デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

1章 家庭生活
1節 同族・親族
1款 同族
■綱文

第29巻 p.64(DK290011k) ページ画像

明治25年10月5日(1892年)

是日、栄一五男秀雄生マル。


■資料

青淵先生子孫一覧(DK290011k-0001)
第29巻 p.64 ページ画像

青淵先生子孫一覧            (渋沢子爵家所蔵)
       四男
 渋沢栄一――秀雄
   母ハ後配伊藤氏、明治二十五年十月五日生、実ハ七男ナリ、分家ス


執事日記 明治二五年(DK290011k-0002)
第29巻 p.64 ページ画像

執事日記  明治二五年         (渋沢子爵家所蔵)
十月五日
一君公ニハ午前九時御他出相成候事
    一御誕生之事
一本日午前三時三十分若様御誕生相成候事、御出産之折ハ桜井・猿渡之両医、並ニ鈴木産婆等も二時間前ニ被参、諸事都合宜敷候、御誕生ハ至リテ御安産ニ被為入候事



〔参考〕渋沢栄一翁 白石喜太郎著 第四二五頁 昭和八年一二月刊(DK290011k-0003)
第29巻 p.64 ページ画像

渋沢栄一翁 白石喜太郎著  第四二五頁 昭和八年一二月刊
 ○第二篇 五 家庭
    その三 返る春
○上略 明治二十四年《(二十五年)》には五男秀雄氏が生れた。 ○中略 秀雄氏は第一高等学校・東京帝国大学を卒業し、一時日本興業銀行に席を置いたが、間もなく重役として田園都市会社の経営に任じ、同社が目的を達して解散した後、目黒蒲田・東京横浜、両電鉄会社の重役となり、傍ら帝国劇場・秩父鉄道・日本煉瓦製造・仙石原地所・箱根温泉供給等の諸会社の重役たる人である。氏は趣味広く、美術・文学・音楽、行くとして可ならざるなく、現に春陽会の同人として彩管を揮ひ、年々春の東京を飾る同会展覧会に色彩豊かな作品を陳ねて居ることは知る人も多いであらう。
○下略