デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
2節 中央社会事業協会其他
1款 中央慈善協会
■綱文

第30巻 p.519-521(DK300060k) ページ画像

大正7年1月10日(1918年)

是日、丸ノ内中央亭ニ於テ、地方長官ニ転任セル当協会常務理事渡辺勝三郎・同理事中川望両名ノ送別会開催セラル。栄一之ニ出席シ当協会会長トシテ送別ノ挨拶ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正七年(DK300060k-0001)
第30巻 p.519 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正七年     (渋沢子爵家所蔵)
一月十日 快晴 寒甚シ
○上略
午後五時中央亭ニ抵リ、渡辺新潟知事・中川山口県知事ノ送別会ヲ開ク、中央慈善協会ノ開催ナリ、来会者二十余名、食卓上一場ノ送別ノ辞ヲ述ベ、両知事ノ答辞アリ、一同歓ヲ尽シ夜九時半帰宅 ○下略


社会と救済 第一巻第五号・第四五六―四五八頁 大正七年二月 渡辺・中川両中央慈善協会理事の送別会(DK300060k-0002)
第30巻 p.519-521 ページ画像

社会と救済  第一巻第五号・第四五六―四五八頁 大正七年二月
    ▽渡辺・中川両中央慈善協会理事の送別会
 去月十日午後五時より、当市丸ノ内中央亭に於て同協会主催の下に旧臘地方長官に転任せられたる同協会常務理事渡辺勝三郎・同理事中川望二氏の為に送別の宴を張る。会者同協会長渋沢男爵を始め、同協
 - 第30巻 p.520 -ページ画像 
会に縁故深き諸氏二十余名なりき。六時食卓開始、右終るや渋沢会長先づ左記の辞を述べ、
  今夕は多年本会の為めに尽力せられたる渡辺・中川の両氏が、旧臘地方長官に転任せられ、此地を去らるゝこととなつたに付て、特に此会に縁故の深き諸氏を会して、聊か送別の宴を開いたのであります。幸に両氏共に御多忙中をお差繰り御出席下さいましたことを感謝致します。
  由来官界に於ては、位置の変換の時々行はるるは已むを得さることであるが、併し今回両氏が其筋より選抜せられ地方に赴かるるのは、本会としては寔に惜別の情に禁へない次第であります。扠て此の救恤の事は世の文明に趨くに従ひ益々必要の度を加へ、殊に其事業に就ては単に一地方に限らず広く普及せしめ、統一せしめ、互に相助け合はなければならないのであります。本会は畢竟此目的の為に創立せられたのであります。然るに創立以来本会の経過は幹部が心を致したにも拘はらず、発達を見ることが出来ませんでしたが、昨年春特に渡辺氏が目下の時勢に於て斯業の振はざるを慨せられ、自ら中心となりて、規則の改正・規模の拡張等に多大の力を致され其結果本会も漸く進運の端緒を開き、是れより愈々拡張の時期に入つたのであります。此時に当つて此中心人物を失ふは実に落胆せざるを得ないのであります。将来の発展に対して障害を生ずるなきかを、諸君と共に大に憂ふるのであります。併し官界に在る人を何時迄も引留め置くは、渋沢の力としては到底望み得ることでありません。例令所は異るも志一なれば、東西に別るるとも、互に協議をなすことを得れば、寧ろ事に益し働きを益することなしとも限られないのであります。
  欧洲大戦の影響として両三年以来、益々此感化救済・細民恤救の必要が加はつた様に感じます。満堂の諸君は更に強く深く斯くお考へになつて居ることであらうと思ひます。富が俄かに益せば、従つて大に救済を要することが生じて来るのであります。既に生じた貧民を救ふのみならず、進んで一般の民心に緊縮を与へ、貧を未然に防ぐの道を講じなければならないのであります。本会の職に在るものは単に救貧のみを講ずるのが職でない、自ら進んで社会政策に対する考を有することが必要であるのであります。此時に当つて本会にて有為の人を失ふは実に残念の極みであるが、併し東野に失して西野に収むといふこともあるから、本会の趣旨を貫徹する上に於て却つて好都合なるやも知れないのであります。単に畳の上の講究でなく、之を実際に行はれたならば、却つて社会に効果あることであらうと思ふのであります。両氏の赴任せられた県は斯る事業は如何であるか存じませんが、願くば此心を以て政治の為めに努力せられんことを望むのであります。
  渡辺氏は本会の常務理事でありましたが、今此人を失ふは実に忍びないのであります。併し後任に其人を得、且同氏よりも従前の通り充分力添を得るとせば、徒らに失望に終らず、即ち失ふを憂ふるよりは寧ろ生ずるを喜ぶ次第であります。何卒将来永く相提携して
 - 第30巻 p.521 -ページ画像 
本会の為に尽力せられんことを両氏に切に冀ふのであります。
右終つて一同乾杯して両氏の健康を祝し、次で渡辺氏左記の答辞を述べられたり
 ○答辞略ス
最後に中川氏は次の如く謝辞を述べられたり。
 ○謝辞略ス
右終つて一同茶菓を喫しながら主客互に談笑、九時一同惜別の情を抑へて散会せり。