デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
3節 感化事業
4款 関東・東北・北海道感化院長協議会
■綱文

第30巻 p.849-855(DK300106k) ページ画像

大正4年4月24日(1915年)

是日栄一、中央慈善協会会長トシテ、千葉市ニ開カレタル関東・東北・北海道感化院長協議会ニ出席シ、一場ノ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK300106k-0001)
第30巻 p.849 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年     (渋沢子爵家所蔵)
四月廿四日 曇
○上略 午飧後自働車ニテ千葉町ニ抵リ、感化院当局者ノ講習会後ニ開催セル集会ニ於テ、感化救済事業ニ関スル一場ノ講演ヲ為ス、畢テ井上友一氏ト共ニ帰京ス ○下略


竜門雑誌 第三二四号・第五九頁 大正四年五月 ○青淵先生の千葉旅行(DK300106k-0002)
第30巻 p.849 ページ画像

竜門雑誌  第三二四号・第五九頁 大正四年五月
○青淵先生の千葉旅行 関東各府県聯合感化院長会議は、四月廿三日より五日間千葉県千葉町に於て開会せられたり、二十三日には内務省より渡辺地方局長臨場して一場の訓示講演を為し、翌廿四日には青淵先生は中央慈善協会々長の資格を以て、井上神社局長と共に同地に出張して同会議に臨み、一場の演説を為し、即日帰京せられたり


竜門雑誌 第三二八号・第三六―四四頁 大正四年九月 ○感化事業に就て(青淵先生)(DK300106k-0003)
第30巻 p.849-855 ページ画像

竜門雑誌  第三二八号・第三六―四四頁 大正四年九月
    ○感化事業に就て (青淵先生)
 左記の演説は、関東・東北・北海道の感化院長会を千葉県千葉町の公会堂に開催せられ、青淵先生が中央慈善協会長として同会の公開演説会の席上にて講演せられたるものなり(編者識)
知事閣下、来賓並に会衆諸君、唯今御紹介を戴いた渋沢でございます東京に中央慈善協会と云ふものが設立してございまして、私は不肖ながら其会長に任じて居ります為めに、慈善協会を代表いたした心得を以て、感化救済に関する愚見を一応申上げやうと存じます、本来実業家の一人でありまして、又銀行を経営して居りまして、救済事業とは懸隔つた務めを日常経営致して居る者でございます、併しながら殆と四十年ばかり以前から、東京に於ける市の管理に属して居ります養育院院長として任じて居ります、旁々前に申す通り金融界・実業界に居りますけれども、聊か感化救済事業に就ては実験を有ち居ります積りでございますから、不肖ながら中央慈善協会の会務に従事して居る次第でございます、当御県に於て各地の感化院長が御会同になつて、感化院に関する事務に就て種々御評議になつて居る事を承知しまして、皆様にも引続いて斯業に御励精なさるゝ事を深く感謝いたします。
世の進む程貧困な者が少くなるべき筈である、貧とか困とか云ふものを薄らがしむべき筈である、然るに反対に、富めば富む程貧困な者の多くなると云ふ事が、是が所謂娑婆世界の現象と云はなければならぬのであります、一体の国柄が貧弱なれば貧困者が少くなる、富む程貧
 - 第30巻 p.850 -ページ画像 
困者が多くなる、是はどうもをしなべて所謂世界の有様であると申して宜しからうと考へます、試に先進国たる英吉利とか、或は仏蘭西・独逸・亜米利加あたりの有様を見ましても、富の程度が進むほど貧困者が多数出来る、同時に此貧困な者を、或は救済し、或は感化すると云ふ務めを種々なる方面から攻究し実行して居る、その行き届く国が即ち文明国であつて、其行届かぬ国は未だ以て完全なる文明国と称する訳には行かぬのであると考へられます、我邦維新以後短かい歴史に就いて実例を此処に証拠立てまして、一般世界の有様を推察する事が出来るやうであります、それは前に申上げました、私が東京市養育院の常務員長