デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

8章 住宅
■綱文

第29巻 p.616-618(DK290197k) ページ画像

明治21年12月6日(1888年)

是ヨリ先明治十九年十二月起工セル兜町ノ新邸落成シ、是日栄一当邸ニ移ル。


■資料

(芝崎確次郎) 日記 明治二一年(DK290197k-0001)
第29巻 p.616 ページ画像

(芝崎確次郎) 日記  明治二一年   (芝崎猪根吉氏所蔵)
(十二月)六日 晴
○上略
 御主君ニハ、本日兜町御新館江御引移り相成候事


竜門雑誌 第八号・四八―五〇頁 明治二一年一二月 ○兜町の新邸(DK290197k-0002)
第29巻 p.616-618 ページ画像

竜門雑誌  第八号・四八―五〇頁 明治二一年一二月
 - 第29巻 p.617 -ページ画像 
○兜町の新邸 此頃竣功を告け、去る六日を以て開館せし日本橋区兜町二番地なる渋沢氏の新邸は、抑其工事に着手して始て地固めに取掛りしは一昨十九年十二月のことなりしか、爾来着々其功を運ふと雖も総坪二百余坪にして而も宏壮なる構造なれは、なか々々捗取りかたく本年秋の中ばに至り漸く建築の部は落成せしも、室内の装飾、庭園の木石等に至りては此程職工の手をはなれたるのみ、此建築たるや、総て工学博士辰野金吾氏の計画にして、工事は一切清水満之助氏の受負なり、玆に其内外形容の概略を述んに、家屋の位置は兜橋畔に接して南に面し、総体煉化造の二層楼なり、先つ其外囲の有様を記さんに、稜角窓檐等は総て青石もて螺条花様抔の彫刻をなし、壁は淡黄色に塗り、正堂玄関は南に向て門に対し、西北は直ちに河水に臨み、西に半円形のベーウヰンドー突出し、北に七間余の釣場あり、此岸には石階を設けて舟を繋き昇降すへし、東の方は庖厨にして、東南には厩及ひ奴僕の部屋、供待等迄備れり、又石柱鉄扉の表門は南の方道路に臨み此両柱に銅製異鳥の洋灯を掲け、鉄柵は西南に繞りて庭園を囲み、園中には奇石蟠まり喬松聳へ、百日紅・鴨脚樹・柘榴・芭蕉・脩竹其他の草木位置面白く栽へ列ねたり、屋後は江戸橋・鎧橋の間を流るゝ川筋にして、荒布橋・思案橋をも一目に望み、前岸には小網町の河岸蔵連らなり、近海に出入する高瀬・天間船は舳艫相銜て爰に湊まり、房総の地より魚河岸の問屋に向て溌剌たる新鮮を運搬する押切は朝暮競ふて窓下を過く、実に都下の目貫たる商業地は四囲を連続して一望の裡にあり、更に入て室内の模様を見るに、先つ玄関より昇て左の方は応接所にして、唐戸を開けは内は純子の張壁、織物の窓かけ、麗しき絨緞を敷き、天井は滝和亭氏か揮毫せる花卉虫禽の画なり、此隣房は主人公か書斎にして、夫より令夫人の便室、通常客室、食堂等各房相連なり、廊を隔て又幾間の室あり、其他家人・侍婢等の部屋は夫々に局を為し、浴室には樋を仕かけて冷水温湯自在に引き、四壁ハ花鳥を染付たる陶板にて張り最も清潔なり、又便室は洋製に傚て造り、甚た浄快なり、転して又廊に出て花形の彫刻したる欄干に依りて階を攀ち一曲して楼上に昇れは、西南の方は則ち舞踏室にして赤地の純子の張壁いと花やかに、唐草の模様塗り分けたる天井には数枝の洋灯を釣り此一室は舞踏の為め床に絨緞を用ひす種々の寄木をもて張つめたり、此外幾間の室は各々様を換へ飾を異にし、又東の方には寝室あり、倉庫あり、総て楼上楼下の各室に数条の電線を備へ、坐にして人を呼ふへく、室内より街灯に至るまて尽く瓦斯を引き、夜はさなから昼の如し、全体間毎の装飾は暖炉・姿見・絨緞等は遠く欧米より購はれ、窓かけは本邦の西陣に命して新たに織らしめ、椅子に卓に架棚に、其外各種に至りては本邦の名工と外国の精品とを集められ、又室毎に掲けたる油絵の額は伊・独・英・仏の画伯か揮毫にして其精巧尽く真に迫れり、其概此の如しと雖も、若し氏か財を傾けて構造を事とせは尚都下第一の大厦をも造らるへし、然るを経済の中流を汲て其計画宜しきに居るは所謂綽々として余裕あるものか、常に商工業の隆盛を謀り須臾も理財の原則を離れす、此処に居を占め前に第一国立銀行を置き後に流通涯りなき河川を扣へ、左右に鎧・兜の二橋を擁し、以て営業の
 - 第29巻 p.618 -ページ画像 
堅固なるに比す、嗚呼適へるかな此館、中れるかな此室、こゝに新築の概形を記し、併せて其後栄を祝す
   ○当邸ハ同番地ナルモ、明治六年移住シタル三井組所持ノ家屋ト同一地面ニ非ズ。


青淵先生六十年史 竜門社編 第二巻・第九四一頁 明治三三年六月再版刊(DK290197k-0003)
第29巻 p.618 ページ画像

青淵先生六十年史 竜門社編  第二巻・第九四一頁 明治三三年六月再版刊
 ○第六十章 家庭
    第二節 邸宅
○上略
兜町邸ハ明治十九年十二月工ヲ起シ建築スル所ニシテ、工学博士辰野金吾ノ設計ニヨリ、模範ヲ伊太利「ベニス」ノ家屋ニ取リタルモノナリト云フ、本邸ハ市中最モ熱閙ノ中央ニ位シ、河ニ臨ミ西洋風ニ建築セルモノニシテ、舞踏室ヲモ備ヘタリ ○下略