デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

7章 軍事関係事業
3節 日露戦役
8款 日露戦役関係諸資料
■綱文

第28巻 p.510-512(DK280084k) ページ画像

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■資料

東京経済雑誌 第四八巻第一二〇九号・第九二三―九二五頁 明治三六年一一月一四日 時局問題大懇親会(DK280084k-0001)
第28巻 p.510-512 ページ画像

東京経済雑誌  第四八巻第一二〇九号・第九二三―九二五頁 明治三六年一一月一四日
    時局問題大懇親会
新聞・雑誌・通信社の凡てを網羅したる団体に於て、満洲問題の久く決せず、時局の徒に推移するに耐えずして、真正なる国民の輿論を表白して内は内閣の決心を促し、外は世界に日本国民決心の度を知らしめんとの企あり、此の企の一として去月廿八日神田錦輝館に於て演説会を開きたりしが、当日雨天なりしにも拘はらず、満場立錐の地なき迄の傍聴者あり、皆粛然として賛同の意を表し、凡て意気昂然開戦の已むを得ざることを是認するの勢ありしかば、更に進みて貴衆両院議員・府会市会議員・実業家等を網羅し、一大懇親会を開きて国民の意志を表明せんとて、去る十日を以て帝国ホテルに於て時局問題大懇親会と称する大会を開くに至れり、此の日来会者の重なるものは秋元興朝・渋沢栄一・益田孝・前島密・三浦安・大谷嘉兵衛・雨宮敬次郎・神鞭知常・杉田定一・武富時敏・鈴木藤三郎・長尾三十郎・森清右衛門・臼井哲夫・大竹貫一・根本通明・木内重四郎・福地源一郎・大岡育造・菅原伝・箕浦勝人・田口卯吉・島田三郎・高田早苗・福地源一郎・中山譲治・矢野二郎・三宅雄二郎・望月小太郎・工藤行幹・角田真平・高梨哲四郎・三輪信次郎等の諸氏を始め、新聞雑誌通信記者・政治家・実業家・学者・文人無慮二百二十余名なりき、元来帝国ホテルの食堂の広きも二百十名より多くを容る能はざる由なるにて、之に二百二十余名を容れたりしかば、発起人は食卓に就く能はずして佇立してありき、以て其の盛況を知るべし
席定まるや田口卯吉氏は、発起人を代表して会場整理の為め座長一名推薦の件を自分に一任せられたしと述べ、満場異議なきを見て、箕浦勝人氏を当夜の座長に推したり、箕浦氏直に起て開会の旨を告げ、且つ之と同時に島田三郎氏開会の趣旨を演述すべき旨を報し、島田氏起て今夜の会は単に発起人より時局問題に付御懇話云々なる最も簡単の通知をなしたるに拘はらず、斯く多数而かも各種の社会より御出席を得たるを以て別段開会の旨意を述べずとも、時局に対し同感の士たる
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を信ずるも尚ほ一言すべしとて、今日の時局を胚胎したる既往の経過並に現在の状況を略陳し、次で時局解決の機は天事人事共に今日を以て最も熟せるの時と見るべき理由ありと述べ、最後に吾人は平和を欲する者なりと雖も、苟且偸安の平和は決して真の平和論者の口にすべきものに非ず、従て吾人は此際に於て当局者に対し断然たる処置に出でんことを促進するの必要あるは即ち此会を開ける所以なりと結論し復席せり
島田氏の演説は、平生よりも上出来にて、演説中毎語喝采を以て送られたり
箕浦座長は再び起ちて、吾々は此会の意志を表明する為め一の決議を為し置くの必要あるに依り、大岡育造氏より決議案を提出する旨を告げ、大岡氏起て左の決議案文を朗読せり
      決議
