デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

7章 軍事関係事業
3節 日露戦役
7款 埼玉学生誘掖会・埼玉学友会聯合埼玉県人日露役出征軍人歓迎会
■綱文

第28巻 p.505-507(DK280079k) ページ画像

明治38年12月10日(1905年)

是日埼玉学友会・埼玉学生誘掖会聯合シテ、埼玉県出身陸海軍将校凱旋歓迎会ヲ同誘掖会寄宿舎ニ挙行ス。栄一之ニ臨ミ祝辞ヲ朗読ス。次イデ同夜上野精養軒ニ於ル陸軍中将浅田信興ヲ招待セル晩餐会ニ臨ミ一場ノ演説ヲ為ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治三八年(DK280079k-0001)
第28巻 p.505 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
十二月九日 晴 軽暖
○上略 兜町事務所ニ抵リ、埼玉県人ニテ催ス所ノ浅田中将歓迎会ノ手続ヲ協議ス ○下略
十二月十日 半晴 風ナシ
○上略 学生誘掖会寄宿舎ニ抵リ歓迎会ニ列ス、浅田中将外諸将校来会ス式ニ臨ミテ祝辞ヲ朗読ス、式畢テ一同午飧シ ○中略 四時上野精養軒ニ抵リ、浅田中将招待ノ宴会ニ出席シ、食卓上一場ノ演説ヲ為シ、畢テ夜八時半王子別荘ニ帰宿ス


埼玉学生誘掖会十年史 同会編 第三七頁 大正三年一〇月刊(DK280079k-0002)
第28巻 p.505 ページ画像

埼玉学生誘掖会十年史 同会編  第三七頁 大正三年一〇月刊
 ○第一篇 埼玉学生誘掖会史
    第一期 会員組織時代
○上略
此時に当り ○明治三八年一一月日露両国間の平和既に克復し、出征将卒相踵で凱旋す。会々埼玉学友会は本県出身凱旋将卒を歓迎せんことを提唱せるを以て、十一月三十日理事会を開き、協議の結果、同会と聯合して本県出身陸海軍将校凱旋歓迎会を挙行するに決し、理事全部の外、会員及学生中より委員若干名を選挙し、数次凝議の上、十二月十日を卜して式を挙げたり。当日会するもの会員近衛師団長陸軍中将浅田信興氏以下陸海軍将校同相当官二十五名、会員二百余名にして、大に盛会を極めり。
○下略


埼玉学生誘掖会十年史 同会編 第一二六―一三〇頁 大正三年一〇月刊(DK280079k-0003)
第28巻 p.505-507 ページ画像

埼玉学生誘掖会十年史 同会編  第一二六―一三〇頁 大正三年一〇月刊
 ○第二篇 寄宿舎史
    一、寮史
○上略 十二月十日 ○明治三八年崎玉県出身陸海軍将校及同相当官凱旋歓迎会開かる。雨晴れて旭日輝々たり。朝来、在京浜及地方の会員の入込む者続々として引きも切らず。開会前已に一千名を算す。而して当日の正賓たる陸海軍将校及同相当官は、近衛師団長陸軍中将浅田信興閣下を始め二十有余名、陪賓として各協賛員あり、新聞記者あり。午前十一
 - 第28巻 p.506 -ページ画像 
時振鈴を合図に歓迎会は開かる。委員長先づ起つて開会の辞を述ぶるや、瀏亮たる軍楽の音に従ひ、歓迎の歌は起れり。五十の唇により歌ひ出でられたる歌は、喜ばしげに式場の空気に響きて、会衆の胸に深く食ひ入る。
   ○歓迎ノ歌略ス。
歓迎の歌は終れり。会長渋沢男爵起ち、荘重なる語調を以て祝辞を朗読さる。
 今や極東の戦雲収まり、国威八紘に輝き、外征の師踵を接して凱旋し、挙国の山河万才声裡に震動す。嗚呼、是千歳一遇の秋なり。
 満洲の曠野沍寒指を落し、絶東の海面怒濤艦を掀るの所、転戦三閲年備に辛惨を嘗め、堅塁を抜き、強艦を挫き、遂に交戦の目的を貫く、其功績の偉大なる言語に絶し、其義烈の顕著なる長に青史に垂れん。
 我埼玉学生誘掖会及埼玉学友会々員は、此曠古の戦役に与り、未曾有の偉勲を奏して凱旋せられたる同郷出身浅田中将閣下を首め、陸海軍将校及同相当官各位に対し、玆に歓迎の典を挙げ、満腔の祝意を以て熱誠に感謝を表す。
  明治三十八年十二月十日
     埼玉出身陸海軍将校同相当官凱旋歓迎会々長
                    男爵 渋沢栄一
渋沢男爵の朗読終るや、浅田将軍は起ちて演壇に進まる、満場の人は今将軍を望んで、燃ゆるが如き歓迎の誠意は、火と輝く瞳にあらはれたり。将軍は秋山と号し、気骨稜々、而して温情外に現はる。一見鬼神を恐れしむ可く、又赤子を懐かしむ可し。音吐朗々、述ぶ所次の如し。
 本日は埼玉学生誘掖会及埼玉学友会の御招待を受け、此盛大なる歓迎会に列しまして誠に喜に堪へません。今又渋沢会頭閣下の賛辞に対し一段の光栄を感じます。私は本日御招待を被り参列致したる一同に代りて深く感謝致します。尚、学生諸君に対して希望を申述べて置きまするが、此度の戦争は連戦連勝と申せば自分の功に誇る様で厶いますが、……是は信興一人の事ではありませんから充分に誇りますが……此連戦連勝に依つて、我国は島帝国より大陸的の一大発展を致しました。即ち兵力の戦争に於ては已に戦勝に依て大陸的に発展しましたが、平時になりましては、平和の戦争に於て連戦連勝して大陸的一大発展を期せざれば、折角兵力の戦闘に依つて発展したる我国の勢力は之を維持することが出来ないで、延ばした手を再び引かなければならぬ事になるのであります。故に、学生諸君に望む所は、平和の戦争に関し、充分に研究を積み、百戦百勝を期し大陸的発展を試るは我国焦眉の急であつて、帝国将来の安危は此の平和の戦闘如何に在り、といふ事に留意せられん事で厶りまする。云々
将軍の演説終るや学生誘掖会舎生総代として大野栄三氏の演説あり。埼玉学友会総代として渡辺得男氏左の祝辞を朗読す。
   ○祝辞略ス。
 - 第28巻 p.507 -ページ画像 
右終るや軍楽隊の奏楽につれて君が代を三唱し、渋沢会頭の発声にて 両陛下の万歳を唱へ、副会頭の発声にて、浅田中将閣下始め、凱旋将校の万歳を唱て、再び歓迎の歌を歌ふ。
右了つて委員長は式の終了を告げ、これより弁当並に紀念扇面を配布す。是れ本県出身の画伯橋本雅邦翁の画及び渋沢男爵の詩、浅田・佐野両中将の和歌を揮毫せられたるもの、当日、好個の紀念品なり。
○中略
時、四時を告ぐ。会を散じて来賓及び会員は、車を連ねて上野精養軒に開かるべき晩餐会に赴く。暮靄、蒼く、軒を籠め砂土原の空気尚一日の歓楽の名残を止めて濃やかなり。
○下略