デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.7

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
2節 中央社会事業協会其他
4款 東京臨時救済会
■綱文

第30巻 p.682-758(DK300089k) ページ画像

大正7年8月15日(1918年)

是年、世界大戦ノ影響等ニヨリ米穀其他ノ諸物価暴騰シ、各地ニ暴動勃発シ、是月十三日東京ニ波及ス。是日、東京臨時救済会組織セラレ、栄一之ガ会長ニ推サル。爾後同年十二月会務終了ニ至ル間、会務ニ尽瘁ス。


■資料

竜門雑誌 第三六三号・第六四―六五頁 大正七年八月 ○米価暴騰に就て(DK300089k-0001)
第30巻 p.682 ページ画像

竜門雑誌  第三六三号・第六四―六五頁 大正七年八月
○米価暴騰に就て 米価暴騰に関する青淵先生の談話なりとて、八月四日の国民新聞は左の如く報ぜり。
  今日のやうに米が高くなると云ふ事は実に驚くより外は無い、何とかして引下ぐる方法を講じたいと思ふが、自然の大勢には抗し難い、政府当局は何故に米価が暴騰するかと云ふ根本原因を探究せずに、只直段を定めるとか、一等米は幾何より売つてはならんとか、二等米は幾何以下に売れと云ふやうな形式で干渉する事は甚だ好ましくない。元来
 △政府は四・五年前 米が安いと云うて引上げに苦心したのである其の時は自分も委員に挙げられたが、当時の方策として地方に農業倉庫を設けるとか、金融機関を設けて金利を安く貸しつけるとか、又は納税期には運輸機関を豊富にするとかに努めたものである。今日では引下に苦心すると云ふのは少し薬が利き過ぎたのである、此時に政府は間接の手段により引下をせず、直接に相場を定めんとするは
 △矛盾も甚しい 一体相場を人為的に定めると云ふ事は、畏れ多いが上御一人と雖も遊ばされまい、其に農商務省の手段は間違つて居る、昔徳川時代にも今日のやうな場合があつた時に、町奉行所では各戸前の在米高を調べ上げ、相場を定めた事が有つたが、終に此調節は失敗に終つた事が有る、それを今日又繰返すと云ふ事は拙悪な策で、自分の意見としては社会組織は有無相通で無ければいかん、自給自足とは社会組織に逆行するものと思ふ
 △孟子にも 自給自足を主張する者が自ら耕して米を喰つたが、其の米を焚いた釜は自給では無くして他の製造家の手に成つたものであると難詰されたと記してあるから、よろしく農家は盛んに米を産出し、商家は盛んに取引し、運送家は盛んに輸送を敏活にしてこそ初めて消費者は公平なる相場を以て需用を充すことが出来るものである、政府は此の明かなる理由を知らぬ事は有るまい、よろしく病源を探究して、間接的手段を執るべきである、徒らに市場を破壊し延いては社会問題を醸すやうな憂ふべき結果を作つてはならぬ

 - 第30巻 p.683 -ページ画像 

中外商業新聞[中外商業新報] 第一一六二九号 大正七年八月一四日 東京の群衆 日比谷公園から蠣殻町、深川佐賀町へ嵐の如く(DK300089k-0002)
第30巻 p.683-684 ページ画像

中外商業新聞[中外商業新報]  第一一六二九号 大正七年八月一四日
    東京の群衆
      日比谷公園から蠣殻町、深川佐賀町へ嵐の如く
米価暴騰に対する国民窮迫の叫びが関西方面の暴動となり、日に夜を継いで血腥い事件が勃発しつゝあるが、東京方面は丁度颱風襲来を控へた時のやうな、薄気味の悪い静寂を保つて居た
◇警視庁でも万一を慮り、其際多数人の会合する様な事を禁止したが十三日夜は日比谷に市民大会をすると触れた者があつたので、同公園は夕刻から納涼を兼ねた弥次馬が音楽堂前の椅子場を占有し、八時頃迄に約五百人許り集まり、書生らしい男が二・三人現れ
◇米価暴騰に関する慷慨演説をしたが、弥次馬に「米は高いが声は低いぞ」などゝ椰揄はれるのもあつて、一抹の滑稽味を漂はしてゐた、丁度八時半頃になつて、百五十名許りの警官が手に手に提灯を翳して正門から入り込んで群衆に解散を命じたので、一同は口々不平を零しながら正門から雪崩を打つて出ると、公園前の料理店平野屋がそれ
◇暴民襲来と許りに一斉に電気を消すと、弥次馬は面白半分に投石して店頭を毀し、之を血祭に数寄屋橋から銀座尾張町へ出で、銀座通りの大木屋呉服店・玉屋眼鏡舗等、大通の左側は殆ど軒並に窓硝子・看板等を破壊しながら、築地から新富町通りに殺到した時には人数約一万人、米屋や
◇水菓子屋の店先を荒し、八丁堀では電車に投石して之を止め、何の罪もない乗客を下車せしめたり、子供染みた悪戯をして、茅場町から米穀取引所へ向つた頃には其数約二・三万と註された
  ◇蠣殻町
    取引所附近最も大葛籐
午後九時頃北島町通りにて警官隊に制せられつゝ、茅場町方面に前進したる数千の大群は、期せず米穀取引所に向ひ、茅場町交叉点附近は
△無事通過し、鎧橋を渡りて蠣殻町停留場より左に曲り、米穀取引所方面に押入らんとしたるも、多数の警官が小網町入口を固めて遮り、群衆は鎧橋際より蠣殻町通り一面に潮の如く落ち、二万と註せられたり、群衆の一部は二丁目九番地より蠣殻町交番方面に進まんとしたれども、此処にも警官隊
△厳重警戒して突破する術なく、其処此処にて警官と群衆とが閧の声を挙げて糶合ひを演じ、警官中負傷したるもあり、同町一丁目三番地先にて揉合ひを始め、之を制せんとして接近したる正力方面監察は、渦巻の中に巻込まれ後頭部に重傷を負ひ、鮮血淋漓たるを拭ひもやらず群衆の制止に従ふなど、一時
△殺気漲りしも、多数の警官繰出し来りしかば群衆は気勢を挫かれ、前後へ動揺めくのみで遂に一歩も目的地帯に入るを得ず、亀島町方面に向ひしは十時半なりき、蠣殻町の米穀仲買店は群衆押寄せたりとの報あるや、何れも街灯を滅し屋内の電灯も点ぜず、堅く表戸を鎖して附近全く暗黒に化し、所々に巡査の白服の動ける様物々しかりき
  ◇北島町を中心に投石して歩く
鎧橋際に集合したる万余の群衆は、警官隊警戒厳重にして到底突破し
 - 第30巻 p.684 -ページ画像 
得ざるより、午後十時半取引所を断念して、閧の声と共に橋を渡つて右に折れ、南茅場町通りを進行し、程なく二隊に分れ、一部隊は其儘前進して電車通りに出で、永代橋方面に向つて五百余の集団ぞろぞろと押しかけ、霊岸橋際まで来て右に折れ、亀島町河岸通りに入り、玆に比較的警戒の手緩きより左右の店に投石して、窓硝子・軒灯等を破壊しつゝ進行したるも、人数漸次に減じて、亀島橋附近に至りて消滅し、一方南茅場町より右に折れ電車通を横切つて亀島町仲通りに繰込みたる数は、数千と註せられ、長さ数丁に亘りしも、時々硝子戸を破壊する程度の行動にて、沿道被害は少かりき、多くは附近の弥次を加へたる烏合の勢にして、北島町通りに出で何等不穏の挙動なく、再び茅場町方面に向へり(十一時)
  ◇佐賀町方面の警戒
深川佐賀町は米穀取引所附近に大群衆押寄せたりと聞き、大に恐れ人心恟々たりしが、幸ひ事なく永代橋南際には多数の警官隊万一を警戒し、橋の中央にて私服正服の巡査多数陣取りて警戒怠りなかりき(十一時)
  ◇桜橋で一先づ解散
午後十一時に至るも茅場町停留場附近の群衆尚ほ退散せず、警官に追はれては集まり、集まつては散り時々喊声を挙げて突進するも、烏合の衆団とて忽ち警官に圧せられて、ワッショワッショと坂本公園内に繰込みたるが、再び電車通りに出で、北島町通りより電車道に沿ひて新富町に向ひたるが、進行中八丁堀の八十四銀行の京橋支店の表戸を破壊し、更に進んで桜橋際に至りて、南八丁堀川崎銀行京橋支店、及び東京精米株式会社桜橋売場前に凝議して乱暴を働き、遂に同銀行支店及び同売場の表戸・窓硝子等を散々破壊して、閧の声を挙げつゝ桜橋を渡つて新富町交番前に差蒐るや、突如何処とよりもなく大部隊の警官隊現れて喰ひ止め、遂に四散せしめ得たり、時正に十四日午前零時


中外商業新報 第一一六三二号 大正七年八月一七日 ▽十四日以後の東京府(DK300089k-0003)
第30巻 p.684-686 ページ画像

中外商業新報  第一一六三二号 大正七年八月一七日
    ▽十四日以後の東京府
      十四日の状況
午後六時頃より日比谷公園及其附近に蝟集したる群衆は、退散を命ぜられしより帝国ホテル前通りに集り、其数約数千に達するに至り、遂に山下橋より銀座方面に出で、店舗に暴行を為したるものあり
一部の群集約七百名は芝烏森吾妻屋旅館其他芸妓屋・派出所等に投石したるものあり、愛宕警察署に向ひたるも退散せしめられたり
一方浅草駒形劇場に於ては、米価調節閣臣弾劾政談演説会を開催の予定なりしも、会場使用方を謝絶せられ、開会に至らざりしにより、劇場附近に集りたる三百余の者は一団となりて浅草公園に雪崩込み、漸次増加しつゝ上野公園に至り、約三千の集団となりたるも暴行等を為さず、其他市内所在に集合する群集は往々左に述ぶるが如き暴行を為すものありしが、十五日午前二時平穏に帰せり
一、浅草区吉原廓内に約千余名の一団ありて、附近民家に投石せるものあり
 - 第30巻 p.685 -ページ画像 
一、日本橋区箱崎町四丁目三井倉庫附近に約一千の群衆あり、投石する者あり
一、約一千の群衆浅草区猿屋町某白米商を襲ひ、転じて同区南元町警察署に来り投石するものあり
一、浅草区南千住通・山谷町・浅草町附近に約一千の群衆あり、附近の米店を襲ひ、内約五百名は南千住に移り、二・三米商に対し廉売を強請したる後、大橋方面に退散せり
一、白木屋呉服店附近にて各方面より集まれる群衆約四・五団となり江戸橋・四日市町・兜町一帯を練り歩き、沿道八ケ処にて投石したる者あり
一、約四百の群衆中、新富町某自動車店に対し暴行を為したる者あり
一、約一千名の集団茅場町方面より築地方面に向ひつゝ、沿道商家に投石せる者あり
一、約五・六百の群衆、三越呉服店前より室町巡査派出所に押寄来りたり
一、神田区今川小路派出所前に於て、約四百の群衆同派出所の硝子戸を破壊し、須田町方面に向ひ、更に鍜冶町松屋呉服店に押寄せ投石し、硝子戸を破壊せり
一、約五・六百の群衆、深川区東町巡査派出所に来り、投石したるものあり
      十五日の状況
午後六時前後に至り日比谷公園に約百人の群集あり、軍隊の出動を見て退散せしも、七時頃には再び約三百名計り群集せしを以て、警戒員は之を退散せしめたり、群集は日比谷交叉点附近より警視庁消防部前に停滞し、其数約一千に達し、漸次数寄屋橋方面に向ひ、益々増加して約一万を算し、築地方面に向ひ精養軒・逓信省・農商務省等に多少投石、硝子戸数枚を破壊したる後、徐々銀座方面に引返し、尾張町より有楽橋方面へ退散せり
上野公園附近は午後八時過に至り広小路一帯に約一万の群集あり、沿道店舗に投石し、或は自動車・電車の進行を妨害投石するものあり、一部は神田方面に流れ小川町停留所附近に於て暴行を始め、他の約三百は本郷切通坂を上り民家数戸の硝子戸を破壊したり、而して午後十二時を過ぐるも黒門町附近には頑強なる一団ありて、容易に解散せざるを以て、五・六十名検束したるに漸く退散せり、叙上の外、前日同様市内及郡部の一部に幾多の群衆横行したるも、十六日午前一時三十分に至り漸く常態に復したり
 追て前記の外騒擾せし群衆は大略別記の通り
一、浅草公園池の端より吉原土手迄約五・六千の群集あり、一銭亭及小松橋巡査派出所を包囲投石す
一、千住大橋外天王山境内白米廉売所に約一万の集団を見しも、十時頃に至り三々伍々解散したり
一、本所押上に千余名の群衆あり、米屋二軒に暴行し、夫れより富士瓦斯紡績会社に至り投石す
一、神田小川町にありし三・四百の群衆は、淡路町巡査派出所の硝子
 - 第30巻 p.686 -ページ画像 
戸を破壊したり
一、内藤新宿町三の四〇白米商坂田源太郎方に五・六十の群衆来り脅迫しつゝありとの急報に接し、直に警戒員を派遣解散せしむ
一、数寄屋橋にありたる約二千の群衆は、演説ケ間敷ことを言ひ電車の進行を妨害したり
一、午後十一時頃に至り四谷区内に約一千の群衆を生ぜしも暴行するに至らず、次で群衆は四谷警察署附近に赴きたるも何事もなかりし
一、厩橋附近に約百名の群衆あり、電車に投石す
一、本所梅森町附近の貧民等附近の米屋に「一升二十銭」の貼紙を為し、硝子戸を破壊したり
一、午後十一時四十分寺島村米商長崎長尾方に約三十名の群衆至りしに、店頭に「本日より日本米廿五銭に売却云々」の貼紙あるを発見凱歌を奏して引上げたり
      十六日の状況
十六日午後九時頃日比谷公園音楽堂前に約二百、本所松代町附近に約三百、同押上電車終点附近に約一千の群集あるも、未だ暴行に出でたるものなし
上野公園前に約八千、三橋附近に約一千の群集あり、午後十一時漸次逐はれて只今万世橋に在り
須田町に約二千の群衆あり、日本橋方面に向ふ
四谷区荒木町に約一千人の集団あり
押上にありたる群衆は千住方面に向へり、何れも暴行に出でたるものなし(以上午後十一時)


中外商業新報 第一一六二九号 大正七年八月一四日 貯米強制買収 国庫金一千万円支出決定(DK300089k-0004)
第30巻 p.686-687 ページ画像

中外商業新報  第一一六二九号 大正七年八月一四日
    貯米強制買収
      国庫金一千万円支出決定
諸物価の公定価格の設定は多少考慮を要すべきに付、此の際政府は外国米の廉売を一層普及するに勉むると同時に、国内の貯蔵米に対し強制買収の方法を定め、米穀供給の途を滑かにする為め、先以て国庫より壱千万円以内の金額を支出せむとす(内閣公表)
  ▽強制買収実施
    仲小路農相説明
 別記貯蔵米の強制買収に関し、仲小路農相の語る所左の如し
米の暴動に関しては、自分は勿論首相を始め各大臣何れも大いに憂慮し、本日臨時閣議を開催し事後の方針を協議せし結果、外米は今後も引続き輸入を図り、内地米に対しても将来高低甚だしきに於ては、或は価格の公定を図るやも知れざれど、此事たるや実行上大に考慮する必要あれば、場合によりては広く社会の知識を網羅して其方法を討究せんも、差詰め目前の事象に対して看過する能はざれば、応急の施設として、過般来調査を遂げし在米及貯蔵米を必要以上に所有せるものより強制的の買収を行ひ、一般の為め配給分布する事とし、之が為め必要なる金額として取敢えず一千万円を支出する事に決せり、此目的を貫徹する為め、米穀の輸送及其取扱ひにも便宜の方法を講じ、必要
 - 第30巻 p.687 -ページ画像 
なる費用は一切国庫に於て負担し、相当なる価格を以て売下げ、一般に配給する方針なり、之が為め内務・農商務の両省は主として其局に当り、地方長官其他公吏、或は直接米穀に関係を有する米穀検査官の如き当該官吏は、全部網羅して尽瘁する考へなり、本省に於ても直ちに道家農務・岡商工・片山外米の各局部長、及副島・立石・河合の各書記官を以て之が事務を管掌せしむる事とし、地方長官へも此趣旨を直ちに電訓せり云々
 ▽当局談
 御内帑金御下賜、並に強制買収に関し、政府当局の説明する所左の如し
本年に於ける米価の暴騰に就ては、時局の影響・米穀市場の取引関係地方蔵穀店の売惜み、其の他種々の原因あるべしと雖、国内に於ける在穀未だ全く匱乏を訴へざるにも拘らず、凶歳以上の変調を来たしたるは、実に稀有の現象と謂ふべく、之をしも自然に放任せば前途信に寒心すべきものあらむとす、聖上深く之を御軫念あらせられ、特に御内帑金を下賜して救済の資に充てさせ給ふ、聖恩の渥き恐懼の至に任へず、政府は此の大御心を拝戴して、倍々現下の窮情を救済するの緊急なるを認め、差当り国庫金一千万円以内を支出して、国内貯蔵の米穀を買収し以て廉売の方法を取り、尚必要に応じ強制買収の方法に拠る事に決定せり、之を実行するに方り、所在の米穀貯蔵者は進んで政府の買収に応じ、其の目的を達成せしめざるべからず、而して政府は一方に於て右の救済方法を実行すると同時に、一層外国米の廉売普及を図り、更に進んでは諸物価の公定価格を設定することあるべしと雖斯の如き時艱を救済するには独り政府の応急施設に止まらず、余材ある都邑有力者は国家の為、各自義侠心を奮起して人心の安定に努力し以て政府の施設を翼助せられむことを望む


竜門雑誌 第三六四号・第六四―六五頁 大正七年九月 ○東京臨時救済会(DK300089k-0005)
第30巻 p.687-688 ページ画像

竜門雑誌  第三六四号・第六四―六五頁 大正七年九月
○東京臨時救済会 東京商業会議所にては八月十五日午前八時より緊急役員会を開き、米価暴騰救済策に関して協議を凝したる結果、青淵先生・中野武営・藤山雷太の三氏発起人総代となり、井上府知事・田尻市長の両氏を顧問とせる東京臨時救済会を設立するに決し、午後一時より会議所特別議員及常議員会を開催し、引続き三時より京浜の有力なる実業家六十余氏の来集を求めて寄附金の勧誘を為すことに決し正午散会したる由なるが、同会への寄附金筆頭として、曩に募集したる東京風水害救済会の残余保留金拾五万円を支出して之を臨時救済会に寄附する事に決定せりと云ふ。
 斯て同日同刻より来集せる実業家諸氏と相会して、藤山会頭より東京臨時救済会設立趣旨並に設立事項承認を求め、次で井上府知事・田尻市長より交々廉米配給現況及び多額応募の希望等を述ぶる所あり、尚ほ形式上同会の会長に青淵先生、副会長に中野・藤山両氏を挙げ、同四時半散会せる由。
 因に同会に於ける救済資金募集広告文は左の如くなりき。
      広告
 - 第30巻 p.688 -ページ画像 
 今や米価を始め一般物価騰貴に基く生活の困難は、終に重大なる問題を惹起するに至る、是に於て乎、当面の急を救済するには応急策による外なし、而して応急策は米を廉売し其他一般救済の方策を講ずるにあり、陛下畏くも内帑三百万円御下賜の優渥なる御諚を下され政府又一千万円の支出を決せり、吾等も又刻下の状態を憂慮し、有志相謀り東京臨時救済会を設立し、広く世の同情を求め、遍く同志を募り進んで当局者と協力し、大に之が救済資金を蒐集せんとす、冀くは本会の目的を賛し、之が遂行を援助せられんことを
  大正七年八月
            東京臨時救済会
                会長  男爵 渋沢栄一
                副会長    中野武営
                副会長    藤山雷太
                顧問     井上友一
                顧問  子爵 田尻稲次郎


中外商業新報 第一一六三一号 大正七年八月一六日 ○即座に四万円寄附申出ありし臨時救済会 会議所を中心の活動開始(DK300089k-0006)
第30巻 p.688-689 ページ画像

中外商業新報  第一一六三一号 大正七年八月一六日
    ○即座に四万円寄附申出ありし臨時救済会
      会議所を中心の活動開始
東京府下に於ける米の廉売並に其他臨時的の救済を施す目的で、商業会議所を中心の東京臨時救済会が渋沢男の発議により、中野武営・藤山雷太氏等の
 ▽主唱で、十五日成立するに至つた、案内によつて其日午後三時井上公二・井上準之助・岩崎清七・早川千吉郎・服部金太郎・堀越善重郎・山下亀三郎・桜井鉄太郎・内藤久寛・福井菊三郎・青木菊雄・竜居頼三・門野重九郎・塩沢昌貞・柿沼谷蔵・酒井泰・木村徳兵衛・阿部吾市・渡辺勝三郎・市村栄治郎・清水釘吉・伊藤幹一氏等を始め、会議所議員の多数集合の上、藤山東商会頭は
 ▽渋沢男 の懇篤なる手翰を朗読して、救済会発起の次第を披露し中野武営氏を座長に推し議に入り、井上府知事先づ左の希望を述へた
 府は差当り外米一升十銭、朝鮮米三十銭で廉売する事にしたが、出来得る限り多くを買つて、出来得べく多く広く廉売する積りである此際大方の援助を切望するが、同時に外米並に朝鮮米に対し上流家庭の需要を切望する
と、続いて田尻市長も社会救済事業の必要なる事より協力的
 ▽尽力を 望み、一同は救済会の規約を直に承認し、会長に渋沢男爵を、副会長には中野武営氏と藤山東商会頭を挙げ、常務委員には会議所役員を、又評議員としては当日の来会者其他の有力者二百八十余名を推す事となつた、寄附金は府と市に其の都度協議して分配して機宜の処置を採る筈であるが、彼の昨年秋の東京風水害救済会の寄附金残額十五万円をも今回の救済会に
 ▽善用す る事になつた、当日即刻に寄附申出たは左の諸氏であつて、合計金三万七千百円に達した
 △五千円宛 団琢磨・藤山雷太・山科礼蔵・柴田清之助△三千円早
 - 第30巻 p.689 -ページ画像 
川千吉郎△二千円宛 福井菊三郎・守谷吾平・杉原栄三郎△一千円宛 中根虎四郎・徳田孝平・大塚栄吉・今川橋松屋呉服店福原有信△五百円宛 稲茂登三郎・田村市三郎・竹内林之助・栗原久米吉△三百円宛 関根親光・脇田勇・羽田如雲・江藤甚三郎△二百円宛 角倉賀道・高野亀次郎・笠原小十郎・篠田和助△百円内藤彦一、以上合計金三万七千百円也


東京日日新聞 第一五〇二七号 大正七年八月一七日 臨時救済会成る(DK300089k-0007)
第30巻 p.689 ページ画像

東京日日新聞  第一五〇二七号 大正七年八月一七日
    臨時救済会成る
      ○渋沢男を会長として帝都の実業家を網羅し
      細民の窮状を救ふべく=一昨日商業会議所に会合
渋沢男を筆頭に、中野武営・藤山雷太氏等の東京商業会議所員発起人となり、井上府知事・田尻市長等顧問の下なる東京臨時救済会の創立第一回総会は、一昨午後三時より東京商業会議所内会議室で開かれた前記諸氏の外、近藤廉平男・塩沢博士・早川千吉郎・団琢磨・福井菊三郎・堀越善重郎・岩崎清七氏等実業家
◇約一百名集合 し、中野武営氏座長席に着き、藤山会頭は先づ趣旨を述べて後『今渋沢男は伊香保に避暑されて居るが、此の会が開かれると聞いて中野さんと私に宛てゝ「此の際廉売市場を設立して広く窮民を助けられたい、其の費用は吾々実業家を始め一般富豪で寄附して貰ひたい、尚其の救済方法は井上府知事や田尻市長に一任されたし」と来状がありました』と説明をなし、続いて
◇井上府知事 は「昨年の風水害以来、再び玆にお願に出ねばならぬのは慚愧に堪へない次第であります、今の場合東京府では内地米の節約を図るために外米の押売りして居り、朝鮮米は本日(十五日)農商務省に迫つて一升卅銭に売る事にしました、上流実業家諸氏にも大に外米使用を奨励せられんことを切望いたします」と述べ
◇田尻市長は 『日本米は深川になくとも日本には吾々の食べるに充分な程あることが知れた、外米も安く売るが日本米も安値で需要に応ずることに市では決して居る、市には少しは残つた金がある、今は寄附を待ずしてそれで間に合はす積り、それがなくなつたら寄附金でお願ひする』といふ、次で近藤廉平男より本会の会長に渋沢男を、副会長に中野武営・藤山雷太氏を推すことに提議して可決し、事務所は東京商業会議所に置くことにした


渋沢栄一書翰 杉田富宛 (大正七年)八月二〇日(DK300089k-0008)
第30巻 p.689-690 ページ画像

渋沢栄一書翰  杉田富宛 (大正七年)八月二〇日     (杉田富氏所蔵)
○上略
米穀之価格暴騰より相生候暴動ニ付而ハ、貴方ハ東京より一層激烈と相見ヘ候ニ付、定而御心配も被成候事と存候、鈴木氏ニ対する暴行ハ何様之姿ニ有之候哉、其他ニハ家屋焼滅とか破壊抔申事ハ無之候哉、而して其破壊焼失之挙ニ出候手続等も、新聞紙ニても明了ニ無之候ニ付、御分りニ候ハヽ御示し被下度候、今般之暴動ニ付而ハ京都抔ハ新平民、所謂特種部落之人別而暴挙相働候由申唱候、右等も事実ニ候哉実ニ人情反覆若翻手と申古言と等しく、昨日まて諸工業抔ニハ満足之
 - 第30巻 p.690 -ページ画像 
景気を唱ヘ、国家之富力何程迄ニ増進候哉と、我も人も相慶祝せし社会か、一朝奈落之底ニ陥り候程之悲観と相成候ハ、人情程定見無之ものハ有之間敷と申候外無之義ニ御坐候
老生ハ月初より伊香保ニ避暑せしも、右之暴動ニ付十六日より帰京、兎ニ角人気緩和之為め一時之救済会を組織し、目下之救護方法と米穀輸移入之方法等まて諸官衙等巡回引合相済候ニ付、昨夕再応当地ニ罷越候義ニ候
東京ハ被害之程度貴地之如きものニハ無之、只単ニ野次馬輩之面白半分之悪戯ニ過さる様ニハ候得共、毎々斯之如き暴挙相生候様ニてハ、真ニ将来が思ひやらるゝ義ニ御坐候、右来示ニ対する拝答と共に近況可得貴意、如此御坐候 匆々敬具
  八月二十日               渋沢栄一
    杉田富様
        梧下
○下略
  神戸市栄町四丁目
                   伊香保
     第一銀行支店
                   木暮別館
      杉田富様
                    渋沢栄一
             拝復親展
  八日二十日


渋沢栄一書翰 八十島親徳・増田明六宛 (大正七年)八月二二日(DK300089k-0009)
第30巻 p.690 ページ画像

渋沢栄一書翰  八十島親徳・増田明六宛 (大正七年)八月二二日 (増田正純氏所蔵)
○上略
爾後東京ハ小康之由、果して真ニ終局と安心し得られ可申歟、夫ニ付而も例之収用令を悪用せすして、従来之米穀商ニ安心之営業出来候様切望之至ニ候
○中略
第六天御邸三輪氏より、臨時救済会ヘ寄附金之義ニ付問合有之候間、御邸ヘ回答いたし置候、御心得まて申進候
○中略
  八月廿二日               渋沢栄一
    八十島親徳様
    増田明六様
          各搨下
  東京市日本橋区兜町
                   伊香保
     渋沢事務所
                   木暮別館
      増田明六様
                    渋沢栄一
           要件親展
  大正七年八月二十二日
 - 第30巻 p.691 -ページ画像 


渋沢栄一書翰 杉田富宛 (大正七年)八月三〇日(DK300089k-0010)
第30巻 p.691 ページ画像

渋沢栄一書翰  杉田富宛 (大正七年)八月三〇日     (杉田富氏所蔵)
○上略
米価騰貴ニ対する緩和策として、過日来廉売方法相立、一方富豪之寄附金を募集致居候、是ハ所謂一時之応急策ニて、決而根治之療法とハ難申ニ付、頃日来老生も右寄附金募集及将来之善後策ニ付而も、色々と憂慮罷在候も、妙案も不相生、偖々浮世ハ斯くまて面倒なるものかと、真ニいやニ相成申候、寧ロ青年時代之向フ見すニ攘夷鎖港とか、又ハ階級制度打破抔と快を一時ニ取候際ハ、或時ハ雄気勃々と快哉を唱候事共も有之、往事を回想して感慨更ニ深きを覚申候
老生本月々初より伊香味ニ避暑いたし候処、前陳米価暴騰之件ニ付十六日より帰京、廉売方法ニ関する救済会設立後尚又同地ヘ避暑いたし候も、廿五日より全く帰京、爾後日々奔走罷在候 ○中略
  八月三十日
                      渋沢栄一
    杉田賢台
        拝復
○下略


