デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

8章 其他ノ公共事業
2節 祝賀会・歓迎会・送別会
4款 奠都三十年祝賀会
■綱文

第28巻 p.664-668(DK280104k) ページ画像

明治31年2月28日(1898年)

是ヨリ先、奠都三十年祝賀ノ議起リ、是日、栄一等東京府庁ニ会シ協議ヲナス。次イデ三月八日、

日本橋倶楽部ニ於テ発企人会開カレ、栄一座長トシテ議事ニ与リ、且ツ当会副会長ニ推薦セラル。


■資料

奠都三十年祝賀会誌 同会編 第一―二〇頁 明治三一年一二月刊(DK280104k-0001)
第28巻 p.664-667 ページ画像

奠都三十年祝賀会誌 同会編  第一―二〇頁 明治三一年一二月刊
  本会の成立
    一 本会の由来
僂指すれば早や三十年の昔とはなれり。我 今上天皇陛下允文允武、夙に復古の偉業を成就し、維新の聖謨を建て、江戸を改めて東京となし、皇都をこゝに奠め給ひしより、皇威日に揚り、文物月に進み、憲政の曙光芙蓉の頂上に発しては、東亜の山川其面目を新にし、膺懲の 鳳詔九重の 天閽を出ては、禹城の四百余州悉く撼き、北の方占守の一隅より、南の方台湾の一角に至る迄、国土三万方里、民庶五千万王土にあらざる隈なく、皇沢に霑はさるものなし。豈に振古未曾有の盛事と謂はざるべけんや。而して吾々府民は、顧みてこの昭代の盛事と吾が東京とを聯想して、無限の感荷に勝へざるものあるなり。何んぞや。夫れ東京の地、形勢雄偉、全国の中腹に位し、四通八達の要衝に居る、当さに我国の 帝都たるべきの地なり。嘗て 王綱紐を解て三百年、足利氏の季世に当り、上杉氏の部将太田持資地理を相て、城をこゝに築きしより、草茅の日月を呑吐せし武蔵野、人煙稀に起て関左の重鎮たりしと雖も、当時未だ紅埃の闤闠に漲るものあらざりしなり。徳川氏覇をなし幕府をこゝに開くに及びて侯伯の邸第櫛比し、甍波天に接して城市頗る面目を改め、優に一国の大都たるの観を備へしと雖も、猶未だ 皇居九重の壮を見ること能はざりしなり。墨堤の花幾回か開て幾回か落ち、歳華流れて三百年、 皇運復び泰に帰し、大鼎こゝに奠まりて、綱紀こゝに張り、文物こゝに萃り、以て今日の隆昌を致し、国勢の膨張は我国を駆て宇内強国の班に列せしめしと共にまた我が東京をして世界の大都たる倫敦・巴里と盛華を争はしむるに至れり、奚んぞ知らんや、我が東京は、既に、聖明の君を得て、帝都たるの宿契ありて、漸を以て其の礎を作せしに因るなきを。幸に府下に住して日夜に 天眷を被るの民、誰か 皇恩の優渥なるに感泣せざるものあらんや。矧んや我が東京府過去三十年の間は、設計経営等に其の大半を費やし、則ち創業期に属せしも、今や而立の齢に達せしと共に、益々其の機関を拡張し、長く一国の 帝都として、完全なる生活をなすべき、発動期に達せるをや。吾々府民の微衷、爰に春風駘蕩百花爛熳たるの好時節を卜し、鳳輦の親臨を仰ぎ、 聖徳を頌揚し、過去三十年を送つて、更らに光栄ある将来を迎へんとするも、亦洵に
 - 第28巻 p.665 -ページ画像 
止むを得んや。鳴呼これ実に本会の成立する所以也。
 附記
  本会発企の事は、明治三十一年一・二月の交、始めて東京府下各雑誌社・新聞社の間に唱道せられ、其後東京府知事・東京市参事会員・市会議員・区会議員・東京商業会議所会頭・東京商業会議所会員等の賛同を得たり、依て、二月二十八日、主唱者数名東京府庁に会同して、本会趣意書及規程案を議定し、猶有志者勧誘の手続に就き協議する所あり(此日会する者子爵岡部長職・渋沢栄一・中野武営・萩原源太郎・大橋佐平・大倉喜八郎・大谷誠夫・竹村良貞・日下部三之介・松岡弁・松田秀雄・桐原捨三・鈴木米三郎等数名なり)越えて三月一日、子爵岡部長職・渋沢栄一等、主唱者総代として、広く府下の有志者に向て賛同を求めたるに、此挙を賛成して発企人たらんことを申込む者、忽にして数百名に達し、遂に三月八日を期し日本橋倶楽部に於て発企人会を召集するに至れり。
    二 発企人会
明治三十一年三月八日午後一時を以て、日本橋倶楽部に於て、発起人会を開く、此日会するもの百五十名にして、席定まるや、主唱者総代として子爵岡部長職先づ開会の趣旨を演べ、渋沢栄一を推して座長となすの議を発す、衆之れを賛す、こゝに於て、渋沢栄一座長席に着き趣意書の草案を議定し、尚ほ規定案の議決、当日祝典の次第等に及ぶ挙げて委員に委嘱することに決し、更らに会長・副会長及委員等の選出に移る、正副会長は孰れも発起人の推薦に、委員は会長の指名に任することに決す。
    三 発企趣意書
三月八日の発企人会に於て、議定したる趣意書、左の如し。
      奠都三十年祝賀会趣意書
