デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

6章 政治・自治行政
1節 政治
5款 政友会
■綱文

第27巻 p.587-588(DK270149k) ページ画像

明治33年9月15日(1900年)

栄一、是日ノ午後帝国ホテルニ開カレタル政友会発会式ニ次グ園遊会ニ出席ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三三年(DK270149k-0001)
第27巻 p.587 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年     (渋沢子爵家所蔵)
九月十五日 曇
○上略 午後二時帝国ホテルニ於テ催サレタル政友会ノ園遊会ニ抵ル ○下略


新聞集成明治編年史 同史編纂会編 第一一巻・第一二五頁 昭和一一年三月刊(DK270149k-0002)
第27巻 p.587-588 ページ画像

新聞集成明治編年史 同史編纂会編  第一一巻・第一二五頁 昭和一一年三月刊
    立憲政友会=発会式挙行
〔九・一六 ○明治三三年中外商業〕 立憲政友会にては予期の如く、昨十五日午前九時より、帝国ホテルに於て其発会式を挙行したるに、来会者は無慮千余名に達し、午前十時一発の煙火と共に奏楽に続いて来会者一同着席するや、伊藤侯爵を始め、渡辺創立委員長、西園寺・末松・星松田・金子等の各創立委員各其席に着し、先づ渡辺創立委員長開会の辞を述べ、伊藤侯爵を総裁に推戴したる事を告げ、進んで政友会宣言及綱領の発表を為したる以後の状況を述べ、会員の申込は頗る数多なるがため、未だ正確に其数を知ること能はざるも、数十万の多きに達せんとする旨を告げ、尚議員の数は昨日迄にて百五十二名に達したるを述べ、今後同会の責任甚だ重き所以を説き、次で星亨氏は会則を議定する旨を宣言し、書記をして之を朗読せしめ、満場拍手を以て賛成の意を表したれば、伊藤侯爵は演壇に進み、会則は諸君に於て異議なきを以て、満場一致にて可決したりと宣言し、引続き別項の如き演説を為し、右終つて君が代の奏楽と共に、伊藤侯爵発音にて、陛下の万歳を三唱し、次で祝詞の朗読を為し、之にて全く式を終り、午前十一時一同退席したる由。
 - 第27巻 p.588 -ページ画像 
○下略


新聞集成明治編年史 同史編纂会編 第一一巻・第一二六頁 昭和一一年三月刊(DK270149k-0003)
第27巻 p.588 ページ画像

新聞集成明治編年史 同史編纂会編  第一一巻・第一二六頁 昭和一一年三月刊
    政友会の園遊会
〔九・一六 ○明治三三年時事〕 立憲政友会にては別項に記する如く、昨日午前中に帝国ホテルに於て発会式を終り、午後三時より、同所に於て園遊会を催ほしたり、来会者は山県総理を始め西郷・青木・芳川・曾禰清浦の各大臣、井上伯、各省次官・局長、大浦警視総監・安広書記官長・千家東京府知事・松田市長及び貴族院議員岩崎弥之助、渋沢栄一山本達雄・雨宮敬次郎、其他の実業家、外国新聞記者並に実業家、同会員・中立議員・各新聞記者・通信記者、在京及び地方会員等無慮七八百名にして、定刻に至り一同庭園の芝生に集りて知己互に相語り、或は丘上を逍遥し、殊に伊藤侯は来賓に応接して、得意の歓話談笑を試み、其他渡辺・金子・末松・星等の諸氏到る処に来賓と談話しつゝある間に、煙火は時々空中に響き、奏楽の声は絶えず嚠喨たる清音を送れり。斯くて午後四時頃に至り、来賓はホテル内の大広間に案内せられ、会員は芝生に設けたる席に就て立食の饗を受け、同五時頃に至り一同無事に散会したるよし。