デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
4節 保健団体及ビ医療施設
14款 浅草寺病院
■綱文

第31巻 p.180-185(DK310033k) ページ画像

大正15年5月26日(1926年)

是日栄一、当病院賛助会特別会員トナリ、評議員ニ推薦セラル。


■資料

浅草寺関係書類 (一)(DK310033k-0001)
第31巻 p.180-184 ページ画像

浅草寺関係書類 (一)          (渋沢子爵家所蔵)
粛啓 時下新緑之候弥々御清栄之段奉大賀候、陳者今般当寺経営に係る浅草寺病院後援機関として、同病院賛助会なるものゝ設立を計画仕り、御賛同相願候処、早速発起人の一員として御快諾を賜候段、厚く御礼申上候 就ては早速該賛助会発起人会開催仕り、何かと御協議相願度と存し候に付、御多用中甚乍恐縮来る廿六日(水曜)午後二時伝法院へ御来臨之栄を賜度、此段御願申上候 敬具
 - 第31巻 p.181 -ページ画像 
 追記、甚勝手乍ら御出欠之有無折返御一報被下度希上候也
  五月廿三日 ○大正一五年      浅草寺住職 救護栄海
    渋沢栄一殿

謹啓
初夏之候高台愈々御清祥之段奉大賀候、陳者先般御案内申上候浅草寺病院賛助会発起人会去る五月二十六日開催仕り、席上会長より貴下に対し評議員御委嘱申上候に就ては、何卒御承諾被下御援助の程奉願上候、尚当日の議案並に議事経過を左に御報告申上候 敬具
   左記
 一、賛助会々則ハ原案ノ通可決
 二、役員ハ会長ヨリ選任報告ス
   ○外二件略ス。
  大正十五年六月一日         浅草寺病院賛助会
    渋沢栄一殿

    浅草寺病院賛助会設立趣意書
 聖徳皇太子は篤く仏教を信仰せられたお方でありますが、今から千三百余年の昔、推古天皇の御代に於て既に施薬院・療病院等を建て病に悩む貧しき者を救療せられました。而も太子の御信仰の本尊は実に観世音菩薩であつたことに思ひ当るとき、今の我浅草寺病院が観音の信仰に依り、その大慈悲心を奉戴して世に恵少き人々のお力になつてゐるといふ事は、誠に意義の深いことだと思ひます。
 世の人の貧窮になる原因は、その三分の一は、疾病だそうであります。そして病さへ癒れば、他の救は受けずとも、自ら其苦境を脱け得ると云ふ場合が非常に多いのであります。
 浅草寺病院は、皆様既に御承知の如く、明治四十三年から継続してゐる浅草寺経営の施療病院でありまして、本邦施療施設のうち比較的古い歴史を持つてをり、取扱つた患者数も、大正十四年末日迄に八拾四万弐千七百弐拾壱人(創立以来)の外来延数と、一万四千参百五拾七人(大正十二年十月以来)の入院延数に達して居ります。そして宮内省・内務省等から奨励のお言葉を賜るので、従来の職員は勿論、寺の内外を挙げ一層歓喜して、其の成績を挙げようと、心掛けてをりますが、震災後規模を拡張せられたにつれて、年々要する費用も一躍金四万円程になりましたから、浅草寺としても以前とは違つて、頗る堪へ難き負担となつて来ました。又寺では先年大震災の際、堂塔・庫裡は幸に火災は免れたとはいへ、外見に現れぬ毀損は中々多いので、目下計画されてゐる観音堂の修繕のみにても約六拾万円を要し、而も現に経営して居る不良少年感化事業・婦人相談所・簡易宿泊所等病院以外の社会事業施設も、忽せに出来ない現在の社会状態でありますから、施療事業も一層拡張の必要こそあれ、決して一日も休止したり縮小したり出来難いことは、論を俟たない次第であります。就中、苦を抜き楽を与へると云ふ観世音菩薩の、大慈悲心を奉戴する我が浅草寺病院としては、人類相愛の為に、万難を排して飽くま
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で薄倖同胞の味方となつて進まねばならぬのであります。
 仏は『以我功徳力、如来加持力、及以法界力』と云はれました、即ち自分の功徳力と、諸仏菩薩の御加持の力と、そして一切衆生の力とによつて普く供養するといふことであります。天台宗の祖師伝教大師は『悪い事は己れに向け、善い事は他人に施すのが、真実の慈悲である、菩薩の行だ』といはれました。少しでも自分に余裕のある人が、他の貧困な人の為に施しをする、これが善いことでなくてどうしましやう。玆に於て吾々有志の者が相談しまして、同病院事業後援の為、この度『浅草寺病院賛助会』を組織して、『賛助会ベツト』なるものを特設し、会より年々その病床の費用を拠出するのであります。又志篤き方からは『個人ベツト』の御寄附をねがひ、個人の名のもとに病める人を看護いたします。即ち皆様も吾々もお互に居ながらにして、貧困な病人の看護をして上げられることになるのであり、病み傷いて病床に呻吟して居るものは、皆様のお志の力に依つて、苦境から遁れ得るのであつて、それは軈て防貧即ち貧困者を無くするといふ理想境に進むことが出来るのであります。古から『積善の家には余慶あり』と云はれてゐます。施された皆様と救はれた人達との間に好き縁が結ばれることは、これ又、観世音菩薩の御誓願に添ふことであります。
 何卒、十方有信の諸士の御賛同を得て、広く同志の御勧誘を乞ひ、本会の目的を貫徹せしめられんことを切にお願ひ申上げます。
                            合掌
   大正十五年五月