竜門雑誌 第三六八号・第四三―四七頁 大正八年一月 ○米価暴騰善後策(青淵先生)(DK300089k-0011)
第30巻 p.691-694 ページ画像

竜門雑誌  第三六八号・第四三―四七頁 大正八年一月
    ○米価暴騰善後策 (青淵先生)
 本篇は聊か時機遅れの感あれども、昨年八月米暴動の起れる際青淵先生が執られたる態度にして、九月十五日発行の「実業之世界」に掲載せるものなるを以て、後日の参照の為め玆に転載するものなり
                         (編者識)
△車中の夕刊を閲て驚く 私は元来別荘なんか持たぬといふ主義である。私には爾んな事をして傲奢を誇らうなどとの気も無ければ、又別荘を持つて楽まうとするほどの風流気も無いのだが、いろいろ縁故があつて頼まれ、それや之れやで、順繰りに時折り箱根へ行つたり湯河原へ行つたり、伊香保へ行つたりする。本年の夏も斯んな関係から伊香保へ行く事になり、七月四日朝出発したのだが、之れより先き二日発行の新聞であつたと思ふ――富山県滑川に米価の暴騰から、女一揆の起つた事が掲載されてあるのを読んだ。滑川は去る六月北陸巡遊の際に通過し、又古い頃にも一度通過せる事あり、多少その土地の事情にも私は触れてるが、同地は海岸の漁村で男子は年々北海道へ漁業の為め出稼ぎし、女子が留守居をする土地柄である、故に滑川の女は女と謂つても名ばかりで、しほらしい点なんかの殆んど無い男のやうな女のみである。それで、騒ぐやうにもなつたのだらうが、古来日本といふ邦は如何に景気が好くつても、米が高くなれば人気の悪化するに至るのが例だから、米価騰貴の昨今、幸ひ大事に至らねば可いがと思つたものゝたゞ多少の懸念を持つたのみで、其儘伊香保へ出発してしまつたのである。
 私は数年来「修養団」といふ青年団体に関係し、少しばかり其の世話を試みて居るが、同団では年々夏期講習会の如きものを開くのが例
 - 第30巻 p.692 -ページ画像 
だ。これまでは磐梯山だとか、赤城山だとか、或は富士の裾野だとかに開かれてたので、その度毎に出席を勧められはしたが、老人の足には少し合はぬと思つて見合せて居つたところ、本年は日光の中禅寺湖畔で開くから従来の関係上抂げても是非来会し、一場の講演をしてくれよと促され、然らば八月十一日伊香保を出発し、日光へ赴く事にしたのである、その夜は日光に一泊し、翌十二日又伊香保へ帰らうとする汽車の中で、夕刊の「東京毎夕新聞」を読むで見ると、京都は多少動揺しかけて来て、穏かならぬ形勢を醸すに至つた事が掲げてあつたその日の朝刊には一向それらしい形勢に就ての記事も無かつたのに、突然夕刊に載つてゐたのだから、その記事には多少誇張した処があるのでは無からうかと思つたが、兎に角輦轂の下たる帝都には斯る不祥の騒擾を起させ度無いものだと心に念じ、伊香保へ帰つたのである。
△東京臨時救済会開設 然るに、十四日の朝刊新聞を披見に及ぶと、早や東京にも騒動の起つた事が掲載されてある。さてさて困つた仕儀になつた事だとは思つたが、斯う成つてしまへばもう致方は無い。いろいろ此際解決すべき根本問題もあるに相違無いが、差当つての応急所置としては寄附金でも募り、目前の危機を緩和するより他に道が無からうと考へ、同日午後幸ひ帰京する人のあるのに托し、中野武営及び藤山雷太の両氏へ長文の手書を送り、斯る際にはお互が先達となり斡旋するのが従来の慣例に成つてるから、若しお互が差控へた為め、他に寄附金募集の企てを懐く篤志家があつても、私共に遠慮して見合せでもすれば不利故、兎に角お互が主唱者となり、寄附金でも募る事にしては何うか、既に斯る計劃が東京にあるものならば勝手に私の名を利用してくれ、必要とあれば何時でも直ぐ私は帰京するから、と申入れてやつたのである。
 十五日には時々刻々前日来の東京の模様を電話で報告して来るので私も彼是れ心配になり、予め電話で打合せ置きたる上、一先づ取り急ぎ帰京するに決し、十六日早朝伊香保を発し、午後着京するや否や直に兜町の事務所に入り、中野・藤山両氏の来駕を請ひ、なほ実地の事情を知る必要もあらうと考へたから、有力なる正米商三・四人を招きその意見をも聴取した上で一同凝議する事にしたのである。席上は、不取敢東京臨時救済会を開設し、寄附金募集を開始する事に相談を纏め、同夜直に之を発表したのであるが、その際私共が会見した三・四正米商の意見は、米価今回の暴騰は、政府の親切が余りに過ぎて干渉之れ事とし、暴利取締令やら管理令やらを公布したのに祟られたもので、之が為め地方の蔵米家をして売惜みを為すに至らしめたるに原因し、必ずしも米穀商か非常なる暴利を貪りつゝあるわけで無い(商人ゆゑ全く利を取らぬとは言はぬが)といふにあつたのだ。私共も政府の親切過ぎた極度の干渉が、米価暴騰の因を成したものであるとの意見には一致して居るので、この上は、止むを得ぬ事だから、当時既に世上の噂に上りつゝあつた穀類収用令だけを、せめて公布してもらひ度く無いとの希望を持つたのである。
△根本策は通貨収縮 さて東京臨時救済会の開設だけは十六日夜不取敢発表して置いたが(一)如何にして寄附金を誘導すべきか(二)寄
 - 第30巻 p.693 -ページ画像 
附金によつて米穀の廉売を行ふにしても、府市と如何なる関係を取つて之を実施すべきか(三)寄附金は全部之を廉売の補給に充当すべきものか、将又その一部を割いて公設市場を開設するとか、安価食堂を設置するとかいふ如く、永久的施設の資金に供すべきものか、若し後者を可とすれば其の方法如何等に就き、猶ほ詳細の協議を遂ぐる必要があつたので、翌十七日午前十時より東京商業会議所へ中野・藤山・私の三人の外、なほ三井・三菱両家の代表者にも参集を請ひ、三井より団琢磨氏、三菱よりは木村久寿弥太氏が出席し、それに学者の意見をも参考に供する必要があるからとて、阪谷法学博士の参会をも求め六人で熟議を凝したのであるが、米価はじめ諸物価の騰貴を防止する根本策は、通貨の収縮を計るにあるとの意見には一致したるものゝ、応急策としては時勢の要求に従ひ、寄附金により米価の廉売を行ふより他に道はあるまいとの事になつて之に一決し、なほ予ねて懸念しつつあつた米穀収用令は、前夜(十六日夜)公布になつてしまつたから之が適用を成るべく差控へてもらうやうに、政府当局者へ申入れることにして散会し、午後私は東京臨時救済会代表者として寺内首相を訪問したのである。
 私が寺内首相を訪問した際には、既に先客があつて、一時間ばかり待つた後に漸く会見するを得たのだが、私は東京臨時救済会発起以来の経過を具に談り、政府の善意は素より之を諒とするも、親切が過ぎて激しき干渉となり、却つて米価を激騰せしむるに至つた所以を縷々陳述し、この上は米穀収用令を、成るべく実際に適用せざらん事を望み、物価の騰貴を調節する根本策としては、通貨の収縮を実行せられたき旨を申入れたのである。その際私は今二億万円の通貨を二割収縮して一億六千万円にすれば、物価も之に正比例して二割低落するものだとまで予め断言し難く、低落の割合は果して何んなものか実際に当つて見ねば判明せぬが、兎に角通貨を収縮しさへすれば物価は何分か低落するに相違無く、さればとて、世間の一部によつて杞憂せらるゝ如く通貨の収縮は直に産業の不振或は頻々たる倒産となつて不景気を招致するにも非ざるべく、多少の金利を高め一時輸出が少しばかり減るぐらゐに過きぬだらうとの意見をも申述べたのである。之に対し寺内首相は「なに?そんな馬鹿な事は聞く必要が無い」といふ如き驕慢の態度を以つてせられず、頗る恭謙の態度で熱心に私の申す事をも聴取せられ、「よく熟考する事にする」との答えであつた。
△東京市会に望む点 翌十八日は日曜日であつたのみらず、騒動も漸く鎮静の模様に見へたから、別に協議会を開かず、その翌日の十九日には又午前に、中野・藤山・私の三人が商業会議所に参集して種々協議を重ねたる上、私は先づ農商務省を訪問して上山次官に面会を遂げそれより井上東京府知事・田尻東京市長を歴訪して、東京臨時救済会の事業経過を報告し、之で一段落が付いたやうにも思つたから、同日午後再び伊香保に向つて出発し、廿五日家族を纏めて帰京することにしたのである。
 爾来、連日東京臨時救済会は東京府知事・東京市長と密接に接触を保ちつゝ事業の進行を計つてゐるが、寄附金は幸ひにも百万円以上に
 - 第30巻 p.694 -ページ画像 
達したので、之を如何に処分すべきか、又目下施行中の米廉売は早晩米価も低落するであらうから之を打切らねばならぬが、如何なる方法によつて之を打切るべきか、廉売打切後の処置如何等に就き予め協議を遂げ置く必要ありと認め、廿八・廿九の両日に亘り、井上府知事・田尻市長の出席をも請ひ、中野・藤山・私と都合五人で種々考案を廻らしたのである。
 騒動突発以来、東京市は米廉売を実施せる為め、補給費として八月廿五日までに約七十五万円を支出したことになるさうだが、当今の東京市会議員及び市参事会員には、市民の負担を成るべく軽減しやうとする意見行はれ、何かにつけ市費の支出を惜まるるので、この七十五万円なども、東京臨時救済会に集つた寄附金の内から補塡してもらひ市費を支出せずして済まさうとの意らしく、廿九日商業会議所内で開いた救済会の協議会へ出席された田尻市長は、是非その七十万円を救済会から貰らつて来よと、市参事会より仰付かつて来たとの事であつた。市は廉売の補給に要した七十五万円を救済会から支出してくれさへすれば、その代り市費で公設市場の施設を完成する事にするといふのださうだが、公設市場や安価食堂の設置は将来のことだから、市会の意見が其時になつて何う変るものか、今より逆睹すべからざるものがある。然るに、救済会が其の集め得た寄附金の大部分を、廉売補給費に充当する為め市へ引渡してしまつてから後に、扠て市では公設市場も安価食堂も設置してくれぬといふ事になれば、救済会でも困つた立場に陥らねばならぬゆえ、東京市もチヤンとした決議により、若干の額を支出して斯く斯くの事業をするから、之に対し救済会からは、何々の費途に向つて何れ丈けの金額を支出してくれといふやうに、市も余り寄附金ばかりをアテにせず、少し市自身として身銭を切るやうにしてもらいたいものだと私は思ふのである。


竜門雑誌 第三六四号・第六五―六七頁 大正七年九月 ○米廉売と小売商に就て(DK300089k-0012)
第30巻 p.694-697 ページ画像

竜門雑誌  第三六四号・第六五―六七頁 大正七年九月
○米廉売と小売商に就て 八月十九日正午、青淵先生は東京市に田尻市長を訪問せられ、白米廉売に関する府市の関係並に市の内地米廉売状況等を聴取せられたる上、進んで自ら其の意見を開陳せられたる由なるが、時事新報は会談後の先生談として左の如き記事を掲げたり。
 商業会議所では米の問題に就ては色々相当の事をやつて居るのであるが、自分は旅行中で充分な事情が分らなかつた為、現在の精しい状態を知る為と、打合せの為に市長を訪問した訳である、東京府・東京市も色々な種類の廉売を試みて居るので結構ではあるが、孰れも白米小売商を顧みないやうな有様で、白米小売商は困つて居ると思ふ。私は今後廉売をするにも白米小売商を経てやつた方がよくはないかと極力主張した所、知事も市長も同じやうな意見を持つて居たので甚だ喜ばしい、私は此外市内に外米を取寄せる事に努力したいと思つて居る。
○根本調節の要 八月拾九日の東京毎日新聞は、青淵先生談として左の如く報ぜり。
 今日米価の暴騰、諸物価の騰貴は国民生活を逐日不安ならしめ、大
 - 第30巻 p.695 -ページ画像 
正聖代の今日各地に忌はしき騒擾事件の頻発するに至りたるは、誠に痛歎の至りに堪へず、物価の調節を図り国民生活をして安泰ならしむるは今日の最大急務なり、然も米価・物価の調節は其根本に遡らざるべからず、今回設立されたる臨時救済会の如きは枝葉の問題にして、根本的調節は政府当局の施設を俟たざるべからざるが、之が為めに通貨の収縮を以て先決問題なりと思惟す、勝田大蔵大臣の如きも物価騰貴の最大原因は通貨の膨脹によることを知悉されつゝあるものゝ如く、頃日頻りに自己弁護に力めつゝある模様なるも、而かも大蔵大臣の執りつゝある政策は事実に於て通貨膨脹・物価騰貴の誘因を為しつゝあるが如し、又今回発布されたる穀類収用令の如きも、一度其運用の誤らんか、或は百姓一揆を惹起するやも計られざれば、政府当局は運用上機宜を失せざらんことを切望する次第なり。
○穀類収用令に就て 過般緊急勅令を以て公布せられたる穀類収用令に関し、青淵先生は左の如き意見を披瀝せられたる趣、八月二十八日の読売新聞は報ぜり。曰く
 穀類収用令に就ては、吾人は種々の方面より攻究論議を為したる結果、到底賛意を表すべからざるものなるに依り、其発布前に於て之が発布の中止を政府に勧告すべく協議中なりしに、政府は急遽之が発布を為したり。依つて吾人は屡首相及農相に対し、該令は威嚇に止め、抜かぬ太刀の功名に終りて、実施すること無からんかを力説勧告したるに、政府は今回突如収用価格を決定発表せり。吾人の立場としては、立法の趣旨に於て不同意なるが故に、実行に対しては不賛成なること勿論なり。
 政府が全国僅かに十数名の指定商を設け、之れをして地方在米の買入を為さしめ、買入輸送等に対して極力便宜を計り、尚且買入価格と販売価格の実損に対して補給を為すに於ては、全国に亘る多大の米穀商人は、買入に於ては指定商と同一価格にて買入れ、販売に於て市価底落の場合、指定商は政府補給の恩典あるに、一般米穀商は之が欠損を自己の嚢中より捻出せざるべからざるを以て、勢ひ指定商との競争困難となり、休業又は廃業せざるべからざる運命に立ち至るべく、玆に於て米穀の取扱ひは指定商に限らるゝに至り、其結果政府は、指定商に依つて内米全部の管理をも行はざるべからざるに至らん。全国津々浦々に対し、僅か十数名の指定商が、能く遅滞なき平衡の廻米配給を実行し得べきや否や、甚だ疑ひなき能はざるなり。政府の従来採り来れる米価調節策は、遺憾ながら統一なく、機に臨み折に触れての糊塗瀰縫策にして、大局を達観せず、従つて寸功なく、当局の焦慮と米価とは常に逆比例を為し来れり。今に於て当局の失政を糺弾するは死屍に鞭打つに等しけれども、頻々たる公定機関たる取引所立会停止や、暴利取締令に依る警告や戒告は、米価調節上に何物をも齎さざるにあらずや。政府は年頭に於て年度内の需給の過不足を考察し、不足の虞あるに対しては、予め之が補給の方策を講じ、需給の関係を円滑充実せしめて自然に委し、徒に小刀細工を為さざるを可とす、即ち関税を撤廃又は低減して外米の
 - 第30巻 p.696 -ページ画像 
輸入を自由ならしむると共に、米価も一般物価に支配せらるゝものなれば、一方物価低落の方策即ち通貨の膨脹を按配収縮せしめんには、今日の如き失体を暴露せずして止みたるなるべし、大蔵省当局の声明せるが如き通貨の膨脹は物価に影響せずとは、大なる謬見にして吾人の与する能はざる所なり。既往は尤めず、徒に失政の跡を発くも詮なし。今日に至りては米価に対する適当なる対策としては政府は幾多の疑義を有し物議を醸すべき収穀令等に執着せず、一意廻米の潤沢を図り特別に船繰りを行ひて、十月末までなどと謂はず急遽買付外米及台湾米の廻送に尽力するを妥当とす。一方に船舶管理令の制定せらるゝあり、当局は何ぞ断行の勇に乏しき。吾人は刻下の急務としては、特別配船をして、外米・台湾米の輸移入を速成せしむるに若かざるもの為りと信ず。尚収穀令等に依て、市価より遥かに低価を以て強制買収をなすに於ては、世道人心上に如何なる影響を与ふるや、吾人は過般全国に瀰蔓せる騒擾に想到して転た慄然たらざるを得す。我国人士の体中を流るゝ、武士は喰はねど高楊枝的耐忍廉恥の血も、或程度を超えんか勃発することなきを保せず生活の圧迫・脅威、強制買収の如き専制施設、世の識者は憂へざらんとするも得ざるなり。
○暴富者を戒む 九月二日発行の「東京日々新聞」は、青淵先生談として左の如き記事を掲載せり。
 △米暴動の原因 は、一面成金の跋扈に対する反感が偶然勃発せし事、司法省緊急会議に於て意見一致し、尚内務省にても同様の意見なり、而して九州方面に頻発しつゝある炭坑暴動は資本家の労働者に対する態度に起因せるものゝ如きを以て、政府は此事実に鑑み目下それぞれ攻究中なるが、此処に渋沢男は成金の反省、労働問題を中心とし
 △社会政策の実行 に全力を注ぐ事に決心し、若し物価調節調査委員に挙げらるゝ場合は之を辞退して此の方面に努力すべく、既に其運動に着手し居れり
 △渋沢男爵は曰く 成金の行ひは青年に忌むべき思想を起させる贅沢な振舞を慎ましむるは勿論であるが、金権に依つて物事を独占するのを防止せねばならぬ、吾々が国家の為に心配した毛織物会社の株を神戸の鈴木商店が買占め、重役を更迭せしめて権力を揮ふが如き其の一例である、私は近頃大金持に遇ふ毎に反省を促してゐるが此処に
 △成金連反省の同盟会 でも起れば私は卒先して尽力する、資本家対労働者の問題に就ては常に憂慮して居り、昨年初夏の交三井・三菱の関係者を初め、大橋新太郎氏や服部金太郎氏や、其他の金持連に銀行倶楽部に集つて貰ひ、資本対労働の関係を円滑に発達せしむるため、労働組合の如きも寧ろ之を設くることに助力するがよいと主張したが、何分意見の一致点を見ず今に懸案になつてゐる、其時大橋君の如きは『然ういふ事を唱へるのは宜しくない』と内々忠告されたが、私は所信を曲けず労働者側の友愛会にも好意をもち、是からは盛んにやる積りである、村井吉兵衛氏と主義を異にして離縁
 - 第30巻 p.697 -ページ画像 
になつた三島弥吉氏の如き人の輩出せん事を希望する、政府も社会政策に就ていろいろ骨を折つてゐるが、彼の穀類収用令の如きは不感服だから、先日寺内総理大臣と児玉翰長を訪ひ『無闇に収用令の権力を揮はないやうに』と意見を申述べ、更に上山農商務次官にも申述べて来た、近頃大金持が私の
 △主義主張を誤解 して、労働者の煽動でもするかのやうに思つてゐるが、私は何処迄も中正の主義を以て悪い制度は之を改め、良いと思ふことは進んで之を助成すべく、老後の一身を賭ける決心である云々
○下略


竜門雑誌 第三六五号・第七二―七三頁 大正七年一〇月 ○公設市場に就て(DK300089k-0013)
第30巻 p.697-698 ページ画像

竜門雑誌  第三六五号・第七二―七三頁 大正七年一〇月
○公設市場に就て 左は九月八日東京朝日新聞紙上に掲載せられたる記事及青淵先生の談話なり。
 公設市場設置に対し市内小売人が反対運動を開始し、従つて市会議員中にも反対意見を有するものありて一頓挫の姿なるが、右に就き東京臨時救済会々長渋沢男を訪ねて所感を聴く
 △男曰く 『議員諸君が如何なる理由で反対さるゝものやら、まだ私の耳には入つてゐないので、夫に就いて精しい意見は云はれぬが大体論を申上ぐれば、元々公設市場のことは救済会で集まつた約百二十万円の内から府市の米廉売費中へ提供した残額の一部を以て三四の模範的公設市場を拵へたらどうか、その成績如何によつて
 △府市は 之を増設するなり何なりすることが出来る。併し之は米の廉売とは違つて永久的の設備であるから、余程考へて市民大多数の利便を図ることが出来れば結構であると云ふ意見で、具体的の案を拵へて下さいと申して置いた次第である。夫れで議員諸君は之に対して無暗に反対する理由はないと思はれるが、
 △如何な ものであらうか、若し市の金で公設市場を拵へるのなら私共は何んとも申上げることが出来ない、併し今度のは右の様な次第で市会の諸君に協議して貰ふことになつたのである。欧米には既に完全した公設市場がある。日本人の生活も益々泰西化しようとして居る今日、市の婦人連が籠をさげて市場へ比較的安いものを買ひに行くことは大勢の然らしむるところであらうと思はれる、唯如何なる組織と設備とを以てするかゞ問題である』云々
○時局救済に就て 左の一篇は青淵先生が中央新聞記者の訪問に対し語られたるものゝ由にて、九月十一日発行の中央新聞に掲載せられたるものなりとす。
 △富豪の社会 に対する義務は、今回の如き不祥なる事件の突発したる為に俄に生ずるものに非ずして、平素より十分の心懸の必要なるは勿論、予め今回の如き不祥事の発生を防禦するの用意がなければならぬ。換言すれば貧窮救済の必要あるは勿論なれども、斯る貧窮者を生ぜしめざる工夫を予め講じ置くこそ一層必要なりと信ずる世間或は貧窮を救済するは愈々益々貧窮者を生ぜしむる所以にして宋譲の仁は反て弊害ありと為すものあれども、富者たるものは貧者
 - 第30巻 p.698 -ページ画像 
に向つて必ず相当の同情なかるべからざるものである。
 △貧窮の原因 を訊ぬるに、多くは怠惰なるか少くとも奢侈の風が習ひ性となりて、其の人の一生を不幸に陥らしむるものなれども、偶然の機会より不幸の境涯に陥るものもある。殊に富者の著しく増加し、富む者愈富み、貧しき者愈貧しきに至るは、社会に不自然なる変化の生ずる結果で、富者は此の不自然なる変化の恩恵に浴したるもの多く、随つて富者の生ずる反面には必ず貧者の続出するを常とする、故に表面に於ては富者自ら貧者を作るに非ざるも、裏面に於ては明かに然るべき事情がある、余等微力敢て揣らず東京市養育院の事業に鞅掌するもの洵に之れが為である。
 △生活難救済 然らば現今の如き生活難は、果して何れより生じたるかと云へば、勿論物価の騰貴したる結果といふべく、物価騰貴の原因を除かんと欲せば通貨を収縮せざる可らず、更に不足を感ぜば物価騰貴の原因を為せる輸送機関の改良、仲買機関の矯正等種々あるべく、譬へば米の仲買の如き時価不相当に暴利を貪るものに対し之に制限を加ふるは必要である、唯米価は何円を以て至当とすと称し、事実に於て其の価格を制限するの結果、政府に於て米を専売と為すの外方法なからしむるは官権万能主義の発露にして、予等年来の所見に反する所、反対せざるを得ないのである。
 △由来諸会社 の利益は頗る多く、就中紡績事業の如き巨大の利益を挙げつゝあるが故に、其の利益を制限すべしとの議論もなきに非ざれども、然らば如何にして其の利益を制限すべき乎、製品の価格は之が需用者ありて生ずるものなれば、政府に於て制限するは頗る困難の事業である。故に製品に対する利益は之を会社に収めしめ、会社の利益に対しては、国家に於て適当の課税を加へなば決して不公平ならずと信ずる。之を要するに社会に貧富の懸隔著しきを呈する以上、富豪は愈益々恭謙の態度を維持し、社会公共の為に努力して世の反感を去るべきである云々


竜門雑誌 第三六五号・第七五頁 大正七年一〇月 ○東京臨時救済会寄付金処分(DK300089k-0014)
第30巻 p.698-699 ページ画像

竜門雑誌  第三六五号・第七五頁 大正七年一〇月
○東京臨時救済会寄付金処分 東京臨時救済会にては九月十日其寄附金を締切たるが、其寄附金総額は百拾参万五千九百参拾四円四拾弐銭にして、之が処分に就ては九月十四日青淵先生以下会合の上協議会を開き、更に常議員会を開催して、其使途を大体、前記寄附金に関する広告費及雑費並に市の米廉売費の中其半額を補助し、残額は目下府に於て研究中なる市郡に亘る簡易公設市場・購買組合其他の資金に充つる事に決したる如く伝へられしが、越えて十七日の市参事会に於て、同会より市に分配すべき寄附金に就き異議を唱ふる者あり、依りて田尻市長は更に青淵先生其他の諸氏と会見の上、市より米廉売に使用せる一切の費用内訳の報告を提出し、更に市長は廿五日改めて井上府知事を訪問し、市側の意見を述べて懇談する所あり、府知事は青淵先生中野・藤山諸氏と協議の結果、救済会よりは市参事会決定通り廉売総費用四拾五万六千円の内四拾万円を市に渡すことに決せる旨を確定したるより、市長は十月四日臨時市参事会を開会して右の次第を報告し
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同会は直に之を承認し、以て寄附金問題の解決を告げたりといふ。


中外商業新報 第一一六三五号 大正七年八月二〇日 ○百万円の寄附金をどう使ふか 臨時救済会頭を悩ます(DK300089k-0015)
第30巻 p.699 ページ画像

中外商業新報  第一一六三五号 大正七年八月二〇日
    ○百万円の寄附金をどう使ふか
      臨時救済会頭を悩ます
    ▽会頭渋沢男爵は曰く
渋沢男を会長に、中野・藤山両氏を副会長に、井上府知事・田尻市長を顧問とする東京臨時救済会の寄附金は、風水害救済資金の残額十五万円を別として、十九日正午迄に
 ◇既に五十七万円の巨額に達したが、多々益々弁ずる訳で、尠くとも百万円以上を集め度いと努力して居るが、救済金の集中と同時に、其金を如何に使用するのが最も有効であるかと云ふ事に就て苦心中である。渋沢男は曰く「幾許集まるか不明なれども、限りある資金で救済の実を挙げやうと云ふのであるから面倒である。如何なる階級の人に、如何なる範囲で、
 ◇如何なる方法で、又幾許の価格で米を供給するか、頗る六ケ敷い次第で、其手段方法の如何によりては救済の実を挙ぐるに難い事となる、例へば廉売された米を他に転売するやうな者が現れないとも限らぬからである」云々
猶正副会頭始め、会議所の役員は連日会議所で其手段方法に就き協議中であるが、未だ名案を得ない、只在来の米販売業者を離れて特別の機関を経る事は
 ◇好結果を得る次第でないと云ふ事には大体一致して居り、夫には廉売券の如きものを予め廉売す可き人に渡し、之を白米商に転渡して現物の供給を受け、白米商は廉売券によりて相当の補償を受くる方法を取ればドウかと云ふ私案もあるやうであるが、良案の上にも良案を得て、府と市の当局と協力一致し、出来得る限り急速に廉売其他の救済策を実行し度いとあつて、二十日には会員たる議員の協議会を開く事になつた


中外商業新報 第一一六三六号 大正七年八月二一日 ○纏らぬ寄附金の処分(DK300089k-0016)
第30巻 p.699-700 ページ画像

中外商業新報  第一一六三六号 大正七年八月二一日
    ○纏らぬ寄附金の処分
      ▽廿日も協議会
東京臨時救済会の寄附金は続々其申込みを受け、二十日には七十七万円を超ゆるの有様となつたので、二十日午後四時から
◇商業会議所に府から農商課長、市から庶務課長も特に臨席し、寄附金の有効使用方法を協議した、府当局は朝鮮米・外国米を廉売し、内地米の廉売を欲せぬ口吻を洩らし、市当局は外米・鮮米は充分供給するだけの量のない今日、内地米を廉売するも止むを得ぬのみならず、ドウセ食ふ丈けは食ふのであるからと云ふ意味で、
◇府側の希望 に従はなかつた、そして市としては廉売を市の手から市内白米商に取扱はせる事に決したが、此事は救済会長渋沢男始め、中野・藤山副会長其他の予ての希望であつたので、何れは府に於ても同様の方法に出づるであらうと云ふ話で、兎に角当日の協議会は纏ま
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つた方法を決定するに至らなかつた、但し今後
◇府市両当局 と篤と協議を重ね、適当の方法により此際速かに寄附金の使用方を決定し、救済の実を挙げて寄附者の好意に副いたいとは皆の意見であつた、今回の寄附金七十七万円と、更に今後集中する金額に加へて、昨年の風水害救済資金の使用残金十五万円は、遅くも両三日中に夫々府市の手を経て適当に使用される筈である。


東京日日新聞 第一五〇四〇号 大正七年八月三〇日 八百の自治食堂、東京市内に設置の計画(DK300089k-0017)
第30巻 p.700 ページ画像

東京日日新聞  第一五〇四〇号 大正七年八月三〇日
    八百の自治食堂、東京市内に設置の計画
      ◇自治浴堂も附属させる
     救済会の寄附金も此費用に加へたい―宮川市助役の談
東京府救済会の寄附金は百万円を超過したるが、之が処分方法に関し東京府・市、其他関係方面に向け、渋沢男は会長の資格を以て意見を徴し居れり、一方宮川東京市助役は東京府の奨励方針に基き、市内に公設市場設置の気運を促進すべく
 ▽生活問題 解決の一策として、市内各町に自治食堂を各町を通じ少くも八百の箇所に作らむことを建言したり、宮川助役は語る「自治食堂と称するは ○下略


