勘定を財政とか経済とか、又百姓仕事を開墾とか墾田とか昔しはチヨツト見ぬやうな文字が現はれて維新以後通用されて居ります、然るに実業と云ふ文字は明治の初に起きた文字では無いです、記憶は慥に致しませぬが、何でも二十七・八年即ち十年若は十二・三年以前から流行り出した文字で、而も其文字を私が散見したのは、壮士と云ふ文字と其時代が同じ頃に出て居る、皆様も御記憶で御坐いませうが、壮士と言へば無職業で演説でもして居る者のことを今日では云ひます、昔の壮士は彼の壮士髪衝冠と云ふ様に恐ろしい強い人で、義を見ては直様死を忘れると云ふ人を言つたのだが、今日の壮士と云ふのは無職業の何にかベラベラ喋舌つたりする無頼漢を形容するやうになつて、一の妙な解釈を付する通用言葉が出来て参りました、丁度其頃に実業と云ふ字が流行り出したやうに思ふが、実業と壮士と似て居るとすれば、己れ実業家としては甚だ迷惑千万に考へたこともあるのです(笑)、然るに此実業と云ふ文字は段々に格式が進み、位置が発達して参つた、此処にお集りの二百四十幾人の実業学校長が寄つて居る此頭には実業学務局長といふものがある、故に渋沢が一実業家で、其実業の文字に付て此処に実業の定義を諸君に求むるのは、決して無用の論ではないと思ふ、実業といふ言葉は成る程無形の文字で、例へば法律とか政治とか文学とか云ふやうなものに対して作つたと言ひますけれども、若し然らば塩煎餅を焼くのも楊子を削るのも実業家、鉄砲笊を携へても実業家と言はねばならぬ、斯う云ふ議論になると私は敢て自ら高振るのではございませぬが、己れ実業家として塩煎餅屋と同様でござると言ふことは、少々御免を蒙りたいやうな感じがありまする、されば実業といふ定義と、実業といふ範囲は、斯る実業家歴々の御方々のお集りの所で斯く申上げましたならば、実業の定義は斯様で実業の範囲は此辺である、従て渋沢の議論に付ての判断を得る時機もあらうと思ひます、今日望むではありませぬが、此場合一言申上げて置くのは私の数年の疑を解く一の便宜と考へますから、決して何か変つた理屈を云ふことゝ思召し下さらぬやうに御聴取を願ひます
此事は先づそれだけとしまして、私は玆に申上げたいと思ふのは学問と云ふことゝ実際といふことです、所謂学理と実際と云ふ関係に付て愚説を申上げて見たいと思ふのでございます、今日は其関係が段々接近し、又段々緻密になつて参つて甚だ喜ぶべき次第でありまするが、併し之を他の最も密着して居る国々から比べて見ますれば、また其懸隔が甚だしいと言はねばならぬやうに思ふのでございます、年を取つた者は古い事を申したい癖があります、是は老人として姑く御宥恕を願ひますが、私が学問と実際に付て疑念を懐いて居りまする、其昔をこゝに回想いたしますると又も渋沢が彼の件を言ふかとお笑ひになるかも知れませぬがイツでも言ひたい、丁度明治十三年頃でございましたが、帝国大学の理学士を、今日は会社として随分広大な位置を占めて居りまする東京の瓦斯会社――それがまだ東京府に属して居つて瓦
 - 第26巻 p.849 -ページ画像 
斯局と言つた時分に、応用化学の学士某を傭はうと云ふ話をした、其時此学士の云ふには政府の役人になるか教員になるのならば地位が良いけれども、実際の仕事をするといふことになると終に民間に下らねばならぬ、夫れ故責めては給金でも良くなければなり度くない、斯う其人が答へた、然るに其約束を仕掛けた時分には、給料は東京府会で議さねばならぬといふので府会で議したが、其給料ではイヤだと言はれて其人を得るに差支を惹起したことがあります、其の時に私は大層に慷慨したです、実に悲憤痛歎といふ程に思つた、商売人が悲憤などは余り下さらぬ文字ですけれども、斯んな有様では将来の国家は如何なるだらうと思つた、何ぜならば理学を修めた学士が教員か役人でなくてはイヤダといふ以上は、実際といふことには其人は観念が無いのです、其修めた学問を何にするのか、只試験的に講釈丈に用ゐる積りだといふのならば斯んな学問は詰らぬ、畢竟国を富ますといふからこそさういふ稽古をする、それを実際に及ぼすといふことなら大層喜んでなつて呉れて宜いのに、民間に降るのは地位が下るといふが如き観念を有つといふことは如何なるものか、畢竟大学の教授の趣旨が悪いから、教員の教へ方が間違つて居るから斯る観念を持つのだ、此有様では国家の富を図るといふことは、所謂木に縁つて魚を求むる所ではない、大間違だと考へて、当時の大学の総理加藤弘之氏に奮然と行つて其事を申述べたのは、まださう古い話ぢや無いのです、学理と実際の懸隔する一例は明治十五六年頃であつて、左様に迄懸け離れて居つたといふことは諸君御了解になるでありませう
其以来段々世の中が進んで参りましたから、何時も左様なことは無いもう今日は既に実業学校も斯の如く全国に行渉るといふことである、けれども其経過中に度々さう云ふことがあるのです、極く直接なる一例を申すと私が煉瓦事業をやつて居ますが、是も殆ど十七八年以前のことであります、独逸から斯業熟練の技師を頼んで、中仙道の深谷の在で工場を建てた、「ホフマン」式で三つの竈を築いて其上へ乾燥室、それぞれの設備を拵へて白地に抜いて之を乾燥させて見ると、其竈で焼く程度と乾燥する分量の温度が合はない、一週間経てば乾燥は届くから、其乾燥した物を「ホフマン」式の竈で焼いて其竈から出して行くと、丁度白地が乾燥する、乾燥の場所は広いから一週間経過すれば竈に入れて焼ける、随つて又一方には白地を作りて乾燥する、斯う云ふ順序に造つた所が三十日経つても乾燥しない、然らば此技師はまるで役に立たぬ人かといふやうになつて来る、終に其技師に私が厳しい質問をして見ると其間違が分明になつた、それは何から起きたかといふと、独逸の空気と日本の空気との乾湿の工合の研究が足らなかつた故右様の間違を起した、そこで余儀なく乾燥室の構造に多少手を入れて今日はどうか間に合つて居りまするが、之が学理と実際の間違ひで学者の方も悪るかつたし実際家も悪るかつたでせうが――さう云ふやうな密着せぬことで大に苦んだことがございます、未だ今日でもある例へば此処に港を築いて運送の便を謀る、而も広大な場所であれば、是程の巨額の金を掛ければ確かに出来ると技師は明言する、然るに其港を築くには、例へば石炭であれ木材であれ、其他の貨物であれ、輸
 - 第26巻 p.850 -ページ画像 
出する分量と相適合する計算を有すべき筈である、若し玆に立派なる技師があつて港だけは造るといふことであつても、其港の分量例へば年に数千万円輸出する貨物のある所と、数百万円丈けの場所に同様の費用を掛けては経済が合はぬ、然るに技師の方から言へば港は出来るから宜いぢやないかといふが、そんなことで港が出来ても何にもならぬ、詰り学問と実際が密着して居らぬから、往々斯る間違が生ずるので困る、技師からは実際家が不理窟を云ふから困ると言ひ、実際家は技師は勘定に踈なりと言ふて、相互に乖離して誹り合ふと云ふ間違が随分ある、是れは事業に就て一二の例を申したのですが、時々そう云ふ有様がある、元来私が考へると学問と云ふ事なしに事実の出来るものぢや無い、ですからして寧ろ学問が先で実際が後と云つても宜い、が只此学問が真正に出来て居らぬ場合がある、学者と称へても果して事実に適合する迄の窮理研究が届かぬ学問は、わるくすると事実と齟齬することもあり、又或は充分に