デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
3節 其他ノ教育
8款 早稲田大学
■綱文

第27巻 p.89-93(DK270028k) ページ画像

明治36年7月15日(1903年)

是日栄一、当大学第二十回得業証書授与式ニ臨ミ一場ノ演説ヲナス。


■資料

早稲田学報 第九一号 明治三六年九月 早稲田大学得業証書授与式に於いて(男爵渋沢栄一)(DK270028k-0001)
第27巻 p.89-93 ページ画像

早稲田学報  第九一号 明治三六年九月
    早稲田大学得業証書授与式に於いて (男爵 渋沢栄一)
  去る七月本校第二十回得業証書授与式に於いて、来賓渋沢男爵の演説ありしことは、既記の通りなるが、その演説は左の如きものなりき。
 大隈伯爵及紳士・学生諸君、私は今日の頗る御目出度い盛典に参上致すゝら一身の光栄であります。加へて爰に愚見を申述べるやうにと云ふ、此程学監高田博士から御依頼を受けて居りますので、此壇上に登つて不束な愚見を陳べる場合に至りましたのであります。
 毎度申すやうではございますけれども、御案内の通り、私は所謂素町人でございまして、商売の事より外他に関係を持て居らぬ身体で、法律若くは政治と云ふやうな事に付て、諸君を裨益する事は一も出来ませぬのであります。去乍ら今日卒業証書を授与された諸君は、種々なる方面もあらつしやいませうけれとも、思ふに政治経済と云ふ人員が多数を占めて居らしやいませうければ、私共の本領も決して此中に少なからぬと考へます。故に何時も乍ら矢張り商売的の御話を申上げて、今日の祝辞に代へませうと思ひます。
 本校が二十年の星霜を経て、此の如き盛大の域に進んで居りましたと云ふ事は、大隈伯爵及現校長・学監其他教員諸氏の容易ならぬ御尽力、又爰に入学する所の学生諸君の勉励刻苦の力でありませう。物事も斯く迄に進んで往くかと、既往即ち当初を顧みますれば、御互に大いに意外の感を起すでありませう。身其事に接しませぬ私ですら、左様に有りますから、当初からして御関係なすつた方々には、定めて今昔の感を深くされる事だらうと思ひます。左様に世の物事が進んで参るに引替へて、商売上の有様は如何であるか、此問題に就て私が爰に申上げたいのは、本日卒業せられた諸君が全体とは申さぬが、多数は此境涯に御立なすつて、未来の経営を我々と共になさる方々だと思ひますからで、爰に其御話をする必要があらうと思ふのであります。
 一事一物を以て全体に較べて此比較論をすると云ふ事は甚だ穏当でもございませぬし、又出来能はぬことでありませう。去乍ら一体日本の商工業も、其初めから較べて見ましたならば、敢て憂ふる事ばかり多いと申さぬでも宜いと思ひます。相当の進歩をなしたと言得るではありませう。けれども前にも申す通り、此学校などの進んで参つた経歴に比較して見ますると、大いに憂ふべきものがあると申さんければならぬと思ひます。即ち爰に維新以後数十年の間の有様を極く簡単に申上げますると、或部分に付ては、実に非常に、進歩をなして居ります。譬へば私共本務として従事して居る銀行業に付て考へて見ますると、明治七年に国立銀行と云ふものが成立ちましたけれども、其初めの有様は、僅かに数行の発起で、其資本額も数百万に過ぎなかつた。
 - 第27巻 p.90 -ページ画像 
夫れが明治三十五年の統計に依りますと、殆んど何億を以て数へる程に進んで参つたのであります。又海外貿易の有様を見ましても、ずつと昔の統計は明かに記憶しませぬが、昨年頃の統計に比べて見ますると、殆んど二十何倍と云ふ増加を見て居ると思ひます。鉄道に致せ、汽船に致せ、其他各種の工業に致せ、相応に進んで居りまする。昔日と比較しますると、大いに観るべき事があると思はれる。去乍ら殊に我々が憂慮致しますのは、明治二十八・九年以来所謂戦後の経営と云ふ名の付きましたる以来の有様が如何に判断して宜しいか、随分観察に苦しむ、言現はすに困難と云ふ有様を呈して居ると思ひます。要するに凡ての事物が戦後経営の為に膨脹し、軍事に教育に、又一方には実業にも、凡て力不相応に膨脹したと云ふ結果が、遂に今日の言ふ可らざる工合の悪いものを惹起したのであらうと思ひます。之に対してはつきりと其病源は是であるから斯く救治すれば宜しいと云ふに至つては、私共智識の足らぬ処から、方針が定め得られぬのか、諸説紛々として未だ帰一するところを知らぬ有様であります。若し果して今申上げました事柄が、極く憂ふべき点としましたならば、詰り申すと三十年迄進んで来た日本の商工業は、此際少し頓挫して此先き進むは如何であるかと云ふ憂へを起さゞるを得ぬ次第であります。