デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
2節 女子教育
2款 日本女子大学校
■綱文

第26巻 p.916-918(DK260171k) ページ画像

明治42年4月21日(1909年)

是日当校第八回創立記念式日ニ当リ、当校晩香寮ニ於テ寮生ノ発起ニヨリ、栄一ノ古稀祝賀会ヲ催ス。栄一出席シテ謝辞ヲ述ブ。


■資料

家庭週報 第一八五号 明治四二年五月一日 日本女子大学校記事(DK260171k-0001)
第26巻 p.916-917 ページ画像

家庭週報  第一八五号 明治四二年五月一日
    日本女子大学校記事
第八回創立記念式 既報の如く、去る廿一日午後二時より、第八回創立記念式挙行、土方伯・大隈伯・久保田男・森村氏等の臨席あり、式
 - 第26巻 p.917 -ページ画像 
後例年の如く生徒一同の記念植樹ありたり。


家庭週報 第一八五号 明治四二年五月一日 ○余の女子高等教育に尽瘁する所以(男爵渋沢栄一氏談)(DK260171k-0002)
第26巻 p.917-918 ページ画像

家庭週報  第一八五号 明治四二年五月一日
    ○余の女子高等教育に尽瘁する所以 (男爵 渋沢栄一氏談)
 私は今年古稀の齢に達した。七十年は大分永い、古来稀と云ふが、支那人は白髪三千丈体の比喩で、物を誇大に云ふ癖がある。今夕寄つた中にも(記者云ふ、四月廿一日日本女子大学校創立第八回記念の夕、渋沢男の好意によりて建てられたる晩香寮に於て、寮生一同の発起によりて男
の古稀を祝する席上、偶々土方伯・久保田男・森村市左衛門翁等会集せられたり)土方伯は七十七にならつしやる、森村さんは七十一で、十人計りの中に三人迄七十の声を聞いた者があるから、七十であるからとて、左程爺さんと思つては下さいますな。私も存命の間は此の学校に尽瘁したいと思ひますから、お役には立ちますまいが、時々参つては旧い方には小言がましい事を、新らしい方には教訓らしい事を申上げますから、どうか皆様御面倒になさらずにお心安くお聞き下さい。
 私の若い時分は実業家よりは、寧ろ壮士的、役人風の経歴であつた実業家となつたのは明治六年で、以来殆んど四十年之れに携つて居るその歳月はさやうに長いが、私の心に感ずる所は、二十四から三十迄の六七年間が最も変化に富み、従つて最も長かつた様に感じます。往時を追懐しますと、明治六年からは平坦な道を辿つたが、その以前は山もあり、川もあり、崖に落ち、また攀ぢ昇るといふ種々の辛苦を嘗めた。その経過の間はえらい困難に感じましたが、過ぎ去つた今日から見れば愉快である。少し手前味噌のやうに聞える嫌ひがあるかも知れぬが、今日迄の私の働らきは、一身一家の為めと云ふよりは、微力ながら国家のお為と考へたに相違ない。当時外国を嫌つて鎖国、幕府を嫌つて尊王と云ふ観念の下に、尊王攘夷・尊王討幕と云ふ事を喧しく申しました。蓋しこの考へは間違つて居つたのである。然るに世の中は維新の制度となり、賢い方が朝に立つて、政を執るから、以前考へた事は無用になつた。然し此の頃の事を見れば政治上の事は進み、学問の働らきは大について来たが、何様永い間、理財貨殖と云ふ事には慣れの無い国民であるので、商売の事を酷く賤しみ、商人は最下級の者とし、金銭の勘定等は、立派な人は知つて居るのも恥だと考へる風習であつた。維新によつて百事が開けて来ましたが、国家の富には注意しなかつた。但し大政治家は注意したが、おしなべては其の考へがなかつたのである、此時私自身、昔の攘夷とか、鎖国とか云ふ主義の誤りを悟り、どこ迄も外国の長所は取らねばならぬ。政治上の改革は既に已に成立したから、微力ながら之れから国の富に力を尽し度いそれには一人一個がよい鉱山を当てるとか、よい事業を経営するとか云ふ事は、近世の国家の富とはならぬ。多数の方面が進む様にならなければならぬ。小さい資本を集め、集まつた資本は都合よく経営する会社の組織が必要と思ふて、五六年《(マヽ)》その事を経営して居る。
 扨て私が女子高等教育の必要を成瀬君から聞いたのは、二十九年頃と覚えて居る。私は町人の位置の進むと共に、御婦人の働らきが、男子を助けると云ふ事にならんければならん。男子も只昔のやうに力づくに働らいて、稼ぐに追付く貧乏なしと考へて居つても、他国と晴れ
 - 第26巻 p.918 -ページ画像 
の舞台で競争する様になつては、到底そんな優長な真似をして居つては間に合はない。いくら足が達者であつても、自転車や、自動車や、まして汽車には追付かれない。之れと競争するには学問である。智識である、故に勉強は勿論必要である。而して同じく生を稟けた女性に学問が無くてよいといふ筈はない。之れは昔の武人制度の間違ひである。力づく腕つくの世の中ならば、女子は男子に勝つ事が出来ないから、男子から器具の如き取扱ひを受けるのも止むを得ないが、然し之れは町人が士人の戦争をする器具の如き取扱ひを受けたのと同様であつて、今日の文明の世の中では、矯さなければならない事と信じた。男子と女子とは性質も違ひ、境遇も違ふが、同じく国の富に必要な智識を希望せねばならぬ順序である。かう申せばとて、御婦人方をだしに遣ふ為めに女子教育を希望すると云ふのではない。御婦人の智識が増せば、其の働らきが現はれ、其の働らきが現はれゝば地位が進み、国の富を増すと云ふ事になると云ふ考へが、微力ながら此処に力を致した所以である。而して大体に於て此の校の御主義を賛して御助力申しては居るが、時には互に御討論もし、御相談もし、常に種々なる考究を尽して居る事を、よく御了承を乞ひたい。此の間卒業式の時にも云つた様に此の学校は大豊富の人の資本に由つて成立して居るのでもない、政府の保護を受けて居るのでもない、多くの人の集合した力によつて成立して居ので、創立以来未だ歳月は短いが、斯く迄の発展を遂げたのはあだをろそかではない。蓋し之れは校長の御熱心、教職員諸君の御尽瘁によるのは勿論であるが、然し我れ我れ共此処に協賛して居るものが力を尽して居る事を、諸嬢は御記憶して置かれたい。要するに皆様が教育をお受けになるのは、御自身の発達が主であるが、それはまた国家に裨益する所以であると云ふ事を、しつかりと心に刻んで置かれ度い。即ち諸嬢の学問は、御自身の進歩を計るのみならず良妻賢母となつて、其の夫の上に、其の子女の上に、感化を及ぼしてやがて国家の智識を増し、利益を加ふる事は幾何であらうか。之れ我れ我れが皆様方に望みを属して居る所以であります。どうか諸嬢には十分御勉強あつて、我れ我れの希望にお添ひ下さる様に願ひます。