《(事務長カ)》、或は院長として院の大体の事務に任じました事は、恰度明治七年からでございますから、既に四十年を経過して居りますが、此四十年の間に、東京市の繁昌が養育院に依つて卜定せられると申して宜しいのである、其有様はどうかと云へば、繁昌の度の進む程養育院に入院する貧民の数が増して来る、換言すれば貧民の数の増す程、東京市の繁昌が上進して来ると云ふ有様でございます、然らば其貧困の者が沢山あるほど繁昌かと云ふと、道理は左様な訳ではない、東京市の市民と云ふものに左様な貧困な者が段々増して来るのは、それは東京市繁昌の証拠であると云ふたら、是は間違つた道理になりますけれども、さうではないので、東京市が段々繁昌を増すと云ふのは、従来の東京市住民以外に、全国から種々なる関係に依つて集つて来る、此人が増すに依つて東京市が段々繁昌が増して来る、家屋も殖やさなければならぬ、諸物品も段々供給を増さなければならぬ、従て金融も運輸も交通も総ての物が同時に増して来る、唯順能く其割合に増すのみの関係であると、為めに貧者が少数で済みます筈でありますけれども、此間に時代の境遇から権衡を失なひ、変化を生ずる、そこで或は失業者が貧困に陥る、是は蓋し数の免れないものである、殊に今一言で分るのは資本と労働の関係、事業が追々機械的になれば、機械工業が盛になるために、従来此事に従事して居つた労働者多数のものは、遂に職を失ふ者が出来る、交通機関の変化からもまた其の通り、最初駕を舁いだ者が人力車のために失職する、今度は人力車が電気鉄道になつた為に又変化を生ずる、斯の如きは直ぐ様一言にして誰にも分るのでありますけれども、さう云ふ例はそれこそ枚挙するに遑あらずで即ち此世の進運が多数の関係者をして或る部分には幸福を得せしめ、或る部分に不幸を与へて、即ち失業者を生ずると云ふのが、先づをしなべての有様である、唯単に事業の関係ばかりでなしに、多数の人に就いても亦同様の状態で、即ち時勢の変化からして起つて来る困難もあれば、又然らずして自家自から為せる困難と云ふものも、多数の人の集まる場合には其処に生じて来る、斯る者の東京に流れ来たる者も亦甚だ多い、試みに或る例を申せば地方で農業をして居つて、其農業が十分に行かぬと云ふと、まだ更に仕合せの好い事があらうと、此人が至つて大胆で而して知識もない、勿論財産も無い、東京へ来たらどうかなるだらうと、ボンヤリと出掛けて来る、不幸にして病ひとか或は業に已に家を離れる時から其考が多少自暴自棄になつて、聊さかあつた貯へは皆費消して仕舞ひ、遂に困厄に陥ると云ふ種類が中々多い
 - 第30巻 p.851 -ページ画像 
其等は今の産業の変化とか資本とか、労働の関係から生ずる困難ではなくして、或る事業の変化とか、其精神・希望の働きに依つて右様な業を失なひ産を破り、甚だしきは貧困・困苦に陥ると云ふ一例で、此種類も数多あるのでございます、右様な有様から、一国であれ一地方であれ、繁昌と云ふものに対して同時に困難を生ずると云ふ事は、殆ど社会上免れぬものとして宜からうと思ふのでございます、玆に於て此感化救済と云ふものは種々なる方面から必要でありませうが、私は是を政治上の問題から余り論じませぬで、人道から論ずる、経済上から論ずる、此二つから貧困を措置するに於て十分なる攻究を要すると云ふ事を申して見たいと思ふのでございます、勿論人道と云ふものは政治と隔つたものである、政治に人道は要らぬと云ふ意味ではありませぬ、併し政治と云ふものになりますると、相当なる規定を設け、或る場合には法律に依つて人を検束もしなければならぬ、故に私の今申す人道とは一致せぬ場合がある、否総てが一致するとは申せぬかも知れませぬ、詰り此政治上から論じましても善政良法、富む者の数も増すが、同時に貧困な者を努めて無からしめると云ふ事が即ち善政である、苟も善政が貧困な者を虐待する、貧弱な者を悪く待遇すると云ふ事は決して善政でないと云ふ事は申すまでもございませぬが、併し今私は人たる情愛からして前に申すやうなる一般同胞に懸隔を生ずると云ふ場合、何等かの方法を以て是を救ふと云ふ情愛が無くて宜いものであるか、それが文明と言ひ得るか、それが即ち人たるの普通の意味であるかと云ふ事を能く論究して見たいと思ふのでございます、尤も此貧者の方から論じますと、乃公は困窮であるから人が助けて呉れるだらう、助けを受けるのが当然権利であるが如き有様に相成つたならば是は大なる間違ひで、若し国家公衆が左様な風習になると、即ち極端に走りたる社会主義者のやうな有様になる、彼是れ考へて見ると、左様なる理屈であれば勉強するほど他人の為めに働く様になり、却つて立派なる資力ある者は困難な者と終始均一させられる訳になるから若し左様な道理が世の中に段々拡張れて行つたならば、国家と云ふものは誰も富を増すに努める人も無くなるから、国家は為に衰へるに違ひない、故に人道はさう云ふ意味ではない、却つて其困難を免れた自己自身の自立の出来る人に、若し左様な落伍者があつた場合は情愛で是を助ける、此困厄を救ふ、唯単に是を救ふばかりでなく、其人に十分なる働らきを得せしめ、貧困を免かれしむるやうに仕向ける、是はどうしても所謂文明の民たる人の努むべき事と思ふのでございます、従つてそれ等の人情に依つて善政を行ふ法と、恰度それと同じやうに又それの助けを受け得るやうな、或は中央政府の法律であるとか、行政処分であるとか、又地方に於て設ける所の規定も、今申上げた人道を成るべく根柢として居るやうな、設備が甚だ必要と思ひます、是はマア多く所謂情愛に属する、人として他の貧困を黙つて見て居ると云ふ事は為すべからざるもの、又為し得られぬものであると云ふ趣意から申しましたのでございますが、更に一方此の国の進歩に応じて、経済の点から考へて見ましても、其地方地方、広く言へば一国である、其国の安寧幸福を考へましたならば、社会の其等落伍した者、若くは
 - 第30巻 p.852 -ページ画像 
貧困に陥つた者に対して、努めて働を得るやうに、困難を救ふと云ふ事は経済上から大なる利益と申して宜しいのである、若し其人が全く職を失なひ、困厄に沈倫して仕舞ふたならば、単り其人が利益を失ふのみならず、或はそれが及ぼす弊害は中々大なる関係を惹起して来る殊に是等の事柄は、此の感化事業には強い関係を持ちますやうに思ひます、試に玆に一人の不良少年がある、まだ至つて是が幼少である、此不良少年が追々に悪化する其順序と云ふものは、初めに掻つぱらいと云ふ事をして、笊を持つて屑を拾つたりして居る、是が掏摸の親方に引き入れられて、掏摸学校と云ふ言葉は穏当でありませぬけれども殆ど此学校の様なものがあつて、其所で段々修業をすると、其悪を為す程度が巧みにもなり又広くもなる、一度刑に処す、二度刑に処す、三犯・四犯となると、遂に是が習慣的の窃盗となると云ふ訳であります、是が一例を話しますると、昨年の秋頃でありましたが時はハツキリ覚えませぬ、十二歳になる渡辺寅次郎と云ふ少年、是は幼少に似合はない種々なる罪悪を犯して養育院へ参りまして、此処に養育院の幹事の安達氏も居りますが、共に大に舌を捲いて、所謂後生恐るべしと云ふ、悪い方に対する感情を起したのでありますが、彼は種々悪事に熟練して居ると云ふので、面会をして色々話を聞いて見ますと、其抑抑は七つの時に窃盗をしたのが一番の稽古始めであつた、彼は一向遠慮もなく話すのです、どうして物を窃む考になつたかと云ふと、自分の友達があつて、それが少し風邪気で寝て居たので其家へ遊びに行つた、其家は小売店であつて種々な物を売つて、其金は皆箱の中に這入つて居る、それを見て友達の家で遊んで居つた、遊びが済んで帰る時に不図物が買ひたいと思ふたので之を買ふには銭が要る、自分の家には無いから他人の物を窃つてやらうと思ふて、外に出かけて行つたが家の者が居ない、障子の外から居ないのを見定めて再び其家へ戻つて銭は重くて面倒だから札だけ取つた、十一円とか云ひました、それを取つて、それから色々の物を買つた、唯七つでさう云ふ窃盗を始めた位だから直ぐ様人が見て怪しんだでありませう、其為めに其盗まれた親からやかましく云はれて、其子の親が到頭償つた、併し其風習が段段進んで行つて、其