デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

5章 交遊
節 [--]
款 [--] 6. 古河市兵衛
■綱文

第29巻 p.356-361(DK290107k) ページ画像

 --


■資料

(芝崎確次郎) 日記簿 明治一三年(DK290107k-0001)
第29巻 p.356-357 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記簿  明治一三年   (芝崎猪根吉氏所蔵)
 - 第29巻 p.357 -ページ画像 
三月十七日 雲
○上略
今夕古川市兵衛[古河市兵衛]殿ニ、深川宅ヘ参リ可申旨案内致し候様御下命ニ付、直ニ書状使差出候、主君八時御帰宅、九時半古川・浅野両人参邸
   ○中略。
四月十四日 晴
○上略
足尾銅山書類取纏メ方被仰付 ○中略 本日ハ王子別荘ヘ来客ニテ、三時ニ御帰リ相成候、小生ハ午後六時半退社、帰宅致し候
   ○中略。
八月十五日 晴
休日
○中略 御邸ニテ今夕来客、但し銀行連中及古川・瀬川両人も来候事


渋沢栄一 日記 明治三二年(DK290107k-0002)
第29巻 p.357 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三二年     (渋沢子爵家所蔵)
二月六日 曇
○上略 午後五時兜町宅ニ於テ古河市兵衛・同潤吉・近藤・木村・岡崎・狐崎・山田・福岡・井上、及銀行員佐々木・土岐・西園寺・清水数氏ヲ招宴ス、各歓ヲ尽シ夜十二時散会ス
   ○中略。
四月十一日 曇
○上略 古河市兵衛氏ノ病ヲ訪フ、夜九時帰宅ス ○下略


渋沢栄一 日記 明治三三年(DK290107k-0003)
第29巻 p.357 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三三年     (渋沢子爵家所蔵)
九月廿八日 朝大風雨夕晴
○上略 二時瀬戸物町古河氏ヲ訪フ、蓋シ同氏今日ヲ以テ斬髪ノ式ヲ挙クルヲ以テ、井上伯ト余トヲ其式ニ参加ヲ乞ハレタルニヨリ、式畢テ兜町ニ帰宅、三時兼子ト共ニ浜町常盤屋ニ抵ル、古河氏ノ招宴ニ応スル為メナリ、井上伯夫妻・古河氏夫婦及店員十数名接伴シテ饗応頗ル鄭重ナリ、謡曲・長歌・常盤津・軍談・落語・三曲及歌妓ノ伎曲等数番アリ、夜十一時帰宅ス


竜門雑誌 第一四九号・第四五―四六頁 明治三三年一〇月 ○古河市兵衛翁の元服式(DK290107k-0004)
第29巻 p.357-358 ページ画像

竜門雑誌  第一四九号・第四五―四六頁 明治三三年一〇月
○古河市兵衛翁の元服式 本社の特別社員たる古河市兵衛氏は、銅山王とし其名内外に知られたるが、此度井上伯の勧誘により其結髪を剃落し、六十九歳の元服式を去月廿九日挙行せられたりと云ふ、当日の模様を記せんに
 愈々午後二時と云ふ時刻に式を始め、当日の正客なる井上伯及び夫人先づ床の前に着座し、次には青淵先生及び同夫人、次は陸奥伯と順に居並び、又其向側には主人古河氏五所紋付の羽織に袴の扮装にて井上伯と相対して座に着き、之に隣りて同夫人為子・令息潤吉・虎之助・親戚総代木村長七・会社重役総代岡崎邦輔・幹事井上公二の諸氏同じく紋付羽織袴にて列座したり、斯て古河氏は元服式に就て一通りの挨拶をなし、了つて前記の井上氏二挺の剃刀を載せたる
 - 第29巻 p.358 -ページ画像 
白木の三宝を目八分に捧けて進み、主人古河氏と井上伯との前に置けば井上伯は先つ主人に挨拶して一挺の剃刀を取上げ、髻より結髪を切り落して元の席に着く、是にて古河氏は起つて別室に入り、此に控へたる理髪師庄司七之助をして理髪せしめ、再び元の式場に顕はれたるが、此一刻後の古河氏は既に一刻前の古河氏にあらずして見るから心地よげなる散髪となり、井上伯より贈られたるフロツクコートを着して元服式の終りたる挨拶を述べ、一同馬車を聯ねて常盤家に至り此所に酒宴を開きたり
此日青淵先生には文園欄に掲げたる休言老去更加冠の詩を贈られて古河翁の寿を祝し、井上伯には左の和歌を贈られたりと云ふ
    古河翁を祝して           元服親 馨
  世の中に輝したる君が名は
      即ちかみの御かげなりけり
  我ならで誰れかたつべき古河を
      ふりわけ髪に若返りして