中外商業新報 第一一六六一号 大正七年九月一五日 ○多数市民の為に救済会寄附金処分決す(DK300089k-0018)
第30巻 p.700-701 ページ画像

中外商業新報  第一一六六一号 大正七年九月一五日
    ○多数市民の為に救済会寄附金処分決す
      ◇当局市会議員顔色なし
東京市に於ける公設市場の設置は、市理事者並に市会議員の小売商人に対する遠慮から殆んど
△之か実現 を望み難い形勢で、唯一臨時救済会が其尨大なる寄附金の処分に方つて、市に対し相当の条件的希望を附しはせずやといふ事によつて一縷の望みが繋がれて居た、然るに十四日の同寄附金の処分に際して、救済会は多数市民の希を容れ、其一部は果然公設市場及び購買組合其他の永久的救済施設を助成するの費途に非されば
△寄附金を 渡さずと決するに至つた、右に関して服部東商書記長は語る「臨時救済会の寄附金処分方に関する評議は、十四日午前十時から会議所に開会、渋沢会長、中野・藤山両副会長、井上・田尻の両顧問に於て種々討議された、寄附金の総額は百十三万五千九百卅四円四十二銭で、此内現金で受領して居るものは百九万四千百五十六円四十二銭で
△更に其内 三万五千円程、新聞の広告費其他の雑費に消費して居る処分法は既に決して居る通り、一般の救済費に充てるのであるが、此内東京市の例の廉売金の半額位は支弁し度いと思つて居るが、市の方でまだ精確の計算が出来て居ないので、取敢ず市長に対し該計算の提出を促してある、而して
△其残額は 輿論に依り、殊に記者団武蔵野倶楽部の決議もあり=市郡に亘る簡易公設市場・購買組合其他の永久的若くは半永久的救済施設を助成するの費途に充てる事に決した、然し公設市場の案は府も市も具体的成案がないようであるから、商業会議所会頭・府知事が顧問
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となり、東京市長に案を編んで貰ふ事になつて居る、而して金は全部府知事に保管を託した」云々


中外商業新報 第一一六六五号 大正七年九月一九日 ○田尻市長楽観、何とかならうと思ふと(DK300089k-0019)
第30巻 p.701 ページ画像

中外商業新報  第一一六六五号 大正七年九月一九日
    ○田尻市長楽観、何とかならうと思ふと
    ▽渋沢男・井上知事は曰く
東京市参事会が、臨時救済会の寄附金処分法に就き不満の意を表明し進むで市長不信任の挙に出でん形勢を示すや
◇救済会長 渋沢男爵は大に之を憂ひ、市長の訪問を俟たず、自ら十八日午前十一時市庁に市長を訪ひ種々懇談する処あり、退去の際記者に対し「兎に角市の米廉売に要した金額が幾らてあるかといふ計算書が市の方から出て居ないのだから如何とも致し方が無い、救済会は決して市に五十万円を分配し
◇之が使途 を指定したといふ事は無い、何も彼も市の計算書を見た上での事だ」と蒼惶として去つた、又井上知事は「五十万円などゝいふ額は定つちや居ないと思ふ、それは取敢ず五十万円といふ意味で、後から未だ必要に応じて出すのであらうと思ふ、大体寄附金でも何でも、処分法は常に市が三分の二若くは五分の四といふ標準になつて居るので、市長の参事会で言つた事は説明が
◇不徹底で あつたのではないか」と、更に田尻市長は「却々面白くなつて来たよ、我輩は救済会が市へ五十万円しか寄越さず、而も其半分を公設市場に使へよと条件を附した時に、之では参事会が承知しないぞと云つて置いたが、果して其通りだ、元来公設市場の如きは市会を開き、市費負担として建設に着手すべき性質のものであつて、今度の臨時的
◇寄附金を 充当すべきものでない、兎に角市の費消した救済費の計算書が十九日には出来上るから、之を参事会にかけた上で救済会の方へ出す積りであるが、一切の事はそれからの事である、我輩は五十万円の費途制限其他は、救済会の決議でなく単に申合せに過きないのであるから、何とかならうと信じて居る」云々と頗る楽観して居た


東京日日新聞 第一五〇六一号 大正七年九月二〇日 田尻市長=引責辞職か、市会と救済会の板挟み(DK300089k-0020)
第30巻 p.701-702 ページ画像

東京日日新聞  第一五〇六一号 大正七年九月二〇日
    田尻市長=引責辞職か、
      市会と救済会の板挟み
  救済金分配の再交渉が纏らねば市会では問責するに相違ない
東京市参事会が渋沢男を会長とする臨時救済会の寄附金分配案に関し田尻市長を難詰して、救済会に対し交渉を再開させる事にしたことは昨紙に報じた、市長は十八日渋沢会長、藤山・中野両副会長と懇談の結果、市が
      ◇廉売の為支出した経費の明細書
を提出し、救済会は之を参考に再考することに内定したから、寄附の分配額は幾分増額されるであらう、併し渋沢会長は別記の如く市が廉売費全額を
      ◇救済会の寄附に仰がんとするは
 - 第30巻 p.702 -ページ画像 
当を得ないといふ意見を有し、同会評議員会でも昨報の様な条件を付してるから、市は廉売費の幾分を公費で支弁せねばならぬやうになるかも知れぬ、斯うなると
      ◇曩に廉売施行の相談に与らぬ
市会は市長の責任を問ふに違ひないから、再交渉が成功せざる限り市長の引責辞職となるかも知れない、要するに再交渉の成否が問題の岐るゝ処である
  △廉売の半額を負担するか当然 (渋沢会長の談)
寄附金の総額百十三万余円中三万余円の費用を差引き東京府に引渡した、本来なら府・市と別けて渡してもいゝが、便宜上一纏めにして先づ府に託し、そして「寄附金を市の方へ廻す場合は其全部を先頃の廉売の
 ▽差額に 充当せぬようにして貰ひたい、市自身も廉売費の半額位は負担してもよからうし、夫に救済会の目的は米救済のみでないのだから、残りの半額は公設市場等の救済機関を設け、今後の救済をも目的に使つて貰ひたい」といふ希望条件を附した、併し市へ廻す金は其中幾らと確定的に云つたのではないから、知事の指定額では仮令不足なしにしても、人々の好意に成る寄附金の事故、何とか
 ▽折合を つけて貰はねばならぬ、一方府でも府に来たのだからとて、市の方へ当てがい扶持をするやうな事でも困るし、市でも之では少いとか何とか云ふのも異なものである、斯麼事で彼此云ふのは大都市を預る人として甚だ大人気ない話だと思ふ、先頃市長にも話をしてもう少し廻るものなら廻すやうにする考へである


中外商業新報 第一一六七〇号 大正七年九月二四日 ○救済会対市回答 知事より報告(DK300089k-0021)
第30巻 p.702 ページ画像

中外商業新報  第一一六七〇号 大正七年九月二四日
    ○救済会対市回答
      知事より報告
東京府の臨時救済会に於ては、東京市の交渉に関し廿五日渋沢・中野藤山の三氏会合協議の上、井上東京府知事に回答し、知事より田尻市長に報告さる可き予定なるが、其答弁如何に依つては田尻市長の責任問題惹起するに至るべしと


中外商業新報 第一一六七五号 大正七年九月二九日 ○義金問題解決 府市の割当額(DK300089k-0022)
第30巻 p.702-703 ページ画像

中外商業新報  第一一六七五号 大正七年九月二九日
    ○義金問題解決
      府市の割当額
先般来東京府対東京市の間に問題となり居りし救済金割当標準、並に之が使途に付き、廿八日東京府庁に於て井上知事・田尻市長、並救済会側の渋沢男・藤山氏等、鳩首協議の結果、左の如く確定したり
 一、救済会募集の百拾万円は、其内四十万円を東京市の白米廉売資金に充て、更に六十万円を支出して生活必需品・簡易特設市場の助成金とし、府市の割当標準は恩賜金と同様、市に六分(四十万円)府に四分(二十万円)の配分とし、残額十万円は購買組合設置助成金とす
 一、内務省寄附金と東京府寄附金の総額百四十二万円は内七十万円
 - 第30巻 p.703 -ページ画像 
を外・鮮米廉売資金に繰入れ、二十万円を細民地区改良助成金とし下谷・小石川・本郷・深川・日暮里等に、日用品販売所・人事相談所・哺育所・共同浴場・簡易倶楽部等の設置、並に共同長家の改良費に充て、此等部落外は主として東京市の事業とするに決し、残額廿四万円は中産以下の購買組合に対し、其創設費・運転資金・特別貸附金等の助成に充つる事
 一、以上の外尚二十八万円の残額は、米穀・薪炭其他必需品の購求資金、並に適切なる救済事業の助成金とし、市郡割当は前同様、市部六分郡部四分の標準となす


中外商業新報 第一一六八〇号 大正七年一〇月四日 ○今度こそ真実 救済会寄附金六十万円で公設市場を市郡に設置(DK300089k-0023)
第30巻 p.703 ページ画像

中外商業新報  第一一六八〇号 大正七年一〇月四日
    ○今度こそ真実
      救済会寄附金六十万円で公設市場を市郡に設置
幾度か蹉躓して、殆んど其実現を疑はれて居た例の公設市場も、曩に配分を決した臨時救済会の寄附金に依つて
▽愈よ設置を見る事に確定した、即ち臨時救済会は東京府市の米廉売差金を支出した残額六十万円を、永久的救済施設に使用せしむるの条件を附して市に四十万円、府に廿万円を交附したが、府は直に該金を公設市場の設置に使用しやうといふ意嚮を定め、一週間程前木村農商課長、丸山名政・岡田栄一の
▽府会議員は関西方面に出張、具に大阪・神戸・京都等の施設を調査研究して帰来、園田府農会技師に命じて成案の確立に努めつゝあつたが一日園田技師より該成案を木村課長の手許に提出され、課長は知事の裁可を経て、来る十一月初旬開業の運びをつける事に決し、同日精養軒に於ける山林局長・田尻市長等との
▽木炭問題協議会の序に同案の次第を報告した、市場の内容は各種小売商人の反対運動を惧れ、府に於て未た発表する所無きも、大体に於て救済会よりの交附金を基本とする財団法人組織とし、東京市内に在つては浅草区の如き大区には二・三箇所、四谷区の如き小区には一ケ所位設置し、隣接町村も渋谷・品川・淀橋等の大町は
▽二ケ所位、其他は大抵一ケ所位の設置を試みる予定らしく、之で東京も漸く他の大都市並に公設市場の実現を見るに至るべく、喜ぶべきことである。


中外商業新報 第一一六九一号 大正七年一〇月一五日 ○府の公設市場は来月初、愈々開始する(DK300089k-0024)
第30巻 p.703-704 ページ画像

中外商業新報  第一一六九一号 大正七年一〇月一五日
    ○府の公設市場は
      来月初、愈々開始する
東京府は例の臨時救済会から交付された二十万円を以て、東京日用品市場協会と云ふを府庁内に設けて、隣接市町村に公設市場を設ける事に決した事は既報したが、十四日愈々其規則を発表し、会長に東園内務部長を擁し、前東京市庶務課長大橋重省氏を常務理事として、事務を一任する事となつた、其方法其他に就て東園会長は曰く「市では既に救済会から渡された四十万円を基礎として公設市場を設けるべく目下準備中であるが、其実現されるのを待つてゐると却々何時になるか
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見当がつかぬから、市長とも相談の上、取敢ず郡部に十ケ所ばかり府の方で設ける事にしたのである。方法は外国の例や大阪や神戸辺の遣方を参酌して、小売人に影響を与へないやうにする考へから、信用ある小売人をして其事に当らしめ、又生産者にも嘱託する、先づ早速準備にかゝつて遅くも来月の上旬には仕事を始める積りで、家が間に合はねば天幕張でも始める覚悟でゐる」云々


東京臨時救済会報告書 同会編 第一―一三頁 大正七年一二月刊(DK300089k-0025)
第30巻 p.704-705 ページ画像

東京臨時救済会報告書 同会編  第一―一三頁 大正七年一二月刊
  (一) 創立
    一 本会ノ創立
 欧洲戦乱勃発以来、我国ニ於テハ一般物価ノ騰貴底止スル所ヲ識ラス、就中大正七年八月ニ到リ国民ノ主要食料品タル米ノ時価甚シク暴騰シ、未曾有ノ高価ヲ現スニ至レリ、是カタメ遂ニ富山県ノ一角ニ於テ端ナクモ米騒動ヲ惹起シ、之ヲ動機トシテ是ノ騒擾ハ京都・大阪・神戸・岡山等関西ノ重要都市ニ波及シ、一時尠カラス混乱ヲ極メ、其余波延イテ我帝都ニ及ヒ、同月十三日夜、輦轂ノ下ニ一大不祥事ヲ醸成スルニ至レリ、是レ寔ニ聖代ノ一恨事ニシテ決シテ軽々ニ看過スル能ハサルノ事態タリ、陛下御軫念、畏クモ内帑参百万円御下賜ノ優渥ナル御諚ヲ給ハリ、政府又壱千万円ノ支出ヲ決セリ、是ニ於テ乎東京商業会議所亦急遽役員会及議員協議会ヲ開キ、応急救済策ニ関シ協議スル所アリ、旁々渋沢男・中野武営氏等ノ斡旋セラルルアリ、此際一ノ救済団体ヲ組織シ、応急的施設ニ遺憾ナカラシメントノ議ヲ決ス、依テ十四日発起人総代男爵渋沢栄一・中野武営・藤山雷太、顧問井上友一・子爵田尻稲次郎、以上五氏ノ名ヲ以テ左ノ書状ヲ発送セリ
 拝啓、陳ハ米価ノ騰貴ハ今ヤ一ノ重大ナル社会問題トナリ、皇室ヨリハ疾クニ参百万円ノ御下賜金ヲ辱ウシ、政府亦壱千万円ノ支出ヲナスニ至リ候モ、前途尚不穏ノ状勢相見エ候処、之レカ救済策ヲ講スルハ誠ニ緊急ヲ要スヘキ義ト被存候、就テハ右ニ付キ篤ト御協議申上度ト存候間、乍唐突今日午後三時東京商業会議所ヘ御来駕被成下度、此段得貴意候 敬具
  大正七年八月十五日         男爵 渋沢栄一
                       中野武営
                       藤山雷太
               顧問      井上友一
                    子爵 田尻稲次郎
    (通知先ハ発起人全部、発起人氏名ハ別項記載)
前記ノ通知ヲ発シ、同日午後三時集会ヲ催シタルニ多数ノ出席者アリ藤山雷太氏ノ発議ニヨリ当日ノ座長ヲ中野武営氏ニ委嘱ス、中野氏座長席ニ着クヤ、藤山雷太氏ヨリ這回都下ニ勃発セル騒擾ハ米価騰貴及一般物価ノ騰貴ニ由ルヲ以テ、此際緊急応急的手段ヲ講シ、一日モ早ク之カ沈静ヲ期セサルヘカラス、玆ニ諸君ノ同意ヲ得テ一ノ救済団体ヲ組織シ、米ノ廉売其他之ニ必要ナル救済施設ヲ為サントノ提議ヲナシタルニ、満場忽チ一致ノ賛成ヲ得テ、玆ニ東京臨時救済会成立ス、尚此会合ニ於テ、男爵渋沢栄一氏ヲ会長ニ、中野武営・藤山雷太ノ両
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氏ヲ副会長ニ推挙シ、常務委員以下ノ役員ハ総テ会長ノ指名ニ一任スルコトトセリ、尚席上井上東京府知事・田尻東京市長ヨリ、騒擾ノ模様及之カ応急策ニ就テ意見ヲ開示セリ
    二 設立趣意書及規約
本会ノ設立趣意書及規約左ノ如シ
    東京臨時救済会設立趣意書 ○前掲広告ト同文ニツキ略ス。
      東京臨時救済会規約
第一条 本会ハ東京臨時救済会ト称ス
第二条 本会ノ事務所ヲ東京商業会議所内ニ置ク
第三条 本会ハ東京府下ニ於ケル米ノ廉売、並ニ其他臨時救済ノタメ必要ナル施設ヲナスヲ目的トス
第四条 本会ハ有志者ノ寄附ヲ受ク
第五条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク
  会長       一名
  副会長      二名
  常務委員     若干名
  委員       若干名
  評議員      若干名
第六条 本会ノ役員ハ創立委員ニ於テ之ヲ推挙ス
第七条 会長ハ本会一切ノ事務ヲ統轄シ、常務委員及評議員会ノ議長トナリ、本会ヲ代表ス
 副会長ハ会長ヲ補佐シ、会長ノ代理ヲナス
 常務委員及委員ハ本会ノ常務ヲ処理ス
 委員及評議員ハ会長ノ諮問ニ応シ、重要事項ノ協議ニ参与ス
第八条 本会ノ経費ハ寄附金及雑収入ヲ以テ之ニ充ツ
第九条 会務ノ経過及収支決算ハ新聞紙上ヲ以テ報告ス
第十条 本会ハ所期ノ目的ヲ達シタル後之ヲ解散ス
第十一条 本規約施行ニ関シ必要ナル事項ハ常任委員会ノ議決ヲ経テ会長之ヲ定ム
   三 発起人氏名
○中略 男爵 渋沢栄一 ○中略 (二百九十名)


東京臨時救済会報告書 同会編 第二六―三六頁 大正七年一二月刊(DK300089k-0026)
第30巻 p.705-709 ページ画像

東京臨時救済会報告書 同会編  第二六―三六頁 大正七年一二月刊
 ○(二)職員及諸会議
    五 諸会議及議件
一、八月十五日午前八時東京商業会議所ニ於テハ、急遽役員会ヲ開キ十三日以来帝都ニ勃発セル米価並ニ一般物価ノ暴騰ニヨリ生シタル騒擾事件ニ対シ、機宜ノ処置ヲ採ルヘク協議シタリ
一、八月十五日午後一時ヨリ東京商業会議所ニ於テ当会議所議員及特別議員ノ協議会ヲ開キ、役員会ノ決定ニ基キ、此際臨時救済団体ヲ組織シ、応急手段ヲ講スヘキ協議ヲ為シタリ
一、八月十五日午後三時ヨリ東京商業会議所ニ於テ、都下重ナル実業家ノ会合ヲ促シ、中野武営氏ヲ座長ニ推シ、藤山雷太氏ヨリ、今回ノ騒擾ヲ惹起シタル直接ノ原因ハ、米価ヲ始メ一般物価ノ暴騰
 - 第30巻 p.706 -ページ画像 
ニアルヲ以テ、此際緊急一ノ救済団体ヲ設立シ、応急ノ施設ニ万遺憾ナキヲ期シタシトノ提議ヲナシタルニ、満場一致ノ賛成ヲ得テ東京臨時救済会成立ス
  席上井上東京府知事・田尻東京市長ヨリ、救済ニ関スル刻下採ルヘキ方法手段ニ就キ、意見ノ開示アリタリ
  尚此会合ニ於テ、渋沢男ヲ東京臨時救済会長ニ、中野武営・藤山雷太ノ両氏ヲ同会副会長ニ推挙スルコトニ決シ、常議員・委員・評議員等ノ指名ヲ会長ニ一任セリ
  因テ会長ハ当会議所副会頭・常議員及実業組合聯合会ヨリ、星野錫・西沢善七・阿部吾市ノ三氏ヲ加ヘ常務委員ヲ嘱託、其他ノ当会議所議員及実業組合聯合会ヨリ井出百太郎・山崎亀吉・松崎伊三郎・籾山藤五郎ノ四氏ヲ加ヘ同委員ヲ嘱託、別ニ評議員五百六十名ヲ嘱託セリ
  常議員ハ毎日事務所ニ出動シ、臨時救済会ノ常務ヲ担当スルコトトシ、別ニ関根・角倉ノ両氏ヲ会計監督ニ嘱託シタリ
一、八月二十日午後四時ヨリ東京商業会議所ニ於テ常務委員及委員ノ協議会ヲ開キ、寄附金処分ニ関スル最善ノ方法ニ付意見ノ交換ヲナシタリ
一、八月二十二日午前九時ヨリ東京商業会議所ニ於テ常議員会ヲ開キ井上東京府知事・田尻東京市長・中野武営氏等出席、寄附金使用ニ関シ協議ノ結果、弐拾万円迄知事ノ保証ニヨリ市ノ米買入資金ニ振替フルコトヲ承認シ、其他米ノ供給ニ就テ互ニ研究スル所アリタリ
一、八月二十八日正午ヨリ東京商業会議所ニ於テ臨時救済会正副会長会議ヲ開キ、渋沢・中野・藤山ノ諸氏参集、同日午後二時ヨリ井上府知事・田尻市長参加ノ上、更ニ会議ヲ続行シ、府知事・市長ヨリ米ノ廉売状況ヲ聴取セルカ、市ハ毎日内地米二千石廉売ノタメニ弐万四千円ノ損失アリ、府ハ朝鮮米五百石・外米千五百石ヲ市ニ提供スルタメ、毎日参万円ノ損失ヲ負フ、猶市ニ於テハ九月十日ヲ以テ廉売ヲ打切ル予定ナリト云フ
  以上ノ報告ヲ聴取シタル後、左ノ件々ニ就キ協議セリ
一、寄附金締切期限
  寄附金締切期限ヲ決定スルタメニハ、米ノ供給ノ前途ヲ考慮シ、併セテ救済会趣意書ニ米ノ廉売其他一般救済ノ方法ヲ講スヘシトアルヲ以テ、彼レ是レ前後ノ施設ヲ考慮スルノ必要アリ、之カタメ米廉売ノタメ多額ノ出金ヲ要スル場合ニ於テハ、一般救済的施設ヲ為スヲ得サルヲ以テ、成ルヘク此際多額ノ寄附金ヲ募集スルノ要アリ、因テ九月五日マテ此儘寄附金募集ヲ継続シ、同日マテノ状況ニヨリ更ニ五日ヨリ十五日マテノ間ニ於テ適当ノ時機ヲ見テ締切ヲ決行スルコトヽシ、而シテ其時期ハ藤山会頭ニ一任スルコト
一、寄附金処分ノ件
 (イ)東京臨時救済会ノ募集セル寄附金ハ、全部東京府知事ニ提供スルコト、而シテ府知事ハ東京市ノ米廉売其他ノ状況ヲ観テ、適当ト
 - 第30巻 p.707 -ページ画像 
認ムル額ヲ市ヘ分与スルコト、其金額ハ府知事ト市長ト協定スルコト
 (ロ)市長ハ市ノ米廉売ニ要シタル欠損額ノ全部ヲ救済会寄附金中ヨリ支出セラレンコトヲ希望シタルモ、救済会ハ其設立趣意書ニヨリ米廉売以外一般的施設ヲナスノ必要アルヲ以テ、市ニ於テハ其欠損額ノ半額位ハ負担セラルヽ様希望セリ
 (ハ)寄附金ヲ府ニ提供ノ場合ハ寄附金全額ヲ府ヘ交附シ、臨時救済会設立以来之ニ要シタル諸般ノ費用ハ、場合ニヨリテハ東京風水害救済会ノ残金中ヨリ支出スルカ、或ハ又一旦府ヘ納附シタル金額中ヨリ還附ヲ受クルコト
    但シ此件ハ府知事ト会頭トノ協定ニ一任スルコト
 (ニ)寄附金ハ臨時救済会設立趣旨ニヨリ募集シタルモノナルヲ以テ、府知事ハ寄附者ノ意思ヲ尊重シテ使用ノ方法ヲ講セラレンコトヲ望ミ、且ツ米ノ廉売方法ニツキ注意スヘキ点ハ、寄附金交附ト共ニ其旨申達スルコト
一、米廉売以外ノ一般救済策
  救済会ノ目的ハ趣意書ニ記載スル如ク、米ノ廉売ノミナラス、一般救済ノ目的ヲ達スルニアルヲ以テ、以上ノ施設ヲナスタメ
 (イ)中産階級ノタメニハ購買組合ノ設立
 (ロ)一般社会ノタメニハ簡易公設市場ノ設立
 (ハ)下層階級ノタメニモ救済的施設ヲナスノ必要アリト認ムルニヨリ適当ノ方法ヲ講スルコト
  而シテ其方法ハ、東京府知事・東京市長・東京商業会議所会頭ニ嘱託スルコト
一、寄附者表彰ノ件
  臨時救済会寄附金ヲ全部府ヘ提供ノ場合ニ於テハ、府知事ハ従来直接政府ニ対スル寄附行為ト同様、寄附者ニ対スル相当行賞ヲ為スコト
一、八月二十九日午前十一時ヨリ東京商業会議所ニ於テ臨時救済会常務委員会ヲ開キ、藤山副会長、稲茂登・柴田・守谷・関根・角倉ノ各常務委員参集、藤山副会長ヨリ二十八日同会正副会長・井上府知事・田尻市長等ト協議ノ結果ヲ報告シ、大ニ救済ノ実ヲ挙クル事ニ決定、尚藤山副会長ハ救済事業ニ関シ、仲小路農相・後藤外相ヲ訪問シタル経過ニ付報告スル所アリ、二時散開《(マヽ)》セリ
一、九月六日午前十一時ヨリ東京商業会議所ニ於テ臨時救済会常務委員会ヲ開キ、藤山副会長以下各委員出席、寄附金締切期限ヲ九月十日トシ、其旨新聞紙ヘ広告ノ件ヲ決定シ、尚藤山副会長ヨリ寄附金処分ノ件ニ就キ、井上府知事・田尻市長トノ協議ノ件ヲ報告セリ
一、九月十四日午前十一時ヨリ東京商業会議所ニ於テ、東京臨時救済会長渋沢男爵、中野・藤山両副会長、井上・田尻両顧問会合ノ上醵金使途方法ニ関スル協議ノ結果、東京市ニ対シテハ米廉売ニ要シタル実費損失額ノ半額ヲ提供シ、残余ハ市郡ノ小売市場・購買組合、其他永遠ニ亘ル救済事業助成ノ費ニ充ツル希望ヲ以テ協議
 - 第30巻 p.708 -ページ画像 
ヲ行ヒタリ、而シテ之等ノ施設ニ付テハ、八月二十八日ノ決定ノ如ク、東京府知事・東京市長・東京商業会議所会頭ノ協議ヲ以テ決定スルコトヽシ、同日午後一時ヨリ常務委員会ヲ開キ、右各件ニ就キ承認ヲ求メタル上、藤山副会長ヨリ寄附金募集締切ニ関シ報告スル処アリタリ
一、九月十八日午前十一時ヨリ東京商業会議所ニ於テ臨時救済会常務委員会ヲ開キ、藤山副会長ヨリ寄附締切迄ニ要シタル経費ノ報告及渋沢会長、中野副会長、井上・田尻両顧問ト会談ノ状況ヲ報告セリ、而シテ本会寄附金モ締切後相当時日ヲ経過シタルヲ以テ、至急之ヲ整理シ府ニ提供スルノ必要アルヲ以テ、此際至急廉売ニ要シタル計算書ノ提出ヲ促シ、同費計上書ヲ受理審査シ、併セテ経費及手当等ヲ調査スルタメ、五名ノ委員ヲ置キ処理スルコトヽシ会頭・副会頭ノ指名ヲ以テ左ノ五氏ヲ選定シタリ
    関根親光 橋本直一 角倉賀道 稲茂登三郎 柴田清之助
  尚寄附金中瓦斯会社ノ特別指定金弐万円ニ対シテハ、便宜ノ方法ヲ以テ指定ノ場所ヘ交附スルコトトセリ
  寄附金ハ全部府知事ニ提供シ、市ニ対シテハ米廉売ニ要シタル差金ノ半額ヲ提供シ、余ハ市郡ノ小売市場・購買組合、其他永遠ノ施設ニ対スル助成費ニ充当スルコトトシ、総テ之等ノ施設ニ関シテハ府知事・市長・会頭三者ノ協議ヲ以テ定ムルコトノ希望条件ヲ附スルコトニ決定セリ
  折柄田尻市長・中野武営両氏ハ、寄附金分配問題ニ関シ、市参事会ノ論争ヲ惹起セシ顛末ヲ開陳スルタメ来訪セラレタルヲ以テ、居残リアリシ常務委員一同列席ノ上、市長ヨリ右顛末ニ関スル報告ヲ聴取セルカ、之等善後策ニ関シテハ正確ナル計算書ノ提出ヲ俟ツテ考慮スルコトヽシ散会セリ
一、九月廿五日午後二時ヨリ東京商業会議所ニ於テ臨時救済会常務委員会ヲ開催シ、田尻東京市長ヨリ寄附金分配方更正ノ申出ニ関シ協議ノ結果、東京市ニ於テ要シタル米廉売費用額ノ半額ヲ醵金中ヨリ支出ノ事トセル曩ノ決定ヲ変更シ、改メテ四拾万円ヲ米廉売資金トシテ提供スル事ニ変更セリ
  尚曩ニ選定サレタル会計委員五名ノ審査報告アリ、之ヲ承認シタリ
一、九月廿八日午前十時ヨリ、東京府庁内ニ井上知事・田尻市長・藤山会頭三者参集、救済金分配ニ付協議ノ結果左ノ如ク決定セリ
 一、救済会募集寄附金百拾万円ノ内四拾万円ヲ東京市ノ請求通リ市ノ廉米損害額ニ充当スル事
 二、残金七拾万円ノ内六拾万円ヲ、生活上ノ必需品販売ヲ目的トスル公設市場助成金トシテ市部ヘ四拾万円、郡部ヘ弐拾万円振当ツル事
 三、残金拾万円ハ恩賜金分配方法ニ則リ、市部六分・郡部四分ノ割合ニテ、購買組合助成金ニ使用スル事
一、十月三日角倉・橋本両会計委員ハ東京府庁ニ出頭、左記覚書ヲ添ヘ全部寄附金ヲ府知事ヘ差出シタリ
 - 第30巻 p.709 -ページ画像 
      覚
 一金百拾四万参拾四円七拾八銭也
    内訳
   金百拾参万五千九百参拾四円四拾弐銭也  寄附金
   金四千百円参拾六銭也          銀行利子
右ハ東京臨時救済会ニ於テ、大正七年八月十五日別紙趣意書ニ基キ寄附金ヲ募集シ、同年九月十日締切リタル寄附会総額並ニ其ノ銀行預金利子ニ就キ、玆ニ今日ヲ以テ差出シ候
右寄附金及利子ハ、其ノ募集費用金参万八千七百九円六拾六銭也ヲ差引キ、其ノ残額ヲ
 イ、東京市内地米廉価供給助成費      金四拾万円也
 ロ、日用品小売市場(特設販売所)助成費  金六拾万円也
    市ニ対シ 金四拾万円也
    郡ニ対シ 金弐拾万円也
 ハ、購買組合助成費ノ不足分        約金拾万円
    市ニ対シ 六分
    郡ニ対シ 四分
ノ割合ヲ以テ御支出相成度、尚ホ東京瓦斯株式会社取締役社長久米良作寄附金弐万円也ハ其ノ内
  金壱千五百円也  深川区本村町、猿江裏町聯合衛生組合内救済事務所ヘ
  金五百円也    南葛飾郡砂村役場ヘ
  金五百円也    荏原郡大森町役場ヘ
  金五百円也    南葛飾郡大島町役場ヘ
寄附金指定相成居候ニ付、右金額ハ指定所ヘ御配分被下度、此段別冊寄附者名簿一冊相添ヘ御回付申上候也
  大正七年十月三日
              東京臨時救済会
                 会長 男爵 渋沢栄一
    東京府知事 法学博士 井上友一殿