 吾人は信ず、時局を今日の儘に推移するは、我国の利権を保全し東洋の平和を維持する所以にあらずと、故に挙国一致、当局者をして速かに断然たる処置に出でしめんことを期す
満場一致の拍手を以て同意の旨を表明せり、斯くて食事を為し、中頃秋元興朝子の発声にて天皇陛下の万歳を三唱し、次で田口氏の紹介に依り、清韓地方に商業を営み居れる広瀬源三郎氏、満洲に於ける露人の暴横、清人の本邦に対する好意等に付演説を試みたる折柄、同夜の地震に襲来せられて喧騒を来したるは気の毒なりき
是に於て食堂を閉ぢ、喫煙室に移りたりしが、此の時に当りて各人食堂に於て黙したる報酬を得んとにや、各快弁を交へたり、中にも矢野二郎・福地源一郎・神鞭知常・島田三郎等の諸氏は数多の人に取巻かれたるか、取巻かしめたるか、各一団を為して立談しつゝ見えたり、而して全く散したるは午後九時過ぎにてありき
右懇親会に就きては随分面白き余聞もありき、帝国ホテルを会場に定めたるは右食堂を用ひんとの主旨に出てたるに、前日に至りて、ホテルの主人横山孫一郎氏より右の食堂の明け難きことを申来れりとの報あり、其の内情を聞くに、全権を握れる支配人某外人が之を承諾せざる為めなりとの事にてありき、去れば発起人一同は怒りを為して、其は以ての外の事なり、其の英人こそ露探なるべし、但しは元老対閣員の如き衝突が帝国ホテル内にもあるなるべし、イザ強硬手段に訴へてなりとも、右食堂は占領せざるべからず」とて、発起人三人帝国ホテルに押寄せ談判したるに、其の支配人は非常に親切にて、食堂のみならず、善き喫煙室をも都合するを得たり」とぞ、此の宴会には是非とも大隈伯なかるべからずとて、発起人等再応伯に懇請したるに、伯承引の模様見えざりしかば、終に田口卯吉氏に向ひて伯に懇請すべきことを依頼し来れり、田口氏も是は迚も一人の力にては叶ふまじと思ひ肥塚竜・島田三郎両氏と共に伯に面会し、三人にて伯を取囲みて其の出席を求めたるに、伯は喋々として満洲問題に就いて演説を始め、三氏をして懇親会に関して口を開くを得せしめざりしかば、三氏は伯の談話の釁を見ては懇親会の事を言出づるに、伯は軽く之を受け流して又満洲問題を始め、三氏之を遮れば、伯又之を受流し、恰も董卓が玄
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徳・関羽・張飛の三人と戦ひたるの趣ありしとぞ、午後十時より十二時まで二時間斯る有様にて舌戦したるも、結局要領を得ざりしとは伯の弁舌も驚くべきなり
矢野二郎氏はある露探が日本に来り、日本国民が沈着せるを見て驚きたる由を談じたる後「日本国民が今日の如く脂下《やにさ》かつちよるは大国民の態度あり」と云へり、脂下るとは名評と云ふべし
渋沢・益田両氏は他に約束ありしに拘はらず来会し、大谷嘉兵衛氏は横浜より来り、其の他実業家奮ひて此の会に集まれり、以て人心の帰向を知るべきなり


中外商業新報 第六八三四号 明治三七年一〇月一一日 首相邸国債密議(DK280084k-0002)
第28巻 p.512 ページ画像

中外商業新報  第六八三四号 明治三七年一〇月一一日
    首相邸国債密議
銀行家の参集…第三回国庫債券に関し、政府と銀行家との間に懇談すべき件あるを以て、昨十日午前九時より永田町の総理官邸に渋沢栄一男・松尾臣善・相馬永胤・添田寿一・安田善次郎・早川千吉郎・豊川良平・園田孝吉・志村源太郎・池田謙三の諸氏、及目下尚滞京中の藤田伝三郎・野元驍・志立鉄太郎(大阪)の諸氏参集し、主人の伯及曾禰蔵相と密議を凝し、正午々餐を共にしたる後再び協議を続け、午後二時頃其々退散したりと云ふ、尚当日は元老にも出席せらるやの噂なりしが、如何なる事情か遂に臨席なかりしと云ふ