デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
3節 其他ノ教育
10款 深川区教育会
■綱文

第27巻 p.147-149(DK270056k) ページ画像

明治36年3月14日(1903年)

是日深川霊岸寺ニ於テ当会総会開催セラレ、栄一会長トシテ之ニ臨ミ、一場ノ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三六年(DK270056k-0001)
第27巻 p.147 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年     (渋沢子爵家所蔵)
三月十四日 晴
○上略 午後一時深川教育会ニ出席シ、一場ノ演説ヲ為ス ○下略


竜門雑誌 第一七八号・第四六頁 明治三六年三月 深川区教育会に於ける青淵先生の演説(DK270056k-0002)
第27巻 p.147 ページ画像

竜門雑誌  第一七八号・第四六頁 明治三六年三月
○深川区教育会に於ける青淵先生の演説 青淵先生には本月十四日午後一時深川霊岸寺に於て開会の深川区教育会総会に出席せられ、会長として一場の演説を為されたり


竜門雑誌 第一八〇号・第九―一一頁 明治三六年五月 ○教育の方針に就て(三月十四日深川教育会に於ける青淵先生の演説)(DK270056k-0003)
第27巻 p.147-149 ページ画像

竜門雑誌  第一八〇号・第九―一一頁 明治三六年五月
    ○教育の方針に就て
 (三月十四日深川教育会に於ける青淵先生の演説)
会員諸君、今日此総会に当りまして皆様に御目に掛りますのは深く光栄とする所であります、本教育会が昨年発会の式を挙げましてから今日に至るまでの経過は、只今大沢氏より御報告になりましてございますが、計らずも会長に当選致しまして、躬不肖を顧みず御受致して、爾来会務を承はりつゝあります、先程も御報告がありました通り、今
 - 第27巻 p.148 -ページ画像 
日まで会務が十分挙らぬと云ふことは、会員諸君に対して面目次第もございませぬが、併し今日以後漸次進んで行くことであらうと思ひます、また今日までの経過と申して、一向会務が進まぬと云ふ次第ではないやうに考へますから、其辺は宜しく御了承を願ひます
今日の会には何にか一言愚見を申述べるやうにと云ふ幹事諸氏からの委嘱で、今日此処に罷出ましたのでございますけれども、元来教育と云ふことには遠い職務に居る私でこざいますから、教育上諸君を裨益するやうな意見を陳述することは甚だ難くございますが、今日私が序開きに愚見を申述べて、引続いて江原君・元田君・郡司君等の有益なる御演説があるであらうと思ひますから、所謂私の演説は所謂開会の前座として御聴きを願ひます
私が玆に申上げたいと思ふ事柄は、今申上げる通り教育専門の身でございませぬから、只吾々教育会員は教育と云ふ文字のみに拘泥せねば教育の任務は尽されぬかと云ふ、一つの疑問を申上げて見たいと思ひます、元来日本の昔の教育と云ふものは、普通の人情と大層距りまして、各人平日の常識とは頓と別物のやうに看做した方が多いです、教育と云ふものは大層四角張つたもので、日常のことゝは全く隔離れたものゝ如く心得へたのが昔の風習であつた、甚しきは此教育、殊に支那学問などになりますと、それを学び得た暁には、己れ従来務め来つた職業には、甚だ弊害かある、学問は出来たが家産を破つた、親類とも絶交した、斯々云ふ教育が多かつたです、川柳に
  売家と唐様で書く三代目
と云ふのも、蓋教育の余弊を言つたのであらうと思ひます、昔の支那学問と云ふものは、身を修め家を斉へると云ふのは宜しうございますが、直ぐ様一足飛に国を治め天下を平にせねば、教育の任務を全うしたりと云ふことは出来ぬと云ふ風に教へたものであるから、兎角家産を破るやうな弊害が生じたのであらうと思ひます、今日ではさう云ふ極端な誤解はありませぬけれども、尚ほ其余弊で引続いて存して居るやうに私は考へますです、元来学問と云ふものは、只其修学する科目が出来上つたから、それで満足すると云ふことは決してなからうと思ふ、其学問が日常万事に応用するのが主であります、もし学問は人間日常の務めと隔離したものと思ひ誤たならば、寧ろ教育は害があると云つて宜しいと思ふのです、果して然らば此の教育会を造つたのも亦世間に害がある、そんなことならば会員の諸君及ひ私共までも、斯ふ云ふ教育会などゝ云ふ組織に尽力するは有害の事に拮据する訳になります、故に本会の趣意とする所は、決して前に述べる如き普通の常識に隔離する教育てはなくして、人情に基く処の教育を普及せしむるのが、大体の目的であつて、それに対する手段として実業教育の進歩とか、家庭教育の方法とか、或は貧窮人を教育してやる手段と云ふやうに、種々なる方面に目的を立てゝ、学問と日常の仕事とがピツタリ密着することに勉むるのである、斯様に普通の人事は教育に大関係を有つて居るか、それが教育の本旨であると云ふことが私の今日申上げて見たい要点である。必要なる教育と云ふことは世の中に大変な利益を与へるものである、何故なれば学問と云ふものは、尋常日用のことに
 - 第27巻 p.149 -ページ画像 
応用するのが本旨であるから、其本旨に従つて教育して行つたならば普通の人が万般のことを能く知つて来る、故に教育会も必要であるから、吾々も大に之に務めねばならぬと云ふ考が起る
近く例を取つて申しますると、劇場の役者が芸を演するには、勿論其人の巧拙はありますが、多数観客か役者の心を支配し奨励すると云ふことも、大いに関係がするだらうと思ふ、モー少し大きく例へて言へば、玆に一つの議院がある、此議院に集る人は最も国家に重きを置かれる人で、選びに選んで当撰して議場に登りますが、其人自身の働きよりは、寧ろ世の中の議会以外の多数の希望、即ち世間の輿論が大に此の議会を制裁することが出来る、果して然らは学問に従事する人は勿論教育の本旨に違はぬやうに心懸けて行かれるでありませうが、此学生に対して何か注文をする、制裁をする所のものは、吾々日常業務に従事して居る者から組立つて行くのは必要のことであらう、斯く考へ来つたならば、唯学業を与へるとか学校の普及を計ると云ふことのみが教育の本旨ではなくして、学問をした人が日常のことに其学問を応用するやうに其方針を指示するのが、吾々教育会の必要なる目的であらうと思ふのであります、斯く言ふたならば、私が学者でないから教育の方向を成り得べきだけ素人向きにすると、評する人もありませうけれども、学問と云ふものは決して普通の常識と隔離するものでないと云ふことは、前申上げたる通り世の定論と云つて宜しい、然らば学問は普通の人事に応用すべきものである、普通のことに応用すべきものであるならば、多数の人の意向を集めて学生に向つて、注文もし制裁もし、誘導もすることに於て、教育会は必要なものであらうと思ひます
我教育会の将来は、今幹事から申上げました通り追々会務も進行すると共に、益々盛大に赴く訳でございますが、此の会が其目的を立つるに於て、果して私が今申上げたる通りに実行して行かれることであつたならば、此会の為めに非常に満足なることでもあり、我深川区に裨益する所も蓋し少なからぬことであらうと思ひます、豈独り深川区のみに止まらす、御国の進運に関係することと思ひます故に、私は特に学問と人事の成たけ遠ざからぬやうにしたいと云ふ平素の希望を申上げて、諸君の御参考に供へました次第でございます