デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

5章 学術及ビ其他ノ文化事業
4節 新聞・雑誌・出版
6款 実業之世界
■綱文

第27巻 p.542-549(DK270143k) ページ画像

明治42年2月14日(1909年)

是日栄一、野依秀一ノ懇請ニ応ジ名古屋市ニ到リ「実業之世界」読者大会ニ出席シ、一場ノ演説ヲナス。次イデ五月九日早稲田大隈邸ニ於テ開催セラレタル同雑誌改題一周年記念会ニ出席シ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四二年(DK270143k-0001)
第27巻 p.542 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年     (渋沢子爵家所蔵)
二月十日 晴 寒
午前七時起床入浴シ畢テ野依秀一氏来リテ名古屋行ノ事ヲ談シ、併テ時事ヲ討論ス ○下略
   ○中略。
二月十三日 曇 寒
午前六時起床入浴シ後朝飧ヲ食ス、八時新橋ニ抵リ急行列車ニ搭シテ名古屋ニ赴ク、汽車中数多ノ知人ニ面会ス、静岡ニ於テ午飧シ、豊橋ニ抵リ伊藤・斎藤二氏来リ迎フ、同車ニテ種々ノ要務ヲ談ス、午後四時名古屋ニ着シ多人数ノ来人アリ、丸文旅宿ニ投ス、午後五時名古屋商業会議所ニ催フセル地方人士ノ招待会ニ出席シ、経済上ニ関スル一場ノ演説ヲ為ス、畢テ川文楼ニ抵リ三重紡績会社・第一銀行等ノ催フセル夜飧会ニ出席ス、芸妓ノ余興アリ、夜十一時帰宿ス、奥田正香・野依秀一・伊藤・斎藤・原田ノ諸氏終始同行ス
二月十四日 晴 寒
○上略 午後一時県会議事堂ニ抵リ、実業ノ世界読者大会ニ臨ミ一場ノ演説ヲ為ス、聴衆概ネ千有余人、頗ル盛会ナリキ、畢テ又旅宿ニ抵リ入浴シ且衣服ヲ改メ六時地方人士ノ開催セル魚半楼ノ宴会ニ出席ス、会スル者四五十名ナリキ、夜十一時宴散シ十二時九分名古屋発ノ汽車ニ搭ス


竜門雑誌 第二四九号・第六五―六六頁 明治四二年二月 ○青淵先生の名古屋行(DK270143k-0002)
第27巻 p.542 ページ画像

竜門雑誌  第二四九号・第六五―六六頁 明治四二年二月
○青淵先生の名古屋行 青淵先生には実業の世界主幹野依秀一氏の懇請に依り、本月十四日名古屋に開会せらるゝ同社読者大会に出席の為十三日午前八時新橋を発車し、同日午後六時より同地銀行集会所及経済会の開催に係る歓迎会に臨まれ、翌十四日午前は三重紡績・日本車輛名古屋倉庫・名古屋瓦斯等諸会社の事業を巡視し、第一銀行支店に到り店務を視察し且店員一同に訓諭を与へられ、午後は実業の世界読者大会に臨み、夕刻より同地実業家有志者の催に係る晩餐会に出席して、午後十二時名古屋発の列車に搭じ、十五日午前九時無事新橋に帰京せられたり。

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実業之世界 第六巻・第三号 明治四二年三月一日 ○余は『実業之世界』主幹野依秀一氏の如何なる点に感じて親交を結びたるか(男爵 渋沢栄一)(DK270143k-0003)
第27巻 p.543-546 ページ画像

実業之世界  第六巻・第三号 明治四二年三月一日
    ○余は『実業之世界』主幹野依秀一氏の如何なる点に感じて親交を結びたるか(男爵 渋沢栄一)
○上略
  ◎野依氏は有力なる私の攻撃者であつた
野依氏と私とは、年齢から云つても四十五歳も違つて居る、従つて境遇も思想も感情も大分違つて居る、恁う違つた点の多い両者の間に渝らざる親交が結ばれ、私が『実業之世界』の読者大会に迄出演するやうになつたのは、何か其処に相違はない――一致する所がなければならぬ筈であります(大拍手)処で私が、野依氏と親交を結んだのは、此の一・二年来の事でありますが、夫れも決して快く会つたのではなく、云はゞ喧嘩で逢つたのです。元来野依氏は私に取つて最も有名なる攻撃者の一人であつた。渋沢は気が多い。処々方々の会社の重役を引受けて責任を無視して居る。忌む可き俑を造つて居ると云つて、野依氏は私を攻撃したものです。
  ◎余は如何に野依氏の攻撃を弁解せしか
一応御尤もな攻撃ではあるが、私は、冠を挂けて大蔵省を退いて以来略四十年、一意日本の商工業の発達助長に尽瘁して居ります。商工業の為めとあれば種々なる方面に顔を出す。又、口を利く、投資もする世話も焼く。けれども、商工業以外の方面には、未だ曾て一たびも力を致した事がありません。以て、如何に渋沢が一本調子の男で、気が多くないかゞ御分りになりませう。尤も私が、多くの会社に顔を出して居る事に就ては、兎角の批難もある事と存じますが、是れは時勢上已むを得ぬ事であつて、私の冠を挂けたのも、理由はと云へば、我が貧弱なる日本を富強ならしむるのが眼目であつたのです。夫れで、殆んど、何等の産業機関も備はつて居なかつた時代に於て、私は他に率先して、誘導的に諸種の事業を起しました。是は恐らく諸君の御存知の事と思ひまする所で、私は、元来、富は一人の私すべきものでないと云ふ観念を有つて居りましたから、起した事業も自然株式組織になつた次第であります。(拍手)恁う云ふ関係で諸多の会社に顔を出し、又出しつゝあるのでありますから、勢ひ私の関係して居る会社の数も多くなつたのであります。が、渋沢の、国家に尽す誠心誠意を諒とせられ、且つ実業の草創時代より現今に至るまでの経過を熟知せらるゝ仁は、必しも渋沢が、多くの会社に関係して居る事を咎められぬ事と存じます。
  ◎野依氏と余との間に横へられた一大溝渠
で、最初は有力なる攻撃者であつた野依氏も、一たび相逢うて其事を談じてからは、果して、私の衷心を諒として呉れました。時は何時であつたか確然覚えませんが、両人相逢ふた時の野依氏の攻撃は実に非常なものでありました。旗鼓堂堂と私を責め立てたものです。乃で私は前陳の趣意を縷述して野依氏の判断を請ふた所、此も亦其の意を諒として呉れたものと見えまして、爾後隔意なき間柄となりましたが、野依氏と渋沢との間に構へられた一大溝渠は、単に此の一事を以て払ひ去る事の出来る性質のものではありません。野依氏と私との間には
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随分違つた所があります。
  ◎野依式と渋沢式とは正反対
先づ野依氏は頗る突飛に物を行る人であるのに、私は成る可く秩序的に進行して行きたい。是等は両者の間に存する非常な差異と存じます尤も、この突飛と云ふ事に就ては野依氏に持説があつて、時代の要求上已むを得ぬと云うて居りますが、議論の当否は兎に角、野依氏の行為と渋沢の行為とは、一は突飛的、一は秩序的、一は野依式、一は渋沢式で、其間全然趣を異にして居ることは争ふ可からざる事実で御座います。(大笑)尚此の上に違つた事がある、私は、何に限らず成る可く敬意を払つて遠慮して事物を処理する、所謂謙徳を守ると云ふことを始終心掛けて居る。私の学んだ所によれば、謙は益を享くるで、謙は人間に必要のものである。孔子は事衷心に行へば徳敬有りと云はれて、徳敬は、慢とか傲とか云ふ意義とは正反対である。私は論語を遵奉する者で御座いますから苟くも敬意を人に失はぬやうに努めて居るので御座います。然るに野依氏は、何所から見ても謙を以て称する事の出来ぬ人のやうで御座います。
  ◎余が謙徳を説けるに対し野依氏は如何に弁解せしか
乃で、或時私は、右の意見を以て野依氏に忠告を試みた事がありました。すると野依氏曰はく『私も人に対する愛嬌、人に対する尊敬の、必要である位は知つて居る。或はお前以上に知つて居るかも知れぬ。が、悲しい哉、今の社会は、引込んで計り居ては人に知られる事が出来ぬ。夫れ故先づ突飛主義を以て天下の耳目を聚めさて徐ろに自己の思ふ所を社会に行はねばならぬ、即ち、野依氏の突飛主義は、時勢上已むを得ぬ事である』と。して見ると、社会の為め、国家の為めに尽さうと云ふ主旨は同一であるが、矢張、敬虔の道を欠くと云ふ点に於て、野依氏は私と違つて居ります。
  ◎余の読者大会出演は感激の余り也
