デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

5章 学術及ビ其他ノ文化事業
1節 学術
2款 東京経済学協会
■綱文

第27巻 p.295-299(DK270096k) ページ画像

明治22年2月(1889年)

是ヨリ先、当会一月例会ニ於ケル決議ニ基キ、是月栄一、当会ヲ代表シテ李鴻章ニ書ヲ送リ、清国貨幣ノ本位ヲ日本ノ円銀及ビ墨銀ト一致セシメ、以テ貿易上ノ便利ヲ計ランコトヲ勧告ス。


■資料

青淵先生六十年史 竜門社編 第二巻・第八四二―八四五頁 明治三三年二月刊(DK270096k-0001)
第27巻 p.295-296 ページ画像

青淵先生六十年史 竜門社編  第二巻・第八四二―八四五頁 明治三三年二月刊
 ○第五十九章 雑事
    第八節 貨幣鋳造ニ付清国政府ヘ勧告
清国ニハ銭ハ鋳造スレトモ金銀貨幣鋳造ノ制度ナシ、明治二十二年清国政府ハ独逸派遣ノ公使許景澄ノ建議ニヨリ貨幣制度ヲ定メ、金銀貨幣ヲ鋳造スルノ議アルヲ聞キ、本史ノ編纂者タル余ハ東京経済学協会ニ一ノ動議ヲ提出シ、協会ヨリ書ヲ李鴻章ニ送リ、清国政府カ新ニ採用セントスル所ノ貨幣制度ノ本位ハ本邦ノ円銀及墨銀ト一致ヲ保タシ
 - 第27巻 p.296 -ページ画像 
メ、以テ貿易上ノ便利ヲ計ルヘキコトヲ勧告センコトヲ以テセリ、此ノ動議ハ青淵先生及田口卯吉等ノ賛成ニヨリ、全会一致ヲ以テ通過シ終ニ先生ノ名ヲ以テ協会ヲ代表シ一書ヲ作リ、枢密院議長伊藤博文及外務省ノ紹介ニヨリ李鴻章ニ転送シ、李鴻章ヨリ回答ヲ得タリ、其往復文左ノ如シ
 李中堂大人閣下窃聞、乗時成烈則志専於済物、沛徳施沢則気壱於利民、故讚鴻業、育万類者、殫慮幾務、審籌終始、諏咨周詢、必期精当而後行得宜中、挙無遺策、邦家生霊、胥頼其慶、亦宜矣、伏惟閣下邦之碩輔、時之楨幹、秉公宜猷、推誠蹇諤、英略顕誉、被於無疆、固非庶品所度量、常情所鑽仰也、而敝会欲陳議左右、蓋山林不譲椒桂以成其崇、渤澥不拒汚流以為其深、語曰、寸有所長、尺有所短、敢効一得以補涓埃、請容其説焉、敝会専講経済理財公会也、係敝邦碩学雋士、識度超邁者、及嘉彦名紳、閲歴練達者、醸資共立、博考旁捜、援拠利害、闡発幽微、兼究体用、故敝会論議、毫無依阿、無偏無党、不敢視一邦利害、牽妨万国公利也、頃聞貴国政府、将定貨幣条例、窃謂是亜洲大局利権所関、盛衰消長所寄、不可不審図熟計、敬効敝会意見、以備詢考焉、夫鋳造貨幣、流行封域、係其国権、非敢容喙、唯各国貨幣基礎、重量不均、彼此貿易、不便計較、間生差違、積微成巨、聚秒為大得喪由之、豈為小故、故欧米各国経済博雅之士、久執均壱各国貨幣基礎、同其重量、以利流通、唯各国旧慣既深、改鋳貨幣、糜費難咨、故観望躊躇、不能断行、然各国体認其益、力賛其義、観時乗機、商同貨幣、是閣下所深知而洞悉也、今貴国欲鋳幣、宜遠籌将来大計、以普通亜洲各国者、為鋳幣基礎、重量配搭、概帰均壱、則非独貴国億兆、蒙懋遷之益、而寰海列邦、航梯貿易者、亦藉霑其便矣、査墨銀毎一元重量四百十六克烈因、配合搭成、純銀千分九百、此銀也、亜洲各港通商流用已久、故墨銀為亜洲普通貨幣、所謂庶幾万邦公同貨幣也、敝国政府有見於此、明治四年、制定貨幣条例、毎円銀貨、重量配搭、皆同墨銀、以便流通、故敝会深冀貴国新鋳銀貨、一遵墨銀、重量搭配、均斉於此、比較計算、皆臻簡捷、貿易得便、富源更殖、而貴国声誉所播、徧於遠邇矣、所謂彼此倶利者也、若貴国不肯願鋳同墨銀、或二倍墨銀重量搭配、或二途其数、則比較計算、帰於画一、亦為至便、至於金貨非亜洲各港所多需、稍補銀貨闕乏耳、若貴国定鋳毎金量二十五克烈因五分四、配搭純金千分九百、則同於美邦所鋳、比之敝国所鋳金貨、不過毎金貨、僅差百分克烈因八、所差極微、究同均壱、若貴国不便之、或二倍其数、或二除之、計較画一、均為妥便、要之、貴国疆域広邈、民衆物博、主盟亜洲、雄拠中土、鋳幣以利懋遷、殖貨以拓富源、洵千歳遭遇、不世嘉会也、況閣下蘊開物成務之才、建能文能大之業、主衡中枢、攪絜宏綱、幸垂聡聴、留思芻言、達之廷議、見諸施行、敝会不勝踊躍翹望之至
  明治二十二年二月  東京経済学協会委員長 渋沢栄一
○下略