窮理研究は致しても、前に申す如き独逸と日本の空気の詮議をしなんだといふ所から過ちを惹起すといふこともあります、故に是から先の事業の進歩は詰り成るたけ学者にして実業の出来る人、即ち実業家でそれだけの学問を修めた人で、両方を兼帯する場合になつたならば始めて完全の位置に進んで参りませうから、行末左様有りたいと希望します、けれども世の中のことは事物の広き人間の多き、必ず二者一身に集めるといふことは亦難い、然らば或る場合には実際をやる人、学問をやる人、二人あつたならば十分密着して、而して世の中の総ての事物を発達さして行く、斯く考へねばならぬが、併しそれは前に申した通り真正なる密着が無かつたならば其間に種々衝突若しくは齟齬を惹起して困難することになるだらうと思ふのであります
見渡しますと海外の諸国でも、学理と実際の十分に密着したといふ国程総ての事物が進歩して居る、而して其国は富み且つ強い、之に反して其隔離して居る国程貧しく且つ弱い、英吉利と朝鮮とを並べて、鏡に掛けて見れば明かに分る、が今日の日本と雖も、学理と実際が未だ英米独の如くには密着して居らぬ、否大に彼等から見ては隔絶が強いと考へます、して見ると是から先き、殊に事業に力を入れねばならぬ諸君又私共も、其方面に力を入れて居る以上は、お互に此学理と実際が真正に密着せられることを、飽迄も務めたいと考へまするのでございます
是等の点に付ては、更に諸君が学生に対して是から先き教育をして行くに付て、一二御注意を請ひたいと思ふことを少し申添へて置きたうございます、総ての学問の有様が私共素人から観じまするといふと今日の教育は所謂吹込主義が強過ぎはせぬかと恐れます、実習を先にさせずに、頻りに詰込むといふことは如何かと思ひます、是は諸君の言ふことを私が口真似をして、無関係な人間が左様なことを申すのは寧ろお笑ひになるだけでありませうが、余り教育の体裁が先きになつて実際の精神を進めるといふことが後になりはせぬかと、凡ての学科・学問に付て恐れるのでございますけれども、殊に実業界などに申したいことでございます、どうぞ此実業に従事する生徒を引立てゝ行く諸
 - 第26巻 p.851 -ページ画像 
君に於て私は希望する、此吹込主義を成るべく制限して、自修の念を起さしむるやうになりたいと思ふのでございます、又一は成るべく一ツに専らにして、多岐に渉らぬやうな工風を養成するやうにありたいと思ひます、渋沢が総ての方面に顔を出して居て左様に求めるといふと、殆ど自家撞着するとお笑ひなさるか知らぬが、私は一身に種々の方面に顔を出しますが、決して多岐に渉るのとは自身は思はぬのであります、又私は皆様からさう申して欲しいとも思はぬのでございます或は渋沢だけは特別な人間だと自から任じて居るといふ御疑はあるか知れませぬが、謂はゞ私は過渡の間に成立つて参つたから終に斯様の位置を得まして、今更もう殆ど七十に垂んとして之を改めることも成し難く存じます、決して之は結構なことでないと云ふことは自身も悟て居る、他の人々に斯る真似をさせたくない、といふて只一つ例へば銀行だけに限つて、其他のものは総て振向かぬと云ふことも出来ぬのでございます、けれども八宗兼学と云ふことは、人間に決して出来る訳のものでない、是から先きに出る生徒などは、力めて一方に精しく多岐に渉る弊を防ぐやうにありたいと考へます