さうして此世の中を優長に之を攻究して、其病は爰である、治療法は斯く斯くであると、徐々に考へ得られる時節であるかと思ひますと、私が申しまする迄もなく、諸君御熟知の通り、東洋の潮流は今日頗る急である。殊に支那・朝鮮に対して列強が働き掛けて来る有様は、我々の沈思熟考を許して置かぬと申しても宜しい有様である。而して我国も維新以後大いに心を用ひ力を尽して、今日に至りました上からは、東洋に於ては少なくとも重なる位地に立つて、此経済界に当らねばならぬと思ふ。故に今日種々なる事業に対して、欧羅巴若くは亜米利加の圧迫を受けると云ふ有様に立至りましたのは、我々の甚だ懸念に堪へませぬことであります。元来商人は目前の有様から観察を下します為に、何時も泣言が多い、能く新聞などに素町人の泣言などゝ言つて誹られる事が度々あります、諸君の御耳へも這入りますだらう、併し若し前陳の事柄が素町人の泣言と言ふて、商人の事を謗りまするならば、是が若し学者とか政治家とか云ふやうな人の言葉であるならば、我々は反対して、痩政治家の駄法螺とでも言はなければならぬのであります。今日さう云ふ議論は暫く後として、詰り是が如何なる理由であらうかと、爰に段々考察を下して見ますると、自分の思ふ所では、どうも我国の経済上に対する方針が十分に定まつて居らぬのではないかと云ふ事が一つと、又人物が乏しいと言ふのが一つと思ひまする、此外にも種々なる点がございませう、経験も少ない、金も少ない、少ないと云ふ事柄は多く言ひ得るが、併し其少ない中の尤も少ないのは、人物であると云ふ一言で能く言ひ尽せるかと思ふのであります。大勢人が居るではないかと言ふ返問があるならば、成程日本には四千五百万も人間が居りますが、併し商業界・工業界に立つて立派にやり遂げる人に至つては、大いに其人物の乏しいと言ふ事は、私は爰に断言をする。自分は現世の人間で、学生諸君は是から世に出て事をなさる未来の人
 - 第27巻 p.91 -ページ画像 
であるから、其諸君に向つて有体に白状して人物は少なうござると申上けるのであります。蓋し斯く申しましたら、諸君はオレ達は人物だから、出たら直に銀行の頭取、若くは会社の社長に聘するだらうと思召すか知らぬが、夫れ迄に諸君が人物であるか無いかと云ふ事も、又能く御考へならんければならぬ。此経済界の病根は何んであるか、如何に処置したら宜からうと云ふ点に付て、決して今諸君に御計りをすると云ふ次第ではない。私共自身すらも色々考へて居りますが、一向其方針が立たぬ。一人一個の説としては、斯く斯く斯様と言ふ事も多多ございませうけれども、今日の場合は相当なる順序を付けて、成可く丈け綿密な手段に依つて、経済界の今日の病根は爰である、之を改良して往く方法は斯く斯くと言ふ事を差定めると言ふ事を努めたいと期して止まぬのである。人物の少ない点に付ては、諸君に対して、学校を御出なさると直に夫丈けの御人になると言ふ事を御勧めする訳ではないが、只自ら重んじて、此世の中に立つて頂きたいと、私共は希望するのであります。元来此商業・工業と云ふものに付ては、近頃こそ学問が甚だ必要になりましたが、まだ十数年以前頃までは、左までの関係は持たぬのであつた。夫れが僅かの間に斯う変つて参りましたから、斯く申す私共町人風情が爰へ出て、演壇へ登つて御話も出来る……之は自分が出たいと言つたか、出ろと言はれたに依つて、拠所なく出たか、其質問は暫く別として、兎に角商工業に学問の必要と言ふ事は証拠立てられるのである。諸君が充分に蛍雪の功を積んで夫れから世の中へ出ると言ふ事が、今日は実に必要になつたが、二十年前には、左まで必要を感じなかつたのであります。故に現在の商工業者即ち明治三十六年の商工業を支配する人は、比較的学問に依つて成立つた人でないと言ふ事は、断言し得るのであります。即ち諸君の未来に付て楽しみの多い時節であると申上げるのである。
 今校長よりの訓戒には、爰で学問の一階級は済んだ、併し此学問を全く相済んだものと思ふては往けないと云ふ御説諭があつたやうに思ふ。私共は頗る喜ばしく夫れを伺つた。成程書を読むに付て科程を修めると云ふ事は、今日で終つたでありませうけれども、夫れ丈けにては学問とは言はれぬのである。之は古めかしい支那の言葉ですが、論語のなかに斯う云ふことがある「子路曰有民人焉有社稷焉何必読書然後為学」蓋し校長の訓戒の御意味は是であつたか、はつきりしませぬでしたが、自分は諸君に対して是から愈々進んで学問をする事、今の子路の言ふた如く、書を読むのみを以て学を為さぬと云ふ御気象を、何時までも御貯へ下さる事を希望致すのであります。申上ぐる通り、此世の中は飽迄も経済界即ち商工業に対して、力を尽さんければならぬ、夫れには学問の必要といふ事と、夫れから之に処する相当の人を得ると云ふ事は、共に是非努めなければならぬ事である。又之は出来得る事であらうと考へる。果して其場合に至りますれば、是から先きは前にも申述べましたる経済界の大方針を確定せしむる方法を講じて而して国家の富強を図らねばならぬ事と思ひます。諸君はどうぞ今申上げましたる通り、将来に抱負すべき事柄が沢山あるのでありますから、此学問の功能をして事実に付て今一段も二段も御進みなさる事を
