デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
3節 其他ノ教育
8款 早稲田大学
■綱文

第27巻 p.99-106(DK270030k) ページ画像

明治41年11月30日(1908年)

是ヨリ先前年十月、当大学第二次拡張計画発表セラレ、是年初ヨリ基金募集ニ着手ス。是日栄一、基金管理委員ヲ依嘱セラル。


■資料

早稲田大学ニ於ケル渋沢子爵ノ経歴(DK270030k-0001)
第27巻 p.99-100 ページ画像

早稲田大学ニ於ケル渋沢子爵ノ経歴  (渋沢子爵家所蔵)
一、渋沢子爵ハ明治四十一年本大学ガ第二期拡張ノ計劃ヲ発表シ、其基金ヲ江湖ニ募集スルニ方リ、同年十一月男爵前島密・森村市左衛門・中野武営・村井吉兵衛・大橋新太郎ノ諸氏ト共ニ早稲田大学基金管理委員ヲ嘱託セラレ、同時ニ其委員長ニ挙ケラル
○中略
一、昭和二年十月早稲田大学基金管理委員規定廃止ト共ニ同委員ヲ辞任セラル
一、渋沢子爵ハ明治四十一年本大学基金管理委員ニ挙ケラレシヨリ、以来玆ニ二十有三年直接間接ニ絶エス本大学ノ事業ニ尽瘁セラルヽノミナラス、前後数回ニ亘リ自ラ七万円ノ金員ヲ本大学ニ寄附セラレ、精神的ニ将タ物質的ニ本学園ノ発展ニ貢献セラレツヽアリ ○下略
  昭和四年二月               早稲田大学
 - 第27巻 p.100 -ページ画像 
   ○右ハ昭和四年二月渋沢事務所ノ照会ニ対スル早稲田大学庶務課ヨリノ回答ナリ。


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK270030k-0002)
第27巻 p.100 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年      (渋沢子爵家所蔵)
十一月十一日 曇 冷
○上略
(欄外)
  午前九時大隈伯ヲ早稲田邸ニ訪ヒ、学校寄附金ノ事ニ関シ種々談話ス ○下略
   ○中略。
十一月三十日 晴 寒
○上略 午後五時大隈伯ヲ其邸ニ訪フ、来会者十数名、大学設立ニ関スル資金勧募ノ事ヲ依頼セラル、来会者ヨリモ種々ノ談話アリ、夜十時散会 ○下略


創立三十年紀念早稲田大学創業録 同大学編輯部編 付録・第一一八頁 大正二年一〇月刊(DK270030k-0003)
第27巻 p.100 ページ画像

創立三十年紀念早稲田大学創業録 同大学編輯部編
                      付録・第一一八頁 大正二年一〇月刊
    早稲田大学沿革略
○上略
同年 ○明治四一年十一月男爵渋沢栄一・男爵前島密・森村市左衛門・中野武営・村井吉兵衛・大橋新太郎の諸氏に基金管理委員を嘱託す。
○下略


創立三十年紀念早稲田大学創業録 同大学編輯部編 付録・第一五―一七頁 大正二年一〇月刊(DK270030k-0004)
第27巻 p.100-101 ページ画像

創立三十年紀念早稲田大学創業録 同大学編輯部編
                     付録・第一五―一七頁 大正二年一〇月刊
 ○早稲田大学諸規定
    基金規定
第一条 早稲田大学ノ基金ハ寄附金ヲ以テ成ル
第二条 早稲田大学ノ歳計剰余金ハ、維持員会ノ決議ニヨリ基金中ニ繰入ルコトヲ得
第三条 基金ヲ分ツテ経営基金及固定基金ノ二種ト為ス
第四条 経営基金ハ校舎ノ建築、土地・器械・図書ノ購入等経費ニ関スル元資ニ充ツルノ目的ヲ以テ寄附セラルヽモノヲ謂ヒ、固定基金ハ其利子ヲ以テ経営ノ費用ニ充テ又ハ経常費・臨時費ノ不足ヲ補充スル目的ヲ以テ寄附セラルヽモノヲ謂フ
第五条 寄附金ハ寄附者ノ指定ニ依リ経営基金・固定基金ノ何レカニ繰入ル可ク、特ニ指定無キ場合ハ維持員会ノ決議ニ依リテ之ヲ定ム
第六条 寄附者ハ右ノ外特ニ其用途ヲ指定シテ基金ノ寄附ヲ為スコトヲ得
第七条 固定基金ハ如何ナル場合ト雖、其元資ヲ使用スルコトヲ得ス
第八条 経営基金ハ維持員会及基金管理委員会ノ決議ヲ経ルニ非スンハ使用スルヲ得ス、固定基金ノ利子ヲ使用スル場合モ亦之ニ同シ
第九条 経営基金ハ特ニ経営ニ関スル設備ニ使用スルノ外、経常・臨時ノ費用ニ流用スルヲ得ス
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第十条 基金ハ総テ基金管理委員ニ於テ保管スルモノトス
第十一条 基金管理委員ハ、維持員会ノ決議ニ依リ総長・学長・寄附者中ヨリ之ヲ嘱託ス
第十二条 基金管理委員ノ職制ハ別ニ定ムル所ニ拠ル
第十三条 基金寄附者ノ功徳ハ、適当ナル方法ニ拠リ維持員会ノ決議ヲ以テ之ヲ表彰ス