即ち、野依氏は、私が多くの会社に関係する事を攻撃し、私が秩序的に行かねばならぬと云ふのを、突飛でなければ不可ぬと云ふ。私が謙遜でなければならぬと云ふと彼は傲慢で推し通すがいゝと云ふ。其の上、前申し上げた通り、私は七十歳で、彼は二十五歳、年から云つても四十五歳も違つて居ります。恁う数へ来れば、野依氏と私との間には、殆んど何等の一致を見出す事が出来ません。而かも私が、野依氏の為めに開かれた『実業之世界』の読者大会にまで出演するやうになつたのは、実に、感激の余りに出たものであります。(拍手大喝采)
  ◎余の野依氏に感心した点(一)
然らば私が、野依氏の如何なる点に感心したかと申しますと第一、野依氏が『実業之世界』を経営するに徹頭徹尾誠心誠意を以て行つて居る事で、是は私の最も悦ふ所であります。世の新聞雑誌が、虚礼虚飾を尊ぶ間に在りて、野依氏が、独り超然として正を正とし邪を邪とする心事は、実に私の愉快に感ずる所であります。私は、謙譲を以て世に処さうとはして居るが、善を善とし悪を悪とする事に於ては、苟くも人後に落ちぬ積りで居ります。即ち多く相違の点を有する私共両人も、誠心誠意の点に於ては、玆に端なくも感応一致したので御座いま
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す。(拍手大喝采)
  ◎百歳まで生きれば私の方が若いかも知れぬ
更らにもう一つ、私が一層同情を表するのは、野依氏の勉強心で御座います。大凡人は、凡ての方面に長所を有たねばならぬ。智識もなければならぬ。意思も鞏固でなければならぬ情にも富んで居らねばならぬ。人に対するにも事に処するにも、また相当の注意を払はねばならぬ。が、詮ずる所、是等の事を完全ならしむる大動力は勉強心で、勉強心のない――若しくは少い人は到底事業を完全に発達せしむる事が出来ません。不肖私の如きも、夙夜之を念とし、勉強の点に掛けては壮年者に譲らぬ積りで居ります。で、老躯を提げて名古屋に来たとか何とか云はれると癪に触る。渋沢は未だ老人呼ばりをされる程老耄せぬ、成程、二十五歳の人と数ふれば四十五歳も違ひませう。併し、野依氏が五十歳で死んで、私が百歳まで生きるとすれば、私の方が若いかも知れぬ。と思ふ位で、老人でも勉強は大切である。況んや、青年に於てをやではありませんか。(大笑)
  ◎余の野依氏に感心する点(二)
野依氏の勉強には実際感心する。私は今日迄野依氏位の勉強家を多く見ません、この読者大会に私を引き出さうと云ふ相談の時などは、あの寒威肌を刺すが如き郊外の風に吹き付られ乍ら、朝の五時頃にやつて来られたものです。私の邸は王子ですから、東京の中心から二里計りも離れて居ります。其所へ五時頃に来て、而かも私の起きる迄、二三時間も待つて呉れた。此の一事を以て、野依氏の勉強を証明する訳ではありませんが、併し一端を挙げて四隅を知る。野依氏の勉強は実際感服の外ありません。私は此の意気に感じて、悦んで読者大会に出演を諾したので御座います。
  ◎余の野依氏に感心する点(三)
尚一つ、私が大なる同情を表するのは、野依氏が、猶ほ未だ白面の一青年なるにも拘はらず、頗る気宇宏濶の態あることで御座います。兎角学問の進んで来た今日では……斯く申せば老人が青年を侮辱するやうに聞えるけれども……甚麼も青年の元気が銷沈して来た。現今の教育は凡俗教育で、何れも御同様に凡人を出さうとして居る。多数の人が平等に進む。是は勿論宜しい事には相達ありませんが、為めに天才を埋没し、元気を銷沈せしむる所を見ると必しも国家の慶事とは云へません。三十にて早く老爺となるやうな当時の青年は、宜しく鑑みなければなりません。然るに野依氏は、幸ひに?長く学校教育を受けなかつた為めか、当世風の弱々しい学校出の青年中に在つて小気味よくも気宇宏濶の態がある、私はこの一事を以て、学校生活をお廃めなさいとは薦めませんが、少くとも諸君は野依氏を亀鑑として、其の気慨を涵養せらるゝ事が肝要と存じます。
  ◎余は読者諸君に何を希望するか
要するに私が野依氏と懇親を結んだのは、私が野依氏の攻撃に多大の趣味を感じたのに始まつて居ります。爾後相逢うて大いに討論をなした末、互に了解する所があつて見ると、野依氏が誠心誠意を以て世に立つて居る所以も知れた。勉強心が甚しい、稜々たる気骨がある。気
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宇宏濶の態がある。而して其の努むる所はと云へば、彼も吾も、同じく国家を隆盛ならしむる『実業』である。斯く申せば、私が何故野依氏と相許し、且つ此の『実業之世界』読者大会に出演したかゞ明瞭と存じます。
簡単に申し上ぐれば、一は野依氏の意気に感じ、一は日本実業の為めを思ひ、奮つて此の会に出演したのであります。諸君は、渋沢の意見を諒とせられて、『実業之世界』のため、日本実業の発達の為め、誠心誠意を以て尽瘁せられん事を希望致します。(拍手大喝采)