(李鴻章)書翰 伊藤博文宛 光緒一五年三月(DK270096k-0002)
第27巻 p.296-297 ページ画像

(李鴻章)書翰  伊藤博文宛 光緒一五年三月   (伊藤公爵家所蔵)
 春畝尊兄大人閣下、瀛壖遥望、執訊多疎、頃奉
 - 第27巻 p.297 -ページ画像 
  恵圅、喜如晤語、前聞
  力辞政地、改領元枢、推
  宿望之優崇、為群議之宗主、朝無闕事、無奪鳳池之嫌、国有大謀仍資
  元老之益、昔、宋之平章重事、漢之特進師臣、皆以旧相之尊、列於廷臣之右
  高懐偉誉、今昔何殊、引企
  吉暉、曷勝佩頌、承
  示渋沢君〓、前已由〓斎公使、郵寄来津、展読数過、於五洲大勢九府利権、会計既精、衡量尤密、泉貨之義、原主流通、造幣之書定名平準、古今固無異情、惟目下籌議未定、中朝開辧尚緩、渋沢君所議自応留俟将来、尚希
  代致契佩之帎、兼謝忠告之益、東風吹野、寰海同春、遥想、頤衛康和、定符臆祝、耑泐布復、敬頌
  勲祺、諸惟
  朗照、不宣
  光緒十五年三月             李鴻章 頓首
訳文(野口米次郎訳)
謹啓、東瀛遠ク隔リ候為、久シク問候ヲ欠キ候処、此度御恵翰ヲ忝ウシ御面晤致候様相覚申候、曩キニ貴台ハ総理ノ要職ヲ力辞サレ、枢府ノ首班ニ就カセラレ候趣拝承致シ、貴台カ従来絶大ノ名望ヲ荷ハレ、衆官ノ模範ト仰カレ、朝廷無事ノ時ハ別ニ政務ニ煩ハサレス、国家ニ若シ大事アル際ハ元老トシテ枢機ニ参与サルベキ事、宛カモ宋朝ノ平章重事、又ハ漢代ノ特進師臣ノ、従前宰相タリシ尊貴ヲ以テ群臣ノ上ニ在リシ如キ、此上ナキ声誉ニ有之候テ、現今モ古代モ別段相違セル所ナキ義ト被存、貴台ガ斯カル光暉アル地位ニ立タレ候事、欣慶ノ至ニ奉存候、就テハ此度御送付ノ渋沢氏書翰ハ駐日公使黎〓斎(蔗昌)氏ヲ通シ入手致シ候儘、再三再四閲読仕候処、世界ノ大勢、財政ノ利権ニ対シ頗ル明晰ニ有之、銀銭ハ本来流通ヲ主トシ、貨幣ハ物価ヲ平定スルモノタル事古今ヲ通シ全然同一ニ御座候、何分敝方ニ於テハ審議未了ニ候間、実行ニハ尚相当時日ヲ要スヘク、随ツテ渋沢氏ノ所説モ当然将来ニ保留致置ク次第ニ御座候、尚々同氏ノ好意ニ対シ深ク感謝致居候旨、何卒宜敷御転声被成下度願上候、東風吹キ渡リ四海同春ノ折柄御健康ヲ祝上候 敬具
  光緒十五年三月             李鴻章
    春畝大人閣下