半世紀の早稲田 早稲田大学出版部編 第二三九―二四四頁 昭和七年一〇月刊(DK270030k-0005)
第27巻 p.101-102 ページ画像

半世紀の早稲田 早稲田大学出版部編  第二三九―二四四頁 昭和七年一〇月刊
 ○第一篇 第四章 拡充期
    第一節 第二次拡張計画と基金募集
○上略
 我学園は創立の当初、既に理学科を設置して、理学的教育を施したほどであつたから、かうした社会の要求に対しては到底無関心で居られなかつた。社会一般より一歩を先んじて必要の学識・技術を授け、大衆の指導者を社会に供給することを伝統目的とする学園に在つてはそれ故に第二次拡張計画として、理工科及び医科を開設する計画を立てた。
 其第二次拡張計画の発表されたのは、明治四十年十月二十日に挙行せられた創立二十五周年記念祝典に於いてであり、実行しようとしたことは理工科及び医科の新設であつた。理工科中、しかしながら純正理学に関する学科は、官立諸大学に於いて既に完全なる設備の下に教授せられ、十分社会の需要を充たしてゐるから、我学園に於いては応用的諸学科、即ち機械・鉱業・電気・土木・建築・応用化学等を其瞰的とした。中でも機械・鉱業・電気の如きは我邦の時勢及び地勢の上から必要上先づ手を下すべきものであると考へられた。医科は官立大学に於いて既に設備があるけれど、其規模は尚ほ未だ社会の要求を充足せしめないから、応用的理工科と共に経営する必要があると考へられた。
○中略
 此決心を実現する為めには先づ第一に資金を集めなければならぬ。そこで同年十二月、高田学長は市島・田原の両維持員と、函根玉の湯に都会の紛囂を避けて商議を累ね、基金募集規定を立案して、翌四十一年一月、正式に維持員会に提出して、殆ど無修正で原案の可決確定を見たわけである。募集の基金はすべて百五十万円で、それを次ぎの如き用途に供しようとした。
  一金三十万円          理工科新設費
  一金八万円           医科新設費
  一金十七万円          病院建築費
  一金十五万円          土地購入費
  一金二十万円          大講堂建築費
  一金六十万円          固定基金
 此規定は四十一年二月一般に発表せられたが、当時ちやうど財界は逼迫して居り、一般の経済事情がかうした計画の遂行に都合のよくない時機であつたので、先づ比較的難事である理工科を開き、医科は之
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を後日に期する方針を立て、四十一年四月から其予科を開始することに決し、五月六日附で文部省から理工科新設の認可が与へられた。予科の学生は募集と同時に満員で、直ぐ授業が開始せられた。
○中略
 基金募集は発表以来着々実行せられたが、四十一年五月五日菖蒲の節供に、畏くも宮中から金三万円を下賜せられる御沙汰があり、学長高田は総長大隈の代理として宮内省に出頭し、次ぎの御沙汰書を拝受した。
○中略
 然るに玆に今一つ予期しなかつた福音が学園に下つた。といふのは鉱業界の重鎮竹内明太郎が、理工科の設置に甚深の同情を寄せ、其設備に多大の援助を与へようといふ申出をしたことである。竹内は土佐の名士竹内綱の子で、工業教育には予てから興味を有つてゐたので、東京帝大工科大学及び東京高等工業学校の出身者を、他日学校設立の暁に採用するつもりで欧米に留学せしめつゝあつたが、それらの人々を挙げて帰朝後我学園の専任教授とせんことを提議し、且つ其報酬に充つべき目的を以て、相当期間経営費中へ多額の寄附をなすべき旨を申込んだ。学園当局は喜んで之を受諾し、計画の遂行に邁進した。
 次ぎに第三の福音がまた当局を喜ばせた。それは実業界の重鎮渋沢栄一が学園の計画を賛同して、多額の寄附を快諾したのみならず、自ら基金管理委員長の任に就き、熱心に各方面に対して寄附の勧誘を試みたことである。
 基金募集の専務委員には、高田早苗・市島謙吉・大隈信常・三枝守富・田中唯一郎が就任し、或は学生の父兄に檄し、或は校友会を開いて賛同を求め、大隈総長は名士を其自邸に招待して援助を求め、多数の募集委員は明治四十一年七月以来全国各地に遊説して基金を募集し大正二年八月に至るまで其運動を継続した。其結果、募集基金は、
  一金三万円          御下賜金
  一金一千円          皇族御一統
を別として、二千六百八十一名から九十二万四千八百六十五円七十九銭の寄附を得たが、此中校友の寄附は一千五百八十名、二十四万二千一百二十七円である。予定の百五十万円には達しなかつたが、一私学の力を以てこれだけの寄附金を得たことは、校友は勿論、天下の名士が深甚の同情を我学園に寄せて、これを大成せしめんとする厚意に因るものと見なければならぬ。


