デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

5章 交遊
節 [--]
款 [--] 3. 井上馨
■綱文

第29巻 p.341-348(DK290104k) ページ画像

 --


■資料

(芝崎確次郎) 日記簿 明治一二年(DK290104k-0001)
第29巻 p.341 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿  明治一二年   (芝崎猪根吉氏所蔵)
四月廿三日 晴
○上略
今夕井上卿江被招、着替一ト通リ持参可致旨被申付、直ニ人力ニテ帰邸、一式受取帰社上申 ○下略


(芝崎確次郎) 日記簿 明治一五年(DK290104k-0002)
第29巻 p.341 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿  明治一五年   (芝崎猪根吉氏所蔵)
九月三日 午後晴
休日
 今朝雨降、九時御邸ヘ罷出候処、御嬢様御帰館相成、御病人様少々御宜敷方之よし、小生も伺候可致存居、然ルニ井上君 ○井上馨御養子勝之助様御病気御見舞可申上旨主君之命ニテ、本石町四丁目ニテ翁飴買入、但し代金三円ナリ、右出来間ニ合兼候間、其間ニ小川町穂積御病人相伺候処、異情無御座、主君ヘ宜敷上申可致旨被申付候、尾高氏御見舞物名代持参仕候テ直ニ帰邸ニ付、同君ヘ御口上之趣依托致し、再度本石町ヘ参リ、翁飴漸出来ニ付、右ヲ持参外務卿井上様邸江参上、執事橋本氏ニ面語進物御取次相頼差出候、勝之助様追々御快気、昨今ハ御座敷内御歩行被遊候義之よし拝承、帰邸之上主君ヘ上申 ○下略


竜門雑誌 第七九号・第二〇頁 明治二七年一二月 青淵先生の近作を得たれば左に掲く(DK290104k-0003)
第29巻 p.341 ページ画像

竜門雑誌  第七九号・第二〇頁 明治二七年一二月
  青淵先生の近作を得たれば左に掲ぐ
○中略
    寄井上伯駐在朝鮮京城
鶏林豈莫物華新。利用厚生妙在人。好是厳霜粛殺後。和風一道点陽春。


渋沢栄一 日記 明治三二年(DK290104k-0004)
第29巻 p.341-342 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三二年     (渋沢子爵家所蔵)
一月廿八日 少曇寒甚シ
○上略 二時過麻布井上伯邸ヲ訪フ、三井高保・益田孝・同克徳・同英作朝吹英二・杉孫七郎、其他数氏来会ス、蓋シ一品会ト唱フル会同ニシテ各品珍蔵一品ノ名器ヲ携ヒテ其優劣ヲ競ヒ、美術ヲ話スルノ讌会ナリ主人伯爵自ラ客ヲ誘引シ周旋甚タ勉ム、且其割烹ノ如キモ皆自身之ヲ指揮シテ調理頗ル佳ナリ、夜十時散会帰宅ス ○下略
   ○中略。
三月五日 晴
朝十一時麻布井上伯邸ヲ訪フテ、古画ヲ一覧ス、蓋シ伯ヨリ此古画幅中ノ名品購入ノ事勧告アリタル為メナリ ○下略
   ○中略。
 - 第29巻 p.342 -ページ画像 
三月二十四日 雨
○上略 午後七時浜町常盤屋ニ抵リ、桂子爵・井上伯爵・平岡煕氏ト会飲ス、夜十時帰宅ス
   ○中略。
八月廿九日 風雨
○上略 麻布井上伯ヲ訪フテ、米国費府ニ開設スル商業大会ニ全国商業会議所ノ代表者トシテ、出張セラレン事ヲ勧誘ス、井上伯ハ時日ノ切迫ヲ以テ堅ク之ヲ謝絶セラレシニ付、辞シ去ル ○下略
   ○中略。
十一月十八日 晴
○上略 四時麻生内田山井上伯《(麻布内田山井上伯)》ヲ訪フ、間談数刻、此夜伯ノ邸ニテ米人デニソンアルウエン・英人フランクリン氏等招宴アリテ之ニ陪ス、藤田都築・中田・島村諸氏来会ス ○下略
   ○中略。
十一月廿八日 晴
○上略 午後一時麻布井上伯邸ノ園遊会ニ赴ク ○下略
   ○中略。
十一月三十日 晴
○上略 午後四時麻布井上伯ノ招宴ニ赴ク、夜十二時深川宅ヘ帰宿ス
 麻布井上伯ノ銅像ヲ製シ、其庭中ニ一宇ヲ築キ之ヲ安置スルノ挙ハ伯ノ親友相会シテ昨年来其工ヲ起セシカ、今年十一月竣工セシニ付一昨日之ヲ開ク為ニ園遊会ヲ催シテ其知人ヲ会セリ、時ニ伯ハ左ノ狂歌ヲ作リタルヲ以テ、昨三十日ノ宴会ニ於テ更ニ之ニ応スルノ意ヲ以テ一首ノ狂歌ヲ以テセリ
 伯ノ狂歌
 因縁ノ深イ同志ノ御情デ尚此娑婆ニ銅像千年
   井上伯の戯にものせられし御歌の御かへしにとて
 御寿命を銅像千とせと願へ《(ひ)》つる祝ひにそへし家名ハ万年