東京経済雑誌 第一九巻第四五八号・第二二六―二二七頁 明治二二年二月二三日 ○経済学協会二月例会(DK270096k-0003)
第27巻 p.297-299 ページ画像

東京経済雑誌  第一九巻第四五八号・第二二六―二二七頁 明治二二年二月二三日
    ○経済学協会二月例会
経済学協会は去る十六日午後五時より、富士見軒に於て例会を開きしが、来会者は招請したる各府県会議長数名を合せ凡百名にして、田口卯吉氏は先づ来賓に謝し、且其高説に接せんことを請ひたれば、来賓は其答辞を述べ、次に伴直之助氏は、幹事金谷氏に贈るべき報労金の額外に集りたることを報告し、依て五十円丈の物品を金谷氏に贈り、
 - 第27巻 p.298 -ページ画像 
余金は別に同会に積置くことに決し、次に此程独逸より帰朝したる穂積八束氏の憲法に関する演説あり、其より阪谷芳郎氏は東洋本位貨一定の議に付、清国にて今回制定せんとする貨幣に関し、経済学協会より李鴻章に送るべき書状は、同氏立案、井上陳政氏に依頼し漢文と為し、渋沢栄一氏より伊藤伯に紹介を依頼せしに、快く引受られしを以て、伊藤伯の手を経て李氏に送るべき事、及び大隈外務大臣も大に此議を賛成し、更に青木次官より李氏が最も親任せる米人某氏へも右の勧告を依頼したる事を報道し、田口卯吉氏は日米貿易の結果に付委員として調査したる所なりとて述べたる大意は、日本より米国へ輸出する貨物は百に付殆ど十九の割合なるに、米国より日本へ輸入する貨物は百に付四の割合なり、斯の如き結果は畢竟米国が保護政策を執りて重き関税を課するが故に、其製造品は非常に高く、従て外国へ輸出する能はざるの理由なれば、米国にして若し自由貿易を取らば、決して斯の如き結果を生ずることなくして、日米の貿易は必ず平均すべしとの説明なりしが、阪谷氏・渡辺洪基氏は之に反対し、伴氏は米国が保護政策を執て猶今日の盛なるを致すは、譬は猶身躰に微傷を負ひたるが如く、良少し位の負傷ありとて身躰の健全発達にして盛なれば、此負傷を患ふるに足らざるが如し、故に若し米国にして自由主義を取らば、其発達は今日の地位に止らざるべしと論じ、中隈敬蔵氏は、米国製造品の高価なるは、主として其労力の高価なるに因なりと陳べしが添田寿一氏は、米国製造品の高価なる第一の原因は、米国は英国に反し其製造品は未だ内国の需要すら満すに足らざる事、第二は従来米国は鉄の産地と石炭の産地と相遠隔したるが、英国は石炭と鉄とは在所皆備はれるを以て敢て之を運送するの要なき事、第三は米国より日本に輸出する所の大平洋の航路は、其運賃非常に高価にして、其米国の工場は重に東隅に在りて、之を船積するまでには鉄道舟車の不便ある事なり、此等原因は米国の貨物をして高からしむるものなれば、仮令関税を廃するも、今日の処では日米間の貿易をして平均ならしむること能はざるべしと論じ、尋で渡辺氏は各府県会議長に向ひ、熟々今日我国の租税を察するに、此中に二個の分子あり、即ち一は真に地租と称するものにして、一は借地料と称するもの是なり、其故は我建国の史に拠るときは、普天の下、率土の浜、王土に非らざるはなく、此れ帝王の所有にして、諸侯は更に之を下民に借したるものなれば、其徴収する所の年貢なる者は、性質地租に非ずして借地料なるや明なり、然るに此借地料なる者は、維新の際金禄公債と為りて人民の負担と為りたれば、今日人民が其所有地より納むる所の地租なる者の中には、必ず幾分の前借地料をも含有せるや疑なし、なれば我地租の英国に比して重しと云ふは、此前借地料のあるが為なるか、将た地租の重きが為なるか、若し地租が重しとすれば、之を軽減するの方法に就き幸に来臨せる県会議長諸氏の講究あらんことを望むと述べたるより、又々一場の大議論と為り、田口氏は今日の租税は其実は全く借地料より成れるものなりと説き、添田氏は既に大政維新と為りて土地所有権を人民に附与したる以上は、之より徴収する所のものは真正なる地租たらさるを得ざるなり、若し今日の地租に不権衡あらば所得税と為すべし
 - 第27巻 p.299 -ページ画像 
と論じ、討議に時を移し散会したるは十一時頃なりき、因に記す、同協会より李氏に送りたる書簡は左の如し
○下略


