デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

4章 教育
3節 其他ノ教育
12款 帝国教育会
■綱文

第27巻 p.156-163(DK270063k) ページ画像

明治40年5月13日(1907年)

当会並ニ東京府教育会・東京市教育会ノ主催ニヨリ、是月十一日ヨリ三日間ニ亘リ全国教育家大集会開催セラル。是日栄一、会場タル東京高等工業学校講堂ニ到リ「商業大学ノ設置ニ就テ教育家諸君ニ望ム」ト題シ一場ノ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK270063k-0001)
第27巻 p.157 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年     (渋沢子爵家所蔵)
五月十三日 晴 軽暖            起床七時 就蓐十二時
○上略 四時高等工業学校ニ抵リ教育大集会ニ出席シテ一場ノ演説ヲ為ス ○下略


東京教育雑誌 第二〇七号・前付一 明治四〇年四月 全国教育家大集会開催広告(DK270063k-0002)
第27巻 p.157-158 ページ画像

東京教育雑誌  第二〇七号・前付一 明治四〇年四月
    全国教育家大集会開催広告
東京勧業博覧会ノ開会ヲ機トシ、東京ニ於テ全国教育家大集会ヲ開催シ、以テ大捷国教育家ノ元気ヲ作振シ、大ニ国運ノ発展ヲ期セントス希ハクハ全国有志教育家ノ奮ツテ参集セラレンコトヲ、是レ本会ノ切望スル所ナリ
    明治四十年四月
            全国教育家大集会長 辻新次

      ○全国教育家大集会開催要項
一会場 東京高等工業学校(浅草区蔵前)
二開会次第
 第一日(五月十一日午後一時開会)
 (一) 演説
                   手島精一君
              農学博士
                   新渡戸稲造君
              法学博士
                伯爵 大隈重信君
    (会員十分時間演説)
 第二日(五月十二日午前九時開会)
 (一)     新島襄君   伯爵 大木喬任君
         中村正直君     福沢諭吉君
         近藤真琴君  子爵 森有礼君
   以上六君ノ追頌式
 (二) 演説
         鎌田栄吉君     横井時雄君
         中島雄君      前田享君
    法学博士 木場貞長君 文学士 沢柳政太郎君
 (三) 議事
 (四) 懇親会 午後三時小石川区後楽園に於て開会
 第三日(五月十三日午後一時開会)
 (一) 演説
         島田三郎君 文学士 嘉納治五郎君
      男爵 渋沢栄一君
    (会員十分時間演説)
三会員 学事関係者及ビ教育会員ハ、男女ヲ問ハス何人ト雖モ入会スルヲ得ルモノトス
四会費 一人ニ付金壱円(懇親会費共)
五入会申込 住所・氏名・職業ヲ記シタル書面ヲ以テ、四月末日マテ申込ミ、五月十日マテニ会費ヲ納入スヘキモノトス
 - 第27巻 p.158 -ページ画像 
六会員特待 本会ハ左ノ諸件ヲ以テ会員ヲ特待スヘシ
 (一) 特殊ノ場所・官衙・学校観覧ノ便ヲ計ルコト
 (二) 汽車・汽船ノ賃金割引ヲ計ルコト
 (三) 観物場ノ入場料金割引ヲ計ルコト
 (四) 東京勧業博覧会観覧ノ便ヲ計ルコト
 (五) 音楽会・活動写真会・琶琵会・講談会等ヲ開催シテ聴聞観覧ニ供スルコト
 (六) 旅舎ヲ設備シ宿泊ノ便ヲ計ルコト
 (七) 東京勧業博覧会場内ニ休憩所ヲ設ケ休憩ノ便ヲ計ルコト
 (八) 東京勧業博覧会場並出品陳列案内図・同徳川慶喜公揮毫匾額複写及大会紀念絵葉書等購入ノ便ヲ計ル事
      以上
  明治四十年四月
       東京市神田区一ツ橋通二十一番地帝国教育会内
                   全国教育家大集会
                    〔電話本局七七三〕