我が赤裸々記 野依秀一著 第一七六―一七八頁 大正一四年一月刊(DK270143k-0004)
第27巻 p.546 ページ画像

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渋沢栄一 日記 明治四二年(DK270143k-0005)
第27巻 p.546-547 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年     (渋沢子爵家所蔵)
五月九日 晴 暖
 - 第27巻 p.547 -ページ画像 
○上略 午後一時早稲田大隈邸ニ抵リ、実業ノ世界雑誌社ノ為メニ一場ノ演説ヲ為ス ○下略


中外商業新報 第八二七二号 明治四二年五月一〇日 ○実業世界改題紀念会(DK270143k-0006)
第27巻 p.547 ページ画像

中外商業新報  第八二七二号 明治四二年五月一〇日
○実業世界改題紀念会 実業世界改題一周年紀念祝賀会は九日午後二時半大隈伯邸に開かれたるが、定刻に到り野依社主の挨拶に次で渋沢男・大隈伯及後藤逓相(代)の祝詞及演説ありて模擬店を開き、後四時半食堂を開いて、野依社主来賓の為めに万歳を唱ひ、和田垣博士来賓を代表して一場の演説をなして五時散会せしが、余興には新橋芸妓の手踊・源水の独楽・太神楽・手品等あり、非常に盛況なりき


実業之世界 第六巻第六号・第五五―五六頁 明治四二年六月一日 ○大隈伯邸園に於ける本誌一週年記念大園遊会の記(DK270143k-0007)
第27巻 p.547-548 ページ画像