渋沢栄一 日記 明治三四年(DK290104k-0005)
第29巻 p.342-343 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三四年     (渋沢子爵家所蔵)
三月十三日 晴
午前井上伯ヲ麻布ノ邸ニ訪ヒ ○下略
   ○中略。
五月十日 曇午後雨
○上略 九時麻布内田山井上伯ノ邸ヲ訪ヒ時事ヲ談ス ○下略
   ○中略。
五月十六日 雨
午前麻布井上伯ヲ訪ヒ、内閣組織ノ事ニ関シ種々ノ談話アリ ○下略
   ○中略。
五月十八日 雨
午前八時麻布井上伯ヲ訪フ、再ヒ内閣組織ノ内話アリ ○下略
五月十九日 晴
○上略 午後一時麻布井上伯ヲ訪ヒ、芳川子爵来会シテ共ニ予ノ入閣ヲ懇話ス、依テ更ニ再考ヲ約シテ去リ ○下略
 - 第29巻 p.343 -ページ画像 
   ○中略。
六月廿八日 曇
午前八時渋谷赤十字社病院ニ抵リ、井上伯ノ病ヲ訪ヒ ○下略


渋沢栄一 日記 明治三五年(DK290104k-0006)
第29巻 p.343 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三五年     (渋沢子爵家所蔵)
四月十八日 陰夜雨
○上略 午後三時麻布井上伯邸ニ抵ル ○中略 五時ヨリ桂総理大臣・芳川逓信曾禰大蔵・小村外務ノ各大臣等来会ス、日本銀行総裁・岩崎・大倉・園田・高橋・三崎等ノ諸氏モ来ル、蓋シ井上伯此日ヲ以テ余ノ旅行ヲ送別スル為メ、諸友ヲ集メテ開宴セラルヽナリ、席上余ト伯ト種々ノ演説ヲ為シ、桂総理ヨリノ挨拶アリテ、酒間各笑談シテ歓ヲ尽ス夜十時深川宅ニ帰宿ス


渋沢栄一 日記 明治三六年(DK290104k-0007)
第29巻 p.343 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年     (渋沢子爵家所蔵)
一月廿二日 晴
○上略 麻布井上伯ヲ訪ヒ会話ス ○下略


渋沢栄一 日記 明治三八年(DK290104k-0008)
第29巻 p.343 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三八年     (渋沢子爵家所蔵)
一月三十一日 曇 風ナシ
○上略 二時過キ井上伯ヲ内田山邸ニ訪ヒ時務ヲ談ス ○下略
   ○中略。
八月十一日 晴 清暑
○上略 腕車ニテ麻布井上伯ヲ訪ヒ、種々ノ談話ヲ為シ午飧ヲ共ニシ ○下略
   ○中略。
九月二十三日 晴 清暑
○上略 十一時井上伯ヲ内田山邸ニ訪ヒ、戦後経済ノ事ヲ談ス、井上邸ニテ午飧シ ○下略
   ○中略。
十一月二十八日 晴 風ナシ
○上略 午後二時半麻布井上伯園遊会ニ出席ス、午後四時立食後六時過王子別荘ニ帰宿ス