東京臨時救済会報告書 同会編 第三六―三七頁 大正七年一二月刊(DK300089k-0027)
第30巻 p.709 ページ画像

東京臨時救済会報告書 同会編  第三六―三七頁 大正七年一二月刊
  (三) 寄附金
    一 寄附者氏名 (金額及申込順)
○中略
 金壱万円也     日本橋区兜町二 男爵 渋沢栄一
○下略


東京臨時救済会報告書 同会編 第一六七―一七一頁 大正七年一二月刊(DK300089k-0028)
第30巻 p.709-711 ページ画像

東京臨時救済会報告書 同会編  第一六七―一七一頁 大正七年一二月刊
(四)   事業
    一 事業ノ選択
本会成立ノ趣旨ハ応急救済ノタメニ米ヲ廉売シ、及一般救済的施設ヲナスニアルヲ以テ、以上ノ目的ヲ達スルタメ、屡々正副会長・顧問及常務委員会ヲ開キ、協議ノ結果、醵金中米廉売資金トシテ金四拾万円ヲ東京市ニ提供シ、残余ハ東京府知事ニ交附シ、市郡ニ亘ル公設市場
 - 第30巻 p.710 -ページ画像 
購買組合等永遠ノ救済的施設ニ支出スルコトヽシ、之等実際的施設ニ就テハ、東京府知事・東京市長・東京商業会議所会頭三者ノ協議ヲ以テ決定スルコトヽセリ
    二 事業ノ成績
米ノ廉売ニ就テハ本会自ラ之ヲ行ハス、全然府市当局者ヲ信頼シテ之ヲ行ハシメ、最モ敏活ニ本会ノ目的ヲ達成スルニ努メタル結果、騒擾モ速カニ鎮静シ、良好ノ成績ヲ挙クルニ至レリ、而シテ本会寄附金ハ其利子ヲ合算シ別項記載ノ如ク百拾四万参拾四円七拾八銭ニ達セルヲ以テ、右寄附金及利子ハ其募集費用金参万八千七百九円六拾六銭也ヲ差引キ、残額ヲ東京市内地米廉価供給助成費トシテ金四拾万円、日用品小売市場(特設販売所)助成費トシテ金六拾万円、購買組合助成費ノ不足分トシテ約金拾万円ノ割合ヲ以テ支出スルコトニ決シ、十月三日渋沢会長ヨリ井上東京府知事ヘ提供セリ
  (五) 会計
    一 収支勘定
      収入
 一金百拾四万参拾四円七拾八銭也
      内訳
  金百拾参万五千九百参拾四円四拾弐銭也 寄附金
  金四千百円参拾六銭也         銀行預金利子
      支出
 一金百拾四万参拾四円七拾八銭也     東京府知事ヘ引渡金
(附記)
 本会創立以来会務終了ニ至ルマテニ要シタル諸経費ハ、合計金参万八千七百〇九円六拾六銭也ニシテ、本金額ハ十月三日東京府知事ヨリノ交附ヲ受ケテ之ヲ支払ヒタリ、今其内訳ヲ示セハ左ノ如シ
 一金参万八千七百〇九円六拾六銭也    諸経費
      内訳
  金参万参千九百八拾円九拾弐銭也    新聞広告料
  金四百四拾壱円八拾銭也        集金費
  金弐千〇六拾九円八拾銭也       印刷費及報告書配付費
  金百拾弐円〇四銭也          通信費
  金五拾五円五拾七銭也         消耗品費
  金弐千〇四拾九円五拾参銭也      事務費・雑費・手当
        以上
  (六) 会務ノ終了
    一 東京府知事ニ上申
前記ノ如ク本会ハ設立趣旨ニ基キ諸般ノ事務ヲ終了シタルヲ以テ、東京府知事ニ左ノ上申書ヲ提出シタリ
      上申書
 本年八月米価暴騰及一般物価騰貴ニ基因シ、一部社会ニ騒擾ヲ惹起スルニ至リタルヲ以テ、有志相謀リ東京臨時救済会ヲ組織シ、広ク同志ノ寄附ヲ仰キ、応急策及一般救済施設ニ関シ尽力罷在候処、今般別冊報告書ノ通リ会務終了ヲ告ケ候ニ付、此段上申候也
 - 第30巻 p.711 -ページ画像 
  大正七年十二月
              東京臨時救済会
                 会長 男爵 渋沢栄一
    東京府知事 法学博士 井上友一殿
○下略



〔参考〕竜門雑誌 第三六四号・第七一―七三頁 大正七年九月 ○八月日誌(DK300089k-0029)
第30巻 p.711-712 ページ画像

竜門雑誌  第三六四号・第七一―七三頁 大正七年九月
 ○八月日誌
    三日
○米一揆起る 米価の暴騰底止する所なく、人民の生活は次第に脅され来りて、不安・恨怨の度を嵩め来れる折柄、富山県中新川郡西水橋町漁民の女房等二・三百名、米廉売の運動を開始して騒擾す、図らざりきこれ実に後日全国各地に蜂起せる米騒擾の発端ならんとは ○下略
   ○中略。
    九日
○上略
○米価益昂騰 白米一等円に一升九合と成る
    十日
○米価問題沸騰 政友会は政府に警告を発し、其他の政党は各決議を発表す
    十一日
○米騒擾拡大 京都・大阪・名古屋に大騒擾あり、軍隊出動し、事態容易ならず
    十二日
○上略
○米騒擾益拡大 神戸鈴木商店焼毀さる
    十三日
○米騒擾全国に漲る 東京・静岡・福島・仙台・豊橋・舞鶴・広島・和歌山・岡山相次で騒擾し、人気次第に険悪を加ふ
○金三百万円御賑恤 米価昂騰の為め人民の困苦を深く御軫念あらせられ、御内帑金より金三百万円を下賜せらるゝ旨、聖旨降る
○政府亦金一千万円の支出決定 政府も亦米穀強制買収の為め、金一千万円の国庫金支出に決す
    十四日
○米騒擾記事差止 突如、内務省より、新聞通信雑誌紙上に米騒擾記事掲載を差止めらる
    十五日
○東京市米廉売 白米円三升の割、外国米は一升十銭の割にて廉売を始む
○東京臨時救済会 米価を始め一般の物価騰貴に基く生活の困難は、終に社会に重大なる問題を惹起せるを慨し、之が応急策として、救済資金を蒐集すべく、青淵先生を会長とせる同会急遽設立さる ○下略
    十六日
○穀類収用令 緊急勅令を以て公布せらる
 - 第30巻 p.712 -ページ画像 
○米騒擾記事解禁 政府公報に限り掲載するの自由を与へらる。依りて全国各地の騒擾を窮ふ事を得、其行動の過激なる真に憂ふべきものあるを想はしむ
    十八日
○穀類収用令施行規制 公布せらる
   ○中略。
    二十日
○米騒擾鎮静 人心次第に緩和せらる ○下略
   ○中略。
    二十二日
○上略
○人心鎮静方訓令 内務大臣より、地方人心鎮静方及び中産階級救済方に付訓令す
   ○中略。
    二十四日
○廉売米小売商委託 東京市は廉売米を今般市内小売白米商に委託し割引販売券を発行して、一升券三等米金参拾参銭に廉売せしめ、券は家計の状況に依り、一戸に付一日三枚迄を交付せしむ
    二十六日
○上略
○穀類補償価格決定 穀類収用令の適用に依る補償金額公定発表せらる(即ち東京及大阪の正米市場に於ける中米に付同年九月五日より同二十日迄一石に付三拾三円以内、同九月廿一日より以後追て改正する迄一石に付三拾円以内たるべき事等)
    二十七日
○期米崩落 米穀収用令による買収価格公表せられたるに依り、全国の期米一・二円より三・四円方崩落す
   ○中略。
    三十一日
○米廉売恩賜日 蒼生御憐憫の思召を以て、御下賜相成たる恩賜金を記念すべく、東京市は、此日天長の佳節を以て、恩賜券二十四万五千三百枚(内地米十九万六千八百枚・外米四万八千五百枚)を市内細民に配付し、外米一升八銭、内米参拾銭に廉売す



〔参考〕法令全書 上巻 内閣印刷局編 大正七年刊 省令 農商務省第三十二号(DK300089k-0030)
第30巻 p.712-713 ページ画像

法令全書 上巻 内閣印刷局編  大正七年刊
 省令 農商務省第三十二号
穀類収用令施行規則左ノ通定ム
  大正七年八月十九日     農商務大臣 仲小路廉
    穀類収用令施行規則
第一条 穀類収用令ニ依ル収用ハ、収用セムトスル米・雑穀ノ占有者又ハ所有者ニ収用決定書ヲ交付シタル時ニ其ノ効力ヲ生ス
 農商務大臣ハ収用ヲ決定シタル旨ヲ官報ニ公告シ、又ハ市町村長ヲシテ市役所若ハ町村役場ノ掲示場ニ公告セシメ、収用決定書ノ交付ニ代フルコトヲ得
 - 第30巻 p.713 -ページ画像 
第二条 収用シタル米雑穀ハ、農商務大臣又ハ其ノ指定シタル者ニ於テ引渡ヲ受クルニ至ル迄、占有者又ハ其ノ承継人ニ於テ之ヲ保管スルノ義務アルモノトス
 前項ノ場合ニ於テ保管料ノ定アルトキハ、収用ノ日以後ニ対シ農商務大臣ノ相当ト認ムル保管料ヲ支払フモノトス
第三条 収用シタル米雑穀ノ所有者ハ、収用後ニ於テ穀類収用令第一条ノ規定ニ依ル補償金ノ交付ヲ請求スルコトヲ得
第四条 左ノ各号ノ一ニ該当スル場合ニ於テハ、農商務大臣又ハ其ノ指定シタル者ハ補償金ノ供託ヲ為スコトヲ得
 一 補償金ヲ受クヘキ者カ其ノ受領ヲ拒ミタルトキ、又ハ之ヲ受領スルコト能ハサルトキ
 二 補償金ヲ受クヘキ者ヲ確知スルコト能ハサルトキ
 三 穀類収用令第三条ノ規定ニ依リ出訴シタルトキ
 四 補償金ニ付差押又ハ仮差押アリタルトキ
第五条 農商務大臣必要ト認ムルトキハ、第二条ノ占有者又ハ其ノ承継人ニ対シ、穀物検査・改装、其ノ他保管ニ必要ナル行為ヲ命スルコトヲ得、此ノ場合ニ於テ農商務大臣ノ必要ト認ムル費用ハ之ヲ支払フモノトス
第六条 本則ノ規定ニ依リ農商務大臣ニ差出スヘキ書類ハ、所轄地方長官ヲ経由スヘシ
第七条 農商務大臣ハ、官吏又ハ吏員ヲシテ、米雑穀ノ生産者・売買業者・倉庫業者、其ノ他ノ占有者ノ営業所・倉庫・圃場等ニ臨検シ物品・帳簿其ノ他ノ書類ヲ検査セシムルコトヲ得
 前項ノ官吏又ハ吏員ハ、当該官吏又ハ吏員タルコトヲ示スヘキ書面ヲ携帯スルモノトス
第八条 左ノ各号ノ一ニ該当スル者ハ、三月以下ノ懲役又ハ百円以下ノ罰金ニ処ス
 一 第二条第一項ノ規定ニ違反シテ保管ヲ為ササル者
 二 第五条ノ規定ニ依ル命令ニ従ハサル者
 三 前条ノ規定ニ依ル臨検・検査ヲ拒ミタル者、又ハ臨検・検査ノ際尋問ニ対シテ陳述ヲ為サス、若ハ虚偽ノ陳述ヲ為シタル者
 四 物品・帳簿其ノ他ノ書類ヲ隠匿シ、又ハ毀損シタル者
第九条 農商務大臣其ノ職権ヲ地方長官ニ行ハシムル場合ニ於テハ、本則中農商務大臣トアルハ地方長官トシ、官報トアルハ之ニ準スヘキモノニ該当ス
    附則
本則ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス



〔参考〕社会と救済 第二巻第六号・第四四七頁 大正七年九月 米価騰貴と鉱山・工場に於ける暴動並同盟罷業(DK300089k-0031)
第30巻 p.713-714 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

〔参考〕社会と救済 第二巻第七号・第五三八―五四〇頁 大正七年一〇月 米価騰貴と鉱山・工場に於ける暴動並同盟罷業(承前)(DK300089k-0032)
第30巻 p.715-717 ページ画像

社会と救済  第二巻第七号・第五三八―五四〇頁 大正七年一〇月
    米価騰貴と鉱山・工場に於ける暴動並同盟罷業(承前)
  六、東京府
 (1)東京市
  (イ)博文館印刷所の同盟罷工
 同所にて七月下旬米価騰貴の理由にて三食廿三銭の賄料を廿七銭に値上せる為、同月廿六日同所の職工千二百余名は総会を開き、代表者を挙げて賃銀の値上を要求せしに、同所にては賄料値上額と同額なる四銭の増給をなすべきを回答せり。然るに一部の職工は之を少額なりとして、更に日給三十銭の値上要求の陳情書を提出せしに、同所にては之を不当として卅一日却下したり。是に於て彼等は直に同盟休業をなし、東京印刷工組合信友会と気脈を通じて連日協議を凝せるが、同所にては断然此等の罷工者を解雇せり。
 八月四日午後六時より信友会幹部十数名会合して前記被解傭者の善後策を協議したる結果、若し罷工一週間以上に亘る場合には其の賃銀の半額を支給し、一方博文館に対して強硬なる交渉をなす事に決したり。博文館にては同会より交渉を受けたる結果、七銭以上十二銭以下の増給をなすに至りたるを以て、一部退社する者ありたれども、其の大部分は再び平常に復したり。
 因に博文館の同盟罷工は、忽ち市内数多の印刷所を刺激し、日清印刷・福音印刷の両株式会社を始め、其の他の印刷職工は経営者に向て賃銀の値上を要求せしに、経営者側にては何れも後難を恐れて一割乃至二割の増給をなし、人心漸く鎮静に帰し、同盟罷工に至らずして穏便に解決を告ぐるに至れり。
  (ロ)汽車製造会社東京支店の同盟罷工
 同所は本社を大阪に有し、目下二百余名の職工を使用せるが、八月上旬従業者奨励の方法として、二週間皆勤者には三割の増金と一日分の手当とをなし、一日欠勤者は二割、二日は一割の増金を給与することゝせり。然るに火を取扱ふ鍛工等は、昨今の暑気に一週間二日以上休養するを要するを以て、他部と区別して欠勤四日迄は勤務賞を渡し更に幾分の増給をなさんことを五日午前九時技師長に向て要求せり。然るに其要求拒絶せらるゝや、同日午後一時より八十余名の職工は同盟罷工をなせり。同所にては累を他の職工に及ぼさんことを恐れ、遂に其の要求の大部分を容れて、漸く平穏に復したり。
  (ハ)石川島造船所の同盟罷工
 同所は約五千の職工を使用せるが、六日約百五十名の職工は、諸物価騰貴の為在来の給料にては生計困難なりとの理由の下に、同盟休業して幹部に増給を迫れり。同所にては職工の給料は一箇月最下級の者にても五十円以上、最上級は二百五十円許にして、之を他に比し敢て薄給なるに非らず、殊に昨年は三回、本年も四月と七月とに各一回増給したるを以て、今更に増給する理由なしとて断然之を峻拒せり。幸に該同盟罷工の大部分は実力なき不勉強の者若くは新参職工なりしを
 - 第30巻 p.716 -ページ画像 
以て、何等の反響なく直に平穏に復することを得たり。
  (ニ)東京製鋲会社の同盟罷工
 同社の仕上部職工二百余名は、十六日朝物価騰貴を名として二割五分の増給を要求せり。会社側にては先月中二割の増給をなせし故、今回は白米を一升二十五銭にて廉売すべしと回答せしに、職工等は是れに応ずる能はずとて、遂に同日午後より同盟休業をなし、且つ示威運動を開始せり。是に於て会社側は已むなく二日間の臨時休業をなすに至れり。
  (ホ)陸軍砲兵工廠の不穏
 同廠にて物価騰貴に鑑みて、七月十八日常雇五千人・請負一万五千人、計約二万人の職工に対して、八月十六日以降夫々賃銀値上をなし又請負工には二割五分乃至三割の増給をなすべしと発表し、以て人心の緩和を計れり。然るに八月二十八日請負工等が賃銀を受領するに当り、一割七分の値上たるに過ぎざりしより、彼等は大に憤慨して、内内協議を凝らし、九月一日は日曜日なるにも拘はらず、一同臨時出勤をなし、課長に向て其不法を詰り、且つ曩に発表されし実行を迫り、一時不穏の状を呈せしも、大事に至らずして平穏に復せり。
  (ヘ)木造造船所の同盟罷工
 月島に於ける東京・月島・川崎・東都・東京湾・隅田川各木造造船所の船大工三百余名は、目下の物価騰貴に対し、従来一円八十銭(十時間)の日給は薄きに過ぐとの理由の下に、九月四日以来一同同盟罷業して日給五割の値上を要求し、一方他の職工にも暴行を加へて休業せしむる等不穏の挙に出でたり。是に於て造船所側に於ては彼等と種々折衝の結果、約二割の値上をなすことに決し、六日より全部旧の如く就業するに至れり。
  (ト)日本電気株式会社の同盟罷業
 同会社職工八百余名は、九月上旬以来物価騰貴を名として密議を凝らしたる結果、会社に向て三割以上四割の賃銀増額を要求し、九月十三日正午迄に回答を迫れり。然るに会社側にては定刻迄に何等の回答をなさざりし為、遂に同日正午より八百五十余名の男女職工は一斉に同盟休業をなせり。会社側にては直に重役会を開き協議をなしたる結果、戦時手当として一般に三割の増給をなす事に決し、翌十四日之を公表し、漸く落着することを得たり。
 (2)東京府下
  (イ)松尾鉄工所(大井町)
 同所職工百六十余名は、七月中賃銀三割の値上を松島社長に向て要求せしも、爾来回答に接せざるより、八月四日午後一時、更に社長に対して賃銀値上を懇請せり。然るに同所にては尚ほ明確なる回答をなさざりしを以て、職工等は大に憤慨し、同日午後二時頃より同盟休業して鮫洲八幡神社に集合し、善後策を講ぜり。是に於て同所にても大に驚き、種々交渉の結果、何れ時機を見て値上を決行することとなして解決を告げたり。
  (ロ)市川合名鉛筆工場の同盟罷工(大井町)
 八月上旬同所の職工二百六十余名は、賃銀の値上を要求し、三日間
 - 第30巻 p.717 -ページ画像 
に亘つて同盟休業をなせり。
  (ハ)白金莫大小工場の同盟罷工(上大崎町)
 同所の職工二百余名も、八月十日頃より賃銀の値上を要求して同盟休業を企てしが、結局一割五分増に交渉纏り、十二日より一同就業するに至れり。



〔参考〕最近の社会運動 協調会編 第六八六―六九四頁 昭和四年一二月刊(DK300089k-0033)
第30巻 p.717-726 ページ画像

最近の社会運動 協調会編  第六八六―六九四頁 昭和四年一二月刊
 ○第一編 第十三章 第一節 米騒動
    第一項 原因
 大正七年八月中旬に突発せる米騒動は、当時我国を震駭させた最も重大なる事件の一つである。明治以後に於いても騒擾事件は、日露戦争直後の焼打事件其他沢山あるが、何れも一地方に於ける単なる一時的の行動に過ぎない。然るに米騒動はこれと異り、中産階級以下のものが生活上の圧迫から逃れん為めの運動であり、富豪階級に対する反感から醸成された自発的行動である。而してその影響は既に十一星霜を経た現在にまで直接間接に及ぼし、欧洲大戦と米騒動とは、我国の社会状態に急激な変化を及ぼした二大原因であるとさへ言はれる位である。
 米騒動の原因に関して、内務省の調査するところに依れば「米価の暴騰は騒擾の近因なるは疑ひなき所なるも、富者階級、殊に謂はゆる成金なるものゝ奢侈が一般人民をして憤懣せしめ、偶々米価暴騰の為めに憤懣が爆発」した。而して「騒擾に関する政治的意義としては極めて微々たるもの」であると言つて居る。(宝文館「米と社会政策」による)
      第一 米価の暴騰
 米価は大正六年下半期頃から漸次昂騰の歩調を辿り、騒動の勃発大正七年の八月には次表の如く急激に騰貴した。
  正米卸売価格(東京深川市場)


 年次      価格        年次    価格
          円               円
大正六年一月  一六・三七    大正七年一月 二四・〇三
大正六年六月  二〇・三〇    大正七年六月 二八・六八
大正六年十二月 二三・三六    大正七年八月 三九・一八
              (農商務省食糧局第二次米穀統計)

 而して米騒動勃発当時は、四十六円三十銭迄になつた。
 この米価騰貴の原因は、前年度の減収・印度政府の蘭貢米輸出禁止通貨の膨脹・一般物価の騰貴等、種々あるが、最大の原因は投機業者の思惑による売惜買占等である。大阪期米(先限)が大正七年三月以降、正米に先立つて急速に騰貴せることなどはよく此の間の消息を物語るものである。
      第二 諸物価の騰貴と賃銀の関係
 米価が如何に騰貴しても、他の物価が騰貴しないか、或は賃銀がそれ以上に昂つて収入が増加するに於ては、米騒動の如き大事件は惹起されずに済んだかも知れぬ。いま次に諸物価と賃銀の関係を見よう。
 先づ米騒動の起つた前年の十二月から十箇月間(大正七年九月迄)
 - 第30巻 p.718 -ページ画像 
に亘る東京市内卸売物価及び賃銀指数を、東京商業会議所調査によつて見るに次の如くである。
  東京市卸売物価指数及賃銀指数(明治三十三年=一〇〇)

図表を画像で表示東京市卸売物価指数及賃銀指数(明治三十三年=一〇〇)

      指数 物価指数  物価騰貴率  賃銀指数  賃銀騰貴率  物価に対する賃銀の較差 月次 大正六年十二月 二三四    ―     二〇五    ―    (減)二九 七年一月    二四四   一〇       ―    ―        ― 二月      二七四   三〇       ―    ―        ― 三月      二七九    五     二〇三 (減)二    (減)七六 四月      二八二    三       ―    ―        ― 五月      二八四    二       ―    ―        ― 六月      二七七 (減)七     二〇七    四    (減)七〇 七月      二八一    四       ―    ―        ― 八月      二九七   一六       ―    ―        ― 九月      三〇五    八     二三〇   二三    (減)七五 



 以上によれば、物価は大正七年六月に於て一度下落した以外は何れも騰貴の傾向を示し賃銀も同年三月少しく下落をしたが、再び昂騰してゐる。然しながらその騰貴率は到底物価に追ひつかぬ状態であつた
 尤もこの物価指数の内容には、生糸・綿糸・鉄・木材等、直接労働者等の生活に影響しないものまでも沢山含まれてゐる(例へば一般卸売物価指数が大正七年三月に急騰したのは、金属類殊に洋塊鉄が九九七より一、六八一になつた為めであつた。)依つて更らにこの中から彼等が日常に使用し、その騰落が直ちに彼等の生活に影響を及ぼすであらうと思はれる生活品十二種目のみを選択すると次の如くになる。
  生活品価格指数

図表を画像で表示生活品価格指数

      品種  米    小麦   食塩   清酒   味噌   醤油   砂糖   茶    沢庵   鰹節   薪    木炭   平均指数   騰貴率 月次 大正六年十二月  二〇〇  二一二  一三三  一九八  二四〇   九六  三一九  一三四  二五七  二三八  二四二  二四〇  二〇九      三 七年一月     二〇二  二四九  一三三  一九八  二四〇   九七  二九二  一三五  二二七  二四二  二五七  二五六  二一〇      一 二月       二一一  三〇二  一三三  一九八  二六〇  一〇四  三一五  一三六  三一〇  二五一  二六五  二六四  二二九     一九 三月       二二三  二九六  一三七  一九八  二八九  一〇七  三二一  一三六  三六四  二五一  二七三  二六四  二三八      九 四月       二二一  三〇六  一三七  一九八  三〇二  一〇四  三四六  一三七  三八三  二五九  二九二  二六四  二四五      七 五月       二二三  三九〇  一三七  二〇六  二九〇   九八  三二〇  一七二  三五一  二四八  二九二  二九三  二五二      七 六月       二四一  二七七  一三七  二〇六  二九三  一〇四  三二四  一七四  三〇三  二三三  二九二  二九三  二三九  (減)一三 七月       二五七  二六六  一三七  二〇二  三〇二  一〇三  三一五  一七七  三四八  二三八  二七三  二九三  二四二      三 八月       二二九  三一二  一三七  二〇九  三二九  一〇七  三二五  一七六  三九一  二五六  三〇三  三一〇  二六五     二三 九月       二二五  三〇六  一三七  二二三  三五〇  一二〇  三三五  一七四  三八八  二七五  三三九  三三八  二七五     一〇 



 右表によれば生活品の価格指数は、一般の物価指数に比して高い騰貴率を示し、且つその高低の差も激しい。例へば大正七年六月の指数は前月のそれより十三を低落して、一般に下落の気味であつたものが米騒動の当月たる八月には、僅か一箇月を隔てゝ反対に大暴騰をなした如きである。
 斯様に価格が急騰することや高低が激しいことは、自然に一般の人心を不安に導いてゐたであらうと思はれる。ところへ更にこの八月の暴騰には、国民の主要食糧たる米麦の急騰を初め、食塩・茶を除いた一切の物価が昂騰したので、国民生活の上に急激なる脅威が感ぜられ
 - 第30巻 p.719 -ページ画像 
るやうになつたのである。殊に労働者や下級民にはこれが一層強い刺戟を与へたであらう。
 然しこれとてもまた賃銀収入に於て増加があれば、相当に緩和されたであらうけれども、実際は賃銀の騰貴率が前述の如く少なかつたため、これを除去することが出来なかつた。いま賃銀と生活品物価との関係を見るに次の如くである。
  生活品価格指数及び賃銀指数

図表を画像で表示生活品価格指数及び賃銀指数

      指数  生活品価格指数  賃銀指数  物価に対する賃銀の較差 月次 大正六年十二月  二〇九      二〇五   (減) 四 七年一月     二一〇        ―       ― 二月       二二九        ―       ― 三月       二三八      二〇三   (減)三五 四月       二四五        ―       ― 五月       二五二        ―       ― 六月       二三九      二〇七   (減)三二 七月       二四二        ―       ― 八月       二六五        ―       ― 九月       二七五      二三〇   (減)四五 



 即ち大正六年末に於ては生活品価格指数と賃銀指数との懸隔が余りなかつたが、大正七年に入つてからは、両者の差較が著しくなつたため、収支の不均衡が急に現はれるに至り、九月に於て愈々激しくなつて来たのである。尤もその前月にあたる米騒動の月には、賃銀指数が不明なので、これが差較を明瞭に知ることは出来ないが、九月に於ける差較から推測しても決して減少してゐたとは考へられないし、また生活品価格が急騰してゐる点から推せば、反つて甚だしかつたのではなからうかとも想像が出来よう。斯くして生活品価格と賃銀との相違が一時に増加したことは、結局は労働者の実質賃銀が下落した訳になるので、彼等の生活は、収入上に於てもまた著しい脅威を蒙つてゐたとは言はねばならぬ。
 以上は小売より低廉なる卸売価格から見たのであるが、それすら斯くの如き賃銀との差較を生ずるのであるから、若しこれを小売価格に対照すれば、一層収支上の不均衡が生じ、彼等は痛切なる生活不安の中にあつて、世の中の好景気と全く相反する有様であつたらう。
      第三 成金と一般思想の変化
 労働者及び一般の下層階級が斯く生活不安に陥つてゐた際、一方に於ては欧洲大戦の開戦当時一時不振であつた我国の経済界も、戦争が長引くに随つて俄かに回復し、戦前以上の好況を呈するに至つた。いま戦前より大正七年に至る貿易金額を列記すれば次の如くである。

