デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

5章 学術及ビ其他ノ文化事業
2節 演芸及ビ美術
6款 高等演芸場
■綱文

第27巻 p.434-435(DK270123k) ページ画像

明治41年12月1日(1908年)

数寄屋橋ニ当社ノ劇場新築サレ、有楽座ト称ス。是日開場式挙行セラレ、栄一之ニ出席ス。


■資料

竜門雑誌 第二四一号・第四一頁 明治四一年六月 ○高等演芸場上棟式(DK270123k-0001)
第27巻 p.434 ページ画像

竜門雑誌  第二四一号・第四一頁 明治四一年六月
○高等演芸場上棟式 柳沢伯爵・長松男爵・青淵先生・村井貞之助等諸氏の計画に成れる数寄屋橋内の高等演芸場は、骨組既に成りて五月二十八日午前十時より上棟式を執行し、式終て柳沢伯爵の挨拶あり、夫より立食の饗応ありたり。
演芸場は敷地八百五十坪、建坪二百五十八坪の三階建にして「ルネーサンス」式木骨石皮、内外の壁は漆喰塗なり、而して本館は百九十九坪・「レストラント」五十三坪・事務所五十坪・土蔵二十坪・役宅二十坪・温室十五坪あり、観覧席は左の人数を容るへき設計なり。

        階下    二階    三階
 特別席   一三二    四六     ―   一七八
 普通席   三二三   二八二   二四二   八四七
而して其建築は来る九月三十日竣成の予定なりと云ふ。



竜門雑誌 第二四七号・第六五頁 明治四一年一二月 ○高等演芸場開場式(DK270123k-0002)
第27巻 p.434 ページ画像

竜門雑誌  第二四七号・第六五頁 明治四一年一二月
○高等演芸場開場式 数寄屋橋内に新築の高等演芸場有楽座は本月一日午後四時より開場式を挙行したり、当日の来賓は黒田侯・乃木伯・有馬子・尾崎市長・坪内博士・大槻如電・巌谷小波・大河内輝剛・田村成義・西野帝国座取締・小山内文学士等を始め、外国大使・公使・夫人等にて青淵先生も亦臨席せられたり、当日の来会者は総て千余名と註せられ頗る盛会なりし、斯て午後五時半頃に至り柳沢伯先づ開会の辞を述べ、夫れより喜多六平太の能楽「翁」・「石橋」あり。次に食堂を開き、新作振事「賤の小田巻」(新橋芸妓連)喜劇「高等官」(伊井一座)長唄「鶴亀」(杵屋連中)振事「竜田姫」(市川九女八、沢村長之助)等の演芸ありしが、何れも喝采を博し夜十一時半頃閉会したり


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK270123k-0003)
第27巻 p.434 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵)
十二月一日 晴 寒
○上略 午後四時過有楽座開場式ニ出席シ ○下略



〔参考〕東京朝日新聞 明治四一年一二月三日 演芸風聞録一節(DK270123k-0004)
第27巻 p.434-435 ページ画像

東京朝日新聞  明治四一年一二月三日
    演芸風聞録一節
 有楽座開場式 俗名高等演芸場は予記の如く一日午後四時より花々しく開場した。小ぢんまりとして気の利いてゐるハイカラ建物に、電気もふんだんに使つた所は気持がよい。式は頗る簡単で会長の柳沢伯爵の一寸した挨拶があつたばかり、言の内に名も無い卑い所謂土場芸人の様なものでも、芸術が立派でさへあれば登場させる、名に迷つて下らぬものを掛ける様な無責任のことはせぬと誓はれた。流石は柳沢
 - 第27巻 p.435 -ページ画像 
伯爵、好く仰しやつた。演芸は能楽・長唄・喜劇・清元といふ順序にて滞りなく演了し、十二時に閉会となつた。
○下略



〔参考〕同方会報 第三二号・第五七頁 明治四二年一〇月一〇日 有楽座の落成(DK270123k-0005)
第27巻 p.435 ページ画像

同方会報  第三二号・第五七頁 明治四二年一〇月一〇日
○有楽座の落成 数寄屋橋内に新築せる高等演芸場は有楽座と命名し十二月一日 ○明治四一年開場式を行ひ、三日より夜興行を開始し、岡田紫男の狂言、円喬の落語、延寿太夫の清元、伊井蓉峰・市川粂八の劇あり入場料は特・一・二・三・四等の五級とし、案内は和洋折衷の服装せる若き婦人をして取扱はせ、場所は特等に限り椅子の外座席の設けあり、椅子には一々番号札を附したり、尚ほ場内に食堂・売店の設備あること勿論なりとす