中外商業新報 第七一八七号 明治三八年一一月二九日 ○井上伯邸園遊会(DK290104k-0009)
第29巻 p.343-344 ページ画像

中外商業新報  第七一八七号 明治三八年一一月二九日
    ○井上伯邸園遊会
十一月廿八日は井上伯の誕辰日に相当し、毎年斯日を以て園遊会を開くを例とせられしが、昨三十七年は軍国の大事に際し、百万の将卒風雪の間に奮闘し居れる折柄なればと、単に寿像開扉に止められ、尚夫を機として当時最苦戦の極に在りし旅順攻囲軍犒労の挙を行はれたり然るに本年は去年の倥偬と事変はり、愈々平和克復ともなりたればとて、即ち昨廿八日の当日を以て例年通りの園遊会を内田山なる自邸に於て催ふされたり、前日は朝来の時雨暫しも休ます、明日の空如何にと気遣はれしに、翌る日の暁は日本晴れに明け放れて、近来稀なる好天気の上、そよとの風も無き小春擬ひの日和となりし為め、当日の会は層一層の盛観を加へたり、内田山邸は名にし負ふ屈指の園囿なるに
 - 第29巻 p.344 -ページ画像 
加へて、季は稍々後れたれど、樹々のもみぢ葉錦を織りて、眺め謂はん方なく、奇巌怪石何れも苔蒸し封じて千年の緑を湛へざるなき、彼を伯爵が戦時戦後の日本財政に尽されたる満腔の赤誠とも見れば、這は軈て当日の会主が愈が上にも栄へ行かるゝ瑞祥を示現したるにも譬へつべきや、斯て定刻の午後二時前後となれば、来賓は陸続として参邸し、或は園内を逍遥して自然の美観に飽かぬ眺を貪るもあり、或は数奇を凝せし彼欄此閾を賞づるもあり、何れも伯主人の健康を祝し合へり、当日先つ来賓一同の目を驚かせしは、外ならぬ茶席のしつらへにて、其一は広庭の脇に設けあり、這は其昔太閤殿下が有馬の温泉に遊ひける折、不図思ひつきて茶の湯の会をさる小丘の上にて催ふせる砌、家臣に命じて道具を取寄せ、自から一味の禅を味ひし故事に則りたるものにて、葭簀張にて仕つらへし構へ内に、右の太閤が取寄せし際の覚へ書、即ち山のゆへのちやのゆとうく云々と自から記せし軸を懸けあり、風呂には其昔北野天神大茶湯の会に用ゐし三猿風呂と云ふを据へ、之には加茂季鷹の箱書附あり、宗匠には京都東山なる西行庵主態々伯の為めに出京して之に当れり、之をば三猿亭と名づけつ、□《(不明)》の小茶席には夢想国師筆の愚人自縛と記したる幅を懸け、又大茶席には宋人高年暉が筆に成りし山水を足利天山(義政将軍)が親しく写し之に自画賛を題したる幅を懸け、其他の飾は何れも天下の逸品を供へあり、井上伯邸の園遊会ならでは、到底企て難きものとして来賓の感嘆啻ならす、斯くて一渡り茶の湯終はりて後、座敷に投けし婦人席、園内に設けし男子席なる立食場は開かれたり、席上伯爵及夫人は満腔の喜悦を表して来賓を歓遇され、軈て林子爵の発声にて井上伯爵の万歳を三唱し、来賓之に和し、何れも伯の健康と伯邸の万福を祝して散会の途に就きしは午後六時過なりき、当日来賓の重なるは桂首相・曾禰蔵相・林子爵・杉子爵・毛利男・渋沢男・三井男・金子男・阪谷芳郎・三井八郎次郎・三井元之助・三井武之助・三井得右衛門・三井守之助・松尾臣善・相馬永胤・原敬・益田孝・中村雄次郎・朝吹英二・添田寿一・山本達雄・園田孝吉・大倉喜八郎・福沢捨次郎・近藤廉平加藤正義・馬越恭平・原六郎・早川千吉郎・団琢磨・大岡育造・徳富猪一郎・島村久・仙石貢・木村清四郎・渡辺専次郎・高橋義雄・飯田義一・波多野承五郎・有賀長文・山口玄洞・貝島太助氏等四百余名と毛利公大夫人を始め淑女百余名なりき