 謹ミテ惟ミルニ 今上天皇陛下英明ノ資ヲ以テ、夙ニ 大統ヲ継紹シ、復古ノ偉業ヲ肇メ、維新ノ宏猷ヲ全フシ給ヒ、明治元年江戸ヲ改メテ東京ト称シ、尋デ車駕東臨シ、其ノ翌二年ヲ以テ永ク大鼎ヲ奠メ給フ。是レヨリシテ、城市整斉、人口輻湊、文物粲然トシテ観ルベク、商工諸業日ニ興リ、月ニ盛ンナリ、之レヲ内ニシテハ 皇沢四海ニ洽ク、之レヲ外ニシテハ国威万邦ニ宣ブ、洵ニ振古未ダ嘗テ有ラザルノ隆運タリ。嗚呼偉ナル哉、嗚呼壮ナル哉、玆に奠都三十年ノ一大紀念期ニ遭遇シ、恭ク祝典ヲ挙ゲ、上ハ以テ 聖徳ノ無量ヲ頌シ奉リ、下ハ以テ 帝都ノ不朽ヲ祝スルハ、吾等府民ノ微衷寔ニ已ム可カラザルモノナリ、顧フニ、奠都紀念祭ハ国家ノ鴻典タリ、吾等府民幸ニ生ヲ 輦轂ノ下ニ享ケ、日夜親シク 皇化ヲ被ルヲ以テ、此ノ鴻典ヲ経営企画スルヲ得、其ノ栄ヤ亦タ大ナリト謂フ可シ。府下百万ノ生霊心ヲ同クシ、力ヲ戮セ、以テ此ノ挙ヲ成就シ雍煕ノ沢ニ謳歌シ、休明ノ世ヲ鼓吹シ、国運ヲシテ益々隆盛ナラシムルハ、亦タ豈ニ臣子報国ノ義ニ非ズト謂ハンヤ。玆に発起ノ趣意ヲ陳ジテ同志諸君ニ告ク。
  明治三十一年三月
 - 第28巻 p.666 -ページ画像 
    四 規程
三月八日の発企人会の決議に依り、其委員会に於て、議定したる規程左の如し。
      奠都三十年祝賀会規程
 第一条 本会は奠都三十年祝賀会と称し、事務所を東京市京橋区日吉町十五番地九州倶楽部内に置く。
 第二条 本会は東京府民の有志合同して、奠都三十年の祝典を挙行するを以て目的とす。
 第三条 祝典は四月十日を卜し、上野公園(後に宮城前二重橋外広場と改む)に於て挙行す。
 第四条 本会の趣旨を賛成する者を以て会員とし、会員を別ちて左の二種とす。
  一通常会員 金弐円以上を寄附する者
  一特別会員 金拾円以上を寄附する者
 第五条 会員たらんと欲する者は、其の寄附金額を定め、本会事務所に通知すべし。
 第六条 団体にして会員たらんと欲する者は其の代表人を定め、前条の手続を為すべし。
 第七条 会員は祝典の当日式場に入り儀式に参列することを得。
 第八条 本会に会長・副会長各一名を置き、発起人会に於て之を推薦す。
 第九条 発起人中より委員五十名を選挙し、会務を全任す。
 第十条 会長は委員中より若干名の専務委員を撰み、会務を執行せしむ。
 第十一条 会長は会務を総理す、副会長は会長を補佐し、会長事故ある時は之を代理す。
  会長は臨時委員を嘱托し又は有給の事務員を傭使することを得。
 第十二条 儀式の次第・順序等は、委員会之れを定む。
 第十三条 本会は其の目的を達したる後ち、直ちに解散するものとす。
 第十四条 本会の経費は寄附金を以て之れを支弁す。
 第十五条 本会の収入・支出は決算の上之れを会員に報告す可し。
 第十六条 会員に通知を要する事項は、新聞雑誌を以て便宜広告するものとす。
 第十七条 已むを得ずして規程の変更を要する場合に於ては、発起人会之を決す。
    五 発企人姓名
本会の趣意を賛同し、発企人として創立に尽力せし者、左の如し。
○中略 渋沢栄一 ○中略 計五百六人
  職員
    一 正副会長、委員
三月八日の発企人会の席上に於て、満場一致を以て、会長・副会長を推薦すること左の如し。
 会長 子爵 岡部長職  副会長 渋沢栄一
 - 第28巻 p.667 -ページ画像 
 尚ほ会長の指命に依り、委員五十名を選挙すること左の如し
     委員
 伊藤幹一   池田謙三   岩谷松平    今村清之助
 岩出惣兵衛  萩原源太郎  原六郎     日本新聞社
 東京新聞社  豊川良平   大橋佐平    岡本善七
 岡田来吉   大倉喜八郎  小野金六    大江卓
 渡辺治右衛門 加東徳三   横山孫一郎   芳野世経
 米倉一平   高田慎蔵   田中平八    土田政次郎
 中野武営   中沢彦吉   上田安三郎   梅浦精一
 野中万助   馬越恭平   山本達雄    安田善次郎
 山中隣之助  松田秀雄   松岡弁     毎日新聞社
 二橋元長   国民新聞社  近藤廉平    帝国通信社
 浅田正文   朝吹英二   雨宮敬次郎   相沢喜兵衛
 佐久間貞一  東京教育社  喜谷市郎右衛門 都新聞社
 清水満之助  森村市左衛門
    二 専務委員
三月十一日、本会規定第十条により、会長より専務委員を委嘱するもの二十二人、其の姓名左の如し。
今村清之助 ○外二一名氏名略
    三 専務委員の分担
 専務委員長 渋沢栄一  同副委員長 中野武営
   ○以下各係専務委員ノ氏名略ス。
    四 臨時委員
本会規程第十一条に依り、会長より各郡区長・府会議員・市会議員・各区会議長・同各代理者・各区会議員・各町村長、及び警視庁各部長同官房主事・各警察署長・各小学校長・各聯隊区徴兵参事員等に臨時委員を委嘱し、托するに会員募集等の事に関し斡旋せん事を以てす、其の姓名左の如し。
○中略 合計六百九拾人
○中略
    五 会員入場証及会章
本会は予め会員入場証及び会章を作りて、会員に交附し、以て、当日混雑の患なからしめたり。其の種類形状左図 ○図略スの如し。
○下略


