デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

1章 社会事業
5節 災害救恤
7款 深川区内諸救恤
■綱文

第31巻 p.410-411(DK310059k) ページ画像

大正8年1月27日(1919年)

是日栄一、太田信次郎ノ招待ニヨル築地ノ精養軒
 - 第31巻 p.411 -ページ画像 
ニ於ケル、深川区風水害防備ニ関スル協議会ニ臨ミ、意見ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正八年(DK310059k-0001)
第31巻 p.411 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正八年      (渋沢子爵家所蔵)
一月二十五日 雨 寒
○上略 太田信次郎・島田・村林三氏来リ、深川区水害排除ノ事ニ付、来ル廿七日ノ会同ニ出席ノ事ヲ請ハル ○下略
   中略。
一月二十七日 曇 寒
○上略 五時半築地精養軒ニ抵リ、太田信次郎氏及深川区有志者ノ開催スル水害排除協議会ニ出席ス、夜十時帰宅 ○下略


竜門雑誌 第三六九号・第六四―六五頁 大正八年二月 ○深川区風水害防備に就て(DK310059k-0002)
第31巻 p.411 ページ画像

竜門雑誌  第三六九号・第六四―六五頁 大正八年二月
○深川区風水害防備に就て 深川区前市会議員太田信次郎氏は一月廿七日夜、築地精養軒に青淵先生・若槻礼次郎・磯部四郎・同尚・高木益太郎・高木正年・三木武吉其他区内有志諸氏を招待し、同区の死活問題たる風水害、殊に津浪に基く災害の防備に関する協議を遂げたるが、太田氏の調査によれば、深川区が徳川幕府入城以来、今年に至る三百二十九年間に二百二十七回の水害を受け、其死傷者亦数万に達し約十五年に一回の損害を受くる有様にて、此恐るべき被害は一日も早く除去せざる可からずとて、熱誠に其防備及方策に就き論述する所あり、列席の田尻市長・青淵先生・若槻礼次郎諸氏亦熱心に之が防備に関する意見を吐露し、尚府市代議士諸氏は結束して議会に該問題を提出して、国家的事業を成すに努力すべく申合せ、互に意見を交換して散会せる由なり。


中外商業新報 第一一七九六号 大正八年一月二八日 ○深川区の防備問題 愈々議会で問題にならんか(DK310059k-0003)
第31巻 p.411 ページ画像

中外商業新報  第一一七九六号 大正八年一月二八日
    ○深川区の防備問題
      愈々議会で問題にならんか
深川区前市会議員太田信次郎氏は、廿七日午後五時から築地精養軒へ渋沢男・若槻礼次郎・磯部四郎・同尚・高木益太郎・同正年・三木武吉、其他
△区内有志 を招き、同区の死活問題たる風水害防備に関する諸般の協議を遂げた、太田氏の調査する所に依れば、深川区が幕府以来風水害に依つて受けた損害は実に二百廿七回、中にも海嘯の被害は十五年に一回といふ工合で、大正六年丈けの損害でも二千五百万円に上つて居るといふ、兎に角斯る莫大の損害を
△十数年に 一度位蒙るといふ事が判つて居て、国家が之を放任して居るといふのは人道上の問題であると訴へる処あり、列席の田尻子・渋沢男等から夫々之が防禦設備に関する意見の吐露あり、結局府市選出の代議士連が結束して、議会の問題とし徹底的方法を講ずる事になり、散会した