渋沢栄一 日記 明治三九年(DK290104k-0010)
第29巻 p.344-345 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三九年     (渋沢子爵家所蔵)
一月二十四日 曇 寒            起床七時 就蓐十二時
○上略 夜井上伯ヨリ瓢屋ニテ招宴アリシモ、取次ノ者電話ノ過失ニヨリテ出席スルヲ得サリキ○下略
   ○中略。
二月十八日 晴 風強シ
○上略 午後五時三井集会所ニ抵リ、井上伯ヨリノ招宴ニ出席ス、種々ノ余興アリ、食事中ニ一場ノ謝辞ヲ述フ ○下略
   ○中略。
五月十六日 半晴 暖            起床七時 就蓐十二時三十分
 - 第29巻 p.345 -ページ画像 
○上略 午後一時井上伯邸ニ抵リ、シフツ氏招宴ニ陪席ス ○下略
   ○中略。
五月二十七日 雨 軽暖           起床七時 就蓐十二時三十分
○上略
午後六時井上伯邸ニ抵リ、英人サトー氏招宴ニ陪ス、伊藤・桂・林・小村其他約二十名許、頗ル盛会ナリキ ○下略


中外商業新報 第七五〇四号 明治三九年一一月二九日 ○井上伯邸園遊会(DK290104k-0011)
第29巻 p.345-346 ページ画像

中外商業新報  第七五〇四号 明治三九年一一月二九日
    ○井上伯邸園遊会
十一月二十八日は井上老伯の誕生日に相当し、毎年斯日を以て内田山なる自邸に園遊会を催ふさる、即ち本年も同日午後二時半より開催されたるが、玆に奇しきは昨年と本年と其天候の頗る似寄りたる事にて去年の二十七日は終日の時雨片時も息ます、明日の園遊会如何あらんかと危まれしに、一夜を更へし其当日は長空拭ふが如く晴れ渡りて、何れも憂の眉を披けり、然るに本年も亦同じく、前日の空は霙まじりの霰さへ降り、寒気も殊に烈しかりしが、日の暁は麗に明けて、小春日和の長閑なる快晴とはなれり、天も心ありてか自然の吻合こそ目出度けれ、取分け一昨年は戦時中とて寿像開扉に止められ、昨年は尚しづ心なき人心、何となく落ちつきかねし風情ありしも、本年は戦後の気勢一時に迸り、活勢謂はん方なき折柄なれば、当日の観も夫れに連れて一層盛を極め、近来稀有の壮観をぞ呈しける、名にし負ふ内田山の高邸秋老て満園の樹木瘠せたるは、清癯鶴の如く残れるは二月の紅にも優り、一木一草の趣き眺め尽くべくもあらす、馬車・腕車にて流星の如く着邸せし来賓の卿相縉紳、玆に一団彼処に一団、景を愛し致を賞し、迭に主伯の健康永久に渝らす、一才は一才よりも健なるを祝し合ひしが、当日の数ある趣向中、全く来賓の驚魄せしは、即ち大広間は固より何れの小間に至る迄も総て不動尊像の懸軸及び之に係れる物を以て装ひたる一事にて、中に就き尤も衆目を驚せしは、即ち周文の間なる詑摩為遠筆不動尊、光琳の間なる恩賜の承和元年正月清涼殿に於て画きし弘法大師筆不動尊及び雲谷庵なる鳥羽僧正筆の不動尊なりき、周文の間は周文の襖あり、光琳の間には光琳の襖あり、既に人目を射るに、加へて此海内無二の名幅を以てしたる事なれば、其の壮観譬へんに物無し、其外独鈷・鈴等の末に至る迄、皆天平年時か然らすんば、七・八百年前の物に係り、観者一同只管伯爵家の所蔵深ふして窺ふべからず、其趣向の雄大なるに茫然たりき、斯て老伯及び令夫人は門側に在りて一々来賓を迎へられしが、庭上には抹茶席の外、ビール・蕎麦・おでん等の摸擬店を設け、余興に円遊一派の茶番狂言あり、午後四時食堂を開き、婦人側は周文の間にて、男子側は庭上にて立食の饗を受け、宴半なる頃林友幸子発声にて井上伯爵の寿を唱へ、衆賓之に和せしが、折りしも陰暦十三夜の月長空を照らし、清光庭に満ちて幽懐限り無く、会者一同更に興を得て和気靉々の裡散会せしは午後六時前後なりき、当日主として斡旋の労を執られしは、親縁なる新田男・都筑馨六・藤田四郎・伊藤勇吉諸氏にして、重なる来賓は
 西園寺首相 林外相 原内相 山県逓相 阪谷蔵相 松方伯 木戸
 - 第29巻 p.346 -ページ画像 
侯 毛利男 広沢伯 藤波子 末松男 渋沢男 芳川子 後藤男 伊東男 杉田衆院長 三井男 三井高保三井三郎助氏等一族 岩崎男 益田孝 団琢磨氏等 三井重役諸氏 近藤廉平 福沢捨次郎 松尾臣善 山本達雄 相馬永胤 添田寿一 大倉喜八郎 安田善次郎 原六郎 馬越恭平 高田慎蔵 大谷嘉兵衛 大岡育造 珍田 若槻各省次官等諸氏
外に大阪より藤田平太郎・蘆田順三郎氏、九州より貝島太助・麻生太吉氏等、特に当日列席の為め上京せりといふ
   ○是日ノ栄一ノ日記ヲ欠ク。