竜門雑誌 第一四九号・第二二頁 明治三三年一〇月 ○賀古河翁加冠 青淵先生(DK290107k-0005)
第29巻 p.358 ページ画像

竜門雑誌  第一四九号・第二二頁 明治三三年一〇月
    ○賀古河翁加冠           青淵先生
  休言老去更加冠。  齢近古稀仍壮顔。
  天佑羨君多景運。  福如東海寿如山。


古河市兵衛翁伝 五日会編 第二八二頁 大正一五年四月刊(DK290107k-0006)
第29巻 p.358 ページ画像

古河市兵衛翁伝 五日会編  第二八二頁 大正一五年四月刊
明治三十三年九月十日、翁は特旨を以て従五位に叙せられた。尋いで同月廿八日、翁の元服式が瀬戸物町本宅の二階に於て行はれた。この元服は、少年が額髪を剃るの古例とは異つて、六十九翁の丁髷を断つの賀式であつた。
 元服親として断髪の鋏を執つたのは、予てより翁に断髪を勧め、翁も亦、髪を切る時は必ず貴下を煩しますと盟つた侯爵井上馨氏(時に伯爵)であつた。当日式に列したのは子爵渋沢栄一氏(時に男爵)・伯爵陸奥広吉氏・古河潤吉・同虎之助及び木村長七。粧髪に当つたのは理髪師荘司七之助であつた。


渋沢栄一 日記 明治三六年(DK290107k-0007)
第29巻 p.358 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三六年     (渋沢子爵家所蔵)
四月八日 晴
○上略 午後二時古河市兵衛氏死去ニ付、葬儀ニ列スル為メ麻布善福寺ニ抵ル ○下略


古河市兵衛翁伝 五日会編 追録・第一頁 大正一五年四月刊(DK290107k-0008)
第29巻 p.358-359 ページ画像

古河市兵衛翁伝 五日会編  追録・第一頁 大正一五年四月刊
  市兵衛翁を憶ふ
                  子爵 渋沢栄一氏談
    翁との交諠
 故市兵衛翁と私とは相応に懇親を厚うした間柄であつて、私の方からも、此人は将来成功する人であると信じ、市兵衛翁も渋沢は頼むに足る者だと思つて呉れ、二人の間は所謂相識ると云ふ状態であつた。
 - 第29巻 p.359 -ページ画像 
 翁と懇親になつたのは、何でも私が民部省の租税頭となつた後で、多分明治三年の夏頃からの交際であつたと思ふ。初めはどう云ふ事で御目に掛つたのか記憶せぬが、翁は条理上の話は嫌ひで、何時も来る毎に実際問題を話した。どうしても御一新後の日本の商売は盛んにせねばならぬ。第一に生糸を盛んにしたい、種紙の輸出も面白い、鉱山も遣つて見たいと云ふやうな話があつて、私も面白い人だと思つた。
 それに、あの人は至つて町人風で、へいへい云うて、私の事を殿様殿様と云ふ。「君、殿様だけは止めて貰ひ度いものだ。」と云ふと、「それでも政府の御役人様に失礼があつてはならぬ」と一寸も礼儀を欠さぬ人であつた。 ○下略


渋沢栄一 日記 明治三九年(DK290107k-0009)
第29巻 p.359 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治三九年     (渋沢子爵家所蔵)
三月三日 雪 寒              起床七時 就蓐十二時
○上略 六時浜町常盤屋ニ抵リ、古河家ノ招宴ニ出席ス、井上伯・原敬其他来会ス、種々ノ余興アリ ○下略


渋沢栄一 日記 明治四〇年(DK290107k-0010)
第29巻 p.359 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四〇年     (渋沢子爵家所蔵)
四月三十日 半晴 暖            起床七時 就蓐十二時
起床後入浴シ後朝飧ヲ為ス、麻生正蔵来話ス、木村長七・葛西重雄来リ、古河家ノ事ニ関シ談話ス ○下略


