デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
1款 同族
■綱文

第29巻 p.62-63(DK290009k) ページ画像

明治21年11月1日(1888年)


 - 第29巻 p.63 -ページ画像 

是日、栄一四男正雄生マル。


■資料

青淵先生子孫一覧(DK290009k-0001)
第29巻 p.63 ページ画像

青淵先生子孫一覧            (渋沢子爵家所蔵)
       三男
 渋沢栄一――正雄
   母ハ後配伊藤氏、明治二十一年十一月一日生、実ハ六男ナリ


(芝崎確次郎) 日記 明治二一年(DK290009k-0002)
第29巻 p.63 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記  明治二一年   (芝崎猪根吉氏所蔵)
第十一月一日 晴
○上略
本日午後三時、御邸奥方様御安産、御男子様御誕生御座候、御両方様御壮健ニ被為入候事



〔参考〕渋沢栄一翁 白石喜太郎著 第四二四頁 昭和八年一二月刊(DK290009k-0003)
第29巻 p.63 ページ画像

渋沢栄一翁 白石喜太郎著  第四二四頁 昭和八年一二月刊
 ○第二篇 五 家庭
    その三 返る春
○上略 越えて明治二十一年、四男正雄氏の出生を見た。正雄氏も亦第一高等学校・東京帝国大学に学び、卒業後暫く第一銀行に於て実務を練習し、渋沢貿易会社を創立して花々しきスタートを切つたが、世界大戦終熄の影響を受けて徹底的の打撃を受け、数年を整理に暮し、隠忍自重の後、更めて実業界に乗り出し、嘗て東京石川島造船所専務取締役・石川島自動車会社取締役社長として経営に鋭意する傍、汽車製造富士製鋼等の諸会社に関係して、多忙に暮し、今は富士製鋼会社並に昭和鋼管会社の取締役会長として、鋼業界に知られて居る人である。
○下略