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK290104k-0012)
第29巻 p.346 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年     (渋沢子爵家所蔵)
三月二十七日 曇 軽暖           起床七時
○上略 午飧後井上伯ヲ麻布ノ邸ニ訪ヒ種々ノ談話ヲ為シ ○下略
   ○中略。
四月十二日 晴 暖             起床六時四十分 就蓐十二時
○上略 井上伯ヲ麻布邸ニ訪ヒ種々ノ談話ヲ為シ ○下略
   ○中略。
七月十日 雨 涼              起床七時 就蓐十二時
○上略 井上伯ヲ麻布邸ニ訪問シ ○下略
   ○略。
九月十二日 曇 冷             起床六時
○上略 十一時井上伯ヲ麻布ニ訪ヒ、談話後伯ト共ニ午飧ス ○下略


中外商業新報 第七八一四号 明治四〇年一一月二九日 ○井上侯邸園遊会(DK290104k-0013)
第29巻 p.346-347 ページ画像

中外商業新報  第七八一四号 明治四〇年一一月二九日
    ○井上侯邸園遊会
嘉例吉辰例に依りて渝はりなく、二十八日内田山なる井上侯邸にて其誕辰祝賀の園遊会を催ふされたり、取分け本年は老侯陞爵の慶事に加へて、多年海外に駐留して国交の努力一方ならざりし令嗣勝之助氏夫妻の帰朝せらるゝあり、其の目出度さは彼れこれ相依りて例に見ざる歓会なりき、当日の空合は連日の時雨空都を蔽ふて雲深く如何あらんかと人々の懸念大方ならざりしに拘はらず、幸多き侯の吉辰とて、曇りながらも雨とはならず、折柄初冬の風物は名にし負ふ内田山の一角に集まり、空に照る錦の尚俤を留め、地に敷く枯葉の打詑びたる蕭条の景致、閑寂の趣きと相待ちて眺め尽きず、斯くて定刻に及ぶや、参邸の縉紳流るゝ星の如く着到し、老侯及夫人と勝之助氏及夫人とは佇立して之を出迎はれ、次で案内に従ひ、先づ大広間に赴けば、玆には婦人席を兼て降雨の準備として、庭の立食場と別に、又立食場の設けあり、用意頗る浅からず、床上には明人筆の鶴と竹の二大幅を懸けあり、狩野元信筆の鴨、雲谷等顔筆の山水及ひ床飾り等総て逸品を列したる中にも、金銀の釣香炉は一際来賓の眼を惹き、其精巧と壮麗とは当日抜群の偉観なりき、転じて光琳の間に入れば、玆には秀頼筆の懸物を懸く
  したもみちかつちる山の夕時雨
     濡れてやひとり鹿の啼くらむ
 - 第29巻 p.347 -ページ画像 
と読まる、外に床の置物・香合・香炉等取出でゝ記さんも嗚滸なり、又転じて広庭なる掛茶屋三縁亭に入れば、玆処には北野の大社内の風呂釜を用ゐあり、浄弁筆にて夢と題し
  まとろまてみるもはかなき世の中に
      いかなる夢をゆめといふらむ
と記せる短冊を懸く、次の茶室には一黙子筆
  逢花打花逢月打月
と書せる一幅を懸く、文字蒼然、表装雅を極む、次の茶室には家隆筆にて前の秀頼と同吟を懸く、次に雲谷庵には顔輝筆の達摩を懸け、茶室の釜は小蘆屋八景、茶椀には三島紅葉ごき黄瀬戸の名器あり、飾り棚其他の飾り物何れも海内の珍器を羅しあり、此外取り立てゝ記さんには中々に尽きず、後庭に出づればおでん・田楽其他種々の模擬店を設け来賓の選ぶに任かせあり、四時立食場を開き、一同卓に依りて後松方侯起ちて井上侯爵の健康を祝し、一同杯を挙げて之に和し斯て談笑興語湧くか如くかたみに侯及侯家の祝福を寿きて、午後六時前後興を割て散会せり、来賓の重なるは
 松方侯・田中伯・寺内子・阪谷男・原内相・山県逓相・杉子・寺島伯・副島伯・広沢伯・毛利男・渋沢男・松尾男・独逸大使ムンム氏添田興銀総裁・三井三郎助・三井善之助・三井守之助・近藤廉平・馬越恭平・朝吹英二・安田善次郎・大倉喜八郎・豊川良平・早川千吉郎・団琢磨・加藤正義・高橋新吉・志村源太郎・原六郎・山本達雄・相馬永胤・貴衆両院議員
其外朝野の縉紳諸氏にして、九州よりは貝島太助・麻生太吉二氏特に出京参列せりと云ふ
   ○是日ノ栄一ノ日記ヲ欠ク。