  年次       輸入額         輸出額          差引額
               千円          千円            千円
 大正二年     七二九、四三一     六三二、四六〇   (入超) 九六、九七一
   三年     五九五、七三五     五九一、一〇一   (入超)  四、六三四
   四年     五三二、四四九     七〇八、三〇六   (出超)一七五、八五七
   五年     七五六、四二七   一、一二七、四六八   (出超)三七一、〇四〇
   六年   一、〇三五、八一一   一、六〇三、〇〇五   (出超)五六七、一九三
 - 第30巻 p.720 -ページ画像 
   七年   一、六六八、一四三   一、九六二、一〇〇   (出超)二九三、九五六
            (大蔵省大日本外国貿易年表大正八年)

 大戦勃発当時は貿易も不振であつたが、大正四年以来輸出超過となり、それに伴ふ経済界の好況は企業心を刺戟せずにおかなかつた。事業資金の状態を一瞥すれば左の如くである。

   年次      計画資本金
  大正四年     二九二百万円
  大正五年     六五七
  大正六年    一五六二
  大正七年    二六七六
                    (日本興業銀行調査)

 大正四年の二億余円は、開戦当時の余波を受けて反つて明治四十三年以来の不振であつたが、其後僅か二・三年にしてこれと比較を許さぬ程の大発展をしたのであつた。
 かくて謂はゆる成金の発生となつたが、此等の富豪は自己の労力で営々富を獲たといはんよりは、むしろ偶然の機会を掴んだものであるから、彼等の富に対する主観的価値は割合に尠なかつたかも知れぬ。その為めであらうか、驕奢なる生活は実に驚くべきものであり、謂はゆる成金振を発揮して識者に顰蹙され、殊に益々深刻に生活の不安に脅かされつゝあつた下層階級の人々は、これに対して憎悪をさへ感じたのである。
 殊に欧洲大戦以来は、我国の思想界にも急激な変化が起つた。民主思想の普及や、社会主義的思想に基づく階級観念の発達等、国民一般の思想上に変化を来し、これが富豪に対する反感、階級的観念の発達と相俟つて、世態をいよいよ複雑ならしめたのであつた。
 以上列記せる諸事項は米騒動の原因であるが、要するに、当時の社会状態が既に或程度まで事件を勃発せしめるまでに爛熟して居たところへ、偶々米価の暴騰があつて、その動機を与へたのであると解することが出来よう。
    第二項 米騒動前に於ける米価及物価調節策
 大正六年以来米価及び其他一般物価の騰貴は愈々甚だしくなつたので、寺内内閣はこの傾向を人為的に抑圧せんとする企図に出で、大正六年九月一日「暴利を目的とする売買取締に関する件」(暴利取締令)を農商務省令第二十号を以て公布し、「物品の売惜又は買占」を取締り物価の調節と併せて、当時昂騰の傾向を辿つてゐた米価の調節をも行はんとした。然し期待せる程の効果もなく、米価に対しては政府米の売渡等を行つて専ら引下に努力したけれども、矢張り騰貴の強調を保つて同年は終つた。
 大正七年に入つてからは物価は更に奔騰をつゞけたので、暴利取締令の適用範囲を肥料にまで拡張し、数名の違犯者を戒告したが、大勢はいかんとも出来なかつた。其他政府の行ひし米価引下げ策は次の如くである。
 一、米麦・肥料の輸出制限
 二、外国米の管理(臨時外米管理部の設置)
 - 第30巻 p.721 -ページ画像 
 三、廻着米の増加促進
 四、取引所の取引停止
 五、受渡米の代用範囲の拡張(下米建となす)
 六、小口落の禁止
 斯く米の数量調節や市場抑制を行ひ、又白米小売商に対する小売値段廃止命令を出して鋭意調節に努力せるが、大勢の赴くところ如何ともなし難く、遂に米騒動の不祥事件が突発したのである。
    第三項 米騒動の勃発
      第一 発端
 米騒動が全国に蔓延して大事件となつた発端は、大正七年八月五日の富山県中新川郡滑川町に起つたのであるが、それより前七月二十三日の早朝、同県下新川郡魚津町に於て漁夫の婦女子四十六名が海岸に集合して米価の昂騰を非難し、米商に米の廉売を哀願し、ついで八月三日同県西水橋町、四日生地町、五日東水橋町及滑川町等にも、漁夫の婦女子の哀願運動が行はれた。滑川町に於ては更に翌八月六日、漁夫・仲仕の婦女子約三百名が、某米商の前に集つて米の廉売を哀願し其際千余の群集がそれに加はり一時は相当喧騒したが、別に暴動的の行為はなかつた。
 北陸の一僻村に、かやうな事件が起つたのには理由がある。元来同所は以前加賀藩の所領にして、慶安・承応年間に「改作法」を樹立し乍ら、一方地割制度や開墾助成制度を実行し、且つ百姓十村・村肝煎等を置いて農事を改良し、米穀の生産を増加せんとした。その為め同藩では米が藩財政の中枢となり、「越能米」の名称の下に、大阪はじめ各地へ移出してゐた。此等の必要上、領内の要所に数十箇所の藩倉が設けられ、米の貯蔵及米価の調節をなして居た。滑川町には寛文十年に此の藩倉が設置せられた。此の藩倉制度はその所在地の住民をして「倉から米が出る時は米価高し」といふ観念を、無意識の中に涵養してゐたらしく、今回の哀願運動も、米を積出す汽船の入港が導火線となつたのである。その為め同地方に於ては、米価の高い時に米商に哀願することは従来も屡々繰返され、富山県警察部調査に依れば、明治二年より大正七年迄十九回四十五箇所に行はれたといふ。かやうにして、米価に対する恐怖があつたところへ、米騒動の月は偶々漁夫にとつて、七・八月は「鍋破月」と称ばれ、一年中に於て最も不漁にして生計困難な時期になつてゐたので、米価が魚津町では一升三十九銭五厘、滑川町では三十七銭に暴騰するや、先づ哀願運動に出でたのであつた。
      第二 米騒動の発展
 富山県殊に滑川町に於ける米価引下げ運動は、新聞紙に依つて「女一揆」等の題名のもとに、全国的に報道せられた。然かも当時は、例へば東京深川市場に於いて、七月に二十八円五十銭乃至三十三円の米価が、八月に入つて四十六円以上に急騰したといふやうに、物価騰貴が人心を不安ならしめた際であつたから、忽ち各地に迄蔓延して騒動が起つた。富山県の調査によれば、騒動勃発の日及び期間は左の如くである。
 - 第30巻 p.722 -ページ画像 

 府県  発生月日   期間   府県  発生月日  期間
 和歌山 八月九日  六日間   福井  十三日  一日間
 愛知    同日  四日間   山口   同日  三日間
 広島    同日  四日間   福島   同日  六日間
 大阪    十日  四日間   香川  十四日  一日間
 京都    同日  六日間   愛媛   同日  二日間
 岡山    同日  五日間   山梨  十五日  一日間
 兵庫   十二日  二日間   大分   同日  一日間
 奈良    同日  三日間   宮城   同日  二日間
 三重    同日  三日間   高知   同日  一日間
 静岡    同日  三日間   神奈川  同日  二日間
 東京    同日  四日間   福岡  十六日  二日間
 石川    同日  一日間   新潟  十七日  一日間
 岐阜    同日  四日間   長野   同日  一日間
 滋賀   十三日  一日間   宮崎   同日  一日間

 即ち期間は八月九日より十九日に至る十一日間で、区域は三府二十五県に達する。此の騒動惹起の主動力となつたものは細民や下層労働者で水平社員も亦加はつたが、他から煽動された形跡はない。而してその行動には甚だ不規律なところが多く、組織も聯絡もないといはれてゐる。関西の某所に於ける当時の検挙員数千七百余人に就いて見るに、職工四百六十余人・荷車輓百二十余人・無職三百四十余人、其他の労働者が三百五十余人あり、其他の者も大抵は土方・日稼人・手伝漁夫等下級に属する人々が多かつた。
 此の騒動に参加せる人数は甚だ多い。固より的確の数は分らないが八月十二日に神戸市では二万の大衆が集合したといはれ、大阪府警察部調査では、延人員六十一万四千八百九十人が約四百六十七箇所迄に起つたと推定されてゐる。かゝる多数の人々を鎮静せしめるには到底警察力のみでは不可能であつた為め、暴動の起つた各府県では軍隊の出動を申請した。大阪府で軍隊の配置された期間は八月十二日より十七日に至る六日間で、総数九千八百四十四人、これに憲兵三百七十九名が参加した。
 被害に就いては、阪神地方は最も激しい方であつて、中でも激しいものの一つであつたといはれる兵庫県では、火災に依つて焼失した家屋から、戸障子を破壊された程度までの家屋が、郡市合せて五十戸位であつた。又大阪市に於ける家屋の被害は次の如くである
  焼失         二戸
  全壊         一戸
  一部破壊      五二戸
  戸障子程度破壊  二四〇戸
 そしてこの中の大半は米商であり、其他貸座敷・飲食店等が多い。けれども騒動の大きい割合には被害は尠なかつたやうである。
 次に死傷人員に就いて見るに、大阪府に於ける死傷人員は次の如くである。
  死亡者        二名
 - 第30巻 p.723 -ページ画像 
  重傷者        九名
  軽傷者      三七〇名
  合計       三八一名
 右の中で死亡者は二人とも民衆であつた。警官・消防・軍人等にも負傷者があつた。
 騒動の当時は検束者が多かつたが、騒擾罪として起訴された者は、司法省の調査によれば九月に這入つて全国で三千五百十二人と発表された。その中で最も多い所は次の如くである。
  名古屋市     三四〇人
  山口及福岡(各) 三〇〇人
  東京市      二八〇人
  神戸市      二五〇人
  大阪市      二〇〇人
  京都市      一〇〇人
 大阪に於ては十六歳より十九歳の少年が六人あつたとの事である。
      第三 善後策
 米騒動の勃発は、時の為政者は勿論、一般の国民にも異常な衝動を与へた。八月十三日には御内帑金三百万円の御下賜があり、この御下賜金は直ちに全国各府県に分配され、貧民救済費に充当された。
 政府は同日一千万円を余剰米購人資金に支出した。又内務省では全国富豪からの寄附募集を受附け、二百八十万一千円を得て十七日各府県に分配した。又各府県及都市等の自治団体でも、その対策として管内富豪及一般からの寄附金を募集し、大阪では百十二万百八十円に上り、東京府でも救済事業寄附金百十四万六千八百八十円(大正七年八月二十一日東京朝日所載)を得、別に東京市では大富豪か集まり、八月十五日東京臨時救済会を設立して、八月三十日までに百〇九万余円を得た。
 各府県は此等の寄附金を以つて一斉に内外米の廉売を開始した。尤も暴動以前に於ても大阪市は八月五日より、神戸市は九日より外米の廉売を開始してゐたが、一般には騒動勃発直後に始めたのが多い。而してその目的は一般人心緩和の為めにするものが多かつた。それ故に配給範囲も神戸・大阪の如き大都市では、一般市民以外各官庁の薄給者にまでも拡張され、又価格も外米一斤に付き十五銭、内地米三十三銭乃至三十五銭で、一般市価より十銭内外廉価であるのが普通であつた。資金潤沢な東京の如きは外米を十銭で販売したが、廉売期間は大抵は八月末を以つて打切つたのを、東京だけは其の後も市内の白米商に委託して当分の間継続して居つた。
 政府はまた、新聞紙に対して、八月十四日「米騒動に関する掲載禁止」を行ひ、十七日に至つて「的確なる事実に限り」との条件附で解禁した。そして八月十六日には東京に緊急内務部長会議を召集して取締方針を協議し、尚ほ一方に於いては米穀の出廻り数量を増加させる為めに、八月十六日緊急勅令を以つて穀物収用令を発布し「補償金額を定めて米雑穀を収用」することとした。その為め内地米の管理も必要となつたので、従来あつた臨時外米管理部官制を改正し、臨時米穀
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管理部とした。
 此の外騒動の発生した各地ではその抑圧の前後策を講じ、例へば大阪府の如きは八月十四日より二十二日迄外出制限令を発布して、五人以上の集団をなして歩行することを禁止したのであつた。
      第四 騒動後の米価
 騒動中は人心恟々として居り、白米小売商は襲撃を惧れて閉店せる者多く、その為めに標準値段が建たず、東京に於ては定期・正米市場が休業せる為め、総べて暗中模索の有様であつた。八月十五日より両市場とも開場したが、暫らくは乱調子にて、買方の気勢少しも昂らずその上各地の廉売や穀物収用令や内地米管理など政府の政策に禍され八月十日全国に於ける中米相場の平均価格四十二円五十銭のものが、九月七日には三十六円十七銭に低落した。其後人心が静穏になると共に、九月に於ける二回の暴風雨と天候不良の為め、再び昂騰して、遂に大正八年七・八月頃から十二月にかけて嘗つて見ざりし最高の価格を現出するに至つたのである。
    第四項 米騒動の社会的影響
 米騒動は前述の如く我国に於ける下級民の一の大衆行動であつた。その意味に於てこれが社会に一大変化と衝動とを与へたことは勿論である。
      第一 政治上の影響
 米騒動も一先づ鎮静せる九月二十一日に寺内内閣の総辞職が行はれた。それは西伯利亜出兵、政友会の離反、其他重大なる政治的理由のあつたにしろ、直接原因は米価調節の失敗に因る米騒動のためであつたといつてよい。寺内内閣に代り原内閣となつてからは、今までの人為的調節策を廃して、専ら自然的の調節方策をとり、米穀輸入関税の撤廃・暴利取締令適用中止・外米管理規則の廃止等の自由主義的政策を実行した。又騒動後最初に開かれた第四十一議会に於ては、食糧品自給自足に関する請願が二百件、米価調節に関する請願が二十六件といふ多数であつた。
      第二 米の数量及価格調節に関する諸問題
 米騒動直後の廉売や米穀収用令の発布は、騒動を鎮静せしむる強心剤的注射に過ぎず、根本的に之れを救済する策としては米の数量を調節しなければならぬ。それに就いて政府の対策は次の如くであつた。
一、米穀法の制定
 米穀法が設けられた直接の動機は大正九年以来の米価暴落にあるも抑もの沿革を索ぬれば此の法案は最初は米騒動当時、臨時産業調査局に於て調査に着手したのが初まりである。後成案を得て寺内内閣が臨時国民調査会に「米価調節綱領及要綱」として諮問した。ところが此の調査会は大正八年七月九日廃止せられたので、之れに代つた臨時財政経済調査会に「糧食充実に関する根本方策」といふ別名を以つて再び諮問せられ、漸く成案を得て四十四議会に提出、修正可決の結果、大正十年四月四日、法律第三十六条を以つて発布せられたのである。
二、食糧局の設置
 食糧局の設置は元来米穀法施行に関聯して出来たものに外ならぬが
 - 第30巻 p.725 -ページ画像 
その沿革は大正七年四月二十五日農商務省が米価暴騰の対策として外米を管理する必要から臨時外米管理部を設け、これが米騒動当時の八月十六日に内国米をも管理して臨時米穀管理部となり、爾後大正十年五月七日に食糧局が設置せられるまで存続し、その事務は食糧局に受継いだのであつて、食糧局は結局米騒動当時出来た臨時米穀管理部の延長のやうなものである。
      第三 社会政策的施設の発展
 米騒動の影響の中で最も顕著であるのは社会政策的の施設が従来になく発展したことである。
一、社会事業団体の設立
 社会事業団体は、米騒動以前も救貧事業・慈善事業、其他の事業種目に従つて設立されてゐたが、大正七年の米騒動以後は更に急激な増加を示した。私設社会事業の経費が大正十四年度には総額二千三百余万円に上り、また社会事業関係の地方費が明治四十四年から大正六年に至る七箇年間は、大体各年百四十万円を上下してゐたが、大正七年は一躍一千二百万円となり、大正八年は一千五百万円、大正九年以降は二千万円を超えてゐるのにみても、その情勢を察知出来よう。その原因は米騒動の結果各地で寄附金を募集し米を廉売し、その剰余金で設立したのと、かゝる事態に至つて富豪連が自覚し、社会事業を進んで行ふやうになつたのとである。前者の例としては大阪府の方面委員後援会の設立等がある。同会は府の廉売寄附金残額五十五万三千八百余円の半額を以て組織せられたのである。後者の例は米騒動直後大阪市で新聞社及市内の富豪が集合し、大阪救済事業後援会なる団体をつくり、寄附金九十四万一千余円と、それに内務省委託寄附金及府の廉売米寄附残額配布金利子等を合し、一百三十四万円を得て種々の社会事業を行つた。又兵庫県では従来からあつた兵庫県救済協会を、騒動当時の寄附金に依つて拡張した。尤も富山県社会事業協会の如く、元来二十万円で米騒動直後に設立する予定であつたものが、日を経るに従ひ募集困難に陥り、僅か一万一千余円で出来たやうなものもある。
二、地方に於ける社会行政機関の発展
 地方官庁に於ける社会事業行政も最初は内務部地方課の所管となつてゐたものが多く、米騒動のあつた後事務の増加するに従つて、独立して一課となつたものが多い。例へば大阪府で初め救護課として独立したものは大正七年六月であるが、大正九年一月に社会課と改称した又東京府では大正八年十一月社会課を設置したのである。現在に於て全国の各府県でこの課の無い県は一もない。
 地方官庁に於けると概ね同様の径路を経て、各都市にも社会課又は社会局の設置を見るに至つた。先づ大阪市に於ける社会部の沿革を見るに、大正七年七月一日に庶務課内に救済係を設置し、米騒動当時は此の係に依つて廉売等を行つたが、大正八年一月救済課として一課が独立し、次いで九年四月二日社会部制を施いて今日に至つてゐる。神戸市も従来かゝる事務を衛生課に於て取扱へるも、大正八年四月救済係を特置して、九年四月社会課とした。斯様にして各都市に於て、現在分課を有するものは二十七市を算するのである。
 - 第30巻 p.726 -ページ画像 
      第四 社会運動に及ぼせる影響
一、労働運動に及ぼせる影響
 米騒動は殆んど全国に亘つて起つたのであるから、その影響は尠くなかつたのであるが、その中でも米騒動の当時から直後にかけて最も著しく影響を蒙つたのは労働争議で、米価の暴騰が賃銀値上要求に対し機縁を与へた為めであらう。そしてこれが争議の性質もまた自然に暴動的になつてゐた。八月十三日に起つた大阪の日本ペイント株式会社の罷業、十四日に勃発せる熊本県八代郡鏡町の日本窒素肥料会社工場の罷業等がその実例である。そして八月十三日の舞鶴工廠の職工暴動などもまた激しかつたらしいが、それより以上に甚だしかつたのは米騒動当時から直後にかけて起つた九州方面の炭坑騒動といはれてゐるものである。これは九州でも炭坑の多い福岡・佐賀・熊本等で、この方面は寧ろ炭坑騒動の方が米騒動より大きかつた位である。例へば八月十七日に起つた峰地炭坑の如きは職工のダイナマイト騒ぎがあつて、民衆と軍隊の双方に相当の死傷者もあつたといふ。尤もこれ等の炭坑騒動は米価暴騰の結果ばかりでなく、その当時この地方には浦塩出兵の動員があり、その恐怖や出兵の為めの食料品の配給不能、及び不足に対する懸念からも幾分誘導されたやうである。
二、水平運動に及ぼせる影響
 米騒動の主体となつた人の中には、多くの水平社員が混入され、騒動の起つた諸府県中大多数のものにこの人々が混つてゐたと言ふ。かかる多数の水平社員が期せずして一致したのは今回を以て嚆矢とするであらう。その為めこの人々の間に、自然に無意識ながらも、団結に対する自覚の徴が胚胎したと見られる。其後四・五年の後に創立された水平社は間接ながら米騒動が動因を与へたといふことは、これに携れる当事者の語るところである。



〔参考〕竜門雑誌 第三六一号・第六三―六七頁 大正七年六月 ○東京米市場概況(五月中)(DK300089k-0034)
第30巻 p.726-731 ページ画像

竜門雑誌  第三六一号・第六三―六七頁 大正七年六月
    ○東京米市場概況(五月中)
                  東京 渋沢商店報告

       正米相場      定期米相場(公定相場)     正米出来高
  日附
      (標準相場)  五月限  六月限    七月限     日計
         円    円     円      円          俵
 上旬平均  二八・〇九  ……  二六・七二  二六・八二   一〇、七八二
 中旬平均  二六・九八  ……  二五・六七  二五・三二    五、六一二
 下旬平均  二七・二七  ……  二六・〇二  二五・四九   一四、八一九
 月平均   二七・四六  ……  二六・一三  二五・八五   一〇、七四五
 月計       ……  ……     ……     ……  二九〇、一二七
      ○同上種類別
              俵               俵
 茨城米     一三、一九二  磐城・岩代米   七、一四〇
 千葉米     一三、七四九  羽前米     四八、四二三
 栃木・埼玉米   八、一八一  羽後米      六、七四五
 東海道米     一、九二一  越中米      九、六〇四
 陸前米     五〇、一〇六  越後米     二六、一八一
 陸中米      一、二八四  加賀・越前米   二、〇九七
 - 第30巻 p.727 -ページ画像 
 山陰道米       二六六  日向米     三四、〇七〇
 畿内山陽道米      二五  薩摩米     一四、三〇四
 四国米        四八五  朝鮮米     二〇、七六一
 肥前米      七、七六二  台湾米      一、四八五
 肥後米      八、四一六  外国米      二、六六四
 豊前米      一、九四一  内地白米       五〇七
 豊後米      二、七七四  同糯       四、五〇七
 筑後米      一、五三七   合計    二九〇、一二七
 
     ○五月中深川諸倉庫集散米状況

         内地米       朝鮮米      台湾米      外国米
              俵        俵        俵        俵
 入庫高    二〇三、一七五    五、九六九    六、九四九   三一、六四三
 出庫高    三〇四、九二一   二七、五六四   一九、二六三   三五、七二二
 月末在米高  五五九、六四三   三七、四九五   一九、三三四   二一、一三二

      ○五月中鉄道積廻着米高

         上旬        中旬       下旬       合計
              俵        俵        俵        俵
秋葉外十二駅  一九九、二五四  一六九、八七七  一五一、四一三  五二〇、五四四

○五月中商況一班 深川の正米は本月大波瀾を告げたり、則ち標準相場前月末より二十銭高の二十八円に始り、二十八円四十銭の高値に進み、中旬二十六円六十銭の安値に暴落し、月末二十八円十銭に盛返したり、其の平均は二十七円四十六銭にして前月に比し八銭高く、出来高は約十万俵減じたるも出庫高は変らず、入庫高は約五万俵を減じ、在米は十万俵減少し、一方鉄道の入米は最近著しく減退せるも通じて前月と変りなかりし
 如斯成行きを致したるは、政府の調節の手は益々拡大し前月下旬に外米の管理令発布されたるも、当時法の解釈さへ不明なりし為めならんも人気に殆んど影響なく、本月に入り益々高く全く調節を軽視するかを思はしめ、弥々外米の意外安売すベき発表に驚き大暴落を告げたるもの、寧ろ人気高潮の反動なりしが如く、各地とも之れが為めに買付の減少と共に入米薄く、在米は減退し月末一時に需用は加はり、殆んどアリガスレの有様となり、前高値に比し軟質米は尚二・三十銭安ながら、硬質の九州米の如きは遂に上廻りとなりたる程の好景気に月を了りたり                   (別項参照)
    ○新米以来の要計(出庫・入庫・在米は内地米のみを示す△印は古米建▲印ハ下米建)

図表を画像で表示新米以来の要計(出庫・入庫・在米は内地米のみを示す△印は古米建▲印ハ下米建)

 月次   正米相場    定期先物相場  正米出来高    深川出庫高    深川入庫高     月末在米高     鉄道積廻着高         円       円          俵        俵        俵          俵        俵 十 月  △二三・六一   二三・二八  二七三、〇四二  四四九、三五六  一一〇、五一四    三一八、八〇八  四〇三、七五九 十一月  △二三・九三   二三・七四  一九六、五三三  二六一、三三〇  一六五、九〇〇    二二三、三七八  五五〇、六二八 十二月   二三・四九   二三・五二  一四四、四六〇  一八二、二三三  二六九、三七三    三一〇、五一八  八二九、八九〇 一 月   二三・八四   二四・二九  一八四、七一四  一九八、五五六  三〇九、八二四    四二一、七八六  七四二、七九六 二 月   二四・九四   二五・四七  二一九、二九三  二一〇、一六五  三五四、八一〇    五六六、四三一  八〇三、九六九  以下p.728 ページ画像  三 月   二六・六〇   二六・四九  二三六、〇四六  二三〇、五〇三  三八二、六九六    七一八、六二四  八三七、〇九三 四 月   二七・三八  ▲二六・四九  三八七、八九八  三〇五、二九九  二四八、〇六四    六六一、三八九  五二三、九一二 五 月   二七・四六  ▲二五・八五  二九〇、一二七  三〇四、九二一  二〇三、一七五    五五九、六四三  五二〇、五四四 (参照) 前年五月  一七・二三   一八・七四  二七七、九一〇  三〇〇、三九五  二九九、三五九  一、七一二、七七一  五七四、四九六 



  ○米価の変動
      最近騰貴事情と前途
五月上旬より中旬に渉り暴落したる米価は、近来又復沸騰し安直より早くも一円七・八十銭高を告げ、殊に大下鞘の予想を以て迎へられたる新甫八月限は中限と同鞘に発会したるが如き、愈々高人気を発揮し所謂気一杯を現したりとも見られ、従つて跡とは不勢を齎し、一時落付模様ながらも尚強調を失はざりし、其変動の状況は左の如し
        正米    前比較   定期米   前比較
         円           円
 五月七日  二八・〇〇    …… 二七・三九    ……
                          円
 五月二十日 二六・六〇 一・八〇安 二四・七一 二・六八安
 六月一日  二八・三〇 一・七〇高 二六・五九 一・八八高
  備考 正米は標準相場の平均、定期米は七月限の最高最低を示す
而して最近急速に騰貴したる事情は、専売外米の思切つたる安直に驚かされて暴落したるも、其後売行模様は尚渾沌たる現状にて未だ実効期に達せざること(一)、下落の当時地方小口商人の思惑米は概ね片付きたること(二)、正米業者一般萎縮したると依然輸送不便の為めに買付は阻止せられ入米は減少し在米の減退を告げたること(三)、及び定期の下米建は其目的に反して時節柄の上米受渡が益々不引合となり売繋ぎは殆んど皆無となりたること(四)、等にして要するに嚮に外米売出直段の安きに驚き大下落を告げたる反動高と云ふべきのみ
右に付、尚遡りて案ずるに、前来より政府の調節に信頼したる人気に反し相場は昂騰を重ね、四月下旬に外米管理令の発布ありしにも感応なく、更に昇進するに連れ漸く調節を軽んずるに至り、知らず知らず人気は強硬に傾き殆んど其極に達したる折柄、外米の意外に安売を発表されたると偶々欧戦講和風説を動機として一挙に棒下げを演じたるが如き、畢竟人気の強きに過ぎたる反動にして、今回は更に又其反動高を繰返したるに過ぎざるべく、尤も定期市場は新甫七月限発会当時予て停止中の五月限は総解合成立し、身軽となりたる関係上自然動揺し易き折柄、暴利取締令に依り売方大手壱名仲買拾名戒告せられ、其買持(撫慮五拾万石と評せらる)を売戻したるに依り、更に波動も多きを致したるものなるべし
状況如斯なるを以て今後も尚幾多の波瀾は画かるべく、而して本年は米に対する世論の極度に達し、随て人気・相場の変態なるとにて正米業者は半ば休業状態にありて、仲次機関に欠陥を生じ居れるが為めに一時的需給の不調和により、尚此上如何なる状況を呈せんも未だ知るべからずと云ふものあると同時に、若し米価が現状維持又は勢ひに乗
 - 第30巻 p.729 -ページ画像 
じ更に騰貴することありとせんか、其一方に外米は必ずや思ひ切つて多くを輸入し、且其売出直段は今の直開きを以て押通すなるべく、尚麦作に此上の異状なしとせば之に依りて補ふ所多からん、而して米作期も幸に無事なるを得、四辺順調に経過するときは直頃の関係上新米を早売するものゝ為めに、持越古米の露出となり外米は取り残され、玆に供給不足の予想は一転し供給潤沢を現実にするの気運に達すべしと論ずるものあり、何れにせよ高低材料の多々なる米界の前途尚多忙なりと云ふべし
  ○外米売行模様
政府持高の内、現在品は其二割を残し其の余の八割は既に売尽したる由なるも、出庫の手続複雑にして時日を要し、殊に販売経路の異れる為めに需用方面へ分布したるもの未だ多きに至らず、而かも此内指定商人より直接買入れたるものと、外米商を経て買入たるものとは当然其元直に差異あり、加ふるに政府専売以前の高直時代より持越したるものは更に甚しき差あり、何れも其の相場は政府の指定直段を標準とする外なきも、其の間自ら相場の区々たるを免れず、殊に運賃の多くを要する地方の相場は一層不同なるべし、故に外米市況の状況は未だ渾沌として其の成行を捕捉する所なき現状なるが如し
而して東京市内に於ける状況は内地米との差格最も多き丈けに、買望む者少からざる模様なるも、之を供給すべき小売商の態度定まらざるが故に広く販売するに至らず、自然需用も起らざるものゝ如し、尤も小売商に在りては一口千俵以上の仕入は不可能なるを以て、外米商より仕入るときは夫れ丈け高価となるに対して、可成安価に消費者へ販売せしむる政府の方針に副ふとせば、勢ひ薄利なる事が今日小売商が外米販売に不熱心なると同時に、需用の起らざる所以なるべし、故に若し此際小売商をして相当利益を見込たる標準相場の下に随意に販売せしむる時は、各自競争の結果相場は自然相当の所に平準し広く需用を喚起するを得べく、更に内地米に外米の適当量を混合販売するの自由を与ふれば一層効果あるべし、此意味の下に同組合は寄々協議中なるを以て、早晩何等歟の方法に依り需給投合の機に接し、相応販路開拓の緒に就くなるべし
 

