デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
3節 其他ノ教育
6款 埼玉学友会
■綱文

第27巻 p.62-63(DK270020k) ページ画像

明治40年2月11日(1907年)

是日栄一、当会ノ総会ニ臨ミ一場ノ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK270020k-0001)
第27巻 p.62 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年     (渋沢子爵家所蔵)
二月十一日 曇 寒            起床七時三十分 就蓐十二時
○上略 午後一時牛込ニ抵リ学友会ノ総会ニ出席シ、勅語ヲ奉読シ学生ニ賞品ヲ授与シ、畢テ一場ノ演説ヲ為ス ○下略


竜門雑誌 第二二九号・第六―七頁 明治四〇年六月 ○埼玉学友会大会に於ける演説(二月十一日)(青淵先生)(DK270020k-0002)
第27巻 p.62-63 ページ画像

竜門雑誌  第二二九号・第六―七頁 明治四〇年六月
    ○埼玉学友会大会に於ける演説 (二月十一日)
                       (青淵先生)
私は本日別に是と云ふ纏つた演説は致されぬ、それと云ふのは此頃非常に忙はしく、現に今朝なども訪問者が詰め掛けて居つて、遂に定刻に遅れた次第で何分腹案する暇がなかつた、されば自分が常に関係して居る経済界の事でも御話し致して、将来斯界に向はるゝ皆様の参考に致さうと存じます、先づ経済界に対する皆様の覚悟とでも申して宜かろうと思ふ
此経済界も国の進歩とともに時々刻々発展して居ります、が常に同じ歩合で進歩発展するものではありません、世の中何れの事でも左様であるが、苟も意識あるものは同じ度合に行動致しません、殊に今日は最も急激に進歩しつゝ有るので有ります、経済界の歴史を回想して見ますに、日清戦役より現今迄如何なる経過をしましたか、実業界が世に重ぜらるゝに至りましたのは、明治二十年前後からであります、是以前は申す程の事もなく、取分け旧幕時代などは頗る陋劣なもので、尊重せらるゝ値もなかつたのであります、国威の進暢には、政治も必要、軍事・学芸も必要でありますが、同時に此の実業も亦必要なもので有ります、日清戦役頃の経済界には、二つの重なる傾向が有りました、一は可及的正確安全を主とし、一は可及的急進積極を主と致して
 - 第27巻 p.63 -ページ画像 
居りました、正確派は急進派の突飛な活動を見ては非常に悲観しました、殊に三十一・二年頃は急進派を大に悲観して居りました、併し乍ら三十五年頃は金融が頗る閑慢になつて、商工業に別に是れと云ふ目ぼしい事もなく過ぎましたが、三十六年に成りますと少々事業が起らんとする傾を示しました、海外事業即ち支那・朝鮮などに於ける経営を重く見るやうに成りました、こゝに於てか日露戦争となり、経済界は大打撃を被りました、夫から戦役後即ち現今の経済界の趨勢は実に奇妙な現象を呈して居りまして未来の事は私などにも一向解りません併し新会社の設立は最も目ぼしい事柄であります、此の会社の設立の原因には種々ありませうけれども、従来所持せし高い株を売つて、格安の新株を沢山求め様とするのも一の原因と思ひます、私なども新会社の設立は甚だ宜いと思ふ、併し新事業には時に随分損も有りますけれども、亦事業を為すには其の不足を補つて行かねばなりません、「転ばぬ様に寝て居れ」と曰ふ人が有るが、こんな安全の計のみして居る石橋論者は、共に語るに足らぬのであります
世の中は私共の思つたより進歩いたしました、例の電車なども創立の際には如何と思ふたのです、処が存外世の需用に適して、相当の利益配当も有る様な訳で、高架鉄道や地下線なども出願するやうになりました、兎に角充分の自信があつて始めて会社などは起すべきもので、決して「他人の褌で角力取る」様なことは致すまじきことで有ります実業の進歩、商業の発展は誠に賀すべきでありますが、商業の道徳は反比例に衰頽する感が致します、之が相互の不信となつて斯界進歩の為には実にゆゝしき事となりはせぬかと憂ひます、今迄の商人には無教育なものが多い、併し今後は教育もあり人格もある皆様がこれに従がはれることであれば、商業の拡張、道徳の進歩と程よく並行して発達させられんことを切に希望致します