東京経済雑誌 第一九巻第四六二号・第三六七頁 明治二二年三月二三日 ○経済学協会三月例会(DK270096k-0004)
第27巻 p.299 ページ画像

東京経済雑誌  第一九巻第四六二号・第三六七頁 明治二二年三月二三日
    ○経済学協会三月例会
去る土曜日は同会の月次会なりしを以て、午後より富士見町富士見軒に於て、会員成瀬隆蔵氏の洋行送別を兼ねて例会を開きたり、同日の来賓には鍋島青森県知事来会の筈なりしも、差閊ありて来られさりしも、寺島枢密院副議長が臨会されしかは、阪谷芳郎氏が成瀬氏の送別の辞ありし後、田口卯吉氏は起て寺島伯に向ひ伯の光臨を謝し、且つ伯か平生経済上の事に関し精密に記載せられし所ある由なれば、其一部を会員に教えられんことを請求したり、伯は起ちて、経済上の事に付て色々取調へ置きたる事あれども、今晩は其の用意を為さゝるを以て何れ追て申述ぶべき旨を答へ、且つ今後は時々臨会すべき事をも承諾されたり、次に阪谷氏は前会に報道したる支那李中堂に向ひ貨幣本位勧告の事に付、其の本文及訳文を朗読し、而して其の訳文中盟主云云の文字に付て、近頃新聞紙上に国体に関するとの非難もありたれども、是は盟兄吾兄と云ふ如き意味にて、決して支那を盟主と呼びたりとて、国体に関する程の事もなかるべしと弁じ、続て渋沢栄一氏は、右に付已に伊藤伯より李氏に送りたる旨、及支那公使へも托し、並に大隈伯及青木次官にも夫々手続をなしたる旨を報告したり、同日は別段討論の問題もなかりしが、右の報告に付渡辺帝国大学総長には、元来右決議の折り臨会なかりしをもて意見を述ること能はざりしなれども、実は本会が斯る問題を軽々に議決したるは余の取らざる所なり、其次第は貨幣制度を変更することは猶ほ度量衡を変更するが如く、如何に万国一主義が可なりとて、一国には一国の習慣あり、妄りに之を変更するときは実に謂ふべからざる弊害あることを知らざるべからず現に此等の事は我国に於ても実験したることは諸氏の知る所にして、支那と雖も決して然らざる理なし云々と述べたるより、此に一議論を生じ、阪谷氏は本会が決して軽々に議決したるにあらざる旨を痛く弁明し、続て田口氏も之を弁明し、渋沢氏も之を弁明するなど中々盛んなりし、斯くて会員半は散したる後ち、再ひ特別市制の事に関して一条の議論を発し、全く散したるは十一時後なりしとぞ