渋沢栄一 日記 明治四一年(DK290107k-0011)
第29巻 p.359 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四一年      (渋沢子爵家所蔵)
十二月五日 晴 寒
○上略 午後一時帝国ホテルニ抵リ、古河虎之助婚儀披露会ニ出席ス、種種ノ余興アリ、後一場ノ披露演説ヲ為ス、四時立食場ヲ開キ祝杯ノ事畢リテ ○下略
十二月六日 晴 軽寒
○上略 古河虎之助夫妻来訪、昨日ノ披露会ニ於テ演説セシ事ヲ謝ス ○下略


竜門雑誌 第二四七号・第六九―七〇頁 明治四一年一二月 ○古河家の結婚披露会(DK290107k-0012)
第29巻 p.359-360 ページ画像

竜門雑誌  第二四七号・第六九―七〇頁 明治四一年一二月
○古河家の結婚披露会 故古河市兵衛氏の令嗣古河虎之助氏と侯爵西郷従徳氏の令妹不二子の君との結婚披露会は、十二月五日午後二時より帝国ホテルに於て開催せられたるが、従来古河家と縁故浅からざる青淵先生は、当日親戚一同を代表して新夫婦を来賓諸氏に披露し、且大要左の挨拶を述べられたり。
 私は古河家の先々代市兵衛とは、明治の初年から厚き懇誼を得まして、物故する迄三十年の交際をしましたが、其間相往来し艱苦も歓楽も共にして、古河家の親族同様に致しましたが、先々代の市兵衛は事業に熱心で、殊に鉱山業には専心一意是れを経営致した事は、諸君の御聞き知り置かれて居る通りで、殊更に学問上非凡の知識は有せざるも、一に斯業に励精致しました事は、之を公言しても敢て過言に非ずと信じます
 不幸其業成るに垂んとして物故致しましたが、先代潤吉より其事業は稍々成功致しました今日、此虎之助は、追々成長発達して、今回
 - 第29巻 p.360 -ページ画像 
井上大使の御媒妁に依り婚儀を挙げました事は、故市兵衛をして今日に在らしめば嘸満足する事であらうと存じますが、諸君に置かせられても定めて御同情下さる事であらうと存じます(喝采)
 虎之助は未だ青年にして、欧米に多少の学業を修めたりとは申せ、之を以て社会に立ん事猶早し、然れども故人の遺業を継いで励精事に当らしめますれば、未熟な所は幾重にも御教訓あつて将来御引立て下さいます様希望致します」云々
青淵先生の此挨拶は、普通新婚披露の祝辞挨拶の如くならず、誠意面に溢れて言々肺腑より出でしかば、来賓中先々代と深交ありし雨宮敬次郎氏の如き、馬越恭平氏の如き、覚えず涙を垂れて、市兵衛氏在世の昔を偲びたりと云ふ。


中外商業新報 第八一三六号 明治四一年一二月六日 ○古川家の結婚披露(DK290107k-0013)
第29巻 p.360 ページ画像

中外商業新報  第八一三六号 明治四一年一二月六日
○古川家の結婚披露 小春日和の空朗にして、吹く風も左迄に寒からぬ五日の午後一時より、帝国ホテルの有様は芽出度くも亦賑はしく、古川家結婚披露会は此処に開かれたり、玄関には新夫婦を初め、木村長七・中島久万吉・岡崎邦輔・中田敬義・近藤陸三郎・井上公二諸氏其他主なる店員居並びて、雲の如く来集する来賓を迎接し、中島男は一々新夫婦を紹介して一同を会場に導びきぬ、場に充てたる一室には茶菓・寿司・団子等の設備あり、新橋の紅裙此間を斡旋したり、軈て奏楽の音に伴れて余興の幕を開き、新橋芸妓連の、新曲多摩川に続き高崎正風男の作なる挿廼菊に折柄の祝意を込め小鼓の音も冴えて、舞の手振りの面白かりしに、一同頗る興に入り、尚ほ川上貞奴の喜劇玉手箱、新橋若手紅裙連の弥生空を演じ了り、玆に渋沢男は起て新夫婦を来賓に紹介して一場の挨拶を為せり、四時立食に移り、席上大山公爵の発声にて幾千世変らぬ結婚を祝し、一同歓を尽して自己かじゝ散会せしが、古川・西郷両家に縁ある朝野の貴紳貴婦人の来会せしこととて、華麗なる裡に静粛の趣を供え近年稀に見る盛会なりき、当日の主なる来賓如左
 大山公 松方侯 山本大将 東郷大将 大浦農相 後藤逓相 岡部法相 小松原文相 土方伯 林伯 板垣伯 柳沢伯 末松子 三井男 岩崎男 渋沢男 松尾男 高橋男 石本陸軍次官 若槻大蔵次官 押川農商務次官 松田正久 鶴原定吉 田健次郎 三井八郎次郎 近藤廉平 加藤正義 団琢磨 飯田義一 浅野総一郎 馬越恭平 高田慎蔵 添田寿一 木村清四郎 大谷嘉兵衛 松方巌 瓜生震 三村君平 牟田口元学 阿部泰蔵 末延道成 佐々木勇之助 雨宮敬次郎 岩永省一 山之内一次 図師民嘉 北里博士 山田博士 真野博士 杉田定一 野田卯太郎 高崎安彦 服部金太郎 永江純一 箕浦勝人 大岡育造 福沢捨次郎 野崎広太 其他夫人令嬢等約五百名