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只管に懇望致しますのであります。
 終りに臨んで申上げたいのは、只今学監から本学校の是迄の経過の御報告がありましたが、其中に商科大学を設けると云ふ事を伺ひまして私は学者と云ふ位地でなく、殊更に其御報告に感じました事であります。
 勿論学問に経歴のない私ですから、学校と云ふものは他人の勤めをするものゝ如く経過し来りましてございますけれども、前に申しました通り、容易な計画では此日本の商工業を拡張し得るものではないと云ふ丈けの事は、私も明治六・七年頃から深く感じましたのであります。故に其昔しは商売人に学問を与へるのが弊である、害であると言ふ言伝へのあるにも拘らず、私は是非商業に付ては相当の学問がなければならぬと云ふので、東京高等商業学校に付ては、微力乍ら数十年苦慮尽力致しました。蓋し其事柄は学問其のものではありませぬ。只商売に学問が必要であると言ふ、単純なる道理に依つて心配致したに過ぎぬのである、彼の学校も諸君も多分御聞及び御見及びでありませうが、追々に進んで参つた、付ては両三年来今一歩進んで商科大学にしたら如何であらうと云ふ事を、其学校を支配する人々、又は教育に従事する学者連に対して愚見を呈した事も屡々ありましたが、今以て其事が行はれぬ、如何なる訳かと言ふに、或る説には、商業に従事する人達には余り気位を高くすると言ふ事は不利益である。却つて其務を疎略にするやうになると言ふのが、反駁する一の理由になつて居るやうに承はるのでございます。如何にも其通りで、私共も例へば一人の若い者を雇ひますに付ても、余り気位が高く、只商業の蘊奥を修めたと云ふ丈けで、算盤も弾けぬ、帳面を付けぬと言ふやうな丁稚は用ひるのは嫌やだ。誰でも夫れは好みませぬから、若し左様な意味のものであつたなら、夫れは不利益か知れませぬ、けれども自分等が之を希望するのは、元来此商工業と云ふものは、兎角他の方面から低く見られると云ふ事の習慣が今以て甚だ強い、而して其強いと言ふ事は決して慶事でない、又其事を修める人も、自から今申す素町人と云ふやうな言葉を自然に唱へる、是れ甚だ自からを卑しめる事である、真正に考へたら、商業は決して他の諸物の後へに、瞠若すべきものではない。然らば今日の場合既に法科と言ふものを大学とし、農科と言ふものを置き工科と言ふものを置きて、独り商科大学と言ふものを設けないと言ふのは、決して適当の事ではなからう、故に自分等は之を希望して止まぬのです。けれども未だ其事が行はれぬ。然るに早稲田大学に於ては、爰に商科大学を御取設けになつたと言ふ事は、其出る所の精神は如何であるか、未だ詳しく窺ひ知る事は出来ぬが、兎に角私共が従来希望して居りました事が、意外にも此学校に於て見る事を得たと言ふので、実に喜ばしい次第であります。
 顧みれば二十余年以来、大隈伯爵其他の博士が段々の御尽力からして、遂に此の如き盛大な学校が立つたと言ふ事は、真に喜ばしい次第であります。今日大隈伯に対して私は感謝の意を表はすると同時に申上げて置きたいのは、伯爵の斯く御経営せられたのは決して義務として務められたのではなく、所謂御楽しみにやらしつた事に違ひないと
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信ずる。兎角私は欧羅巴の学問に暗い為に、支那の事のみ引合に出しますが、孟子に「君子に三つの楽みあり、天下の秀才を集めて之を教育す、一の楽みなり云々」とある、即ち伯のは其楽みが段々発達して遂に今日の境遇に達したものであらうと思ふのであります。此楽みに依つて十分に人物を拵へ出す事は出来るのでありませうが願はくは伯は経済界の方針を指示す丈けの識量のあらつしやる御方であるからして、合せて此方針を定め、さうして是から先きは斯る道筋に依つて行くが宜からうと言ふ事を、其学校て作つた人をして行はしめる御手段を取られん事を希望して止まぬのであります。一言以て祝辞に代へます。(大喝采)


竜門雑誌 第一八二号・第四五頁 明治三六年七月 【青淵先生 には本月十五日…】(DK270028k-0002)
第27巻 p.93 ページ画像

竜門雑誌  第一八二号・第四五頁 明治三六年七月
○青淵先生 には本月十五日早稲田大学得業式に臨まれ、左の意味にて演説せられたり
   ○演説前掲ニツキ概要略ス。