       発起人……(順序不同)

 救護栄海     渋沢栄一   馬越恭平   沢柳政太郎
 矢吹慶輝     頼母木桂吉  高木益太郎  安藤正純
 笹川臨風     杉梅之治   籾山半三郎  太田信治郎
 松崎亀松     松崎孫太郎  神谷伝兵衛  中川清太郎
 大坪台助     青木新九郎  島多郎    鈴木慶四郎
 山川金太郎    細沼亀吉   細沼徳治   岩田徳三
 島本竜太郎    新村喜一郎  八木新吉   福沢亀弥
 衣川専之助    牧野たま子  遠藤千元   斎藤亀之丞
 勅使河原金一郎  前田平亮   酒井正一   三上初太郎
 細沼浅四郎    笹島太一郎  川岸藤太夫  井上清次郎
 野見浜雄     山形六郎   竹内周夫   森江英二
 岩田教円     金坂乗順   井上文蔵   立松啓三
 伊井蓉峰     河合武雄   小堀誠    豊竹巌太夫
 曾我之家五九郎  東家楽遊   沢田正二郎  西山庄太郎
 寺部頼助     北原十三男  矢花吉太郎  大槻生子
 鈴木かね     山田まさ   小倉くり   宮本仙之助
 工藤多喜男    加藤竜門   生田八栗   谷内松之助
                                          扇家 石橋だい
 浅草料理店組合代表長谷川虎太郎 浅草芸妓業組合代表高柳房吉 浅草待合組合常務理事
                                          蕾家 高井幾太郎
 - 第31巻 p.183 -ページ画像 
 壬生雄舜     大森亮順   小岩井貫栄  上村真孝
 五十嵐亮洪    横田真戒   大森真応   塩入亮忠
 黒田昭海     平田真徳   清水谷恭順  峰岸奝海
 京戸慈仁     大森公亮   吉田真猿   黒田亮文
 壬生真亮     守山良順   木下亮孝   網野宥俊
 佐伯奝欽     榎本照千   吉川真洞   小岩井みき
 浅井忠伝     檜前斎頭   檜前常音   丸山栄之助
 関口幸太郎    松村寛    森宥順    藍沢晃亮
 小林元次郎    藤本真喜


      浅草寺病院賛助会とは
 一、目的  浅草寺病院の設立趣旨を賛同して、その事業を援助するを目的とします。
 一、所在地 事務所は浅草寺病院内に置きます。
 一、会員  その目的を賛成して下さる篤志家を以つて会員といたします。
 一、会費  会員を三種に分ち、左の会費を醵出して頂きます。
      一、普通会員は…………年額金拾弐円
      一、特別会員は…………年額金参拾円
      一、個人ベツト維持員は年額金九百円
      一、一般篤志家から金品の御寄附を仰ぐこともあります
 一、役員  本会に左の役員を置きます。
       会長・副会長・顧問・理事・監事・評議員
 一、事業  その会費に依つて浅草寺病院へ「賛助会ベツト」を設け、本会の名に依つて、困つた方々の入院其他の病気の御世話をいたします。
       但し本会の事業は大正十五年より同十七年迄の三箇年を第一期と致します。
 一、報告  年一回その事業と会計の報告をいたします。
 一、申込  浅草公園弁天山下病院内事務所(電話浅草二七三二番)へ御申込みねがひます。

