デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

2部 社会公共事業

8章 其他ノ公共事業
2節 祝賀会・歓迎会・送別会
15款 祝賀・歓迎・送別会等諸資料 8. 万朝報営業満十五年記念園遊会
■綱文

第28巻 p.818-820(DK280136k) ページ画像

明治40年11月1日(1907年)

是日栄一、上野精養軒ニ於テ開催セル万朝報営業満十五年記念園遊会ニ臨ミテ、祝辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK280136k-0001)
第28巻 p.818 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年      (渋沢子爵家所蔵)
十一月一日 晴 冷               起床七時
○上略 午餐後上野精養軒ニ抵リ、万朝報新聞紙ノ十五年祝典ニ出席ス、一場ノ祝詞演説ヲ述フ○下略


万朝報 第五一〇二号 明治四〇年一一月二日 営業満十五年記念園遊会(DK280136k-0002)
第28巻 p.818-819 ページ画像

万朝報  第五一〇二号 明治四〇年一一月二日
    営業満十五年記念園遊会
風爽やかに気澄みたり、東台の秋そゞろに老けて薄紅葉の眺めに心行く折柄、我等が回顧の情深き営業満十五年の祝典を挙ぐ、心地よき時趣深き処、我等は夫れに伴ひて既往と将来とに対し聊か快心の感なき能はず、此感じを以て催せし記念園遊会の次第を記して、同情深き読者に報ずるハ決して手前味噌にあらずと信ずるなり、いでや序を追うて会場の光景を語らんかな
会場は上野の公園の精養軒にて、昨日午後一時を以て開きたり、来賓は朝野の名士、新聞事業の関係者等にて、総て一千余名と註せられき
 - 第28巻 p.819 -ページ画像 
馬車・人車の続々と参集する間に、時刻定刻を指すや、第一の余興海老一連中の曲芸を開きぬ、此余興三十分間にて幕を閉ぢ、夫れより黒岩・山田の来賓に対する挨拶あり、右終つて来賓祝意を表せられけるが、第一ハ千家東京府知事(代理)にて『万朝社は社会の現状を映写する反射鏡たると共に、他面に於ては之を向上せしむるの教育機関なり』との祝意を朗読し、更に『文の名のよろづのことのくらべ馬、すすみ行く世の魁やこれ』との祝歌を披露し、次で渋沢男爵登壇して、『資本の勢力は強大なれども、是を浚ぐものは輿論を代表する新聞紙の勢力なり、万朝報は此勢力の至強なるものにして其方針ハ平民的にして、始終多数を目的とするが故に、今日の成功を収めたるなり』
述て降壇せられたり、第三にハ大隈伯爵にて、伯ハ新聞紙の偉大なる力を論じたる後に『万朝報既往十五年間の辛苦忍耐ハ、以て将来国家の発達、社会の発達、又人道の発達に向て大に裨益する事を得べしと信ずる云々』と、例の快舌を振ふ事卅分余にして降壇し、其次に同業国民新聞社長徳富猪一郎氏ハ『万朝報が向上主義・精力主義を以て新聞紙界に雄飛し、常に斯界の先鋒となり魁となり他紙を刺戟し、他社を啓発せしめ、遂に日本の新聞紙を今日の進運に導きたるの功ハ、殊に著し云々』と述べられ、最後に松田法相の代理として原田秘書官は司法大臣が臨席せらるゝ筈なりしも、公用にて已むなく自分を代理として祝詞を述べしむるなりと挨拶し、是にて式を終へたれバ、直に第二の余興として伊井・河合一座の喜劇『女天下』を開演したり、此狂言ハ一座の手に入りし出し物なれバ非常の喝采を博し、次ぎに梅幸・菊五郎の踊『賤機帯』あり、是ハ殊に斯道に趣味を有する人に満足を与へしが、取分け芸者連の掌を痛めての喝采ハ愛嬌外の愛嬌なりき、其次ぎハ梅坊主の『住吉踊』となりたるが、是ハ彼等一連の専売物にて例時ながらの軽快なる巫山戯方が満場の腹筋をよらしめ、最後の余興として日本橋芸妓の女奴の振事ハ誠に華やかなるものなりしかバ是又大喝采を博したり、此時日入りて暮靄四辺を立罩めたれバ一同食堂に入りて晩餐を済し、午後七時歓声洋々たる中に閉会を告げたりき


竜門雑誌 第二三四号・第二八頁 明治四〇年一一月 万朝報十五年紀念会(DK280136k-0003)
第28巻 p.819 ページ画像

竜門雑誌  第二三四号・第二八頁 明治四〇年一一月
○万朝報十五年紀念会 万朝報十五年紀念祝賀会は、本月一日午後二時より上野精養軒に於て開会せられしが、当日青淵先生は招に応じて出席の上、一場の演説ありたり



〔参考〕新聞集成明治編年史 同史編纂会編 第八巻・第三一四頁 昭和一〇年一二月刊(DK280136k-0004)
第28巻 p.819 ページ画像

新聞集成明治編年史 同史編纂会編  第八巻・第三一四頁 昭和一〇年一二月刊
    黒岩周六が主筆「万朝報」創刊
〔一〇・一九 ○明治二五年毎日〕 来る十一月一日より京橋区三十間堀二丁目一番地朝報社より「万朝報」といへるを発兌する由にて、昨日其筋へ届出でたりと、主筆は元都新聞の主筆たりし黒岩周六(涙香)氏にて一枚一銭、一ケ月二十銭の小新聞なりといふ。



〔参考〕万朝報 第五〇七五号 明治四〇年一〇月六日 万朝報創業満十五年(広告)(DK280136k-0005)
第28巻 p.819-820 ページ画像

万朝報  第五〇七五号 明治四〇年一〇月六日
    万朝報創業満十五年(広告)
 - 第28巻 p.820 -ページ画像 
来る十一月一日ハ万朝報創業満十五年に相当致候に付、読者諸君と共に祝意を表する為め、当日発行の頁数を増加し部数を増刷し、全紙に亘りて趣味と実益とに富める記事を掲載可致候、右に付当日の本紙に広告御依頼の方ハ来十月十五日迄に御申込相成度、此段謹告仕候也
  明治四十年九月               朝報社