     △深川市場の外米相場      指定直段
 特等蘭貢白米  百斤  八円十銭    七円九十銭
 西貢二等白米  同   七円九十五銭  七円七十銭
 東京一等白米  同   八円四十銭   八円〇
 同二等白米   同   八円〇五銭   七円七十銭

  ○外米管理概況(買入総高二百万石)
 外国米の買入及売渡に関する件に就き、三日農商務省外米管理部の発表せる所左の如し
△外米買入高 指定商をして買入れしめたる保税倉庫在荷及既約未着品は、総計百八十七万九千六百三十七袋(約百二十八万石)とす
△外米売出高 右の内五月二十日(売出開始日)より五月三十一日迄に売出したる総数量五十四万二千二百十三袋(約三十七万石)にして其内訳左の如し
 - 第30巻 p.730 -ページ画像 
 京浜  一八七、五四九袋  神戸   二四九、七四三袋
 伊勢湾  六五、一六四袋  門司及下関 二二、七三一袋
 長崎   一〇、〇二六袋  那覇     七、〇〇〇袋
△在庫品総計 五月卅一日現在の在庫品総計は、三十五万百七十七袋(約廿四万石)にして、其内訳左の如し
 京浜   八二、一〇七袋  神戸   一九七、六〇三袋
 伊勢湾  一五、五九二袋  門司及下関 一一、四六七袋
 長崎    五、五七三袋  沖縄    三七、八三五袋
△既約未着高 既約未着品(約六十万石)は全部六・七・八月中に着荷の予定なるが、目下荷揚中の分及本月中に着荷すべき分左の如し
△横浜揚の分
 青葉山丸荷揚中西貢米  二八、〇〇〇  第八乾坤丸同蘭貢米   七〇、〇〇〇
 第五乾坤丸同蘭貢米   三六、〇〇〇  抗州丸荷揚中西貢米    三、〇〇〇
 鶴丸六月五日着西貢米  三二、〇〇〇  浦安丸同十日着同    二九、〇〇〇
 鹿島丸同十五日着蘭貢米 二六、〇〇〇  安南丸同十七日着同   四〇、〇〇〇
△神戸揚の分
 真盛丸荷揚中西貢米   一九、二四〇  美代丸同十五日着蘭貢米 二六、〇〇〇
△伊勢湾揚の分
 旭丸同十日着蘭貢米   三二、〇〇〇  榛名山丸同十六日着同  四二、〇〇〇
 貴船山丸同九日着同   四〇、〇〇〇  神王丸同廿七日着同   二六、〇〇〇
△門司揚の分
 斉安丸同十五日着西貢米 一八、〇〇〇  隆昌丸同十五日着西貢米 三五、〇〇〇
 合計 五十万四千二百四十袋(約三十五万石)
△新規買付高 政府は右各項の外米管理令発布と共に新規に蘭貢西貢に於て買付を開始し目下引続き手続中なるが今日迄新規買付を了したる石数は約七十万石にして大部分七・八・九三ケ月内に着荷の予定なり
        ○全国組合倉庫保管米現在高(倉庫組合調)

図表を画像で表示全国組合倉庫保管米現在高(倉庫組合調)

                    大正七年四月末日現在                             参照前同期        内地米       朝鮮米      台湾米      外国米       内地米        朝鮮米      台湾米      外国米              俵        叺       袋         袋           俵        叺        袋        袋 東京     七〇〇、三八一   六一、一〇一   三六、九六二   三〇、七三五   一、六五五、四三二  二〇五、六三四   四八、三一一      七四一 横浜      三一、〇五一       ……      三八七   一一、〇五五      四五、四六八      四〇五      五二三   三八、六三三 大阪     一八〇、四一四  一一五、九〇二    一、〇九八    三、二七四     六八二、三一四  一三一、六六九    一、七七七   一一、七四一 神戸     二四二、六一九   一一、二四七   五二、八八四  三九〇、二六七     五四六、七一一   二〇、七三七   四七、四六三  一六七、七五八 愛知・三重  二八四、五〇五      六七一   五一、七七七   八八、九〇五     五四九、九四七    六、四七二   二三、四九九   一一、七九七 京都      六二、八六五       ……       ……      四一五     一三四、五五五      五五六      一三六       …… 下関・門司   七六、〇五一    一、二二四    五、二一九   三九、三四五     二四一、五二四      三八五       四四       ……  以下p.731 ページ画像  新潟      三九、五一四       ……       ……      六四八      五四、九四三       ……       ……      一六〇 長崎      七三、八七五    一、三一三    一、二四五      六二四      八七、〇五七      六六〇       ……      五五八 静岡      一九、一七四       ……    二、一九六       ……      一二、四八〇       ……       ……       …… 長野       六、四〇一       ……       ……       ……       五、六三二       ……       ……      一七一 青森          未着       ……       ……       ……       八、五六三       ……       ……      一四二 函館      六三、五四五       ……       ……      四三九      七四、四六〇       ……       ……       …… 小樽     一六二、六八〇       ……       ……    二、四四五     二三六、五三二       ……       ……       …… 合計   一、九四三、〇六五  一九一、四五八  一五一、七六八  五六八、一五二   四、三三五、六一八  三六六、五三八  一二一、七五三  二三一、七〇一 前年同期 一、八一六、三八二  二八三、〇九四  二三二、二三五  四六二、二九二   四、二五三、〇五一  四五二、六二八  一四七、八七〇  一四七、二五七 





〔参考〕竜門雑誌 第三六二号・第六一―六五頁 大正七年七月 ○東京米市場概況(六月中)(DK300089k-0035)
第30巻 p.731-736 ページ画像

竜門雑誌  第三六二号・第六一―六五頁 大正七年七月
    ○東京米市場概況(六月中)
                  東京 渋沢商店報告

       正米相場       定期米相場(公定相場)       正米出来高
  日附
      (標準相場)   六月限    七月限    八月限     日計
         円      円      円      円          俵
 上旬平均  二八・〇六  二六・八六  二六・二六  二五・九七    九、四六一
 中旬平均  二八・二九  二七・〇七  二六・五五  二六・〇七   一二、五一〇
 下旬平均  二八・六六  二七・四〇  二六・七九  二六・二四    八、〇九一
 月平均   二八・三四  二七・〇九  二六・五三  二六・〇九   一〇、一二〇
 月計       ……     ……     ……     ……  二五二、九九八
      ○同上種類別
              俵               俵
 茨城米     二一、六〇二  栃木・埼玉米   八、六〇一
 千葉米      九、二〇八  東道海米     三、二〇〇
 陸前米     三三、二三三  豊前米        八五六
 陸中米      一、五八八  豊後米      四、九五六
 磐城・岩代米   七、五一五  筑後米      四、三九六
 羽前米     四九、九九八  日向米     二三、六五七
 羽後米      四、四五八  薩摩米     一六、七五六
 越中米      六、一二八  朝鮮米     一六、三六二
 越後米      四、三八九  台湾米        一七七
 加賀・越前米     四二七  外国米      三、二五五
 山陰道米     二、四七六  内地白米        四九
 畿内山陽道米     一二五  同糯       四、五六七
 四国米         六八  大麦         一二五
 肥前米      八、四九八   合計    二五二、九九八
 肥後米     一六、三二八

      ○六月中深川諸倉庫集散米状況
 - 第30巻 p.732 -ページ画像 

           内地米      朝鮮米      台湾米      外国米
               俵        叺        袋        袋
 入庫高     一五〇、五三四    五、八四四    三、一六九  一〇一、〇一二
 出庫高     二八七、九三九   二六、四一九   一二、七二一   七八、二四六
 月末在米高   四二二、二三八   一六、九二〇    九、七八二   四三、八九八
      ○六月中鉄道積廻着米高
           上旬       中旬       下旬       合計
               俵        俵        俵        俵
 秋葉外十三駅  一七六、八八五  一五二、二八六  一八三、五三〇  五一二、七〇一

  ○六月限受渡高七千百石
      受渡直段(下米建)二十七円四十四銭
○六月中商況一班 深川の正米は、前月中の大波瀾に引代へ本月に入り稍沈静し、前月末より二十銭高の二十八円三十銭に始まり、中旬には二十七円八十銭に低落し、下旬の始めに二十八円九十銭を最高直として、月末二十八円六十銭に納り、平均二十八円三十四銭にして、之れを前月に比ぶれば最高に於て又五十銭高く、平均に於ては更に八十八銭の騰貴を示したり、是れ既往の最高価なりとす
 而して売買高は、三万七千余俵を減じ、集散状況は入庫に五万二千余俵を、出庫は約一万七千俵を、月末在高は実に十三万七千余俵を共に減少せり、他方鉄道移入の廻着高は大差なし
 更に売買市場の成行に観れば、前月下旬以来政府の外米売出しが遅遅たる状況を当時軽視したるにより、其後の売行稍盛況を告ぐるに及んで内国米の気配は頓に沈静し、従て相場も少しく下向きたりしも、各産地の相場は之れに靡かず弥々不引合を加へ、殊に時節柄新規買付の手控と鉄道の不便は入米の減少となり、深川の在庫米は日一日と減退したるより人気は玆に再び盛返し需給調和を失し、遂に中下旬の交に至り最高価を示すに至れり、折柄大阪の定期米は突如暴落を報じ、之れが影響を受け気迷ひの中に月を了りたり
     ○新米以来の要計(出庫・入庫・在米は内地米のみを示す△印は古米建▲印ハ下米建)

図表を画像で表示新米以来の要計(出庫・入庫・在米は内地米のみを示す△印は古米建▲印ハ下米建)

 月次   正米相場    定期先物相場   正米出来高   深川出庫高     深川入庫高    月末在米高    鉄道積廻着高         円       円          俵        俵        俵         俵        俵 十 月  △二三・六一   二三・二八  二七三、〇四二  四四九、三五六  一一〇、五一四   三一八、八〇八  四〇三、七五九 十一月  △二三・九三   二三・七四  一九六、五三三  二六一、三三〇  一六五、九〇〇   二二三、三七八  五五〇、六二八 十二月   二三・四九   二三・五二  一四四、四六〇  一八二、二三三  二六九、三七三   三一〇、五一八  八二九、八九〇 一 月   二三・八四   二四・二九  一八四、七一四  一九八、五五六  三〇九、八二四   四二一、七八六  七四二、七九六 二 月   二四・九四   二五・四七  二一九、二九三  二一〇、一六五  三五四、八一〇   五六六、四三一  八〇三、九六九 三 月   二六・六〇   二六・四九  二三六、〇四六  二三〇、五〇三  三八二、六九六   七一八、六二四  八三七、〇九三 四 月   二七・三八  ▲二六・四九  三八七、八九八  三〇五、二九九  二四八、〇六四   六六一、三八九  五二三、九一二 五 月   二七・四六  ▲二五・八五  二九〇、一二七  三〇四、九二一  二〇三、一七五   五五九、六四三  五二〇、五四四  以下p.733 ページ画像  六 月   二八・三四  ▲二六・〇九  二五二、九九八  二八七、九三九  一五〇、五三四   四二二、二三八  五一二、七〇一 (参照) 前年六月  二〇・一二   二二・二七  三一八、一一六  二九七、一〇六  三一一、三七五 一、七二六、九八六  四六八、四三七 



  ○植付の一般状況
 播種後冷気勝気候不揃の箇処多く、加ふるに稀有の寒気は麦の発育を害し、収穫時期を遅らし、延ひて一般に移植作業の遅延を免かれざりしが、幸に苗代時代より移植期に入り、気候復順一部地方に虫害ありと雖ども、比較的僅少にして、格別の故障を認めず、通じて良好の経過をとりつゝあり、其後の天候頗る上順なるに見れば青田の景況又楽観に値ひするものゝ如し
 此の状況報告は最も信憑すべき向の報告なり尚未達の地方少なからざれども印刷時日切迫乍遺憾到達の分を不取敢報告することゝせり

図表を画像で表示--

    要件  気候の順否  苗代の良否  植付中の模様     植付後の生育状態 地方 青森     適順     最良好    暴風雨も被害なし   佳良 秋田     不順     稍良好    降雨冷涼の日多し   同 山形     適順     良好     順調に進行せり    普通 茨城     同      同      用水等不足なし    佳良 栃木     同      同      大体異状なし     普通 埼玉     同      同      良          佳良 千葉     普通     同      月末終了見込     同 神奈川    適順     同      可良         同 新潟     同      同      概して支障なし    頗佳良 富山     同      同      良好         佳良 石川     同      同      順気、稍雨不足    不良 福井     同      同      別条なし       佳良 滋賀     同      同      用水不足       不詳 三重     同      普通     順調に略終了     佳良 京都     同      良好     故障なし       同 兵庫     同      同      概して支障なし    同 大阪     同      同      順調終了見込     同 奈良     同      同      順調         不詳 和歌山    同      同      順調終了       佳良 鳥取     同      普通     順調進行中      同 島根     同      良好     完全に植付を了す   同 岡山     同      同      順調終了見込     不詳 徳島     同      同      昨今最盛期      佳良 愛媛     同      稍不良    概して順調      普通 高知     不順     普通     支障なし       不良 大分     同      不良     麦収遅れ手順困難   佳良 佐賀     適順     良好     ……         同 熊本     同      同      移植中        普通 


 - 第30巻 p.734 -ページ画像 
  ○俄然大阪安の状況
 米界は去る二十五日俄然大阪安を通じ各地之に連れて動揺したり、今大阪と東京の六月下旬の期米相場を調査すれば左の如し
        大阪八月期       東京八月期
         寄附止         寄附止
       円     円     円     円
 廿四日 二六・四一 二六・七一 二六・四九 二六・六九
 廿五日 二六・六〇 二五・一二 二六・七四 二五・八九
 廿六日 二五・一九 二五・三九 二五・六一 二五・七九
 廿七日 二五・二六 二五・六〇 二六・〇五 二六・三〇
 廿八日 二五・四二 二五・三二 二六・二四 二六・三〇
 廿九日 二四・九七 二五・三二 二六・〇九 二六・一三
 斯る成行にして暴落前の廿日を月末に比ふれば、大阪の一円三十九銭大下落に対し、東京は畢竟大阪の余波なる丈けに五十六銭安に止り(正米は二十銭安)、各地又概ね東京に等しき状況にあり、蓋し今次の大阪安は例の株式筋と称する手口より多大なる売玉の加はりたる為めにして、此株式筋なるものは予てより相応に売建のありしが如し、而して之れを空砲視せられ、動もすれば強気のために買煽られん形勢なりしが、去る廿五日突如同一手筋より殆んど無数に売込まれ、強気の防戦克く努めたりと雖も、遂に対抗する能はざるのみならず、株式筋の大仕掛の出動には何等歟根拠のあるならんと早合点の提灯売りと投米の加り、勢ひ相場は忽ちにして雪崩状を呈し、近頃稀に見る暴落を演出したるものなりと報ぜられたり
  ○大阪株式筋其後の動静
 株式筋と称する突貫売りの其後の動勢如何は、此後の成行に関係する処不少、左記大阪の三期売買出来高の調査に見れば略其消息を窺ふに足るべく、之に拠りて察すれば二十五日以後も強行売を継続し弥々例の手腕(昨年五月兵阪地方を買占めたる手腕)を再演し、玉倒しを以て最後の勝利を期せんとするに似たりと伝へらる
      大阪突貫売前後の売買出来高(三期合計)

図表を画像で表示大阪突貫売前後の売買出来高(三期合計)

                   石 突貫前 廿一日     一六七、七〇〇     廿二日     一四二、一〇〇     廿三日(日曜)      ……     廿四日     一八七、一〇〇 突貫後 廿五日     四六三、四〇〇     廿六日     六四五、四〇〇     廿七日     二九六、七〇〇     廿八日     三七四、一〇〇     廿九日     四三二、四〇〇 



  追而廿九日の止立会(翌日の帳入)に於て一手に五・六万石売込たるものあり、是又彼の手筋なるべしと、左すれば前来を通じ最早既に三十万石以上の売建なるべしとなり
  ○株式筋出動の商略
 消息通の報ずる所に依れば、政府筋が移入する朝鮮米を機会とし米価の大勢に察し、例の玉倒しに出たるものなるべしと云ふものと、単
 - 第30巻 p.735 -ページ画像 
に米界四囲の状況と直頃に見込を附け、例の手腕を揮ひ玉倒しを強行したるに過ずと解するものと、又何れにしても主として玉倒しなること疑ひなく、而して其結果立会中止続て起る安直の総解合を目的とする商略なるべしと説くものとの三説あり、果して何れか当れるや否や素より測り知るべからざるも、時節柄取分け興味ある米界の現状なり
  ○朝鮮米内地移入計画
 政府は朝鮮米の内地移入を促進するため、三指定商の手を経て相当数量の外米を釜山・仁川等へ移出せしめ(内地より再移出なるべし)尚朝鮮米の内地移入促進に関する手段手法に就ても、夫々実行に着手すべしと、去る廿七日に発表せられたり、而して是より先、釜山・群山及仁川等に於て約三十万叺(十二万石)の朝鮮米を大阪の某氏の名義を以て買附けられたりと報ずるものあり、之れに対し時節柄朝鮮に於て殆んど一時に数十万を買入れたる其振合が、普通商行為にあらざることを噂さしつゝありし折柄に付、政府の朝鮮米移入促進策の発表に思ひ合すときは、略其掛引方法を窺ふに足らん、而して政府か既に手配したる朝鮮米は近々移入すべしと雖ども、之を内地に販売する方法如何が目下の疑問なり、今の朝鮮米の需要状況は内地米と異なる所なく、従て移入数量が無限ならざる限りは之れを外米の如く一定価格を以てすることは当らず、左りとて随意契約の下に売出さんか、或は思惑、或は定期の道具米となり、市価は混乱し其影響する所那辺に及すべきやを杞憂するものあり、詮する所入札払の外には公平にして且つ安全なる法策はなかるべしとなり
        ○全国組合倉庫保管米現在高(倉庫組合調)

図表を画像で表示全国組合倉庫保管米現在高(倉庫組合調)

                     大正七年五月末日現在                           参照前年同期        内地米       朝鮮米     台湾米       外国米      内地米         朝鮮米      台湾米      外国米              俵        叺        袋        袋           俵        叺        袋        袋 東京     六〇九、八九一   三九、七二〇   二七、〇四二   二七、〇九六   一、六五五、四三二  二〇五、六三四   四八、三一一      七一四 横浜          ……      ……        ……       ……      四五、四六八      四〇五      五二三   三八、六三三 大阪          ……      ……        ……       ……     六八二、三一四  一三一、六六九    一、七七七   一一、七四一 神戸          ……      ……        ……       ……     五四六、七一一   二〇、七三七   四七、四六三  一六七、七五八 愛知・三重  二四二、七五七      ……    四四、九〇八   四四、〇二〇     五四九、九四七    六、四七二   二三、四九九   一一、七九七 京都      七四、二八九     九〇四        ……      七八五     一三四、五五五      五五六      一三六       …… 下関・門司   八三、一八三      ……     三、七九二   二六、二〇六     二四一、五二四      三八五       四四       …… 新潟      三八、四四一   四、八七六       一四〇      二〇六      五四、九四三       ……       ……      一六〇 長崎          ……      ……        ……       ……      八七、〇五七      六六〇       ……      五五八 静岡      一二、八一三      ……        ……    二、一五一      一二、四八〇       ……       ……       ……  以下p.736 ページ画像  長野       五、五九二      ……        ……       ……       五、六三二       ……       ……      一七一 青森       七、九六一      ……        ……      一四二       八、五六三       ……       ……      一四二 函館      六六、〇四四      ……        ……    二、〇三六      七四、四六〇       ……       ……       …… 小樽          ……      ……        ……       ……     二三六、五三二       ……       ……       …… 合計   一、一四〇、九七一   四五、五〇〇   七五、八八二  一〇二、六四二   四、三三五、六一八  三六六、五三八  一二一、七五三  二三一、七〇一 前月計  一、九四三、〇六五  一九一、四五八  一五一、七六八  五六八、一五二   四、二五三、〇五一  四五二、六二八  一四七、八七〇  一四七、二五七 





〔参考〕竜門雑誌 第三六三号・第六〇―六三頁 大正七年八月 ○東京米市場概況(七月中)(DK300089k-0036)
第30巻 p.736-739 ページ画像

竜門雑誌  第三六三号・第六〇―六三頁 大正七年八月
    ○東京米市場概況(七月中)
                  東京 渋沢商店報告


       正米相場       定期米相場(公定相場)       正米出来高
  日附  
      (標準相場)   七月限    八月限    九月限     日計
         円      円      円      円          俵
 上旬平均  二八・六二  二六・九二  二六・一八  二五・〇九    九、七〇四
 中旬平均  二九・八七  二八・四三  二七・三三  二五・九七   一九、九〇四
 下旬平均  三二・八四  三〇・三四  二九・五五  二七・六九   一三、四七六
 月平均   三〇・三九  二八・四八  二七・六七  二六・一八   一三、九三六
 月計       ……     ……     ……     ……  三三四、四五九
 
 備考 定期米は八日・十六日・三十一日の一部立会を休止せり
  注意 二十四日以後標準相場発表を中止したるに依り、自家参考標準を示す
      ○同上種類別
 

             俵               俵
 茨城米     一九、二六二  栃木・埼玉米   四、五九四
 千葉米      六、〇四六  東海道米     四、八六三
 陸前米     一五、七四六  豊前米      一、五六六
 陸中米         五〇  豊後米      四、六六四
 磐城・岩代米   五、九四七  筑後米      三、七一三
 羽前米     九四、四七四  日向米     五〇、五六六
 羽後米      七、〇五一  薩摩米     二〇、七〇四
 越中米      六、五七八  朝鮮米     一七、八〇八
 越後米      三、五七六  台湾米      二、〇二五
 山陰道米     二、四八四  外国米      五、九八二
 畿内山陽道米   三、二五五  内地白米       一九四
 四国米        六四二  同糯       三、四九二
 肥前米     一一、一〇四  雑穀           五
 肥後米     三七、五九三   合計    三三四、四五九
 
     ○七月中深川諸倉庫集散米状況
           内地米      朝鮮米       台湾米     外国米
               俵        叺        袋        袋
 入庫高     一五二、二〇八   四五、七二五    八、六九七   二四、〇二一
 出庫高     三二四、一三一   二〇、九五九    九、五四二   六六、〇〇五
 月末在米高   二五〇、三一五   四一、六八六    八、九三七    一、九一四
 - 第30巻 p.737 -ページ画像 
      ○七月中鉄道積廻着米高
           上旬       中旬        下旬       合計
               俵        俵        俵        俵
 秋葉外十三駅  一五二、五六九  一〇四、九三三  二〇五、五三八  四六三、〇四〇
       ○七限受渡ナシ
○七月中商況一般 七月の正米は空前の大奔騰を告げたり則ち標準相場は前月末より拾銭安の弐拾八円五拾銭(安直)に始まり上旬は概して保合ひ中旬より連日奔騰し安直より六円高(品に依り七円以上高し)の参拾四円五拾銭(高直)に月を了り、其平均は参拾円参拾九銭にして前月の平均に比し弐円〇五銭高く売行きは八万俵増加したり、次に深川の集散状態は入庫高は前月と変らず、出庫高は四万俵を増し在米高は拾七万俵減少し、他方鉄道積の回着高は五万俵の減退を示せり。
 更に市場の成行きに就て見るに上旬は定期米の大阪市場売崩しと共に下落せるに不拘、正米は産地の売米払底し益々不引合の為に新規買付の余地なく、元来稀少なる在米の日々減少に傾きたる折柄なれば反手堅く保ち合ひ中旬に入り定期の反撥と共に連日活躍し売物は刻々減少するに依り勢ひ需要側より焦せり来り高直を厭はず買進むの外なき状況となり、米持筋は日々の珍高直に思はず持米を手放し下旬には空手傍観するもの多きを占むる有様となり、斯く非常の場合とて市場は手附金を参倍し出庫期日を短縮して仮需用を制したる効果にて、一時は落付きしも又々暴騰殆んど天井知らずの勢ひを示して月を了りたり
     ○新米以来の要計(出庫・入庫・在米は内地米のみを示す△印は古米建▲印ハ下米建)

図表を画像で表示新米以来の要計

 月次   正米相場   定期先物相場   正米出来高   深川出庫高    深川入庫高    月末在米高    鉄道積廻着高        円       円          俵        俵        俵        俵        俵 十 月  二三・六一   二三・二八  二七三、〇四二  四四九、三五六  一一〇、五一四  三一八、八〇八  四〇三、七五九 十一月  二三・九三   二三・七四  一九六、五三三  二六一、三三〇  一六五、九〇〇  二二三、三七八  五五〇、六二八 十二月  二三・四九   二三・五二  一四四、四六〇  一八二、二三三  二六九、三七三  三一〇、五一八  八二九、八九〇 一 月  二三・八四   二四・二九  一八四、七一四  一九八、五五六  三〇九、八二四  四二一、七八六  七四二、七九六 二 月  三二・九四   二五・四七  二一九、二九三  二一〇、一六五  三五四、八一〇  五六六、四三一  八〇三、九六九 三 月  二六・六〇   二六・四九  二三六、〇四六  二三〇、五〇三  三八二、六九六  七一八、六二四  八三七、〇九三 四 月  二七・三八  ▲二六・四九  三八七、八九八  三〇五、二九九  二四八、〇六四  六六一、三八九  五二三、九一二 五 月  二七・四六  ▲二五・八五  二九〇、一二七  三〇四、九三一  二〇三、一七五  五五九、六四三  五二〇、五四四 六 月  二八・三四  ▲二六・〇九  二五二、九九八  二八七、九三九  一五〇、五三四  四二二、二三八  五一二、七〇一 七 月  三〇・三九  ▲二六・一八  三三四、四五九  三二四、一三一  一五二、二〇八  二五〇、三一五  四六二、〇四〇 (参照) 前年六月 二一・九一   二三・三九  二六〇、三六三  三五六、七六五  二三六、六五〇  一、六〇六、八七一  二八四、三九六 



 - 第30巻 p.738 -ページ画像 
  ○米価空前の奔騰
 七月の米況は表面記事の如く上旬は保合ひ、中旬より暴騰、殆んど天井知らずの勢を示し、月初めの標準相場弐拾八円五拾銭に比し実に六円高の参拾四円五拾銭(弊店参考標準)に達し、出来物は品柄に依り七円以上の騰貴を告げたるが、其原因は久しく問題とせし需給関係が、在米の減り足と各地の事情其他に鑑みて愈々供給不足を現実せんかの人気を生じたるに外ならざるべく、之を市場の有様に見れば、持米筋は各自予期以上の高直に進むに連れ知らず知らず持米を手放し、反て需要側に転ずるもの、又は袖手傍観するもの漸次多きを致し、著しく人数を減じたる供給側に向つて多人数より需要を迫まるの結果、勢ひ上直を厭はず買進みたるものゝ如し、而して斯る場合に投ずる仮需要者を制する目的の為めに市場は手附金を参倍し受渡し、期日を短縮して、殆んど現取引に等しき臨時の処置を励行したるは機に適し効果あり、一時は人気落付たるも又々激騰を告げ、殆んど底止する処を知らざる今の有様にして、而かも尚能く秩序を保ちつゝあるに見れば、真の需給関係以外に彼の通貨対米価、則ち財界旺盛の力をも思はしめたり。
 斯の如き成行なるを以て前途如何推移すべきや、到底予断を許さざるも、恐らく勢の赴く所是非なかるべし、されど玆に注意すべきは別項の如く外国米の売行き日に盛なるに不拘、内地米の売行き衰へず産地よりは見替り米の売出しは見へず、依然として不引合を唱へ居るものは米価騰きに連れ需要者は力相応の買置きをなし、又農家は富裕にして其心理は米を貴重品視するに至れる影響にはあらざる歟、則ち在米の少きに察し地方の状況運輸不便等を見、曩には割合に弱人気多かりしに反し、今や一般に過慮的強人気に転じたる形跡あるを以て其現状のみに鑑みて前途の供給不足を云為するは必すしも当らず、現に政府は需給の円滑を確保して努力中にあり、外米売出しの外に近く少数なれども朝鮮米を供給し、一方には地廻り早場新米に次で北陸の新米の稍や纏りて回着すべきは左のみ遠きにあらざる等、追々人気を緩和するに至るべき点に思を致し須く冷静なるべきなり
△米作の経過 各地とも珍らしく無事に植付を了し、本月十一・二日に亘り九州・中国方面に季節には稀なる颱風ありしも、米作には左したる故障なく其後の照込実に申分なく、別項の如く概して高温を保ち各地共生育良好を報ぜり、之を例年に徴すれば青田誉の時代に入るべき時に当り、本年は何等気構ふる所なきは目先きの変況に眩して之を顧みる遑なきものゝ如し。
△大阪の売崩し不成功 既報大阪の売崩団の其後は売玉制限の解除と共に一挙崩落したるも、正米との懸隔余りに甚しき為め不穏となり、遂に六日後場より立会停止となり、爾来紛議の局当中限は両成敗的の総解合に終りを告げたり、其直段左の如し


