デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
3節 感化事業
3款 東京市養育院感化部井之頭学校
■綱文

第30巻 p.838-844(DK300104k) ページ画像

昭和4年5月5日(1929年)

是日並ニ翌五年四月二十七日、栄一当校生徒ヲ王子飛鳥山邸ニ招待ス。


■資料

東京市養育院月報 第三三四号・第二一―二二頁 昭和四年五月 ○井之頭学校だより(DK300104k-0001)
第30巻 p.838-839 ページ画像

東京市養育院月報  第三三四号・第二一―二二頁 昭和四年五月
    ○井之頭学校だより
○上略
△院長邸行 五月五日端午の節句の吉日を卜し、我等の院長渋沢子爵には好意を以て本校生徒一同を特に飛鳥山の邸に招ぜられたり、当日は天気快晴にして絶好の遠足日和なりき、午前七時十分喇叭の合図と共に一同勇躍して校庭に集合し人員点呼の後、石崎主務より感激の日五月五日に於ける心得に就き諭す所あり、終て行進喇叭の音も勇ましく校門を出発す、斯くて午前八時十分吉祥寺駅より省線電車にて新宿駅に到り、山手線に乗り換へ駒込駅に下車し、順路徒歩にて飛鳥山院長邸に着せしは同九時半、暫時休憩の後翠緑滴る庭園の小径を辿り、美事なる盆栽に、艶麗にして馥郁たる花壇に、或は珍樹・佳木を観賞し、又は風雅なる小亭の妙に眸を輝し、就中愛蓮堂の構造には驚異の眼を瞠り、後庭の見晴台より遠くは筑波の翠峰、近くは荒川の流れを望み、庭内を隈なく巡りて一先づ青淵文庫前庭の休憩所に戻れり、次で一同洋館前に整列すれば、我等の院長には病後とも思へぬ健かさ、然も温容に満面の笑みを湛えて老躯を客室『ヴェランダ』の石段に運ばれたる刹那、孰れも先づ欣びと嬉しさの情胸に迫まり、唯だ粛然として仰ぎ見るのみなりき、斯くて田中幹事より生徒に対し院長の深き
 - 第30巻 p.839 -ページ画像 
御好意の程を説明せられ、此の感激の日は永く記憶に留めよとの激励の訓辞あり、次ぎに院長には久方振りにて一同に逢ひたる嬉しさの情を述べ、更に少年時代に於ける発憤の回顧談を以て教訓せられしかば一同傾聴感動せざるはなかりき、之れより先既に楽器の到達せしこととて、文庫前庭の芝生に於て本校バンドは日頃練習の曲目数番の演奏を試み、午前十一時半に至れば予て用意ありたる心尽しの昼餐の饗応を受け、食後は三々五々庭内を逍遥するもの、芝生に鬼ゴツコをなすもの等、各自思ひ思ひの遊戯に打興じ、斯くて午後零時半より演芸に移り、百面相・曲芸・手品等の余興を観覧せしめられたれば、一同は唯だ喜悦に酔ひつゝ喝采裡に演了するを待ち、再び本校バンドの演奏数曲あり、終て洋館前庭に整列すれば、我等の院長は再び一同を引見せられ、慈愛の溢るゝが如き挨拶の辞あり、石崎主務謹で御礼を申上げ、名残惜くも一旦所定の場所に引上げ、お土産の菓子袋数々を携へたる後、午後二時半隊伍粛々行進喇叭に歩調を合せ邸内を辞去し、往路を逆に同四時十五分終日の歓を尽し嬉々として無事帰校し、石崎主務より今日の喜びに就き重ねて一言注意を与へ、目出度解散各々寮舎に引上げたり、蓋し此の歓びの深き印象は、永く生徒の胸裡に刻まれ今後の薫化上に必ずや大なる効果を齎すべし
 因に当日の挙に就き、終始斡旋の労を賜りたる渋沢敬三氏に対しては、玆に謹で深甚なる謝意を表す


東京市養育院月報 第三三五号・第三九―四一頁 昭和四年六月 △井之頭学校生徒の作文(DK300104k-0002)
第30巻 p.839-841 ページ画像

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東京市養育院月報 第三四六号・第一六―一七頁 昭和五年五月 ○井之頭学校だより(DK300104k-0003)
第30巻 p.841-842 ページ画像

東京市養育院月報  第三四六号・第一六―一七頁 昭和五年五月
    ○井之頭学校だより
○上略
△院長邸行 四月二十七日我等の院長渋沢子爵と密接なる関係にある竜門社の案内により、本校生徒一同は飛鳥山の院長邸に出向せり、当日は幸に一天隈なく晴れ渡れる絶好の日和にて、午前七時半喇叭の合図に一同雀躍して校庭に集合、人員点呼の後大西主務より途中及び参邸後に於ける心得を諭し、同八時十分行進喇叭と共に勇ましく校庭を出発、同八時半吉祥寺駅より省線電車に乗り新宿駅に到り、山手線に乗替へ駒込駅に下車し、順路徒歩にて午前九時五十分飛鳥山の院長邸に参著、暫時休憩の後ち本日生徒一同の案内に関し種々尽力ありたる渋沢敬三氏に対し一同挨拶をなし、次で院長より生徒一同を引見せらるゝことゝなり、院長居室の庭前に整列すれば、平素より衷心の敬慕
 - 第30巻 p.842 -ページ画像 
を捧ぐる我等の院長には、春寒の頃より恙あられしに拘はらず病後とも思はれざる程の健かさにて、然も温容宛ら百草を芽ぐましむる春日の如く、満面笑みを湛えられつゝ洋館『ヴェランダ』の石階より庭上に老躯を運ばれ、直に生徒一同に対し久方振りに相会したる喜びの意を述べられ、且つ井之頭学校創設の趣旨より説きて、諸子は能く職員の訓へを守り、学を励み業に親みて、将来有為の人とならんことを望むとて論語雍也篇の知之者不如好之者。好之者不如楽之者。の語を引かれて、各自は真にその業を楽む迄に篤く其の道に専念せよと懇諭せられ、いづれも傾聴感激せざるはなかりき、それより一同は緑樹薫風の庭園を思ひ思ひに散歩し、目も綾なる花壇の美観に見とれ或は珍樹佳木の盆栽を観賞し、或は又緑蔭を縫へる小径を辿りて築山泉水の辺に遊び、或は遠く筑波の山々を眺めて展望の広きに驚き、然も此間青淵文庫前庭の楽堂よりは我校『バンド』の喨々たる奏曲流れて清雅の庭内を吹く軟風と和し自ら恍惚の心境を演出して真に快哉を叫ばしめたり、斯て午前十一時半に至り、昼食として一同に折詰の馳走あり、書院前の芝生にて舌鼓を打ち、少憩の後再び洋館前に整列して退邸の挨拶を為せば、我等の院長は復もや前の位置に歩を運ばれて更に一同に対し種々感懐を述べて大に励まさるゝ処あり、次で子爵夫人も立出でられて生徒等の挨拶を受けられ、一同深く感動して感謝の意を表しつゝ、午後一時お土産の菓子を懐にして退邸、往路を逆に同二時半無事帰校せり、蓋し此の一日の歓びと感激は永く生徒の脳裡に印象して、将来の発奮向上に多大の効果を齎すべきを信じて疑はず


東京市養育院月報 第三四六号・第二九―三一頁 昭和五年五月 △井之頭学校生徒の作文(DK300104k-0004)
第30巻 p.842-844 ページ画像

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