    浅草寺病院賛助会会則
第一条 本会ハ浅草寺病院設立ノ趣旨ヲ翼賛シ、其事業ヲ幇助スルヲ以テ目的トス
第二条 本会ハ浅草寺病院賛助会ト称ス
第三条 本会ハ事務所ヲ東京市浅草区浅草公園浅草寺病院内ニ設置ス
第四条 本会ノ目的ニ賛成シ、毎年規定ノ会費ヲ醵出スルモノヲ以テ会員トス
 会員ヲ分チテ左ノ三種トス
     一、特別会員     年額金参拾円ヲ醵出スルモノ
     二、普通会員     年額金拾弐円ヲ醵出スルモノ
     三、個人ベツト維持員 年額金九百円ヲ醵出スルモノ
第五条 本会ニ左ノ役員ヲ置ク
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     会長   一名
     副会長  一名
     顧問   若干名
     理事   七名
     監事   二名
     評議員  若干名
第六条 会長ハ浅草寺住職タル者ヲ以テ之ニ充テ、本会則ニ規定セル権限ヲ行フ
 副会長ハ浅草寺執事タル者ヲ以テ之ニ充テ、会長ヲ補翼シ、会長事故アル時其権限ヲ代行ス、顧問ハ学識徳望アル者ノ中ニ就キ会長之ヲ嘱託シ、会長ノ諮問ニ応シ、又ハ理事会及評議員会ニ出席シ意見ヲ陳述スルコトヲ得、理事ハ本会々員タル者ノ中ニ就キ会長之ヲ選任ス、理事ノ中一名ヲ理事長ニ定ム、理事長ハ本会一切ノ会務ヲ提理シ、理事長以外ノ理事ハ理事長ヲ補佐シ、会務ヲ分掌ス
 監事ハ本会々員ニシテ、且浅草寺信徒総代タル者ノ中ニ就キ会長之ヲ嘱託ス
 評議員ハ本会々員タル者ノ中ニ就キ会長之ヲ選任ス
第七条 会長・副会長以外ノ役員ノ任期ハ三箇年トス、但シ重任ヲ妨ケス
第八条 理事会ハ必要ニ応シ随時理事長之ヲ招集開会ス、左ノ各項ノ議決ハ、会長ノ同意ヲ得テ評議員会ニ附議シ、其決議又ハ承認ヲ求ムヘシ
     一、毎年度収入支出予算
     二、前項以外理事会ニ於テ重要ナリト認メタル事項
第九条 評議員会ハ会長之ヲ招集シ、毎年二回、三月・十一月定期開会ス、但シ理事会ニ於テ必要ト認メタル時、評議員五名以上ノ請求アリタル時、及監事ノ請求アリタル時ハ臨時評議員会ヲ開会スルコトヲ得、評議員会ハ評議員十五名以上出席スルニ非サレハ議事ヲ開クコトヲ得ス、評議員会ノ議事ハ出席者ノ過半数ヲ以テ之ヲ決ス、可否同数ナル時ハ議長之ヲ決ス
第十条 理事会ハ本会毎年度収支決算及事業状況ヲ翌年三月末日マテニ会員ニ報告スヘシ
第十一条 本会事務執行上必要アリタルトキハ、事務員若干名ヲ置クコトヲ得、事務員ハ理事長之ヲ任免ス
第十二条 本会会則執行上必要ノ細則ハ、評議員会ノ議決ヲ経、且会長ノ同意ヲ得テ之ヲ定ム


全国社会事業名鑑 昭和二年版 中央社会事業協会編 第五五一―五五二頁 昭和二年一〇月刊(DK310033k-0002)
第31巻 p.184-185 ページ画像

全国社会事業名鑑 昭和二年版 中央社会事業協会編
                    第五五一―五五二頁 昭和二年一〇月刊
    ◇浅草寺病院
所在地  東京市浅草区浅草公園第二区
設立年月 明治四十三年八月
事業種別 一般施療(内科・外科・眼科・耳鼻咽喉科・レントゲン科)
     大正十五年度予算 五二、五三四円
 - 第31巻 p.185 -ページ画像 
     職員          三十二名
沿革   本院は明治四十三年大水害の際、浅草寺救護所として当時の罹災者救護の為め設立され、爾来引続き浅草寺唯一の救済事業として経営し来りしものなるが、大正十二年、大震災後、浅草寺直営の諸事業の開始と共に、一層救療病院の施設を完備して救済の実を挙げ来れり。大正十三年二月現称に改めたり。目下巡回診療班、及産婦人科開設の準備中なり。外来患者の一日取扱能力は二五〇名にして、病床二六個を有す。
○下略


浅草寺関係書類 (一)(DK310033k-0003)
第31巻 p.185 ページ画像

浅草寺関係書類 (一)           (渋沢子爵家所蔵)
拝啓、御清祥奉賀候、陳者弊院事業御援助之御芳志ニ依り兼て御入会賜り候弊院賛助会特別会員拾口分金参百円也昭和弐年度会費として拝受仕度、此段御請求申上候也 敬白
  昭和三年二月十八日          浅草寺病院
                        賛助会
    渋沢家
       執事殿

浅草区浅草公園弁天山下
  浅草寺病院賛助会御中
拝啓、益御清適奉賀候、然者十八日付貴書を以て昭和二年度会費金参百円也払込方請求の御来示、正に了承致候、貴方御都合に依り、受領証御持参被成候はゞ何時にても御渡可申と存候、不取敢右御返事のみ匆々如此御座候 敬具
  二月二十日 ○昭和三年          渋沢事務所(印)《(中野)》


浅草寺関係書類 (三)(DK310033k-0004)
第31巻 p.185 ページ画像

浅草寺関係書類 (三)           (渋沢子爵家所蔵)
    御案内
粛啓、残暑の候貴台愈御清祥の段欣賀の至りに奉存候
陳者当寺経営社会事業浅草寺病院に対しては、賛助会会員として永らく御後援に与り深謝仕り候
就ては貴下本会第一期満了に際し、来る九月一日を期して本堂宝前に於て、家内安全の大般若を奉修し貴家の万福を祈り、聊か感謝の意を表し度く存し候条、当日午前九時観音堂まで御参集相成度く、右御案内申上候
 尚本堂法要終了後、伝法院に於て御祈祷札・御供物等差上く可く候条、為念申候
  昭和五年八月二十五日         浅草寺病院賛助会
                     浅草寺社会部
    渋沢栄一殿
           執事御中