        七月限    八月限    九月限
 総解合直  二六、五〇  二四、八五     ……
 停止前直  二五、五二  二一、二〇  二三、五一

△東京期米休止 大阪崩落の後、東京市場にも売崩しの兆ありしも玉
 - 第30巻 p.739 -ページ画像 
制限と自重に依り稍無事なるを得て(但し屡々出会休止せり)気止まり、其売過ぎの反動と折柄齎せる出兵説と俟つて奔騰を重ね、大上鞘の正米に刺戟を与へ、正米高の跡を期米之を追ふの有様なりしが、遂に月末に至り不穏となり八月五日迄休止することゝなり、総解合の外なきも、八月限は兎も角も、九月限は大取組にして無論双方の意見に懸隔あり、且つ彼の指定落しの関係にて大阪と同じく解決に困難を感じつゝありと。
因に定期米市場にて休停せざるものは、全国中一・二に過ぎざる奇現象を示せり
△朝鮮米の売出し 農商務省臨時外米管理局は朝鮮米売出しに関し八月二日左の如く発表せり。
△政府が曩に指定商鈴木商店に命じ、買入しめたる朝鮮米を来る五日より東京・大阪両市及ひ同郡部に限り之を売出す。
△右朝鮮米は、直接消費者に配給するを主限とし、東京・大阪に於て各毎日五千俵宛を売出す方針也(但し直接消費者に対しては白米を用ふ)
△右朝鮮米は東京・大阪の需要に応ずるを主限とし、地方へは売出さざる方針也、尚右売出価格は総て時価に依る。
  ○外国米の売行
 政府廉売の外国米は漸次需用に慣れたると、其価格内地米との懸隔益々甚しきに連れ、需用激増到底全部の注文に応じ難き盛況にして、殊に地方の売行き意外に良好となりしものゝ如し、而して東京市内に於ける状況を見るに、当初にありては白米商の利益関係より之が販売を希望するもの少なかりしも、今や内外米の差格益々甚しきに連れ、需要の増加せると高直の内地米を販売するは資金の多きを要し、且つ相場の上に於て多少危険視さるゝに至りたること等に依り、進んで外国米を販売するに至りたるを以て、其売行き日に増加しつゝあり、試に東京に於ける小売直段比較をすれば左の如し。
 内地白米   三等米見当直段   四十二円五十銭
 外国白米   小売直段      二十一円二十銭
 比較     (外米半価)    二十一円三十銭安
 斯の如き現状にして屡々売切れとなりしを遺憾とせしも、極力運搬に努め供給に遺漏なきを期すべしとなり。



〔参考〕竜門雑誌 第三六四号・第五九―六二頁 大正七年九月 ○東京米市場概況(八月中)(DK300089k-0037)
第30巻 p.739-743 ページ画像

竜門雑誌  第三六四号・第五九―六二頁 大正七年九月
    ○東京米市場概況(八月中)
                  東京 渋沢商店報告


        正米相場      定期米相場(公定相場)      正米出来高
  日附
       (標準相場)  八月限  九月限    十月限      日計
          円     円    円      円           俵
 上旬平均   三八・六八   ……   ……      ……    一五、七〇七
 中旬平均   三七・九四   ……   ……   二七・三三     四、四八六
 下旬平均   三九・三一   ……   ……   二七・九四     五、九三〇
 月平均    三八・七〇   ……   ……   二七・七五     九、〇四五
 月計        ……   ……   ……      ……   二二六、一二八

 - 第30巻 p.740 -ページ画像 
  注意 正米相場は市場に標準相場発表を中止中なるに依り自家参考標準を示す
       同上種類別
 

             俵              俵
 茨城米     一六、三二七  肥前米     三、九五五
 千葉米     一一、〇三八  肥後米    三〇、三五七
 栃木・埼玉米   二、一一九  豊前米     一、七四〇
 東海道米     六、七五五  豊後米     一、九八九
 陸前米     二八、〇五八  筑後米     一、二二五
 陸中米      三、六九五  日向米    二三、九七八
 磐城・岩代米   二、七二一  薩摩米     六、四七四
 羽前米     四三、一九二  朝鮮米    二〇、一〇五
 羽後米      三、四三〇  台湾米     三、六八八
 越中米      四、一七一  外国米     三、一九一
 越後米      一、八六八  内地白米       二〇
 山陰道米       二二六  同糯      一、五九四
 畿内山陽道米   一、一四四  雑穀      二、〇〇〇
 四国米      一、〇六八   合計   一二六、一二八
 
     ○八月中深川諸倉庫集散米状況
           内地米      朝鮮米      台湾米      外国米
               俵        叺        袋        袋
 入庫高     一三九、七四三   二二、二〇一   二一、四五〇  一二八、九一三
 出庫高     二二八、一二九   五四、五五五   二八、四三二  一二〇、四六三
 月末在米高   一六一、九二九    九、三三二    一、九五五   一〇、三六四
      ○七月中鉄道積廻着米高
           上旬       中旬       下旬       合計
               俵        俵        俵        俵
 秋葉外十三駅  一二七、〇一五  一二八、七七一  一三五、三六五  三九一、一五一
       ○八月限受渡高 総解合受渡なし
○八月中商況一斑 八月の正米は乱騰激落頗る乱調を呈したり、即ち標準相場(市場発表なきを以て自家参考に依る)は前月末に比し五十銭高の参拾五円に始まり、十日の四拾参円拾銭を高値とし、十四日の参拾四円八拾銭を安値に、月末参拾七円六拾銭に了り、其平均は参拾八円七拾銭にして、之を前月に比ぶれば更に八円参拾壱銭高く、出来高は約拾壱万俵減少せり、次に深川の集散状態は内地米の入庫高に壱万余俵、出庫高に拾万俵を共に減じ、月末在米は九万余俵減退せり、一方の鉄道積回着米は下旬に入り更に著しく減少したりしも、月末には其筋の買付米入着に依り増加の趨勢あり、通じて前月に比し七万俵少し
更に相場の足取りに就て述ぶれば、去月来の上げ足は一層速力を加へ冲天の勢を以て乱騰し、上旬の十日間に八円拾銭高を告げたる揚句自然に落付たる折柄、予て休止中なりし定期米の立会開始と共に頻りに崩落したると、俟て反動的に下落し、剰へ米暴動と称へられし不祥事件は、各地より遅れて発生して激落を助長し、数日にして八円参拾銭安く、一時は無相場の状態なりしも僅に市の廉売宛に気を得て下げ止り、其後穀類収用の勅令あり、政府は之が適用を直ちにするを避け、指定商を以て産地に買付しめたるを以て、産地相場の沸騰を来し現在
 - 第30巻 p.741 -ページ画像 
の品薄と相俟て又々五円九拾銭高く、廿七日発表の収用価格に震駭し参円拾銭安を告げて月を了る、以上は標準に依りたる高低にして実際はより以上騰落乱調を極めたるが、米商の不安は極に達し殆んど空虚となる迄に持米を手放したるものゝ如し
     ○新米以来之要計(出庫・入庫・在米は内地米のみを示す△印は古米建▲印は下米建)

図表を画像で表示新米以来之要計

 月次    正米相場   定期先物相場   正米出来高     深川出庫高    深川入庫高      月末在米高     鉄道積廻着高         円       円           俵         俵         俵         俵         俵 十 月  ▲二三・六一   二三・二八   二七三、〇四二   四四九、三五六   一一〇、五一四   三一八、八〇八   四〇三、七五九 十一月  ▲二三・九三   二三・七四   一九六、五三三   二六一、三三〇   一六五、九〇〇   二二三、三七八   五五〇、六二八 十二月   二三・四九   二三・五二   一四四、四六〇   一八二、二三三   二六九、三七三   三一〇、五一八   八二九、八九〇 一 月   二三・八四   二四・二九   一八四、七一四   一九八、五五六   三〇九、八二四   四二一、七八六   七四二、七九六 二 月   二四・九四   二五・四七   二一九、二九三   二一〇、一六五   三五四、八一〇   五六六、四三一   八〇三、九六九 三 月   二六・六〇   二六・四九   二三六、〇四六   二三〇、五〇三   三八二、六九六   七一八、六二四   八三七、〇九三 四 月   二七・三八  ▲二六・四九   三八七、八九八   三〇五、二九九   二四八、〇六四   六六一、三八九   五二三、九一二 五 月   二七・四六  ▲二五・八五   二九〇、一二七   三〇四、九二一   二〇三、一七五   五五九、六四三   五二〇、五四四 六 月   二八・三四  ▲二六・〇九   二五二、九九八   二八七、九三九   一五〇、五三四   四二二、二三八   五一二、七〇一 七 月   三〇・三九  ▲二六・一八   三三四、四五九   三二四、一三一   一五二、二〇八   二五〇、三一五   四六三、〇四〇 八 月   三八・七〇  ▲二七・七五   二二六、一二八   二二八、一二九   一三九、七四三   一六一、九二九   三九一、一五一 (参照) 前年六月  二一・一四   二二・一二   四九一、九八三   五七二、六一七    七五、四一七 一、一〇九、六七一   一七八、三八四 



  ○米界混乱
八月の米況は表面記事の如く乱騰激落頗る乱調を呈し、而かも米作上最も大切なる時節柄の天候如何若くは需給関係等は、直接騰落の因たらざるが如き珍現象を示したるに就き、左に重複を厭はず摘録して後日の参考とす
△正米標準四拾参円拾銭 前来の足取りは日一日と速力を加へ、八月十日四拾参円拾銭の高値を出し自然的落付き状態を呈するに至れり、之を前月同日(今回騰貴の初期)の弐拾八円六拾銭に比ぶれば拾四円五拾銭高、則ち一ケ月間に五割高く近年の安値たる大正四年九月下旬の拾円八拾銭に比ぶれば、実に参拾弐円参拾銭高(四倍)なりとす、折柄予て休止中なりし定期米は立会開始し、予期より安直に寄り附き跡一瀉千里の勢を以て崩落したるに連れて目覚ましき反動安を告げ、加ふるに△米暴動事件 と云へる不祥事件起り暴落に力を添へ、十四日には定期米は又休止し正米は無見当ながら高値より拾円安(標準は
 - 第30巻 p.742 -ページ画像 
八円参拾銭安とす)と称へられ△出来高僅弐百六拾五俵 の少数なりしは未曾有なりとす、試に過去出来高最少の記録を検すれば明治三十八年一月十二日の四百八十六俵なるが全然其趣を異せり、斯の如く全く無相場状態なりしが僅に市の△廉売米 宛の需用に依り気止まりたる有様なりし、廉売米は恩賜金を初め寄附金等を以て府市其他有志等により内外米及朝鮮米を廉売し、東京に於ける日額は凡参千石乃至四千石と伝へられたり、続いて△穀類収用令 公布せられたるも暴落後却て相場の引締を見たる折柄△政府内地米買付 を始む、則ち該収用令を直ちに適用して強制買収することを避け、各地より普通に米を買付くることゝなり、八名の組合員は指定商として命を奉じ(弊店亦指令を受けたるも支配人病気中なるを以て之を辞退したり)指定商は更に之が実行を組合員(弊店を除く)の共同事業とし、秋田・宮城・富山・石川・新潟・地廻り・岡山・佐賀・熊本の八区域に人を派し買付に着手したるが、予定石数は弐拾五万石にして別に大阪拾五万石、神戸七万石、京都参万石と合せ総計五拾万石の大買付なるを以て、産地相場は一時に沸騰を報じ正米の騰貴を助長したりしが、八月廿七日農商務省告示第弐百七拾壱号を以て左の如く△穀類収用令に依る買上価格 を発表せられたり
第一 穀類収用令第一条の規定に依る補償金額は、東京又は大阪の正米市場に於ける中米に付、左の如く定む
  一、大正七年九月五日より九月二十日迄 一石に付 金参拾参円以内
  二、同年九月二十一日以後追て改正する迄 一石に付 金参拾円以内
 大正七年九月四日迄に収用する場合の補償金額は其都度之を定む
第二 東京及大阪の正米市場以外の地に於ける米並に前項の市場に於ける中米以外の米に付ては、前項の価格を標準として之を定む
右は彼の暴利取締令に依る警告を一般的に発したるに等しく、而かも買付米の売出しに依り軈て戒告と同様の結果となるべければ、忽ち人気挫け買付米の進捗を見、買付に入らざる在京の米に投物続出して崩落を告げたる如き一般に甚しき不安に陥りたり
以上の如く事情の変化頻りにして、米界の前途全く渾混たるが中に説をなすものは、此大買付に依り例年米作の確定後に売出すべきものをも収容したりとせば、収用価格を突破して売出し来る迄には余日あるべく毎に収用価格を最低として手堅き市価を保つならんと、之に反し収用価格は現在割安の如くなれども、大豊作の新米相場としては高きが故に進んで売り来るべしと云ふものあり、果して如何、何れ波瀾多かるべし
  ○新米相場
本年米作は各地共大豊況を報ぜられ中に就き、地廻の早場所二合半新米は一週間作早しと伝へらるゝも昨今未だ出廻り多からず、這は気候適順にして天気都合良き間は採り入りを急がざると、時節柄米商の気乗なき加減もあるべく、出盛は二十日頃ならんと、而して品質は申分なき出来なり、本日の成行相場左の如し(三日)
 - 第30巻 p.743 -ページ画像 
                      前年周期
 二合半新五等    参拾八円五拾銭   弐拾弐円五拾銭
 同不合格      参拾七円七拾銭   弐拾弐円
 千葉コボレ五等   参拾七円      弐拾弐円



〔参考〕竜門雑誌 第三六五号・第六五―六八頁 大正七年一〇月 ○東京米市場概況(九月中)(DK300089k-0038)
第30巻 p.743-746 ページ画像

竜門雑誌  第三六五号・第六五―六八頁 大正七年一〇月
    ○東京米市場概況(九月中)
                  東京 渋沢商店報告


        正米相場      定期米相場(公定相場)        正米出来高
  日附
       (標準相場)  九月限    十月限    十一月限     日計
          円     円      円       円          俵
 上旬平均   三六・三一   ……   二七・九五   二六・四二    六、八八二
 中旬平均   三六・七六   ……   二八・六〇   二七・三〇   一六、二七二
 下旬平均   四二・三一   ……   二九・六二   二八・六一   一九、六七〇
 月平均    三八・二三   ……   二八・三五   二六・九八   一四、一三三
 月計        ……   ……      ……      ……  三三九、一九三

○注意 正米相場は市場に標準相場発表を中止中なるに依り自家参考標準を示す
      ○同上種類別


              俵               俵
 茨城米     五五、八八七  陸前米     五九、〇六六
 千葉米     二五、三四六  陸中米     一五、二四九
 栃木・埼玉米  一九、二七一  磐城・岩代米  一六、九八五
 東海道米     一、五四七  羽前米     四二、六九六
              俵               俵
 羽後米      四、七一四  筑後米        二二九
 越中米      九、九五二  日向米     一一、二五六
 越後米     二一、二七四  薩摩米      四、一八五
 加賀・越前米     三六八  朝鮮米      一、六三六
 山陰道米       三三七  台湾米        九七八
 畿内山陽道米     五四五  内地白米       二〇〇
 肥前米     一〇、七五五  同糯       三、八七八
 肥後米     二九、一八二  雑穀         二一〇
 豊前米      二、九一三  合計     三三九、一九三
 豊後米        五三六

      ○九月中深川諸倉庫集散米状況
           内地米      朝鮮米      台湾米      外国米
               俵        叺        袋        袋
 入庫高     三四七、〇八二   五八、五七四   五二、〇四四  一〇二、六九九
 出庫高     三四五、一三一   三六、七八八    九、六四七  一一二、二一二
 月末在米高   一六三、八六〇   三一、一一八   四四、三五二      八五一
      ○九月中鉄道積廻着米高
           上旬       中旬       下旬       合計
               俵        俵        俵        俵
 秋葉外十三駅  一八八、七三九  一三二、八八一  一四一、四八四  四六三、一〇四
      ○九月限受渡高 総解合受渡なし
○九月中商況一斑 九月の正米は更に波瀾大なりし、則ち上旬の三十四円八十銭を安直とし、下旬四十三円八十銭なる空前の高直を出したるも其平均は三十八円二十三銭にして、前月より四十七銭安く、(十六
 - 第30巻 p.744 -ページ画像 
日以降官米大部分……十六日以降出来高内訳は官米八割八分、普通米一割二分……を占むるも、其相場は一定の標準に拠る廉売にして、所謂相場にあらざるを以て之を除外したり)出来高は十一万俵増加したり、次に閑散状態は出庫高に十二万俵、入庫高に二十一万俵共に加はり、其差引は増減なく従て月末在米は変らず、一方鉄道積廻着高は約七万俵増加せり、以上出来高及び集散米の増加を示したるものは政府の米売買に因る、而して相場の成行は前月末米穀収用令に依る買上価格発表以来人気は一層不安に陥り、政府米売出に先ちて処分を急ぐ投物続出して崩落したるが、其極一刻も猶予し難き必需の為めに先づ反動高を告げ、弥々十六日売出開始するや待設けたる需用は一時に殺到し、死力を竭して先を争ふ有様は、殆ど見るに忍びざるものあり、自然配給洩又は不足の者の普通米買漁りに相場は徐々高く、僅に望みを属したる新米は、政府買付の手の更に新米に及ぼすと共に競ひ買となり、折柄暴風雨と秋霖の影響気構へもあり、旁々奔騰終に新高値を出し、是より先き定期米は又々休止(月末温解合す)するに至りたるが政府買付打切噂と共に新米の出穀漸次加はり、稍や落付きて月を了りたり
  ○新米以来一ケ年之要計(出庫・入庫・在米は内地米のみを示す△印は古米建▲印は下米建)

図表を画像で表示新米以来一ケ年之要計

 月次    正米相場   定期先物相場   正米出来高     深川出庫高     深川入庫高     月末在米高     鉄道積廻着高         円       円           俵         俵         俵         俵         俵 十 月  ▲二三・六一   二三・二八   二七三、〇四二   四四九、三五六   一一〇、五一四   三一八、八〇八   四〇三、七五九 十一月  ▲二三・九三   二三・七四   一九六、五三三   二六一、三三〇   一六五、九〇〇   二二三、三七八   五五〇、六二八 十二月   二三・四九   二三・五二   一四四、四六〇   一八二、二三三   二六九、三七三   三一〇、五一八   八二九、八九〇 一 月   二三・八四   二四・二九   一八四、七一四   一九八、五五六   三〇九、八二四   四二一、七八六   七四二、七九六 二 月   二四・九四   二五・四七   二一九、二九三   二一〇、一六五   三五四、八一〇   五六六、四三一   八〇三、九六九 三 月   二六・六〇   二六・四九   二三六、〇四六   二三〇、五〇三   三八二、六九六   七一八、六二四   八三七、〇九三 四 月   二七・三八  ▲二六・四九   三八七、八九八   三〇五、二九九   二四八、〇六四   六六一、三八九   五二三、九一二 五 月   二七・四六  ▲二五・八五   二九〇、一二七   三〇四、九二一   二〇三、一七五   五五九、六四三   五二〇、五四四 六 月   二八・三四  ▲二六・〇九   二五二、九九八   二八七、九三九   一五〇、五三四   四二二、二三八   五一二、七〇一 七 月   三〇・三九  ▲二六・一八   三三四、四五九   三二四、一三一   一五二、二〇八   二五〇、三一五   四六三、〇四〇 八 月   三八・七〇  ▲二七・七五   二二六、一二八   二二八、一二九   一三九、七四三   一六一、九二九   三九一、一五一 九 月   三八・二三  ▲二六・九八   三三九、一九三   三四五、一三一   三四七、〇八二   一六三、八八〇   四六三、一〇四 (参照)  以下p.745 ページ画像  前年九月  二一・三三   二一・三八   四一八、二九一   四九五、七三二    四三、七一一   六五七、六五〇   一六二、二二一 



  ○第一回米作予想(農商務省公表)
本年は挿秧当時雨天勝にして気候良好ならざりしも、其後適順となり気渦上昇して土用中の照込充分にして分蘗旺盛となり発育良好なりしに依り、八月下旬及九月中旬に於ける暴風雨の為め、多少の被害ありたる地方ありしに拘らず、全国を通じ作柄良好にして、九月二十日現在の予想高は五千八百九十八万二千九百五十二石にして、之を前年実収高に比すれば、四百四十一万四千八百八十五石即ち八分一厘弱、平年作に比すれば、五百八万九千五百七十二石、即ち九分四厘の増収を示せり
      △収穫累年比較


                   石                     石
  明治四十一年  五一、九三三、八九三   大正三年     五七、〇〇六、五四一
  同四十二年   五二、四三七、六六二   同四年      五五、九二四、五九〇
  同四十三年   四六、六三三、三七六   同五年      五八、四四二、三八六
  同四十四年   五一、七一二、四三三   同六年      五四、五六八、〇六七
  大正元年    五〇、二二二、五〇九   同七年(予想)  五八、九八二、九五二
  同二年     五〇、二五五、二六七   平年       五三、八九三、三八〇

  △備考 平年とは実収高に就き既往七箇年前に遡り其の内最豊最凶の二箇年を除き残り五箇年を平均したるものなり
      △大正七年米第一回予想収穫高府県別

図表を画像で表示大正七年米第一回予想収穫高府県別

 地方   予想収穫高       前年実取高を一〇〇とせる割合  平年収穫高を一〇〇とせる割合              石       石               石 北海道    九七〇、四一六   一一八、二           一四三、八 青森   一、〇三〇、三六四   一〇六、七           一〇七、七 岩手     九八四、六一二    九六、三           一二三、四 秋田   一、六五五、六九三   一一七、七           一一〇、六 山形   一、八八〇、三五一   一〇三、三           一一一、七 宮城   一、六五七、四九五    九二、一           一一七、六 福島   一、六六七、二八三   一〇九、四           一一四、五 茨城   一、九九二、三七九   一三一、四           一二一、二 栃木   一、五〇八、六九三   一一四、五           一二四、七 群馬     八三七、四一一   一二六、八           一三四、七 埼玉   一、二九六、一一四   一一四、一           一一四、五 千葉   二、〇一五、七二〇   一一九、三           一〇〇、三 東京     三一二、八〇一   一一七、九            九四、一 神奈川    五一四、〇九八   一二三、〇           一一〇、八 新潟   三、二九四、八八〇   一一四、〇           一二一、八 富山   一、六三四、六一六    九四、七            九七、八 石川   一、一七五、三七二   一〇四、九           一〇七、一 福井   一、〇六四、三八〇   一〇八、四           一〇八、八 長野   一、五三三、〇七七   一一二、八           一一一、六 岐阜   一、二二一、一三二   一一五、一           一〇九、五 滋賀   一、四四九、一八〇   一〇七、九           一〇五、四 山梨     四四八、二二五   一一八、七           一一八、三  以下p.746 ページ画像  静岡   一、二九六、一六七   一二五、二           一〇九、八 愛知   二、〇九九、〇八〇   一一九、九           一〇五、一 三重   一、四八四、四四八   一一九、七           一〇三、八 京都     八九八、八七五   一〇四、九           一〇三、九 兵庫   二、四三四、七一四   一〇三、五           一〇六、〇 大阪   一、三四二、四六二   一二三、九           一〇七、四 奈良     八三五、六〇一   一一二、一           一〇八、二 和歌山    六六四、九三〇   一一四、九           一〇三、三 鳥取     五五五、九六二    七三、八            八四、三 島根   一、〇五二、一六二   一〇二、四           一〇四、五 岡山   一、七一四、七三五   一〇一、八           一〇四、八 広島   一、四六四、五九六    九七、二           一〇六、二 山口   一、三六六、〇六八   一〇二、〇            九九、七 徳島     四五三、一二三    九二、六            九一、九 香川     八四六、三六三    九八、八            九六、三 愛媛     九五二、九二〇    九九、九            九七、八 高知     五一〇、九四四    七七、五            七七、五 大分   一、〇〇七、七三三   一〇二、三            九九、六 福岡   二、一四六、三一六    九七、〇            九三、九 佐賀   一、一八一、七一五   一〇六、二           一〇四、六 長崎     五六九、六四三   一〇四、七           一〇八、九 熊本   一、七三四、二〇九   一一八、二           一一二、五 宮崎     九一七、〇八九    九七、八           一〇四、六 鹿児島  一、二五〇、七六三   一一四、八           一一七、七 沖縄      五六、二九〇    六八、四            八二、二 計   五八、九八二、九五二   一〇八、一           一〇九、四 





〔参考〕竜門雑誌 第三六六号・第四二―四六頁 大正七年一一月 ○東京米市場概況(十月中)(DK300089k-0039)
第30巻 p.746-752 ページ画像

竜門雑誌  第三六六号・第四二―四六頁 大正七年一一月
    ○東京米市場概況(十月中)
                  東京 渋沢商店報告


       正米相場      定期米相場(公定相場)     正米出来高
  日附
      (標準相場)  十月限  十一月限  十二月限     日計
         円     円    円      円          俵
 上旬平均  四三・八八   ……   ……   三二・七六   一六、五六七
 中旬平均  四四・八四   ……   ……   三三・三五   一一、七七五
 下旬平均  四三・二二   ……   ……   三三・五〇    六、二一六
 月平均   四三・九一   ……   ……   三三・一九   一一、四九九
 月計       ……   ……   ……      ……  二八七、四七七

     一正米相場は官米相場を除外せるものにして、自家参考標準也
  注意
     一出来高日計一日より十五日迄及十九日・廿六日は官米大部分を占め其累計一三六五三〇俵なり
      ○同上種類別
              俵             俵
 茨城米     三九、七八一  東海道米     一四五
 千葉米     二二、三四二  陸前米   七〇、九四五
 栃木・埼玉米   三、二四九  睦中米   一八、九一三
 - 第30巻 p.747 -ページ画像 
 磐城・岩代米  一〇、七七〇  豊前米      九四六
 羽前米     三〇、八九五  豊後米      三五八
 羽後米      四、三四九  筑後米      三九四
 越中米     一五、二一七  日向米      六四〇
 越後米     三二、五三三  薩摩米      六五五
 加賀・越前米   三、五八〇  朝鮮米      五三七
 山陰道米       四六〇  台湾米    八、〇七八
 畿内山陽道米   一、七六三  内地白米     一八四
 四国米         四三  同糯     四、八七六
 肥前米      四、六六〇  雑穀       一七〇
 肥後米     一〇、八八三   合計  二八七、四七七
      ○十月中深川諸倉集散米状況
           内地米      朝鮮米      台湾米      外国米
               俵        叺        袋        袋
 入庫高     一八八、九七六    五、八五一   四五、九二五  一〇三、八二九
 出庫高     二八六、九九二   三三、八八九   六三、六四九  一〇二、七五五
 月末在米高    六五、八六四    三、〇八〇   二六、六二八    一、九二五
      ○十月中鉄道積廻着米高
           上旬       中旬       下旬        合計
               俵        俵        俵        俵
 秋葉外十三駅  一三八、一一九  一一四、九五二  二一七、七〇八  四七〇、七七九
○十月中商況一斑 十月の正米は前月米の落附を請け同事の四十三円五十銭に始まり、中旬の四十五円(空前の高直)を高直とし、月末四十二円五十銭を安直に月を了り、其平均は四十三円九十一銭にして、比較的高直に居据りたるを以て、前月平均に比し更に五円六十八銭高く、(但し右は品払底なる六年産米の標準にして、新米は月末には大に新古の鞘寄したるも平均約二円安く、而かも需用は大部分新米なりしを以て、白米小売直段は前月より安かりしものゝ如し)出来高は反対に五万俵減少し(本月官米売出は十五日迄引続き配給ありしかども以後は着荷の捗しからざる為め一旦中止し、相当俵数の纏りたるを待ちて配給する事となり、其以後は十九日・廿六日の両日給配せられたるのみなり)集散状態は出庫高は五万八千俵を、入庫高に十五万八千俵を共に減少し、結局十万俵の出越しにして、月末在米六万五千余俵の小数となり(在米の最も少かりしは廿一日にして五万二千五百七十俵なり、大正元年九月在米不足の為め、其筋に鉄道積急送方を請願せし時には同月十二日最少在米五万七千四百二十二俵なりしが、当時よりも尚五千俵の減少を見るに至れり)鉄道積廻着米は前月と大差なかりし
 而して相場の成行は前月末政府買付打切以来産地安を齎らし人気弱かりしも、既に買荒されたる跡とて安直は追ひ来らず、殊に加越方面の早場は大阪筋の買進みに荷口を引かれ、且つ一巡売出後の農家経済は益豊にして売腰強く、加ふるに苅入れ時の天候面白からざる等により新穀の出廻り捗しかず、従つて在米は日に日に減少を見るに付けて一日送りに見送り来れる当用必需口も少しく買進める気先き、官米の配給は次第に其数を減じ、十五日に至りて一旦中止するの止むなきに至れるを以て、之を当に手控居たる手口も、今は止むを得ず一時に買
 - 第30巻 p.748 -ページ画像 
進みて、相場は未曾有の新高直を現出するに至りたれども、其結果として、下旬に至り多少共鉄道廻着米の増加を来し、一方天候も稍や回復に向ひたるとにより、さしも強硬なりし相場も此処に下落の萌表はれ、漸やく新穀出廻時期に有勝なる頗る気重き商況を呈して此月を了せり
  ○新米以来一ケ年之要計(出庫・入庫・在米は内地米のみを示す△印は古米建▲印は下米建)

図表を画像で表示新米以来一ケ年之要計

 月次   正米相場     定期先物相場   正米出来高     深川出庫高     深川入庫高     月末在米高     鉄道積廻着高         円        円           俵         俵         俵         俵         俵 九月   ▲三八・二三   △二六・九八   三三九、一九三   三四五、一三一   三四七、〇八二   一六三、八八〇   四六三、一〇〇 十月   ▲四三・九一   △三三・一九   二八七、四七七   二八六、九九六   一八八、九七六    六五、八六四   四七〇、七七九 (参照) 前年十月  二三・六一    二三・二八   二七三、〇四二   四四九、三五六   一一〇、五一四   三一八、八〇八   四〇三、七五九 



