デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

6章 政治・自治行政
2節 自治行政
2款 東京市区改正及ビ東京湾築港 4. 東京湾築港調査
■綱文

第28巻 p.356-357(DK280034k) ページ画像

明治40年1月18日(1907年)

是日栄一、帝国ホテルニ於テ東京市長尾崎行雄ノ催セル東京湾築港問題ニ関シテノ招待会ニ出席ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK280034k-0001)
第28巻 p.356 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年       (渋沢子爵家所蔵)
一月十八日 曇 風寒           起床七時三十分 就蓐十二時
○上略 帝国ホテルニ抵リ、東京湾築港ノ件ニ関スル集会ニ出席ス ○下略


東京経済雑誌 第五五巻第一三七二号・第一三四頁 明治四〇年一月二六日 ○東京湾築港問題招待会(DK280034k-0002)
第28巻 p.356-357 ページ画像

東京経済雑誌  第五五巻第一三七二号・第一三四頁 明治四〇年一月二六日
    ○東京湾築港問題招待会
東京湾築港問題に関し意見を求めんが為めに、尾崎市長の催ふしたる招待会は、去る十八日午後四時より帝国ホテルに開かれたるが、来会者は芳川子・渋沢男・肝付中将・内田管船局長、古市・中山・妻木・
 - 第28巻 p.357 -ページ画像 
近藤・原・中島諸博士等朝野の紳士百二三十名にして、先づ尾崎市長より来会者に対する挨拶を為し、東京湾築港は実に久しき問題にして今回の築港案は古市・中山両博士の設計を基礎とするものなれども、尚ほ修正すべきは修正して、成るべく完全に達せんことを期するものなれば、十分の示教あらんことを望む旨を述べ、次に江間築港委員長は築港問題の歴史を略叙し、今回の築港案に於て古市案に幾分の修正を加へたる点を説明し、築港の財源としては十年間の継続事業として市民に年々四十万円の特別税負担を求め、其の他は公債に依るものとし、竣工後埋立地の売却代金を以て公債元利を償還する計画なり、又先例に依れば全経費の三分の一位は、国庫の補助を求めて然るべき筈なれども、今や戦後財政困難の際にもあり、且初より補助を求むるときは、港湾調査会の調査等の為めに起工遅延の患あるが故に、差向き市の計算を以て之に着手し、他日必要なる陸上設備費等の為めに、国庫の補助を請はんと欲するものなりと説明し、次に直木技師は東京湾築港は必要なりや否やの根本問題に就て論じ、或は横浜の築港ある以上は、東京の築港は無益なりとの説もあれども、元来横浜の築港は規模小にして、今後益々発達する貿易を吸収するに足らず、現に横浜に到着する貨物中、其の五割三分は艀船に依て東京に転送され、横浜にて荷揚せらるゝは四割七分に過ぎされども、横浜港は此の四割七分の荷役すら十分に之を為すの余力なし、然るに五割三分の貨物を汽車に依りて東京に転送せんには、非常に鉄道を増築するに非ずんば不可能なるのみならず、運賃高きが故に、矢張り是迄通り専ら艀船に依りて転送するの外なからん、故に東京湾築港は斯く艀船に依りて転送せらるべき分を吸収するの目的にして、決して横浜港の貿易を奪ふものにあらず、横浜港の呑吐力に超過し、且本来東京に属する分を吸収するに止まるものなれば、此の両港は決して同一物を目的として相競争するものにあらず、即ち一時一刻の急速を争ふ定期航海船は専ら横浜に集まり、之に反して左まで急速を要せざる荷物船は専ら東京に集るべし、横浜には横浜の目的あり、東京には東京の目的ありて、此の両港は相俟て世界の一大良港を成すものなりと論じ、統計を挙げて之を説明したるは、大に聴者の留意を惹きたり、次に肝付中将は羽根田外港の港門を今回の設計の如く正東の方位に向くるときは、船舶に横風を受け頗る廻頭に困難なれば、之を南々東の方位に向くるの可なる事、東京は大体荷物船の港たるに相違なしと雖も、尚ほ東京に於ても旅客船繋留の必要なしとせず、然るに芝浦の本港に之を繋留するときは、運河通航の為めに時間を要し不便少からざれば、羽根田外港に桟橋を設け、鉄道との聯絡を全くし、以て「メイル」船の積卸往来に便せしむる事、本港繋船岸の頭端を少く削り其奥を深くし、且繋船岸の傾斜を一層大にして船舶の出入に便ならしむる事等、甚だ緊要なる修正の希望を述べ、終りて立食の饗応ありて六時過散会せり