東京経済雑誌 第五五巻第一三八八号・第八六六頁 明治四〇年五月一八日 ○全国教育家大会(DK270063k-0003)
第27巻 p.158-159 ページ画像

東京経済雑誌  第五五巻第一三八八号・第八六六頁 明治四〇年五月一八日
    ○全国教育家大会
帝国教育会・東京府教育会・東京市教育会の主催に係る全国教育家大会は、去る十一日より三日間東京高等工業学校大講堂に於て開かれたり、従来斯の如き会合は数次各地に催ふされたるも、今回の如く多方面よりの来会を見たるは未た曾て有らざる処にして、会員の総数約千二百名に及び非常の盛況を極めたり、其第一日に於ては先づ辻帝国教育会長の挨拶・日下部東京府教育会監事長の会務報告に次で、辻氏は会長として開会の辞を朗読し、夫れより来賓演説に移り、大隈伯・新渡戸博士・手島精一氏等の有益なる演説ありて散会し、第二日は六大教育家追頌式を執行し、辻会長の頒辞朗読に次で色川圀士氏は故近藤真琴氏、林毅陸氏は故福沢諭吉氏、横井時雄氏は故新島襄氏、木場貞長氏は故子爵森有礼氏、沢柳政太郎氏は故伯爵大木喬任氏、三宅雄次郎氏は故中村正直氏に就て各追頌演説あり、了りて議事に移り
 速かに教育基金を塡補せられんことを希望す
右の議案に対し満場一致を以つて之を可決し、是にて当日の会を畢り第三日は牧野文部大臣臨席し、同大臣・渋沢男・島田三郎・嘉納治五郎氏等の演説ありて全く閉会を告けたるが、辻会長の六大教育家頌辞は左の如し
    六大教育家頌辞
 謹で惟ふに我国運は鬱勃として隆興し国光赫爍として四表に輝く、是れ皆我允文允武なる 聖皇登極の初に方り五事を誓はせられ、従て大に教育を敷かせられたる効果なり
 而て此の気運に乗じ崛然として奮起し、以て木鐸に任じたる者亦頗多し、今故人中に就き其最翹々たる者を求むるに伯爵大木喬任君・子爵森有礼君の如きあり、福沢諭吉君・中村正直君の如きあり、新島襄君・近藤真琴君の如きあり、是皆聖旨に基づき教化を賛したる
 - 第27巻 p.159 -ページ画像 
者なり、今試に六君に就き其功績及び特長の一斑を挙げんに、大木伯の温厚沈毅にして卓識を具し、明治四年始て文部省を設置せらるるや伯之が長官と為り、新に学制を発布して曰く、自今以後一般の人民必邑に不学の戸無く家に不学の人無からんことを期すと、因て全国を分ちて七大学区と為し、二百万円を支出して文部省の用度に充て、更に七十万円を出して小学教育の国庫補助費となす、其英断にして且規画の大なること此の如し、森子の英敏果決にして其見る所衆人に超絶し、国勢の振否は一に教育の弛張如何にありと為し、且つ教育の主義を史蹟に本づけ、謂ゆる国体教育を唱道し、兵式体操を教科に加へ、従来文弱の弊を一掃し、人民護国精神を発揮したるが如き、共に其功の顕著なるものなり、福沢君は夙に世運を看破し、欧米に巡遊して其精粋を執り、之を教育上に施し著書訳述大に文明を鼓吹す、是に於て其門下才俊の士輩出し昭代の治代を賛すること尤も多し、蓋し豪放卓犖の才を以て之を助くるに浩博の学識を以てし、其事業隆々として愈々益々発揚し以て今日に至る者偶然にあらざるなり、中村君は温雅洒脱の資を以て、幼にして漢学に従事し、厳然として一家を為し、後に至り眼を欧学に転じ、刻苦勤精遂に東西の学術に達し、英才を教育するを以て務めとなし、且孜々として著訳に従ひ、詳明精確読む者をして自ら感奮興起する所あらしむ、新島君は少壮志を立て奮然海外に赴き、身を宗教に委し大に得る所あり、而して偏見無く固執無く、坦懐蕩々己を責めて人を尤めず、唯愛唯誠人物を養成するを以て目的と為し、苦心勧誘経営遂に学徒を聚め、身を以て律と為し従容感化諄々懇々、人々をして其才を達し其器を成さしむ、是亦衆人の共に称賛する所なり、近藤真琴君は、夙に力を海軍の教授に致し懇篤周密以て航海測量等を教授す嘗て生徒に告げて曰く、国家の隆替は物力の豊歉に由り、物力の豊歉は財路の通塞に由る、財路の通塞は航海の興廃に由ると、其識の当時に超卓せること此の如し、於戯此の六大教育家は身を以て国家に許し、畢生の力を教育事業に竭したり、則今日国運の隆興は上 聖天子の盛徳と、下は相将諸有司の経画措置其置《(宜カ)》しきを得たるに由ると雖も、其源泉を導き之を学園芸圃に灌注し国家の原動力を起したるものは、六大教育家の功績実に多きに居る、玆に全国教育家大集会を開き、六大教育家の徳業を追頌すること此の如しと云ふ
  明治四十年五月十二日
            全国教育家大集会長 辻新次