創立三十年紀念早稲田大学創業録 同大学編輯部編 第九〇―一一〇頁 大正二年一〇月刊(DK270030k-0006)
第27巻 p.102-106 ページ画像

創立三十年紀念早稲田大学創業録 同大学編輯部編
                      第九〇―一一〇頁 大正二年一〇月刊
 ○第三 理工科の開設
    (2) 特別の援助
○上略
又た本大学の第二期計画に関する基金募集の経過に就ては、次項に其の大要を記述す可き順序なれども、之に先きだち、こゝに一言特筆せざるべからざるものは、二・三の先覚者が此の計画に関し率先して賛
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同の意を表し、以て有力なる援助を与へられたる事是れ也、蓋し基金募集の如き事業に於て最も困難とする所のものは、如何にして其の端緒を得べきかと云ふに在るが故、本大学の当局者は、此の点に関して頗る焦慮し、先づ男爵渋沢栄一氏を訪ふて計る所有りしに、同男爵は大に此の挙を嘉称し、直ちに賛同の意を表して数万円の寄附を快諾せられたるのみならず、進んで基金管理委員長として基金管理の衝に当り、且つ各方面に対して熱心に勧誘を試みられたり。是れ本大学の特に深大なる謝意を表せざる可らざる所なりとす。次に又た森村市左衛門氏が渋沢男爵と同じく、巨資を投じて率先此の事業を助け、且つ基金管理の責を分たれたる、安田・大橋・村井・中野・原の諸氏が、同じく基金管理委員、若くは寄附者として衆に先んじ此の事業を賛助せられたる、本大学が皆な長へに紀念す可き事なりとす。其の他基金募集の事業に就ては、或は巨額の資を投じ、或は深厚なる同情を寄せ、周旋奔走頗る尽力せられたる人士、中央に、地方に、将た海外に、其の数決して僅少ならず。本大学は、此等の人士に対し斉しく感謝の意を致さざる可らざる也。又た手島精一氏の如き、坂田・浅野・渡辺・辰野諸博士の如き、理工科の建設に関し助力と教示とを吝まれざりしが是れ亦た本大学が深く其の厚意を徳とせざる可らざる所たる也。
    (3) 基金募集の経過
基金募集は、本大学第二計画の遂行に最も緊要なりし事項にして、其の成否は直ちに全計画成否の岐るゝ所なりしかば、学校当局者の苦心傍観者思量の外に在りしが、今や此の事項に就き、経過の概略を記述す可き場合と為れり
抑も本大学に於て、第二期基金の募集に関し維持員・教職員・校友の中より専務委員を嘱託せしは、四十一年二月第二期計画趣旨書の発表せられしと殆んど同時にして、当時高田早苗・市島謙吉・大隈信常・三枝守富・田中唯一郎の諸氏其の任に当りしが、さて一方財界の趨勢は果して如何なりしやと言へば、既に屡々述べたるが如く、沈滞不振の状其の極に達し、実際基金募集の方法を講ぜんと欲するも、手を下すに由なく、一同当惑の姿なりしに、斯く黯澹たりし基金募集の前途に幸に一縷の光明を与へ、第二期計画の事たる、難は則ち難なりと雖も、其の遂行を期する点に於て漫に失望落胆す可きに非らずと、当事者全体をして感奮興起せしめたるものは、明治四十一年五月五日彼の優渥なる思召により恩賜金を拝受せし一事也。念ふにこの恩賜金は第二期計画遂行の為めに実に予期せざりし一大恩典にして既に斯かる恩典を辱ふしたる以上は、経済界の状態倘し順境と謂ふを得たりしならんには、殆んど破竹の勢を以て其の所定計画の大半を成就せしならんも、人間万事意の如くならず、不時の逼迫閉塞に遭遇せしを以て、当事者に於ても更に幾多の考慮を費さゞるを得ざりし也。斯くて愈々基金募集専務委員会を開くことゝなりたるを以て、期に先だち、高田・市島・田中の三氏は、同委員会へ提出す可き基金募集に関する意見書を作成し
 一財界の不振甚だしき折柄、世間一般に対して基金募集の事を発表するは不利也。然れども既に恩賜金を拝受せしを以て、徒らに今
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日の好機を逸す可きに非らず。宜しく先づ学校と唇歯の関係有る校友を煩はし、率先寄附に応ぜしめ、並に募集の衝に当らしむ可き事
 一校友は恩賜金拝受を感謝するが為め、各地に校友会を催ふし、之を機として第二期基金募集の事を斡旋す可き事。又た之と同時に各地の第一回寄附者、並に校友会に対して平生同情を寄せつゝ有る人士を招待し、第二期基金募集の事を告げ、以て寄附勧誘の地を為す可き事
 一右に就き、中央校友会よりは、全国の会員に対し、熱誠奮つて母校の計画を援助するに非ざれば、或は事業の蹉跌を見る可き虞有りとの意味を以て、広く移牒する事
 一在学生の父兄に対しても、一般に第二期計画を報じ、志有る者をして資を投ぜしむるが為め、学校より書簡を送り、地方校友会には其の父兄の名簿を送り、以て寄附を勧誘せしむ可き事
 一清・韓方面に対しても、成る可く寄附の勧誘を試むる事