実業之世界  第六巻第六号・第五五―五六頁 明治四二年六月一日
 ○大隈伯邸園に於ける本誌一週年記念大園遊会の記
    △野依社長の挨拶と渋沢男爵の演説
○上略
 次で男爵渋沢栄一氏は演壇に進み、大要左の如き演説をされた。其国家社会に対する燃ゆるが如き熱情は、矍鑠たる老躯の外に溢れて、満場の紳士淑女をして座ろに襟を正さしめた。
 今日では私も野依君と特別の懇親を重ねて居ますが、最初私が同君と会見する時には決して平和の会合でなくして寧ろ議論の会合でありました。野依君は筆に口に随分喧しい人で、私の行動に就ては随分露骨に、直截な批難をされた人である、それが難より易に入り、険悪より平和に入るといふたやうな塩梅で、大に議論を闘はして見ると互に了解する所が出来て、竟に今日の如き別懇の関係を生ずるに至つたのであります。勿論私と野依君との間には、随分違ふ所が多い、第一年齢が違ふ、第二に事業が違ふ、それから最も甚しく違ふのは野依君が凡て不秩序的に突飛な事を遣るのに対して、私は必ず秩序的に事を処するといふ流義である、斯く数へ来れば、両者の懸隔は決して少くない。然るに此相異なる点の多い私が同君の為に喜んで玆に一場の演説をしやうといふのは、抑も他の半面に於て大に一致する所があるからであります
 私が野依君と意気相投ずる点は、第一に国家的観念である。吾々は個人の富貴栄達を目的とせずして社会公共の為に働かなければならぬ総称して国となり、分言して人となるといふ通り、国家の進運は其国民の公共的観念の消長に関するものと思はれる。野依君は其経営して居る事業を以て常に国家の為、国民の為といふ事を念として居らるゝ此点は私と野依君との共通点である、第二に私が深く同君に感心して居るのは、其誠心誠意といふ事である。其言行が如何にも突飛なるに拘らず、自ら信じた事は何者の前に於ても必ず明言し得る。所謂威武に屈せず、富貴に淫せずといふ精神が貴いので、私は野依君に対して終始此精神の貫徹を希望するものである。第三に感心する事は、同君の勉強心である。早い話が同君が私を訪問される時には必ず黎明の頃にやつて来る、爾うして玄関で一時間も待つて居る、一方に於て粗暴な人かと思へば、私の話した事を寸分間違ひなしに雑誌に掲載する。
 - 第27巻 p.548 -ページ画像 
之は同君の勉強心が然らしむるに相違ない、思ふに同君は常に此精神を以て何事にも臨まれるが故に、今日の盛大を致された事と思はれます。斯く考察して来れば年齢も違ひ、事業も違ふ同君に対しても、私は亦多大の同情無きを得ないのであります。私は此点からして衷心野依君の事業の発達を希望して止ないのであります。



〔参考〕我が赤裸々記 野依秀一著 序文・第一三六―一三八頁 大正一四年一月刊 【渋沢子に紹介した関係 (服部時計店主 服部金太郎)】(DK270143k-0008)
第27巻 p.548 ページ画像

我が赤裸々記 野依秀一著  序文・第一三六―一三八頁 大正一四年一月刊
    渋沢子に紹介した関係 (服部時計店主 服部金太郎)
 野依君を私が初めて知つたのは、矢野恒太君の紹介であつて、もう二十年以上も交際つてゐるけれど、相変らず元気で、たまに会ふとペラペラペラ自分の勝手な事を云つて行くが、兎に角面白い男である。
 野依君の大なる後援者は渋沢子爵であるが、その子爵に初めて紹介したのは実に私であつた。其の動機は或る時君が「渋沢男爵(当時は男爵也)を難ず」と題する文を雑誌に掲載して持つて来た、其の文意は男爵が、多数会社の重役を兼ぬるを非難したもので、私は不審に思ひ、君は男爵を知つて書いたのかと聞くと、未だ一面の識もないと云ふ。そこで私は更に君に向ひ、男爵の如何なる人なるかを知らずして非難するは良くないではないかと云つたら、然らば早速紹介を頼むといふことで、私は直ちに男爵に理由を通じて紹介した。是れが則ち男爵の知を得たる抑もの初めである。
 その後男爵は子爵に陞爵し、今日まで君の為めに一臂の力を添へる事を惜しまずに居られるのは、そのやうに引つける君の手腕も普通ではないが、流石に子爵が情に厚い人といふことが偲ばれるのである。君も亦それを忘れずに奮闘してゐる事は、何と云つても豪いと思ふ。こたび君は其の自叙伝たる『我が赤裸々記』を出版するとて、何にか巻頭に書けとの事であるから、君が子爵に知を得たる顛末を陳べて聊か責を塞ぐことゝする。
  大正十三年十二月



〔参考〕我が赤裸々記 野依秀一著 第一五八―一五九頁 大正一四年一月刊(DK270143k-0009)
第27巻 p.548 ページ画像

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〔参考〕我が赤裸々記 野依秀一著 第一七三―一七四頁 大正一四年一月(DK270143k-0010)
第27巻 p.548-549 ページ画像

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