竜門雑誌 第二二八号・第二四頁 明治四〇年五月 全国教育家大集会(DK270063k-0004)
第27巻 p.159 ページ画像

竜門雑誌  第二二八号・第二四頁 明治四〇年五月
○全国教育家大集会 東京勧業博覧会の開会を機とし開催せられたる同会は、去五月十一日より十三日まで三日間東京高等工業学校に於て開会せられしが、青淵先生には第三日目即ち十三日午後四時、同会の懇請に応じ臨席して一場の演説を為されたり


竜門雑誌 第二三五号・第七―一二頁 明治四〇年一二月 ○商業大学設置に就て教育家諸君に望む(青淵先生)(DK270063k-0005)
第27巻 p.159-163 ページ画像

竜門雑誌  第二三五号・第七―一二頁 明治四〇年一二月
    ○商業大学設置に就て教育家諸君に望む (青淵先生)
 - 第27巻 p.160 -ページ画像 
 左の一篇は本年五月十三日全国教育家大集会に於て先生が同会の請に応じて為されたる演説の筆記なり
会員諸君、唯今御紹介を蒙りました渋沢でございます、此教育家の大集会に参上致す光栄を荷ひましたのを先づ第一に有難く謝辞を申します、御集りの皆様は総て教育に御従事の方々と察せられまする、而して此処へ出ました私は、最も無教育の人であると申さねばならぬのでございます、頗る奇観を呈する訳である、教育家の皆様へ教育の無い私が出て意見を申述べるといふは、釈迦に説法といふことがございますけれども、それよりも尚ほ反対で余程訝しい訳に相成りまするけれども、兎に角に御嘱託を蒙りましたから、罷出ました次第でございます、人を造り出す教育家又人を使用する実業家、私は不肖ながら実業家の一人でございまして、皆様の御造り出しになる人を使用する位地に居りますからして、丁度物に譬へて云ひますならば諸君は供給者であつて私は需要者である、其供給者の御寄合に需用者が出て、斯ういふことを企望します、斯る事に御注意下さいまし、斯ういふ意見で人を作つて戴きたいといふは、縦令釈迦の説法となるかは知れませぬけれども、無用ではなからうと思ふのでございます(拍手)右様の趣意から私は此処に参上致して一言を陳述致す次第でございます。私が此処に申上げたいといふ意見は、商業大学の設置に就て教育家諸君は如何に御考へ下さるか、十分御攻究なされて必要なら是非速かに設立せしむるやうに御尽力が乞ひたいと斯く希望するのでございます、教育の事務が今日の如く進歩して参りましたのも、当初から政治家・教育家が大に力を尽されましたので、殊に唯今嘉納君から教育勅語の有難い御趣旨を御申述べになりましたが、私は教育界の人でなうても、勅語だけは今此処に暗誦しろと言はるれば一字も間違はずに読むだけは記憶して居ります(拍手)左様に深い原因によりて、今日まで進んで参りました教育なれども、私は未だ此教育に就て多少の不足を感じて居るのでございます、蓋し斯く申上げたならば、渋沢は我田引水の説を多数御揃ひの所で申すとヒヨツと御小言があるか知れませぬが、私は実業家である、商売人であるから為に我田引水を申上げる積りでございませぬ、今日は各種の教育も揃ふて、殊に実業教育に就きましても現文部大臣、又は其先代、先々代より頻りに力を尽されるやうに見えますから、最早唯霊心的教育ばかりでなく、物質的教育にも十分力が届いて居るといふことには、決して不足を申す訳には往かぬでございませう、併ながら以前はどうであるかと申しますと、蓋し教育に力を入れたのは多く政治とか法律とか或は兵事とかいふ方にのみ力が先きへ進んで、商工業に対する教育は世間が甚だ踈んじたと云ふことは二十年の昔を回顧しますると事実が証明するのでございます、私は毎度申すことでございますから甚だ御耳五月蠅いかも知れませぬが、丁度記憶を喚起しますると明治十四年でありましたが、今日の東京瓦斯会社がまだ東京府の所有で瓦斯局と言つて居る時分、其技師を詮索する場合に、大学出身の応用化学者を聘して瓦斯工場に頼まうとした時に、此技術家が言ふには、若し吾々が官吏になり教育家になるならば其位の俸給で行つても宜いけれども、民業に就くといふことであれば
 - 第27巻 p.161 -ページ画像 