翌年即ち、八つの時だと申します、浅草へ行つて他人の物を掏つた、すると恰度傍の方に掏つて居る手際を見て居つた人があつた、掏つた後で小僧此方へ来いと云つて、傍へ連れて行つた……即ちそれが掏摸の先生です、恰度掏る工合を見て、八つの少年の手際としては頗る巧みであると云ふ処に注目して、傍へ連れて行つてお前は中々手際は良いけれどもまだ不可ない、本当に稽古をしなければ不可ない、玆で其の掏摸学校へ這入つて稽古をした、ところが其の掏摸は沢山取つても呉れる物は少ない、段々やつて居ると、折角自分が丹精を出して取つて来ても、呉れる割合が甚だ少ない、寧ろ自分一人でやつた方が宜いと考へて、それから遂に独立をしてやり出した、そこで到頭、遂に刑に処せらるべく見咎められた、まだ責任年齢にならぬ、それで養育院の方へ送られ、感化部の方へやらなければならぬ事となつて来たので、併し様子を見ますると中々面魂しいも逞しく、東京に置いたならばどれ程の人になるかと思ふ、懸念すべき悪少年で
 - 第30巻 p.853 -ページ画像 
あります、遂に是は今小笠原島の修斉学園の方へやりまして、小笠原でそれからどうなりましたか、まだ其消息を聴く事を得ませぬけれども、掏摸が段々進化して行く有様と云ふものは、唯評判には聞いて居りますけれども、左様な実例があると云ふ事を申上げる為めに、今の渡辺寅次郎のお話をしたのでありますが、今前に申した養育院の此感化部は、吉祥寺の井ノ頭と申す所に井ノ頭学校として設けてありますが、是は明治三十三年頃の企であります、其頃私と幹事と頻りに此感化事業の必要を思ひまして、通常養育院は貧民を収容するけれども、一歩進んで感化事業を是非やつたら宜からうと云ふて、東京市内に於ける浮浪少年及不良少年の景況を能く調べた事があります、渡辺寅次郎は昨年の事でありますが、今申上げるのは十四五年以前の事であります、其頃掏摸教授をする者があると云ふ事を知つては居たが、其実際を見なかつたからよもやと思ふた、併しまあ都会には随分色々な物があります、事実どれ程の害があるか其処までは研究しませぬけれども、掏摸学校とも云ふべきものは、下谷とか浅草辺には中々有つたやうでございます、甚だしきは斯ふ云ふ種類もある、或る婆さんが子供を沢山養つて居る、是も矢張り其感化部を建てる時に実見した話で、私は事実見ませぬが、実見したる安達氏が嘘のやうな話だと申しましたが、是は実際に見た事である、深川の阿部川町に或る婆さんが子供六人を養ふて居る、貧困な様子をして居つて子供を大勢余所から貰つて養ふ、是は実に奇特な事だと思つた、焉ぞ知らむ、是が子供を材料にして我が一身の利益を図る仕方である、乞食をするのに唯物を乞ふのはどうしても貰ひ悪い、子供を連れて行くと貰ひ宜い、而も其子供が痩せて居つて能く泣くのでなければ貰が宜くない、随分浮薄な話でありますが、其子供の貸方をする為めに、貧困な人から子を貰つて、さうして又沢山食べさせると肥るから不可ない、成るべく少なく食べさせて、終始泣くやうにして置く。まるで蟋蟀でも養つて置くやうな有様である、こんな話をすると、何か好い加減な事を申すと、お笑ひなさる、或はお疑ひなさるか知らぬけれども、是は実際であります、それで其婆さんの話を聞きまして、是はどうしても感化法を十分に設けて不良少年を収容する仕組がないと、斯う云ふ種類はどう化して行くか、例へば今頃でありますと此桜には毛虫の胤が大分ある、此毛虫も胤の間に駆除して仕舞ふと直ぐ始末が付くが、大きな毛虫になつては中々一寸片付けるのにも骨が折れる、少年が悪化して行く有様も同じ様なもので、今の様な仕方が段々進んで行つて、悪化するやうになつたらそれが一般にどれ程の害悪を及ぼすか、社会は其の為めに困難の場合になつて来る、一方からは人道でありますが、一方からは反対に其人をして善良なる考へに引直させて、真面目の業体に依つて必要なる生産に従事せしむる事が出来ぬ事は無いので、若しさうなつたら害は減じて、反対に利益を生じて来る訳になる、故に経済上から論じましても、どうしても此弱者貧者の境遇にあつて、罪悪に陥りさうな種類をば、どうかして其境遇に到らぬやうな方法を設けると云ふ事が旁々自家の安を保ち富を増す事になると思ふのでございます、殊に此の世の進歩を図りますには、一方には段々知識を進めて行かなければ