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK290104k-0014)
第29巻 p.347-348 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年     (渋沢子爵家所蔵)
三月三十一日 晴 軽暖
○上略 午後麻布ニ井上侯爵ヲ訪ヒ寸間談話シ ○下略
   ○中略。
五月八日 晴 暖
○上略 午後四日麻布井上侯爵邸《(時)》ニ抵リ、大使 ○井上勝之助ノ催ニ係ル園遊会ニ出席ス ○下略
   ○中略。
九月七日 曇 冷
○上略 午前七時家ヲ出テ新橋停車場ニ抵リ、八時発ノ汽車ニ搭シテ興津ニ抵ル、井上侯ノ病ヲ訪フ為メナリ、市原盛宏氏同伴ス、汽車中ニテ山県公爵ニ面話ス、其他種々ノ友人同行ス、沼津ニ於テ他ノ汽車ニ乗替ヘ十二時半興津ニ抵ル、井上侯別邸ニ於テ病ヲ訪ヒ、家人其他ニ会話ス、午後二時伊藤公ヲ川崎別荘ニ訪問シ、午後四時興津発ノ汽車ニテ帰京ス ○下略
   ○中略。
十月八日 晴 冷
午前六時起床入浴シ、畢テ朝飧ヲ食シ、直ニ家ヲ出テ八時新橋発ノ汽
 - 第29巻 p.348 -ページ画像 
車ニ搭シテ興津ニ抵リ、井上侯ノ病ヲ訪フ、車中多人数雑沓ス、十二時興津ニ抵リ勝之助氏・藤田四郎氏等ト談話シ、後侯ノ病床ニ於テ緩話ス、午後二時半ノ汽車ニテ帰京ス、八時過新橋ニ着シ ○下略
   ○中略。
十一月二十七日 晴 寒
○上略 麻生内田山《(麻布内田山)》ニ井上侯爵ヲ訪ヘ種々ノ談話ヲ為ス ○下略
   ○中略。
十二月十二日 雨 寒
○上略 四時井上侯爵ヲ訪ヒ要務ヲ談シ ○下略


(八十島親徳) 日録 明治四一年(DK290104k-0015)
第29巻 p.348 ページ画像

(八十島親徳) 日録  明治四一年   (八十島親義氏所蔵)
九月七日 曇 大ニ涼気
昨夜帰京ノ青淵先生ニハ、今朝八時発ノ汽車ニテ興津ニ井上侯ヲ見舞ハルヽニ付、一寸新橋ニ見送ヲナス ○下略


渋沢栄一 日記 明治四二年(DK290104k-0016)
第29巻 p.348 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年     (渋沢子爵家所蔵)
一月三日 晴 寒
○上略 午飧後井上侯爵ヲ訪ヒ、種々ノ談話ヲ為ス ○下略
   ○中略。
二月二日 雨 寒
○上略 午後五時井上侯爵邸ヲ訪ヒ招宴ニ出席ス、去年来ノ宿痾平愈ノ祝宴ナリ、種々ノ饗宴アリテ夜十一時散会、帰宿ス
   ○中略。
五月二日 晴 暖
○上略 午後三時井上侯邸ニ抵リ其祝宴ニ出席ス、庭中ニ種々ノ余興アリ午後五時立食場ニ於テ老侯爵ヨリ挨拶アリ、伊藤公祝詞ヲ述ヘ、来賓一同万歳ヲ三唱ス、畢テ散会帰宿ス、此日兼子同伴ス