等の案を具し、急に中央校友会の幹事・委員を会し本件に関して其の同意を得る事に決し、之が準備として、中央校友会より全国の会員に与ふ可き書簡、各地校友会の幹事若くは委員、此等の者未だ設定せられざる場所に於ては重立ちたる校友に対し実行の順序を細示す可き協議体の書簡、及び第一回の寄附者、並に在学生の父兄に与ふ可き書簡を起草し、六月六日夜を卜し赤城清風亭に中央校友会の幹事・委員を会し、前記意見書を付議せしに、満場一致にて之に賛同せしを以て、六月十五日愈々大隈総長邸に専務委員会を開き、其の席上に於て、実行方法として
 一東京方面の有力者を会して基金募集の事を協議する時期は、暑中休暇後と為す事
 一暑中休暇を利用し新潟・山形・福島・秋田等の数県下に先づ基金募集を試むる事
 一専務委員中、高田早苗・市島謙吉・田中唯一郎の三氏を常務委員に挙ぐる事
 一校友に対して寄附の勧誘を為すに就き、此の際成る可く重もなる校友の寄附額を定むる事
の数項を議決し、基金募集に関する大体の方針、玆に始めて確立するを得たり。此くの如く基金募集に関する大体の方針既に確立せしに因り、暑中休暇に乗じて高田学長・市島謙吉の両氏が新潟県下に出張せられたるを発端として、着々運動の歩を進めしが、斯かる間に暑中休暇も既に過ぎたるが故、愈々都下の有力者を会して基金募集の協議を為すことに決し、十一月三十日を以て総長邸に来会を求めたり。斯くて当日に至り出席せられたるは、渋沢男爵・森村市左衛門・近藤男爵安田善次郎・村井吉兵衛、其の他の諸氏にして、席上大隈総長の演説高田学長の計画に対する詳細なる説明ありて、援助を求むる所あり、更に四十二年四月二十二日に至り、再び前回出席以外の有力者を招請せしに、服部金太郎・大橋新太郎・小寺謙吉・小野金六・川崎金三郎田村利七・根津嘉一郎・野沢源次郎・山中隣之助・佐竹作太郎・日比
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谷平左衛門の諸氏同じく総長邸へ参会せられたり。而して是れより先き、渋沢男爵及び森村氏は、既に巨額の寄附を承諾し、当日も特に主人側を助けて出席せられたり。斯くて席上大隈総長は、諸氏招待の趣旨を演説し、高田学長は、諸般の説明を為し、次で渋沢男爵は、懇篤なる寄附勧誘の演説を試み、即座に寄附額を決定す可しと提議し、大橋氏先づ賛同の意を表し、他の出席諸氏亦た悉く多額の寄附を承諾せられたり。此の如くにして基金募集の端緒漸く開けたるを以て、学長以下募集委員は、東京市内の有力者・同情者を歴訪して懇請する所あり、又た各地方・清韓方面に至るまで往来して熱心に努力する所ありしが為め、大方の同情益々加はり、成績頗る観る可きものゝあるに至りたり。今募集委員が往来せられたる重もなる方面を列記すれば、左の如し。
○中略
以上六ケ年間に渉る基金募集の運動に関し、大隈総長が屡々自ら地方に出馬して多大の声援を与へられたるは、本大学諸同人の深く感銘する所にして、高田学長、市島・田中両常務委員、其の他諸氏の多大の労苦も、特に記憶すべき事に属する也。
基金募集の経過を叙するに当りて、玆に附記するを要するものは、故伊藤公爵が二十五年祝典の当時、韓国より遥に祝電を寄せらるゝと同時に、第二期拡張を促すの意味を以て寄附金を寄せられたる事、並に各宮殿下の思召を以て特に寄附金を賜はりたる事、是なり。
基金募集の経過を記し、今や其の結果を綜合してこゝに一言を試むるの必要有るに際し、吾人は基金部長市島謙吉氏の報告の一部を左に掲ぐることゝ為す可し。曰く
 基金募集の事業は、五ケ年を劃して一段落を告ぐるの予定なりしも先帝陛下崩御のことありしが為め、創立三十年紀念祝典を一ケ年延期し、其の結果、募集事業も亦た一ケ年延長し、前後六ケ年間に募集し得たるもの、応募者総数弐千六百八拾名・応募総額金九拾二万四千参百六拾五円七拾九銭に達したり。而して其の募集区域は高知の一県を除けば、殆んど国内全土を蔽ひ、尚ほ支那其の他の外国にも及べり。今ま左に第二期基金応募額の府県別を表示す可し。
○中略
尚ほこゝに附記を要するものは、基金募集に際し基金管理委員の規定を改正したる事にして、第二期計画に要せし基金は、第一期のものに比すれば、金額に於て多額なりしのみならず、恩賜金の如きものも其の中に含みしを以て、寄附者中特に財界に信用・名望有る諸氏を選び之に嘱託することゝ為したる也。今其の規定を列記すれば左の如し。
      基金管理委員規定
 第一条 基金管理委員ハ基金規定第十一項ニ拠リ之ヲ推薦ス
 第二条 基金管理委員ノ員数ハ五名以上トス
 第三条 基金管理委員ノ任期ハ三ケ年トス
 第四条 基金管理委員ハ基金規定ニ準拠シ基金ノ保管・利殖・出納等ノ事務ヲ管掌ス
 第五条 基金管理委員ハ互選ヲ以テ委員長ヲ定メ、委員会ヲ統率セ
 - 第27巻 p.106 -ページ画像 
シム
 第六条 基金管理委員長ハ必要ニ応ジテ委員会ヲ開キ要務ヲ処理スベシ
 第七条 基金保管ニ関スル事務ハ基金管理委員長ノ指揮ヲ受ケ、幹事之ヲ掌理ス