更に申上げたいのは商業道徳です、商業道徳と苟にも申しますと、只六ケ敷堅苦しく孔子の教育の糟粕を嘗めて、頻りに仁義忠孝のみを講ずるやうに聞へますけれども、私の商業道徳といふものはそれではない、勿論それでなくてはならぬが、殊更に商業会社の人々の人格を高めなくてはならぬ、人格を高めると云ふことは、即ち道徳を修めねば人格が高まる筈が無い、金さへ見れば其前に直ぐ転んで崇拝するといふ人間であつたならば、決して人格は高くなりませぬ、果して道徳も修まることも出来ぬのでございます、私は利益に疎くして己れが貨殖することが出来ぬ、財産を集めることが出来ぬ、富を増すことが出来ぬ、申訳に渉るやうでありますけれども私は思ふのです、現今我邦には三菱とか三井とか、或は其他にも京都・大阪其他に実に指を折つて算へ尽せぬ程有力な金持もある、近頃段々に増加して参る、実に喜ぶべきことである、一個人として大なる富力を持つのは結構で勿論喜ぶべきであるが、併しながら一家の大富力があるからと言ふて、日本全体が皆三井・三菱ほど富むと云ふことはできぬ、蓋し商業家として一家の富を計るのは即ち覇道であつて、公利公益を勉むるのは王道である、苟も商業家の人格を唱へるならば寧ろ王道に由るが宜い、渋沢は金は持たぬけれども、即ち王道に由つて営業をして居る者である、斯う先づ私は自負して居るのでございます(拍手)、故に諸君が将来に教養する生徒は、成るべくだけ自家の利益だけを営々として努める観念をば去らせたいものであります、或はカーネギーの教には、成るだけ独立せねば人の成功は出来ぬといふことを教へたといふことであります、是はカーネギーとしては尤もです、けれども果して独立と云ふ言葉はどうか、渋沢は各種の会社の俸給によりて生活して居りまするが独立は少しも失つた積りは無い、故に只々自分一個の計算のみを以て商売をして大金持になつたのは国家に対して成程有益だとも考へるが是は即ち覇道を好む商売人である、広く多数の資本を集めて、之を道理正しい方法に依て誰からも非難を受けぬやうに、又其多数の人がそ
 - 第26巻 p.852 -ページ画像 
れに信頼するやうにして共に富んで行くといふことであつたならば、私は大に其国の富を増し、一人一個で大きなものを作るよりも優るではないかと思ひます、果して然らば私が云ふ、己れ自身は富ぬでも王道を以て商業をすると自から任ずるも、決して其論理は間違ふて居らぬと信ずるのであります(拍手)、故に是から先き、諸君の引立てゝ養成する学生は、どうぞ成るべく王道に依つて御仕立なさることを、切に希望いたすのであります、之を以て諸君に対する一言の意見と致します(拍手)


東京経済雑誌 第五四巻第一三五八号・第六七七―六七八頁 明治三九年一〇月一三日 ○全国実業学校長会議(DK260146k-0002)
第26巻 p.852-854 ページ画像

東京経済雑誌  第五四巻第一三五八号・第六七七―六七八頁 明治三九年一〇月一三日
    ○全国実業学校長会議
全国実業学校長会議は去六日より開会、文部省よりは真野実業学務局長・赤司秘書官・松本参事官及中川視学官等出席し真野局長議長席に着き総会・部会・委員会の開会に関する打合せを為し、農業学校部会議長に松井農科大学長、工業学校部会議長に手島東京高等工業学校長商業学校部会議長に松崎東京高等商業学校長を挙ぐることに決し、夫れより各学校及工場等巡視に関する打合を為し、午後一同高等商業学校講堂に参集、牧野文相・阪谷蔵相・和田農商務次官の演説あり、翌七日は渋沢男爵・荘田平五郎・新渡戸第一高等学校長の演説ありたり
△牧野文相 の訓示に云く、今や我国は最も実業の発達を計らざるべからず、然るに我国は近来食料に不足を生じ、漸く商工業の利潤を以て外国の産物を購ひ、漸くにして需要を充すを得たり、思ふに将来国民生存上の必用品は益々多きを加ふべければ、国民は宜しく盛に国産を廉価に製作して之を最良の華客に鬻ぎ、以て自家必須の物品を調達せざるべからず、若し然らざれば国家は遂に経済上の疲弊を来すべしと、斯くて実業教育の現勢より、社会実務に達せる人物を作り品性の陶冶を務めざるべからざるを諄々として説かれたり
