デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
4節 保健団体及ビ医療施設
3款 恩賜財団済生会
■綱文

第31巻 p.91-92(DK310011k) ページ画像

大正5年5月30日(1916年)

是日芝区赤羽橋町ノ済生会病院開院式挙行セラレ、栄一之ニ出席シテ演説ス。


■資料

中外商業新報 第一〇八二二号 大正五年五月三一日 ○畏しや大御心 済生会病院の開院式(DK310011k-0001)
第31巻 p.91-92 ページ画像

中外商業新報  第一〇八二二号 大正五年五月三一日
    ○畏しや大御心
      ▽済生会病院の開院式△
赤羽橋を隔てゝ芝公園の一角と相接し、交通の便形勝の位置を占めたる芝区赤羽橋町一番地、一万九百五十五坪の官有地に、診察室・事務室・第一乃至第六病室・レントゲン室・手術室・炊事場・機関室・看護婦寄宿舎・薬品庫・倉庫等を始め、建物総坪数二千四百七十二坪を有し
△二百名の患者 を収容するに足る可き恩賜財団済生会病院は、既に昨年十二月を以て全部の竣工を告げたると共に、直に開院して北里博士を院長とし、伊丹博士を副院長に諸般の設備整ひ、一般窮民の施療に従事しつゝありしが、三十日同会創立第六回の紀念日を卜し、午後二時より盛大なる開院式を挙行せり、当日診察室階上を来賓の休憩室に充て、参列者は医員及び事務員等に導かれて諸般の設備を巡覧したる後
△構内の広場に 設けられたる式場に入り、席定まるや会長徳川家達公起つて式辞を朗読し、理事長大谷靖氏病院建築工事の報告を為し、終るや総裁伏見宮貞愛親王殿下には諸員敬礼の裡に式場に台臨あり、左の令旨を朗かに朗読し給へり
 恩賜財団済生会病院建築工を竣り、玆に開院の典を行ふ、抑々本会は夙に朝野の熱誠なる翼賛と、当局職員の励精とに依り、事業漸く其績を挙げ、今や特に此設備を加ふるに至り、所期の目的に対し一般の進展を見ることを得るは、予の深く喜ぶ所也、惟ふに救治を本会に享くる者、之より其慶に頼ること愈大に、聖恩の及ぶ所も亦以て益々渥からんとす、職に当るの諸子、能く黽勉して宜しきに随ひ之を経営し、其大成に遺憾なからしめんことを期せよ
△会長徳川公は 奉答文を朗読し、次で、内務大臣一木喜徳郎氏の祝辞、石黒男及び渋沢男の演説あり、石黒男は、先帝陛下が御学問所欄間の障子と襖を崩御の後下賜されたれば、家宝として後代に伝ふると共に、子孫を訓戒するの資料とする考へなるが、之に依りて先帝陛下が如何に御倹徳に在らせられたるかを知る可く、かばかりの御節約に
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依りて内帑を割き給ひたる大御心を拝しては、誰か感激し奉らざる可きとて
△参列者に示し たる障子の紙片は、煤の為めに真黒く、襖は破れて金の装飾など全く剥落したるを、総裁宮殿下の後なる金屏風に貼付けたるには、痛く満場の感動を惹起したり、演説終るや殿下には徳川会長等の御先導にて御退場遊ばされ、院長北里柴三郎博士の挨拶ありて式を終り、更に式場の傍なる天幕内に設けられたる食堂に入り、徳川会長の乾杯に対し土方久元伯済生会の前途を祝福して之に酬る、談笑の間に歓を尽し、散会せしは五時半頃なりき



〔参考〕竜門雑誌 第三一九号・第四八頁 大正三年一二月 ○済生会診療所巡視(DK310011k-0002)
第31巻 p.92 ページ画像

竜門雑誌  第三一九号・第四八頁 大正三年一二月
○済生会診療所巡視 済生会顧問青淵先生には、十二月二日午前十時より渡辺地方局長・井上神社局長・中川衛生局長と与に、済生会の市内診療所、本所・深川・小石川其他各所の実況を巡視せられたり