  ○米価の近状
      附前途観
 正米相場は去る七月上旬の標準二十八円五十銭を保合の岐直とし、中旬より突如奔騰し、月末には三十四円五十銭に進み、八月上旬四十三円十銭の高直に達して波瀾状態に入り一高一低、更に出直り九月下旬四十三円八十銭の新高直を出し、十月中旬の四十五円を大高直として下向き、目下漸く新米気分の軟勢を辿りつゝあり、而して端界を新米にて喰継ぎたることゝて、所謂新米の早嘉は優に一ケ月以上と称せられ、相場の成行きも例年の米相場と異り、走り相場よりも十円以上注騰貴を告げ、其間既に相当に売出したる地方の農家の懐合は益々富裕にして、且つ其後秋上げ不良の為め鎌入不足も少からざる等の影響も念ふの要あるべきも、何分直頃観が売急がすべく期待され、殊に新規に出穀を見る地方よりは、必ずや一巡は売来るべき歟の現状にして大下鞘の定期米に向ひ著しく鞘寄したるも、尚大上鞘なるが前途果して如何、左に当業者の意見を徴し綜合一文とせるものを掲て参考とす
△需給の概要 需給高推定は之を数字に示すこと或は当らずと雖も、仮に米需要高を六千二百万石とし、之に本年の産額を五千六百万石、台鮮米の移入高を三百万石と見込み、尚新米早喰及び来年端界に於ける相当の持越米をも見積るとせば、少なくも五百万石の外米を輸入せざるべからざる概算なりとす、既に輸入税は免除せられ運輸亦多少緩和を報ぜらるゝとは雖へ、内地米価格の相当の高直を保たざる限り斯る多数の輸入は之を期し難かるべしと、而して所謂高直喰延の程度は今日以後に於て始めて著しきものあるべきを見込む要あるべしと、左に備考として近年の需要高推定の一例を示す、但し前年十一月々報所載試算に基く(前年試算不足高は稍事実に適合せり)
      △大正六年度
                            千石
 大正五年産米額                五八、三〇〇
 前年より持越古米推定額             三、〇〇〇
 - 第30巻 p.749 -ページ画像 
 移輸入米概数                  二、五〇〇
 右三口の合計………………………………………… 六三、八〇〇
 内 大正七年度へ繰越古米推定額         二、〇〇〇
 差引大正六年度供給額(需用高)        六一、八〇〇
      △大正七年度
 大正六年度産米額               五四、五〇〇
 前年より持越古米推定額             二、〇〇〇
 移輸入米概数                  五、五〇〇
 新米早喰高                   一、〇〇〇
 右四口の合計………………………………………… 六三、〇〇〇
 内 大正八年度へ繰越古米               ……
 差引大正七年度の供給額(需用高)       六三、〇〇〇
 備考 一海外輸出米は少数なるを以て両年共に之を省きたり
    一持越古米の数量は殆んど依るべきものなしと雖も、大正四年其筋の調査約四百万石とあるに基準し、大正五年度は一段少数なりと伝へられしを以て三百万石と加算し、六年は二百万石と仮定したり
    一新米の早喰高は三百万石と称すれども内輪に見積り、尚多少の残存古米は之を零とす
△人気 米界の人気は直頃観と大戦の講和気分の益々濃厚となれるを根拠として、定期米の大下鞘に安人気を示しある正米より見れば、之を理想売人気として尚径庭あるに似たれども、財界の事情も最盛期を過ぎ下り坂にありと評さるゝ場合、米価のみ空前の高直を維持すべからざるべく、現に定期米と繋ぎ関係のなき昨今の正米は毎に安定を得ず、敢て多からざる入米も需要に超過するに従て頻に定期米に鞘寄りしつゝあるを以て実に侮り難き今の人気なりとせり、斯の如く需給関係に未だ楽観を許さゞる時に際し、尚先安人気を否定し難きものは供給不足を演じたる端界相場の割高を警戒するに過ぎず、今や或る程度迄正期の鞘寄せられたる後、尚人気に連れて売り来るや否やを問題として気迷へるものゝ如く、而して採算上の観測は、金融に不自由なき農家が生産費の如何を顧慮せず売出すには尚余日あるべく、且つ安人気の永続は決してより以上崩落の因たらずとなし、一落付後の正米は比較的小巾に往来するの状恰も大正二年の如くならんと見込むもの多きものゝ如し、記して後日に徴せんとす
  ○米籾輸入税免除
政府は十月三十日附左の如く公表せり
 朕玆ニ緊急ノ必要アリト認メ、枢密顧問ノ諮詢ヲ経テ帝国憲法第八条第一項ニ依リ、米及籾ノ輸入税ヲ低減又ハ免除ニ関スル件ヲ裁可シ、之ヲ公布セシム
   御名 御璽
  大正七年十月三十日
勅令第三百七十三号
政府ハ当分ノ内勅令ヲ以テ期間ヲ指定シ、米及籾ノ輸入税ヲ低減又ハ免除スルコトヲ得
 - 第30巻 p.750 -ページ画像 
附則 本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
勅令第三百七十四号
大正七年勅令第三百七十三号ニ依リ、米及籾ノ輸入税ハ大正八年十月三十一日迄之ヲ免除ス
附則 本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
  ○外米管理規則廃止
農商務省令第四十号
外国米管理規則ハ之ヲ廃止ス
附則 本令ハ公布ノ日ヨリ之ヲ施行ス
 十一月一日
右に付き山本農相の談左の如し
昨年来一般物価の騰貴に伴ひ、米価の昂騰甚だしきものありたるを以て、前内閣に於ては之が緩和の方策として、本年四月二十五日外国米管理に関する勅令を発布し、次で二十六日外国米管理規則を発布し、外米官営の方針に依りて米の
△供給潤沢 ならしむると共に米価の低落を期したり、爾来外米管理実施の経過を顧みるに、今日に至るまで蘭貢・西貢・香港等より外国米を輸入せる数量約三百三十万石に上り、之に対する補給金として国庫より支出せる金額約二千二百万円に及び、公共団体其の他に向つて之を廉売する等、米価調節の為に大に奮闘努力せられたり、然れども其間に於ける米価の趨勢を見るに、外国管理令実施当時に於ては一石二十七・八円なりしに、昨今の市価一石四十二・三円にして、僅々半歳の間に十五・六円の
△昂騰を示し 其施設の著しき効果を視るに至らざりしは頗る遺憾とする所なり、翻つて今後の状況を按ずるに、本年内地の米作は第一回予想に於て五千八百九十万石なる稀有の豊作を示したりしも、其後九月に於ける前後二回の暴風並に十月に於ける冷気等の為め相当の減収を免れざるべく、第二回の予想に就ては未だ精数を示し能はざれども本年度米の実収高は第一回予想に比し相当懸隔あるものと推定して大過なかるべし、幸に本年朝鮮は近年稀なる豊作にして台湾も可なりの作柄なるを以て、前者より約二百万石以上、後者より八・九十万石の移入を為し得る見込なり、然れども一方
△消費の状況 を察するに例年四百万石内外を算する前年よりの持越米は、今年に於て頗る僅少なるべきは一般の推定にして、随つて新米早喰ひの事実もあり、且又生活程度の向上に基く需要の増加もあるべく、是等諸般の事情を綜合して考察すれば、内米の供給は到底国民の需要を充すに足らず、明年の端境期に至るまでには是非共約四・五万石の外国米を輸入するの必要あるべし、斯の如く外国米の輸入に依りて内地米の不足を補充するの必要ある場合に於て、依然外米
△官営の方針 を持続すべきや否やに関しては自ら議論の岐るゝ所なるが、外国米管理の実績は既に述べたるが如く米価調節の上に於て当初の予期の如くならざるの結果を生じたるのみならず、官営は理論上に於ては種々の美点長所あるも、其実行に当りては買入販売共に幾多の齟齬支障を生じて、所期の目的を達することの困難は実際に免れざ
 - 第30巻 p.751 -ページ画像 
る所なり、左れば現内閣に於ては従来の外米管理の方針を罷め、之を一般当業者の自由活動に委ね、政府は専ら之に対する障碍を除去するに努むるを以て適切機宜の措置なりと認めたり、而して一般当業者の外国米輸入を円滑ならしむるの途は
△船腹の供給 運賃の低減等種々あるべしと雖も、就中政府の施設として最も急務なるは関税の障碍を撤去するにあり、即ち政府は今回米籾輸入税減免に関する緊急勅令を発表し、今後一ケ年に亘りて現行税率一石に付二円五十銭の関税を免除せんとする所以なり、而して其実行の時期を今日に択べる理由は、輸入外国米の産地たる蘭貢・西貢等の産は多くは年末を以て端境期とし、此時期を逸せず当業者をして買付に着手せしめんが為には、商談・船繰り等にも相当の期間を要するを以て、今日より関税免除の実行を明示するの必要あり、即ち議会の開会を俟つ能はざる
△緊急の施設 に属するを以て憲法第八条第一項の規定に依り緊急勅令を以て之を発布するに至れる次第なり、尚ほ関税の免除に依り果して所期数量の外国米を輸入し得べきやに関し、或は疑惑を抱くものあらんも、当局に於ては此途に依りて充分に外米を招致し得可き理由ありと信ず、蓋し今日に於ける内外米の価格を対照するに彼此高低の差著しきものあるのみならず、彼地の端境期を経過せば目下輸出禁止中なる蘭貢米の如きも解禁さるべきを以て、明春に至らば一般当業者は必すや関税免除の特典の下に、何人も自由に活動の余地を得て続々
△外米を買付 輸入するに至るや疑ひを容れざればなり、殊に運賃の如きも曩に外米輸入当時にありては、百斤四円五十銭(一石十一円廿五銭位)なりしが、目下百斤三円乃至三円五十銭(一石八円七十五銭乃至七円五十銭)を唱へ、講和気運の進むと共に前途尚ほ漸落の傾向あるべく、果して然らば比際政府が殊更に干与せずとも当業者の随意契約による方便ある可く、斯くして米の供給潤沢となれば、其の自然の結果として米価調節の効果も亦自ら著はるゝに至るべしと信ず、右の趣旨に依り外国米管理規則は本日を以て之を廃止し、外米輸入の途を自由にせり、此際外米輸入に関する
△管理部官制 を廃止せざるは一見矛盾の如くなるも、既に買付ある外米の処分、殊に十一月中に到着すべき外米約十万石を処分する上に於て必要あるが為にして、更に将来に亘りて此規定を活用するの意にあらず
        ○全国組合倉庫保管米現在高(倉庫組合調)

図表を画像で表示全国組合倉庫保管米現在高

                  大正七年七月末日現在                            参照前年同期       内地米      朝鮮米      台湾米    外国米        内地米        朝鮮米     台湾米       外国米            俵        叺       袋        袋           俵       叺        袋        袋 東京                                       一、一〇三、五八九   八、三三六   六九、一二一   一〇、六四一 横浜                                          五七、八二九     一〇〇    三、二五〇   六七、五七三 大阪                                         八六五、一一三  四五、〇七一    四、九七〇    八、六九三  以下p.752 ページ画像  神戸                                         四二五、八九四   三、八七五  一一三、六八七  一六二、四五五 愛知・三重                                      四七七、一二三   一、四九七   七〇、七〇三   一三、五九四 京都     本表調査未了に付一                           一〇四、六六一      ……       ……       …… 下関・門司  時印刷を猶予したる                           一二二、七二五     二九九    二、四九一   一六、二一六 新潟     も遂に完からず遺憾                            五六、四四三      ……       ……      四二九 長崎     ながら次報に改めて                            四七、二三四      八五    二、九九六       八九 静岡     掲ぐることゝせり                             一八、六二八      ……       ……      二二二 長野                                           三、八四六      ……       ……      四五五 青森                                           九、九九七      ……       ……      四八七 函館                                         一二二、一四八      ……       ……       …… 小樽                                         二三二、〇〇四      ……       ……       …… 合計                                       三、六四七、二三四  五九、二六三  六二七、一五五  二八〇、七七三 前月計  七五八、〇七〇  一一九、二一七  八九、三〇四  三五四、四四八   四、六八九、〇〇四  九七、一八二  一二四、二九三  二二七、二五九 





〔参考〕竜門雑誌 第三六七号・第七九―八四頁 大正七年一二月 ○東京米市場概況(十一月中)(DK300089k-0040)
第30巻 p.752-758 ページ画像

竜門雑誌  第三六七号・第七九―八四頁 大正七年一二月
    ○東京米市場概況(十一月中)
                   東京 渋沢商店報告

図表を画像で表示東京米市場概況(十一月中)

        正米相場         定期米相場(公定相場)       正米出来高 日附    (標準相場)   十一月限   十二月限    一月限     日計          円       円      円       円          俵 上旬平均   三八・四八    ……    三三・六八   二三・二〇    六、五三六 中旬平均   三七・八四    ……    三四、二二[三四・二二]   三三・五一    九、一〇一 下旬平均   三九・八一    ……    三六・九五   三六・〇六   一〇、三八〇 月平均    三八・八三    ……    三四、九五[三四・九五]   三四・二六    八、五九八 月計        ……    ……       ……      ……  一九七、七五五 


図表を画像で表示注意

 注意 一、標準米は本月より新米建(大正七年産)となす、而して新古の格差は月初に於て一円六十銭なりしも月末には殆んど格差なきに至れり    一、米正相場は官米相場を除外せるものにして自家参考標準なり、一、出来高日計中、二日・十二日・廿七日の三日は合計二九、一七二俵の官米を加算せり、因に官米の配給は廿七日を以て打切り其総累計三九七、〇一一俵なりとす 



      ○同上種類別


              俵              俵
 茨城米      五、四一九  栃木・埼玉米  五、一二八
 千葉米      七、七七〇  東海道米    一、〇五五
 - 第30巻 p.753 -ページ画像 
 陸前米     一六、四一二  豊前米       二二七
 陸中米      七、一一三  豊後米       五四一
 磐城・岩代米  一〇、六三六  日向米     三、七三九
 羽前米     三三、四三五  薩摩米     二、九九六
 羽後米      二、八二六  朝鮮米       九七〇
 越中米     一一、四二四  台湾米     九、八七八
 越後米     六九、四五一  内地白米      一一三
 加賀・越前米   二、四一一  同糯      三、〇二六
 山陰道米       二四三  外国米        二〇
 畿内山陽道米   一、〇五一  雑穀          一
 肥前米        九六一   合計    九七、七五五
 肥後米        九〇八
      ○十一月中深川諸倉庫集散米状況
           内地米       朝鮮米     台湾米      外国米
               俵        叺        袋        袋
 入庫高     二二三、九一〇    一、二六九   一七、〇五三   四七、三六六
 出庫高     一七四、〇二一    二、九一七   三三、八七三   四九、〇六八
 月末在米高   一一五、七五三    一、四三二    九、八〇八      二二三
      ○十一月中鉄道積廻着米高
           上旬        中旬      下旬        合計
               俵        俵        俵        俵
 秋葉外十三駅  二三九、三九二  一八七、二一八  二一七、一三三  六四三、七四三

      ○十一月中商況一斑
十一月の正米は前月末来の下向き歩調を享け、月初の標準相場四十円八十銭(今月より新米標準を示す、月初古米標準は一円六十銭高月末殆ど同格)を高直に尚も暴落し、中旬の三十六円五十銭を安直に反撥急騰を告げ、下旬は手堅く保合ひ三十九円八十銭に了り、其平均は三十八円八十三銭(古米の平均は三十九円七十銭)にして前月に比すれば四円二十一銭安く、出来高は九万俵を減ぜり、又集散状態は一方に鉄道廻着米の前月に比し十七万俵の増加に連れ、深川の入庫高に五万俵を増し、出庫高は反対に十一万俵を減じたるも、差引僅に五万俵の入超に過ぎずして、其殖へ足の遅々なる驚くばかりなりし
次に相場の成行きは前月末来下げ足歩調となり、供給不足の端界相場を脱し愈々新米出盛期に入る気分に充ち、元来相場の居所高きを警戒する矢先なれば一斉に投げ崩し、産地相場は或る程度より以下は頑として売り来らざる模様なるに不拘、益々売逸りたる折柄発表されたる第二回の予想高の減少を今更の如くに気構へ、同時に五年越しの大戦も遂に休戦条約を結びたるの報あり、却て従来講和気構にて押へられたる人気の反動も加はりて急遽暴騰を告げたり、尤も定期米の大阪に於ける玉倒的売崩しの影響にて上旬の正米下落を助長したるも、四囲の事情之を許さず遂に其敗戦に依り、期米の暴騰は一層著しく新高直に進みたるが、恢復後の正米は直頃思ひと金嵩にて資金の関係上売渋らず、入米は敢て多からざるも入るに従つて市中へ散布せられたるを以て、期米の手堅きに不拘保合ひの市況を続け、正期の鞘は著しく寄せられたり

 - 第30巻 p.754 -ページ画像 
        ○要計比較(出庫・入庫・在米は内地米のみを示す△印は古米建▲印は下米建)

図表を画像で表示要計比較

 月次    正米相場   定期先物相場   正米出来高     深川出庫高     深川入庫高     月末在米高     鉄道積廻着高         円       円           俵         俵         俵        俵          俵 十 月  ▲四三・九一  ▲三三・一九   二八七、四七七   二八六、九九二   一八八、九七八    六五、八六四   四七〇、七七九 十一月   三八・八三  ▲三四・二六   一九七、七五五   一七四、〇二一   二二三、九一〇   一一五、七五三   六四三、七四三 (参照) 前年十月  二三・九三   二三・七四   一九六、五三三   二六一、三三〇   一六五、九〇〇   二二三、三七八   五五〇、六二八 



  ○第二回米作予想高
十月三十一日の現在に依る調査にして、十一月十二日附を以て発表せられたるものなるが、延引ながら例に依り後日の参考の為め左に之を掲ぐ                    (農商務省公表)
本年の米予想収穫高に就ては、曩に第一回調査として九月二十日の現況を公表せしが、其の後秋期に際し全国を通じ雨天多かりしのみならず、風水害を被りたる地方は尠からざりし為、作柄不良となり十月三十一日の現況に徴するに、其予想収穫高は五千五百七十八万三千四百四十石にして、之を第一回予想収穫高に比すれば三百十九万九千五百十二石、即ち五分四厘の減収を示せり、然れども前年実収高に比すれば百二十一万五千三百七十三石、即ち二分二厘、平年作に比すれば百八十九万六十石、即ち三分五厘の増収を来せり
      △米収穫高累年比較

図表を画像で表示米収穫高累年比較

                  石                  石 明治四十一年  五一、九三三、八九三   大正二年  五〇、二五五、二六七 同 四十二年  五二、四三七、六六二   同 三年  五七、〇〇六、五四一 同 四十三年  四六、六三三、三七六   同 四年  五五、九二四、五九〇 同 四十四年  五一、七一二、四三三   同 五年  五八、四四二、三八六 大正元年    五〇、二二二、五〇九 同 六年    五四、五六八、〇六七   平 年   五三、八九三、三八〇 同 七年 第一回予想高五八、九八一、九五二      第二回予想高五五、七八三、四四〇 



平年とは実収高に就き既往七箇年前に遡り、其の内最豊最凶の二箇年を除き残り五箇年を平均したるものなり

図表を画像で表示--

 地別   第二回予想高     第一回予想高を一〇〇とせる割合  前年実収高を一〇〇とせる場合              石       石   石 北海道    九〇八、九九六    九三、七            一一〇、七 青森   一、〇〇四、三六二    九七、五            一〇四、〇 岩手     九八四、六一二      ……               …… 秋田   一、六三九、五三九    九九、〇            一一六、六 山形   一、八九四、五七八   一〇一、〇            一〇四、〇 宮城   一、五七七、二四二    九五、二             八七、七 福島   一、五六四、二八六    九三、八            一〇二、七 茨城   一、八七七、〇七六    九四、二            一二三、八 栃木   一、四四一、三三一    九五、五            一〇九、四 群馬     七一〇、七九一    八四、九            一〇七、六 埼玉   一、二〇六、八九七    九三、一            一〇六、二  以下p.755 ページ画像  千葉   一、七七七、八九四     八、八二           一〇五、三 東京     三〇一、三七九     九、六三           一一三、六 神奈川    四七四、一七〇    九二、二            一一三、五 新潟   三、二二五、一七〇    九七、九            一一一、六 富山   一、五八四、四五五    九六、九             九一、八 石川   一、一四九、六九九    九七、八            一〇二、六 福井   一、〇一七、二四六    九五、六            一〇三、六 長野   一、五一八、三三七    九九、〇            一一一、七 岐阜   一、一七四、七九六    九六、一            一一〇、六 滋賀   一、三一九、二三七    九一、〇             九八、二 山梨     四四八、二二五   一〇〇、〇            一一八、七 静岡     九五〇、〇二九    八一、〇             九一、八 愛知   一、九八一、一二六    九四、四            一一三、一 三重   一、三六〇、二〇五    九一、六            一〇九、七 京都     八六〇、六九一    九五、八            一〇〇、四 兵庫   二、二七四、六六六    九三、四             九六、七 大阪   一、二一〇、三九七    九〇、二            一一一、七 奈良     七七八、〇〇三    九三、一            一〇四、三 和歌山    六一八、五七八    九三、〇             〇六、九《(マヽ)》 鳥取     五五六、四四七   一〇〇、一             七三、八 島根   一、〇〇九、二六二    九五、九             九八、二 岡山   一、五八九、三八五    九二、七             九四、三 広島   一、三五四、八五二    九二、五             九〇、〇 山口   一、二六九、四一九    九三、〇             九四、九 徳島     四五三、一二三      ……               …… 香川     七九三、四二二    九三、七             九二、六 愛媛     九二〇、五一二    九六、六             九六、五 高知     四八三、〇二九    九四、五             七三、三 大分     九五六、五二三    九四、九             九七、一 福岡   二、〇八三、八三二    九七、一             九四、一 佐賀   一、一三二、二六〇    九五、八            一〇一、七 長崎     五六五、一七三    九九、二            一〇三、九 熊本   一、六八七、二八九    九七、三            一一五、〇 宮崎     八七二、二七〇    九五、一             九三、一 鹿児島  一、一六二、〇六一    九二、九            一〇六、七 沖縄      六〇、〇四六   一〇六、七             七二、九 計   五五、七八三、四四〇    九四、六            一〇二、二 



岩手・福島二県は報告未達に付第一回予想高を以て之を塡補せり
  ○米界近状
 十一月の米況は表面記事の如く初めに安く後ち高く往復八九円巾の大波瀾を画きたり、之を大体上より見るときは端界の品カスレ相場として、九・十月の高直を出だし十一月の瀾波瀾《(マヽ)》により新大相場の基礎を固めたるものゝ如し、顧れば今秋古米の払底に依り頻りに騰貴を告し際と雖も、当時の作況は抑も植付以来珍らしき好順気にて天災期も
 - 第30巻 p.756 -ページ画像 
半ば無事に経過し殆んど大豊作疑なき折柄なりしを以て、新米相場は二十五円乃至三十円位に落付くべきかを見込むものゝ如く走り相場は御祝儀直段として三十七八円に生れ、先約直段に二十七八円の商内少からず出来し、其後新米を早喰するの止むなき成行きに依り更に位置を昂げ(政府買付米の新米に及ぼしたること最も影響ありたり)続て暴風雨秋霖被害にて米作は予期の如くならざると古米高に準じて非常なる高直を呼びたるも、新米相場としては先約又定期米に依然大下鞘を示したるもの、遂に四囲の実情に鍛煉せられ最近に至り現期の鞘は著しく縮少し、昨年に比し殆んど倍価にも達せんとする高直に新米相場の基礎を置くに至れり、斯の如き成行を以て新米相場は一段落を告げたるが今後は如何、目下の人気は可成り強気に転じたるが如しと雖も正米としては居所の高き懸念と資金の関係等に依り敢て思惑をなすもの殆んどなく、産地とは益不引合ながら時節柄相応の廻着米は全部成行に売出されつゝある有様なれば、昨今多少宛在米増加を示せると雖も到底遅々たるを免れず、斯くては結局農家の意向に追随するの止むなきに至らんか、然し昨今台湾・外国米の好売行に見るも需用は弥弥直段の問題に重きを措き着々喰延されつゝあると一面諸物価安の大勢を考ふるの要もあるべし、要するに一方定期界も年末に際し大活躍も望まれ難く、彼是多少の波瀾は別として大体持合に了るならん歟と
  ○糯米の景況
時代の推移に因り所謂江戸趣味なるもの逐年消耗するに従ひ、新年祝儀用の餅の需用は漸次減少に傾き、其割合昔日の如くならざるは蓋し当然の成行なるべし、而かも昨年に於ける糯米の売行き例年三分の一に過ぎざりしものは、全く米価高の影響として特殊の現象ならん歟、然らば本年は如何に好景気とは云ひながら、米価は前年に比し倍価に達せんとする空前の高直の折柄、糯米売行は一層減ずべきを思はしめ例年ならば白米商が暮の糯の用意として十一月下旬より弗々買入るべきに、本年は更に準備の模様も見へざるは則ち前記の如き需用減の見越しと、矢張り高直の為め資金の嵩む関係上仕入を遅らすものゝ如く之に対し産地より出廻りも至つて少なく、自然相場の成行きも大かならざる現状なりとす、見当相場左の如し
                    前年同季
地廻上糯(谷原二等)四十五円      廿八円
同丘糯(茨城五等) 卅七円八十銭    廿三円八十銭
加賀二等糯     四十二円五十銭   廿六円五十銭
台湾丸糯 先約百斤 十六円五十銭     九円六十銭
        ○全国組合倉庫保管米現在高(倉庫組合調)

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                    大正七年八月末日                            大正六年九月末日《(八カ)》        内地米       朝鮮米     台湾米    外国米        内地米       朝鮮米     台湾米       外国米              俵       叺       袋        袋           袋       叺        袋        袋 東京     二二五、三一三   四、〇二四   四、八四七   三四、七六二   一、一〇三、五八九   八、三三六   六九、一二一   一〇、六四一  以下p.757 ページ画像  横浜     未                              詳  五七、八二五         一〇〇    三、二五〇   六七・五七三[六七、五七三] 大阪     一〇七、三三八  六三、四六六   二、一三六   一一、一〇二     八六五、一一三  四五、〇七一    四、九〇七    八、六九二 神戸      五五、三一六   三、六七六  二三、六四八  一〇四、〇六八     四二五、八九八   三、八七五  一一三、六八七  一六二、四五五 愛知・三重   五一、八四一     四六一   七、三八六   一七、九〇三     四七七、一二三   一、四九七   七〇、七〇三   一三、五九四 京都      四一、四二九      ……      ……      九三三     一〇四、六六一      ……       ……       …… 下関・門司   一二、〇五三     八七四   二、二三九    九、二六一     一二二、七二五     二九九    二、四九一   一六、二一六 新潟       三、一八一      ……      ……       ……      五六、四四三      ……       ……      二四九 長崎       三、八五六     五九一     一三五    一、五七三      四七、二三四      八五    二、九九六       八九 静岡     未                              詳      一八、六二八      ……       ……      二二二 長野       二、七一九      ……      ……       ……       三、八四六      ……       ……      四五五 青森       六、四三三      ……      ……       ……       九、九九七      ……       ……      四八七 函館     未                              詳     一二二、一四八      ……       ……       …… 小樽      六三、二八六       ……     ……      三七九     二三二、〇〇四      ……       ……       …… 合計     六〇七、四七〇  七三、〇九二  四二、三九一  一七九、九八一   三、六四七、二三四  五九、二六三  二六七、一五五  二八〇、七七三 前月計    七五八、〇七〇 一一九、二一七  八九、三〇四  三五四、四四八   四、六八九、〇〇四  九七、一八二  一二四、二九三  二二七、二五八 



        ○全国組合倉庫保管米現在高(倉庫組合調)

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                    大正七年九月末日                              大正六年九月末日        内地米       朝鮮米       台湾米     外国米      内地米        朝鮮米      台湾米      外国米              俵        叺         袋                  俵        叺        袋 東京     二〇五、五一一   二九、一〇六   五一、四五一   一三、四二四    六三六、七一二    二、二〇四  一六五、一八〇   一四、六六四 横浜     未                                詳     五六、四〇五       二〇   一三、五二三   四三、六八七 大阪     一二二、四一一  一一八、八四六    一、一四一   五一、九五〇    六三五、五九八   二四、八八九    四、七六〇    六、一一三 神戸     一二七、〇一二    二、八五七   三九、〇四三  二三六、七三一    二六九、一五三    三、四八八  一四一、二六九  二四五、九三八 愛知・三重  未                                詳    三七六、九一七    一、七一〇   九一、九五二   一〇、七八六 京都      二五、六五二       ……       ……      二九一     六〇、三〇〇       ……       ……       …… 下関・門司  未                                詳     八六、五九一    九、六一九   一一、三三四      九〇二  以下p.758 ページ画像  新潟     未                                詳     五〇、〇二五       ……       ……      二四〇 長崎      一一、七二五      三八三      二一六    二、四八七     四三、四一九       ……    四、一六六       九五 静岡       二、七三四       ……       ……      三一六     一一、八九〇       ……      五一四       …… 長野       一、七七四       ……       ……      一二九      二、六九五       ……       ……      四五五 青森       三、三五二       ……       ……       ……      七、七八三       ……       ……      四一六 函館     未                                詳     六三、一四三       ……       ……       八五 小樽      二二、三一二       ……       ……      八一三    一五六、二七四       ……       ……      九〇〇 合計     五二二、四八三  一五一、一九三   九一、八五一  八〇六、一四一  二、四五六、九〇五   四一、九三〇  四三二、六九八  三二四、二八一 前月計  三、六四七、二三四   五九、二六三  二六七、一五五  二八〇、七七三  四、〇六一、六三六  一〇一、四三四  一四九、一九六   六二、二九七