△阪谷蔵相 の演説は、端なくも世論を惹起するに至りたるが、蔵相は先づ本月一日より関税を改正したる結果、従来よりは重くなりしも是れ決して保護主義に非ずして、全く収入主義なりと論じ、更に「今日に於て商工業の発達を阻礙するものは米麦の騰貴と石炭の高価とに在り、之を廉価にする工夫は今後に於て大に考ふべき事に属す、大蔵省は十月一日より石炭輸入を無税とせり、米麦の輸入税あり是は戦時税として継続する訳なるが、世間種々の議論なきに非らざれども、予は大蔵大臣として米穀に課税したるの政策を非とする者に非ず、併しながら日本の商工業の大体より見れば大に研究すべき事なりと思ふ、若し今日の如く上等米が一円に三升八合の価を有するに於ては商工業の発達は覚束なし」との意味を述べられたり、或は多少誤聞もある由なれども、各新聞紙は殆んど皆右と同一意味に記したれば、種々の批評を招くに至れり、即ち蔵相は米穀輸入税に就て心中自ら安んぜざるものあり、さりとて之を廃止せんこと容易ならず、故に輿論の勢力を藉らんとするなり、或は云く、一個の経済学者としては恕すべきも、現に蔵相の地位に立ちながら僅か一年前に是認せし政策に疑を懐くの嫌ひあるは論外なり、或は云く是れ蔵相の覚醒なり、速かに其非を非
 - 第26巻 p.853 -ページ画像 
として廃止するに吝ならざれと、蓋し昨今米価の高さは輸入課税の影響与りて力あるは論なく、食料品の騰貴は労働者の生活を困難ならしめ結局賃銀高上の要求を来すの外なきことなるが、食料の騰貴が工業の発達に害あるは論を俟たざる所なれば、廃止の至当なるは贅言を要せず
△渋沢男爵 は今後の学者は実際家を兼ぬるの必要ありとし、学者の実際に迂遠にして其互に密接ならざるより惹起せる幾多の実例を挙げ現在教育社会の通弊は実際を疎んじて吹込主義に傾けると、一事一芸に専らなるを得ざることなりと為し、人格の修養に及びて「彼の一個人の富栄を謀るは所謂覇道にして、一国の富栄を謀るは即ち王道なり今日の実業教育は大に王道主義を鼓吹せざるべからず」との警句を以て結ばれたり
△荘田平五郎氏 は、近時職工を軽蔑するは社会の弊風なりとし、職工は貧民と同視すべきにあらず、相応なる格式に進みたる職工は、斯かる文字を使用するものよりも収入の大なるものあり、之を土方・人足・日雇類と同視するは無礼なりとて、兵役の重んずべきことゝ、自由平等主義の軍隊訓練より得来ることを述べられたり
最後に新渡戸博士は、卑近なる実例より実業教育の方法に説き及びて教育者は社会の大勢に通ずるの要あり、人格の修養を力むべし、実際の応用に着眼すべきこと等を説けり
実業学校長会議の諮問事項は、既に本誌上に掲出したるが、其後に至り左の如く訂正追加せられしものあれば、玆に再録す
 一、公立私立実業学校の教員に関する規程制定に関し意見を問ふ
 一、実業学校の専攻科を廃するの可否
 一、甲乙同種額の実業学校を一校内に併置するの可否
 一、実業教育上に於て生徒の訓育上特に注意すべき事項、及之に関する実行方法如何
 一、実業学校生徒の校外監督に関する有効方法如何
 一、農業学校の補習科を廃するの可否
 一、農業学校に於て最も適当と認むべき生徒一人に対する実習地の坪数、及蟻量並に鍬の重量如何
 一、工業学校の染織科を色染科及機織科に分つの可否
 一、工業学校染織科仕上法教授要目に関し意見を問ふ
 一、同機械学同に関し意見を問ふ
 一、同色染法同に関し意見を問ふ
 一、同機織法同に関し意見を問ふ
