デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

2編 実業界指導並ニ社会公共事業尽力時代

3部 身辺

9章 雑資料
1節 遭難
■綱文

第29巻 p.632-633(DK290201k) ページ画像

明治34年6月10日(1901年)

是日栄一、去ル明治二十五年十二月十一日栄一ヲ襲撃シタル暴漢ノ一人千木喜十郎、出獄後先非ヲ悔イテ謹慎セルヲ憐ミ、兜町ノ邸ニ招キ金ヲ与ヘテ将来ヲ戒ム。


■資料

竜門雑誌 第一五七号・第五〇―五一頁 明治三四年六月 ○青淵先生昔の刺客を哀む(DK290201k-0001)
第29巻 p.632 ページ画像

竜門雑誌 第一五七号・第五〇―五一頁 明治三四年六月
    ○青淵先生昔の刺客を哀む
仇に酬ゆるに恩を以てすとは夫れ青淵先生の謂乎、明治廿五年東京市水道鉄管敷設の計画漸く成りし時、市当局者の議斉しく鉄管の鋳造を内国の鋳造会社に托せんとしたるに、青淵先生には独り之を不可とし内地鋳鉄業の幼稚なるを説き、断然外国品を仰ぐべしとの説を唱へたれば、中には先生が外国商人と結托したりなど、浮説を流して之を傷けんとする者あり、無造作に内国製の者を採ることとなりしが、後果して彼の鉄管事件あり、漸く先生の先見の明ありしを知るに至らしめしも、当時石川県の千木喜十郎といふ者、亦世評の渦に巻かれて大に先生を憎み、遂に二十五年十二月十一日夕、兜橋西詰に於て先生を暗殺せんとし、忽ち捕縛せられて謀殺未遂罪に問はれ、重懲役十年に処せられしに、其の後宮中御大葬の節、恩典を以て刑一等を減ぜられ、一昨年九月満期となりて巣鴨監獄を出でしが、同年九月廿三日石川県人大垣丈夫氏先生を尋ね、千木の全く改心せること、並に其現状の哀むべきことを告けられたる際、先生は昔日の仇に酬ゆるに却て恩を以てし、即時に金百円を与へられたるが、今回又同県人の保護にて広告取次業を始むることゝなりしに、先生には今回も亦同人が平素親孝行の事と、入獄中極めて謹慎し居りしことと、出獄後も行状を正しくして遂に職業に従事するに至りし由を聞き、再び金百円を贈りて其資本を助け、去る日千木が謝意を表する為め大垣丈夫氏と共に先生の邸に赴きし節には、先生自ら之れを客室に引見して将来の方針に就き懇々説く処あり、千木は涙を垂れて之を聴き、深く其恩誼に感じ入りたりといふ


東京市養育院月報 第四号 明治三四年六月 渋沢男の雅量(DK290201k-0002)
第29巻 p.632-633 ページ画像

東京市養育院月報 第四号 明治三四年六月
    渋沢男の雅量
去明治二十五年中、今の男爵渋沢栄一氏を国賊なりと誤想し、白昼公然殺害せんと謀り、捕はれて謀殺未遂の罪に問はれ、重懲役十年に処せられたる石川県士族千木喜十郎氏と云ふは、減刑によりて昨年末巣鴨監獄より放免となり、爾来同県人なる大垣丈夫氏に引取られ居りしが、同人は性来孝心深く、出獄後は万事謹慎を旨とし居るより、大垣氏は気の毒に思て、今回広告取次業を営ましめんとて夫々周旋中なるが、渋沢男も其性行を聞き、去十日兜町の邸へ千木氏を招きて面会あ
 - 第29巻 p.633 -ページ画像 
り、向後は軽卒の行動を慎みて職業に勉すべしとて、金百円を贈与せられたるにぞ、本人は感涙に暮れ、厚く男爵の厚誼を謝して引取りたりと云ふ、好話柄なり
   ○是日ノ栄一ノ日記ニ右ニ就イテノ記事ナシ。