デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

2章 栄誉
1節 恩賜・褒賞
1款 恩賜
■綱文

第29巻 p.251-252(DK290076k) ページ画像

明治37年6月9日(1904年)

是日栄一、天皇陛下ヨリ病気御尋トシテ菓子一折ヲ賜ハル。


■資料

竜門雑誌 第一九三号・第三八―三九頁 明治三七年六月 ○青淵先生に恩賜(DK290076k-0001)
第29巻 p.251-252 ページ画像

竜門雑誌  第一九三号・第三八―三九頁 明治三七年六月
○青淵先生に恩賜 畏くも 聖上の深く実業の発達に 大御心を注かるる由は、仄に漏れ承はる所なるが、本邦実業家の泰斗として財界の中枢に立てる我青淵先生の久しく病蓐に伏せられたること 天聴に達せらるゝや 本月九日 御尋として御菓子一折を賜はり、尚ほ侍従職幹事岩倉公より 恩賜の次第を伝ふる為め左の書面を添へられたり
 過日来病気の趨被聞食為御尋御菓子一折下賜相成り候条、此段及御伝達候也
  明治三十七年六月九日
              侍従職幹事 公爵 岩倉具定
    正四位男爵 渋沢栄一殿
右の如く難有 恩命に接するや、先生には病体ながらも起直りて特に礼服を取寄せられし上、恭しく 天恩を拝せられて感涙に咽はれつゝ別項文苑欄所載の如き国風を詠せられて、列席の家人一門の人々に示され、後先生の口授に依て詳しきはしかきを添へられたり、恭しく惟みるに曩に三十三年破格の 御思召しを以て男爵を賜はり、今又従来に於て其例を見さる難有御尋を蒙むる、是れ単に 聖上の深く実業家を想はせ賜ふ 大御心より出させ給ひたるなるべく、従て先生一家一門の名誉なるは素より言を俟たず、我実業界一般の光栄として深く感佩の意を表せずんばあるべからず
因に記す、大倉喜八郎氏(鶴彦翁)には曩に先生が右の難有 恩命に接せらるゝや、直に和歌一首を詠して先生に贈られたる由なるが、今又青淵先生が斯る 恩命を拝せられしは、啻に先生の名誉のみならず我実業界全般の光栄なれば、東京商業会議所副会頭としても一首祝ひのことのはなかるべからずとて
 友鶴の聞くたにうれし雲井より
     とはせたまひし君のほまれを
とことほぎけるとなん
○渋沢社長の御礼参内 別項記載の如く青淵先生には 畏き辺りの思召しを以て御尋として御菓子を下し賜はりたるを以て、本社々長渋沢篤二氏には直に宮廷に参上せられ、係員を経て篤く 恩命を拝謝し奉り、且つ青淵先生の病症も次第に軽快に向へる旨を言上して退出せら
 - 第29巻 p.252 -ページ画像 
れたり
   ○本巻「健康」及ビ「和歌」同日ノ条参照。