 一、工業学校に於て製糸・綿糸・絹糸・紡績を各一学科として置くの可否
 一、都会地及多数工業者所在地に適切且有効なる工業補習教育を施設する方法如何
 一、工業学校及農業学校に於ける実習材料及成精品の最確実なる出納方法如何
 一、甲種商業学校に於ける商品科は、各商品に関する商習慣を主として教授するを可とするや
 - 第26巻 p.854 -ページ画像 
 一、商業実践の一部として、甲種商業学校に於て実習販売所を設くるの可否
 一、甲種商業学校商事要項教授要目に関し意見を問ふ



〔参考〕東京経済雑誌 第五四巻第一三五九号・第七二八―七二九頁 明治三九年一〇月二〇日 ○実業学校長会議の成蹟(DK260146k-0003)
第26巻 p.854 ページ画像

東京経済雑誌  第五四巻第一三五九号・第七二八―七二九頁 明治三九年一〇月二〇日
    ○実業学校長会議の成蹟
去六日より文部省に於て開会せる全国実業学校長会議は、去十二日を以て閉会したり、同会議に於て各府県提出の協議案中、総会の議を経て文部大臣へ建議することに決したるは左の数件なり、又文部省諮問事項公私実業学校の教員に関する規程制定に関する件は、実施期及従来の無資格教員採用に関する修正を加へ原案を可決し、実業学校の専攻科を廃するの可否、甲乙同種類の実業学校を一校内に併置するの可否の二件は、農工商各分科に於て夫々相異なる答申をなし、又実業教育上に於て生徒の訓育上、特に注意すべき事項及び之に関する実行方法如何、実業学校生徒の校外監督に関する有効なる方法如何は種々議論ありたる末、前者は款項を分ちて詳細なる答申をなし、後者は有効なる方法あるを認めずと云ふに決し、其他の事項に就ては専門的技芸に関すること故、夫々精密なる答申をなすことに決定したり
      建議事項
 一、中学校程度の実業学校の奏任待遇教諭の数三名以内の制限を解かれたきこと
 一、義務年限の延長及高等小学制度の変更により実業学校に影響を及ぼすべき時は、或は新規の規定を制定し、又は現今の規定を改正せられたきこと
 一、実業学校教員の勤務年限を、一般官吏の勤務年限に通算するの制を定められたこと
 一、実業学校生徒の実業視察に際し、汽車賃割引を実行せられたきこと
 一、実業学校設備完成の為め、特に国庫金下附の規定を設けられたきこと
 一、高等教育会議議員中実業学校長の員数を増加せられたきこと



〔参考〕中外商業新報 第七四六〇号 明治三九年一〇月七日 全国実業学校長会議(DK260146k-0004)
第26巻 p.854 ページ画像

中外商業新報  第七四六〇号 明治三九年一〇月七日
    全国実業学校長会議
第一日……全国実業学校長会議は六日午前十時より文部省修文館に於て開き、真野実業学務局長・赤司秘書官・吉武視学官等出席、準備につき協議の後、部会に於ける議長に農部会は農科大学長松井即吉氏・商部会には東京高等商業学校長松崎蔵之助氏・工部会には東京高等工業学校長手島精一氏を推薦し正午休憩、午後一時卅分一同高等商業学校講堂に参集、牧野文相・阪谷蔵相・和田農商務次官の演説あり、午後四時散会せり



〔参考〕中外商業新報 第七四六一号 明治三九年一〇月九日 全国実業学校長会議(DK260146k-0005)
第26巻 p.854-855 ページ画像

中外商業新報  第七四六一号 明治三九年一〇月九日
 - 第26巻 p.855 -ページ画像 
    全国実業学校長会議
第三日……全国実業学校長は八日午前九時より文部省修文館に参集、各部会を開き十一時三十分散会、午後は市内実業学校を参観し、夜間総会を高等商業学校講堂に開けり