モツト俸給が好くなければ嫌やだと云ふて、瓦斯局の事業に就く事を大層之を卑しんだ実例があるのです、蓋し此頃の学生は押並べて同様の考をもつて居りました、私は之に就て大いに憂慮を懐いて、其時の帝国大学の総長加藤弘之君に面会して頻りに嘆息の言を発しましたのを今も能く覚へて居ります、此一事に依つて見ても其頃は法科とか文科とか、又は政治・経済とかといふやうな霊心的学問よりも、事実に就いたる学問、即ち物質的の学問は甚だ階級の低いものだといふ一般に観念を有つて居られたといふことは、証拠立てられるやうに思ふのでございます、元来日本の昔時、ズツと昔は私は知りませぬけれども例へば徳川幕府三百年間の政治の執り方、人民の階級の立て方は士農工商で、士から百姓、それから工商といふ順序で、商といふものは一般の位地から最下級と定められて居つたものでございます、金銭の計算をするとか、利益の勘定をするとか云ふことは、人の世に処するに於て最も卑しい事業だと、其時分の気風は看做して居つたものでございます、商人は賤しいものだ。「武士は食はねど高楊子」といふ比喩がありますが、総て貨財に関係する事柄を、社会の階級から最も軽蔑したといふことは、歴々証拠がございます、其余風が維新に至つても尚ほあつた、前に申す如く、東京瓦斯会社に従事する技師が、民業であつては同じ報酬では好まぬと云つたのは、即ち其時分の気風を其人に依つて写し出したと申しても宜しいのでございます、私は此風習が日本の国富といふものに大に𥕞碍するであらう、此気風では、日本をして万国に雄飛するの、西洋を凌駕するといふやうなことは事実出来ないものであらうと窃に憂へたのでございます、爾来一般の気風は私の憂慮せし程のことはございませぬで、前に申述べまする通り実業教育も大に貴重され、数代の文部大臣が力を極めて拡張整備を図られるやうに相成りましたのは、実に喜ばしい次第でございますが、私は未だ此商業に対する教育は、矢張第二流に置くといふことになつて居るのを、甚だ嘆息に堪へませぬのでございます、法律といひ、工業といひ医術といひ、農芸と云ひ、総ての教育に対して大学の設けがございますに拘らず、商業といふものには、単に高等商業学校といふに止まつて、之を大学たらしむるといふことは、今日に至りても尚其制度を見ることが出来ぬのであります、但し大学中に政治・経済といふものがある、経済といふは即ち商科のやうなものであるから、経済学を卒業したならば、商科と別に言はぬでも宜しいと、或は教育家の説もあるか知れませぬが、併し高等商業学校といふ者は、決して大学の程度には進めてないとして見ますると、商業教育だけは第二流に置いて宜いと定められた如き観念が、私には生ずるのでございます、(拍手)但し斯く申上げるからと申しても、私共商売人が大に威張りたい、無暗に気位ゐを高めたいといふ意を以て述べるではございませぬ、縦令商売人たらざるも、人たるものが世の中に立つて、唯自尊自負して愛嬌もなければ謙徳もない、といふことは宜しいとは思ひませぬ、況や商業に就く人は所謂錙銖の利を争ふ業体でありますから、成るべく緻密なる頭脳、成るべくだけ精細なる才能を養はなければならぬのであります、決して気位ゐを高くして、尊大不遜を以て人に接遇することは好
 - 第27巻 p.162 -ページ画像 
みませぬけれども、併し商売人は人格が低くても宜しいとか、商売人は総ての階級の最劣等に置いても宜しいといふに至つては、甚だ私は了解に苦むのでございます、(拍手)或は今日商業大学の設置に就ては彼此れと非難もありまする、例へば今の六大学を七大学にするといふことは、既に政治・経済の科といふものゝある以上は殊更に商科と云ふものを設ける必要がないといふ説もあるかのやうに聞きます、又近頃の教育は兎角に形の上の完備を求むる弊害が多い、商売人の位地を進めるといふ政略上から商業学校を商業大学にするといふことは異存はないけれども、教育が形式に陥るといふ弊害が多いから、其場合に今のやうなる改正をするは甚だ好まぬことであるといふ非難も受けます、又或は前にも申述べました通り、商売人は成るべく緻密なる手腕を持ち、成るべく愛嬌を持つて、腰低く人に接遇しなければならぬものである、之を余り教育を高めるは、寧ろ気位ゐを高くして其の人の働きの伸びぬやうにする虞れがある、商業者は左様に高尚なる学問をせぬでも、世務に達するには足りるものであるといふ如き反対説を述べる人もあるやうでございます、私は是等の反対説も一理あることゝ思ふのでありまするから、それ等に対して絶対的に不同意を唱へるものでございませぬけれども、先づ最終に反対するところの、商売人は気位ゐを高くせぬやうに、志を大ならしめぬやうにと申しますけれども、前に申しました通り如何に此気位ゐを高くするといふて、傲慢不遜になるのと自ら賤しめぬと云ふのは大変な違ひであつて、商売人は卑屈で宜いものだといふ道理は決してない、人に対して謙遜するとは全く其出処の違ふと云ふことを殆ど忘れた議論ではないかと思ひます(拍手)殊に商業者と云ひましても将帥になる人もあり、副官になる人もあり、又其司令の下に或部分の長となつて部下を指図すべき地位に立つ人もあります、又其士卒の如く唯だ人の指令の下に奔走すべき位地の人もある、尚ほ三軍を使ふ場合に大将もあれば中将もあり、聯隊長・大隊長、下りて士卒もあるといふ程の、階級はございませぬでも、相当なる順序を以て人を使役して行かなければならぬと云ふことは、商業上亦然り、果して然らば首脳に立つべき人に政治・法律・工業・農業、それ等の学ぶべきだけの程度の学問を与へるが、其人をして気位ゐを高くせしむるのだから宜くないと云ふことに至つては、殆ど理解すべからざる議論にはなりますまいか、(拍手)私は其前の非難に対して、例へば七大学にするが宜しいとか、高等商業学校に大学制度を設けるが宜しいとかいふ方法に就ては、勿論其事に精しくない者でございますで、確定した注文は申しませぬのです、併し必要と見定めたならば相当なる方法を設け得られる者ではあるまいか、維新以降教育が盛んになつてから殆ど二十年以上の歳月を経て居る、吾々此商業教育をして最高等の位地にして宜からうといふことを申出しましてからも、最早十年以上の月日を経て居りまするが、未だ以て其運びを見ることが出来ぬといふことは、事実に於て必要がないのか、抑々此昭代に相成つても尚ほ旧幕府以来商業を卑しむ余弊が未だ今日遺つて居るのかといふことを、教育家諸君に於て十分御攻究を蒙りたいと思ふのでございます、(拍手)凡そ国の進んで参ります有様は、各種の勢
 - 第27巻 p.163 -ページ画像 
力が好く権衡を保つて所謂並進聯行して往かなければならぬことは、今此処に喋々する迄もございませぬ、例へば政治上に於ける勢力、或は軍事上の勢力、是等は最も国家に取つて甚だ必要の勢力と思ひますけれども、併し是等の勢力をして内に十分の実力あり、外に立派な光輝を放たしむるには、資本の勢力といふものを藉らねばならぬと私は思ふのでございます、(拍手)如何に外交手段が巧でありても、如何に軍隊が勇武絶倫であつても、饑じい身体では十分な働きが出来ぬといふことは、敢て多弁を要せぬで宜からうと思ひます、果して左様ならば、前に申す通り政治・軍事の二大勢力も、資本といふ一勢力を得て始て光輝を発し、其威力も伸び得られるものでないかと思はれます、而して此資本の勢力に尚ほ打勝つ勢力は何であるかと申しますると、私は教育の勢力と申上げたいのでございます、(拍手)教育の人を造り成すといふことは、若し其方法が完全に行届きませなんだならば、決して国家の富も進まず、強さも増して行くことが出来ぬといふことは多弁を要するまでもございませぬ、然らば今日此処に御集りの諸君は今申す政治なり軍事なり又は資本なりに、尚ほ一歩増したる大勢力を持つてござると申上げて宜しい、此大勢力を有つてござる諸君が、果して今の商業は最高等の教育を与へる資格あるものと御判断になりましたならば、国家は其趣意に従ふて速に其方法を講ぜられるだらうと思ふのでございます、卑近の例を申すやうですけれども、曾て私は或割烹に従事する者に聞きました事がある、世の中に一番調理上美味のものは何かと云ふたら塩である、又一番不味い物は何かと云ふたら塩である、私は此処に国家の盛んになるものは何であるかと云ふたら人である、国家の衰へるものは何であるかと云ふたら人である、(拍手)其人を造り成す方々、即ち此教育家諸君である、故に教育家諸君の勢力は頗る偉大であるといふことを申すは、決して諛言を呈するのではございませぬ、而して此教育家諸君が吾々商業家に対して、私が前に述べましたのを必要と御観察下さいましたならば、必ず御賛成下すつて、遠からず之を事実に見るやうに為し下さるであらうと思ひまして此処に一言を呈した訳であります。(拍手喝采)