渋沢栄一 日記 明治四二年(DK290107k-0014)
第29巻 p.360-361 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四二年     (渋沢子爵家所蔵)
五月四日 曇 暖
○上略 四時王子ニ帰宅シ来客ニ接ス、古河虎之助氏ノ新婚ヲ賀シ、其一
 - 第29巻 p.361 -ページ画像 
家及西郷・岩倉、其他井上大使等多人数ヲ招宴ス、四時頃ヨリ庭園ヲ散歩シ、六時過饗宴ヲ開キ、種々ノ余興アリ、夜十時散会ス
○下略


竜門雑誌 第二五二号・第八四頁 明治四二年五月 ○古河氏等招待会(DK290107k-0015)
第29巻 p.361 ページ画像

竜門雑誌  第二五二号・第八四頁 明治四二年五月
○古河氏等招待会 青淵先生には新緑の好時節を機とし、本月四日午後三時より飛鳥山邸に於て、古河虎之助氏其他を招待して宴会を催ふされたり、当日の賓客は同氏を始め、同母堂・同令夫人・大使井上勝之助・岩倉具定公・同令夫人・西郷従徳侯・同母堂・岩倉具張・同令夫人・中島久万吉男・同令夫人、其他木村長七・同令夫人・近藤隆三郎・岡崎邦輔・小田川全之、葛西重雄・安達仁造の諸氏にして、鄭重なる饗応及種々の余興ありたり


古河潤吉君伝 五日会編 第一九二―一九三頁 大正一五年一二月刊(DK290107k-0016)
第29巻 p.361 ページ画像

古河潤吉君伝 五日会編  第一九二―一九三頁 大正一五年一二月刊
 ○第九章 悼ましき短生涯
    二、終焉
○上略
 君の歿するや、虎之助君は古河家を相続し、古河鉱業会社々長に就任した。十二月十九日、次の告示が原副社長より発せられた。
 本社長久シク病蓐ニ在ラレシヲ以テ、其ノ一日モ速カニ健康ヲ恢復セラレ、親シク業務ヲ執行セラルヽノ日ヲ見タシトハ、予ノ諸君ト共ニ平素切ニ祈望シテ已マザル所ナリシガ、不幸ニシテ病羸ノ体ヲ以テ、遽カニ急性肺炎ニ罹ラレ、薬餌其効ヲ奏セズ、竟ニ不帰ノ客トナル。是レ予ノ諸君ト共ニ痛惜ノ至リニ禁ヘザル所ナリ。
 御遺言書ノ在ルアリシヲ以テ、昨十八日、関係者立会ノ上、之ヲ開封セシニ、養嗣子虎之助君ノ成年ニ達セラルヽ迄、木村長七君ヲ後見人トナシ、伯爵陸奥広吉君ヲ後見監督人ト為スベキコト、及ビ木村長右衛門君・男爵中島久万吉君・男爵渋沢栄一君ヲ親族会議員ニ指定スルコトヲ記載シアリタリ。
 当会社ニ於テハ社長ヲ失フノ不幸ニ遭遇セシト雖モ、会社定款ニ因テ、虎之助君ヲ社長トナセシコトノ外ハ、営業上従来ト何等異ルコトアルナシ。諸君ニモ宜ク此意ヲ体シテ、以テ当会社ノ繁栄ヲ増進スルコトニ、十分励精尽力セラレムコトヲ切望ス。
   明治卅八年十二月十九日
                  副社長 原敬
 この告示にある通りに、新社長の後見人、後見監督人及ぶ古河家親族会議員は、総て、君の遺言によつて定められ、その指名の如く各氏の承認を得た。 ○下略
   ○遺言書ハ見ルヲ得ザレドモ栄一ハ親族会議員タルコトヲ承諾シタリ(茂野吉之助談)。