 - 第30巻 p.854 -ページ画像 
ならぬ、独り普通の知識を進めると云ふばかりでなしに、事業上の智識、或は機械工業、若くは化学工業を進めて行くと、自然従来有り触れたる業体に変化を惹起すると云ふ事は、是はどうしても免れぬ有様である、殊に此知識を進めると云ふ事は、勢ひ其自家の利益を図ると云ふ事の方に傾き易いので、昔風の儒教とか仏教とかに努めて、他人を助けると云ふやうな感情が、地位の進む程却つて減却して来る、己れの便宜、己の発達、己れの利益、自己を重んずると云ふ事は、或る点からは勉強すると云ふ事柄は必要である、人の事ばかり考へて居れば、自分の勉強と云ふものは進むものではない、他人の事ばかり考へて居れば我が地位も進むものではない、畢竟自分の広告と云ふ事も詰り自己を主張する働きである、昔しから薬などの効能書は、効能書ほどに利かずとなつて居りましたけれども、其方法も今日では力が弱くなつて、実に広告などと云ふ事は他の品物は総て悪い、自分の品物が一番良いと云ふやうに広告しなければ自分の物が人に知られぬやうになり、或る知識を進めて利己主義を図ると云ふのも免れぬ事であります、是は下級の人ばかりではない、総てがさうである、斯の如く一方だけに傾いて行つたならばどうなるか、それでは国家は前に申すやうな人道とか或は仁政とか或は経済とか云ふ観念は段々薄くなつて、自己だけ宜ければ宜いと云ふ事になると「上下交々征利而国危矣」「苟為後義而先利、不奪不饜」と孟子は言ふて居ります、我邦も五十年に近い歳月を以て、一体の文明が殆ど総てと申して宜しうございます、通常社会上の事は勿論政治に関し、又商工業に或は農業にまで従来有り触れたる有様が変化して、其変化が良く変化して行く程、国家の文明富強は増して行くのであるが、併し此間に前に申した通り、真正なる道徳、真正なる人道が共に進んで行くやうにならなければならぬが、果してさう云ふ道行きばかりを進んで居ると云ふ事は申せぬので、富が増し地位が進むに従つて、寧ろ罪悪が増すと云ふ事が往々ございます、御当地には無いとしても新聞で御覧でございませう、東京なり大阪なり而も我々実業界の間にも段々、言ふを好まぬ、御聴きになるのも鬱陶しいやうな事が時々聞へるのは、矢張り一方進みつゝある世の中に依つて生ずる弊害である、今此感化救済事業が相応に普及する為めに、前の弊も矯正され、行政上の施設に依りても矯正される事でありまするが、若し国民が唯自己さへ宜ければ宜いと云ふ観念が全く打棄てられて、進む地位と共に国の為め人の為め同時に我が為めと云ふ事を考へて、完全に進み行かれたならば、地位は盛々進むでありませうし、其地位が進んだ為に生ずる害悪は、必らず防ぎ得るに相違ないと思ひます、是は全体に属する事で、或は教育上から、或は政治上から、一般の風習に於ける希望でありまして、単に感化救済にのみ期する訳ではございませぬが、併し若しさう云ふ風な気風が段々進む世の中であつたならば、私は前来陳べ来つた所の感化事業なり、救済事業なりが、人道上からしても完全な位置に立つて居られるし、又経済上からも必ず完きを得るやうになるであらうと思ふのでございます、感化救済の事に就ては御当地に協議会を開かれて各地の諸君がお集りになつて、連日種々なる方法を御論究になると云ふ事を承はり
 - 第30巻 p.855 -ページ画像 
まして、深く其労を謝します、前に申す私は養育院の事務に任じて居りますのと、又東京に於ける中央慈善協会の会長でございまするので諸君の其労を謝すと同時に、感化事業は人道からも大に尽さなければならぬ、又同時に経済上からも是れを十分に攻究しなければならぬのであると云ふことを、諸君に御理解あるやうに致したいと思ふて此演壇に立ちましたのでございまする、諸君を益する程の談話が出来ませぬ事を羞かしく思ひますけれども、是れで御免を蒙ります。(拍手)