創立三十年紀念早稲田大学創業録 同大学編輯部編 付録・第四三頁 大正二年一〇月刊(DK270030k-0007)
第27巻 p.106 ページ画像

創立三十年紀念早稲田大学創業録 同大学編輯部編
                       付録・第四三頁 大正二年一〇月刊
    第二期計画基金寄附芳名録(大正二年七月十五日現在)
 一金参万円          御下賜金
 一金壱千円          皇族御一統
  一 完納セラレタル諸氏ノ寄附金額及芳名左ノ如シ

図表を画像で表示--

 金五万円  東京    三井家総代       金参千円 山形    本間光輝君          男爵 三井八郎右衛門君 金弐万円  同     森村市左衛門君     同    東京    中野武営君 同     同  男爵 渋沢栄一君       同    同  男爵 高橋是清君 金壱万円  同     安田善次郎君      同    佐賀    高取伊好君 同     同     大橋新太郎君      同    東京 男爵 近藤廉平君 同     同     増田義一君       金参千元 支那    楊士驤君 金五千円  同     青山胤通君       同    同     端方君 同     同     服部金太郎君      金弐千円 東京    報知社君 同     同  男爵 松尾臣善君       同    同     松村辰次郎君 同     大阪    住友吉左衛門君     同    大阪    浮田桂造君 金弐千円  同     中山太一君       金弐千円 仏国    アルバート・カーン君 同     東京    加藤正義君       同    支那    徐世昌君 


○下略