中外商業新報 第四八一四号 明治三一年三月二日 奠都祭発起者の会合(DK280104k-0002)
第28巻 p.667-668 ページ画像

中外商業新報  第四八一四号 明治三一年三月二日
    奠都祭発起者の会合
 奠都祭三十年祭挙行の件は、其後大に歩を進め、発起人を承諾したる人も百余名に達したるを以て、去月廿八日岡部子爵・渋沢栄一・楠本正隆・中野武営・大倉喜八郎・松田秀雄其他の数名は新聞雑誌・通信社の委員と会し、種々協議の上、名称を奠都三十年祝賀会とする事四月十日を卜し上野公園内に於て同祭を挙行する事を議決し、同会規程案等を起草し不日発起人たるべき人々に交渉し、来る五・六日頃発起人総会を開会する都合の由なるが、今日まで発起人たる事を承諾せ
 - 第28巻 p.668 -ページ画像 
しは子爵岡部長職・渋沢栄一 ○中略 の諸氏にして、事務所は是迄統計協会内に設置しありしが、昨一日山城町一番地工業倶楽部内に移転せりといふ


中外商業新報 第四八二〇号 明治三一年三月九日 奠都三十年祝賀会発起人会(DK280104k-0003)
第28巻 p.668 ページ画像

中外商業新報  第四八二〇号 明治三一年三月九日
    奠都三十年祝賀会発起人会
昨八日午後一時より日本橋倶楽部に於て奠都三十年祝賀会発起人会を開き、趣意書及会規を決議し、次に指名にて委員五十名を挙け、祝賀会一切の事務を委托することに決し散会せる由、因に記す、祝祭は四月十日に挙行するに決したれとも、都合により委員の決議にて多少延引せらるゝことあるべしといふ